アファームド

和名:アファームド

英名:Affirmed

1975年生

栗毛

父:エクスクルシヴネイティヴ

母:ウォントテルユー

母父:クラフティアドミラル

接戦には決して負けない卓越した闘争心を武器に宿敵アリダーとの激戦を制した20世紀最後の米国三冠馬

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績29戦22勝2着5回3着1回

宿敵アリダーとのライバル物語があまりにも有名な、史上11頭目の米国三冠馬。2015年にアメリカンファラオが史上12頭目の米国三冠馬となるまで実に37年間に渡って「最後の米国三冠馬」の地位に君臨していた。

誕生からデビュー前まで

米国フロリダ州のハーバービューファームにおいて、同牧場の所有者ルイス・エドワード・ウルフソン氏と妻のパトリス・ジェイコブス・ウルフソン夫人により生産された。金融業者でもあったウルフソン氏は本馬の祖父レイズアネイティヴの所有者でもあった。また、ウルフソン氏の2人目の妻だったパトリス夫人は馬産家・馬主・調教師として活躍したハーシュ・ジェイコブス氏とエセル夫人の娘であり、かつてはヘイルトゥリーズンの名義上の馬主でもあった。ハーバービューファーム名義で競走馬になった本馬は、ラザロ・ソーサ・バレラ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳5月にベルモントパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦でデビューした。10頭立ての6番人気という低評価だったが、2着イノキュオスに4馬身半差をつけて逃げ切り勝利した。次走のユースフルS(D5.5F)では、このレースがデビュー戦だったアリダーと初めて顔を合わせた。1番人気はアリダーで、本馬は2番人気だった。レースではスタートから先頭争いを演じた本馬が直線でそのまま押し切り、猛追してきた2着ウッドネイティヴに首差で勝利した(アリダーは5着に終わった)。

次走のグレートアメリカンS(D5.5F)では、アリダーと2度目の対戦となった。本馬はスタートから先頭でレースを進めたが、三角で外側からまくったアリダーに最終コーナー手前でかわされてしまい、そのまま差を広げられてアリダーから3馬身半差の2着に敗れて初黒星を喫した。

米国西海岸に短期遠征して出走したハリウッドジュヴェナイルCSS(GⅡ・D6F)では、分割競走となったため対戦相手の層が薄かったが、それでも後のルイジアナダービー・アーカンソーダービー勝ち馬イソップズフォイブルズという実力馬の姿があった。しかし本馬が2着ヒーズデュワンに7馬身差をつけて圧勝した。次走のサンフォードS(GⅡ・D6F)では主戦となるスティーブ・コーゼン騎手と初コンビを組み、2着ティルトアップに2馬身半差をつけて楽勝した。

その10日後のホープフルS(GⅠ・D6.5F)では、アリダーと3度目の対戦となった。3番手を追走した本馬が三角で先頭を伺っているところにアリダーが外から並びかけてきて、直線ではこの2頭の一騎打ちとなった。しかし本馬はアリダーに決して抜かさせずに最後は半馬身差で勝利した。

翌月のベルモントフューチュリティS(GⅠ・D7F)でもアリダーとの対戦となった。レースでは2番手追走から本馬が三角で先頭に立つのとほぼ同時にアリダーが外側から並びかけてきた。2頭は殆ど並んだ状態で3ハロンにも及ぶ壮絶な叩き合いを演じたが、最後は本馬が鼻差で勝利した(後のブルックリンH・アメリカンダービー勝ち馬ナスティアンドボールドが3着だった)。

さらにシャンペンS(GⅠ・D8F)でもアリダーと対戦した。このレースでは本馬が先頭で直線に入り、外側にいたサラトガスペシャルS勝ち馬ダービークリークロードを楽々と突き放した。しかしここで突如大外から出現したアリダーが瞬く間に本馬を抜き去って勝利し、本馬は1馬身1/4差の2着に敗れた(ダービークリークロードが3着だった)。この時期の本馬は、先頭に立つと遊ぶ癖があり、それがバレラ師にとって悩みの種だったようである。

この2週間後のローレルフューチュリティ(GⅠ・D8.5F)でもアリダーとの対戦となった。このレースでは本馬が2番手を追走していたところに、レース中盤で早くもアリダーが本馬の内側から並びかけ、2頭が並んで直線を向いた。そして例によって2頭の一騎打ちが直線で展開され、最後は本馬が首差で勝利した(2年後のエクリプス賞最優秀短距離馬スタードナスクラが10馬身差の3着だった)。これでアリダーとの対戦成績を4勝2敗とした本馬が、2歳時通算でも9戦7勝2着2回の好成績を残し、この年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれた。本馬とアリダーの対戦は後の米国三冠競走ばかりがクローズアップされる傾向があるが、2歳時における対戦も凄い内容のものばかりである。

競走生活(3歳初期)

この後に本馬はカリフォルニア州、アリダーはフロリダ州で冬場を過ごし、翌年の米国三冠競走に備えた。しかしこのシーズンのカリフォルニア州は例年より雨が多く、本馬は十分な調教を行うことが出来なかった。しかし3歳になった本馬は調教不足を感じさせない走りを披露する。

まずは3月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6.5ハロンの一般競走から始動して5馬身差で圧勝。次走のサンフェリペS(GⅡ・D8.5F)では、2着となったサンヴィンセントS勝ち馬チャンスダンサーに2馬身差で勝利。サンタアニタダービー(GⅠ・D9F)では、ノーフォークS勝ち馬バルザックを8馬身差の2着に下して圧勝。

次走のハリウッドダービー(GⅠ・D9F)において、本馬の気抜き癖に悩んでいたバレラ師は、それを解消するため、コーゼン騎手に対して徹底して本馬に鞭を使うよう指示を出した。コーゼン騎手は指示どおりに直線で本馬に12回も鞭を使ったが、本馬は鞍上の指示を無視するかのように適当に走って2着シンクショーに2馬身差で勝利した。バレラ師の悩みは解消されないまま、東海岸に戻って三冠競走に臨む事になったが、結果的にはバレラ師の心配は杞憂に終わる事になる。一方のアリダーもブルーグラスSの13馬身差圧勝など、3歳時4戦全勝と絶好調で三冠競走に挑んできた。

競走生活(3歳中期):アリダーを3連破して米国三冠を達成

ケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、アリダーが単勝オッズ2.2倍の1番人気に推され、本馬は単勝オッズ2.8倍の2番人気、単勝オッズ5.5倍の3番人気にはハッチソンS・ファウンテンオブユースSなど6戦無敗のセンシティヴプリンスが推された。レースではセンシティヴプリンスが先手を奪い、本馬は3番手、アリダーは最後方を追走した。最終コーナー手前で本馬がセンシティヴプリンスをかわして先頭に立ったところに、ウッドメモリアルS勝ち馬ビリーヴイットが並びかけてきたが、本馬は直線に入ると難なくそれを突き放した。アリダーも猛然と追い込んできたが、ビリーヴイットをかわすのが精一杯だった。最後は本馬が2着アリダーに1馬身半差、3着ビリーヴイットにはさらに1馬身1/4差をつけて優勝した。

プリークネスS(GⅠ・D9.5F)では人気が逆転して、本馬が1番人気、アリダーが2番人気となった。レースでは本馬がスタート後の先陣争いを制して先頭に立った。アリダーは最初こそ後方2番手につけていたが、アリダー鞍上のホルヘ・ヴェラスケス騎手は前走の轍を踏むまいと向こう正面で仕掛けた。本馬はビリーヴイットなどの他馬から先頭を死守しながら直線を向いた。アリダーも他馬を外側から次々とかわし、最後にビリーヴイットをかわして2番手に上がったところで直線を向いた。直線入り口では本馬とアリダーの差は1馬身程度であり、勢いからしてアリダーがすぐに逆転するかにも見えたが、本馬が二の脚を使って最後まで粘り切り、アリダーの追撃を首差封じて勝利を収めた(3着ビリーヴイットはさらに7馬身半後方だった)。

ベルモントS(GⅠ・D12F)では、1番人気の本馬と2番人気のアリダーに人気が集中し、他の出走馬3頭は蚊帳の外といった雰囲気だった。スタートが切られるとすぐに先手を奪った本馬が、最初の2ハロンを25秒、次の2ハロンも25秒という同競走史上稀に見る超スローペースの逃げに持ち込んだ。しかしアリダー鞍上のヴェラスケス騎手は遅い流れを見切って3番手追走から位置取りを早々に上げていき、スタートから5ハロンを経過した地点で外側から本馬に並びかけていった。ここから展開された2頭の激闘は米国競馬史上屈指の名勝負と言われている。アリダーが並びかけてくるとコーゼン騎手は本馬のスピードを上げた。ヴェラスケス騎手も負けずにアリダーのスピードを上げたため、この2頭が後続を大きく引き離し、完全なマッチレースとなった。本馬が僅かにリードした状態で直線に突入し、内側の本馬と外側のアリダーが激しい叩き合いを演じ始めた。あまりに2頭の馬体が接近したため、本馬鞍上のコーゼン騎手は途中から右鞭を使うことが出来なくなった。アリダーが僅かに前に出るかと思われた瞬間、前年487勝を挙げ17歳で米国最多勝騎手となった若き天才コーゼン騎手は咄嗟に鞭を左手に持ち替えた。そしてコンビ結成12戦目にして初めて本馬に対して左鞭を使った。この左鞭に反応した本馬が再度盛り返し、最後はアリダーを鼻差抑えて優勝(3着ダービークリークロードはさらに13馬身後方)。前年のシアトルスルーに続く史上11頭目の米国三冠馬の栄誉を手にした。レース前半は超スローペースだったが、最終的な勝ちタイム2分26秒8は当時ベルモントS史上3番目に速いものとなった。三冠競走における本馬とアリダーの着差合計は僅か2馬身差だった(アリダーと三冠競走各3着馬の着差合計は実に21馬身3/4差)。バレラ師は「アファームドはセクレタリアトより上でしょう。何故ならアリダーという強敵を打ち負かして三冠を達成したからです」と語った。

競走生活(3歳後期)

本馬は続いてジムダンディS(GⅢ・D9F)に出走。このレースでは本馬より9ポンド斤量が軽かったセンシティヴプリンス(ケンタッキーダービーで6着に敗れたため、米国三冠競走の残り2戦には不参加だった)がマイペースの逃げに持ち込んでそのまま逃げ切るかと思われたが、本馬が残り半ハロン地点で逆転して最後は1馬身半差で勝利した。バレラ師はこれも本馬のベストレースの一つであると述べている。

次走のトラヴァースS(GⅠ・D10F)では、アリダーと10度目の対戦となった。ここでは負傷療養中のコーゼン騎手に代わってラフィット・ピンカイ・ジュニア騎手が本馬の手綱を取った。4頭立てで行われたレースでは例によって本馬が先手を奪い、アリダーは3番手を追走した。三角で本馬がインを閉めた際に、内側を狙って本馬に並びかけようとしていたアリダーの進路が塞がり、アリダーは体勢を崩して大きく外側によれた。結局そのまま先頭を維持した本馬が2位入線のアリダーに1馬身3/4差をつけてトップゴールしたが、三角における進路妨害が咎められて本馬は2着降着となり、アリダーが繰り上がって勝利馬となった(3着にはアメリカンダービー・ブルックリンHを連勝してきたナスティアンドボールドが入った)。

アリダーがこの後に故障したこともあり、これが本馬とアリダーの最後の対戦となった。対戦成績は本馬の7勝3敗で、10回の対戦のうちユースフルS以外の9戦で、この2頭で1着と2着を独占した。しかしアリダーの故障は本馬の斜行が原因であるとする説も根強く、トラヴァースSの結果はこの2頭の最終対決としては後味が悪いものだった。

次走のマールボロCH(GⅠ・D9F)では、アリダーに代わる新たな強敵が早くも出現した。それは先輩米国三冠馬シアトルスルーだった。米国三冠馬同士の直接対決は史上初の事であり、このレースは戦前から大変な盛り上がりを見せた。単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持されたのは本馬のほうであり、戦ってきた相手が弱いとその当時は言われていたシアトルスルーが単勝オッズ3倍の2番人気となった。しかし本馬はシアトルスルーに先手を取られて終始レースを支配され、そのまま追いつけずに3馬身差をつけられて2着に敗退(本馬から5馬身差の3着には前走に続いてナスティアンドボールドが入った)。本馬にとってはアリダー以外の馬に初めて先着された事になった。レース後の本馬は喉の感染症に罹っている事が判明したという。

続くジョッキークラブ金杯(GⅠ・D12F)でも再度シアトルスルーとの対戦となった。他にも、欧州でパリ大賞・ロワイヤルオーク賞・コロネーションC・サンクルー大賞とGⅠ競走4勝を挙げた後に米国に渡り、加国際S・ハリウッド招待H・ハリウッド金杯・サンセットHを勝っていたエクセラー、一昨年のジョッキークラブ金杯勝ち馬でブルックリンH・ローレンスリアライゼーションSなども勝っていたグレートコントラクターといった強敵の姿もあった。本馬陣営はシアトルスルー潰しのために同厩のライフズホープをラビット役として出走させていたが、いざレースが始まると、本馬もライフズホープと一緒になって先頭のシアトルスルーに競りかけていった。レース中盤で超ハイペースに付いていけなくなったライフズホープは脱落し、本馬も先頭のシアトルスルーから少し離された。三角で本馬が再びシアトルスルーとの差を縮めようとしたとき、本馬鞍上のコーゼン騎手が体勢を崩した。本馬の背中にあった鞍がずれてしまったのである。それと同時に失速した本馬の内側を、道中は後方で脚を溜めていたエクセラーが猛然と追い抜いていった。レースは追い上げたエクセラーと恐るべき粘りを見せたシアトルスルーの2頭が米国競馬史上に燦然と輝く大激闘を演じた末に、エクセラーが鼻差で勝利を収めた。鞍ずれの影響でまともに走れなかった本馬はエクセラーから19馬身も離された5着に終わり、デビュー以来初の惨敗を喫してしまった。

これが3歳時最後のレースとなったが、それでもこの年11戦8勝2着2回の好成績を残し、エクリプス賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬に選出された。しかしトラブルが原因とは言え、シアトルスルーに2戦2敗だったため、年度代表馬については疑問の声も上がったようである。

競走生活(4歳前半)

4歳時における本馬の走りも見たいというウルフスン氏の意向により、カリフォルニア州に戻った本馬は翌年も現役を続行した。まずは1月のマリブS(GⅡ・D7F)から始動したが、パロスヴァルデスHなど2連勝で臨んできたリトルレブの2馬身1/4差3着に敗退。次走のサンフェルナンドS(GⅡ・D9F)では、リトルレブを3着に抑えたものの、前走マリブSで2着だったスワップスS・アーゴノートH勝ち馬レイダーアヘッドに今回も先着を許して2馬身3/4差の2着に敗れ、前年から続いていた連敗は5に伸びた。

バレラ師はコーゼン騎手がスランプに陥っていると判断し、主戦をピンカイ・ジュニア騎手に交代させた。前年のトラヴァースSでアリダーの進路を妨害して本馬を降着の憂き目に遭わせる失態を犯したピンカイ・ジュニア騎手だが、さすがに米国競馬史上に名を残す大騎手だけあり、同じ本馬の鞍上で失敗を繰り返す事は無かった。

新コンビの初戦となったチャールズHストラブS(GⅠ・D10F)では、単勝オッズ1.8倍の1番人気に応えて2着ジャニーズイメージに10馬身差をつけて圧勝し、5着に終わったレイダーアヘッドに借りを返した。

次走のサンタアニタH(GⅠ・D10F)では、ジョッキークラブ金杯勝利後にオークツリー招待Hも勝って前年のGⅠ競走勝利数を6まで伸ばしながら、エクリプス賞最優秀古馬の座をシアトルスルーに奪われてしまったエクセラーとの再戦となった。斤量は本馬の方が2ポンド多い128ポンドだった。しかし結果は呆気なかった。道中2番手を進んだ本馬が三角で先頭に立つと、そのまま後続を寄せ付ける事なく、サンアントニオH・ボーリンググリーンH・タイダルHなどを勝っていた2着ティラーに4馬身半差、3着同着だったエクセラーとペインテッドワゴンにはさらに3馬身差をつけて圧勝。勝ちタイム1分58秒6はコースレコードだった。なお、米国三冠馬がサンタアニタHを勝ったのはこれが史上唯一の事例である。

続くカリフォルニアンS(GⅠ・D8.5F)では130ポンドを課されたが、馬なりのまま2着シンコペイトに5馬身差で圧勝。そのために次走ハリウッド金杯(GⅠ・D10F)では132ポンドを課される事になった。スタートから先頭に立った本馬だが、他馬勢も本馬を先に行かせると抜くことが出来ない事を分かっているかのように競りかけてきた。特に伊グランクリテリウム・伊ダービー・ミラノ大賞など伊国で数々の大レースを勝った後に米国に移籍していたサーラッドという馬はスタートから徹頭徹尾本馬をマークし続けた。しかし本馬は最後まで先頭を譲る事は無く、サーラッドとの叩き合いを3/4馬身差で制した。勝ちタイム1分58秒4は1950年のゴールデンゲートHでヌーアが樹立した全米レコードに0秒2及ばないだけという素晴らしいものだった。サンタアニタHとハリウッド金杯を同一年に勝利したのは1977年のクリスタルウォーター以来2年ぶり史上5頭目だった。また、この勝利により本馬の獲得賞金は203万5218ドルに達した。これは米国競馬史上初めての200万ドルホース誕生であり、同時にケルソが保持していた197万7896ドルという獲得賞金世界記録を15年ぶりに更新するものだった。

競走生活(4歳後半)

この後、東海岸に移動した本馬はアケダクト競馬場でいったん引退式を行い、ベルモントパーク競馬場で行われたダート8ハロンの一般競走(馬券が発売されないエキシビジョンレースだった)に出走して、2着アイランドスルタンに6馬身差で勝利した。

その後は前年に引き続きマールボロCHへ出走する予定だったが、この年のケンタッキーダービー・プリークネスS勝ち馬スペクタキュラービッドよりも7ポンド重い133ポンドの負担重量を嫌って回避した。代わりに出走したウッドワードS(GⅠ・D10F)では、ベルモントSでスペクタキュラービッドを破って勝利したコースタル、ウィザーズS・ジェロームHを連勝してきたツァラヴィッチなどが対戦相手となった。不良馬場で行われたこのレースにおいて本馬は先頭から離れた2番手を追走していたが、途中でコースタル達に抜かれて一時は4番手に下がるという、今までとは異なるレースぶりだった。しかし最終コーナーで瞬く間に先頭を奪うと、そのまま押し切って2着コースタルに2馬身半差で勝利した。

引退レースとなったジョッキークラブ金杯(GⅠ・D12F)では4頭立ての少頭数ながら、コースタルに加えてスペクタキュラービッドも参戦しており、本馬の最後のレースに相応しいメンバーが揃った。少頭数の競走だけに、出走馬が固まってレースは進んだが、概ね本馬が先頭に立ち、スペクタキュラービッドは本馬をマークする形、コースタルはさらにその後方を追走した。最終コーナーでは本馬が外に膨らんだところを、コースタルが最内を突いて本馬に並びかけ、さらにスペクタキュラービッドが2頭の間を突いて3頭がほぼ並ぶ形で直線を向いた。まずコースタルが遅れを取って、本馬が単独で先頭に立ち、そこへコースタルをかわしたスペクタキュラービッドが追撃してきた。しかし本馬は最後まで抜かさせる気配を見せず、最後は2着スペクタキュラービッドに3/4馬身差、3着コースタルにはさらに3馬身差をつけて優勝し、引退レースの花道を飾った。

4歳時の成績は9戦7勝で、2年連続となるエクリプス賞年度代表馬及び最優秀古馬牡馬に選ばれた。前年と異なり年度代表馬についても異論は出なかった。獲得賞金総額239万3818ドルは当時の世界記録だった(ただし翌年にスペクタキュラービッドによって破られた)。

競走馬としての特徴と馬名に関して

競走馬としての本馬の最大の特徴は、やはり他馬に決して抜かさせない闘争心であった。接戦には異様に強く、生涯で8回経験したゴール時1馬身差以内の接戦は全て勝利している。スタートしてすぐに先頭に立てるスピード能力と、後ろの馬に抜かさせない闘争心のコンビネーションは、他馬にとっては致命的なものだったと評されており、それを打ち破るにはシアトルスルーのようにスタートから本馬の前を走るか、アリダーのように少し離れた位置から並ぶ間もなく本馬を抜き去る必要があった。コーゼン騎手は「彼は速くて勇敢であり、決して諦めませんでした。彼は常に後ろの馬と戦っていました」と評している。

本馬は綺麗好きな馬だったらしく、レースが終わった後にはいつも厩務員のジュアン・アラニッツ氏に口の周りを拭いてもらっていた。本馬とこのアラニッツ氏は非常に仲が良く、馬屋の中でこの2人、もとい1人と1頭が並んで昼寝をしている光景がしばしば見受けられたという。

馬名は「断言された、(正しい旨が)主張された」という意味で、友人の最高裁判所判事に毎年2万ドルを渡す約束をかわした事が、未登録株の売買に関して証券取引委員会に便宜を図ってもらう目的であり証券法に抵触するとして1969年に訴追されたウルフスン氏が裁判で自身の潔白を主張したこと(結局彼は有罪となった)に由来するのではないかと推測されている。

血統

Exclusive Native Raise a Native Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Raise You Case Ace Teddy
Sweetheart
Lady Glory American Flag
Beloved 
Exclusive Shut Out Equipoise Pennant
Swinging
Goose Egg Chicle
Oval
Good Example Pilate Friar Rock
Herodias
Parade Girl Display
Panoply
Won't Tell You Crafty Admiral Fighting Fox Sir Gallahad Teddy
Plucky Liege
Marguerite Celt
Fairy Ray
Admiral's Lady War Admiral Man o'War
Brushup
Boola Brook Bull Dog
Brookdale
Scarlet Ribbon Volcanic Ambrose Light Pharos
La Roseraie
Hot Supper Gallant Fox
Big Dinner
Native Valor Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Native Gal Sir Gallahad
Native Wit

父エクスクルシヴネイティヴは名種牡馬レイズアネイティヴの初年度産駒で、本馬と同じくハーバービューファームの生産・所有馬だった。現役成績は13戦4勝で、主な勝ち鞍はサンフォードS・アーリントンクラシックS。種牡馬としては本馬の活躍により1978・79年の北米首位種牡馬に輝いている。本馬以外の主な産駒は、ジェニュインリスク【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)】、ミルネイティヴ【アーリントンミリオンS(米GⅠ)】、アウトスタンディングリー【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)】、ライフズホープ【ジャージーダービー(米GⅠ)】、ヴァルデ【スワップスS(米GⅠ)】、アワーネイティヴ【モンマス招待H(米GⅠ)・フラミンゴS(米GⅠ)】、シスターフッド【サンタバーバラH(米GⅠ)】、ロワノルマン【サンセットH(米GⅠ)】、マイダーリンワン【ファンタジーS(米GⅠ)】、シェアザファンタジー【スピナウェイS(米GⅠ)】、ケトー【カウディンS(米GⅠ)】、ハティム【サンアントニオH(米GⅠ)】、サボナ【カリフォルニアンS(米GⅠ)】など。

母ウォントテルユーは現役成績23戦5勝でステークス競走勝ちは無い。繁殖牝馬としては本馬の半妹ラヴユーディア(父ボールドネイティヴ)【マチネーS】、全弟サイレントフォックス【3着チャールズHストラブS(米GⅠ)】、半妹ウォントシーテル(父バナースポート)【ブラッシュウィズプライドS】などを産んでいる。本馬の半姉コンフェス(父コーニッシュプリンス)の娘コンカロとラブアストーリーはいずれも日本に繁殖牝馬として輸入され、前者は2010年の中山大障害(JGⅠ)を制したバシケーンの曾祖母となり、後者は1995年の中山大障害秋を制したフジノスラッガーの母となった。また、本馬の全妹シーウォントテルの子にはセニョールペテ【ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)】が、ウォントシーテルの子にはホワイトクラウン【ソラリオS(英GⅢ)】とドリリングフォーオイル【ルイビルH(米GⅢ)】、孫にはコンフィデンシャルレディ【仏オークス(仏GⅠ)】が、本馬の半妹インメモリー(父アリダー)の玄孫にはトゥワーリングキャンディ【マリブS(米GⅠ)】がいる。ウォントテルユーの半妹コクシネア(父ジャイプール)の孫には本邦輸入種牡馬スリルショー【ハリウッドダービー(米GⅠ)】とノーブルアンドナイス【サンタアナH(米GⅠ)】がいる。本馬の母系を延々と遡ると、19世紀米国最高の快速馬ドミノの全姉コレクションに行きつくことができ、BCクラシックなどを制して2004年のエクリプス賞年度代表馬に選ばれたゴーストザッパーも同じ牝系である。→牝系:F23号族②

母父クラフティアドミラルは、ウッドメモリアルS・カーターH勝ち馬ファイティングフォックスを経てサーギャラハッドに遡る系統の馬で、現役成績は39戦18勝。ガルフストリームパークH2回・ブルックリンH・ワシントンパークH・ニューヨークH・パームビーチS・セミノールHなどを制し、1952年には米最優秀ハンデ牡馬に選ばれている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、1140万ドルという当時史上最高額のシンジケートが組まれて、ケンタッキー州スペンドスリフトファーム(父エクスクルシヴネイティヴも当時繋養されていた)で種牡馬入りした。種牡馬入り初年度の1980年には早くも米国競馬の殿堂入りを果たした。1987年にはアリダーが繋養されていたカルメットファームに移り、アリダーが謎の死を遂げる1990年までかつてのライバル2頭が隣同士で暮らすことになった。顔立ちもよく似たこの2頭の栗毛馬が、競走馬時代のように牧場内を並んで走る光景も見られたという。アリダーが死んで間もなくカルメットファームは破産し、本馬はケンタッキー州ジョナベルファームへ移動した。2000年10月に左前脚首を脱臼したために手術が行われた。手術自体は成功し、歩けるようになったものの、右前脚をかばったために蹄葉炎を発症。翌2001年1月に安楽死の措置が執られ26歳で他界した。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第12位。

本馬が種牡馬として送り出したステークスウイナーは82頭に達し、これは一流種牡馬のものである。しかし本馬は種牡馬として失敗だったと言われることが多い。これは種牡馬として大成功したアリダーと比較すると確かに見劣りする(種付け料の比較では、本馬が最高で4万ドルだったのに対してアリダーは非公式ながら最高で25万ドルだったという)事に加えて、シンジケートが巨額過ぎた事、活躍馬が牝馬や騙馬に偏る傾向があり牡馬の活躍馬が少ない事も理由として考えられる。なお、本馬を失敗種牡馬と評しているのは日本の資料が多く、海外の資料には本馬を成功種牡馬と評価しているものが多い事は付記しておく。

先に触れたとおり牡馬の後継馬には恵まれておらず、父系の存続は難しい状況であるが、しかし母父としては非常に優秀で、母系に入って影響力を保ち続けると思われる。日本でも、ナリタトップロード、メイショウドトウ、スティンガー、サイレントハピネス、メジロダーリング、アーバニティなどが本馬を母父に持つ。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1981

Claude Monet

ダンテS(英GⅡ)

1983

An Empress

ハネムーンH(米GⅢ)・ニジャナS(米GⅢ)

1983

Fuller's Folly

セネカH(米GⅢ)

1983

Regal State

モルニ賞(仏GⅠ)

1984

Bint Pasha

ヨークシャーオークス(英GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・プリティポリーS(愛GⅡ)

1984

Lovelier

ミスグリオS(米GⅢ)

1984

Medi Flash

リディアテシオ賞(伊GⅡ)

1984

One from Heaven

加オークス

1984

Persevered

サンフォードS(米GⅡ)・ホイストザフラッグS(米GⅢ)

1985

Perfecting

ラホヤH(米GⅢ)

1985

Tibullo

伊グランクリテリウム(伊GⅠ)・リボー賞(伊GⅡ)

1985

Trusted Partner

愛1000ギニー(愛GⅠ)・ウェルドパークS(愛GⅢ)

1986

Buy the Firm

トップフライトH(米GⅠ)・ロングルックH(米GⅡ)・アシーニアH(米GⅢ)・カラセルH(米GⅢ)・ネクストムーヴH(米GⅢ)

1986

Charlie Barley

サマーS(加GⅢ)・シーオーエリンH(米GⅢ)・ドミニオンデイH(加GⅢ)

1986

Viva Zapata

グロシェーヌ賞(仏GⅡ)

1987

Zoman

イスパーン賞(仏GⅠ)・バドワイザー国際S(米GⅠ)・愛国際S(愛GⅡ)・ロジャーズ金杯(愛GⅡ)・ロンポワン賞(仏GⅢ)・スコティッシュクラシック(英GⅢ)

1988

Firm Stance

トップフライトH(米GⅠ)

1988

Flawlessly

メイトリアークS(米GⅠ)3回・ビヴァリーヒルズH(米GⅠ)2回・ラモナH(米GⅠ)3回・ビヴァリーDS(米GⅠ)・ガーデニアS(米GⅢ)・テンプテッドS(米GⅢ)・デルマーオークス(米GⅢ)・ハロルドCラムザーシニアH(米GⅢ)

1988

Isle of Glass

ウェルドパークS(愛GⅢ)

1988

Quintana

レベルS(米GⅢ)

1989

Abigailthewife

ラプレヴォヤンテH(米GⅡ)

1990

Assert Oneself

モデスティH(米GⅢ)

1990

Firm Pledge

タンフォランH(米GⅢ)

1990

Peteski

クイーンズプレート・加プリンスオブウェールズS・加ブリーダーズS・モルソンエクスポートミリオン(加GⅡ)

1991

Lady Affirmed

アシーニアH(米GⅢ)

1991

Low Key Affair

シカゴBCH(米GⅢ)

1991

Warm Wayne

クレームフレーシュH(米GⅢ)

1992

Affidavit

ショードネイ賞(仏GⅡ)・ベルトゥー賞(仏GⅢ)

1992

Perfect

アスコットH(米GⅢ)

1993

Firm Dancer

ドミニオンデイH(加GⅢ)

1993

Notoriety

ジャイプールH(米GⅢ)

1994

Affirmed Success

ヴォスバーグS(米GⅠ)・シガーマイルH(米GⅠ)・カーターH(米GⅠ)・フォアゴーH(米GⅡ)・ジェネラルジョージH(米GⅡ)・ポーカーH(米GⅢ)2回・トボガンH(米GⅢ)

1994

Mossflower

ヘンプステッドH(米GⅠ)

1994

Stoneleigh

ボイリングスプリングスH(米GⅢ)

1995

Quiet Resolve

アットマイル(加GⅠ)・ディキシーS(米GⅡ)・ホンコンジョッキークラブトロフィーS(加GⅡ)・キングエドワードBCH(加GⅡ)・コノートC(加GⅢ)

1996

Positive Gal

ギャラントブルームH(米GⅢ)

1998

Affluent

クイーンエリザベスⅡ世CCS(米GⅠ)・ラブレアS(米GⅠ)・ラモナH(米GⅠ)・サンタモニカH(米GⅠ)・ハリウッドオークス(米GⅡ)・エルエンシノS(米GⅡ)

1998

The Tin Man

アーリントンミリオンS(米GⅠ)・クレメントLハーシュターフCSS(米GⅠ)2回・シューメーカーマイルS(米GⅠ)・アメリカンH(米GⅡ)・サンルイオビスポH(米GⅡ)・サンマルコスS(米GⅡ)・アメリカンH(米GⅡ)

2000

I Thee Wed

ニアークティックS(加GⅡ)

TOP