パレスミュージック

和名:パレスミュージック

英名:Palace Music

1981年生

栗毛

父:ザミンストレル

母:カムマイプリンス

母父:プリンスジョン

英国と米国でGⅠ競走を1勝ずつ挙げた他にBCマイルで2年連続2位入線した米国の歴史的名馬シガーの父

競走成績:3~5歳時に仏英米で走り通算成績21戦7勝2着5回3着3回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州メアワースファームにおいて、同牧場の所有者だったウォルター・ジョセフ・サーモン・ジュニア氏により生産された。サーモン・ジュニア氏の父ウォルター・ジョセフ・サーモン卿は、米国の歴史的名馬ディスカヴァリーや米国顕彰馬にも選ばれた名障害競走馬バトルシップの生産者として知られた人物で、1953年に父が死去するとサーモン・ジュニア氏がメアワースファームを受け継いで馬産を続けていたのだった。本馬はネルソン・バンカー・ハント氏とブルース・マクナル氏のスマステーブルに購入され、仏国パトリック・ビアンコーヌ調教師に預けられた。

競走生活(3歳時)

3歳3月にサンクルー競馬場で行われたレースでデビューして勝ち上がった。それから1か月も経たないうちに仏2000ギニー(仏GⅠ・T1600m)に果敢に挑戦。鞍上がレスター・ピゴット騎手であった事からも本馬に対する陣営の期待のほどが伺えるが、結果はモルニ賞の勝ち馬シベリアンエクスプレスの12着と惨敗に終わった。

仏ダービーには向かわずに、ダフニ賞(仏GⅢ・T1800m)に出走した。そしてエリック・ルグリ騎手を鞍上に、サラマンドル賞の勝ち馬シアトルソングを鼻差抑えて、グループ競走初勝利を挙げた。

次走のメシドール賞(仏GⅢ・T1600m)では、イスパーン賞でクリスタルグリッターズの2着だったエクスビュリ賞の勝ち馬ミルバルに敗れて、1馬身差の2着だった。続くジャックルマロワ賞(仏GⅠ・T1600m)では、英シャンペンS・クレイヴンSの勝ち馬で英2000ギニー3着のリアファンに4馬身差をつけられながらも2着を確保し、仏2000ギニーから直行してきたシベリアンエクスプレスを3/4馬身差の3着に抑えた。次走のラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ・T2000m)では、ヴェルメイユ賞2着馬エストラペイドの4馬身差2着だったが、セレクトSを勝ってきた伊ダービー2着馬ボブバックは短首差の3着に抑えた。

続いて英国に移動して英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)に出走した。サンチャリオットSを6馬身差で圧勝してきたフリーゲスト、英1000ギニー・ネルグウィンSの勝ち馬でチェヴァリーパークS・コロネーションS2着のペブルス、前年のアーリントンミリオンSの勝ち馬で英2000ギニー・セントジェームズパレスS・サセックスS・ベンソン&ヘッジズ金杯2着のトロメオ、ボブバックなどが主な対戦相手だった。レースはペースメーカー役の馬が後続を引き離して逃げを打ち、1番人気のフリーゲストは先行、イヴ・サンマルタン騎手が騎乗する本馬やペブルスは後方から競馬を進めた。残り2ハロン地点で本馬は外側に持ち出してスパートを開始し、残り半ハロン地点で内側の先行馬勢を抜き去って先頭に立った。そこへさらに外側からペブルスが追い上げてきたが、その追撃を首差で抑えて勝利。勝ちタイム2分01秒04はコースレコードだった。3歳時はこれが最後のレースで、この年の成績は7戦3勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は復帰が遅れて、8月のベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ・T10F110Y)からの始動となった。このレースには、英1000ギニー・英オークス・フィリーズマイル・ネルグウィンSの勝ち馬でキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着のオーソーシャープ、英セントレジャー・ゴードンS・ブリガディアジェラードSの勝ち馬コマンチラン、マルセルブサック賞・愛2000ギニーの勝ち馬で英オークス2着のトリプティクといった強豪馬勢が参戦してきた。結果は上記3頭全てに後れを取り、勝ったコマンチランから9馬身3/4差の4着に敗れた。

次走のラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ・T2000m)では、2着イアデスに3/4馬身差で勝利した。

そして英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)で2連覇を狙った。有力な対戦相手は、この年のエクリプスS・トラストハウスフォルテマイルを勝っていたペブルス、この年の英ダービーを7馬身差で圧勝していたスリップアンカー、愛チャンピオンSも勝ってきたコマンチラン、この年の愛オークス馬ヘレンストリート(ドバイワールドC勝ち馬ストリートクライの母)の4頭だった。レースはスリップアンカーが逃げて、本馬は馬群の中団につけた。しかし後方にいたペブルスが残り1ハロン半地点で瞬く間に馬群を突き抜けて先頭に立ち、そのまま2着スリップアンカーに3馬身差をつけて完勝。本馬はスリップアンカーを頭差捕まえられず3着に敗れた。

続いて米国に遠征してアケダクト競馬場で行われたBCマイル(米GⅠ・T8F)に参戦した。対戦相手は、サセックスS・ムーランドロンシャン賞・クリスタルマイル・クイーンアンSの勝ち馬ルション、ロングフェローH・オーシャンポートHを勝っていた前年の同競走3着馬コジーン、カールトンFバークH・デルマーダービー・アメリカンH・エディリードHの勝ち馬ツナミスルー、英2000ギニー・クイーンエリザベスⅡ世S・クレイヴンSの勝ち馬シャディード、キングズスタンドS・ジュライC・スプリントCSとこの年の英国主要短距離競走を総なめにしていたネヴァーソーボールド、イングルウッドHの勝ち馬でサンアントニオH・アメリカンH・エディリードH2着のアルマムーン、メトロポリタンH・フォートマーシーHの勝ち馬フォーザンドなどだった。ルションが単勝オッズ4倍の1番人気、コジーンが単勝オッズ4.6倍の2番人気、ツナミスルーが単勝オッズ4.7倍の3番人気と続き、本馬は単勝オッズ17.1倍の6番人気止まりだった。レースはアルマムーンが逃げて、シャディードやコジーンが先行、本馬は馬群の中団につけ、スタートで出遅れたルションは後方からの競馬となった。直線に入るとコジーンが抜け出して先頭に立ち、そこへ直線入り口8番手だった本馬が外側から豪快に追い込んできた。結局コジーンには2馬身1/4差届かなかったが、3位入線のアルマムーンをゴール直前で鼻差かわして2位入線。ところが、道中でツナミスルー(6位入線)とルション(9位入線)の進路を妨害したと判定され、9着に降着となってしまった。4歳時の成績は4戦1勝だった。

競走生活(5歳時)

翌5歳時からは、ハント氏と米国の名物馬主アレン・ポールソン氏との共同所有馬となり、所属も米国カリフォルニア州の名伯楽チャールズ・ウィッティンガム厩舎となった。

まずは4月のヒルライズH(T8F)から始動して、前年のBCマイルで本馬の降着により2着に繰り上がったアルマムーンと対戦した。ここではアルマムーンが勝利を収め、ペガサスHの勝ち馬ヘイルボールドキングが2着で、本馬はアルマムーンから1馬身半差の3着に敗れた。

次走は新設競走ジョンヘンリーH(米GⅠ・T9F)となった。ここにはこれといった対戦相手がいなかったため、2着クレヴァーソングに1馬身1/4差で勝利した。次走のイングルウッドH(米GⅢ・T9F)では、ハリウッドターフカップS・サイテーションHの勝ち馬ゾファニーの頭差2着だった。

しかしその後は不調に陥り、アメリカンH(米GⅡ・T8.5F)では、勝ったアルマムーンから6馬身差をつけられて6着最下位。エディリードH(米GⅡ・T9F)では、アルマムーン、サンセットHを勝ってきたゾファニーなど3頭に後れを取り、アルマムーンの5馬身1/4差4着に敗れた。アーリントンミリオン(米GⅠ・T10F)では、アルマムーン(8着)、ゾファニー(14着)には先着したものの、勝ち馬から5馬身3/4差の5着に敗退。勝ったのはかつてラクープドメゾンラフィットで本馬を2着に破った後にウィッティンガム厩舎に転厩して、サンタアナH・ゲイムリーH・イエローリボンS・ラスパルマスH・ビヴァリーヒルズHを勝っていたこの年のエクリプス賞最優秀芝牝馬エストラペイドだった。

しかし10月に出走した、この年のBCマイルと同じサンタアニタパーク競馬場芝1マイルで行われるカーネルFWケスターH(T8F)では、次走のBCクラシックを勝利するサンタアニタダービー・マーヴィンルロイH・ロングエーカーズマイルHなどの勝ち馬スカイウォーカーを頭差の2着に抑えて勝利した。

そしてBCマイル(米GⅠ・T8F)に前年の雪辱を期して参戦した。対戦相手は、愛1000ギニー・サセックスS・ムーランドロンシャン賞・コロネーションS・チャイルドSと5連勝中のソニックレディ、アーリントンミリオン8着から直行してきたアルマムーン、ダフニ賞の勝ち馬でムーランドロンシャン賞2着の実績があった同厩馬スリルショー、サラナクSの勝ち馬でアーリントンクラシックS・セクレタリアトS2着のグロウ、サンアントニオHの勝ち馬ハティム、ヴォランテHを勝ってきたエアディスプレイ、前走カーネルFWケスターHでは本馬の3着だったベイメドウズダービーの勝ち馬マンガッキー、アメリカンH・エディリードHでいずれも本馬に先着していたタンフォランHの勝ち馬トゥルースメイカー、キングズスタンドS・スプリントCS・アランベール賞・サンジョルジュ賞・グロシェーヌ賞の勝ち馬ラストタイクーンなどだった。ソニックレディが単勝オッズ3.3倍の1番人気、アルマムーンが単勝オッズ3.4倍の2番人気、本馬とスリルショーのカップリングが単勝オッズ4.5倍の3番人気となった。スタートが切られると単勝オッズ27.6倍の7番人気馬マンガッキーが先頭に立ち、ソニックレディ、単勝オッズ36.9倍の9番人気馬ラストタイクーンなどが先行した。一方、最内枠発走だったゲイリー・スティーヴンス騎手騎乗の本馬はスタートから後方待機策を採り、道中は先頭から15馬身も離された後方を進んだ。そして三角に入ると馬群の中に突っ込み、巧みに他馬の間をすり抜けて、8番手で直線に入ってきた。直線ではラストタイクーンが抜け出し、外側に持ち出した本馬がそれを猛追した。しかし僅かに届かず、頭差の2着に惜敗した。

その後は東上して、ワシントンDC国際S(米GⅠ・T10F)に出走した。しかし前走のBCマイルで9着に終わっていたルーテナンツラーク(ユナイテッドネーションズH3着があったがグレード競走は未勝利だった)と、マンノウォーSの勝ち馬ダンスオブライフの頭差接戦に参加できず、ルーテナンツラークの2馬身半差3着に敗れた。

その後は西海岸に戻って、ベイメドウズH(米GⅡ・T9F)に出走した。このレースを2着ナゲットポイントに3馬身半差で完勝したのを最後に、競走馬生活に幕を下ろした。5歳時の成績は10戦3勝だった。

血統

The Minstrel Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Fleur Victoria Park Chop Chop Flares
Sceptical
Victoriana Windfields
Iribelle
Flaming Page Bull Page Bull Lea
Our Page
Flaring Top Menow
Flaming Top
Come My Prince Prince John Princequillo Prince Rose Rose Prince
Indolence
Cosquilla Papyrus
Quick Thought
Not Afraid Count Fleet Reigh Count
Quickly
Banish Fear Blue Larkspur
Herodiade
Come Hither Look Turn-to Royal Charger Nearco
Sun Princess
Source Sucree Admiral Drake
Lavendula 
Mumtaz Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Motto Sir Gallahad
Maxima

ザミンストレルは当馬の項を参照。

母カムマイプリンスは不出走馬。本馬の半兄には、日本で走って11戦3勝の成績を挙げた後に種牡馬入りしたニシノエトランゼ(父ストップザミュージック)がいるが、それも含めて本馬の兄弟に特筆できる活躍馬はいない。カムマイプリンスの半妹にはプライズスポット(父リトルカレント)【ハリウッドオークス(米GⅠ)・プリンセスS(米GⅢ)・リンダヴィスタH(米GⅢ)】がいる。また、カムマイプリンスの半姉パスアグランス(父バックパサー)の孫にはブリカサール【ダフニ賞(仏GⅢ)】とワキリリック【カルヴァドス賞(仏GⅢ)】の姉弟、曾孫にはヨハンクアッツ【リュパン賞(仏GⅠ)】とエルナンド【リュパン賞(仏GⅠ)・仏ダービー(仏GⅠ)】の兄弟、牝系子孫にはアキードモフィード【香港C(香GⅠ)・香港ダービー】が、カムマイプリンスの半妹マイバック(父バックパサー)の孫にはタップジアドミラル【ファイアクラッカーBCH(米GⅡ)】がいる。

カムマイプリンスの母カムハイザールックの半妹にはインディアンサンライト【デモワゼルS・ニューヨークH・ポストデブS・オーキッドH・シープスヘッドベイH】がいる。カムハイザールックの4代母ミニマは米国の歴史的名馬グレイラグ【ベルモントS・ブルックリンH・ドワイヤーS・メトロポリタンH・サバーバンH】の半妹で、キャットシーフ【BCクラシック(米GⅠ)・スワップスS(米GⅠ)】も同じ牝系。→牝系:F13号族①

母父プリンスジョンは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はハント氏がケンタッキー州に所有していたブルーグラスファームで種牡馬入りして、翌年にはポールソン氏所有のブルックサイドファームに移動した。また、種牡馬入り当初から豪州や新国にもシャトルされていた。9歳時には本格的に豪州に渡り、セゲンエスタッドやランガルパークスタッドで種牡馬生活を続けた。1996年・97年には日本の優駿スタリオンステーションでもリース供用され、1年目は41頭、2年目は90頭の繁殖牝馬を集めた。

初年度産駒のナチュラリズムを始めとして産駒は芝における活躍馬が多いのだが、本馬の名を一躍高めた代表産駒シガーは芝で芽が出ずダート転向後に快進撃を始めており、芝とダートのどちらが向いているとは一概には言えない。

1995年にはシガーの大活躍により北米首位種牡馬の座を獲得した(翌96年は本馬を北米首位種牡馬とする資料とコジーンを北米首位種牡馬とする資料がある。この年はシガーがドバイワールドCを勝っており、その獲得賞金の扱い方によって判断が分かれるのであろう)。産駒は南半球を中心に活躍しており、北米におけるシガー以外の産駒や日本で出した産駒は活躍しなかった。ナチュラリズムがジャパンCで2着しているように日本に全く不向きとは思えないのだが、産駒のステークスウイナーは33頭でそれほど多くは無く、安定して活躍馬を出すよりは一発大物を出す種牡馬だったようである。

2005年に種牡馬を引退し、2008年1月に余生を送っていたランガルパークスタッドにおいて老衰のため27歳で安楽死の措置が執られた。代表産駒のシガーが受精能力欠如で種牡馬としての成績を残せなかった事もあり、本馬の後継種牡馬の目処は立っていない。母父としては39頭のステークスウイナーを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1988

Naturalism

STCローズヒルギニー(豪GⅠ)・AJCダービー(豪GⅠ)・VATCコーフィールドS(豪GⅠ)

1988

Ready to Explode

VATCトゥーラックH(豪GⅠ)

1990

Cigar

BCクラシック(米GⅠ)・ドバイワールドC・NYRAマイルH(米GⅠ)・ドンH(米GⅠ)2回・ガルフストリームパークH(米GⅠ)・オークローンH(米GⅠ)・ピムリコスペシャルH(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)2回・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)

1993

Anthems

QTCキャッスルメインS(豪GⅠ)

1993

Crystal Palace

QTCクイーンズランドオークス(豪GⅠ)

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