和名:ギャロレット |
英名:Gallorette |
1942年生 |
牝 |
栗毛 |
父:チャレンジャー |
母:ギャレット |
母父:サーギャラハッド |
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スタイミーを始めとする強豪牡馬を相手に米国古馬ハンデ路線で頑健に走り続け、米国調教師間の投票において米国競馬史上最も偉大な牝馬に選ばれる |
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競走成績:2~6歳時に米で走り通算成績72戦21勝2着20回3着13回 |
誕生からデビュー前まで
米国メリーランド州グレードバレーファームにおいて、母ギャレットの所有者だったプレストン・M・バーチ調教師により生産された。バーチ師はギャレットに種牡馬チャレンジャーを交配させるに際して、チャレンジャーの所有者だったウィリアム・L・ブラン氏と協定を結び、チャレンジャーとギャレットの間に最初に産まれた子はブラン氏の所有馬、次に産まれた子はバーチ師の所有馬といったように、交互に産駒を所有する事にした。本馬はチャレンジャーとギャレットの間に最初に産まれた子だったため、ブラン氏の所有馬となり、エドワード・A・クリスマス調教師に預けられた。本馬は身体が大きく、脚がひょろ長かった(成長すると体高16.25ハンドになった)ため、当初は走り方が不器用であり、なかなかデビューすることが出来なかった。
競走生活(2歳時)
2歳9月にローレル競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビューして3着。その後もローレル競馬場で走り続け、前走から6日後に出走したダート5.5ハロンの未勝利戦を2着ウォートロフィーに2馬身差で勝ち上がり、さらに8日後に出走したダート6ハロンの一般競走を2着ランバッドランに6馬身差で圧勝した。さらに6日後にはメリーランドフューチュリティ(D6F)に出走したが、ペティーディーの鼻差2着に惜敗。それから5日後に出走した一般競走では、2着ウェットストーンに5馬身差で快勝。
そしてセリマS(D8.5F)に出走した。このレースではメイトロンSなどを勝っていたブッシャーとの対戦となったが、勝ったブッシャーから5馬身半差、2着エースカード(米年度代表馬ワンカウントの母)からも2馬身半差の3着と完敗した。その後は一間隔空けてピムリコ競馬場に向かい、ダート6ハロンの一般競走に出走したが、後にコレクションH・クイーンイサベラH・サンタマルガリータHを勝つモンスーンの半馬身差2着に惜敗。次走の一般競走もブルークフィールドの3馬身半差2着に敗れ、2歳時を終えた。2歳時の成績は8戦3勝着外無しと堅実なものだったが、ステークス競走の勝ちは無く、「優秀だが派手さは無い」と評された。
競走生活(3歳前半)
3歳時は5月にジャマイカ競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走から始動。後のケンタッキーダービー馬フープジュニアなどの牡馬勢が対戦相手となったが、本馬が2着ハイテムに1馬身3/4差で勝利を収めた。次走も牡馬相手の分割競走ウッドメモリアルS(D8.5F)となり、ユースフルSの勝ち馬ジープの2馬身差2着と健闘。ウッドメモリアルSで牝馬が入着したのは、1937年に3着したジュエルドーセット以来8年ぶり史上2度目だった。
次走はケンタッキーダービーではなく牝馬相手のエイコーンS(D8F)となった。このレースを2着モンスーンに1馬身半差で勝利して、ステークス競走初勝利を挙げた。それから9日後に出走したピムリコオークス(D8.5F)では、エイコーンSで3着だったレシーを3/4馬身差の2着に抑えて勝利。着差は小さかったが内容的には楽勝であり、鞍上のジョージ・ウルフ騎手をして「(同日に同競馬場で行われたプリークネスSでフープジュニアを2着に破って勝利した)ポリネシアンより強い勝ち方でした。仮にギャロレットとポリネシアンが同じ競走で戦う事になり、私がいずれかに乗る事になったら、私はギャロレットに乗りたいです」とまで言わしめた。
それから12日後にはデラウェアオークス(D9F)に出走した。このレースではCCAオークス馬エルピスとの対戦となった。レースは本馬とエルピスが逃げ馬を見るように先行し、向こう正面では早くも2頭が先頭に立っていた。そして並んで直線を向いたが、本馬鞍上のエディ・アーキャロ騎手が合図を送ると本馬がエルピスを引き離し、エルピスを3馬身差の2着、モンスーンをさらに半馬身差の3着に下して勝利した。この後の本馬は牝馬限定戦にはあまり出走せず、牡馬相手の戦いがメインになっていく。なお、この時期にブッシャーは米国西海岸を主戦場としていたために本馬と顔を合わせる機会は無く、結局米国競馬史上有数の名牝である本馬とブッシャーの直接対決は、2頭が同世代だったにも関わらず前年のセリマSの1度きりだった。
競走生活(3歳後半)
デラウェアオークスから16日後には、牡馬相手の定量戦ドワイヤーS(D10F)に出走。結果はベルモントSで2着してきたワイルドライフの鼻差2着と惜敗し、1887年に創設された同競走史上初の牝馬制覇は惜しくも逃した(2015年現在、同競走を牝馬が勝った例はない)。それから7日後には、エンパイアシティS(D9.5F)に出走。このレースには、ベルモントS・サラトガスペシャルS・ベルモントフューチュリティS・ホープフルS・ユナイテッドステーツホテルS・グランドユニオンホテルSを勝っていた前年の米最優秀2歳牡馬パヴォットという強敵が出走していた。しかし本馬がパヴォットを3/4馬身差の2着に破って勝利し、米国東海岸最強牝馬との評価を得た。
しかし1か月後のジャージーH(D9F)では、ホイットニーSの勝ち馬トライメノウの2馬身3/4差5着に敗退。次走となった新設競走ディスカヴァリーH(D9F)も、ウォージープの7馬身差7着に敗れた。次走のピムリコ競馬場ダート8.5ハロンのハンデ競走でも、サルヴォ、ポリネシアンなどに屈して、サルヴォの3馬身差5着に敗退。
続くウエストチェスターH(D9.5F)では、この年にようやく頭角を現し始めていた4歳牡馬スタイミーとの初対戦となった。斤量差は8ポンドと、一般的な牡馬と牝馬の斤量差よりやや大きい程度だったが、結果はスタイミーが2着となったジェロームH・ヴォスバーグHの勝ち馬バズファズ(ジャージーH2着・ディスカヴァリーH3着といずれも本馬に先着していた)を頭差抑えて勝利を収め、本馬は4馬身差の4着に敗れた。次走のピムリコ競馬場ダート9ハロンのハンデ競走では、これまた頭角を現し始めていた4歳騙馬アームドとの対戦となった。アームドの130ポンドに対して、本馬は113ポンドとかなりのハンデを貰ったが、それでもアームドの1馬身3/4差3着に敗れた。次走のピムリコスペシャルS(D9.5F)では、スタイミー、アームド、ポリネシアン、マサチューセッツH2回・グレイラグH・クイーンズカウンティHなど数々のハンデ競走を制したファーストフィドルといった、当時を代表する強豪牡馬騙馬勢が勢揃いした。本馬はポリネシアン(6着)には先着したが、他の3頭に敗れて、アームドの7馬身1/4差4着に終わった。
本馬が牡馬相手に苦戦を強いられている頃、同期のブッシャーは牝馬路線で勝ちまくっており、しかもワシントンパークHでアームドを撃破していた。そのために3歳時点では本馬よりブッシャーの方が評価は高く、本馬はやや影が薄い存在だった。結局3歳時の本馬はピムリコスペシャルSが最後のレースとなり、この年の成績は13戦5勝だった。年度表彰においても、米年度代表馬・米最優秀ハンデ牝馬まで獲得したブッシャーに米最優秀3歳牝馬のタイトルもあっさりと持っていかれてしまい、本馬は無冠だった。
競走生活(4歳時)
しかし4歳になるとブッシャーが故障のため戦線離脱し、本馬が代わって表舞台に躍り出ることになる。まずは4月のエクセルシオールH(D8.5F)から始動したが、ここではアメリカンダービーの勝ち馬ファイティングステップの5馬身半差4着。次走のグレイラグH(D9F)では、スタイミー、ファイティングステップ、一昨年のベルモントSの勝ち馬バウンディングホームなどが出走してきた。結果は本馬より13ポンド重い斤量を背負っていたスタイミーが勝ち、本馬は7馬身1/4差の4着に敗退。
このように当初は牡馬相手に苦戦が続いていた本馬だったが、しかしポリネシアンやファーストフィドルとの対戦となったメトロポリタンH(D8F)では、110ポンドの軽量にも恵まれて2着サーデに鼻差で勝利を収め、1928年のニンバ以来18年ぶり史上4頭目の牝馬制覇を果たした。
それから13日後に同コースで出走したハンデ競走も、2着マームーデスに2馬身差で勝利した。しかし珍しく牝馬限定競走に出たトップフライトH(D8.5F)では、128ポンドを背負わされてしまい、シシリーの2馬身3/4差5着に敗れた。その後はデラウェアパーク競馬場ダート8.5ハロンの一般競走に出走。斤量は120ポンドで前走より随分と軽くなった事もあり、2着となった牡馬ウォートロフィーに1馬身1/4差で勝利した。次走のサセックスH(D10F)でもパヴォットの2馬身差2着と好走し、3着スタイミーに初めて先着した。
次走のブルックリンH(D10F)では、先行した本馬と後方から来たスタイミーとの一騎打ちとなった。直線で2頭が大激戦を繰り広げ、いったんはスタイミーが前に出たが、ゴール直前で本馬が差し返して首差で勝利した。このレースは本馬の生涯最高のレースと言われている。ブルックリンHを牝馬が勝ったのは、1902年のレイナ、1906年のトカロンに次いで40年ぶり史上3頭目の快挙だった。
その後はマサチューセッツH(D9F)で、パヴォットの3馬身3/4差3着。バトラーH(D9.5F)ではスタイミー(3着)には先着したが、コースレコードで走破したウッドメモリアルS・ジャージーH・ピーターパンSの勝ち馬ラッキードロウの頭差2着に惜敗。ウィルソンS(D8F)では、ラッキードロウ(3着)、ポリネシアン(4着)、スタイミー(5着)には先着したが、パヴォットの首差2着に惜敗した。次走のサラトガ競馬場ダート8ハロンの一般競走では、キングドルセットの5馬身3/4差3着最下位(スタイミーが2着)に終わった。しかし次走のベイショアH(D7F)では、キングドルセットを首差2着に、ポリネシアンを3着に撃破して勝利した。エッジメアH(D9F)では、勝ったスタイミーに1馬身半差まで迫る2着と好走した。なお、この時期の本馬はスタイミーやポリネシアンより重い斤量を課される事があり、それでも互角に戦ったわけであるから、本馬の競走能力はスタイミーやポリネシアンと互角かそれ以上であった。
牝馬限定戦のベルデイムH(D9F)では126ポンドの斤量で、しかも分割競走となって出走馬が手薄になったとは言え、前年の同競走勝ち馬ウォーデートなどが相手となったが、それでも2着ウォーデートに半馬身差で勝利した。しかしその後はさすがに疲労が出たのか、次走の新設競走サイソンビーS(D8F)では、勝ったラッキードロウから12馬身も離された2着に敗退(ウォーデートが3着)。トレントンH(D9F)は、勝ったタービンから8馬身3/4差の8着(ポリネシアンが2着)と大敗。ウエストチェスターH(D9.5F)では、この年の米国三冠馬アソールトとの初対決となったが、アソールトが2着ラッキードロウに2馬身差で勝利を収め、本馬はアソールトから9馬身差をつけられた6着最下位に敗退。このレースを最後に休養入りした。4歳時の成績は18戦6勝で、この年の米最優秀ハンデ牝馬に選出された。
競走生活(5歳時)
5歳時は4月にジャマイカ競馬場で行われたダート6ハロンのハンデ競走から始動。ポリネシアンから9ポンドのハンデを貰ったが、この距離ではポリネシアンの方が上手で、本馬はポリネシアンの5馬身差4着に敗れた。それから7日後に出走したエクセルシオールH(D8.5F)も、前年のヴォスバーグHを勝っていたコインシデンス、ポリネシアンなどに屈して、コインシデンスの8馬身半差5着に完敗。前年勝ったメトロポリタンH(D8F)もスタイミーの2馬身差3着に敗れた。
しかし5歳4戦目のクイーンズカウンティH(D8.5F)では、スタイミーを首差2着に抑えて勝利した。次走のカーターH(D7F)では、リッピーの3馬身1/4差3着。翌7月のジャマイカ競馬場ダート8.5ハロンのハンデ競走では、128ポンドを課せられたが、20ポンドのハンデを与えた2着ケイギブソンに1馬身1/4差で勝利した。次走のバトラーH(D9.5F)では、アソールト、スタイミーとの対戦となった。斤量は本馬が117ポンド、スタイミーが125ポンド、アソールトは134ポンドだったが、結果はアソールトがスタイミーを頭差抑えて勝ち、本馬はスタイミーから1馬身半差の3着と、ハンデキャッパーの慧眼通りの結果となった。
次走のモンマスパークH(D10F)は、ラウンドビューの8馬身半差3着(ちなみに本馬と最後の対戦となったポリネシアンが4着で、2頭の対戦成績は本馬の5勝4敗だった)。アソールトもスタイミーもポリネシアンも不在だったウィルソンS(D8F)では、1分35秒4のコースレコードを樹立して、2着ホーンビームに1馬身1/4差で勝利した。その5日後にはホイットニーS(D10F)に出走し、マンハッタンHの勝ち馬リコモンテの頭差2着と惜敗(スタイミーは3着最下位)。次走のサラトガH(D10F)でも、リコモンテの首差2着に惜敗した。
次走のアケダクトH(D8.5F)では、スタイミーに加えて、この年もモリーピッチャーH・デラウェアHを勝つなど活躍していた同世代のCCAオークス馬エルピス、デラウェアH・ガゼルH・ベルデイムH・ローマーHを勝って前年の米最優秀3歳牝馬に選ばれていた同父馬ブライダルフラワーも参戦してきて、古馬最強のスタイミーに牝馬勢が挑む構図となった。しかし132ポンドを背負っていたスタイミーが勝ち、本馬は10ポンドのハンデを貰いながらも半馬身差の2着に敗れた。次走のエッジメアH(D9F)でも、スタイミー、前走3着のエルピス、同4着のブライダルフラワーとの対戦となった。しかし結果はエルピスがスタイミーを1馬身半差の2着に抑えて勝ち、本馬はエルピスから4馬身差をつけられた4着最下位に敗れた。続いて出たベルデイムS(D9F)は前年に引き続き分割競走となったが、今年はCCAオークスで3着していた3歳牝馬スノーグースの2馬身半差2着に敗れた。
次走のレディーズH(D12F)では、スノーグースに加えて、分割競走ベルデイムSのもう1戦を勝ってきたバットホワイノットとの対戦となった。バットホワイノットはエイコーンS・ピムリコオークスS・アラバマS・アーリントンメイトロンSに加えて牡馬相手のアーリントンクラシックSも勝っていた男勝りの名牝だった。しかし結果はスノーグースが2着バットホワイノットに5馬身差をつけて圧勝し、本馬はさらに1馬身差の3着に敗退した。スカースデールH(D8.5F)では、スタイミー(6着)、ケンタッキージョッキークラブS・ガーデンステートS・ジャージーHなどの勝ち馬ダブルジェイ(3着)には先着したが、ウィズプレジャーの2馬身差2着に敗れた。ウエストチェスターH(D9.5F)では、ウィズプレジャー、ブライダルフラワーとの対戦となったが、ブライダルフラワーが勝利を収め、本馬は2馬身半差の5着に敗退。ブライアン&オハラ記念H(D9.5F)でもインクラインの3/4馬身差2着に敗れ、結局シーズン終盤は9連敗で終わってしまった。5歳時は18戦3勝の成績で、米最優秀ハンデ牝馬のタイトルも逃した(バットホワイノットが米最優秀3歳牝馬共々受賞)。
競走生活(6歳時)
5歳時までに既に57戦を消化していた本馬はそろそろ引退してもおかしくなかったのだが、6歳時も現役を続行した。まずは前年と同じく4月にジャマイカ競馬場で行われたダート6ハロンのハンデ競走で復帰した。この復帰戦はリッピーの首差2着だったが、6日後に出たジャマイカ競馬場ダート8.5ハロンの一般競走を2着カルヴァドスに3/4馬身差で制して、久しぶりの勝利を挙げた。
次走の新設牝馬限定競走フィレンツェH(D8.5F)は、キャロラインエーの2馬身半差2着。ギャラントフォックスH(D9.5F)では、前年のプリークネスS・フラミンゴS・ブルーグラスS・ウィザーズSの勝ち馬フォールトレス、前年のアメリカンダービー・ピムリコスペシャルの勝ち馬ファーヴェントという2頭の4歳牡馬に屈して、フォールトレスの半馬身差3着と惜敗(スタイミーは5着)。メトロポリタンH(D8F)では、スタイミーの3馬身3/4差4着に敗れた。トップフライトH(D8.5F)では、牡馬相手のハリウッドダービーを筆頭にサンタマリアH・シネマH・ハリウッドオークスH・ヴァニティHを勝っていたハネムーン(名牝ダリアの母父ハニーズアリバイの母)、スカイラヴィルS・ピムリコオークス・テストを勝っていたレッドシューズの2頭に屈して、ハネムーンの5馬身差3着に終わった。しかしカーターH(D7F)では、前年の同競走勝ち馬リッピーを頭差の2着に抑えて勝利した。
スタイミーとの最後の対戦となったブルックリンH(D10F)では、5ポンドのハンデを与えた4歳牝馬コナイヴァーの頭差2着に敗れたが、3着スタイミーには3馬身先着した。さらにウィルソンS(D8F)では、2着マウントマーシーに1馬身1/4差、3着となったテストSの勝ち馬ミスディスコ(ボールドルーラーの母)にはさらに4馬身差をつけて勝利を収め、2連覇を達成。次走のホイットニーS(D10F)も2着ロイヤルレギオンに3/4馬身差で勝利を収め、1937年のエスポサ以来11年ぶり史上4頭目の牝馬制覇を果たした。
次走のサラトガH(D10F)では、ロイヤルレギオンの5馬身3/4差5着に敗退。ベルデイムH(D9F)では、コナイヴァー、この年のサバーバンHを勝っていた前年のCCAオークス馬ハーモニカの2頭に屈して、コナイヴァーの4馬身差3着に敗退。ヴォスバーグH(D7F)では、この年のメトロポリタンH2着馬コロサル、アーリントンフューチュリティなどの勝ち馬スパイソング、ベルモントフューチュリティS・メイトロンS・モンマスオークスなどを勝っていた一昨年の米最優秀2歳牝馬ファーストフライトなどに敗れて、コロサルの4馬身3/4差6着に終わった。レディーズH(D12F)では、ハネムーン(3着)やコナイヴァー(5着)には先着したが、この年の米最優秀3歳牝馬に選ばれるデラウェアオークスなどの勝ち馬ミスリクエストの4馬身差2着に敗れた。そしてクエスチョネアーH(D8.5F)でドナーの9馬身差9着に終わったのを最後に、6歳時15戦4勝の成績を残して遂に競走馬を引退した。この年の米最優秀ハンデ牝馬の座はコナイヴァーに奪われたため、本馬は米国競馬の年度表彰においては、4歳時に米最優秀ハンデ牝馬を受賞しただけに終わった。
競走馬としての評価と特徴
本馬は勝率では同期のブッシャーには遠く及ばない(ブッシャーの勝率71%に対して、本馬は29%)が、当時の米国競馬は現在と異なり古馬牝馬路線が整備されておらず、古馬が出走可能な数少ない牝馬限定戦の賞金も安かった(デラウェアHの前身であるニューキャッスルHが牝馬限定戦として初の10万ドル競走となったのは本馬の競走馬引退後)ため、古馬牝馬は強豪牡馬との戦いを強いられていた。そんな状況下で多くの強豪牡馬相手に一歩も引かない戦いぶりを示した本馬は、当時から大きな人気を得ており、現在でも高い評価を受け続けている。特にスタイミーとは合計19度も顔を合わせ、対戦成績は本馬の9勝10敗と、ほぼ互角の勝負を繰り広げた。獲得賞金総額は44万5535ドルに達し、これはブッシャーの33万4035ドルを10万ドル以上更新する牝馬の北米賞金記録だった。
1955年に米国調教師協会がデラウェアパーク競馬場において実施した、米国競馬史上最も偉大な牝馬はどの馬かを決める調教師間の投票において、本馬は堂々の第1位にランクされた(2位以下は順に、トワイライトティアー、リグレット、トップフライト、ミスウッドフォード、ブッシャー、ベルデイム、プリンセスドリーン、ビウィッチ、インプ)。米ブラッドホース誌は本馬を評して曰く「彼女は大きな牝馬でした。同じレースで一緒に走った牡馬より大きかっただけでなく、それらの大半より頑健で、かつ速かったです」「彼女が走った年は、米国競馬史上において最もハンデ競走部門の奥が深い時期でした」との事である。
クリスマス師の元で本馬の馴致を担当したエディ・“コッキー”・シムス氏は、米ブラッドホース誌のインタビューに応じて「彼女は牡馬も含めたメリーランド州産馬の最高傑作でした。大きくて頑健でした。しかし、騎手が彼女にきちんとレースを教えるように騎乗していれば、50万ドルどころか100万ドルも夢ではなかったでしょう」と語っている。本馬に最も多く騎乗したのは4歳時に主戦を努めたJ・ジェソップ騎手で、彼は31回騎乗している。しかしとにかくひっきりなしに乗り代わりが発生しており、前走と違う騎手が騎乗した事例が何と42回(特に2歳後半から4歳始めまでは19戦連続で騎手が乗り代わっている)、本馬に騎乗経験がある騎手は16人もいるという有様だった。もし誰か優秀な騎手が一貫して本馬に騎乗していれば、シムス氏の言うようにもっと優れた結果を残した可能性が高い。
なお、本馬は身体こそ大きかったが、頭は良く、牝馬らしく振る舞ったという。サラトガ競馬場が得意だったのか、同競馬場では8戦してウィルソンS2連覇・ホイットニーS勝ちなど3勝2着3回3着1回の好成績を残している。
血統
Challenger | Swynford | John o'Gaunt | Isinglass | Isonomy |
Dead Lock | ||||
La Fleche | St. Simon | |||
Quiver | ||||
Canterbury Pilgrim | Tristan | Hermit | ||
Thrift | ||||
Pilgrimage | The Palmer | |||
Lady Audley | ||||
Sword Play | Great Sport | Gallinule | Isonomy | |
Moorhen | ||||
Gondolette | Loved One | |||
Dongola | ||||
Flash of Steel | Royal Realm | Persimmon | ||
Sand Blast | ||||
Flaming Vixen | Flying Fox | |||
Amphora | ||||
Gallette | Sir Gallahad | Teddy | Ajax | Flying Fox |
Amie | ||||
Rondeau | Bay Ronald | |||
Doremi | ||||
Plucky Liege | Spearmint | Carbine | ||
Maid of the Mint | ||||
Concertina | St. Simon | |||
Comic Song | ||||
Flambette | Durbar | Rabelais | St. Simon | |
Satirical | ||||
Armenia | Meddler | |||
Urania | ||||
La Flambee | Ajax | Flying Fox | ||
Amie | ||||
Medeah | Masque | |||
Lygie |
父チャレンジャーはシャルドンの項を参照。
母ギャレットは16戦して未勝利に終わった馬だが、その母フランベットはCCAオークスなどを勝ち8戦5勝の成績を残した名牝。本馬の全妹ギャラディアの子にはマーター【ジェロームH】が、同じく全妹ギャリタの子には本邦輸入種牡馬ナディア【アメリカンダービー】がいる他、ギャリタの牝系子孫には、ノーザンベイビー【英チャンピオンS(英GⅠ)】、マシャーラー【ミラノ大賞(伊GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)・愛セントレジャー(愛GⅠ)】、マークオブエスティーム【英2000ギニー(英GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)】、日本で走ったエイシンチャンプ【朝日杯フューチュリティS(GⅠ)】などがいる。
ギャレットの半姉フランビーノ(父ラック)【ガゼルH】の子にはフリーム【エイコーンS】、米国三冠馬オマハ【ケンタッキーダービー・プリークネスS・ベルモントS・ドワイヤーS・アーリントンクラシックS】、フレアズ【アスコット金杯・英チャンピオンS】の3姉弟がいる。また、ギャレットの全姉ラフランスの子には米国顕彰馬ジョンズタウン【ケンタッキーダービー・ベルモントS・ブリーダーズフューチュリティS・ウッドメモリアルS・ウィザーズS・ドワイヤーS】、孫にはファランクス【ベルモントS・ウッドメモリアルS・ドワイヤーS・ジョッキークラブ金杯】、牝系子孫にはディサイデッドリー【ケンタッキーダービー・モンマスH】、ダンチヒコネクション【ベルモントS(米GⅠ)・ピーターパンS(米GⅠ)】、レイヴンズパス【BCクラシック(米GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)】、ピュアクラン【アメリカンオークス(米GⅠ)・フラワーボウル招待S(米GⅠ)】、レインボービュー【フィリーズマイル(英GⅠ)・愛メイトロンS(愛GⅠ)】などがいる。→牝系:F17号族
母父サーギャラハッドは当馬の項を参照。父チャレンジャーと母父サーギャラハッドという組み合わせはシャルドンと同じである。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、12万5千ドルでマリー・A・ムーア夫人に購入され、彼女が所有していたヴァージニア州ハイホープファームで繁殖入りした。繁殖牝馬としては6頭の子を産んだが、初子の牝駒マドモワゼルロレット(父ラヴリーナイト)が母の名を冠したギャロレットHをコースレコードで勝つなど29戦6勝の成績を残したのが目立つ程度で、それほど成功したわけではなかった。しかし牝系子孫はかなり発展している。
まず、マドモワゼルロレットの曾孫世代からは、サクセスエクスプレス【BCジュヴェナイル(米GⅠ)】、グリーンウッドレイク【シャンペンS(米GⅠ)】、エアエクスプレス【クイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ)】、ウィットモアズコーン【ソードダンサー招待H(米GⅠ)】、日本で走ったマツフジエース【朝日杯三歳S】が出ている。
また、競走馬としては不出走だった2番子の牝駒ギャラムード(父マームード)は愛国で繁殖入りして、ホワイトグローヴズ【愛セントレジャー】の母となった。
一番本馬の牝系を発展させているのは、現役時代に愛国で走りウォーターフォードテスティモニアルS勝ちなど6戦2勝の成績を残し、引退後にムーア夫人の元へ戻って繁殖入りした5番子の牝駒カーベット(父ネイティヴダンサー)で、孫にミンストレラ【愛フェニックスS(愛GⅠ)・モイグレアスタッドS(愛GⅠ)・チェヴァリーパークS(英GⅠ)】がいる他、牝系子孫に2005年のエクリプス賞年度代表馬セイントリアム【BCクラシック(米GⅠ)・ドンH(米GⅠ)・スティーヴンフォスターH(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)】、バスターズレディ【マザーグースS(米GⅠ)】、ローリングフォグ【デルマーフューチュリティ(米GⅠ)】がいる。
本馬は1959年に17歳で他界し、1965年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第45位(牝馬ではラフィアン、ブッシャーに次ぐ第3位)。