ペニカンプ

和名:ペニカンプ

英名:Pennekamp

1992年生

鹿毛

父:ベーリング

母:コーラルダンス

母父:グリーンダンサー

ケルティックスウィングより劣るという2歳時の評価を英2000ギニーで引っくり返すも英ダービーでは実力を発揮できず

競走成績:2・3歳時に仏英で走り通算成績7戦6勝

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州においてマガレン・O・ブライアン氏により生産され、ドバイのシェイク・モハメド殿下の所有馬となり、仏国アンドレ・ファーブル調教師に預けられた。主戦はティエリ・ジャルネ騎手で、本馬の全レースに騎乗した。

競走生活(2歳時)

2歳6月にエヴリ競馬場で行われたショワズィルロワ賞(T1200m)でデビューした。僅か3頭立てのレースであり、2着タイクーンキングに4馬身差をつける快勝で初勝利を収めた。

8月にドーヴィル競馬場出走した2戦目のユドリエ賞(T1400m)も、2着ドーンウェルに3/4馬身差で勝利した。

翌9月に出走したサラマンドル賞(仏GⅠ・T1400m)では、同じくモハメド殿下の所有馬だったヴィテロッツィ、ルミノソの2頭とのカップリングではあったが、単勝オッズ1.6倍の1番人気に支持された。チェシャムSを勝ちヴィンテージSで2着してきたモントジョイが単勝オッズ4倍の2番人気で、この馬が実質的な対抗馬だった。レースでは単勝オッズ6.4倍の3番人気だったビンナシュワンが先頭を引っ張り、モントジョイが2番手、本馬が3番手につけた。直線に入ると残り400m地点でモントジョイが先頭に立ったが、そこへ大外から来た本馬が残り200m地点でモントジョイを抜き去り、最後は3/4馬身差をつけて勝利した。筆者はこのレースを映像で見たが、他馬が止まって見えるどころか後退していくかのような本馬の豪脚だった。

その後は仏グランクリテリウムではなく、海を渡ってデューハーストS(英GⅠ・T7F)に参戦した。ヴィンテージS・ロイヤルロッジSの勝ち馬エルティシュ、ミドルパークSを勝ってきたファード、ロイヤルロッジSで2着してきたスティレットブレード、ミドルパークSで2着してきた独国のGⅡ競走モエエシャンドンレネンの勝ち馬グリーンパフュームなどが出走しており、対戦相手のレベルはサラマンドル賞より1枚上だった。本馬とエルティシュが並んで単勝オッズ3.5倍の1番人気、ファードが単勝オッズ4.5倍の3番人気、スティレットブレードが単勝オッズ6倍の4番人気、グリーンパフュームが単勝オッズ15倍の5番人気となった。

スタートが切られると、単勝オッズ21倍の最低人気馬アルウィディアンが逃げを打ち、エルティシュやグリーンパフュームが先行、本馬やファードは中団につけた。残り2ハロン地点でエルティシュとグリーンパフュームが先頭に立って2頭の叩き合いとなったが、外側から来た本馬が残り1ハロン地点で一瞬にして前の2頭を抜き去り、最後は2着グリーンパフュームに1馬身差で勝利した。着差は1馬身だが、その勝ち方はレーシングポストトロフィー紙の資料に“impressive”と書かれるほどのものだった(レーシングポストトロフィー紙がこの表現を使用するのは通常、後続に何馬身差もつけるような圧勝である)。

2歳時の成績は4戦4勝、GⅠ競走2勝と非の打ち所がない成績を残した本馬だったが、カルティエ賞最優秀2歳牡馬のタイトルは受賞できなかった。タイトルを獲得したのは、デューハーストSの8日後に行われたレーシングポストトロフィーで“very impressive”と評された12馬身差の大圧勝劇を演じた3戦3勝のケルティックスウィングだった。国際クラシフィケーションでもケルティックスウィングより6ポンドも低い124ポンドの評価に留まった。もっとも、これはこの年の2歳馬では2位の数値(3位のコヴェントリーS・リッチモンドS・英シャンペンSの勝ち馬スリペカンは122ポンド。4位がグリーンパフュームの121ポンドで、5位がエルティシュの120ポンド)であり、1990年代の欧州最優秀2歳牡馬10頭の平均値125.3ポンドより1ポンドほど低いのみであるから、本馬の評価が不当に低かったわけではない。ケルティックスウィングの130ポンドは、1977年の国際クラシフィケーション創設以降では単独最高値(先の平均値125.3ポンドもそうだが、2013年にワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングが実施した過去のレーティング見直しを反映した後の数値である)となっているから、例年であれば本馬が最優秀2歳牡馬に選ばれて然るべきという事だった。

英2000ギニー

3歳時は4月にエヴリ競馬場で行われたリステッド競走ジェベル賞(T1200m)から始動して、2着ベネエリットに1馬身半差で勝利した。

このジェベル賞は仏2000ギニーの重要な前哨戦の1つなのだが、本馬の次走は仏2000ギニーではなく英2000ギニー(英GⅠ・T8F)となった。このレースには3歳初戦のグリーナムSを勝ってきた4戦全勝のケルティックスウィングも出走してきた。ケルティックスウィング陣営は英国三冠馬を目指すと宣言しており、本馬が仏2000ギニーではなく英2000ギニーに出走したのは、ケルティックスウィング陣営に対する敵愾心からではないかという噂も流れたが、真相は定かではない。2歳時に同じニューマーケット競馬場で行われたデューハーストSに出走していることからすると、本馬陣営は元々目標を英2000ギニーに据えていたのではないかというのが筆者の考えである。もちろん、打倒ケルティックスウィングの意識が陣営の頭の中に皆無だったわけではないとも思うが。

他の出走馬は、ヨーロピアンフリーHなど3戦無敗のディフィデント、ホーリスヒルS・クレイヴンSなど3戦無敗のペインターズロウ、グリーナムSで2着してきたバーリ、デューハーストS以来の実戦となるグリーンパフューム、ジムクラックSの勝ち馬チリービリー、クレイヴンS3着馬エヌワーミス、英シャンペンS2着馬パイプメジャーなどだった。ケルティックスウィングが単勝オッズ1.8倍の1番人気、本馬が単勝オッズ5.5倍の2番人気、チリービリーが単勝オッズ7倍の3番人気、ペインターズロウとバーリが並んで単勝オッズ15倍の4番人気となった。ケルティックスウィングの単勝オッズ1.8倍は、英2000ギニー史上屈指の高評価(史上最も低いのは1896年の勝ち馬セントフラスキンの単勝オッズ1.12倍だが、100年近く前の話である)であり、前評判としては「ケルティックスウィングVS本馬を筆頭とするその他大勢」の構図だった。

スタートが切られると、まずは単勝オッズ201倍の最低人気馬シルカブランカが先頭に立ち、注目のケルティックスウィングは馬群の中団につけた。そして本馬は最後方に陣取った。残り3ハロン地点でケルティックスウィングが仕掛けると、本馬もそれを追って上がっていった。そして残り1ハロン地点に差し掛かったところで、本馬が“Scintillating burst of speed(煌めくような速度の爆発)”と評された末脚を披露して、離れた場所からケルティックスウィングを一気にかわした。ゴール前ではケルティックスウィングが並びかけて差し返してきたが、頭差抑えて優勝。英国三冠馬宣言をしていたケルティックスウィング陣営の野望を打ち破った。本馬の勝ちタイム1分35秒16は、英2000ギニー史上2番目に速いタイム(1位は前年1994年にミスターベイリーズが計時した1分35秒08)であり、本馬以降に本馬より速いタイムで英2000ギニーを勝った馬は2015年現在でも1頭も出ていない。

競走生活(英2000ギニー以降)

英国三冠馬の可能性が消えたケルティックスウィングは仏ダービーに向かったが、本馬はそのまま英ダービー(英GⅠ・T12F10Y)に出走した。ケルティックスウィングに代わって英国三冠馬を目指したからだという説もあるようだが、ケルティックスウィング陣営が英国三冠馬に拘ったのは、ケルティックスウィングの所有者ピーター・サヴィル氏が英国競馬公社の会長だったからであり、ドバイの王族であるモハメド殿下が既に権威が失墜していた英国三冠馬の称号に拘ったとは考えにくい(事実、モハメド殿下の兄シェイク・ハムダン殿下の所有馬で1989年の英2000ギニーと英ダービーを勝ったナシュワンの陣営は英セントレジャーを無視して凱旋門賞を目標としている)。仮に本馬が英ダービーを勝ったとしても英セントレジャーに向かった可能性は殆ど無かったと筆者は考えている。

主な対戦相手は、愛2000ギニーなど3戦無敗のスペクトラム、リングフィールドダービートライアルS・フェイルデンSの勝ち馬ムンウォー、3歳デビューでグループ競走出走も無かったが3戦全勝で挑んできたタムレ、ダンテSで3着してきたニューマーケットS勝ち馬プレゼンティング、2歳時にリステッド競走ワシントンシンガーSを勝っただけの1戦1勝馬ラムタラ、リングフィールドダービートライアルS2着馬リヤディアン、本馬が不在の仏2000ギニーを勝ってきたヴェットーリ、デリンズタウンスタッドダービートライアルSなど4戦無敗のハンベルなどだった。血統的にも後方から進むレーススタイル的にも全く距離不安が無かった本馬が単勝オッズ2.375倍の1番人気(英ダービーの6日前に行われた仏ダービーでケルティックスウィングが勝った事も本馬の人気を後押しした。実際に仏ダービーの直後には、英ダービーは本馬で決まりという記事がインデペンデント紙に掲載された)で、スペクトラムが単勝オッズ6倍の2番人気、ムンウォーが単勝オッズ9倍の3番人気、タムレが単勝オッズ10倍の4番人気と、今回は「本馬VSスペクトラムを筆頭とするその他大勢」の構図となった。

しかしこの英ダービーに関しては、本馬に深く語るべき何事も無かった。馬群の中団後方から直線で全く伸びずに、勝ち馬から21馬身差の11着と惨敗。スペクトラムも本馬から11馬身差の13着と惨敗した。直線一気の豪脚でコースレコード勝ちを収めたのは言うまでも無くラムタラだった。英ダービーは本馬で決まりと書いてしまった前述インデペンデント紙の同じ記事には、「ラムタラは、英ダービー馬と英オークス馬の間に産まれた馬であり、この組み合わせから英ダービー馬が誕生した例はありません」と書かれており、血統だけで競馬の予想は出来ない事がここでも立証されている。

もっとも、本馬の敗因は距離が長すぎたためばかりではなく、レース中に右前脚の亀裂骨折を発症していたためでもあるようで、この後は長期休養に入り、ラムタラがキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSと凱旋門賞を連勝して4戦無敗で現役を引退した後もまだ競走馬登録されていた。3歳時の成績は3戦2勝だった。陣営の目標は翌年の第1回ドバイワールドCにおける復帰だったのだが、レース直前に脚部不安を発症して回避。本馬が不在のドバイワールドCはシガーが勝っている。そして本馬は復帰できないまま4歳6月に競走馬引退が決定。結局英ダービーが現役最後のレースとなった。なお、本馬と英2000ギニーで戦ったケルティックスウィングは仏ダービーを勝った後に愛ダービーで惨敗して故障休養入りし、やはりレースに出ないまま4歳になっても競走馬登録だけはされていたが、本馬が正式に引退した翌7月に後を追うように引退している。

馬名は、米国フロリダ州の半島の先端にあるジョン・ペニカンプ・コーラル・リーフ州立公園(米国では唯一とされる非常に美しい珊瑚礁があり、毎年100万人以上の観光客が訪れるフロリダ州屈指の観光スポット)に由来する。

血統

Bering Arctic Tern Sea-Bird Dan Cupid Native Dancer
Vixenette
Sicalade Sicambre
Marmelade
Bubbling Beauty Hasty Road Roman
Traffic Court
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Beaune Lyphard Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
Barbra Le Fabuleux Wild Risk
Anguar
Biobelle Cernobbio
La Beloli
Coral Dance Green Dancer Nijinsky Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
Green Valley Val de Loir Vieux Manoir
Vali
Sly Pola Spy Song
Ampola
Carvinia ダイアトム Sicambre Prince Bio
Sif
Dictaway Honeyway
Nymphe Dicte
Coraline Fine Top Fine Art
Toupie
Copelina Loliondo
Casserole

ベーリングは当馬の項を参照。

母コーラルダンスは現役成績13戦3勝、マルセルブサック賞(仏GⅠ)で2着の実績がある。競走馬としても決して悪くない成績だったコーラルダンスだが、繁殖牝馬としては競走馬時代を大きく上回る好成績を収め、本馬の半兄ナスルエルアラブ(父アルナスル)【オークツリー招待H(米GⅠ)・カールトンFバークH(米GⅠ)・チャールズHストラブS(米GⅠ)・サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・オカール賞(仏GⅡ)・ラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ)】、半弟ブラックミナルーシュ(父ストームキャット)【愛2000ギニー(愛GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)】を産み、本馬と合わせて3頭のGⅠ競走勝ち馬の母となった。また、本馬の半姉ギフトオブダンス(父トランポリノ)の子にはラウンドポンド【BCディスタフ(米GⅠ)・エイコーンS(米GⅠ)・ファンタジーS(米GⅡ)・アゼリBCS(米GⅢ)】がいる。コーラルダンスの母カルヴィニアの半兄には、名牝ポーニーズの父として知られるカルヴァン【クリテリウムドサンクルー・ヴィシー大賞】がいる。→牝系:F20号族①

母父グリーンダンサーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ダーレーグループが所有する愛国キルダンガンスタッドで種牡馬入りした。2000年3月に疝痛を発症して生命の危機に立たされたが、緊急手術が成功して回復。その後の2002年には仏国ロギ牧場に移動。2004年にはスウェーデンのセクストープススタッドへリースされ、翌年そのまま愛国ブラックリンスタッドへ移動した。このように各地を転々としている事から分かるように、本馬は種牡馬として成功していない。障害競走の活躍馬を何頭か出している程度である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1999

Alexander Three D

パークヒルS(英GⅢ)

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