サラゼン

和名:サラゼン

英名:Sarazen

1921年生

栗毛

父:ハイタイム

母:ラッシュボックス

母父:ボックス

1920年代の米国競馬界において最もスピードに優れた馬と評され、2年連続で米年度代表馬にも選ばれる

競走成績:2~7歳時に米で走り通算成績55戦27勝2着2回3着6回

誕生からデビュー前まで

本馬の最初の馬主フィル・T・チン大佐が米国ケンタッキー州に所有していたヒムヤースタッドにおいて、マリウス・E・ジョンストン博士という人物により生産された。体高は15ハンド程度と、牡馬としてはかなり小柄な馬であった。1歳時にタイムエクスポージャーという馬とセットで、合計2400ドルで購入されてフィル氏の所有馬となったが、気性が激しかったため、デビュー前に去勢されて騸馬となった。

競走生活(2歳時)

2歳時に競走馬としてデビューし、デビューから3連勝を飾った。この3戦で2着馬につけた着差の合計は14馬身半だった。その後フィル氏はヴァージニア・フェア・ヴァンダービルト夫人と交渉し、本馬を3万5千ドルで売却した(タイムエクスポージャーもフランク・ファーレル氏に1万5千ドルで売却されている)。後にフィル氏は「サラゼンには10万ドルの価値があった。3万5千ドルで売るなんて実に馬鹿なことをした」と悔やんだという。

ヴァンダービルト夫人のフェアステーブル名義となった本馬は、マックス・ハーシュ調教師の管理馬となった。所有者変更後最初の出走となった一般競走は、アール・サンデ騎手を鞍上に馬なりのまま4馬身半差で勝利。続くシャンペンS(D6.75F)でもサンデ騎手とコンビを組み、やはり馬なりのまま2着アガカーンに2馬身差で勝利した。オークデールH(D6F)では127ポンドを背負わされたが、19ポンドのハンデを与えた2着サンパルに2馬身差で勝利。続くダート8ハロンの一般競走も勝利した。ローレルパーク競馬場で出たナショナルS(D5.5F)では、10ポンドのハンデを与えた2着ムーンスターに2馬身差で勝利。さらにローレルスペシャルS(D8F)も勝ち、古馬相手の馬齢重量戦だったピムリコフォールシリアルナンバー2(D8F)でも、プリークネスSで2着していた3歳馬ジェネラルサッチャーや、ローレルH・メリーランドH2回・エクセルシオールH・ブルックデールH・デラウェアHなどを勝っていた6歳馬ブレイゼズといった馬達を蹴散らして勝利した。

結局本馬は2歳時に10戦したが、その全てで勝利した。ただし、この年はハロルドS・シンシナティトロフィー・クイーンシティH・ケンタッキージョッキークラブSの勝ち馬ワイズカウンセラーや、サラトガスペシャルS・ベルモントフューチュリティSの勝ち馬セントジェームズといった、本馬よりさらに評価が高い馬(共に本馬とは2歳時に未対戦)がいたため、後年に選定された米最優秀2歳牡馬にはなれなかった(上記2頭が一緒に選ばれている)。

競走生活(3歳時)

3歳当初は体調不良が続いたため、有力視されていたケンタッキーダービーには出走できなかった。結局3歳初戦はジャマイカ競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走となったが、8ポンドのハンデを与えたブラカデールの2着に敗れて連勝は10でストップ。しかしプリークネスSやベルモントSなども回避して、さらに2か月の休養を経て復帰した後は再び強さを見せ始めた。

まずは7月のカーターH(D7F)に出て、2着ブレインストームに2馬身半差で逃げ切り勝利。同月末のフリートウィングH(D5.75F)は馬なりのまま、2着エイチティーウォーターズに3馬身差で勝利した。次走のマウントヴァーノンH(D8F)では本馬が不在のベルモントSを勝っていたマッドプレイとの対戦となったが、本馬がカーターHで3着に破っていたオーディナンスが勝利を収め、マッドプレイは3着、本馬は着外に敗れた。しかしワイズカウンセラーやトラヴァーズSの勝ち馬サンフラッグとの対戦となったサラナクH(D8F)では、スタートで出遅れながらも勝利した。続くヒューロンH(D9.5F)では、ローレンスリアライゼーションSの勝ち馬でトラヴァーズS2着のアガカーンに14ポンドのハンデを与える羽目になったが、不良馬場の中を先頭で走り抜けて、アガカーンを2着に破って勝利した。

次走のマンハッタンH(D8F)では、マッドプレイ、ジェロームHなどを勝っていた4歳馬チェリーパイとの対戦となった。この2頭より本馬のほうが重い斤量を課せられたが、それでも2着チェリーパイに1馬身差で勝利した。9月のフォールハイウエイトH(D6F)では135ポンドを課せられた上に、スタートで出遅れてしまい、ブリーダーズフューチュリティSの勝ち馬ワースモアとシャッフルアロングの同世代馬2頭に後れを取って、ワースモアの3着に敗れた。ただし、メトロポリタンH2回・ジョッキークラブ金杯2回・サバーバンH・トボガンH・クイーンズカウンティHを勝っていた米最優秀ハンデ牡馬マッドハター(4着)には先着した。

それから13日後のアルヴァーンH(D6F)では、ワースモアに加えて、ケンタッキーダービー・ベルモントS・ウィザーズS・ローレンスリアライゼーションS・クイーンズカウンティH・英ダービー馬パパイラスとのマッチレースを勝っていた前年の米年度代表馬ゼヴとの対戦となったが、本馬がゼヴの追撃を鼻差抑えて勝利した。

翌10月には同年に行われていた国際競走インターナショナルスペシャルの第3戦(D10F)がラトニア競馬場で行われ、本馬もこのレースに参戦した。本馬の他にも、マッドプレイ、ケンタッキーオークス・CCAオークスの勝ち馬プリンセスドリーン、この年のジョッキークラブ金杯を勝ってきたマイプレイ、翌年のジョッキークラブ金杯の勝ち馬アルタウッド、トラヴァーズS・マンハッタンH2回・ブルックリンHの勝ち馬リトルチーフ、本馬が不在のケンタッキーダービーでブラックゴールドの2着に入ったチルホウィー、そしてこの国際競走の最大の目玉として招待されていた、仏グランクリテリウム・フォレ賞・クリテリウムドメゾンラフィット・イスパーン賞を勝っていた仏国の歴史的名馬エピナードが参戦していた。今まで短距離戦ばかり走ってきた本馬にとっては10ハロンという距離は長いのではないかと多くの人は思ったという。レースではチルホウィーがスタートから先手を取ったが、残り4ハロン地点で本馬がチルホウィーを捕らえて先頭に立ち、そのまま2分00秒8のコースレコードを樹立して勝利。2着エピナード、3着マッドプレイなど後続馬達は鼻差の接戦を演じたが、本馬のみが1馬身半抜け出すという余裕の走りだった。ハーシュ師は、自分が生涯見た中でもこのレースが最もスリリングだったと語っている。

次走のメリーランドH(D10F)では、グレートアメリカンSの勝ち馬ラスティックとの叩き合いを制して頭差で勝利した。3歳時最後の出走となったワシントンH(D10F)では、疲労が溜まっていたのか、勝ったビッグブレイズから1馬身半差の5着に敗れた。しかし3歳時は12戦8勝2着1回3着1回の好成績で、後年になってこの年の米年度代表馬・最優秀3歳牡馬に選出された。なお、前年に本馬を3万5千ドルで購入したヴァンダービルト夫人は、この年の本馬の活躍で9万5640ドルを手にした。

競走生活(4~7歳時)

翌4歳時は重い斤量に悩まされることになったが、それでも勝ち星を積み重ねていった。5月のディキシーH(D9.5F)では130ポンドを課せられた上に、スタミナを余計に消耗する不良馬場となったが、それでも勝利した。7月のフリートウィングH(D5.75F)でも130ポンドを課せられたが、これも勝利を収めた。9月のアルヴァーンH(D6F)も130ポンドを背負わされたが、それでも勝利を収めた。10月のキャピタルH(D6F)では132ポンドを課せられた。このレースにはワイズカウンセラーも出走しており、やはり130ポンドという厳しい斤量を課せられていた。しかしここではワイズカウンセラーが勝利を収め、112ポンドの軽量馬シングルフット(ウォルデンSの勝ち馬でベルモントフューチュリティS・グレートアメリカンSで2着していたから決して弱い馬では無い)にも後れを取った本馬は3着に敗れた。しかし11月に出たガズデンDブライアン記念H(D8F)では、126ポンドと比較的斤量に恵まれた事もあり、プリンセスドリーンを破って、1分40秒4のコースレコードを計時して勝利した。4歳時は10戦5勝3着1回の成績を残し、後年になって2年連続の米年度代表馬と、最優秀ハンデ牡馬騙馬に選出された。

しかしこの時期から本馬はレースで集中力を欠き、スタートで出遅れることも以前より多くなってくる。ハーシュ調教師も試行錯誤を繰り返したが、改善されなかった。それでも本馬の競走能力自体が目立って減退したわけではなく、ディキシーH(D9.5F)では128ポンドを背負いながらも、1870年の創設から2015年現在まで続く同競走史上最初で最後となる2連覇を果たし、同レース優勝馬の名前が刻まれるアナポリスサブスクリプションプレート(メリーランド競馬クラブから授与されるトロフィーで、その由来は18世紀半ばまで遡り、米国競馬界において最も古いトロフィーである)に名前が2回刻印された唯一の馬となった。

さらに129ポンドが課せられたメトロポリタンH(D8F)も勝利した。この年は他にもマウントヴァーノンH(D8F70Y)を勝ち、ローレルS(D8F)でクロイデンの2着、コンチネンタルH(D8.5F)でカタランの3着などの結果を残した。5歳時の成績は14戦4勝2着1回3着1回で、後年になって米最優秀ハンデ牡馬騙馬に選ばれた。

しかし6歳以降は結果を残すことが出来ず、6歳時は4戦未勝利3着1回、7歳時も5戦未勝利3着2回に終わり、現役を退いた。

馬名は米国のプロゴルファーだったジーン・サラゼン(史上初めてマスターズトーナメント・全米オープン・全英オープン・全米プロゴルフ選手権の世界4大メジャー大会を全て制した名選手)にちなんでいる。

血統

High Time Ultimus Commando Domino Himyar
Mannie Gray
Emma C. Darebin
Guenn
Running Stream Domino Himyar
Mannie Gray
Dancing Water Isonomy
Pretty Dance
Noonday Domino Himyar Alarm
Hira
Mannie Gray Enquirer
Lizzie G
Sundown Springfield St. Albans
Viridis
Sunshine Thormanby
Sunbeam
Rush Box Box Order Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Angelica Galopin
St. Angela
Pandora Rayon d'Or Flageolet
Araucaria
Blue Grass Belle War Dance
Ballet
Sallie Ward Singleton St. Simon Galopin
St. Angela
Field Azure Bend Or
Falaise
Belle Nutter Faraday Himyar
Miss Austine
Sarah F Wagner
Slipalong

父ハイタイムはドミノの2×3×3という非常に強い近親配合で産まれた馬。強すぎるインブリードの影響なのかは不明だが、競走馬としては7戦してハドソンSの1勝のみに終わった。もっとも、そのハドソンSではアケダクト競馬場ダート5ハロンのコースレコード58秒4を計時している。他にグレートアメリカンSでも3着するなど、優れたスピード能力の持ち主ではあった。種牡馬としてはかなりの成功を収め、北米種牡馬ランキング20位以内に12回も入り、1928年には北米首位種牡馬に輝いた。1936・40年には北米母父首位種牡馬にもなっている。ハイタイムの父アルティムスは不出走馬だが、種牡馬としては父コマンドの後継として活躍した。ハイタイムと同様、ドミノの2×2という凶悪なインブリードを有している。ドミノの血が非常に濃くて血統的には明らかにスタミナ不足だった本馬が9~10ハロンの距離でも他馬を薙ぎ倒すのを見た、当時の米国きっての名馬産家ジョン・E・マッデン氏は「この状況では、そのうちクォーターホースがサラブレッドを破る日が来るかもしれません。そうなったら、私は馬の生産を止めます」と言って嘆いたという。

母ラッシュボックスは不出走馬であり、所有者だったジョージ・コーレイ氏という人物の農耕用馬として使役されていたらしい。もっとも、血統的には曽祖父にベンドアレヨンドールセントサイモンといった英国屈指の名馬・名種牡馬の名前が連なっており、優秀な馬を産むだけの背景は有していたと評されている。

ラッシュボックスは、その牝系先祖を100年以上遡っても活躍馬の名前が出てこないという貧弱な牝系の出身だったが、本馬の全妹ザッツザットが後継繁殖牝馬として活躍し、ラッシュボックスの牝系子孫を21世紀まで伸ばすことに成功している。ザッツザットの子にはナウワット【アーリントンラッシーS・デモワゼルS】が、孫には1950年の米最優秀3歳牝馬及び1952年の米最優秀ハンデ牝馬であるネクストムーヴ【CCAオークス・ベルデイムH2回・プライオレスS・ガゼルH・レディーズH・ヴァニティH・ラスフローレスH・フィレンツェH】、マディーグリーノック【ハリウッドジュヴェナイルCSS】が、曾孫にはグッドムーヴ【スピナウェイS・セリマS】が、玄孫世代以降には、スルーシティースルー【ガルフストリームパークH(米GⅠ)・オークローンH(米GⅠ)】、加国三冠馬ピートスキ【クイーンズプレート・加プリンスオブウェールズS・ブリーダーズS】、ミエスク【BCマイル(米GⅠ)2回・英1000ギニー(英GⅠ)・仏1000ギニー(仏GⅠ)・サラマンドル賞(仏GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)2回・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)・イスパーン賞(仏GⅠ)】、キングマンボ【仏2000ギニー(仏GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅠ)・ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ)】、イーストオブザムーン【仏1000ギニー(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)】、シックスパーフェクションズ 【BCマイル(米GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)】、ランプルスティルトスキン【モイグレアスタッドS(愛GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)】、グッドババ【香港マイル(香GⅠ)3回・チャンピオンズマイル(香GⅠ)・香港スチュワーズC2回・クイーンズシルヴァージュビリーC】、カラコンティ【BCマイル(米GⅠ)・ジャンリュックラガルデール賞(仏GⅠ)・仏2000ギニー(仏GⅠ)】、日本で走ったトーヨーシアトル【東京大賞典(GⅠ)】、ミラクルレジェンド【JBCレディスクラシック2回】、ローマンレジェンド【東京大賞典(GⅠ)】、リアルスティール【ドバイターフ(首GⅠ)】などがいる。→牝系:F20号族②

母父ボックスはカーターHなどに勝ち、メトロポリタンHで2着している。その父オーダーはベンドア産駒の英国産馬で、米国に輸入されているが、競走馬としての経歴は不明である。

競走馬引退後

競走馬を引退た本馬はトム・ピアット氏が所有する米国ケンタッキー州ブルックデールファームに繋養され、1940年12月に19歳で他界するまで同地で静かな余生を過ごした。1957年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第92位。

TOP