和名:ザフィン |
英名:The Finn |
1912年生 |
牡 |
青毛 |
父:オグデン |
母:リヴォニア |
母父:スターシュート |
||
種牡馬としても成功したがもう少し余命があればマッチェム直系の発展に大きく寄与した可能性があるベルモントSの勝ち馬 |
||||
競走成績:2~5歳時に米加で走り通算成績50戦19勝(入着回数は不明) |
誕生からデビュー前まで
米国ケンタッキー州レキシントンのハンブルグプレイスファームにおいて、ジョン・E・マッデン氏により生産・所有された。小柄だが頑丈な骨格と力強くバランスが取れた好馬体を有し、身体には一点の白い箇所も無い漆黒の青毛馬だった。
競走生活(2・3歳時)
2歳時にデビューした当初は芽が出ずに3連敗スタートだった。4戦目で初勝利を挙げたが、これはアケダクト競馬場ダート5ハロンのコースレコードを更新してのものだった。その後ハンデ戦を2回勝った本馬は、マッデン氏からルイス・ワイナンズ氏に売却され、ベルモントフューチュリティS(D6F)に出走した。ところが折から降り出した雨で濡れた地面でスリップした拍子に騎手が落馬して競走中止(勝ち馬トロージャン)。この結果にがっかりしたワイナンズ氏は、1万5千ドルで本馬をH・C・ホーレンベック氏に売却した。
2歳時は結局9戦3勝の成績に留まった本馬だが、3歳になると本格化。シーズン初戦のリトルネックH(D5.5F)では2着だったが、次走のウィザーズS(D8F)では、メトロポリタンH2着・ケンタッキーダービー3着のシャープシューターを2着に、プリークネスS2着馬ハーフロックを3着に、プリークネスSを勝っていた牝馬ラインメイデンを4着に破って勝利した。
さらにベルモントS(D11F)に出走して、ハーフロックを2着に、メイトロンS・イーストビューSの勝ち馬でケンタッキーダービー2着のペブルスを3着に破って勝利した。マンハッタンH(D7F)では、2歳時に英国で走った後にこの年から米国に移籍してきたパーディーを2着に破って勝利した。さらにサウサンプトンH(D8.5F)では126ポンドを背負いながら、シャープシューターを2着に、プリークネスS3着馬ルーンズを3着に破って楽勝した。その後は加国に遠征して、ハミトンダービーを勝利。引き続き出走したカナディアンダービー(D10F)では、前年のベルモントフューチュリティSで脚を滑らせた本馬にとってあまり歓迎できない不良馬場となってしまい、同世代のケンタッキーオークス・アラバマSの勝ち馬ウォーターブロッサムの頭差2着に惜敗した。
米国に戻って出走したニッカーボッカーH(D8.5F)では、フラッシュSの勝ち馬で本馬最大の好敵手となるトライアルバイジュリーとの対戦となった。しかし結果はサラトガという馬が2着トライアルバイジュリーに8馬身差をつけて圧勝してしまい、本馬は4着に敗れた。シャンプレインH(D9F)では、サラトガスペシャルS・カーターH・ブルックリンダービー・トラヴァーズS・クイーンズカウンティHなどを勝っていたローマー、マンハッタンH・ジェロームH・メトロポリタンH・サバーバンHを勝っていたストロンボリという1歳年上の強豪馬2頭と顔を合わせた。しかし結果は本馬と同じオグデン産駒の6歳牝馬スタージャスミンが軽量を活かして勝利を収め、ストロンボリは3着、ローマーは4着、本馬はさらにその後方の着外に終わった。
サラナクH(D8F)では、トラヴァーズSを6馬身差で1位入線するも進路妨害で最下位に降着となっていたトライアルバイジュリー、そのトラヴァーズSを繰り上がりで勝った牝馬レディーロサに加えて、ケンタッキーダービー・サラトガスペシャルS・サンフォードS・ホープフルSを勝ち同世代では牡馬を含めても最強と言われていた3歳牝馬リグレットも参戦してきた。結果はリグレットが勝ち、トライアルバイジュリーが2着、レディーロサが3着で、本馬は4着に敗退した。
ラマポH(D8.5F)では、トライアルバイジュリー、シャープシューター、レディーロサ、サラトガなどとの対戦となった。結果はトライアルバイジュリーが勝ち、シャープシューターが2着で、本馬は3着だった。ヒューロンH(D9.5F)では、トライアルバイジュリーやシャープシューターが参戦してきたうえに、本馬にとって好ましからぬ不良馬場となった。しかし今回は本馬が2着トライアルバイジュリーに首差で辛うじて勝利を収め、連敗を脱出した。ワシントンH(D10F)では、ユースフルS・グレートアメリカンS・ワシントンH・エンパイアシティHなどを勝っていた4歳馬ゲイナー、アラバマS・エクセルシオールHを勝っていた4歳牝馬アディーエムとの対戦となった。ここではゲイナーが勝ち、本馬は2着だった。ベルモントパークオータムH(D9F)では、ストロンボリ、トライアルバイジュリーの2頭に屈して、ストロンボリの3着に敗れた。
ボルチモアH(D8.5F)では、ゲイナーに加えて、ブルックリンH・クラークHを勝っていた6歳馬バックホーン、翌年にディキシーH・ボウイーH・クイーンズカウンティHを勝つ7歳馬ショートグラスなどが対戦相手となったが、本馬が2着バックホーン以下に勝利した。ジェロームH(D8F)では、トライアルバイジュリーとの対戦となった。レースは127ポンドのトライアルバイジュリーと126ポンドの本馬の接戦となったが、トライアルバイジュリーが勝利を収め、本馬は頭差の2着に敗れた。次走のエリコットシティH(D8.5F)でも、トライアルバイジュリーとの対戦となった。斤量はトライアルバイジュリーが126ポンドで本馬は123ポンドと有利だったが、馬場状態は不良であり、その点では不利だった。しかし本馬が17ポンドのハンデを与えたディスタントショアという馬を2着に従えて勝ち、トライアルバイジュリーは3着だった。ディキシーH(D10F)では、今度は本馬がゲイナーなどの他馬に20~32ポンドものハンデを与える立場になった。そして馬場状態も悪かったのだが、本馬が2着タクティクス以下に勝利を収めた。3歳時は20戦9勝2着4回3着2回の成績を残し、後年になってこの年の米最優秀3歳牡馬に選出された。
競走生活(4~5歳時)
4歳時は、マーチャンツ&シチズンズH(D9.5F)で、トレモントSを勝っていた同世代馬エドクランプを3馬身差の2着に、ローマーを3着に破り、1分58秒0のコースレコードタイで勝利。ハヴァードグレイスH(D9F)では、この年のウィザーズS・トラヴァーズS・ジェロームH・ニッカーボッカーH・ヒューロンHなどを勝つスパーを2着に、英国でミドルパークS・チャレンジSを勝った後に米国に移籍して一昨年のヨンカーズH・サラトガHや昨年のケンタッキーH・ドミニオンHを勝ち後年になって前年の米最優秀ハンデ牡馬に選ばれるボローを3着に、ローマーを5着に破って勝利した。チェスターブルックH(D8.5F)では、ローマーを2着に、ストロンボリを3着に破って勝利。前年から少し距離が伸びたマンハッタンH(D8F)では、8歳にして本格化したショートグラスを2着に、スピナウェイSを勝っていた3歳牝馬ジャコバを3着に破って勝利。シャンプレインH(D9F)では、ストロンボリを2着に、ベルモントフューチュリティSを勝っていた1歳年上のペナントを3着に破って勝利。
この年の最も重要な勝利はメトロポリタンH(D8F)で、ストロンボリをを2着に、スパーを3着に破って勝利した。キングズカウンティH(D8.5F)では、同世代の牝馬カプラの2着に敗れたが、英国から米国に移籍してきて徐々に頭角を現していた翌年のサバーバンHの勝ち馬ブーツを3着に、ローマーを着外(正確には競走中止)に抑えた。サラトガC(D14F)では、この年のベルモントS・ブルックリンH・サバーバンHを勝って後年になってこの年の米年度代表馬にも選ばれる3歳馬フライアーロック、前年の同競走の勝ち馬ローマーの2頭に後れを取り、フライアーロックの3着に敗れた。4歳時の成績は14戦6勝だった。
ローマーを筆頭とする本馬の好敵手達の多くは騙馬であり、長年に渡って活躍したが、本馬は牡馬である故かそこまで長期間の活躍は出来ず、5歳時は過去2年よりかなり成績が下がり、この年は7戦して1勝を挙げるに留まった。しかしその1勝であるロングビーチH(D9F)では、前年のケンタッキーダービー馬ジョージスミスを2着に破り、1分52秒0のコースレコードタイで走破している。他には、キングズカウンティH(D8.5F)でストロンボリの2着に入り、3着ブーツに先着。サバーバンH(D10F)では、ブーツ、ボローに続く3着。カーターF(D7F)では、3年間の休養から鮮やかに復活した1歳年上のケンタッキーダービー馬オールドローズバド、1歳年下のベルモントフューチュリティS・グレートアメリカンS2着馬ブロモに続く3着と、勝てないまでも好走は続けた。しかしブルックデールH(D9F)では、1分49秒4の全米レコードタイで走破したブーツ、ローマー、ボローといった面々に屈して着外に終わり、ここで競走馬を引退した。
本馬は基本的に10ハロン前後の距離を得意とし、現役当初は不得手だった重馬場も最終的には克服し、重い斤量にもよく耐えた。馬名は北欧の国フィンランドに由来しており、母リヴォニアの名前がフィンランドと同じくバルト海に面した地域(現在のラトビアの東北部からエストニアの南部にかけての地域)である事からの連想であるらしい。
血統
Ogden | Kilwarlin | Arbitrator | Solon | West Australian |
Birdcatcher Mare | ||||
True Heart | Musjid | |||
Mary Jane | ||||
Hasty Girl | Lord Gough | Gladiateur | ||
Battaglia | ||||
Irritation | King of Trumps | |||
Patience | ||||
Oriole | Bend Or | Doncaster | Stockwell | |
Marigold | ||||
Rouge Rose | Thormanby | |||
Ellen Horne | ||||
Fenella | Cambuscan | Newminster | ||
The Arrow | ||||
La Favorite | Monarque | |||
Constance | ||||
Livonia | Star Shoot | Isinglass | Isonomy | Sterling |
Isola Bella | ||||
Dead Lock | Wenlock | |||
Malpractice | ||||
Astrology | Hermit | Newminster | ||
Seclusion | ||||
Stella | Brother to Strafford | |||
Toxophilite Mare | ||||
Woodray | Rayon d'Or | Flageolet | Plutus | |
La Favorite | ||||
Araucaria | Ambrose | |||
Pocahontas | ||||
Wood Nymph | Magnetizer | The Ill-Used | ||
Magnetism | ||||
Woodbine | Kentucky | |||
Fleur des Champs |
父オグデンは英国産馬だが当歳時に母オリオール共々米国に輸入され、米国で走った。英国伝統の長距離血統ながら、ベルモントフューチュリティS・グレートイースタンHを勝って、後年になって1896年の米最優秀2歳牡馬に選ばれた快速馬。3歳時はウィザーズSで2着。4歳時はロングアイランドHを勝ち、サバーバンHで3着している。いったん競走馬を引退して種牡馬入りしたが牧場主の死去に伴い7歳時に現役復帰して6勝を追加したという経歴の持ち主である。通算成績は28戦15勝。その後本馬の生産者マッデン氏に購入され、ハンブルグプレイスファームで種牡馬として繋養されていた。種牡馬としては1914年に北米2歳首位種牡馬になっているが、仕上がり早い短距離馬だけでなく中長距離馬も出している。
オグデンの父キルワーリンは英国産馬で競走馬としても英国で走り、現役成績10戦5勝。英セントレジャーでは、100ヤードとも150ヤードとも言われる致命的な出遅れを仕出かしたにも関わらず、英ダービー馬メリーハンプトンと翌年のアスコット金杯を勝つティモシーをゴール前で際どくかわして優勝している。それ以外の実績は、距離5ハロンのクイーンズスタンドS(現キングズスタンドS)で39ポンドのハンデを与えた2歳馬クロウベリーの2着、距離1マイルのロウス記念Sで1歳年上の無敵の英国三冠馬オーモンドの2着などであり、英セントレジャー馬ではあるが、むしろスピードに長けた馬だったと思われる。遡ると、グレートランカシャーH・リヴァプールオータムCの勝ち馬アービットレイター、グレイトサリーフォールの勝ち馬ソロンを経て、ウエストオーストラリアンに行きつくマッチェム系である。
母リヴォニアは2歳戦でステークス競走を勝っているらしいが具体的なレース名は資料には無い。
リヴォニアの祖母ウッドニンフの半兄にはフォレスター【ベルモントS・ウィザーズS】が、ウッドニンフの半姉ウッドフラワーの孫にはホワイトフロスト【ケンタッキーオークス】が、ウッドニンフの半姉ウッドヴァイオレットの孫にはダンデライオン【トラヴァーズS】が、ウッドニンフの半姉ワイルドフラワーの孫にはウインターグリーン【ケンタッキーダービー】がいる。
ウッドニンフの母ウッドバインはモンマスオークス・アラバマSの勝ち馬。ウッドバインの半姉ネリージェームズの子にはジェイコブズ【プリークネスS】が、ウッドバインの従姉妹クイーンオブザローゼズの子にはレーヴドール【英1000ギニー・英オークス・デューハーストプレート・サセックスS・ヨークシャーオークス】がおり、19世紀後半から20世紀初頭にかけては比較的繁栄した牝系だった。現在はかなり衰退しているが、クイーンオブザローゼズの半妹フルールドオランジェの牝系子孫にデンマン【チェルトナム金杯(英GⅠ)・ロイヤル&サンアライアンスチェイス(英GⅠ)・レクサスチェイス(愛GⅠ)】がいる。→牝系:F4号族⑤
母父スターシュートは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、ホーレンベック氏所有のまま、生まれ故郷のハンブルグプレイスファームで種牡馬入りした。初年度産駒からジェロームH・ローレンスリアライゼーションS・グランドユニオンホテルS・イーストビューSなどを制したカイサンを出す順調な滑り出しを見せた。本馬が10歳時にホーレンベック氏が死去するとマッデン氏の所有に戻り、同年にはヴァージニア州オードリーファームとの共同所有馬になった。翌1923年には2年目産駒のゼヴの大活躍で北米首位種牡馬を獲得。この年に本馬はショショーンスタッドの所有者W・R・クー氏に11万ドルで購入され、ヒナタファームにリースされて種牡馬生活を続けた。1925年には4年目産駒のフライングエボニーがケンタッキーダービーを制したが、この年の9月に本馬は腸の炎症のため13歳の若さで他界した。
本馬の産駒は134頭で、ステークスウイナーは16頭、ステークスウイナー率は11.9%の高率だった。本馬の後継種牡馬としては、カイサン、フライングエボニー、バドラーナーなどが一定の成功を収めたものの、最大の大物ゼヴが事実上の失格種牡馬だったため、直系は徐々に衰退していった。本馬の直系子孫から出た馬で日本のみならず世界でも割とよく知られているのは、バドラーナーの直系曾孫に当たるカマレロで、プエルトリコで走りデビュー56連勝の世界記録を樹立している。しかし本馬の直系子孫ではカマレロが最後の著名馬で、カマレロが1956年に5歳で夭折した後は活躍馬が出ることは無く、本馬の直系は断絶した。もし本馬に余命があれば、マッチェム系はマンノウォーやハリーオンの直系以外にもザフィン系が成立していたかもしれない。本馬の血を引く馬が全くいなくなったわけではなく、ゼヴの項に記載したとおり失敗種牡馬ゼヴの血を引く馬は現在も日本にいるし、名種牡馬ハビタットや日本で種牡馬入りしたダンサーズイメージの曾祖母の父はカイサンである。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1919 |
Kai-Sang |
ジェロームH・ローレンスリアライゼーションS |
1920 |
ケンタッキーダービー・ベルモントS・ウィザーズS・クイーンズカウンティH・ローレンスリアライゼーションS |
|
1922 |
Flying Ebony |
ケンタッキーダービー |
1923 |
Nurmi |
ニューオーリンズH |