ノヴェリスト

和名:ノヴェリスト

英名:Novellist

2009年生

鹿毛

父:モンズーン

母:ナイトラグーン

母父:ラグナス

キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを驚異的レコードタイムで圧勝し、独国調教馬としてデインドリームに続く2年連続の同競走制覇を達成

競走成績:2~4歳時に独伊仏英で走り通算成績11戦9勝2着1回

最近、独国調教馬の列伝を書く機会が増えてきた気がする。本馬の父モンズーンや祖父ケーニヒスシュトゥール、それに1歳年上のデインドリームの列伝を書いたのもそんなに昔の話ではない。それだけ独国調教馬のレベルが以前に比べて上昇している事の表れなのだろう。

誕生からデビュー前まで

独国人馬主のクリストフ・バルグラー博士により生産・所有された愛国産馬である。

1990年に友人のケルン競馬協会会長フリードリヒ・ロッシュ氏の勧めにより馬主となったバルグラー博士は、最初にナロラという1歳牝馬を購入した。ナロラは競走馬として3勝を挙げた後に繁殖入りした。バルグラー博士は机上の血統論に留まらない配合理論を持っており、ナロラの交配相手には血統的にも競走成績的にも独国とは縁もゆかりも無い種牡馬ナイトシフトを選んだ。

そして愛国で誕生した牝駒ネニュファールも母と同じく3勝を挙げた。ネニュファールの交配相手には、ナイトシフトと同じくノーザンダンサーの直系を父系に持ち、悲運の運命を辿った独国の歴史的名馬リールンクの半兄という母系背景を有する独ダービー馬ラグナスを選んだ(その翌年にはアカテナンゴを交配相手として選び、2005年の独ダービー2着馬ナイトタンゴを送り出している)。

そうしてネニュファールがラグナスとの間に産んだ牝駒ナイトラグーンは勝ち星こそ2勝だったが、そのうち1勝は独国のGⅢ競走ヴィンターケーニヒン賞だった。そして繁殖入りしたナイトラグーンの交配相手としてバルグラー博士が指名したのが、完全な独国血統ながら既に世界的名種牡馬としての名声を確立していたモンズーンだった。こうして誕生したのが本馬である。

アーリントンミリオンを勝った独国産馬シルヴァノやその父であるロミタス(デインドリームの父でもある)を手掛けた、独国が世界に誇る名伯楽アンドレアス・ヴェーラー調教師に預けられた。

競走生活(2・3歳時)

2歳8月にデュッセルドルフ競馬場で行われたサイオスレネン(T1500m)で、主戦となるパナマ出身のエドゥアルド・ペドロサ騎手を鞍上にデビュー。2着ワフィヤーに8馬身差をつける圧勝で鮮烈なデビュー戦を飾った。この時点で陣営は翌年の独ダービーを視野に入れていたようで、2歳時はこの1戦のみで休養入りした。

3歳時は4月にホッペガルテン競馬場で行われたビルケンシュタイン賞(T1600m)から始動した。そして単勝オッズ1.2倍という圧倒的な1番人気に応えて、2着コッローディに5馬身差をつけて圧勝した。

次走は5月の春季3歳賞(独GⅢ・T2000m)となり、単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持された。レースでは7頭立ての最後方を進み、直線に入るところで外側を通ってスパートを開始。残り300m地点で先頭に立ったところで左側によれて後続馬に差し返されそうになったが、残り200m地点で体勢を立て直すと二段階ロケットのような加速を見せ、2着エクスクイジットチャンピオンに6馬身差をつけて圧勝した。

3週間後の独2000ギニーには目もくれず、次走は5週間後のウニオンレネン(独GⅡ・T2200m)となった。ここでは単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持された。レースではやはり後方を進み、残り500m地点からスパートを開始。残り200m地点で先頭に立つとそのまま突き抜け、2着ミューニックボーイに5馬身差をつけて圧勝した。このレースには同年のオイロパ賞を勝つジローラモも出走していたが、ミューニックボーイから半馬身差の4着に終わった。

これで4戦全て5馬身差以上の圧勝とした本馬は独ダービー(独GⅠ・T2400m)の大本命となり、ウニオンレネンから3週間後の本番では単勝オッズ1.67倍という圧倒的な1番人気に支持された。ヘルツォークフォンラティボアレネン・バーヴァリアンクラシックとGⅢ競走で2着が2回あった同厩のダービートライアル勝ち馬ブラックアローが単勝オッズ6倍の2番人気、ダービートライアルで2着した後に伊ダービーを勝ってきたフォイアーブリッツが単勝オッズ9倍の3番人気と続いていた。

スタートが切られるとマノディアオやマカオといった馬達が先頭を引っ張り、ブラックアローは先行、フォイアーブリッツは中団、本馬は例によって後方からレースを進めた。そのままの体勢で直線に入ると残り400m地点で満を持してスパートを開始。しかし過去4戦で発揮したような他を圧倒する末脚ではなく(単に対戦相手のレベルが上がったからそう見えただけかもしれないが)、中団から抜け出して先に先頭に立っていたジローラモをかわしてようやく先頭に立ったのは残り70m地点だった。これで本馬の勝利と思われたのも束の間、単勝オッズ26倍の10番人気馬パストリアスが1頭だけ離れた大外を猛然と追い込んできた。そしてゴール直前でかわされて半馬身差の2着に敗れてしまった。文字どおりの大外強襲であり、本馬に乗っていたペドロサ騎手も負けたのが一瞬理解できなかったようである。

しかし本馬から短頭差の3着だったジローラモも含めて上位3頭は全てこの後にGⅠ競走を勝利する馬であり、かなりレベルが高い独ダービーではあった。負けたにも関わらずバルグラー博士は「これこそが競馬です!」とむしろ興奮していた。

ヴェーラー師は「今日のノヴェリストは少し覇気に欠けていたかもしれません」と語り、本馬を短期休養入りさせた。

そして2か月後のバーデン大賞(独GⅠ・T2400m)で復帰した。対戦相手は、ダルマイヤー大賞でGⅠ競走2勝目を挙げてきたパストリアス、ジローラモ、ハンザ賞などの勝ち馬オヴァンボクイーン、ブラジルのGⅠ競走リネアヂパウラマシャド大賞の勝ち馬エネルジアダボス、そして前年の凱旋門賞・バーデン大賞・ベルリン大賞と前走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを勝っていた独国が誇る世界的名牝デインドリームなど6頭だった。デインドリームが単勝オッズ1.7倍の1番人気、ウィリアム・ビュイック騎手騎乗の本馬が単勝オッズ3.8倍の2番人気、パストリアスが単勝オッズ5.1倍の3番人気となった。

スタートが切られると最低人気馬ネクストヴィジョンが先頭に立ち、デインドリーム、オヴァンボクイーン、ジローラモもそれを追って先行。本馬の位置取りは7頭立ての5番手だったが後方待機策ではなく、先行馬勢から離されないように追走。パストリアスも本馬と同様の位置取りでレースを進めた。直線に入って残り400m地点でオヴァンボクイーンが先頭に立つと、各馬が一斉にスパートを開始。しかし本馬は伸びが悪く、本馬を置き去りにしてパストリアスが伸びていった。レースは残り200m地点で先頭に立ったデインドリームが、いったんはパストリアスに抜かれながら差し返したオヴァンボクイーンを半馬身差の2着に抑えて2連覇を果たし、パストリアスがオヴァンボクイーンから半馬身差の3着、前3頭の激戦に全く参加できなかった本馬はパストリアスから2馬身半差の4着と完敗した。

このレースで本馬から6馬身差の5着に終わったジローラモはオイロパ賞に向かったが、本馬はオイロパ賞ではなく伊国の伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ・T2400m)に向かった。ペドロサ騎手が鞍上に戻ってきた本馬が単勝オッズ1.62倍の1番人気、AJCスプリングチャンピオンS・ローズヒルギニー・AJCダービーと豪州GⅠ競走で3度の2着があったリトリーヴが単勝オッズ4.2倍の2番人気、オイロパ賞で勝ったジローラモから半馬身差の3着だったアラルドが単勝オッズ5.1倍の3番人気、フェデリコテシオ賞を勝ってきたオルシノが単勝オッズ7.3倍の4番人気となった。スタートが切られるとオルシノが先頭に立ち、本馬は馬群の中団後方につけた。そして残り600m地点からロングスパートを開始。残り300m地点で馬場の真ん中を突き抜けて先頭に立つと、その後はペドロサ騎手が手と足だけで本馬を追い続け、2着に追い込んできたリトリーヴに4馬身半差をつけて圧勝。

これでGⅠ競走初勝利を挙げた本馬だが、レベルの向上が著しい独国と異なりレベルの低下が著しい伊国におけるレースであり、それほど自慢できる事でも無かった。3歳時の成績は6戦4勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は5月のバーデン企業大賞(独GⅡ・T2200m)から始動した。このレースは前年にデインドリームがシーズン初戦として出走したものであり、この年の本馬はデインドリームを参考にしたのか、前年のデインドリームと全く同じ出走日程を組むことになる。ペドロサ騎手騎乗の本馬が単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持され、ジローラモが単勝オッズ4.7倍の2番人気となった。

レースではジローラモと一緒に最後方待機策を採ると、直線入り口手前で加速を開始。残り400m地点では早くも先頭に立った。しかし本馬と同様に最後方待機策から直線に入る手前で加速していた1頭の馬がいた。それはジローラモではなく、本馬より1歳年上の独ダービー馬ヴァルドパルクだった。ヴァルドパルクは独ダービー勝利後に1勝もしていなかったため、斤量は本馬やジローラモより3kg軽く、そのハンデをもってしても単勝オッズ8.1倍の4番人気止まりだったが、ここではかつて独ダービーで見せた鋭い末脚が蘇り、本馬と激しい先頭争いを展開した。この名勝負はヴァルドパルクがゴール直前で左側によれて失速する事で決着し、本馬が頭差で勝利を収めた(ジローラモはヴァルドパルクから4馬身半差の4着だった)。ヴァルドパルクの走りは蝋燭が燃え尽きる前の最後の輝きだったようで、この後は4戦全て惨敗して引退していった。

一方の本馬は仏国に向かい、サンクルー大賞(仏GⅠ・T2400m)に出走した。対戦相手は、英チャンピオンS・ドバイシーマクラシック・ガネー賞・コンセイユドパリ賞・ドラール賞2回・ドーヴィル大賞などを勝っていた一昨年のカルティエ賞最優秀古馬シリュスデゼーグル、メルボルンC・香港ヴァーズ・コーフィールドCなどの勝ち馬で前走コロネーションC2着のドゥーナデン、ロワイヤリュー賞・ミドルトンSなどを勝ってきたダルカラ、エドヴィル賞勝ち馬でヴェルメイユ賞2着のピリカ、加国際S2回・ロイヤルロッジS・ケルゴルレイ賞の勝ち馬ジョシュアツリーなどだった。シリュスデゼーグルが単勝オッズ2倍の1番人気に支持され、ライアン・ムーア騎手が騎乗する本馬が単勝オッズ4.5倍の2番人気、ドゥーナデンが単勝オッズ7倍の3番人気となった。

スタートが切られると本馬と同じくバルグラー博士の所有馬だった最低人気馬ラテランアコードが先頭に立ち、シリュスデゼーグルが先行、本馬やドゥーナデンは馬群の中団につけた。三角に入るところでラテランアコードが後方の本馬に進路を譲るように外側に大きく膨らむと代わりにシリュスデゼーグルが内側から先頭に立った。しかしシリュスデゼーグルとラテランアコードの間に出来た隙間を突いた本馬がロングスパートで追い上げてきた。残り400m地点で先頭に立った本馬にシリュスデゼーグルも必死に食い下がってきたが、残り200m地点で脱落。代わりに後方からドゥーナデンが伸びてきたが、これも本馬を脅かすほどの脚ではなかった。最後は本馬が2着ドゥーナデンに1馬身1/4差をつけて勝利を収めた。

ムーア騎手は少し仕掛けが早かったかも知れませんと反省の弁を述べたが、ヴェーラー師は「実に素晴らしい完璧な走りでした。非常に満足しています」と語った。なお、この2か月前に行われていたガネー賞ではパストリアスが勝利を収めており、独国調教馬によって相次いでGⅠ競走を勝たれた仏国の競馬関係者達は衝撃を受けた。

次走はキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ・T12F)となった。対戦相手は、サンクルー大賞で5着に終わっていたシリュスデゼーグル、愛ダービーを勝ってきたトレーディングレザー、キングエドワードⅦ世Sを勝ってきたヒルスター、ダンテS2着馬エクティハーム、ジョンポーターS・ジョッキークラブS・プリンセスオブウェールズSを勝ってきたユニヴァーサル、カタールダービー・アパレントトロフィー・HHエミールズトロフィーとカタールのGⅠ競走を3勝して臨んだドバイシーマクラシックで3着だったベリーナイスネーム、前年のヨークシャーC・香港ヴァーズ勝ち馬で、メルボルンC・コロネーションC・ドバイワールドCで2着、3か月前の天皇賞春でフェノーメノの3着していたレッドカドーの計7頭だった。

前走の完敗は休み明けが原因だったと判断されたシリュスデゼーグルが単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持され、トレーディングレザーが単勝オッズ5.5倍の2番人気、ヒルスターが単勝オッズ6倍の3番人気と続いた。前年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを独国調教馬のデインドリームが勝っていたにも関わらず、まだ独国競馬のレベルに対して半信半疑だった英国の人は多く、本馬は単勝オッズ7.5倍の4番人気だった(それでも単勝オッズ10倍の5番人気だった前年のデインドリームよりは評価されていた)。

好天が続いていたため、この日のアスコット競馬場は堅良馬場だったが、過去に本馬は一度も堅良馬場を経験した事が無かったというのも本馬の評価を抑える一因となったようである。ヴェーラー師は、直前調教で本馬が高速馬場を難なくこなしていた事から、不安はありませんと語っていたのだが、その発言を真に受ける人はそれほど多くなかったようである。なお、前走に続いてムーア騎手が本馬に騎乗する予定だったが、彼は後から参戦を表明したヒルスター(彼が所属するマイケル・スタウト厩舎の管理馬だった)に騎乗せざるを得なくなったために、本馬にはジョニー・ムルタ騎手が騎乗した。

スタートが切られるとエクティハームが先頭に立ち、ユニヴァーサルが2番手、トレーディングレザーが3番手、本馬が4番手、シリュスデゼーグルが5番手、ヒルスターが6番手、ベリーナイスネームが7番手、レッドカドーが最後方という各馬の位置取りとなった。エクティハームが刻んだペースは非常なハイペースだったが、レース中盤でユニヴァーサルが早くも仕掛けて、残り4ハロン地点で先頭に立った。すると後続各馬も加速を始め、ただでさえ速い流れがますます速くなった。直線に入って残り2ハロン地点でトレーディングレザーがユニヴァーサルに並びかけようとした。しかしそこへ残り3ハロン地点で満を持してスパートした本馬が、シリュスデゼーグルを始めとする後方馬勢を全て置き去りにして飛んできた。その勢いは「まるで嵐のような」と評されたほどのものだった。そしてユニヴァーサルとトレーディングレザーを瞬く間に抜き去ると、そのまま2着トレーディングレザーに5馬身差をつけて圧勝。勝ちタイム2分24秒6は、3年前の同競走を11馬身差で圧勝したハービンジャーが計時したコースレコード2分26秒78を実に2秒18も更新する驚異的なものだった。

勝ちタイムもさることながら、デインドリームに続いて2年連続で独国調教馬が英国古馬最高峰のレースを制覇したという事実は、英国競馬関係者達の間に激震を走らせ、実況は「またまたドイツ馬だ!」と叫んだ。ヴェーラー師はレース後に「以前私は子どもを連れてこのレースを見物に来た事がありましたが、今日は勝ち馬の調教師としてこの場所に居る事が出来て感無量です」「前走サンクルー大賞よりさらに良くなっていましたので自信はありましたが、まさか5馬身もの差をつけて勝つとは思っていませんでした」と語った。また、ムルタ騎手は「素晴らしいエンジンを搭載した最高級の馬でした。唯一苦労したのは、ゴール後に減速させる事くらいでした」と本馬を賞賛した。

このレース後に陣営から今後の予定について、バーデン大賞を経て凱旋門賞に向かう旨が明らかにされた。

そして予定どおり出走したバーデン大賞(独GⅠ・T2400m)では、パリ大賞・サンクルー大賞・ベルリン大賞の勝ち馬メオンドル、バーデン企業大賞で本馬の5着だったバイエルン大賞勝ち馬サイズモス、そのバイエルン大賞で2着してきたエンポリなど4頭だけが対戦相手となった。ペドロサ騎手が騎乗する本馬が単勝オッズ1.17倍の1番人気に支持され、メオンドルが単勝オッズ8倍の2番人気、サイズモスが単勝オッズ13倍の3番人気だった。

サイズモスは本馬と同厩であり、事前の予想ではサイズモスが先頭に立つはずだった。しかし本馬はスタート直後から掛かってしまい、最初から先頭を走ることになった。ペドロサ騎手は本馬を宥めながらしばらく先頭で走らせると、レース中盤になって手綱を引き絞って強引に位置取りを下げ、ここでようやくサイズモスに先頭を譲って2番手に下がった。そのままの体勢で直線に入ってくると、残り400m地点でサイズモスを捕らえて先頭に立ったが、やはり前半で掛かって先行した影響が出たようで、いつものような鋭い末脚は見せられなかった。それでも後続馬に抜かさせることは無く、粘るサイズモスを3/4馬身差の2着、メオンドルをさらに3/4馬身差の3着に抑えて勝利した。

その後は予定どおり凱旋門賞に向かい、事前予想では上位人気の一角となった。ところがレース前日になって熱発してしまい無念の回避。凱旋門賞の前に、陣営から凱旋門賞出走後はブリーダーズカップではなくジャパンCを視野に入れている旨が明らかにされており、実際にそれに向けた準備が開始されていたらしいが、凱旋門賞の直後に社台グループに購入されて日本で種牡馬入りすることが決定したため、以降はレースに出る事無くそのまま引退となった。4歳時の成績は4戦全勝で、独年度代表馬に選ばれた。

血統

Monsun Königsstuhl Dschingis Khan Tamerlane Persian Gulf
Eastern Empress
Donna Diana Neckar
Donatella
Königskrönung Tiepoletto Tornado
Scarlet Skies
krönung Olymp
Kaiserkrone
Mosella Surumu Literat Birkhahn
Lis
Surama Reliance
Suncourt
Monasia Authi Aureole
Virtuous
Monacensia Kaiseradler
Motette
Night Lagoon Lagunas イルドブルボン Nijinsky Northern Dancer
Flaming Page
Roseliere Misti
Peace Rose
Liranga Literat Birkhahn
Lis
Love In Crepello
Tudor Love
Nenuphar Night Shift Northern Dancer Nearctic
Natalma
Ciboulette Chop Chop
Windy Answer
Narola Nebos Caro
Nostrana
Nubia Tuttlinger
Night Music

モンズーンは当馬の項を参照。

母ナイトラグーンは現役成績5戦2勝。ヴィンターケーニヒン賞(独GⅢ)を勝ったのは前述のとおり。牝系は地元独国では通称N-ライン(Nで始まる馬名の馬が続いている事から。本馬の名前もNで始まっている)と呼ばれる土着血統であり、近親の活躍馬も、1983年の独オークス馬ノヴェレ(ナイトラグーンの祖母ナロラの母ヌビアの叔母に当たる)と、その曾孫である2009年の独オークス・2010年のバーデン大賞勝ち馬ナイトマジック、1996年の独オークス馬ナイトペティコート(ヌビアの従姉妹に子に当たる)と、その子である2002年の独ダービー馬ネクストデザート、2003年の独オークス馬ネクストジーナの兄妹、ナイトペティコートの姪の子である2013年のベルリン大賞勝ち馬ニムフィアなど、独国における活躍が中心である。→牝系:F4号族⑤

母父ラグナスはイルドブルボン産駒で、現役成績11戦6勝、独ダービー(独GⅠ)・ヴィンターファヴォリテン賞(独GⅢ)を勝ち、1983年の独最優秀2歳牡馬と1984年の独最優秀3歳牡馬に選ばれた。血統的にはこの名馬列伝集でも紹介した独国の歴史的名馬リールンクの半兄である。種牡馬としても一定の成功を収めたが、むしろ繁殖牝馬の父として優秀だったと評されている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、2014年から社台スタリオンステーションで種牡馬入りした。馬房は同じく社台スタリオンステーションで種牡馬生活を送っているハービンジャーの向かい側であり、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSをレコードタイムで圧勝した2頭が互いの顔を見ながら生活する事になった。初年度の種付け料は400万円に設定された。

虎の子である本馬を手放した理由についてバルグラー博士は、欧州の牧場があまり本馬に対して興味を示してくれなかったため、日本のほうが繁殖牝馬に恵まれるだろうと考えて売却に踏み切った旨を語っている(社台グループの提示額が最も高かった事もあると思われる)。一方の社台グループはどうやら本馬が3歳の時から目をつけていたらしく、関係者はキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSも生観戦していたという。

日本でブランドフォードからバーラムを経由する系統の大物競走馬が種牡馬入りしたのは1961年に輸入された英ダービー馬パーシア以来(その後もアベイドロンシャン賞勝ち馬ディープダイバーなどが輸入されてはいたが)であり、社台グループが本馬を導入したのは、サンデーサイレンスの血が氾濫している現況に対応する目的の一貫なのだろう。初年度は156頭というかなりの数の繁殖牝馬を集めている。

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