和名:フーリッシュプレジャー |
英名:Foolish Pleasure |
1972年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ワットアプレジャー |
母:フールミーノット |
母父:トムフール |
||
2歳時7戦全勝の成績を誇り3歳時も大活躍した歴史的名馬だが、それよりも名牝ラフィアンの最後の対戦相手となった事で知られるケンタッキーダービー馬 |
||||
競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績26戦16勝2着4回3着3回 |
誕生からデビュー前まで
米国フロリダ州ワルデマーファームの生産馬で、ジョン・L・グリア氏に購買され、米国リロイ・ジョリー調教師に預けられた。
競走生活(2歳時)
2歳4月にハイアリアパーク競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦でデビューして、4馬身半差で勝ち上がった。翌月にはデラウェアパーク競馬場でドーバーS(GⅢ・D5.5F)に出走。分割競走となったために対戦相手が手薄だった事もあっただろうが、2着ジムボサンダに10馬身差をつける圧倒的な勝利を収めた。7月からはニューヨーク州に腰を据えて本格的に出走を開始。まずはトレモントS(GⅢ・D6F)に出走して、2着ワットアスケッチに首差ながらも勝利を収めた。次走のサプリングS(GⅠ・D6F)では、ハギンSの勝ち馬でハリウッドジュヴェナイルCSS・ウエストチェスターS2着のザベーグルプリンスとの顔合わせとなったが、2着ザベーグルプリンスに1馬身3/4差をつけて勝利を収め、GⅠ競走初勝利を挙げた。
次走のホープフルS(GⅠ・D6.5F)では、主戦となるファシント・ヴァスケス騎手と初コンビを組んだ。レースは分割競走となり、本馬がスウィンフォードS・フルールドリスS・コリンSを勝っていた加国調教馬グリークアンサー(次走のアーリントンワシントンフューチュリティに勝利する)を3馬身3/4差の2着に破って完勝した。なお、もう一方のホープフルSは前走で本馬に敗れたザベーグルプリンスが勝っている。次走のカウディンS(GⅡ・D7F)では、サプリングSで本馬の3着だったサラトガスペシャルSの勝ち馬アワータリスマンを6馬身半差の2着に沈めて圧勝した。2歳最終戦となったシャンペンS(GⅠ・D8F)では、2着ハーバードマンに6馬身差をつけて圧勝した。
2歳時は7戦全勝と文句のつけようも無い成績で、エクリプス賞最優秀2歳牡馬のタイトルを獲得した。なお、この年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬は、ソロリティS・スピナウェイS・ファッションS・アストリアSなど5戦してやはり全勝だったラフィアンが受賞している。
競走生活(3歳前半)
3歳時は2月にハイアリアパーク競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走から始動した。レースは馬券が発売されないエキシビションとなり、ケンタッキースペシャルSの勝ち馬アンバサダーズイメージを4馬身1/4差の2着に破って難なく勝利した。次走のフラミンゴS(GⅠ・D9F)でも、2着プリンスサウアートに1馬身3/4差をつけて勝利した。
しかし次走のフロリダダービー(GⅠ・D9F)では、プリンスサウアートとバハマズS3着馬シルヴァンプレイスの2頭に不覚を取り、勝ったプリンスサウアートから3馬身半差の3着とまさかの敗退。デビューからの連勝は9で止まった。しかしウッドメモリアルS(GⅠ・D9F)では、サプリングSで本馬の3着だったワールズプレイグラウンドSの勝ち馬でローレルフューチュリティ3着のボンベイダックを頭差の2着に抑えて、1分48秒8のレースレコードタイで勝利を収め、ケンタッキーダービーの本命馬となった。
そして迎えたケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、ブルーグラスS・ルイジアナダービー・ドラグーンS・キンダーガーテンSの勝ち馬でブリーダーズフューチュリティ・ケンタッキージョッキークラブS2着のマスターダービー、デルマーフューチュリティ・サンハシントS・カリフォルニアダービーの勝ち馬でノーフォークS2着・サンタアニタダービー3着のディアボロ、サンタアニタダービー・ブラッドベリーSを勝ってきたアバター、シルヴァンプレイス、フロリダダービー勝利後に出走したブルーグラスSで3着してきたプリンスサウアート、ブルーグラスS2着・ルイジアナダービー3着のハニーマーク、ボンベイダック、ウッドメモリアルS3着のメディア、アーカンソーダービーを勝ってきたプロミストシティ、ダービートライアルSの勝ち馬でゴーサムS2着のラウンドステーク、ダービートライアルS2着馬ラッシングマン、ファウンテンオブユースS3着馬ガッチといった実力馬14頭を抑えて、単勝オッズ2.9倍の1番人気に支持された。
スタートが切られるとボンベイダックが先手を取り、本馬は後方待機策を採った。三角に入ってボンベイダックが失速すると、アバターとディアボロの2頭が抜け出して先頭に立ち、マスターダービーもそれを追って上がっていった。一方の本馬も、三角から四角にかけて馬群の間を上手くすり抜けて進出してきた。そして直線に入ると、先頭のアバターとディアボロが叩き合いながら伸び、後方から本馬とマスターダービーが追いかける展開となった。残り1ハロン地点でよれてアバターに接触したディアボロは失速して脱落。マスターダービーも伸びを欠き、逃げるアバターと追いすがる本馬の一騎打ちとなった。しかしゴール前で本馬が突き抜けて、2着アバターに1馬身3/4差をつけて勝利した。
1962年のケンタッキーダービーで管理馬のライダンが1番人気に支持されながらもディサイデッドリーの3着に敗れた悔しい経験をしていたジョリー師にとっては、13年越しの夢が叶うケンタッキーダービー初制覇となった(後にジェニュインリスクで2勝目を挙げる)。ジョリー師はレース後のスポーツ・イラストレイテッド誌のインタビューに応えて「実際にやってみないことには結果が分からないのがスポーツというものですが、今回のレースに限っては、他馬が何をどうしようともフーリッシュプレジャーのほうが上だったと思います」と述べた。
次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、前走より出走馬が少し減って10頭立てとなったが、アバター、前走3着のディアボロ、同4着のマスターダービー、同5着のメディア、同6着のプリンスサウアート、同8着のボールドシャポーといったケンタッキーダービー組の他に、ゴーサムS・スウィフトS・ピーターパンSの勝ち馬シン、エルドラドHを勝ってきたネイティヴゲスト、ベルモントフューチュリティSの勝ち馬ジャストザタイム、アーカンソーダービー2着馬ボールドシャポーといった有力なケンタッキーダービー不参加組も参戦してきて、前走とほぼ同じレベルの争いとなった。スタートが切られると、アバターやメディアが先頭に立ち、1番人気に支持されていた本馬はやはり後方待機策を採った。三角手前で好位につけていた単勝オッズ24.4倍の7番人気馬マスターダービーが仕掛けて先頭に並びかけると、本馬も馬群の内を突いて上がってきた。そしてマスターダービーが先頭で直線に入ってきた。マスターダービーの後方外側から本馬は末脚を伸ばし、直線半ばではすぐにでも差し切るかのような勢いだったが、最後に内側によれてしまい、マスターダービーを捕まえるのに失敗して1馬身差の2着に敗れた。
次走のベルモントS(GⅠ・D12F)では9頭立てとなったが、マスターダービー、前走3着のディアボロ、同4着のプリンスサウアート、同5着のアバター、同6着のシン、同9着のジャストザタイムなどが出走してきた。ケンタッキーダービーで敗れた有力馬が挙ってプリークネスSとベルモントSの両方に参戦してくるのは意外と珍しい。本馬はここでも単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持された。スタートが切られると、ディアボロが先頭に立ち、本馬はやはり後方待機策を採った。快調に逃げていたディアボロだったが、四角に入ると脚色が衰え始めた。そこへ好位につけていたマスターダービーとアバターが差してきて、本馬もその後方からやってきた。そしてディアボロ、マスターダービー、アバターの3頭が横一線で直線に入り、その中からアバターが抜け出した。本馬は外側から必死に追いかけたのだが、首差届かずに2着に敗退した。
ラフィアンとのマッチレース
米国三冠競走で本馬は全て1番人気に支持されたが、勝ったのは結局ケンタッキーダービーのみとなり、米国三冠競走は全て異なる馬が制したことになった。その一方で3歳牝馬路線では、ラフィアンが相変わらず他馬を寄せ付けない圧倒的な強さを発揮しており、エイコーンS・マザーグースS・CCAオークスのニューヨーク牝馬三冠競走を10戦無敗のまま制して、“Queen of the Fillies(牝馬の女王)”など数々の異名で呼ばれていた。ニューヨーク競馬協会は、この年の米国三冠競走勝ち馬3頭を招いて行う“Race of Champions”なるレースを6月31日に実施する計画を既に発表していたが、当初はラフィアンが招待馬の中に含まれていなかった。そのために、米国三冠競走の勝ち馬3頭よりラフィアンのほうが強いのではと思っていた米ブラッドホース誌を始めとする各方面からニューヨーク競馬協会に対して、ラフィアンも参戦させるように圧力がかかり始めた。そこでニューヨーク競馬協会は、米国三冠競走勝ち馬3頭とラフィアンを招いて行うマッチレースを企画しようとした。しかしアバター陣営がこのマッチレース参戦を辞退したため、三冠競走の勝ち馬全てとラフィアンの対決は実現しなくなった。そこでニューヨーク競馬協会は、三冠競走の勝ち馬2頭とラフィアンの対戦よりも、ケンタッキーダービー馬である本馬とラフィアンの一騎打ちにしたほうが盛り上がると考え、マスターダービー陣営に詫びを入れた上で5万ドルを支払って辞退してもらった。
そのため、7月6日の日曜日にベルモントパーク競馬場ダート10ハロンで行われたのは、本馬とラフィアンの2頭による35万ドルを賭けたマッチレースだった。この2年前の1973年に、当時米国女子テニス界のトップ選手だったビリー・ジーン・キング夫人(四大大会優勝39回)が、四大大会優勝6回で元世界ランキングトップの男子選手ボビー・リグス氏と、通称“The Battle of The Sexes(性別間の戦い)”と称される男女対抗試合で勝利を収めていた(もっとも、当時55歳のリグス氏は既に第一線から引いていた身ではあったが)事もあり、それに引き続く性別を超えた戦い“The Great Match”として、この2頭の対決は大きく喧伝された。
当日のベルモントパーク競馬場には5万764人の大観衆が詰めかけ、全国中継されたテレビの視聴者は数百万人にも上った。両馬の主戦を務めていたヴァスケス騎手がラフィアンを選んだ影響もあってか、人気では単勝オッズ1.4倍のラフィアンの方が単勝オッズ1.9倍の本馬よりも上だったが、専門家の予想では牡馬である本馬のほうが有利とされていた。ただ、マッチレースは基本的に先手を取ったほうが有利とされており、過去10戦全て逃げ切り勝ちのラフィアンと、スタートが悪い本馬を比較すると、やはりラフィアンのほうが有利なのではないかという声もあった。そのため、ジョリー師はこのマッチレースに向けて、密かにスタートの特訓を本馬に課した。
この特訓が功を奏して、ブラウリオ・バエザ騎手鞍上の本馬は、過去1度も他馬にハナを譲ったことがないラフィアンを抑えてスタートダッシュに成功した。しかしラフィアンも内側からすぐさま本馬に並びかけてきた。ラフィアンが半馬身ほどリードし、本馬がその外側を追走するという形でレースは進んだ。2頭が激しく争ったために、最初の2ハロン通過が22秒2というハイペースとなった。しかし火を噴くような2頭の一騎打ちは、スタート後3ハロン半地点を通過した辺りで思わぬ形で終焉を迎えた。ラフィアンの走り方が突然おかしくなったかと思うと、次の瞬間にはバランスを崩して本馬にぶつかるようにして失速した。ラフィアンはしばらく惰性で走ったところで、鞍上のヴァスケス騎手が下馬して競走を中止。ベルモントパーク競馬場内が騒然とする中で、1頭だけとなってしまった本馬は歩くように静かにゴールした。
右前脚種子骨の粉砕骨折と診断されたラフィアンには即座に治療が施された。しかし骨折の程度はあまりにも重度であり、ギプスを壊すなど暴れて苦痛を訴えたラフィアンはこの翌日に安楽死の措置が執られた。こうして“The Great Match”は、最悪の形で決着したのである。なお、精神的ショックを受けたのか、ヴァスケス騎手は本馬に二度と騎乗することは無かった。
競走生活(3歳後半)
その後本馬は短期休養を取り、秋はアンヘル・コルデロ・ジュニア騎手を鞍上に、ガヴァナーS(GⅠ・D9F)から始動した。このレースには、ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯・サバーバンH・ワイドナーH2回・ブルックリンH2回とGⅠ競走で7勝を挙げた他にローマーH・ガルフストリームパークH・カーターH2回・ヴォスバーグH・セミノールH・ディスカヴァリーH・ドンHも勝っていた当時の米国古馬最強馬フォアゴーが参戦。さらには、チャールズHストラブS・カリフォルニアンS・ハリウッド金杯・イングルウッドS・マリブS・サンフェルナンドS・ロサンゼルスH・サンカルロスH・ホイットニーH・サンヴィンセントS・パロスヴェルデスHなどを勝っていた米国西海岸の強豪馬エインシャントタイトル、米国三冠競走が終わった頃から急激に頭角を現してモンマス招待H・トラヴァーズSとGⅠ競走を2連勝してきたワジマも参戦してした。1番人気に支持されたのは実績ナンバーワンのフォアゴーだったが、レースでは本馬とワジマの一騎打ちとなり、ワジマが本馬を頭差で抑えて勝利を収め、エインシャントタイトルが2馬身差の3着、フォアゴーがさらに3/4差の4着だった。もっとも、斤量はフォアゴーが134ポンド、エインシャントタイトルが130ポンド、本馬が125ポンド、ワジマは115ポンドであり、このレースだけで4頭の順位付けが出来るようなものではなかった。
次走のマールボロC招待H(GⅠ・D10F)でも、フォアゴー、エインシャントタイトル、ワジマとの対戦となった。フォアゴーの斤量は少し軽くなって129ポンド、エインシャントタイトルも少し軽くなって125ポンド、本馬も少し軽くなって121ポンドで、ワジマは少し重くなって119ポンドだった。これなら実力どおりの斤量設定だと思われたが、しかし今回はフォアゴーとワジマの一騎打ちとなり、ワジマがフォアゴーを頭差で抑えて勝利。エインシャントタイトルはさらに7馬身半差の3着、本馬はさらに2馬身半差の5着に沈んだ。この後、エインシャントタイトルは西海岸に帰った。ワジマとフォアゴーはウッドワードSに向かい、今度はフォアゴーがワジマを2着に破って勝利した。
一方の本馬はウッドワードSを回避してベルモントパーク競馬場ダート8.5ハロンの一般競走に向かった。しかし、ゴーサムS・オハイオダービー・ジェロームH・マサチューセッツH・ホーソーンダービーH・アクサーベンコーンハスカーHを勝っていた4歳馬ストーンウォークに鼻差敗れて2着。これが3歳時最後のレースとなり、この年の成績は11戦5勝(うちGⅠ競走3勝)だった。この年のエクリプス賞年度代表馬は9戦6勝(うちGⅠ競走4勝)のフォアゴー、最優秀3歳牡馬は12戦7勝(うちGⅠ競走4勝)のワジマが受賞し、この年の本馬はエクリプス賞では無冠だった(非業の死を遂げたラフィアンは最優秀3歳牝馬に選ばれている)。
競走生活(4歳時)
4歳時も現役を続け、2月にハイアリアパーク競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走から始動して、2着ダッシュボードに3馬身半差で順当勝ちした。次走のドンH(GⅡ・D7F)では129ポンドを背負いながらも、2着となったブリーダーズフューチュリティS・ミニッツマンHの勝ち馬パッカーキャプテンに3馬身半差で楽勝した。
次走はカナディアンターフH(GⅢ・T8.5F)となったが、初芝に戸惑っのか、それとも何か別の理由があったのか、スタートが切られた後に前方に走り出さずに尻込みしてしまった。それでもバエザ騎手の促しに応じて走り始めはしたが、129ポンドの斤量も響いて直線で伸びず、アップルトンHを勝ってきたステップフォワード、ハイアリアターフカップHを勝ってきたロードヘンハム、ウッドローンSの勝ち馬コネサバなどに屈して、勝ったステップフォワードから4馬身1/4差の8着に敗れた。
その後は初めて米国西海岸に向かい、6月にハリウッドパーク競馬場で行われたベルエアH(GⅡ・D9F)に出走した。しかし仏国から移籍してきたパース賞の勝ち馬でムーランドロンシャン賞・フォレ賞3着のリオインパリ、前走のカリフォルニアンSで2着してきたペイトリビュートの2頭に後れを取り、勝ったリオインパリから3馬身3/4差の3着に敗れた。2週間後のハリウッド金杯(GⅠ・D10F)では、リオインパリ、ペイトリビュートに加えて、前年のベルモントS勝利後に西海岸に戻ってサンルイレイSを勝ちサンフェルナンドSで2着していたアバター、そして前走のハリウッド招待Hで久々のGⅠ競走勝利を挙げていたキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2回・サンタラリ賞・愛オークス・ワシントンDC国際S・サンクルー大賞・ベンソン&ヘッジズ金杯2回・マンノウォーSの勝ち馬ダリアも参戦してきた。しかし本馬は上記4頭全てに後れを取り、勝ったペイトリビュートから6馬身半差の5着と完敗。西海岸では結果を出せないままニューヨーク州に戻ってきた。
次走のサバーバンH(GⅠ・D9.5F)では、前年のマールボロC招待H2着後にウッドワードS・メトロポリタンH・ナッソーカウンティHを勝っていたフォアゴーと3度目の対戦となった。フォアゴーには134ポンドが課せられ、本馬は125ポンドと9ポンドのハンデを貰った。そして本馬が2着フォアゴーを鼻差抑えて勝利したが、斤量差があっただけに、あまり威張れる勝利では無かった。
続くブルックリンH(GⅠ・D10F)でもフォアゴーと対戦。斤量は本馬が1ポンド増えて126ポンド、フォアゴーは前走と同じ134ポンドだった。結果はフォアゴーが2着となったカウディンS・ニューオーリンズH・ローズベンHの勝ち馬ロードリビュー(前走サバーバンHでは2着フォアゴーから首差の3着だった)に2馬身差で快勝し、本馬はロードリビューからさらに4馬身半差の3着。言い訳できない完敗だった。
その後はフォアゴーを避けるようにニューヨーク州を離れて、アーリントンパーク競馬場で行われたゴールデン招待H(D9F)に向かい、2着プロポネントに3馬身半差で快勝。この勝利で有終の美を飾ったかのように、陣営は本馬を4歳時8戦4勝の成績で競走馬から引退させた。
競走馬としての評価
本馬にはどうしても名牝ラフィアン最後の対戦相手という代名詞が付いて回る。本馬の名前を直訳すると「愚かなる楽しみ」である事、そして2頭のマッチレース以降に米国ではマッチレースが行われなくなった事などもそれに拍車をかけている。それはそれで仕方が無い事だろう。
ただし、本馬自身も相当な実力馬であった事も間違いない。本馬は2歳時の圧倒的な強さからして、やや早熟傾向があったように思われる事と、ラフィアンとのマッチレースで本馬も精神的なダメージを受けたかも知れない事(スタートからずっと競り合っていた相手が突然故障したら、馬は何を感じるだろうか。馬は繊細な生き物なのである。後の話になるが、1990年のBCディスタフで、バヤコアとゴーフォーワンドが事実上のマッチレースを演じたが、ゴーフォーワンドが骨折競走中止して悲劇的な結末になった事がある。このレースを勝ったバヤコアはその前までは殆ど無敵の快進撃を続けていたのが、その後は全く精細を欠いて敗戦続きで引退している。本馬と共通点があるような気がしてならない)を考えると、現役後半に振るわなかった事は責められないだろう。
血統
What a Pleasure | Bold Ruler | Nasrullah | Nearco | Pharos |
Nogara | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | |||
Mumtaz Mahal | ||||
Miss Disco | Discovery | Display | ||
Ariadne | ||||
Outdone | Pompey | |||
Sweep Out | ||||
Grey Flight | Mahmoud | Blenheim | Blandford | |
Malva | ||||
Mah Mahal | Gainsborough | |||
Mumtaz Mahal | ||||
Planetoid | Ariel | Eternal | ||
Adana | ||||
La Chica | Sweep | |||
La Grisette | ||||
Fool-Me-Not | Tom Fool | Menow | Pharamond | Phalaris |
Selene | ||||
Alcibiades | Supremus | |||
Regal Roman | ||||
Gaga | Bull Dog | Teddy | ||
Plucky Liege | ||||
Alpoise | Equipoise | |||
Laughing Queen | ||||
Cuadrilla | Tourbillon | Ksar | Bruleur | |
Kizil Kourgan | ||||
Durban | Durbar | |||
Banshee | ||||
Bouillabaisse | Blenheim | Blandford | ||
Malva | ||||
Becti | Salmon-Trout | |||
Mirawala |
父ワットアプレジャーはボールドルーラーの直子。血統的には非常に優れており、姉妹には1955年の米最優秀3歳牝馬ミスティモーンなど8頭のステークスウイナーがいて、甥には1964年の米最優秀2歳牡馬ボールドラッド(USA)、1966年の米最優秀2歳牡馬サクセッサー、ハリウッドダービーなどの勝ち馬イントレピッドヒーローなどがおり、近親には他にも数多くの活躍馬がいる。ワットアプレジャー自身も、ホープフルS・ナショナルスタリオンS勝ちなど18戦6勝の成績を残した活躍馬ではあったが、腰が悪かったために大成はできなかった。しかし種牡馬としては本馬の他にも活躍馬を多く出して成功。1975・76年には、本馬やもう1頭の代表産駒オネストプレジャーの活躍などにより、2年連続で北米首位種牡馬に輝いた。
母フールミーノットは現役成績17戦2勝。本馬がケンタッキーダービーを勝った1975年に17歳で他界している。本馬以外の活躍馬には恵まれなかったが、本馬の半姉ナウミーパチェ(父ハングオーバー)の牝系子孫がそれなりに発展し、ジャージーガール【エイコーンS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・テストS(米GⅠ)】、パージ【シガーマイルH(米GⅠ)】、ジャージータウン【シガーマイルH(米GⅠ)】などが出ている。
フールミーノットの母クアドリラはマルセル・ブサック氏が生産した仏国産馬で、現役時代はクインシー賞を勝ち、ジャックルマロワ賞で2着している。クアドリラの半弟にはアーガー【エクリプスS・クイーンアンS】がいる。
クアドリラの母ブイヤベースの全姉ビビサヒバの牝系子孫には、ハードツービート【仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)・仏ダービー(仏GⅠ)】、ミセスマカディー【英1000ギニー(英GⅠ)】、ボルジア【独ダービー(独GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)】、ボリアル【独ダービー(独GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)】、ジターノエルナンド【グッドウッドS(米GⅠ)・シンガポール航空国際C(星GⅠ)】、日本で走ったアドマイヤコジーン【朝日杯三歳S(GⅠ)・安田記念(GⅠ)】などが、ブイヤベースの半妹ブラの牝系子孫には、バグダッド【ハリウッドダービー・サンアントニオH】、ホワイトハート【チャールズウィッティンガムH(米GⅠ)・ターフクラシックS(米GⅠ)】、テンペラ【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)】などが、ブイヤベースの半妹ベラの牝系子孫には、トゥルーヴァージョン【VRCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・豪シャンペンS(豪GⅠ)・オーストラリアンギニー(豪GⅠ)】がいる。→牝系:F14号族②
母父トムフールは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は米国で種牡馬となり、複数の活躍馬を出して一定の成功を収めた。1992年に種牡馬を引退し、その後は米国ワイオミング州のホースシュー牧場で余生を送っていたが、1994年11月に蹄葉炎を発症したため、コロラド州立大学において22歳で安楽死の措置が執られた。その翌年1995年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第97位。
後継種牡馬としては、サンタアニタHの勝ち馬ファーマウェイを出したマーファ、BCディスタフの勝ち馬ビューティフルプレジャーやアーリントンミリオンの勝ち馬メッキーを出したモードリンが活躍したが、その後が続かずに現在は衰退傾向にある。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1978 |
Maudlin |
ボールドルーラーS(米GⅢ)・フォアゴーH(米GⅢ) |
1978 |
Prayers'n Promises |
スピナウェイS(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ) |
1980 |
Marfa |
サンタアニタダービー(米GⅠ) |
1980 |
Pleasure Cay |
バーバラフリッチーH(米GⅢ)・ベッドオローゼズH(米GⅢ) |
1980 |
Smart Style |
ロングブランチS(米GⅢ) |
1981 |
Sun Master |
エセックスH(米GⅢ)・カウントフリートスプリントH(米GⅢ)・ブージャムH(米GⅢ) |
1982 |
Foligno |
クリフハンガーH(米GⅢ) |
1982 |
Vin de France |
ジャックルマロワ賞(仏GⅠ) |
1983 |
Baiser Vole |
仏1000ギニー(仏GⅠ)・ロベールパパン賞(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ) |
1984 |
Market Control |
クイーンズプレート |
1985 |
Soft Machine |
グレフュール賞(仏GⅡ) |
1987 |
Filago |
オークツリー招待H(米GⅠ)・アーリントンH(米GⅡ) |
1989 |
Kiri's Clown |
ソードダンサー招待H(米GⅠ)・ニューハンプシャースウィープH(米GⅢ)2回・ニッカボッカーH(米GⅢ) |
1991 |
Grand Continental |
ジャイプールH(米GⅢ) |