バヤコア

和名:バヤコア

英名:Bayakoa

1984年生

鹿毛

父:コンサルタンツビッド

母:アールシー

母父:グッドマナーズ

BCディスタフ2連覇など当時の牝馬最多記録となる米国GⅠ競走12勝を挙げた亜国産の快速牝馬は孫世代にBCクラシック優勝馬を輩出する

競走成績:2~6歳時に亜米で走り通算成績39戦21勝2着9回

誕生からデビュー前まで

亜国プリンシパル牧場の生産馬で、カプリコルニオ名義として、亜国のO・L・フィナレリ調教師に預けられた。

競走生活(亜国時代)

2歳シーズンの1987年2月にヒポドロモ競馬場で行われたヴィラーレス賞(D1000m)で、主戦となるR・リヴェイロ騎手を鞍上にデビューして、勝ったシェレザーデから2馬身差の2着。このレースで本馬は逃げ戦法を採ったが、この後も逃げが本馬の主戦法となる。

次走のプリエト氏賞(D1000m)では、2着コグチュダに7馬身差で圧勝して初勝利を挙げた。続いて5月のホルヘデアトゥーチャ大賞(亜GⅠ・D1500m)に駒を進めたが、逃げて失速してしまい、勝ったGⅠ競走エリセオラミレス大賞の勝ち馬キャンディラから14馬身差をつけられた6着と大敗した。それから5週間後にサンイシドロ競馬場で行われたマシュヴァレンテ賞(T1400m)では、後にGⅠ競走セレクシオンデポトランカス大賞を勝つピヌエラを4馬身差の2着に下して圧勝した。2歳時は4戦2勝の成績だった。

翌1987/88シーズンは、7月のミルギネアス大賞(亜GⅠ・T1600m)から始動した。しかしここでは勝ったGⅠ競走ポトランカス大賞の勝ち馬ペロジョセから10馬身差の9着と惨敗した。

過去2回のGⅠ競走ではいずれも惨敗であり、GⅠ競走級の実力の持ち主ではないと思われたが、ホルヘ・マシャド厩舎に転厩して出走した次走の亜1000ギニー(亜GⅠ・D1600m:正式名称はポージャデポトランカス大賞)では、勝ったポデイカから3馬身差の2着と好走。

その後は古馬牡馬相手のレースとなるサンイシドロ大賞(亜GⅠ・T1600m)に出走した。M・レスカーノ騎手とコンビを組んだ本馬は、勝った4歳牡馬カウチン(亜国のGⅡ競走を3勝)から1馬身半差の2着と、牡馬相手でも引けを取らないレースぶりを見せた。

本馬の次走は亜国のシーズン前半における最強マイラー決定戦パレルモ大賞(亜GⅠ・T1600m)となった。当然亜国中の強豪マイラーが牡馬牝馬を問わず集結してきたが、結果はレスカーノ騎手騎乗の本馬が馬なりのまま快走し、2着となったGⅠ競走ホアキンVゴンザレス大賞の勝ち馬ラボリオーソに12馬身もの大差をつけて大圧勝を収めた。

この本馬の圧勝ぶりに注目したのが、米国カリフォルニア州で厩舎を構えていたロン・マッカナリー調教師だった。かつて名馬ジョンヘンリーを手掛けたマッカナリー師は、相馬眼には定評があり、知人のフランク・ホワイタム氏とジャニス・ホワイタム夫人の夫婦に本馬を購入するように薦めた。そしてプライベートで取引が成立し、本馬は母国を離れて米国に主戦場を移す事になった。そのため本馬は、3歳シーズン後半は亜国で走らなかったが、4戦1勝の成績ながらも87/88シーズンの亜最優秀マイラーに選出されている。

競走生活(1988年)

米国に到着した本馬は、本馬の購入をホワイタム夫婦に進言したマッカナリー師の管理馬となった。本馬は非常に神経質な馬であり、他馬や人間だけでなく、本馬自身にも危害を加えかねないほど気性が激しい馬だった。しかしやはり気性難だったジョンヘンリーを歴史的名馬に育て上げていたマッカナリー師は、本馬を静かな環境に置くことで、気性の安定を図った。

前走から7か月後の1988年5月からレースに出走を開始。まずはハリウッドパーク競馬場芝8ハロンの一般競走に、ラフィット・ピンカイ・ジュニア騎手を鞍上に出走。2着クアドラダに2馬身1/4差で勝利を収め、移籍初戦を飾った。しかしミネソタ州カンターバリーパーク競馬場で出走した次走のレディカンターバリーH(T8F)では、仏国から来たロベールパパン賞・ポルトマイヨ賞の勝ち馬バルボネラ(1996年のカルティエ賞最優秀短距離馬アナバーの母)、GⅢ競走カウンテスファーガーHの勝ち馬ネイチャーズウェイなどに屈して、勝ったバルボネラから6馬身半差の6着に完敗した。

その後は一間隔を空けて、8月にデルマー競馬場で行われた分割競走オスニタスH(T8.5F)に出走。しかしレースレコードで走破したチョリトゾから3馬身1/4差の5着と振るわなかった。翌月にデルマー競馬場で出走したジューンダーリンS(D8F)は、渡米後では初のダート競走となった。このレースにはチリでチリ牧場賞・チリ競馬場大賞とGⅠ競走を2勝して、エルダービーと智セントレジャーでも3着した後に米国に移籍してきたカリタトスタダという同じく南米出身の実力派牝馬が出走していた。しかし本馬が2着クイーンフォーブスに10馬身差をつけて圧勝し、カリタトスタダは3着に終わった。

ダート競走を圧勝したにも関わらず、次走は10月にサンタアニタパーク競馬場で行われた芝8ハロンの一般競走となった。ここでは仏国から移籍してきたダロマの3馬身差2着とそれなりに走った。しかし同月末に同コースで出走した次走のミッドウィックH(T8F)では、バルボネラ、チョリトゾといった芝巧者達に完膚なきまでに叩きのめされ、勝ったバルボネラから13馬身差をつけられた10着最下位と惨敗した。

マッカナリー師は本馬が芝のパレルモ大賞を圧勝したことから、芝競走をメインに使おうと考えていたようだが、実はパレルモ大賞はパワーが要る重馬場で行われており、どうやら本馬は芝よりもダート向きであるようだった。それを悟ったマッカナリー師は本馬をダート路線に専念させることとした。

12月にハリウッドパーク競馬場で出走したダート7ハロンの一般競走では、アルトゥロリヨンペーニャ賞・ポージャデポトランカス賞とチリのGⅠ競走で2勝を挙げた後に米国に移籍してきてシルヴァーベルズHで2着していたミスブリオとの顔合わせとなった。ここではミスブリオが勝利を収め、本馬は2馬身半差2着。この年の出走は7戦2勝で終了となった。

競走生活(1989年前半)

翌年1月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート8ハロンの一般競走では、2度目の騎乗となるピンカイ・ジュニア騎手を鞍上に不良馬場の中を激走。2着スモールヴァーチュに12馬身差をつけて圧勝した。これでいよいよ本馬がパワータイプの快速馬である事が明確になった。また、以降はピンカイ・ジュニア騎手が本馬の主戦となった。

次走は米国におけるグレード競走初登場となるサンタマリアH(米GⅡ・D8.5F)だった。有力な対戦相手は、ヴァニティ招待H・ラモナH・ラスパルマスHの勝ち馬アノコンナー、サンタモニカHを勝ってきたミスブリオ、カリタトスタダだった。ここでもミスブリオが勝利を収め、本馬は3/4馬身差の2着と惜敗した。

翌月のサンタマルガリータ招待H(米GⅠ・D9F)では、ケンタッキーオークス・マザーグースS・CCAオークス・デモワゼルS・ハリウッドスターレットS・ラスヴァージネスS・ラカナダSとGⅠ競走7勝の名牝グッバイヘイローとの初顔合わせとなった。前走のラカナダSを快勝してきたグッバイヘイローが当然のように1番人気に支持されていたのだが、124ポンドのグッバイヘイローから6ポンドのハンデを貰っていた本馬が、グッバイヘイローを2馬身差の2着に、サンゴルゴーニオH・デルマーオークスの勝ち馬ノーレビューを3着に、カリタトスタダを4着に下して米国GⅠ競走初勝利を挙げた。

その後はオークローンパーク競馬場に遠征して、前走から2か月後のアップルブロッサムH(米GⅠ・D8.5F)に出走。ここでもグッバイヘイローとの対戦となった。斤量はグッバイヘイローが124ポンドで、本馬が120ポンドと、前走より2ポンド斤量差が縮まっていた。しかし前走より着差は広がり、本馬がグッバイヘイローを4馬身差の2着に、フィリーズマイル・カンデラブラS・プシシェ賞・ダリアH・ゴールデンポピーHの勝ち馬で前年の同競走とミレイディHで2着していたインヴァイテッドゲストを3着に下して圧勝した。

その後はカリフォルニア州に戻り、5月のホーソーンH(米GⅡ・D8F)に出走。ここでもグッバイヘイローと顔を合わせたが、斤量はグッバイヘイローの123ポンドに対して本馬は122ポンドと僅か1ポンド差であり、前走と人気が逆転して本馬が1番人気となった。そしてファンの見立てどおりに、本馬が2着グッバイヘイローに4馬身半差をつけて、1分32秒8のコースレコードタイで圧勝した。

次走のミレイディH(米GⅠ・D8.5F)ではグッバイヘイローが不在となり、前年のサンタマルガリータ招待Hの勝ち馬フライングジュリアやカリタトスタダが相手となった。結果は本馬がフライングジュリアを1馬身差の2着に、カリタトスタダを3着に下して勝利した。

次走のヴァニティH(米GⅠ・D9F)では、フライングジュリア、カリタトスタダに加えて、ホーソーンHから直行してきたグッバイヘイローが再度本馬に挑戦してきた。斤量はグッバイヘイローの122ポンドに対して本馬は123ポンドと逆転したが、結果は本馬が2着フライングジュリアに5馬身差をつけて圧勝し、グッバイヘイローはフライングジュリアからさらに3馬身半差の3着に終わった。

競走生活(1989年後半)

快進撃を続けてきた本馬だったが、9月にデルマー競馬場で出走した次走のチュラヴィスタH(米GⅡ・D8.5F)では、何故か6着最下位に敗れた。2着フライングジュリアに1馬身3/4差をつけて勝ったのはようやく本馬に一矢報いたグッバイヘイローで、グッバイヘイローと本馬との差は15馬身差もあった。確かに斤量面では本馬の127ポンドに対して、グッバイヘイローは120ポンドとかなりの差があったが、それだけでこの着差になるとは考えられず、大敗の原因はよく分からない。海外の資料には“a hiccup at Del Mar”と書かれており、直訳すると「デルマー競馬場でしゃっくりの音を出した」となるから、しゃっくりが原因で負けたという事なのだろうか。

しかしその後は何事も無かったかのように、フロリダ州ガルフストリームパーク競馬場で行われるBCディスタフを目指して東上し、同月のラフィアンH(米GⅠ・D9F)に出走。このレースには、前走マスケットSを勝ってきたミスブリオ、ジョンAモリスH・ジョニーウォーカークラシックHの勝ち馬でトップフライトH・デラウェアH2着のコロニアルウォーターズに加えて、前年のBCジュヴェナイルフィリーズを皮切りにデモワゼルS・ボニーミスS・ケンタッキーオークス・エイコーンS・マザーグースS・CCAオークス・アラバマSなど破竹の10連勝中だったニューヨーク牝馬三冠馬オープンマインドとの顔合わせとなった。名勝負が期待されたのだが、本馬が2着コロニアルウォーターズに3馬身半差をつけて勝利を収め、オープンマインドはさらに首差の3着、ミスブリオは6着に敗れた(ミスブリオはこのレースを最後に引退・繁殖入りしている)。

ケンタッキー州に移動して出走したスピンスターS(米GⅠ・D9F)では、チュラヴィスタHから直行してきたグッバイヘイローと6度目の対戦となった。しかし定量戦ではグッバイヘイローが本馬を負かす余地はもはや無く、本馬がグッバイヘイローを11馬身半差の2着に、前走コティリオンHを勝ってきたシャープダンスを3着に破って圧勝した。

そして本馬は目標としていたBCディスタフ(米GⅠ・D9F)に、20万ドルの追加登録料を支払って参戦した。このレースには、前年の同競走3着馬でもあったグッバイヘイロー、ラフィアンH3着後に出走したベルデイムSで5着に終わっていたオープンマインド、ラフィアンH2着後に出走したベルデイムSで2着していたコロニアルウォーターズに加えて、アッシュランドS・ハリウッドオークスの勝ち馬でマザーグースS2着の3歳馬ゴージャス、史上3頭目の牝馬制覇を達成した前年のケンタッキーダービーの他にサンタアニタオークス・サンタアニタダービーを勝ちラスヴァージネスS・マスケットSで2着・プリークネスSで3着していた前年の同競走2着馬ウイニングカラーズ、5戦無敗でレアパフュームSを勝ってきたハイエストグローリー、ジョンAモリスH・ヘンプステッドH・アフェクショネイトリーH・ネクストムーヴHとGⅠ競走2勝を含むグレード競走4勝を挙げシュヴィーH2着・ジョンAモリスH・ベルデイムS3着のロージズカンティナ、レディーズH・デラウェアH・メイトリアークS・デラウェアH・シープスヘッドベイH・シルヴァーベルズHとGⅠ競走4勝を含むグレード競走6勝を挙げていたナスティーク(ノボトゥルーの母)、スカイラヴィルS・アルキビアデスSの勝ち馬ワンダーズディライトが出走していた。本馬が単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持され、デビューから7戦5勝着外無しのゴージャスが単勝オッズ5倍の2番人気、オープンマインド、ウイニングカラーズ、ワンダーズディライトの3頭カップリングが単勝オッズ6.2倍の3番人気、グッバイヘイローが単勝オッズ9.2倍の4番人気、コロニアルウォーターズが単勝オッズ10.9倍の5番人気となった。

スタートが切られると、ワンダーズディライトが先頭を奪い、最内枠発走の本馬は2番手を追走。前年のBCディスタフでは快調に先頭を飛ばしたウイニングカラーズは先手を取れずに4~5番手を追走して、その直後にグッバイヘイロー。ゴージャスは馬群の中団、オープンマインドは中団後方につけた。最初の2ハロン通過が24秒4、半マイル通過は48秒8というスローペースとなり、ピンカイ・ジュニア騎手は向こう正面で早くも仕掛けて本馬を先頭に立たせた。そして後続を引き離しながら三角と四角を回って直線に突入。四角で内埒沿いの経済コースを通って位置取りを上げてきたゴージャスが直線で差を縮めてきたが、最後まで影を踏ませることは無く、2着ゴージャスに1馬身半差をつけて、1分47秒4のコースレコードで優勝。ジョンヘンリーではブリーダーズカップに縁が無かったマッカナリー師にとっては、嬉しいブリーダーズカップ初勝利となった。

この年11戦9勝の成績を残した本馬は、文句無くエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選ばれた。

競走生活(1990年前半)

グッバイヘイローやウイニングカラーズが現役を引退し、オープンマインドも不調で4歳時僅か2戦で引退する中、本馬は翌年も米国古馬牝馬最強の座に君臨し続けた。

地元西海岸に戻った本馬は、まずは前年に勝ちそびれたサンタマリアH(米GⅠ・D8.5F)に出走した。前年のアップルブロッサムH3着後にサンゴルゴーニオHを勝っていたインヴァイテッドゲスト、本馬と過去に5回戦って1度も先着できていなかったカリタトスタダ、ラスパルマスHの勝ち馬ニキシカなどが挑んできた。しかし本馬が2着ニキシカに3馬身半差をつけて勝利した。

次走のサンタマルガリータH(米GⅠ・D9F)では、シーズン初戦のラカナダSを勝ってきたゴージャス、前走3着のカリタトスタダなどが対戦相手となった。しかし得意の不良馬場の中を快走した本馬が、ゴージャスを6馬身差の2着に葬り去って2連覇を果たした(4着に終わったカリタトスタダは本馬と同じレースに出てくることは2度と無かった)。

次走はサンタアニタH(米GⅠ・D10F)となった。サンパスカルH・サンアントニオHなど4連勝中のクリミナルタイプ(後にこの年のエクリプス賞年度代表馬に選出)、マーヴィンルロイH・ジャマイカH・サンバーナーディノH・エルカミノリアルダービー・ネイティヴダイヴァーHの勝ち馬ルールマン、サンフェルナンドS・チャールズHストラブSを連勝してきたサンタアニタダービー2着馬フライングコンチネンタル、チャールズHストラブS2着馬クワイエットアメリカンといった有力牡馬勢を抑えて1番人気に支持されたのだが、やや距離が長かった影響もあったのか(本馬は過去に9ハロンを超えるレースに出たことが無かった)、勝ったルールマンから29馬身差をつけられた10着最下位に終わった。

この敗戦が尾を引いたのかどうかは定かではないが、2連覇を狙った次走アップルブロッサムH(米GⅡ・D8.5F)では、サンタマルガリータHから直行してきたゴージャスの2馬身3/4差2着に敗退した。

しかしホーソーンH(米GⅡ・D8F)では、サンタモニカH・アグリームH・ラスフローレスBCHの勝ち馬ストーミーバットヴァリッドを4馬身差の2着に、ファンタジーS・シルヴァーベルズHの勝ち馬でハリウッドスターレットS2着・ラスヴァージネスS3着のファンタスティックルックを3着に破って2連覇を達成。

ミレイディH(米GⅠ・D8.5F)では127ポンドを課せられたが、2着ファンタスティックルックに2馬身1/4差で勝利を収め、これまた2連覇を果たした。

次走は牡馬相手のサンディエゴH(米GⅢ・D8.5F)となったが、サンタアニタHで8着に終わっていたクワイエットアメリカンの2馬身1/4差2着に敗退。どうも本馬は牡馬相手では分が悪いようで、以降は牡馬混合戦には出走しなかった。

競走生活(1990年後半)

次走は前年謎の惨敗を喫したチュラヴィスタH(米GⅡ・D8.5F)となった。斤量は前年と同じ127ポンドだったが、ミレイディH2着後にヴァニティ招待Hでも2着してきたファンタスティックルックを鼻差の2着に抑えて勝ち、前年の雪辱を果たした。

その後はベルモントパーク競馬場で行われるBCディスタフを目指して東上。まずはスピンスターS(米GⅠ・D9F)に出走した。アップルブロッサムHで本馬を破った後にヴァニティ招待Hを勝っていたゴージャスが強敵だったが、2着ゴージャスに3馬身差をつけて勝利を収め、2連覇を達成した。

そしてその勢いでBCディスタフ(米GⅠ・D9F)に参戦した。当然本馬が1番人気と思ったかもしれないが、本馬は単勝オッズ2.1倍の2番人気だった。前年のアップルブロッサムHでグッバイヘイローに次ぐ2番人気だったのを最後に16戦連続で1番人気だった本馬からその座を奪い取ったのは、BCジュヴェナイルフィリーズ・アッシュランドS・マザーグースS・テストS・アラバマS・マスケットS・ベルデイムSとGⅠ競走7勝を挙げ、フリゼットS・ケンタッキーオークスで2着していた3歳馬ゴーフォーワンドで、単勝オッズ1.7倍の評価を受けていた。ゴーフォーワンドが勝ったGⅠ競走は全て楽勝と言えるものであり、さらに5連勝中という勢い、ここまで12戦10勝2着2回という安定感、地元ニューヨーク州で調教を受けていた馬という事もあって、本馬より高い評価を得たものである。本馬とゴーフォーワンド以外の出走馬は、前走のベルデイムSで2着してきたが前年の同競走8着後は勝ち星が無かったコロニアルウォーターズ、フェアグラウンズオークス・ヴェイグランシーHの勝ち馬でヘンプステッドH2着・マスケットS・ラフィアンH3着のミストーリアン、この年のサンタマルガリータH・スピンスターSでいずれも本馬の3着に入っていたドッグウッドSの勝ち馬リュティエズローンチ、前走コティリオンHを勝ってきたヴァレイメイド、前走スピンスターSで本馬の4着だったアクサーベンクイーンズHの勝ち馬フラッグズウェイヴィングの5頭だったが、3番人気のコロニアルウォーターズでも単勝オッズ15.2倍と、いずれも完全に蚊帳の外で、本馬とゴーフォーワンドの一騎打ちというのが衆目の一致した見方だった。

スタートが切られると、本馬が他馬の様子を伺いながら加速して先頭に立った。しかし2ハロンほど進んだところで、ゴーフォーワンドが一気に加速して内側から本馬に並びかけてきた。ゴーフォーワンドが本馬を半馬身ほどリードした状態で向こう正面を通り過ぎ、三角に入ってきた。最初の2ハロン通過は23秒4、半マイル通過が46秒4、6ハロン通過は1分10秒4で、スローペースだった前年と比べると速い流れとなった。四角でも2頭の位置取りは変わらず、内側のゴーフォーワンドが僅かにリードした状態で直線に突入した。そして直線では3番手以下を引き離して、2頭の激しい叩き合いが展開された。これは名勝負になると誰もが思った次の瞬間、大変な事態が発生した。ゴールまで残り半ハロンのところで、突然ゴーフォーワンドが前のめりになって転倒したのである。場内が騒然とする中、単騎になった本馬が2着コロニアルウォーターズに6馬身3/4差をつけて先頭でゴールインした。

競走中止となったゴーフォーワンドは、右前脚複雑骨折で予後不良と診断され、その場で安楽死の措置が執られた。ゴーフォーワンドが故障を発生した場所は、奇しくも同競馬場でかつて故障して安楽死となったラフィアンが埋葬されている場所のすぐ近くだった。史上初のBCディスタフ2連覇(レース名がBCレディーズクラシック改称後の2012年にロイヤルデルタが2頭目となる)を果たした本馬だったが、本馬陣営は喜ぶことも出来ず、涙を流しながら優勝トロフィーを受け取った。マッカナリー師は神妙な表情で「競走馬達は私達の娯楽のため、そして彼等が生きるために走っています」と述べた。

この年に10戦7勝の成績を残した本馬は、2年連続でエクリプス賞最優秀古馬牝馬のタイトルを獲得した。

競走生活(1991年)

本馬は、翌年も現役を続けたが、BCディスタフで一騎打ちを演じた相手が自分の隣で突然崩れ落ちたのが本馬の精神状態にも何らかの影響を及ぼしたのか(馬は繊細な生き物なのである。神経質な性格だった本馬ではなおさらであろう)、前年までの強さは全く影を潜めてしまう。

まずはサンタマリアH(米GⅠ・D8.5F)に出走したが、128ポンドの斤量も影響したのか、ラスパルマスH・ダリアHを勝ってきたリトルブライアン(斤量117ポンド)から11馬身差をつけられた4着最下位と惨敗。牝馬限定戦で着外となったのは、謎の敗戦を喫した一昨年のチュラヴィスタH以来だった。

3連覇を目指した次走のサンタマルガリータH(米GⅠ・D9F)では、斤量が少し下がって126ポンドとなったが、斤量119ポンドのリトルブライアンの2馬身差2着に敗れた。そしてアップルブロッサムH(米GⅡ・D8.5F)では逃げを打つことさえも出来ずに後方のまま、フォールズシティH・アーリントンメイトロンHの勝ち馬ディジェナレイトギャルから14馬身差の6着最下位に終わり、ここで現役引退となった。

本馬は米国でGⅠ競走を12勝したが、これは後の2010年にゼニヤッタに更新されるまで、牝馬の最多勝利記録だった。

前述のとおり本馬はかなり気性が荒い馬だったが、これが逆に爆発的なスピードの源泉となっていたのかも知れない(机上の血統論的には、ナスルーラの4×4×4の多重クロスの影響という事になる)。また、走る際に口元から舌を垂らすという面白い習性があったそうである。

血統

Consultant's Bid Bold Bidder Bold Ruler Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Miss Disco Discovery
Outdone
High Bid To Market Market Wise
Pretty Does
Stepping Stone Princequillo
Step Across
Fleet Judy Fleet Nasrullah Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Happy Go Fleet Count Fleet
Draeh
Solid Miss Solidarity Alibhai
Jerrybuilt
Henpecker Reigh Count
Matriarch
Arlucea Good Manners Nashua Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Segula Johnstown
Sekhmet
Fun House The Doge Bull Dog
My Auntie
Recess Count Fleet
Recce
Izarra Right of Way Honeyway Fairway
Honey Buzzard
Magnificent Migoli
Isle of Capri
Azpeitia Corindon Fastnet
Belle Corisande
Bidasoa Congreve
Guernica

父コンサルタンツビッドは米国で走り6戦2勝の平凡な馬だったが、エイコーンS・マザーグースSなどを制した名牝ウインディズドーターの半弟という血統が評価されて、競走馬引退後は亜国に種牡馬として輸出されていた。本馬以外にはウォーチェスト【セレクシオン大賞(亜GⅠ)】を出しているが、それほど多くの活躍馬がいるわけではなく、亜種牡馬ランキングでも、1993/94シーズンと1994/95シーズンの各27位が最高である。コンサルタンツビッドの父ボールドビダーはスペクタキュラービッドの項を参照。

母アールシーは亜国でカバレリザス賞という名前のステークス競走を勝っているらしいが、詳細な競走成績は資料不足で不明である。本馬の母系は、19世紀末に英国産の牝馬アンテディエム(史上初の米国三冠馬サーバートンの4代母の半妹に当たる)が亜国に輸入されて100年に渡って南米で発展を続けた南米きっての名門牝系で、とてつもない数の南米の名馬が登場している。筆者は南米の競馬にあまり詳しくなく、レース名やその位置づけなどもよく分からないので、申し訳ないが欧州や米国の馬のように近親の活躍馬を並べ挙げることは出来ない。この牝系から登場した馬で筆者にとって馴染みがある馬は、BCクラシックを2連覇したティズナウの父シーズティジーの祖母に当たるティズナ【サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)2回・レディーズH(米GⅠ)】、それにホークウイング【愛ナショナルS(愛GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)・ロッキンジS(英GⅠ)】といったところである。→牝系:F9号族①

母父グッドマナーズはパセアナの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、アラジシガーの馬主として知られるアレン・ポールソン氏が所有する米国ケンタッキー州ブルックサイドファームで繁殖牝馬となり、後にケンタッキー州ペンブルックファームに移動した。1992年には初子の牝駒トリニティプレイス(父ストロベリーロード)を、翌1993年には2番子の牡駒デサルミエント(父シアトルスルー)を、1995年には3番子の牝駒モロチャ(父クリスエス)を、1997年には4番子の牝駒アルルセア(父ブロードブラッシュ)を産んだ。しかしこの1997年に蹄葉炎を発症した本馬は6月に他界してしまった。13歳になる直前の死だった。翌1998年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第95位。

本馬の産駒の競走成績は、トリニティプレイスが不出走、デサルミエントは1戦未勝利、モロチャも不出走、7戦1勝のアルルセアが唯一の勝ち上がり馬という、惨憺たる有様だった。デサルミエントは血統が評価されて種牡馬入りしたが、僅か1世代の産駒を残したのみで、6歳で早世したため、活躍馬は出せなかった。このように書くと、本馬は繁殖牝馬としては大失敗だったと思うかもしれないが、実は牝駒達が後継繁殖牝馬として活躍しており、本馬の卓越した競走能力がまるで隔世遺伝しているかのようである。まず、トリニティプレイスの娘にはアフルーエント【クイーンエリザベスⅡ世CCS(米GⅠ)・ラブレアS(米GⅠ)・ラモナH(米GⅠ)・サンタモニカH(米GⅠ)・ハリウッドオークス(米GⅡ)・エルエンシノS(米GⅡ)】がいる。そしてアルルセアの息子には、フォートラーンド【BCクラシック(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)・スティーヴンフォスターH(米GⅠ)・スキップアウェイS(米GⅢ)・コーンハスカーH(米GⅢ)】がおり、祖母に続くブリーダーズカップ覇者となっている。フォートラーンドの所有者は本馬の馬主ジャニス・ホワイタム夫人であり、1993年に夫を飛行機事故で失って以降も本馬の血を大切に守っていた彼女にとっては、とても嬉しいBCクラシック制覇だったと思われる。

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