トムロルフ

和名:トムロルフ

英名:Tom Rolfe

1962年生

鹿毛

父:リボー

母:ポカホンタス

母父:ローマン

プリークネスSなどを勝ち凱旋門賞にも果敢に挑んだ米最優秀3歳牡馬は種牡馬としても父リボーの後継として大活躍する

競走成績:2~4歳時に米仏で走り通算成績32戦16勝2着5回3着5回

誕生からデビュー前まで

レイモンド・R・ゲスト氏と妻のキャロライン夫人の両名により米国ケンタッキー州において生産された。ゲスト氏はウィンストン・チャーチル英国首相の親戚である米国の実業家で、後に駐愛米国大使も務める人物である。彼の母方は代々趣味として競馬に携わっている一族であり、ゲスト氏の姉妹であるダイアナ・ゲスト・マニング夫人も1982年の英愛首位種牡馬ビーマイゲストの現役時代の馬主として知られている。ゲスト氏自身も本馬が産まれた年の英ダービーをラークスパーで制し、後に名馬サーアイヴァーなども所有する事になる名馬主だった。

ゲスト氏の馬主名義ポウハタンステーブル(“Powhatan(ポウハタン)”とは本馬の母ポカホンタスの馬名由来となった米国先住民の女性ポカホンタスの出身部族名である)で競走馬となった本馬を預かったのは、フランク・イーウェル・ホワイトリー・ジュニア調教師だった。後にダマスカスラフィアンフォアゴーなど米国競馬史上に残る名馬達を手掛ける事になるホワイトリー・ジュニア師だが、本馬を預かった頃はまだ無名の調教師だった。本馬は小柄な馬で、成長しても体高は15.2ハンドにしかならなかった。気性難で知られるリボーの子ではあったが、チャールズ・ハットン氏が著書「アメリカン・レーシング・マニュアル1966年版」の中で「従順である」と記しているところを見ると、気性面の問題は無かったようである。

競走生活(2歳時)

2歳4月にピムリコ競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦でデビューしたが、勝ったコシモから1馬身3/4差の3着。翌5月に同コースで出走した未勝利戦でも、アートセフトの2馬身差2着に敗退。場所をデラウェアパーク競馬場に移して6月に出走したダート5ハロンの未勝利戦では、ロン・ターコット騎手を鞍上に、2着リーズナブリーフェアに3馬身差で勝ち上がった。しかし続いて1週間後に出走したクリスティアーナS(D5.5F)では、シャノンラン、後のグレートアメリカンSなどの勝ち馬タイムテステッドの2頭に屈して、勝ったシャノンランから5馬身半差の3着と完敗。2週間後に出走したダート5.5ハロンの一般競走では、2着エヴィルウィービルに1馬身半差をつけて勝利を収め、デラウェアパーク競馬場を後にした。

その後は一間隔空けて、8月にアーリントンパーク競馬場に移動。まずはダート6ハロンの一般競走に出走したが、勝ったヘンペンから7馬身差の4着に敗れた。続いて出走したフューチュリティトライアルS(D6.5F)では、ロイヤルガンナーの4馬身差4着に敗退。それでもアーリントンワシントンフューチュリティ(D7F)には出走したが、ロイヤルガンナー、サラトガスペシャルSの勝ち馬サダー、後のケンタッキージョッキークラブS・ブリーダーズフューチュリティの勝ち馬アンブレラフェラなどに歯が立たずに、サダーの8馬身半差5着に敗退。1勝も出来ないままアーリントンパーク競馬場を後にした。

アケダクト競馬場に移動してすぐに参戦したベルモントフューチュリティS(D6.5F)ではウィリアム・シューメーカー騎手を鞍上に迎えたが、ナショナルスタリオンS・トレモントS・サプリングS・ホープフルSなど5連勝中と勢いに乗るボールドラッド、サプリングS・ホープフルSの2着馬ネイティヴチャージャーの2頭に敵わず、勝ったボールドラッドから3馬身半差の3着に敗退。それでも次走のカウディンS(D7F)では、アーリントンワシントンフューチュリティで屈したサダーを2馬身半差の2着に、ロイヤルガンナーを3着に破って初のステークス競走勝利を挙げ、2歳時の成績は10戦3勝となった。

競走生活(3歳前半)

3歳時は3月にボウイー競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走から始動して、2着インディードアイドゥーに首差で勝利した。次走のベイショアS(D7F)は、勝ったフラッグレーザーから9馬身半差、2着ターントゥリーズンからも4馬身差をつけられた3着に敗れた。翌4月に出走したローレル競馬場ダート8ハロンの一般競走では、2着アンクルウィリーエムに1馬身差で勝利。次走のチェサピークS(D8.5F)も、2着アイルオブグリースに2馬身3/4差で勝利した。

さらにチャーチルダウンズ競馬場に移動して、ケンタッキーダービーの1週間前に行われたダート7ハロンの一般競走に出走。ベルモントフューチュリティS2着後にフラミンゴS・フロリダダービーを勝ってきたネイティヴチャージャーを1馬身3/4差の2着に破って勝利した。この勢いで出走したケンタッキーダービー(D10F)では、ダービートライアルSを勝ってきた前年の米最優秀2歳牡馬ボールドラッド、ハイビスカスSの勝ち馬でピムリコフューチュリティ・フロリダダービー・ウッドメモリアルS2着のヘイルトゥオール、サンヴィンセントH・サンタアニタダービー・ブルーグラスSを勝ってきたラッキーデボネア、ネイティヴチャージャー、ベイショアS勝利後にゴーサムS・ウッドメモリアルSも勝っていたフラッグレーザー、ゴーサムS2着馬ダッパーダン、アーカンソーダービーなどの勝ち馬スウィフトルーラーなどが対戦相手となった。ボールドラッドが1番人気に支持され、本馬は4番人気だった。レースではシューメーカー騎手が手綱を取る単勝オッズ5.3倍の3番人気馬ラッキーデボネアが2着ダッパーダンを首差抑えて優勝し、ターコット騎手とコンビを組んだ本馬はダッパーダンからさらに2馬身差の3着。ボールドラッドは10着に沈んだ。

次走のプリークネスS(D9.5F)ではボールドラッドが回避したものの、ラッキーデボネア、ダッパーダン、ケンタッキーダービー4着のネイティヴチャージャー、同5着のヘイルトゥオール、同8着のフラッグレーザーなど、他のケンタッキーダービー主要出走組はこぞって参戦してきた。シューメーカー騎手が乗るラッキーデボネアが1番人気、引き続きターコット騎手が乗った本馬が単勝オッズ4.6倍の2番人気となった。レースではラッキーデボネアが馬群に沈む中、本馬と5番人気馬ダッパーダンの一騎打ちとなったが、落鉄して負傷しながらも激走した本馬が首差で優勝を果たした。

続くベルモントS(D12F)でもターコット騎手とコンビを組んで出走。直線ではいったん先頭に立ってほぼ勝ちを手中に収めたと思われたが、ゴール寸前でプリークネスS3着馬ヘイルトゥオールに首差かわされて2着に終わった。その後の本馬の主戦はターコット騎手に代わってシューメーカー騎手が務める事になった。

競走生活(3歳後半)

夏場にもアーリントンパーク競馬場に移動して休み無く走り続けた。まずはサイテーションH(D8F)に出走して、2着ミスタークラウンに3馬身半差で勝利。次走のシカゴアンS(D9F)も、米国西海岸から遠征してきたスワップスSの勝ち馬ガンモを4馬身差の2着に破って完勝した。アーリントンクラシックS(D8F)では、3歳シーズン前半を棒に振っていたロイヤルガンナーに首差まで迫られたが勝利。次走アメリカンダービー(D10F)では2着ロイヤルガンナーに2馬身半差をつけて、2分00秒6のコースレコードで快勝。前年は1勝も出来なかったアーリントンパーク競馬場で4連勝を果たし、夏場のアーリントンパーク競馬場主要3競走サイテーションH・アーリントンクラシックS・アメリカンダービー完全制覇を果たした。このサイテーションH(ハリウッドパーク競馬場で施行されていた同名のサイテーションHとは全くの別競走)は1957年創設で1968年を最後に廃止された短命競走だったこともあり、この3競走を全て制したのは本馬のみとなっている。

この勢いを駆った本馬は、シューメーカー騎手と共に大西洋を渡り、なんと凱旋門賞(T2400m)に参戦した。米国三冠競走の勝ち馬が凱旋門賞に出走するのは極めて異例であった(1961年のケンタッキーダービー・プリークネスSを制したキャリーバックが翌1962年の凱旋門賞に出走したくらいしか他に例がない)。参戦理由は父のリボーが凱旋門賞を2連覇していた事が大きく影響しているようである。しかし3歳3月からほぼ休み無しで走ってきて、前走アメリカンダービーから3週間後の遠征競馬。しかも初芝である上に、レース前夜に蹄を負傷して患部が化膿していた。さらにシューメーカー騎手はロンシャン競馬場における騎乗経験が無かったなど、本馬にとっては不利な条件だらけであった。しかも、この年の凱旋門賞はメンバーが異常なほど揃っており、現在でも凱旋門賞史上最強メンバーと言われているほどであった(本馬もその最強メンバーの一員であるが)。結果は単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持されていた20世紀欧州最強馬の誉れ高いシーバードが圧勝(レースの詳細に関してはシーバードの項を参照)。単勝オッズ9倍の5番人気で出走した本馬はレース中盤までシーバードをマークするように走り、直線入り口まで上位争いを演じたものの、最後は力尽きて、シーバードから17馬身差をつけられて20頭立ての6着に敗れた。しかし愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの勝ち馬メドウコートなど欧州芝一線級で活躍してきた複数の馬達に先着しており、悪条件を考慮すれば十分に健闘したとは言える。

3歳時の出走はこれが最後となったが、この年に13戦9勝の成績を挙げ、満票に近い得票数で米最優秀3歳牡馬に選出された。

競走生活(4歳時)

さすがに前年の疲労が抜けきるには時間を要したか、4歳時の出走は6月にモンマスパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走からとなった。ここでは久々に加えてシューメーカー騎手が乗れなかったこともあって、勝ったヴァガボンドプリンスから1馬身1/4差の2着に敗れた。8月に出走したサルヴェイターマイルH(D8F)ではシューメーカー騎手が鞍上に戻ってきて、2着スティールパイクに3/4馬身差で勝利した。続くアーリントンパーク競馬場ダート7ハロンの一般競走では、イングルウッドH・ドンHやアーリントンHを勝っていた亜国産馬トロナドを1馬身半差の2着に退けて、1分21秒0のコースレコードタイで勝利した。しかし次走のワシントンパークH(D8F)では128ポンドを背負っての出走となり、本馬が不在の間にジェロームH・ベンジャミンフランクリンH・チャールズHストラブS・モンマスHを勝つなどめきめきと頭角を現していた同世代のボールドビダーに3馬身半差をつけられて2着に敗退した(3着トロナドには先着した)。

ニューヨーク州に戻ってきて翌9月に出走したアケダクトH(D9F)でも127ポンドを課されたが、サバーバンH2着・ブルックリンH3着のプラックを首差の2着に抑えて勝利した。同じ127ポンドを背負って出たミシガンマイル&ワンエイスH(D8F)では、スタニスラスの3馬身半差2着に敗退。続くウッドワードS(D10F)では、ナショナルスタリオンS・トレモントS・サプリングS・ホープフルS・アーリントンワシントンフューチュリティ・シャンペンS・エヴァーグレイズS・フラミンゴS・アーリントンクラシックS・ブルックリンH・アメリカンダービー・トラヴァーズSなどを勝っていた1歳年下のバックパサーと対戦。しかし破竹の9連勝中だったバックパサーの勢いには敵わず、ロイヤルガンナー、サバーバンHを勝ちベルモントSで2着していた3歳馬バッフルにも屈して、勝ったバックパサーから6馬身半差の4着に敗れた。

その後はワシントンDC国際Sを目標として、本番13日前にローレル競馬場で行われた芝9ハロンの一般競走に出走して、2着アルシラートに半馬身差で勝利。そしてワシントンDC国際S(T12F)に参戦したが、仏国から遠征してきたリュパン賞の勝ち馬ベイストウン、前年の凱旋門賞で本馬に5馬身先着する5着だったソ連最強馬アニリン、タイダルH・バーナードバルークH・ユナイテッドネーションズH・マンノウォーSを勝ってきたこの年の米最優秀芝馬アサガイなどに敵わず、勝ったベイストウンから8馬身3/4差をつけられた6着に惨敗。このレースを最後に、4歳時9戦4勝の成績で競走馬を引退した。

馬名は母ポカホンタスの馬名の由来となった米国先住民の女性ポカホンタスの息子トーマス・ロルフに由来する。

血統

Ribot Tenerani Bellini Cavaliere d'Arpino Havresac
Chuette
Bella Minna Bachelor's Double
Santa Minna
Tofanella Apelle Sardanapale
Angelina
Try Try Again Cylgad
Perseverance
Romanella El Greco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Gay Gamp Gay Crusader
Parasol
Barbara Burrini Papyrus Tracery
Miss Matty
Bucolic Buchan
Volcanic
Pocahontas Roman Sir Gallahad Teddy Ajax
Rondeau
Plucky Liege Spearmint
Concertina
Buckup Buchan Sunstar
Hamoaze
Look Up Ultimus
Sweeping Glance
How Princequillo Prince Rose Rose Prince
Indolence
Cosquilla Papyrus
Quick Thought
The Squaw Sickle Phalaris
Selene
Minnewaska Blandford
Nipisiquit

リボーは当馬の項を参照。

母ポカホンタス(19世紀の名繁殖牝馬ポカホンタスとは同名の別馬)は現役成績13戦3勝、スカイラヴィルSの勝ち馬。その産駒には、本馬の半兄チーフテン(父ボールドルーラー)【カウディンS・トレモントS・ガヴァナーズ金杯・アーリントンH・ローレルターフC】、半妹ウィノア(父ラークスパー)【ブランドフォードS】、新首位種牡馬に2度輝いた半弟ウォーホーク(父シーホーク)、半妹レディレベッカ(父サーアイヴァー)【ヴァントー賞(仏GⅢ)】などがいる。1965年には本馬の活躍によりケンタッキー州最優秀繁殖牝馬に選ばれているが、その前年1964年に米国から愛国に輸出されている。

ポカホンタスの牝系子孫はそれなりに発展しており、本馬の半姉セリア(父スワップス)の子には、種牡馬として日本に輸入されて優駿牝馬の勝ち馬ケイキロクを出したラディガ、リポン【ジョンBキャンベルH(米GⅡ)・リグスH(米GⅢ)】の兄弟、孫にはアブセンティア【ビヴァリーヒルズH(米GⅡ)】が、半妹ワムプム(父ウォーフェア)の曾孫にはジョーオーエン【シダージジャルジン伯共和国大統領大賞(伯GⅠ)2回】が、半妹サンタポーラ(父サンタクロース)の子にはノーブルセイント【ローマ賞(伊GⅠ)・グレートヴォルティジュールS(英GⅡ)・ヨークシャーC(英GⅡ)】、孫にはスクイーク【ビヴァリーヒルズH(米GⅠ)・メイトリアークS(米GⅠ)】が、レディレベッカの子にはディープインパクトの母父として知られるアルザオ【エリントン賞(伊GⅢ)】、曾孫にはトガトガトガ【サンタモニカH(米GⅠ)】、アラパホミス【クラウンオークス(豪GⅠ)】などがいる。

ポカホンタスの母ハウはケンタッキーオークス・CCAオークス・レディーズHの勝ち馬。ハウの全妹チェロキーローズ【CCAオークス】の牝系子孫も発展しており、チェロキーローズの孫である米国顕彰馬アクアク【サンタアニタH・ハリウッド金杯・アーリントンクラシックS・サンアントニオH・アメリカンH】を筆頭に、スクワートルスクワート【BCスプリント(米GⅠ)・キングズビショップS(米GⅠ)】、ファーゼストランド【BCダートマイル(米GⅠ)】、日本で走ったゴールドアリュール【ジャパンダートダービー(GⅠ)・ダービーグランプリ(GⅠ)・東京大賞典(GⅠ)・フェブラリーS(GⅠ)】などが出ている。ハウやチェロキーローズの全妹セキュオイア【スピナウェイS】の子には、セクレタリアトの同世代という悲哀を嫌というほど味わったシャム【サンタアニタダービー(米GⅠ)】が、牝系子孫には豪州の名馬デザートウォー【エプソムH(豪GⅠ)2回・チッピングノートンS(豪GⅠ)・マッキノンS(豪GⅠ)・ランヴェットS(豪GⅠ)・AJCクイーンエリザベスS(豪GⅠ)】などがいる。→牝系:F9号族①

母父ローマンはサーギャラハッドの直子で、主に米国マイル路線で活躍。ジェロームH・ラファイエットS・バッシュフォードマナーS・フォールハイウェイトH・ローレルS・ハイドパークS・シカゴH勝ちなど40戦18勝の成績を残した。種牡馬としても54頭のステークスウイナーを出して成功。1965年には本馬の活躍により北米母父首位種牡馬になっている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州クレイボーンファームで種牡馬入りした。49頭のステークスウイナーを出し、父リボーの最良の後継種牡馬の1頭として成功した。1989年に27歳で他界し、クレイボーンファーム内の墓地に埋葬された。また、母父としても優秀で、フォーティナイナーシルヴァービュレットデイなどを輩出している。

後継種牡馬としてはホイストザフラッグが成功しており、その息子である凱旋門賞2連覇の名馬アレッジドを経て直系が維持されているが、最近はかなり衰退している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1968

Droll Role

ワシントンDC国際S・加国際CSS・グレイラグH・マサチューセッツH・タイダルH・ホーソーン金杯

1968

Hoist the Flag

カウディンS・ベイショアS

1968

Run the Gantlet

ワシントンDC国際S・ユナイテッドネーションズH・マンノウォーS・ガーデンステートS・タイダルH・ケリーオリンピックH・ボーリンググリーンH

1968

Tanagra

マーゲイトH

1969

Le Cle

ビヴァリーヒルズH(米GⅡ)・ハネムーンH・プリンセスS

1969

Manitoulin

ブランドフォードS(愛GⅡ)・ロイヤルホイップS(愛GⅢ)

1970

Dogtooth Violet

ブラックヘレンH(米GⅡ)・オーキッドH(米GⅢ)

1970

Jim

ロングエイカーズマイルH(米GⅢ)

1970

London Company

レナードリチャーズS(米GⅡ)・ベルモントレキシントンH(米GⅡ)・マンハッタンH(米GⅡ)・パンアメリカンS(米GⅡ)・ブーゲンヴィリアH(米GⅡ)2回・ディキシーH(米GⅡ)・ウッドローンS(米GⅢ)

1970

Salt Marsh

マンハッタンH(米GⅡ)・バーナードバルークH(米GⅢ)

1970

Tom Tulle

ミシガンマイル&ワンエイスH(米GⅡ)

1971

R. Tom Can

ヴェントナーH(米GⅢ)2回

1972

American History

ウイリアムデュポンジュニアH(米GⅡ)

1973

Nantequos

ホワイトホールS(愛GⅢ)

1973

Tom Swift

セネカH(米GⅢ)

1974

Bowl Game

ワシントンDC国際S(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)・ターフクラシックS(米GⅠ)・パンアメリカンH(米GⅡ)・ディキシーH(米GⅡ)・ハイアリアターフCH(米GⅡ)・アーリントンH(米GⅡ)

1975

French Colonial

マンノウォーS(米GⅠ)・ニッカボッカーH(米GⅢ)

1977

Gilded Age

ロングフェローH(米GⅢ)

1977

Rokeby Rose

フラワーボウルH(米GⅡ)

1978

Anti Lib

シュヴィーH(米GⅡ)

1979

Tantalizing

ボーリンググリーンH(米GⅠ)・バーナードバルークH(米GⅡ)

1981

Rough Pearl

伊セントレジャー(伊GⅡ)

1983

Allez Milord

オイロパ賞(独GⅠ)・オークツリー招待H(米GⅠ)・ゴードンS(英GⅢ)・ゴードンリチャーズS(英GⅢ)

1985

High Browser

アシーニアH(米GⅢ)

1990

D J's Rainbow

ロイヤルパームH(米GⅢ)

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