1800年以前誕生 1801~1850年 1851~1875年 1876~1900年
1901~1910年 1911~1920年 1921~1930年 1931~1940年 1941~1950年
1951~1960年 1961~1970年 1971~1980年 1981~1985年 1986~1990年 1991~1995年 1996~2000年
2001~2005年 2006~2010年 2011年以降誕生
生年 |
和名 |
英名 |
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1680 |
牡 |
オスマン・トルコ帝国から英国に渡り軍馬として活躍した後に種牡馬入りしたサラブレッド三大始祖の1頭 |
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1700 |
牡 |
シリアから英国に渡り、最終的には現代サラブレッドの90%以上を自身の直系で覆いつくしたサラブレッド三大始祖の1頭 |
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1714 |
牡 |
飛ぶように走ると評された、サラブレッドの歴史上初めて真に偉大な競走馬の称号を得たとされる名馬 |
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1724 |
牡 |
誕生から他界までの経歴のほぼ全てが神秘のヴェールに包まれたサラブレッド三大始祖の1頭 |
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1748 |
牡 |
ゴドルフィンアラビアンの孫として、その直系を現代まで伝える事に成功した18世紀の名競走馬にして大種牡馬 |
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1758 |
牡 |
バイアリータークの直系を大きく繁栄させ現代のサラブレッドに対する影響力は歴史上最高とされている18世紀の名競走馬にして大種牡馬 |
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1760 |
牡 |
小柄な芦毛の馬体で次々と強豪馬を打ち負かした事で人気を博した18世紀における元祖芦毛のアイドルホース |
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1764 |
牡 |
競走馬としても種牡馬としても大活躍して近代サラブレッドの実質的始祖となった18世紀英国競馬界を代表する無敵の名馬 |
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1773 |
牡 |
父エクリプスの直系を現代競馬の主流血脈たらしめる最大の原動力となった稀代の珍名馬 |
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1774 |
牡 |
生涯無敗の競走成績を残した18世紀英国屈指の名馬にして、12年連続を含む13度の英首位種牡馬に輝いた18世紀最大の種牡馬 |
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1775 |
牡 |
競走馬としては平均的だったが同父のポテイトウズと共に父エクリプスの血を繁栄させ、直系子孫にセントサイモンを登場させる |
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1777 |
牡 |
記念すべき第1回英ダービーの覇者でありながら英国では種牡馬として評価されなかったが米国で種牡馬として見事復活を果たす |
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1780 |
牡 |
サラブレッドとしてではなくスタンダードブレッドとして直系を繁栄させた18世紀末に英国から米国に輸入された名種牡馬 |
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1784 |
牡 |
英ダービーの創設者第12代ダービー伯爵を念願の英ダービー馬主にしただけでなく祖父ヘロドと父ハイフライヤーと共に親子3代で種牡馬として猛威を振るう |
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1790 |
牡 |
全てにおいて完璧と讃えられた英ダービー馬は種牡馬としても活躍し祖父エクリプスと父ポテイトウズの系統を現代の主流血脈たらしめる |
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1792 |
牡 |
逸走による失格以外は英セントレジャーなど生涯無敗を誇り18世紀末における英国最強馬と呼ばれたセントサイモンの直系先祖 |
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1796 |
牡 |
マッチェムの直系を今日に伝える原動力となった19世紀初頭英国の名競走馬にして名種牡馬 |
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1798 |
牝 |
牝馬として史上初めて英ダービーを勝ち英オークスも勝っただけでなく、現存するサラブレッド全ての先祖となった、サラブレッド史上初の歴史的名牝 |
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1799 |
牡 |
無尽蔵のスタミナを有すると評され、後世にも大きな影響を与えた19世紀初頭の英セントレジャー馬 |
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1799 |
牡 |
ヘロド直系の血の氾濫の中において大種牡馬である父サーピーターティーズルの後継として2度の英首位種牡馬に輝く |
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1805 |
牡 |
父ダイオメドと共に米国競馬の礎を築いた米国競馬史上初の歴史的名馬にして最古の米国顕彰馬 |
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1807 |
牡 |
曽祖父エクリプスに続いて現代における主流血脈の分岐点となった小柄で超良血の英ダービー馬 |
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1812 |
牡 |
英ダービー史上に残るゴール前の大激戦を制して兄ホエールボーンとの兄弟制覇を果たし種牡馬としても活躍 |
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1814 |
牡 |
代理南北戦争の様相を呈したサーヘンリーとの世紀のマッチレースに勝利するなど8戦全勝の成績を誇った米国競馬黎明期の歴史的名馬 |
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1814 |
牡 |
騎乗ミスで英セントレジャーを逃したが種牡馬として直系を伸ばし、後世にガロピンとセントサイモン父子を登場させる |
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1820 |
牡 |
非セントサイモン系のキングファーガス直系として後世に大きな影響を保ち続ける英ダービー馬 |
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1825 |
牡 |
脚部不安が祟って大競走制覇には無縁だったが「北方の魔術師」ジョン・スコット調教師が高く評価したため、19世紀前半英国有数の名馬として語り継がれる |
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1826 |
牡 |
競走馬時代から種牡馬時代を通じて愛国と英国間を行き来して暮らし、大種牡馬バードキャッチャーの父として後世にその名を残す |
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1826 |
牡 |
英セントレジャーで2着した後にドンカスターCを勝って僅か5戦のキャリアで種牡馬入りしたヴォルティジュールの父 |
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1827 |
牡 |
エクリプスにも比肩する名馬と言われた距離不問の英ダービー馬は、史上初めて英米両国で首位種牡馬を獲得した名種牡馬ともなる |
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1831 |
牡 |
19世紀半ばの米国を代表する大種牡馬となった英2000ギニー馬は繁殖牝馬の父としても超一流の成績を残す |
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1831 |
牡 |
最悪の仕上がりだった英セントレジャーを惨敗した以外は、英ダービーを含むどのレースも楽勝を収めた19世紀前半の英国有数の実力馬 |
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1831 |
牡 |
当初は全く期待されていなかったが人気薄の英セントレジャーを勝利してから本領を発揮してアスコット金杯を2連覇し種牡馬としても成功して現在もその直系を残す |
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1833 |
牡 |
英2000ギニー・英ダービーなど6戦全勝の成績を残し、種牡馬としても後世に大きな影響を与えた19世紀英国最初の最良の馬 |
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1833 |
牝 |
1830年代の英国競馬の女王と呼ばれ、競走実績、繁殖実績共に一級品の上に世界的名牝系の祖ともなる |
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1833 |
牡 |
愛国産の種牡馬として史上初めて英国クラシック競走の優勝馬を輩出し後世にも多大な影響を与えた愛国競馬界の誇り |
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1833 |
牡 |
気性の激しさ以外は欠点が無かった19世紀米国におけるヒート競走最強馬は大種牡馬レキシントンの父として後世の血統界に影響を残す |
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1835 |
牡 |
英セントレジャーを逃げて圧勝するなど高い競走能力で他馬陣営を震え上がらせ、種牡馬としても大きな影響力を残した19世紀英国上半期有数の名馬 |
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1837 |
牝 |
歴史上初めて英国クラシック競走3勝を挙げた生涯不敗の伝説的名牝は繁殖牝馬としても一流の成績を残し後世にも大きな影響を与える |
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1837 |
牝 |
ボストンとのマッチレースを制するなど1840年代のヒート競走全盛期の米国競馬界を席巻し、全時代を通じて米国競馬史上最高の名牝と讃えられる |
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1837 |
牝 |
競走馬としては未勝利に終わったが種牡馬の母として大成功を収め、後世に与えた影響力においてはサラブレッド史上最高の繁殖牝馬と言われる |
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1838 |
牝 |
英国古馬長距離戦線でタフに走り続けて次々と牡馬を薙ぎ倒して5歳年上の名牝ビーズウイングと共に「競馬場の女王」と呼ばれ繁殖入り後も活躍する |
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1841 |
牡 |
替え玉事件による繰り上がりの英ダービー馬だが3度の英首位種牡馬になるなど種牡馬として大成功し直系を21世紀まで残す |
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1842 |
牡 |
脚部不安や気性難を克服して英セントレジャーを勝利した愛国産馬は「種牡馬の皇帝」ストックウェルの父としても名を残す |
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1843 |
牝 |
現役成績1戦未勝利ながら多くの子を産み活躍馬も続出させ世界的名牝系の祖となった19世紀半ばの名繁殖牝馬 |
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1845 |
牡 |
大種牡馬タッチストンと名牝クルシフィックスの間に生まれ、英ダービー・英セントレジャーを制して母子で英国クラシック競走完全制覇を達成 |
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1846 |
牡 |
英ダービー・英セントレジャーなど無敗街道を邁進するもヴォルティジュールに生涯唯一の不覚を取るが後にマッチレースで借りを返した19世紀英国屈指の名馬 |
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1847 |
牡 |
好敵手ザフライングダッチマンと名勝負を演じた英ダービー・英セントレジャー優勝馬はセントサイモンの直系先祖ともなる |
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1848 |
牡 |
競走馬としては英セントレジャー優勝以外には好成績を残せなかったが種牡馬として成功し21世紀まで直系を残した良血馬 |
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1848 |
牡 |
他馬より異常に重い斤量を課されることが多かったが優れた闘争心で大半のレースで見せ場を作り、アスコット金杯でストックウェルも撃破した英ダービー馬 |
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1849 |
牡 |
種牡馬として大成功を収めて現在の数多くの主流血統の始祖となり「種牡馬の皇帝」と言われる英2000ギニー・英セントレジャー優勝馬 |
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1850 |
牡 |
14年連続を含む16度の北米首位種牡馬獲得という大記録を樹立して現在でも米国の誇りと言われる米国競馬黎明期の名競走馬にして大種牡馬 |
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1850 |
牡 |
英2000ギニー・英ダービー・英セントレジャーの英国三冠競走を全て制した英国競馬史上初にして世界競馬史上初の三冠馬 |
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1851 |
牡 |
脚部不安のために競走馬としては大成できなかったが半兄ストックウェルと共に種牡馬として成功を収め、セントサイモンの母父となる |
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1851 |
牝 |
19世紀末に実施された同世紀における英国の名馬ランキングにおいて牝馬としては最上位となった、19世紀英国最強牝馬の有力候補 |
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1852 |
牡 |
現役時代も仏2000ギニーや仏ダービーを勝って活躍したが種牡馬としては19世紀仏国最大級の成功を収めた英国三冠馬グラディアトゥールの父 |
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1853 |
牡 |
根幹繁殖牝馬クイーンメアリーの息子という良血馬ながら英国では種牡馬として全く評価されず、輸出先の米国で種牡馬として活躍し、後世に大きな影響力を残す |
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1853 |
牡 |
英国を中心に平地競走で100戦以上を走りアスコット金杯2連覇などの成績を残し、輸出先の豪州で種牡馬として活躍した頑健な長距離馬 |
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1853 |
牡 |
レキシントンの後を継いで米国種牡馬界の頂点に君臨し19世紀後半において英国から米国に輸入された種牡馬の中で最大の大物と評される |
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1854 |
牝 |
56年ぶり史上2頭目の牝馬の英ダービー馬となり2日後の英オークスも圧勝した19世紀屈指の名牝は、早世するも繁殖牝馬としても成功を収める |
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1854 |
牡 |
名馬ヴォルティジュール産駒唯一の英国クラシック競走優勝馬にして大種牡馬セントサイモンの祖父となった英2000ギニー馬 |
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1855 |
牡 |
2歳時は目立たなかったが3歳になって急成長して英ダービーを制し、種牡馬としてもエクリプス直系第3勢力の中心的存在として活躍する |
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1855 |
牡 |
生涯31戦して3着以下無しの戦績を誇った米国南北戦争直前における南部最高の名馬 |
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1857 |
牡 |
尾花栗毛の英ダービー・アスコット金杯勝ち馬は優れたスピードと特徴的な黒い斑点をベンドアやザテトラークなどの子孫に伝える |
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1860 |
牡 |
英セントレジャーで50馬身差を逆転して勝利した典型的追い込み馬は種牡馬としても晩年に活躍馬を出す追い込みで名馬ハンプトンを通じて後世にその血を伝える |
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1860 |
牡 |
3歳時7戦無敗で英2000ギニー・英ダービーを制覇し、種牡馬としては主に牝馬の活躍馬を出して母系にその名を残す |
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1860 |
牝 |
母としても2頭の英国クラシック競走2勝馬を産んだ英オークス馬は現在まで残る世界的名牝系の始祖ともなる |
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1861 |
牡 |
種牡馬の皇帝を父に、英ダービーを勝った世紀の名牝を母に持つ超良血馬で、当時世界最良の馬と評された幻の英国三冠馬 |
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1861 |
牡 |
第1回トラヴァーズSなど破竹の20連勝を記録した南北戦争時代ニューヨーク州最高の名馬 |
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1861 |
牡 |
ロディとのマッチレースで知られる米国の大種牡馬レキシントンの最高傑作の一頭で父の血を後世に伝える原動力となる |
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1862 |
牡 |
仏国産馬として英国の大競走を総なめにして仏国競馬史上最大の英雄と讃えられただけでなく英国競馬関係者からも19世紀最高の馬との評価を得た第2代英国三冠馬 |
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1863 |
牡 |
距離不安を抱えながらも能力の絶対値の違いで第3代英国三冠馬に輝いたが種牡馬としては各地を流浪する |
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1863 |
牡 |
青毛の真っ黒な馬体と炎のような激しい気性から「黒い悪魔」の異名で恐れられ親しまれた豪州競馬史上初の歴史的名馬 |
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1864 |
牝 |
史上初の英国牝馬三冠馬にはなれなかったが、英1000ギニー・英セントレジャー勝ちなど23戦着外無しの成績で、全兄の英国三冠馬ロードリオンより高い評価を得る |
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1864 |
牡 |
虚弱体質を克服して人気薄の英ダービーを勝利して人間同士のスキャンダルに決着をつけ、種牡馬としても7度の英愛首位種牡馬に輝く |
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1864 |
牝 |
記念すべき第1回ベルモントSを優勝した1860年代米国最強牝馬は自身や姉妹の強烈な名前から「野蛮な大隊」の一員と呼ばれる |
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1865 |
牡 |
同世代同馬主馬の3番手評価だったが3歳時に急成長して英ダービー・アスコット金杯を制覇するも、最後は大嵐により大西洋上でその命を散らす |
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1865 |
牝 |
英国クラシック競走3.5勝馬とも言われる、英1000ギニー・英オークス・英セントレジャーの3競走を初めて全勝した史上初の英国牝馬三冠馬 |
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1867 |
牡 |
好敵手ハリーバセットとの対決でも知られ、南北戦争後10年間の米国競馬界で最も人気を博して「競馬場の王」の異名で呼ばれた巨漢馬 |
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1868 |
牡 |
叔母である同世代の英国牝馬三冠馬ハンナより高い評価を得た英ダービー馬で種牡馬としての能力もあったが、種牡馬入り4年目で早世したため大成功には至らず |
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1868 |
牝 |
史上2頭目の英国牝馬三冠馬だが、繁殖入りして間もなく他界したためにその優れた競走能力を子孫に伝えることは出来なかった |
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1868 |
牡 |
2歳時から4歳時にかけてベルモントSを含む破竹の14連勝を飾ったレキシントンの代表産駒の一頭 |
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1868 |
牡 |
大競走制覇には縁が無かったが爆発的な速度と不適の距離でも好走する闘争心を併せ持つ英国競馬史上有数の名馬と評され、種牡馬としても大きな成功を収める |
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1869 |
牡 |
その快速を息子ヒムヤー経由で後世に伝えた米国競馬史上最初の名短距離馬 |
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1869 |
牡 |
英ダービー・パリ大賞・アスコット金杯といった欧州長距離競走を次々に制覇した、怠惰で大食漢の名長距離馬 |
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1870 |
牡 |
種牡馬の皇帝ストックウェルと大種牡馬ベンドアの間を繋いだ英ダービー・アスコット金杯の優勝馬 |
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1871 |
牝 |
馬好きの老牧師の手によりこの世に生を受けた史上3頭目の英国牝馬三冠馬にしてアスコット金杯も制覇した名牝 |
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1871 |
牝 |
生涯無敗の英国三冠馬オーモンドの母、英国クラシック競走4勝馬セプターの祖母となった名繁殖牝馬は後世に与えた影響力も絶大 |
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1872 |
牡 |
デビュー当初は同厩馬のラビット役を務めていたが第1回ケンタッキーダービーの制覇を契機に同世代のトップクラスに上り詰める |
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1872 |
牡 |
大種牡馬セントサイモンを送り出した他に自身も種牡馬として大活躍しサラブレッド血統界に圧倒的な影響力を及ぼした英ダービー馬 |
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1872 |
牡 |
デビュー当初は芽が出ず障害競走も走ったが古馬になって英国長距離路線のトップホースに上り詰め、種牡馬としても優秀なスタミナを後世に伝える |
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1872 |
牡 |
1マイルから4マイルまで6つの異なる距離で全米レコードを樹立した米国ヒート競走時代最後の名馬はモリーマッカーティーとのマッチレースでも知られる |
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1873 |
牝 |
地元カリフォルニア州では無敵を誇り、名馬テンブロックとのマッチレースでも知られる19世紀最高のカリフォルニア州産の牝馬 |
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1873 |
騙 |
テンブロックとのマッチレースを制した後に英国に渡って当時の英国最強馬アイソノミーを連破し米国馬の底力を英国民に見せ付ける |
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1873 |
牡 |
サラブレッドの理想とされるほど見栄えが良かった英2000ギニー・英セントレジャー優勝馬だが腎臓病に悩まされ現役時代から流浪の日々を送る |
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1873 |
牡 |
19世紀英国最強の短距離馬としてその名を残すが後世のサラブレッド血統界に残した影響も大きい |
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1874 |
牝 |
54戦全勝という偉大なる世界記録だけでなく数々の伝説的な逸話に彩られた19世紀ハンガリーの歴史的名牝にしてハンガリーの国民的英雄 |
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1875 |
牡 |
プリークネスS・ベルモントS・トラヴァーズSなど当時の米国3歳牡馬の主要競走全てを制覇したレキシントン最晩年の産駒で最高傑作の誉れ高き名馬 |
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1875 |
牡 |
ドミノ、プローディットという2頭の後継種牡馬を出し、米国土着の快速血統として21世紀まで生き延びたヒムヤー直系の始祖となる |
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1875 |
牡 |
史上初めて同一年に英国三大長距離カップ競走を全勝した19世紀有数の名馬で、種牡馬としても英国三冠馬を2頭輩出する |
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1875 |
牝 |
2歳時7戦全勝の成績を挙げ、3歳以降も英オークス・英セントレジャーを勝つなど頑健に走り続けた、ロードクリフデンの牝馬の代表産駒 |
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1875 |
牝 |
自身も英2000ギニー・英1000ギニーを連覇した名牝だが母として英オークス馬と英ダービー馬を産み後世にも大きな影響力を保った名繁殖牝馬 |
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1876 |
牡 |
仏国調教馬ながら英国を主戦場とし、引退後は米国で首位種牡馬になるなど世界的に活躍した英セントレジャー馬 |
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1876 |
牡 |
種牡馬としても大きな成功を収めてマッチェムの直系を英国から米国に広める橋渡し役となったベルモントSの勝ち馬 |
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1876 |
牝 |
時には牡馬より重い斤量を背負いながら英1000ギニー・英オークスなどデビュー10連勝を達成するが、陣営の愚行により英セントレジャーには不参戦となった名牝 |
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1877 |
牡 |
明るい栗毛に黒い特徴的な斑点を有する英ダービー馬は種牡馬としても大成功を収めて近代競馬のスピード化の父となる |
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1877 |
牡 |
小柄な馬体ながら3歳時に24戦して22勝、圧勝の連続で「米国競馬史上最も逞しい馬」と讃えられる |
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1877 |
牡 |
英ダービーこそ好敵手ベンドアに惜敗するがその後の大活躍で競走馬としての評価を逆転させた英セントレジャー・アスコット金杯の優勝馬 |
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1878 |
牡 |
愛国出身ながら19世紀英国有数の名馬と評された生涯不敗の欠点無しの名馬は、種牡馬としてもウエストオーストラリアンからハリーオンへの系統を繋ぐ中継ぎを担う |
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1878 |
牡 |
米国産馬ながら欧州で走り、“Autumn Double”達成に加えてパリ大賞・アスコット金杯も制覇して、イロコイと共に米国血統の底力を欧州競馬関係者に見せつける |
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1878 |
牡 |
ケンタッキーダービーを含む18連勝(19連勝とも)を達成するなど生涯成績35戦30勝着外無しの成績を誇った19世紀米国有数の名馬中の名馬 |
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1878 |
牡 |
米国産馬ながら1歳時に渡英して英ダービー・英セントレジャーを制し、米国産馬として初の英国クラシック競走の勝ち馬となった19世紀米国産馬の星 |
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1878 |
牡 |
セントサイモンには敵わなかったがアスコット金杯・ジュライCなど数々の大競走を制し19世紀末英国競馬における最強馬の一頭としてその名を残す |
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1879 |
牝 |
牝馬として史上唯一の英2000ギニー・英ダービーの2競走を制した名牝は、世界有数の名牝系の祖ともなる |
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1879 |
牝 |
19世紀英国牝馬最強世代の英1000ギニー馬は繁殖牝馬としても世界的名牝系の祖となる |
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1880 |
牡 |
当初の競走馬経歴は不明ながらも3歳暮れのケンブリッジシャーH制覇をきっかけに英国古馬最強馬の座まで上り詰めた、記念すべき第1回エクリプスSの覇者 |
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1880 |
牝 |
5年間に渡り米国競馬の一線級で活躍を続け、牡馬を蹴散らしたり16連勝をマークするなどして米国競馬史上初の10万ドルホースとなった19世紀米国の名牝 |
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1881 |
牡 |
同着勝利した英ダービーやアスコット金杯などデビュー11連勝を果たし、同世代のセントサイモンと競走馬としては優劣つけ難いとの評価を得る |
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1881 |
牡 |
英国クラシック競走には不参戦だったが圧倒的な強さを発揮、そして種牡馬として19世紀末の欧州に君臨してサラブレッドの歴史を塗り替えた世紀の大種牡馬 |
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1882 |
牡 |
ミドルパークプレートの勝ち馬として初めて英ダービーを勝ち英セントレジャーも勝った名馬は、種牡馬としては伊国で成功し後に英国に逆輸入されて活躍する |
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1882 |
牡 |
英ダービーこそ好敵手メルトンに敗れたが英2000ギニー・パリ大賞を勝って人気を博すも、現役時代終盤の陣営の醜聞により不当に評価を落とされた不運の実力馬 |
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1882 |
牝 |
牝馬として史上唯一の“Autumn Double(シザレウィッチH・ケンブリッジシャーH)”両競走制覇を達成し、仏国調教馬でありながら19世紀英国有数の名牝の評価を得る |
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1883 |
牡 |
「英ダービーに10回出れば9回は勝った」と言われた高い素質を有しながら、同世代にオーモンドがいたために不遇をかこった史上最古の「偉大なるナンバー2」 |
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1883 |
牡 |
英国三冠競走全制覇など生涯16戦無敗の戦績を誇り、19世紀のみならず全時代を通じて最高の名馬と賞賛されたが、種牡馬としては各地を流浪する |
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1883 |
牡 |
2歳時16戦全勝の成績を誇りグッドウッドC・ドンカスターCを勝つなど生涯3着以下が無かった名馬は仏国で種牡馬として成功する |
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1883 |
牡 |
19世紀後半米国で活躍して3年連続で米国牡馬世代チャンピオンに選出されるも種牡馬としての活躍の機会を大きく奪われた「吟遊詩人」 |
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1884 |
牝 |
小柄な馬体ながら数多くのレースで同時代の牡馬達を蹴散らし、4年以上に渡り19世紀末の米国競馬のトップクラスで活躍した名牝 |
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1884 |
牡 |
ベルモントS圧勝を含むデビュー17連勝を達成するなど距離不問の活躍を見せ、種牡馬としても4年連続北米首位種牡馬に輝いた19世紀米国有数の名馬 |
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1884 |
牡 |
とにかく頑健に走り138戦して89勝を挙げサラブレッドの北米最多勝利記録を樹立したのみならず種牡馬としても2度の北米首位種牡馬に輝く |
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1885 |
牡 |
名長距離馬ハンプトン直子でありながら距離が長くて英セントレジャーを負けてしまったが母系に入って後世に大きな影響を残した英2000ギニー・英ダービー優勝馬 |
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1885 |
牡 |
一流競走馬としての特徴を全て兼ね備えていると評された19世紀オセアニア最高の競走馬は英国では種牡馬として今ひとつだったものの後世に大きな影響力を残す |
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1885 |
牡 |
「カリフォルニアの驚異」と呼ばれ70年近くもカリフォルニア州産の最高の競走馬と言われ続けた19世紀カリフォルニア州産馬における最強馬 |
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1886 |
牡 |
サラブレッドの見本と言われ19世紀末の英国最強クラスの馬でありながら種牡馬としては不遇だった英ダービー・英セントレジャー優勝馬 |
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1886 |
牡 |
強豪馬テニーとの名勝負で知られダート10ハロンと1マイルの全米レコードを樹立した19世紀末における米国最強馬 |
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1888 |
牡 |
3歳時に英国の著名レースのみ走り僅か5戦で引退した史上5頭目の英国三冠馬は種牡馬としては振るわず |
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1889 |
牡 |
英2000ギニー馬でありながら競走馬としても種牡馬としても評価されなかったが、サイリーンの父となって後世に絶大な影響を残す |
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1889 |
牝 |
英国牝馬三冠に加えてアスコット金杯・英チャンピオンSを制覇するなど超一流の競走成績を残した19世紀末英国競馬の誇る女傑中の女傑 |
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1889 |
牡 |
謎の水銀中毒により春の英国クラシックを棒に振るもエクリプスS2連覇などマイル~10ハロン路線で活躍し、現在まで残るテディ直系の礎となる |
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1890 |
牡 |
生涯62戦して着外は大きく出遅れた2戦のみ、ヘンリーオブナヴァルやベンブラッシュといった強豪馬達と互角に張り合い、死後97年目に米国顕彰馬に選ばれる |
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1890 |
牡 |
英国牡馬クラシック三冠競走・エクリプスS・アスコット金杯を全て勝利して半世紀以上に渡り英国賞金王に君臨する |
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1891 |
牡 |
19世紀末の米国短距離競走において圧倒的な強さを誇った「黒い旋風」は僅か6歳で夭折するも後世の血統界に大きな影響を残す |
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1891 |
牡 |
快速馬ドミノの好敵手でスタミナ・スピード・底力の三拍子揃った能力でドミノを何度も撃破した19世紀末米国競馬最強馬候補 |
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1893 |
牡 |
競走馬としては大競走制覇に縁が無かったが種牡馬として成功して父ハンプトンの直系を発展させる功労馬となる |
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1893 |
牡 |
2歳時から大活躍した距離短縮後初のケンタッキーダービー優勝馬は種牡馬としても活躍し一世を風靡する |
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1893 |
牝 |
チョーサーとスウィンフォードの2頭の牡駒を通じて後世に大きな影響力を与えた英オークス馬 |
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1893 |
牡 |
孫のマンノウォーが誕生した直後にこの世を去っていった、激烈な気性と高い競走能力で知られたベルモントS勝ち馬 |
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1893 |
牡 |
好敵手セントフラスキンと競走馬・種牡馬としてしのぎを削ったセントサイモン直子の英ダービー・英セントレジャー優勝馬 |
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1893 |
牡 |
同父の好敵手パーシモンと競走馬・種牡馬として好勝負を展開した、セントサイモン牡駒として初の英国クラシック競走勝ち馬 |
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1894 |
牡 |
愛国生まれの第7代英国三冠馬は後にロシアや独国で種牡馬として活躍して独国の競馬レベル向上に貢献する |
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1894 |
牝 |
3歳時になんと50戦もするなど競走馬時代6年間で171戦62勝の成績を残した19世紀末米国の頑健な女傑 |
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1895 |
牡 |
英国クラシック未登録の鬱憤をアスコット金杯の圧勝劇で払拭するも偏見のため英国を追われて亜国に移り住んだ大種牡馬 |
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1895 |
牡 |
叔父ドミノよりも優れた2歳馬と評され、母系で近代競馬のバックボーンを支える19世紀末米国の歴史的名馬 |
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1895 |
牡 |
ドクターファーガーやホーリーブルの直系先祖となったヒムヤー直子のケンタッキーダービー馬 |
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1896 |
牡 |
3歳時無敗で第8代英国三冠馬に輝いた名馬は仏国で種牡馬として成功して直系孫に名馬テディを登場させる |
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1896 |
牡 |
当時の仏国3歳最高峰競走4戦を全勝した史上唯一の競走馬で種牡馬としても成功した19世紀末の仏国最強馬 |
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1897 |
牡 |
両親から受け継いだ極度の気性難をクリアして史上9頭目の英国三冠馬となり、後に亜国で種牡馬として大活躍する |
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1898 |
牡 |
僅か7歳の若さで夭折しながら種牡馬として成功しヒムヤー直系の血を後世に伝える事に成功したベルモントSの勝ち馬 |
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1898 |
牡 |
競走馬としては大成できず、種牡馬としても誤った牝系研究の影響で英国から米国に放出されたが、その地で5度の首位種牡馬に輝き英国競馬関係者を嘆かせる |
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1898 |
牡 |
重いハンデに耐えながらジュライC3連覇など短距離戦で活躍し、後世にもその快速を伝えた20世紀初頭英国の名短距離馬 |
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1898 |
牡 |
アスコット金杯などを制してセントサイモン産駒としては最後の名馬と言われた20世紀初頭の名長距離馬 |
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1899 |
牡 |
英国クラシック競走4勝馬セプターと名勝負を繰り広げた愛国出身の英ダービー馬は独国で名種牡馬として活躍する |
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1899 |
牝 |
パリ大賞で同世代の英国クラシック競走4勝馬セプターを破って勝ち、母としても凱旋門賞2連覇の名馬クサールを産んだ20世紀初頭仏国の名牝 |
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1899 |
牝 |
英国クラシック5競走全てに出走してそのうち4競走を制しただけでなく繁殖牝馬としても後世に大きな影響力を与えた稀代の名牝 |
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1900 |
牡 |
母の父として根幹種牡馬と次々と送り出したセントサイモン直子の偉大なブルードメアサイアー |
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1900 |
牡 |
競走馬としてはあまり振るわなかったが仏国で種牡馬として成功し、直系子孫に名馬リボーを登場させて父セントサイモンの直系が現在に残る立役者となる |
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1900 |
牡 |
栄光ある第10代英国三冠馬でありながら評価が低くて米国に輸出され、20世紀米国競馬の至宝マンノウォーの母の父となる |
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1901 |
牝 |
3歳時に牡馬とも互角以上に戦い14戦12勝着外無しの成績を残し、後年になって3歳牝馬として初の米年度代表馬に選ばれる |
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1901 |
牡 |
国内外を問わずに長年に渡り活躍馬を出し20世紀初頭における米国競馬のトップ種牡馬の1頭として君臨したトラヴァーズSの勝ち馬 |
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1901 |
牝 |
圧倒的なスピード能力を武器に英国牝馬三冠、デビュー15連勝など数々の記録を樹立し、繁殖牝馬としても後世に大きな影響力を与えたサラブレッド史上最高の名牝 |
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1901 |
騙 |
重い斤量をその巨体に背負いながら他馬を圧倒するスピード能力を武器に20世紀初頭の米国短距離路線で活躍した「ザ・ビッグ・トレイン」 |
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1902 |
牝 |
意図的に負けたと言われるレース以外は無敗を誇り名馬サイソンビーに生涯唯一の黒星をつけた20世紀初頭の米国の快速牝馬 |
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1902 |
牡 |
自身は英国クラシック競走に勝てなかったが、種牡馬として英国クラシック競走を全勝し、さらに後継種牡馬ファラリスを通じて直系を大きく繁栄させる |
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1902 |
牡 |
薬物を漏られたレース以外は無敗を誇った20世紀米国初頭の伝説的快速馬だが、病気のため3年4か月の若い命を散らす |
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1903 |
牡 |
英ダービーをレコード勝ちしてパリ大賞も制覇し種牡馬としても大きな影響を残した、豪州の歴史的名馬カーバインが英国で送り出した最高傑作 |
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1904 |
牡 |
愛国調教馬として史上初めて英ダービーを勝っただけでなく、愛ダービーも制して両競走を勝った史上初の馬ともなった快速血統の始祖 |
||
1904 |
牡 |
多彩な才能を武器に活躍したベルモントSの勝ち馬は父コマンドの最良後継種牡馬としてヒムヤーの直系を一時的に大きく繁栄させる |
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1905 |
牡 |
15戦全勝という米国競馬チャンピオンクラスにおける最多無敗記録を保持するヒムヤー直系を代表する米国の歴史的名馬 |
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1905 |
牡 |
競走馬としては屈腱炎のため大成出来なかったが独国で種牡馬として成功し独国土着の血統の祖ともなったサンインローの父 |
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1905 |
牡 |
好敵手コリンには歯が立たなかったがコリンが競馬場を去った後に豊富なスタミナを武器に活躍し、種牡馬としてマンノウォーを送り出す |
||
1905 |
牝 |
米国から仏国に渡って繁殖牝馬として成功し、トウルビヨン、ミスタープロスペクター、シアトルスルーなど数々の名馬を輩出した一大牝系の祖となる |
||
1905 |
牝 |
好き合っていた馬同士が結ばれるというサラブレッド界では稀有の出来事から誕生した英ダービー・英オークスのダブル優勝馬 |
||
1906 |
牡 |
不運にも春の英国クラシック競走2戦を落とすもその後は英セントレジャー・アスコット金杯など15連勝した20世紀英国屈指の名馬 |
||
1906 |
牝 |
牝馬限定戦では生涯無敗、牡馬相手でも互角に渡り合って米国競馬の殿堂入りも果たした20世紀初頭の米国の名牝 |
||
1906 |
牡 |
時の英国王の所有馬として史上唯一の英ダービー優勝を果たすも種牡馬入り後にロシア革命に巻き込まれて消息不明となる |
||
1907 |
牡 |
名馬ベイヤードの半弟で兄が勝てなかった英ダービーの他、エクリプスSなど英国の著名レースを数多く制し英愛首位種牡馬にも輝いた一流馬 |
||
1907 |
牡 |
反賭博運動の影響で早期引退を余儀なくされたベルモントSの勝ち馬は、母の父としてウォーアドミラル、ワーラウェイと2頭の米国三冠馬を送り出す |
||
1907 |
牡 |
20世紀初頭における英国で考え得る最高の血統を有する英セントレジャー・エクリプスSの勝ち馬は種牡馬としても優秀な成績を収める |
||
1907 |
牡 |
米国産馬ながら当初は英国で走ったが芽が出ず米国に戻った後に開花して史上初のニューヨークハンデ三冠馬になる |
||
1908 |
牡 |
英セントレジャー・エクリプスS・アスコット金杯2回などを勝った名長距離馬は不遇な晩年の中から後世に血を残す |
||
1910 |
牝 |
北米大陸の各地に足を運び下級短距離戦で過酷なハンデを背負いながら走り続けた米国競馬史上最多勝利牝馬 |
||
1911 |
牡 |
競走馬としては振るわなかったが種牡馬として成功し所有者エドワード・ブラッドリー大佐を名馬産家たらしめたヒムヤー直系の名種牡馬 |
||
1911 |
騙 |
無敵の強さでケンタッキーダービーを制覇後に故障するも2年8か月もの空白を経て競走生活に復帰し米年度代表馬に輝いた薄幸の名馬 |
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1911 |
騙 |
両親の自然交配という運命的な出来事で誕生し、卓越したスピードでレコードタイムを連発するも最後に悲劇に巻き込まれる |
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1911 |
牡 |
主に牝駒を通じて後世に大きな影響力を残す第一次世界大戦前夜における仏国競馬の最強馬 |
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1911 |
牡 |
競走馬として無尽蔵のスタミナを誇り種牡馬としてもそのスタミナを子孫によく伝えた20世紀英国近代競馬におけるスタミナの源泉 |
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1911 |
牡 |
抜群のスピード能力と奇妙な斑点模様がある芦毛の馬体から「驚異の斑点」の異名で呼ばれ近代競馬のスピードの源泉ともなった稀代の快速馬 |
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1912 |
牝 |
各国の首位種牡馬4頭の母となり、牝系子孫も大きく発展させた20世紀前半の仏国の誇る大繁殖牝馬 |
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1912 |
牡 |
第一次世界大戦勃発年にデビューし、代替開催ながらも英国牡馬クラシック競走を全勝して史上11頭目の英国三冠馬に輝く |
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1912 |
牝 |
彼女が勝ったからこそケンタッキーダービーが米国最大の競走となったとまで高く評価された史上初の牝馬のケンタッキーダービー馬 |
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1912 |
牡 |
種牡馬としても成功したがもう少し余命があればマッチェム直系の発展に大きく寄与した可能性があるベルモントSの勝ち馬 |
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1913 |
牝 |
第一次世界大戦による代替開催ながら英ダービー・英オークスをダブル制覇した、20世紀最後の牝馬の英ダービー優勝馬 |
||
1913 |
牡 |
種牡馬として活躍し20世紀欧州にマッチェム直系を蘇らせた生涯不敗の超大柄な英セントレジャー馬 |
||
1913 |
牡 |
驚異的な遺伝力を存分に発揮して現代競馬の主流血脈全ての祖となった快速短距離馬 |
||
1913 |
牡 |
一時的にスペインに疎開していた第一次世界大戦中の仏国最強馬は種牡馬としても成功し現在も競馬界に大きな影響を与える |
||
1914 |
牡 |
第一次世界大戦中にニューマーケット競馬場のみで走り圧倒的な強さで史上12頭目の英国三冠馬に輝く |
||
1915 |
騙 |
現役時代に100戦してケンタッキーダービーなど50勝を挙げるという恐るべき成績を残した20世紀前半における米国最強騙馬 |
||
1915 |
牡 |
第一次世界大戦の影響色濃い時代に史上13頭目の英国三冠馬となり種牡馬としてもハイペリオンなどを出して大きな成功を収める |
||
1915 |
騙 |
67戦して57勝2着9回、落馬以外は3着以下になった事が無い20世紀初頭のニュージーランドの歴史的名馬 |
||
1916 |
騙 |
小柄な馬体には過酷な斤量を背負いながら2歳戦から短距離路線で大活躍し、好敵手サーバートンより58年遅れで米国競馬の殿堂入りを果たす |
||
1916 |
牡 |
初勝利をケンタッキーダービーで挙げた後にプリークネスS・ベルモントSも制覇して後に史上初の米国三冠馬と呼称される |
||
1917 |
牡 |
圧勝に次ぐ圧勝で大人気を博し「ビッグレッド」と呼ばれて現在も米国民から愛され続ける米国競馬史上最高の名馬 |
||
1917 |
牡 |
父ザテトラーク譲りの快速で2歳時から猛威を振るい英2000ギニーを制覇するなど英国短距離界を席巻したトキノミノルの祖父 |
||
1918 |
牡 |
米国の名馬産家ジョン・マッデン氏をして生涯最高傑作と言わしめた名馬だが、種牡馬失格の烙印を押されて2度の現役復帰など波乱万丈の生涯を送る |
||
1918 |
牡 |
結核を患いながらそれと知らずに片方の肺だけで走り続け英ダービーを優勝するも僅か18日後に急死した悲運の名馬 |
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1918 |
牡 |
第一次世界大戦終戦の年に生まれた史上初の凱旋門賞2連覇の名馬は大種牡馬トウルビヨンの父ともなる |
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1919 |
牡 |
幼少期から続いた不運を英ダービー馬を4頭出すなど種牡馬としての大活躍で払拭した2度の世界大戦間における愛国の誇る大種牡馬 |
||
1919 |
牝 |
シックル、ファラモンド、ハイペリオンと根幹種牡馬3頭の母となって後世に大きな影響を与えた20世紀最高の繁殖牝馬の1頭 |
||
1920 |
牡 |
仏国のみならず欧州における最強馬として米国で行われた国際競走3戦全てで好走し、米最優秀ハンデ牡馬に選ばれた20世紀上四半期における仏国最強馬 |
||
1920 |
牡 |
競走馬としては全弟フェアウェイより下の評価だったが、種牡馬として大種牡馬ネアルコや名馬ファリスを輩出した世界競馬史上を照らす大灯台 |
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1920 |
牡 |
仏2000ギニーやジャックルマロワ賞を勝つなど仏国で活躍し、米国で種牡馬として4度の首位種牡馬、12度もの母父首位種牡馬に輝く |
||
1920 |
牡 |
英ダービー馬パパイラスとの歴史的マッチレースに勝利して米国競馬の英雄となったケンタッキーダービー・ベルモントSの勝ち馬 |
||
1921 |
牡 |
ケンタッキー州など米国4つの州でダービーを制した史上初の馬だが種牡馬失格の烙印を押されて現役復帰させられた後のレース中に故障し命を落とす |
||
1921 |
牝 |
驚異的なスピードを武器に英国短距離戦線で活躍し、繁殖入り後に後世に絶大な影響を与えた芦毛の快速牝馬「天を駆ける牝馬」 |
||
1921 |
牝 |
史上4頭目にして20世紀最後の牝馬のプリークネスS覇者となり、繁殖牝馬としても成功して一大牝系を築く |
||
1921 |
牝 |
古馬になっても頑健にハンデ競走を走りまくって北米賞金女王に輝き米国顕彰馬にも選ばれたケンタッキーオークス馬 |
||
1921 |
騙 |
1920年代の米国競馬界において最もスピードに優れた馬と評され、2年連続で米年度代表馬にも選ばれる |
||
1922 |
牡 |
英2000ギニーに続いて英ダービーを当時同競走史上最大の8馬身差で圧勝した大種牡馬ファラリス産駒唯一の英ダービー馬 |
||
1922 |
牡 |
類稀なき能力で歴史的名馬を次々撃破しながらその能力に見合うだけの名声を得られないまま病魔に倒れて歴史に埋もれた悲運の名馬 |
||
1922 |
牡 |
当初はピカルーンやマンナの引き立て役だったが3歳秋に英セントレジャーを制して一気に頂点に君臨した名長距離馬は種牡馬としても優秀な成績を収める |
||
1922 |
牡 |
昭和初期に活躍して日本ダービー馬を史上最多の6頭輩出、日本競馬の黎明期に偉大なる足跡を残した大種牡馬 |
||
1923 |
牡 |
好敵手コロナックと戦いながら英2000ギニー・エクリプスSを制した名馬だが種牡馬入り後僅か2年で他界する |
||
1923 |
牡 |
喉鳴りの持病やスタート難などを抱えながら英ダービー・英セントレジャーなど英国の大レースを次々と圧勝した名馬ハリーオンの最高傑作 |
||
1923 |
牡 |
3歳時にサラゼンやプリンセスドリーン、それに同世代の強豪牡馬達を次々に撃破して米年度代表馬に選出されたベルモントSの勝ち馬 |
||
1924 |
騙 |
障害競走で活躍した後に平地に転向して英国最長距離平地競走クイーンアレクサンドラSの6連覇を達成した、英国競馬史上に残る名長距離馬にして人気馬 |
||
1924 |
牡 |
骨盤骨折から奇跡的に復活しバーデン大賞3連覇を果たした独国の歴史的名馬は9度の独首位種牡馬に輝く成功も収める |
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1924 |
牡 |
小岩井農場のエース種牡馬として昭和初期の日本競馬界をリードし、重賞シアンモア記念にその名を残す大種牡馬 |
||
1924 |
牡 |
直系子孫からネイティヴダンサーやミスタープロスペクターを登場させて現在の競馬界に大きな影響を与えたファラリスの後継種牡馬の一頭 |
||
1925 |
牡 |
英セントレジャー・エクリプスS・英チャンピオンS2回などを制し全兄ファロスを上回る評価を受け、種牡馬としても成功して一世を風靡する |
||
1925 |
牡 |
現役時代は僅か2勝ながら種牡馬として成功しトムフールとバックパサー親子を直系子孫から輩出した良血馬 |
||
1925 |
牡 |
遠征先の英国でもコロネーションCを制したケンタッキーダービー馬は米国三冠馬カウントフリートの父となる |
||
1925 |
牡 |
気性が激しい馬主のせいで現役時代に8度も調教師が代わりながらもホーソーン金杯3連覇などの活躍で1930年代の世界賞金王に君臨する |
||
1926 |
牡 |
ベルモントSや第1回アーリントンクラシックSを勝つなどして米年度代表馬に選ばれた名馬は母系に入って日本を含む各国で大きな影響力を保ち続ける |
||
1926 |
牝 |
競走馬としては未勝利に終わったが仏国から米国に輸入されて繁殖牝馬として大成功を収め、米国競馬史上最高の名門牝系の始祖となる |
||
1926 |
牡 |
伊国調教馬として史上初の凱旋門賞優勝を果たした伊国競馬史上有数の名馬は6度の伊首位種牡馬に輝くも最後は米国で生涯を終える |
||
1926 |
騙 |
当初は全く振るわなかったが徐々に出世して豪州競馬史上最強馬となるも遠征先の米国で謎の死を遂げた豪州競馬史上最大の英雄と讃えられる赤毛の名馬 |
||
1927 |
牡 |
史上唯一の米グランドナショナル・英グランドナショナル両レース制覇を果たし米国競馬の殿堂入りもしている名障害競走馬 |
||
1927 |
牡 |
英ダービー馬とケンタッキーダービー馬を両方輩出し、ブランドフォード最良の後継種牡馬となった英ダービー馬 |
||
1927 |
牡 |
下総御料牧場により輸入されて日本史上初の三冠馬セントライトを送り出した英2000ギニー優勝馬 |
||
1927 |
牡 |
米国三冠という用語が一般的に使用され始めた年に出現した史上2頭目の米国三冠馬は種牡馬としても米国三冠馬を輩出 |
||
1927 |
騙 |
チェルトナム金杯5連覇・史上唯一のチェルトナム金杯と英グランドナショナル同一年制覇などの記録を有する20世紀前半における英国最高の障害競走馬 |
||
1928 |
牡 |
3歳時をほぼ棒に振るも古馬になって慢性の裂蹄や重い斤量と戦いながら他馬を蹴散らし続け「チョコレートソルジャー」の愛称で親しまれた米国の歴史的名馬 |
||
1928 |
牝 |
牝馬として史上初めて凱旋門賞を制するなど仏国の大競走を勝ちまくり仏国競馬史上最高の名牝の1頭という評価を得ただけでなく母としても英ダービー馬を産む |
||
1928 |
牡 |
一時は衰退していたセントサイモンの直系を復活させたベルギー競馬史上の最強馬だが第二次世界大戦に巻き込まれて非業の死を遂げる |
||
1928 |
牡 |
悪名高きジャージー規則を撤廃させヘロド直系のみならず全ての雑種血統が現在に伝わる最大の功労馬となった仏国の誇る名競走馬にして大種牡馬 |
||
1928 |
牡 |
ケンタッキーダービーを驚異的レコードタイムで優勝し、3歳後半の強さはマンノウォーの再来とまで言われたが故障や無精子症のため4歳以降は不遇をかこつ |
||
1929 |
牝 |
2歳時7戦全勝の完璧な成績を残し20世紀米国競馬史上最高の2歳牝馬と讃えられ3歳時も活躍する |
||
1930 |
牡 |
ハイペリオンに煮え湯を飲まされ続けたが5度目の対戦となったアスコット金杯を圧勝して一矢を報いた20世紀英国有数の名長距離馬 |
||
1930 |
牡 |
「サラブレッドの芸術品」と評され、小柄だが強靭な意志を持った20世紀前半英国における最も偉大な競走馬にして大種牡馬 |
||
1931 |
牡 |
非常に小柄で貧相な馬体ながらも仏国2歳三冠完全制覇・凱旋門賞優勝などデビューから11連勝を達成した仏国競馬史上有数の名馬 |
||
1931 |
牡 |
3歳時に名馬ディスカヴァリー相手に全勝し「爆砕機」の異名で呼ばれた強烈な末脚が魅力のケンタッキーダービー馬 |
||
1931 |
牡 |
2歳時7戦全勝の成績で、無敗のまま英2000ギニーを勝利するも英ダービーでは敗戦を喫した「完全なるレーシングマシーン」 |
||
1931 |
牡 |
過酷な斤量を平気で克服して勝ち星を重ねて「蒸気機関車」の異名で親しまれ、ネイティヴダンサーやボールドルーラーの母の父としても名を残す |
||
1931 |
牡 |
距離が伸びるに従い能力を開花させたブランドフォード直子の英ダービー・英セントレジャー優勝馬だが病気のため種牡馬としてはその能力を発揮できず |
||
1932 |
牡 |
オーモンドとアイシングラス以来史上3頭目の無敗の英国三冠馬となるも他世代と対戦することなく競馬場を去ったブランドフォードの代表産駒 |
||
1932 |
牝 |
大繁殖牝馬ラトロワンヌの最初の大物産駒で米国競馬の殿堂入りを果たすほどの活躍を見せる |
||
1932 |
牝 |
4・5歳時に凱旋門賞を連覇した歴史上唯一の馬である仏国の歴史的名牝にして、第二次世界大戦末期に消息を絶った悲運の名牝 |
||
1932 |
牡 |
競走馬としては故障に泣かされて消化不良に終わったが種牡馬として成功を収めて父フェアウェイの直系を後世に伝えた未完の大器 |
||
1932 |
牝 |
米国競馬の殿堂入りも果たしている優雅で美しき快速牝馬はミスタープロスペクターやシアトルスルーの牝系先祖 |
||
1932 |
牡 |
英国遠征にも果敢に挑戦して結果を残した強烈な追い込みを武器とした米国競馬史上3頭目の三冠馬 |
||
1932 |
牡 |
競走馬としては大競走制覇にあと一歩届かなかったが太平洋戦争終戦後の日本で5年連続首位種牡馬に輝いた幻の馬トキノミノルの父 |
||
1933 |
牡 |
距離が伸びて本領を発揮しベルモントS優勝を皮切りに6連勝、サラトガCでディスカヴァリーを8馬身切って捨てて米年度代表馬に輝く |
||
1933 |
牡 |
59年間破られなかったレースレコードで英ダービーを制しただけでなく種牡馬としても大きな成功を収めた純白の快速馬 |
||
1933 |
牝 |
独ダービーを驚異的なレコードタイムで勝ち、後の凱旋門賞2勝馬コリーダにも土を付けた独国の伝説的な無敗の名牝 |
||
1933 |
牡 |
アスコット金杯などに勝利した名長距離馬にして、父ハリーオンの最良の後継種牡馬ともなった「優しい巨人」 |
||
1933 |
牡 |
三流馬から最強馬へと大変身、小説や映画の主人公にもなった米国競馬の伝説的英雄 |
||
1934 |
牡 |
豪州の大レースを勝ちまくり18連勝を含む36勝を挙げ、豪州競馬史上最大の短距離馬及びマイラーの1頭として評価される |
||
1934 |
牡 |
シービスケットとの宿敵としても知られる、名馬マンノウォーの種牡馬としての最高傑作となった第4代米国三冠馬 |
||
1935 |
牡 |
英ダービーにおいて同競走史上最高級の豪脚で差し切って圧勝し、種牡馬としては日本競馬史に多大な影響を及ぼす |
||
1935 |
牡 |
競走馬としては一流とは言えなかったが5度の北米首位種牡馬に輝き、名門カルメットファームの全盛時代を支えた大種牡馬 |
||
1935 |
牡 |
第二次世界大戦混乱の最中に仏国から独国に連れ去られて消息不明となった悲運の凱旋門賞馬 |
||
1935 |
牡 |
種牡馬として大成功を収めて近代サラブレッド血統界をその血で覆い尽くした、伊国の天才馬産家フェデリコ・テシオ氏が世に送り出した生涯無敗の名馬 |
||
1936 |
牡 |
第二次世界大戦の勃発により英セントレジャーが開催中止となり、有力視されていた英国三冠の夢を絶たれた悲運の名馬 |
||
1936 |
牡 |
生粋のメリーランド馬として地元の大競走プリークネスSを制したメリーランド州の英雄は第二次世界大戦勃発前後における米国最強馬としても名を馳せる |
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1936 |
牡 |
後脚の怪我と戦いながら走り1939年のサラトガ開催を制圧するも米国競馬の年度表彰では無冠に終わった名馬 |
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1936 |
牡 |
断然の人気に応えてケンタッキーダービー・ベルモントSを逃げ切り圧勝したが故障のため早期引退に追い込まれ米国競馬の年度表彰では無冠に終わる |
||
1936 |
牡 |
わずか3戦のキャリアながら今なお欧州最強クラスの名馬と言われ種牡馬としても良績を残した第二次世界大戦前夜の仏国の英雄 |
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1937 |
牡 |
2歳時6戦全勝の成績を残し、3歳時もプリークネスSとベルモントSを勝利した大繁殖牝馬ラトロワンヌの直子における最高傑作 |
||
1937 |
牡 |
父トウルビヨンの最高傑作にして最良後継種牡馬となった英2000ギニー・凱旋門賞優勝馬 |
||
1938 |
牡 |
種牡馬として自身の競走能力とは異なる歴史的快速馬を続出させた第二次世界大戦中の英ダービー馬 |
||
1938 |
牡 |
父マンノウォーの後継種牡馬の1頭として活躍し、マンノウォーの直系を唯一21世紀に伝えることに成功する |
||
1938 |
牡 |
コーナリングが下手という欠点をケンタッキーダービー直前に克服して史上5頭目の米国三冠馬に輝いた第二次世界大戦中における米国競馬の救世主 |
||
1939 |
牡 |
僅か700ドルの安値で取引されながらも2歳夏から急激に頭角を現し、プリークネスSや米国三冠馬ワーラウェイとのマッチレースに勝利する |
||
1939 |
牡 |
名義貸し疑惑に巻き込まれて当初は豪州の地方都市で走っていたが、馬主交替後に15連勝を記録した初代豪州顕彰馬の1頭 |
||
1939 |
牡 |
時の英国王ジョージⅥ世の持ち馬として7戦無敗で英2000ギニーを制し種牡馬としても一定の成功を収める |
||
1939 |
牡 |
前脚の蹄が欠損しているというハンデを抱えながらメトロポリタンH3連覇など数多くのステークス競走を勝利し、2年連続米最優秀ハンデ牡馬に選ばれる |
||
1939 |
牡 |
名馬アルサブと米国三冠競走で好勝負を演じ、ケンタッキーダービーとベルモントSを制した、米国の歴史的名馬エクワポイズが遺した最高傑作 |
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1939 |
牝 |
時の英国王ジョージⅥ世の所有馬として第二次世界大戦中に英国牝馬三冠を達成した激しい気性と高い身体能力を兼ね備えた名牝 |
||
1939 |
牡 |
第二次世界大戦中における独国最強馬にして、通算9度の独首位種牡馬に輝いた独国の歴史的名馬 |
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1939 |
牝 |
名馬ブラックターキンの母となるなどして曾祖母フリゼットの血を大きく発展させた米最優秀3歳牝馬 |
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1940 |
牡 |
米国競馬史上最高の2歳馬という評価を得た後、ベルモントSを25馬身差という記録的大差で圧勝して第6代目の米国三冠馬に輝く |
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1940 |
牡 |
カドラン賞の4連覇を果たし英国でも活躍した第二次世界大戦中の仏国が誇る歴史的超長距離馬 |
||
1940 |
牡 |
爆発的なスピードを誇りながら激しい気性のため競走馬としては大成できなかったがその快速を子孫に伝えて世界中の競馬界に影響を与えた稀代の大種牡馬 |
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1940 |
牡 |
3歳時は未勝利の身で出走した英ダービー・英セントレジャーいずれも4着だったが4歳時にコロネーションCなど4勝を挙げて歴史的名馬との評価を得る |
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1940 |
牡 |
戦火を避けて仏国から米国に渡り、父として、そして母父として後世に大きな影響を与えて、戦争の犠牲になった父プリンスローズの血を拡散させる |
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1940 |
牡 |
障害競走にも出走歴がある程度の競走成績ながら仏首位種牡馬に輝き、その卓越したスタミナを子孫達にも伝える |
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1941 |
騙 |
3歳までは開花しなかったが古馬になって本格化して重いハンデと戦い続けながら数々のレコードタイムを樹立したブルリー直子の実力派騙馬 |
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1941 |
牡 |
デビュー60戦目にして初のステークス競走勝利を挙げると米国最強馬の座まで上り詰めた豪快な追い込みとサクセスストーリーが魅力のシンデレラホース |
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1941 |
牝 |
3歳時に怒涛の11連勝を記録、同世代の最強牡馬や古馬の最強牡馬をも蹴散らして米年度代表馬に選出された稀代の名牝 |
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1942 |
牝 |
同世代の牡馬や古馬より重い斤量を背負いながら活躍し3歳にして米年度代表馬に選出された第二次世界大戦中の米国競馬のヒロイン |
||
1942 |
牡 |
第二次世界大戦終戦年の英2000ギニー優勝馬は種牡馬としても仕上がり早い快速馬をだして成功 |
||
1942 |
牡 |
英国ノースヨークシャー州の辺境の町ミドルハムから登場した第二次世界大戦終戦年における英国最強3歳馬 |
||
1942 |
牝 |
スタイミーを始めとする強豪牡馬を相手に米国古馬ハンデ路線で頑健に走り続け、米国調教師間の投票において米国競馬史上最も偉大な牝馬に選ばれる |
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1942 |
牡 |
プリークネスSの勝ち馬にして記念すべき初代の米最優秀短距離馬は種牡馬としてもネイティヴダンサーを輩出して後世に絶大な影響を与える |
||
1942 |
牡 |
叔父のナスルーラ、ニアークティックと共に父ネアルコの三代主流血脈を構築し、日本競馬界を制圧しているヘイルトゥリーズン系の始祖となる |
||
1943 |
牡 |
幼少期に杭を踏み抜いて右前脚が生涯不自由になったという競走馬としては致命的なハンデを克服して米国三冠を達成した「蟹脚の彗星」 |
||
1943 |
牡 |
当初は英国で走りいったんは種牡馬入りするも米国で競走馬として復帰した後に本格的な種牡馬活動に入りハイペリオンの血を米国に広めた名馬スワップスの父 |
||
1944 |
牡 |
英ダービー馬ダンテの全弟で英ダービー兄弟制覇は逃すも愛ダービー・英セントレジャーを制覇して種牡馬としても活躍する |
||
1944 |
牡 |
英2000ギニー8馬身差圧勝などマイル以下の距離では不敗を誇り3歳馬としては英国競馬史上最強マイラーの評価を得る |
||
1945 |
牡 |
70年ぶり史上2頭目の英国長距離三冠馬となるなど欧州長距離競走全盛時代の最後を飾った、20世紀英国競馬史上における最強の長距離馬 |
||
1945 |
牝 |
2歳時から大活躍しながら古馬になっても走り続け同期同厩の米国三冠馬サイテーションと名勝負を展開して北米賞金女王にも輝いた名牝 |
||
1945 |
牡 |
史上唯一の東西独ダービーのダブル制覇を果たした東西冷戦初期の独国の英雄は種牡馬としても成功し21世紀に直系を伝える |
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1945 |
牡 |
悪名高きジャージー規則が廃止される最後の一押しとなった米国産まれの英セントレジャー馬 |
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1945 |
牡 |
特に3歳時に無敵の強さを誇り圧勝に次ぐ圧勝で20世紀米国最多の16連勝を記録し史上初の100万ドルホースとなった距離馬場不問の第8代米国三冠馬 |
||
1945 |
牡 |
同世代同厩の米国三冠馬サイテーションの陰に隠されてしまったが3つの異なる距離で世界レコード又は世界レコードタイをマークして米年度代表馬にも輝く |
||
1945 |
牡 |
仏国産馬ながらその快速で英2000ギニーを驚異的レコードタイムで圧勝し、種牡馬としても成功した日本の名種牡馬パーソロンの直系祖父 |
||
1945 |
牡 |
米国三冠馬サイテーションと激戦を展開し、5歳時に世界レコード3度を含む6度のコースレコードを樹立したナスルーラの初年度産駒 |
||
1945 |
牡 |
競走馬としてはケンタッキーダービー目前に故障引退したが種牡馬として成功し、日本において一時的にマンノウォー直系を繁栄させる |
||
1946 |
牡 |
ジュライCやナンソープSを2連覇し、現役時代を知る誰もが口を揃えて英国競馬史上最強の短距離馬だったと語った芦毛の快速馬 |
||
1946 |
牝 |
強すぎる近親交配によって生み出され数奇な運命を辿った新生凱旋門賞の初代女王 |
||
1946 |
牡 |
五冠馬シンザンを筆頭に数々の名馬を出し全日本首位種牡馬に7度輝き1960年代の日本競馬を牽引した愛ダービー馬 |
||
1946 |
牡 |
競走馬としては一流になれなかったが南十字星の下で一大王国を築き上げ豪州競馬史上に偉大な足跡を残した大種牡馬となる |
||
1946 |
牝 |
慢性的な脚部不安と戦いながら牡馬相手のハリウッド金杯などを勝った名牝は繁殖牝馬としても一流の成績を残す |
||
1947 |
牝 |
ノーザンダンサーやヘイローの祖母として現代競馬に多大な貢献を果たし、米国競馬史上最も後世に影響力を残した繁殖牝馬の1頭とされる |
||
1947 |
牝 |
酷使に耐えながら米最優秀2歳牝馬・最優秀ハンデ牝馬に選ばれるも繁殖入り1年足らずで他界した薄幸の名牝 |
||
1947 |
牡 |
プリークネスSやジョッキークラブ金杯などを制して3歳時に米年度代表馬に選ばれ、父プリンスキロの種牡馬としての飛躍のきっかけとなる |
||
1947 |
牡 |
競走馬としてはそれほど成功できなかった愛国の良血馬は、長年に渡り中央競馬の最多勝利記録を有していた昭和30年代日本の名種牡馬となる |
||
1947 |
牡 |
欧州最強馬決定戦としての地位を確立した後の凱旋門賞を初めて連覇した歴史的名馬は種牡馬としても2度の仏首位種牡馬に輝く |
||
1947 |
牡 |
非常に見栄えが悪い上に気性も激しい欠点だらけの馬ながら快速競走馬として活躍し、致命的な怪我を強い精神力で乗り越え、後に名馬ケルソの父となる |
||
1948 |
牡 |
気性の激しさが災いして競走馬としては高い素質を十分に発揮できなかったが、種牡馬としては父ナスルーラ最初の大物後継種牡馬して活躍する |
||
1948 |
牡 |
プリンスローズ直系のスタミナ重視型の仏ダービー馬は激しい気性ながら種牡馬として成功し直系子孫が日本で一世を風靡する |
||
1949 |
牡 |
競走馬としては英ダービーで惜しくも敗れるなどあと一歩だったが豊富なスピードで昭和40年頃の日本競馬界をリードした名種牡馬となる |
||
1949 |
牡 |
種牡馬としてスタミナ豊富な名馬や優秀な障害競走馬を多く出して社台グループの屋台骨を支え続けた仏2000ギニー馬 |
||
1949 |
牝 |
ケンタッキーオークス・ブラックアイドスーザンS・CCAオークスを制して米国牝馬三冠馬となり繁殖入り後に名門カルメットファームを支える優秀な牝系を構築する |
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1949 |
牡 |
2歳時から活躍していたが4歳になって全盛期を迎え、ニューヨークハンデキャップ競走全勝など10戦無敗の成績を誇った米国の歴史的名馬 |
||
1949 |
牡 |
3歳になって開花し、英ダービー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを制して英国調教馬の賞金記録を57年ぶりに更新する |
||
1949 |
牡 |
愛英仏の3か国の2歳戦で圧倒的な実力を見せつけ、英タイムフォーム社のレーティングにおいて2歳馬としては唯一の140ポンド台となる142ポンドを獲得 |
||
1950 |
牡 |
極度の気性難ながら英国エリザベスⅡ世女王陛下の所有馬としてキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを制覇する |
||
1950 |
牡 |
米国テレビ時代の到来と同時に大活躍して通算22戦21勝2着1回の成績を残し、後世にも絶大な影響力を有している「灰色の幽霊」 |
||
1950 |
牡 |
英国競馬史上に燦然とその名を残す稀代の名手サー・ゴードン・リチャーズ騎手に悲願の英ダービーをプレゼントする |
||
1951 |
牡 |
激しい気性と闘争心を併せ持ち、関わった騎手や調教師に深い思い出を残した史上初のケンタッキー州産まれの英ダービー馬 |
||
1951 |
牡 |
現役時代は英国短距離路線で活躍し、種牡馬としては日本で一大ブームを巻き起こしたプリンスリーギフト系の始祖となる |
||
1951 |
牡 |
ケンタッキーダービー目前に故障引退と競走馬としては消化不良に終わるも、種牡馬としてはヘイルトゥリーズンやサーゲイロードを通じて世界中にその血を広める |
||
1952 |
牝 |
繁殖牝馬としても英ダービー馬を出して成功したスタミナ豊富な第8代英国牝馬三冠馬 |
||
1952 |
牡 |
ケンタッキーダービーでは好敵手スワップスに敗れたが後のマッチレースで雪辱を果たし種牡馬としても後世に大きな影響を与えた米年度代表馬 |
||
1952 |
牡 |
かなりのマイナー血統の持ち主ながらも圧倒的強さで3歳時8戦全勝の成績を残し20世紀英国屈指の短距離馬との評価を得る |
||
1952 |
牡 |
圧勝に次ぐ圧勝で凱旋門賞2連覇・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS制覇など生涯戦績16戦全勝の成績を残した伊国の誇る世紀の名馬 |
||
1952 |
牝 |
名繁殖牝馬ラトロワンヌの孫で競走馬・繁殖牝馬として大成し祖母の牝系を大きく発展させた立役者の1頭となった米国顕彰馬 |
||
1952 |
牡 |
快速を武器にケンタッキーダービーを勝った後に右前脚の裂蹄と闘いながら世界レコードを実に5回も記録した20世紀カリフォルニア州産の最強馬 |
||
1952 |
牡 |
英国調教馬以外として初のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの勝ち馬は日本で種牡馬として活躍する |
||
1953 |
牡 |
競走馬としては冴えなかったが、日本で数々の名競走馬を輩出した頑健、パワフル、そして精力抜群の大種牡馬 |
||
1953 |
牡 |
キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの優勝馬として史上初めて日本に種牡馬として輸入されて活躍馬を出したが惜しくも早世する |
||
1953 |
牡 |
フロリダ州産馬として史上初めてケンタッキーダービー馬となりフロリダ州の馬産界における希望の星となる |
||
1953 |
牡 |
競走馬としては故障のため3歳戦を走る事無く引退となったが、種牡馬として成功し、さらに繁殖牝馬の父として大きな成功を収める |
||
1953 |
牡 |
米国三冠競走にも米国競馬の年度表彰にも無縁だったが黙々と走り続けて同時代の強豪馬達を次々と破り後に米国顕彰馬にも選ばれる |
||
1954 |
牡 |
凱旋門賞・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSなどを勝ち愛国史上最高の名伯楽ヴィンセント・オブライエン師が最初に手掛けた平地競走の超大物競走馬となる |
||
1954 |
牡 |
競走馬としてもプリークネスSなどを勝ち米年度代表馬に選ばれた一流馬だが、種牡馬として8回もの北米首位種牡馬に輝き20世紀米国最高の種牡馬と言われる |
||
1954 |
牡 |
慢性の脚部不安を抱えながら英2000ギニー・英ダービーを制したがその後は一走も出来なかった未完の強豪馬 |
||
1954 |
牡 |
ゴール板誤認による敗戦というケンタッキーダービーの悪夢からベルモントSの8馬身差圧勝で覚醒した無冠の帝王 |
||
1954 |
牡 |
加国の天才馬産家エドワード・テイラー氏が送り出した加年度代表馬は20世紀最大の種牡馬ノーザンダンサーの父となる |
||
1954 |
牡 |
競走馬としても種牡馬としても抜群の成功を収めたわけではないが、代表産駒ブラッシンググルームの活躍により後世に名を残す |
||
1954 |
牡 |
ナンソープS・ジュライCなど英国の主要短距離戦を次々に連覇した1950年代英国屈指の名短距離馬 |
||
1954 |
牡 |
芝とダートを問わず頑健に走り4年間で66戦43勝、レコード勝ちを16回マークし米年度代表馬及び全米賞金王に輝き種牡馬としても活躍する |
||
1954 |
牡 |
豪州のみならず当時世界最良の3歳馬と呼ばれ、2年間もの闘病生活を経て再び最強馬に返り咲いた豪州競馬史上屈指の名馬 |
||
1955 |
牡 |
現役時代は英ダービー直前回避など不運も多かったが英セントレジャー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを豪快な追い込みで勝った名長距離馬 |
||
1955 |
牡 |
当初は気性難のため活躍できなかったが、調教師の看病で重病を克服してから馬が変わり、史上唯一のワシントンDC国際S2連覇を果たす |
||
1955 |
牝 |
英2000ギニー・英オークスなどを制し、その血統背景から第二次世界大戦という混沌の中から生まれた仏独混血の名牝と呼ばれる |
||
1955 |
牡 |
愛国調教馬として51年ぶりに英ダービーを勝ったファリス直系の名馬は父子3代の本邦輸入種牡馬の初代となる |
||
1955 |
牡 |
他馬から数十馬身後方を追走しながらゴールでは差し切ってしまうレース内容で人気を博した米国カリフォルニア州の伝説の追い込み馬 |
||
1955 |
牡 |
強烈な末脚を武器に破竹の8連勝でケンタッキーダービー・プリークネスSを制覇するもレース中の故障で米国三冠の夢を絶たれた良血馬 |
||
1956 |
牡 |
ソードダンサーやキャリーバックと戦いながら米最優秀短距離馬にも選ばれ、種牡馬としても貴重なマンノウォー直系を後世に伝える中継ぎを担う |
||
1956 |
牡 |
同期の名牝プティトエトワールには勝てなかったが英国と日本で種牡馬として活躍した英ダービー馬 |
||
1956 |
牝 |
牡馬顔負けの類稀なスピードから繰り出す追い込みを武器に英1000ギニーや英オークスなど英国の大競走を次々に制覇した芦毛の名牝 |
||
1956 |
牝 |
米最優秀2歳牝馬に選ばれニューヨーク牝馬三冠競走のうち2競走も制したマルゼンスキーの祖母 |
||
1956 |
牡 |
日本で天皇賞馬を2頭輩出したスタミナ自慢の凱旋門賞・エクリプスSの勝ち馬 |
||
1956 |
牝 |
サンタアニタダービーを快勝してケンタッキーダービーにも挑戦するなど牡馬相手に健闘し米国競馬の殿堂入りも果たした米国三冠馬サイテーションの最高傑作 |
||
1956 |
牡 |
貧相な馬体ながらベルモントS・ウッドワードS2回などを制して米年度代表馬に選ばれた名馬は種牡馬としてダマスカスを出しテディの直系を発展させる |
||
1957 |
騙 |
チェルトナム金杯を3連覇するなど圧倒的な実力を示し障害競走の本場である英愛両国において人気と実力共に最高と言われる世界競馬史上最高の障害競走馬 |
||
1957 |
騙 |
3歳時から7歳時まで5年連続で米年度代表馬に選ばれるというおそらく2度と見ることが出来ない快挙を成し遂げた米国競馬史上最強騙馬 |
||
1957 |
騙 |
英愛の障害競走ナショナルハント史上屈指の実力馬でありながら同世代馬アークルの引き立て役になってしまった「障害競走史上最も偉大なナンバー2」 |
||
1958 |
牝 |
名繁殖牝馬フラワーボウルの初子として米最優秀2歳牝馬・米最優秀3歳牝馬・米国顕彰馬に選ばれる |
||
1958 |
牡 |
ケンタッキーダービーやプリークネスSなどで見せた怒涛の追い込み劇により米国競馬ファンの絶大な人気を獲得した雑草血統の持ち主 |
||
1958 |
牡 |
走りまくった2歳時しか競走生活を送らなかったが種牡馬として成功し現在の日本競馬界を自身の血脈で埋め尽くす |
||
1958 |
牡 |
凱旋門賞こそ惨敗するも仏ダービー・サンクルー大賞などを勝ち種牡馬としても成功し優秀なスタミナを日本や北米に伝える |
||
1958 |
牡 |
4歳時に欧米を股にかけて活躍しキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・ワシントンDC国際Sを勝つが、種牡馬供用3年目で惜しくも早世する |
||
1958 |
牡 |
仏グランクリテリウム・仏2000ギニー・仏ダービーなどを制した仏国最強馬の実力を如何なく発揮してキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSも完勝 |
||
1959 |
牝 |
小柄な馬体で華麗な走りを披露し、2歳から4歳まで3年連続で最優秀牝馬のタイトルを受賞した米国競馬史上唯一の馬となる |
||
1959 |
牡 |
繁殖牝馬の父として活躍し大種牡馬ストームキャットやダイワ兄妹の祖母の父としても名を残すヒムヤー直系の米最優秀2歳牡馬 |
||
1959 |
牡 |
古馬になって開花し強烈な末脚を武器に凱旋門賞・コロネーションC・サンクルー大賞などの大レースを次々に制覇し仏国最強馬に上り詰める |
||
1959 |
騙 |
2歳年上の同厩馬アークルと対戦していたら勝っていた可能性が高いと言われる、アークルと双璧を成す英愛障害競走チェイス分野のトップ2の1頭 |
||
1959 |
騙 |
陣営の酷使に耐えながら米国西海岸で長年走り続け、ハリウッド金杯の3連覇など米国最多記録ステークス競走34勝を挙げた薄幸の名馬 |
||
1959 |
牡 |
競走馬としてはケンタッキーダービー前日の骨折で大成できなかったが種牡馬として成功し一大系統を築いたセクレタリアトの半兄 |
||
1960 |
牝 |
ニューヨーク州クイーンズ地区にあるアケダクト競馬場を主戦場として短距離路線で牡馬顔負けの活躍を続けた「女王の中の女王」 |
||
1960 |
牡 |
史上空前の盛り上がりを見せた1963年のケンタッキーダービーを人気薄ながら優勝しベルモントSも制覇した本邦輸入種牡馬 |
||
1960 |
牡 |
世紀の名馬ケルソと同斤量を背負いながら互角の勝負を繰り広げた唯一と言ってよい馬で、ケルソ最大の好敵手と言える存在 |
||
1960 |
牡 |
競走成績は冴えなかったが、日本で種牡馬として大成功しネヴァーセイダイ系種牡馬ブームを起こす立役者となる |
||
1960 |
牡 |
大種牡馬ナスルーラの最終世代の産駒であり、父の最後の大物後継種牡馬として名馬ミルリーフなど多くの活躍馬を出す |
||
1960 |
牡 |
七冠馬シンボリルドルフや天皇賞3代制覇の初代メジロアサマを筆頭に数々の優駿を送り出した日本競馬史上屈指の大種牡馬 |
||
1960 |
牡 |
遅生まれで小柄のため幼少期の評価は低かったが愛ダービー完勝後に頭角を現し、英セントレジャー・エクリプスSなどを制して英国最強馬の座に君臨 |
||
1960 |
牡 |
英ダービーでドーピング疑惑に揺れたが、英仏両国で数多くの大レースを制した1960年代仏国を代表する強豪馬 |
||
1960 |
騙 |
障害競走年間10勝、障害競走通算勝利数37勝はいずれも米国記録となっている20世紀を代表する米国の名障害競走馬 |
||
1961 |
牡 |
オイロパ賞3連覇・ワシントンDC国際Sで2度とも入着など、東側諸国でもその実力を存分に発揮したソビエト連邦史上最強馬 |
||
1961 |
牡 |
日本で名馬タケホープなどを出して長距離向き種牡馬として活躍した英セントレジャー馬 |
||
1961 |
牡 |
20世紀世界最高の種牡馬としてサラブレッド血統界を支配したカナダ生まれのケンタッキーダービー・プリークネスSの勝ち馬 |
||
1961 |
牡 |
現役時代4戦全勝で早々に引退したが種牡馬として大成功し、ミスタープロスペクターやアリダー達を経由して自身の血で米国競馬界を埋め尽くす |
||
1961 |
牡 |
57年ぶり史上2頭目となる英ダービー・愛ダービーのダブル制覇を果たすも若くしてこの世を去った競走馬のサンタクロース |
||
1961 |
牝 |
アーリントンクラシックSなどで牡馬を蹴散らして勝つなど一流の成績を残し米国競馬の殿堂入りも果たした名種牡馬ヘイローの半姉 |
||
1962 |
牡 |
2歳時の圧倒的な強さに関してはセクレタリアト以上の評価を受けた良血のボールドルーラー産駒 |
||
1962 |
牡 |
仏国競馬史上最強世代に産まれてしまった不運がつきまとうもワシントンDC国際Sを勝ち日本で種牡馬として活躍する |
||
1962 |
牡 |
先着を許したのはシーバードのみ、類稀なる実力を持ちながら最強にはなれなかった仏ダービー馬 |
||
1962 |
牡 |
英ダービーを馬なりで勝ち、史上最高級のメンバーが揃った凱旋門賞も圧倒的な強さで制覇した20世紀世界最強馬 |
||
1962 |
牡 |
プリークネスSなどを勝ち凱旋門賞にも果敢に挑んだ米最優秀3歳牡馬は種牡馬としても父リボーの後継として大活躍する |
||
1963 |
牡 |
完璧な馬体と気まぐれな性格を併せ持つ米国競馬史上有数の個性的最強馬は数々の名競走馬・名種牡馬の母の父として名を馳せる |
||
1963 |
牡 |
3歳時までは素質を開花させられなかったが、転厩後の4歳時に開花してエクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを制して欧州最強馬の座に君臨 |
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1963 |
牡 |
無敗でアルゼンチン3歳四冠馬となり亜国史上最良の馬と讃えられた名馬は種牡馬としても後世に大きな影響を与える |
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1963 |
牡 |
陣営の無理使いが祟ってケンタッキーダービーを目前に故障して早期引退を余儀なくされたが種牡馬としては父リボーの後継として大活躍 |
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1963 |
騙 |
チェルトナム金杯を2連覇した後に英グランドナショナルに4年連続で挑戦し、4度目の出走で3連覇を狙ったレッドラムを2着に破って優勝を飾る |
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1963 |
牡 |
種牡馬として天皇賞春の優勝馬を2頭、東京優駿の優勝馬も2頭輩出したスタミナ自慢のサンクルー大賞の勝ち馬 |
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1963 |
牡 |
アベイドロンシャン賞やイスパーン賞を勝つなどマイル前後の距離で活躍し、日本ではオグリキャップ・オグリローマン兄妹の母の父として知られる名マイラー |
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1963 |
牡 |
競走馬としては繰り上がり勝利のクイーンアンS程度しか実績が無いが、日本で卓越した速度を産駒に伝え日本競馬の質を一変させた大種牡馬となる |
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1964 |
牡 |
ケンタッキーダービーを取りこぼしたため米国三冠馬にはなれなかったがウッドワードSで歴史的名馬2頭を圧倒して最強馬の称号を獲得する |
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1964 |
牡 |
過酷な斤量などをものともせずに驚異的レコードタイムを連発した誰もが認める米国競馬史上最強の快速馬 |
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1964 |
騙 |
北米・欧州・日本・南アフリカ・南米と世界各国から米国に集まった名馬達と戦い続け米年度代表馬・米国顕彰馬にも選ばれた米国芝王者 |
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1964 |
牝 |
ベルデイムS2連覇など牝馬限定戦で実力を大いに発揮し3年連続の米国牝馬チャンピオンに選ばれるも僅か2頭の産駒を残して夭折する |
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1964 |
牡 |
南アフリカ時代はゴールデンマイル三冠を達成したマイラーだったが米国に移籍すると距離を克服して米最優秀芝馬に選ばれた南アフリカの歴史的名馬 |
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1964 |
牡 |
同世代のドクターファーガーやダマスカスには歯が立たなかったが種牡馬として成功し、マンノウォーの直系を後世に伝える原動力となる |
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1964 |
牡 |
英2000ギニー・英ダービー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSなど英国牡馬主要競走の大半を制覇したが英セントレジャーには出走できず |
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1965 |
牝 |
超小柄な馬体ながら圧勝に次ぐ圧勝で史上初のニューヨーク牝馬三冠馬に輝き、レース中の事故で散った米国の悲劇の名牝 |
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1965 |
牡 |
アスコット金杯やカドラン賞を制した名長距離馬だったが突如参戦した凱旋門賞で低評価を覆して優勝する |
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1965 |
牡 |
種牡馬として活躍し貴重なトウルビヨン直系を1970~80年代の仏国で繁栄させる事に成功したリュパン賞・ジャックルマロワ賞の勝ち馬 |
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1965 |
騙 |
英グランドナショナルに5回参戦して3勝2着2回の成績を残し、競馬に興味が無い人も含めた英国民の間で最高の認知度を得た英国競馬界最高のスーパーアイドル |
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1965 |
牡 |
英2000ギニー・英ダービー・ワシントンDC国際Sを勝つなど欧米を股にかけて活躍し、名手レスター・ピゴット騎手をして生涯最高の名馬と言わしめる |
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1965 |
牡 |
英仏クラシック競走未登録のため凱旋門賞に狙いを絞って完勝を収めたハイペリオン直系を代表する名競走馬にして名種牡馬 |
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1965 |
牡 |
仏2000ギニー・イスパーン賞などを勝った名マイラーにして、産駒に優秀なスピードと芦毛の毛色を伝えた名種牡馬 |
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1966 |
牡 |
短距離路線から10ハロン路線に活躍の場を広げた記念すべき第1回エクリプス賞年度代表馬は貴重なドミノ直系の中興の祖となる |
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1966 |
牡 |
無敗で米国三冠馬に王手をかけていたマジェスティックプリンスに唯一の黒星を付けた後に大活躍して米年度代表馬・米最優秀3歳牡馬のタイトルを奪取する |
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1966 |
牡 |
チリからカリフォルニア州に移籍して怒涛の追い込みで数々の大競走で活躍し絶大な人気を博した「ザ・ビッグ・キャット」 |
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1966 |
牝 |
同世代のシュヴィーや年上のゲイムリーといった歴史的名牝を下して2歳から4歳まで怒涛の12連勝を記録する |
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1966 |
牡 |
サーアイヴァーと並ぶ名種牡馬サーゲイロードの代表産駒にして最良後継種牡馬となった英仏両国のマイル王者 |
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1966 |
牡 |
父として名馬グリーングラスを出し、日本有数の長距離向き種牡馬として活躍した英セントレジャー馬 |
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1966 |
牡 |
史上初めてケンタッキーダービー・プリークネスSの2競走を無敗のまま制したが、脚の負傷をおして出走したベルモントSで2着に敗れてそのまま引退する |
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1966 |
牝 |
同時代を生きた名牝達との対戦成績では分が悪かったがニューヨーク牝馬三冠馬となり古馬になって牡馬相手のジョッキークラブ金杯2連覇を果たす |
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1966 |
牝 |
兄ドクターファーガー譲りの快速と兄を上回るほどの斤量耐性を有し兄と同じく2年連続米最優秀短距離馬に輝いた美しき牝馬 |
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1966 |
牝 |
芝ダート距離不問の活躍を見せてエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選ばれた名牝は日本に繁殖牝馬として輸入されて天皇賞馬プリテイキャストの母となる |
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1967 |
牡 |
競走馬としては1歳年下のミルリーフの影に隠れたが種牡馬としては互角の成績を残しグレイソヴリン直系の繁栄に大きく貢献する |
||
1967 |
牡 |
長距離血統ながら気性の問題で名マイラーとなった自身の特徴をそのまま産駒にも伝えた本邦輸入種牡馬 |
||
1967 |
牡 |
種牡馬としても超一流の成績を残した35年ぶり史上最後の英国三冠馬 |
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1967 |
牡 |
プリークネスS・ウッドワードSなどを制して米年度代表馬に選ばれた良血馬は米年度代表馬として史上初めて日本に種牡馬として輸入される |
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1967 |
牡 |
当時無敗を誇っていた英国三冠馬ニジンスキーに初黒星をつけたスタミナ自慢の凱旋門賞馬 |
||
1967 |
牡 |
競走成績は全く振るわなかったが加国で13回も首位種牡馬を獲得し、父ノーザンダンサーから分岐した独自の系統を築く |
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1967 |
牡 |
日本で3頭のクラシックホースを出し一世を風靡したレッドゴッド直子のスピード型種牡馬 |
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1968 |
牡 |
マイル戦で無敵の強さを誇りながらも10ハロン以上の距離もこなし20世紀における英国調教馬としては最高の評価を得た英国競馬界の英雄 |
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1968 |
牡 |
南米のベネズエラから米国三冠競走に挑戦し、冷笑を受けながらも主役を堂々と演じきり米国競馬界を愕然とさせる |
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1968 |
牡 |
故障の影響もあって競走馬としては大成できなかったが、種牡馬として兄グロースタークと同じく成功しリボーの直系存続の最大の功労馬となる |
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1968 |
牡 |
英ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・凱旋門賞の3競走を史上初めて全て制覇した欧州競馬の誇る至高の名馬 |
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1968 |
牡 |
2歳時7戦全勝の成績を残して同世代のミルリーフやブリガディアジェラードを上回る評価を受けるも、英2000ギニーではその2頭の前に敗北してしまう |
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1969 |
牡 |
厩務員に虐待されたために肉食獣のような凶暴な馬と化したが、その性格だけでなく卓越した競走能力を子孫に伝えたサンデーサイレンスの父 |
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1969 |
牡 |
競走馬としては一流半だったがノーザンダンサーに次ぐニアークティック直系第2の主流の祖となったラフィアンの半兄 |
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1969 |
牡 |
同世代のリヴァリッジと好勝負を演じリヴァリッジを抑えてエクリプス賞最優秀3歳牡馬に選ばれたリボー直系の名種牡馬 |
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1969 |
牡 |
名馬ダンシングブレーヴを筆頭に数々の優駿を送り出し、父ノーザンダンサーの後継種牡馬として活躍した名マイラー |
||
1969 |
牡 |
個性的な産駒を多く出し、日本に種牡馬として輸入されたノーザンダンサー直子としてはノーザンテーストに次ぐ成績を収めた加最優秀3歳牡馬 |
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1969 |
牝 |
名門牝系ラトロワンヌ系出身の初代エクリプス賞最優秀2歳牝馬は繁殖牝馬としてもプライヴェートアカウントなどを産んで成功を収める |
||
1969 |
牡 |
地味な血統から飛び出した凱旋門賞馬は英国調教馬ながらGⅠ競走4勝全てを仏国で挙げる |
||
1969 |
牡 |
傾きかけた生産牧場メドウステーブルの救世主となり、同馬主同厩のセクレタリアト以上に陣営から愛された「ゴールデンボーイ」 |
||
1969 |
牡 |
種牡馬として大成功を収めて名馬ミルリーフと共に父ネヴァーベンドの血を後世に広める立役者となった仏2000ギニー馬 |
||
1969 |
牡 |
英国競馬の英雄ブリガディアジェラードに生涯唯一の黒星をつけて英国競馬史上屈指の悪役と呼ばれた英ダービー馬で、種牡馬としても大成功する |
||
1969 |
牡 |
米国の名馬ネイティヴダンサーの直系を欧州に広めたエタン系の実質的始祖となった仕上がり早い快速馬 |
||
1969 |
牝 |
長きに渡り一線級で活躍し現役中の骨折も見事に克服して米国競馬史上初の100万ドル牝馬に輝いた偉大なる名牝 |
||
1970 |
牝 |
凱旋門賞など仏国の大レースを次々に制覇し「ロンシャンの女王」と呼ばれた20世紀欧州競馬界を代表する名牝中の名牝 |
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1970 |
騙 |
歴史的名馬がひしめき合う1970年代米国において西海岸を主戦場として長きに渡り走り続けた知られざる米国殿堂馬の一頭 |
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1970 |
牝 |
キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS2連覇など欧米5か国でGⅠ競走を10勝し、繁殖入り後も大活躍した20世紀屈指の名牝 |
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1970 |
牝 |
エクリプス賞最優秀3歳牝馬・エクリプス賞最優秀古馬牝馬を連続受賞し米国顕彰馬にも選ばれた日本の名種牡馬リアルシャダイの母 |
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1970 |
騙 |
過酷な負担重量と脚部不安を克服して米国ハンデ路線の大競走を勝ちまくり3年連続でエクリプス賞年度代表馬に輝いた米国競馬史上有数の名馬 |
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1970 |
牝 |
2歳時12戦全勝の成績でソヴリン賞年度代表馬に選ばれエクリプス賞年度代表馬の候補に挙がるほどの活躍を見せるも、肺破裂により現役中に夭折した薄幸の名牝 |
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1970 |
牡 |
競走成績は一流とは言い難かったが種牡馬として記録的な大成功を収め、20世紀末から21世紀にかけての世界競馬を席巻した米国の誇る大種牡馬 |
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1970 |
牡 |
米国三冠競走全てを現在も破られていないレースレコードで制し、特にベルモントSでは31馬身差で圧勝して米国史上最強馬の称号を得た第9代米国三冠馬 |
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1970 |
牡 |
同世代のセクレタリアトの陰に隠れてしまったが、幻の米国三冠馬であると主張する人もいる、米国競馬史上有数の「偉大なるナンバー2」 |
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1970 |
牡 |
単勝オッズ120.7倍という最低人気の評価を覆して独国調教馬として初めて凱旋門賞を優勝する |
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1971 |
牡 |
キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで14ポンドのハンデを与えた1歳年下のグランディと世紀の名勝負を演じた英セントレジャー馬 |
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1971 |
牝 |
その名の由来となった歴史的名テニス選手が頭角を現すのと同時に大活躍して、繁殖牝馬としても世界的な名門牝系を構築したニューヨーク牝馬三冠馬 |
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1971 |
牝 |
ナシュワンやディープインパクトなど数々の優駿の牝系先祖となった英国エリザベスⅡ世女王陛下所有の英1000ギニー・仏オークス優勝馬 |
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1971 |
騙 |
英タイムフォーム社のレーティングにおいてハードル分野史上最高の182ポンドを獲得している史上最強のハードル障害競走馬 |
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1971 |
牡 |
日本で有馬記念馬ダイユウサクなど個性派産駒を輩出した英2000ギニー・ジャックルマロワ賞の勝ち馬 |
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1971 |
牡 |
日本競馬界に父ノーザンダンサーの血を導入し、日本競馬の血統レベルを世界クラスまで引き上げた偉大なる種牡馬 |
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1971 |
牡 |
史上初のアスコット金杯3連覇を達成した、ゴール前の末脚で勝負するタイプの高速ステイヤー |
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1971 |
牡 |
競走馬としては凡庸だった上に牧場で火災に見舞われて九死に一生を得るという奇禍もあったが、オセアニアで種牡馬として記録的な大成功を収める |
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1972 |
牡 |
日本で3頭の牝馬クラシックホースを出したが、基本はダート向きだったネヴァーベンド直子の名種牡馬 |
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1972 |
牡 |
2歳時7戦全勝の成績を誇り3歳時も大活躍した歴史的名馬だが、それよりも名牝ラフィアンの最後の対戦相手となった事で知られるケンタッキーダービー馬 |
||
1972 |
牡 |
仏2000ギニーを勝ち英ダービーや凱旋門賞では完敗したマイラーだったが種牡馬としては優秀なスタミナや底力を産駒に伝えたニジンスキーの後継種牡馬 |
||
1972 |
牡 |
キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSにおけるバスティノと世紀の名勝負を制した英ダービー馬だが種牡馬としては不遇のまま日本に骨を埋める |
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1972 |
牝 |
圧倒的な速さでニューヨーク牝馬三冠競走を含むデビュー10連勝を達成するもレース中の故障で散った米国競馬史上最大の悲劇のヒロイン |
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1972 |
牡 |
日本の中央競馬における短距離路線拡張の時勢に乗ってニホンピロウイナーなどを出して種牡馬として成功を収めた超快速馬 |
||
1973 |
牡 |
プエルトリコから米国に来て大逃げ戦法でケンタッキーダービーとベルモントSを制した「プエルトリカンロールスロイス」 |
||
1973 |
牡 |
強烈な末脚を武器に欧米を股にかけて活躍して米国三冠馬2頭を単一競走で同時に破った史上唯一の馬となるも種牡馬入り後に非業の最期を遂げる |
||
1973 |
牝 |
20世紀以降では史上唯一の英オークス・仏オークスのダブル制覇を達成したばかりかキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSも勝利する |
||
1973 |
牡 |
英2000ギニーなどGⅠ競走を5勝して、英国の名伯楽ヘンリー・セシル調教師が手掛けた最初の大物競走馬となるも、種牡馬としては不振に終わる |
||
1973 |
牡 |
仏ダービーを勝つなど仏国で活躍していたが3歳暮れに北米に遠征して加国際S・ワシントンDC国際Sをいずれも圧勝して世界的名声を獲る |
||
1974 |
牡 |
豊富なスタミナに裏打ちされた逃げ先行策で曾祖父リボー以来22年ぶり史上5頭目、20世紀では最後となる凱旋門賞2連覇を達成し種牡馬としても活躍する |
||
1974 |
牡 |
競走馬としては名マイラーとしての素質を発揮できないまま終わったが、種牡馬としては英愛首位種牡馬に輝く成功を収めた良血馬 |
||
1974 |
牡 |
仏国主要2歳競走完全制覇に加えて仏2000ギニーも勝った名馬は闘争心強化型の大種牡馬としても活躍する |
||
1974 |
牡 |
当初の評価は低かったが史上初めて無敗で米国三冠馬に輝き、種牡馬としても超一流の成績を残したアメリカンヒーロー |
||
1974 |
牡 |
その闘争心を高く評価されたノーザンダンサー直子の英ダービー・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS優勝馬は種牡馬としても活躍 |
||
1974 |
牝 |
娘である「鉄の女」トリプティクも顔負けの頑健さで世界各国のGⅠ競走で善戦し、現在世界有数の名牝系の祖ともなる |
||
1975 |
牡 |
接戦には決して負けない卓越した闘争心を武器に宿敵アリダーとの激戦を制した20世紀最後の米国三冠馬 |
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1975 |
牡 |
競走馬としては一流半だったが種牡馬として活躍し欧州では稀少となったトウルビヨン直系の中興の祖となる |
||
1975 |
牡 |
類稀なる能力を有しながらも米国三冠競走で全て宿敵アファームドの2着だった雪辱を種牡馬として果たすも謎に包まれた最期を遂げた米国の歴史的名馬 |
||
1975 |
騙 |
クイーンマザーチャンピオンチェイスを3年連続でぶっちぎり圧勝した、英国短距離スティープルチェイス界の最強馬 |
||
1975 |
牡 |
キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・コロネーションCをいずれも完勝し父として英愛ダービー馬も出した本邦輸入種牡馬 |
||
1975 |
騙 |
評価を低くする全ての要素を有していた最下級馬から大出世して6歳と9歳でエクリプス賞年度代表馬に輝いた雑草の強さを誇る米国の歴史的名馬 |
||
1975 |
牡 |
史上唯一英国長距離三冠を2年連続で達成して、長距離戦のみを走った馬としては欧州競馬史上最後のチャンピオンホースとして評価される |
||
1975 |
騙 |
脚部不安の悪化により若くして落命したが今日の豪州短距離路線の隆盛の礎となった豪州競馬史上最強の誉れ高き短距離王者 |
||
1975 |
牡 |
競走馬としては4戦2勝と振るわなかったが種牡馬として日本でブレイクし全日本首位種牡馬の座も獲得した個性派種牡馬 |
||
1975 |
牡 |
名馬ミルリーフの後継種牡馬として活躍し、英ダービー父子3代制覇の中継ぎを担った英ダービー・愛ダービーのダブル覇者 |
||
1975 |
牝 |
貧弱な血統の持ち主ながら競走馬としてグレード競走をを2勝したサンデーサイレンスの母 |
||
1976 |
牡 |
アスコット金杯2連覇など欧州タイ記録のグループ競走13勝を挙げ、時代の欧州最強馬としての評価を得た最後の名長距離馬 |
||
1976 |
牝 |
米国牝馬三冠競走“National Triple Tiara”とニューヨーク牝馬三冠競走“The New York Triple Tiara”を史上唯一完全制覇する |
||
1976 |
牡 |
4歳時にエクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを連勝して日本に輸入された父ピットカーンに英愛首位種牡馬を獲得させる |
||
1976 |
牝 |
繁殖牝馬としてラーイやシングスピールなど数々の活躍馬を出した加国出身のエクリプス賞最優秀古馬牝馬 |
||
1976 |
牡 |
父リヴァーマンから受け継いだスピードを如何なく発揮してマイル戦無敵の名マイラーとなり種牡馬としてもその快速を如何なく産駒に伝える |
||
1976 |
騙 |
史上唯一のコックスプレート3連覇を達成し、豪州競馬史上初の100万ドルホースとなった初代豪州顕彰馬の1頭 |
||
1976 |
牡 |
歴史上唯一の独国三冠馬に輝いた名競走馬であるだけでなく、種牡馬としても成功して後世に大きな影響を残す |
||
1976 |
牡 |
生涯3着以下無しの安定感を誇った1980年代英国を代表する名マイラーは種牡馬としても成功しエタン直系が欧州で繁栄する立役者となる |
||
1976 |
牝 |
米国GⅡ競走クラスの馬ながら記念すべき第1回ジャパンCを日本レコードで優勝し、日本の競馬界に激震を走らせる |
||
1976 |
牡 |
競走馬としては振るわなかったが日本で大物産駒や障害巧者を多数出して種牡馬として成功を収めシンボリ牧場やメジロ牧場の屋台骨を支える |
||
1976 |
牡 |
競走馬としてはマイナーGⅠ競走を2勝した程度に終わったが種牡馬として超大物牝馬を次々輩出したダマスカス直子の良血馬 |
||
1976 |
牡 |
レベルが低い米国芝のGⅢ競走を2勝した程度の競走成績に反して種牡馬として成功し貴重なマンノウォー直系の救世主となった異流血脈の塊 |
||
1976 |
牡 |
10ハロン以下の距離なら米国競馬史上最強と言われ、あまりの強さに他馬陣営がことごとく逃げ出してしまった事もあった、頑健かつ万能の名馬中の名馬 |
||
1976 |
牝 |
仏1000ギニー・ヴェルメイユ賞に加えて凱旋門賞も完勝を収め、国際クラシフィケーションにおいて牝馬としては史上最高のレーティングを獲得する |
||
1976 |
牡 |
貴重なダンテ直系の血を欧州に広めた仏ダービー・リュパン賞の勝ち馬 |
||
1976 |
牡 |
記念すべき第200回の英ダービーを驚異的な末脚で圧勝し、愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSも制覇する |
||
1977 |
牝 |
惜しくもニューヨーク牝馬三冠馬にはなれなかったがマスケットSで歴史的名牝2頭をまとめて撃破し米国競馬の殿堂入りも果たす |
||
1977 |
牡 |
脚部不安のため競走馬としては3戦しただけに終わったが、圧倒的なスピードを子孫に伝え続けたノーザンダンサー最高の後継種牡馬の1頭 |
||
1977 |
牝 |
1980年の凱旋門賞をコースレコードで制した名牝は母としても凱旋門賞馬を産んで史上初の凱旋門賞母子2代制覇を達成する |
||
1977 |
牡 |
父ミスタープロスペクターの2年目産駒としてメトロポリタンHを勝利し、父の最初の大物後継種牡馬となる |
||
1977 |
牝 |
65年ぶり史上2頭目の牝馬のケンタッキーダービー馬は米国三冠競走全てで入着した史上唯一の牝馬ともなる |
||
1977 |
牝 |
1981年の凱旋門賞を制した名牝は21世紀のマイル女王ゴルディコヴァの曾祖母となるなど牝系も発展させる |
||
1977 |
牡 |
繰り上がりながら英2000ギニーを制しクイーンエリザベスⅡ世Sでクリスを撃破したマンノウォー直系の名マイラーは種牡馬としても活躍する |
||
1977 |
牡 |
血統も競走成績も二流以下ながら産駒がブリーダーズカップで強さを発揮して北米首位種牡馬までに上り詰めたミラクルサイヤー |
||
1977 |
牡 |
競走馬としては英2000ギニー1位入線失格など不運が重なり大成できなかったが、致命的な故障を乗り越えて名馬を世界中に送り出した大種牡馬 |
||
1978 |
牝 |
第2回ジャパンCで名国の歴史的名馬ジョンヘンリーと人気を二分したエクリプス賞最優秀芝牝馬 |
||
1978 |
牝 |
英愛仏3か国のチャンピオンハードル全制覇と、英チャンピオンハードル・チェルトナム金杯ダブル制覇を達成した史上唯一の馬だが、レース中に散った悲劇の名牝 |
||
1978 |
牡 |
古馬になってエクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを連勝して欧州競馬の頂点に立ったグレイソヴリン直系の名馬 |
||
1978 |
牝 |
当時欧州には3つだった全世代出走可能な6ハロン以下のGⅠ競走キングズスタンドS・ジュライC・アベイドロンシャン賞を同一年に全て制覇した史上唯一の馬 |
||
1978 |
牡 |
競走馬としては2歳戦で活躍したのだがミスタープロスペクターの後継種牡馬としては異端の晩成中長距離型種牡馬として活躍する |
||
1978 |
牡 |
ベルモントSを「史上最悪の騎乗」で3着に敗れて米国三冠馬の栄誉は逃したが、リボー直系を代表する種牡馬として大成功を収める |
||
1978 |
牡 |
史上最大の10馬身差で圧勝した英ダービーを筆頭に欧州の大競走を次々制覇した名馬中の名馬だが種牡馬入り後に誘拐されて行方不明となる |
||
1978 |
牝 |
4歳時までは平凡な馬だったが5歳になって急激に強くなり、天皇賞馬キョウエイプロミスとの死闘を制して第3回ジャパンCを優勝した愛国の名牝 |
||
1978 |
牡 |
英愛両国で最優秀2歳牡馬に選出された仕上がり早い快速を産駒によく伝えたノーザンダンサーの後継種牡馬の1頭 |
||
1979 |
牝 |
凱旋門賞・ロスマンズ国際S・ターフクラシックS・ワシントンDC国際Sと4連勝して芝専門馬として史上初めてエクリプス賞年度代表馬に選ばれた世界的名牝 |
||
1979 |
牡 |
仏国外の調教馬として史上初の仏ダービー制覇を果たし、さらに史上初の仏ダービー・愛ダービーのダブル制覇も達成する |
||
1979 |
牡 |
メトロポリタンHを7馬身1/4差で圧勝した僅か6日後にベルモントSを14馬身差で圧勝してエクリプス賞年度代表馬に選ばれる |
||
1979 |
騙 |
芦毛の真っ白な馬体で果敢に先頭を走り続け、キングジョージⅥ世チェイス4回・チェルトナム金杯制覇などを果たした英国の名障害競走馬 |
||
1979 |
牡 |
エクリプス賞最優秀2歳牡馬に輝きながら米国競馬関係者の評価が低かったが、種牡馬としての大活躍で見事見返した加国血統の名馬 |
||
1979 |
牡 |
米国最強馬ジョンヘンリーや後の凱旋門賞馬オールアロングなど超豪華メンバーが揃った第2回ジャパンCを大外一気の豪脚で優勝する |
||
1979 |
牡 |
欧米で黙々と走っていたが、現役最後のレースとなった第6回ジャパンCで8番人気の低評価を覆してアレミロードとの壮絶な叩き合いを制して優勝する |
||
1979 |
牡 |
ノーザンテーストの12年連続を阻止して中央競馬首位種牡馬を獲得し、日本におけるヘイルトゥリーズン系種牡馬ブームの先駆けとなった良血馬 |
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1979 |
牡 |
競走馬としてはGⅢ競走勝ち止まりだったが種牡馬としてはGⅠ競走の勝ち馬を続出させたグラスワンダーの父 |
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1979 |
牡 |
豪州でAJCダービーやコックスプレートなど多くの大競走を制覇した後に世界に飛び立ち欧州・米国・日本と世界を駆け巡った国際派ホースの先駆け |
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1979 |
牝 |
英オークス・英チャンピオンS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSなどを制した1980年代の欧州競馬を代表する名牝 |
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1980 |
牡 |
欧州では中長距離馬、日本ではマイラーの活躍馬を多く出しニジンスキー最高の後継種牡馬の1頭となった仏ダービー馬 |
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1980 |
牡 |
引退レースのBCマイルで見事にGⅠ競走初勝利を挙げた名マイラーは種牡馬としても一流の成績を残す |
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1980 |
牡 |
イスパーン賞を2連覇した実力馬は日本で個性豊かな活躍馬を多く出して成功を収める |
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1980 |
牡 |
ミドルパークSとデューハーストSを両方勝った過去100年間で唯一の馬は全兄クリスと共にエタン直系の血を後世に広める功労馬となる |
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1980 |
牡 |
現役時代はGⅠ競走で全く通用しなかった二流馬ながら種牡馬としては100頭を超えるステークスウイナーを出して大活躍する |
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1980 |
牝 |
英国主要短距離グループ競走を総なめにし、短距離馬及び3歳牝馬として英国競馬史上有数の評価を得た快速牝馬 |
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1980 |
牝 |
無敗で制したケンタッキーオークス優勝後のスランプを脱出して記念すべき第1回BCディスタフを圧勝した芦毛の名牝 |
||
1980 |
牝 |
欧州でキャリアをスタートしたが米国において最も活躍した記念すべき第1回BCマイルの覇者 |
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1980 |
牡 |
史上6頭目の凱旋門賞2連覇を果たしたと思われたのも束の間、無念の2着降着により栄誉を奪われる |
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1980 |
牡 |
史上唯一ベルモントパーク競馬場オータムチャンピオンシリーズを同一年完全制覇したシアトルスルーの代表産駒 |
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1980 |
牡 |
超不良馬場の英ダービーと高速馬場のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを両方制した馬場状態不問の名馬 |
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1980 |
牡 |
記念すべき第1回BCクラシックを人気薄ながら優勝し、種牡馬としても成功を収めてアイスカペイドの後継種牡馬筆頭となる |
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1981 |
牡 |
七冠馬シンボリルドルフが出走した米国GⅠ競走サンルイレイSの勝ち馬として知られる良血馬だが日本では種牡馬として実力を発揮できず |
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1981 |
牡 |
仏ダービーでサドラーズウェルズとレインボークエストとの後の名種牡馬対決を制し、名馬ミルリーフの血脈を欧州で繁栄させる立役者となる |
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1981 |
牡 |
2歳時は圧勝に次ぐ圧勝でその強さはセクレタリアトの再来とまで評されたが米国三冠競走前に引退したタイキシャトルの父 |
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1981 |
牡 |
生涯敗戦は英ダービーの短頭差2着の1度だけ、近年稀に見るハイレベルな世代と言われた1984年欧州3歳世代において頂点に君臨する |
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1981 |
牝 |
歴史的名牝ペブルスを愛1000ギニーで一蹴し、繁殖牝馬としてもヒシアマゾンの母となるなど日本競馬に大きな足跡を残す |
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1981 |
牡 |
GⅠ競走級の実力を有しながらも現役時代GⅠ競走には勝てなかったが種牡馬としてリベンジしたブラッシンググルームの後継種牡馬 |
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1981 |
牝 |
歴代仏オークス馬の中でも高評価を得ている1984年ノーザンダンサー最強3歳世代の一頭は牝系子孫も発展させる |
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1981 |
牡 |
英国と米国でGⅠ競走を1勝ずつ挙げた他にBCマイルで2年連続2位入線した米国の歴史的名馬シガーの父 |
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1981 |
牡 |
競走馬としては加国のB級馬だったが、日本で種牡馬入りすると主にダート向きの活躍馬を多く出して地方競馬首位種牡馬を2度獲得する |
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1981 |
牝 |
破壊力満点の豪脚により、エクリプスS・英チャンピオンS・BCターフなどを次々と制し、第二次世界大戦後英国最高の牝馬という評価を得る |
||
1981 |
牡 |
BCスプリントなどダート6ハロンから10ハロンまで幅広い距離でGⅠ競走を制し、受精能力欠如により競走馬に復帰した後も活躍した米国顕彰馬 |
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1981 |
牡 |
2歳時から4歳時まで欧州トップクラスで活躍し、繰り上がりながらも凱旋門賞馬の栄誉を手にした20世紀後半における英国最高の名種牡馬 |
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1981 |
牡 |
競走馬としても一流だったが種牡馬として超一流の成績を挙げて14度の英愛首位種牡馬に輝き、米国に押されていた欧州馬産界の救世主となる |
||
1981 |
牡 |
僅か4戦の経歴で競走馬を引退したノーザンダンサー直子の英ダービー馬は日本で死後にGⅠ競走の勝ち馬を送り出す |
||
1981 |
牡 |
名門クレイボーンファームを初めてケンタッキーダービー馬の馬主にしたのに続いてベルモントSも勝利したがその僅か8日後に急死する |
||
1982 |
牡 |
独ダービーやサンクルー大賞を含む12連勝、グループ競走13勝を挙げて独国最強馬として君臨し、種牡馬としても5度の独首位種牡馬に輝く |
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1982 |
牡 |
大種牡馬ダンチヒの初年度産駒として父の種牡馬としての評価を確固たるものにした記念すべきブリーダーズカップ最初の優勝馬 |
||
1982 |
牡 |
未勝利馬ながら血統が評価されて種牡馬入りすると仏首位種牡馬に輝くなど期待を大きく上回る成功を収めたサドラーズウェルズの全弟 |
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1982 |
牝 |
芦毛の小柄な馬体で逃げまくり、BCディスタフなどGⅠ競走11勝を挙げてエクリプス賞年度代表馬に選出された米国版「鉄の女」 |
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1982 |
牡 |
現役中に謎の病気でこの世を去った、独国競馬史上最強のマイラーと讃えられる名馬 |
||
1982 |
牝 |
女性騎手アビガイル・フラー騎手とのコンビで史上6頭目のニューヨーク牝馬三冠を達成する |
||
1982 |
牝 |
30年ぶり史上9頭目にして現時点における最後の英国牝馬三冠馬に輝いた1980年代の欧州を代表する才色兼備の名牝 |
||
1982 |
牡 |
直線の激闘を制した第2回BCクラシックなど3歳時にGⅠ競走3勝を挙げるもエクリプス賞最優秀3歳馬を逃した無冠の王者 |
||
1982 |
牡 |
名牝ダリアの息子として米国でGⅠ競走3勝を挙げた後に日本で種牡馬入りするも、初年度産駒が大ブレイクする最中に急逝する |
||
1982 |
牡 |
マイル戦で実力を発揮したニジンスキー直子の英2000ギニー・クイーンエリザベスⅡ世Sの勝ち馬 |
||
1982 |
牡 |
第3回BCクラシックを先行押し切りの競馬で優勝し、マイナー種牡馬だった父リローンチの種牡馬としての名声を高める |
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1982 |
牡 |
英ダービーを逃げて7馬身差で圧勝し、名手スティーブ・コーゼン騎手をして自身が騎乗した米国三冠馬アファームドより上と言わしめる |
||
1982 |
牡 |
ケンタッキーダービーを圧倒的な強さで逃げ切るも陣営が名より実を取ったため米国三冠の残り二戦には不出走となった幻の米国三冠馬 |
||
1982 |
牡 |
4歳時までは勝ち切れなかったが5歳になって本格化してBCターフを制して米国芝路線の頂点に君臨し、種牡馬としても芝の活躍馬を多く出して成功する |
||
1982 |
牝 |
母親譲りの頑健さと強烈な末脚を武器に日本を含む世界中で走り続け、牡馬混合GⅠ競走で8勝を挙げた「鉄の女」は繁殖入り直後の事故で他界する |
||
1983 |
牡 |
独国と米国でGⅠ競走を1勝ずつしたがそれよりジャパンCにおけるジュピターアイランドとの叩き合いが印象に残る個性豊かな産駒を出した本邦輸入種牡馬 |
||
1983 |
牡 |
見事な末脚を繰り出して仏ダービーを驚異的レコードで優勝し、凱旋門賞でダンシングブレーヴと対決するが自身を上回る相手の豪脚に屈する |
||
1983 |
牡 |
競走馬としてもGⅠ競走を4勝するなど一流の競走成績を残したが種牡馬として大活躍し、米国の土着血統ヒムヤー直系の底力を見せ付けた |
||
1983 |
牡 |
驚異的末脚を武器に凱旋門賞など欧州の大競走を次々に制覇した1980年代欧州最強馬は、数奇な運命により日本を終の棲家とする |
||
1983 |
牡 |
ケンタッキーダービー・BCクラシックを制してエクリプス賞年度代表馬に選ばれた名馬だが日本で屠殺されたために米国内で大問題となる |
||
1983 |
牡 |
ダンチヒ産駒として初めて欧州で活躍した名短距離馬は種牡馬としては世界中の名短距離馬を輩出してダンチヒの後継種牡馬として大活躍する |
||
1983 |
牡 |
超大物は出さないがコンスタントに活躍馬を出し仏首位種牡馬に3度輝いたイスパーン賞の勝ち馬 |
||
1983 |
牝 |
ジャパンCでオグリキャップとの死闘を制して驚異的な世界レコードで制し日本でも非常に有名となった新国が世界に誇る芦毛の女傑 |
||
1983 |
牡 |
欧州短距離路線のトップホースだったが突如BCマイルに参戦して人気薄ながら見事に優勝したシャトルサイアーの先駆け |
||
1983 |
牡 |
BCターフでダンシングブレーヴを撃破するなど芝では無敵同然の強さを誇り米国調教の芝専門馬としては初めて米国顕彰馬に選ばれる |
||
1983 |
牝 |
英1000ギニーを勝つスピードと英オークスを勝つスタミナを併せ持ったリボー直系の結晶は、母としても英オークス馬を産んで成功を収める |
||
1983 |
牡 |
英セントレジャー・サンクルー大賞制覇など欧州長距離路線で活躍するも日本では運に恵まれず競走馬としても種牡馬としても能力を発揮できなかった |
||
1983 |
牡 |
ダンシングブレーヴに匹敵する瞬発力でエクリプスS2連覇・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSなどを制した高速ステイヤー |
||
1983 |
牡 |
米国三冠競走にもエクリプス賞にも縁が無かったがその快速は見る者を魅了して止まなかったテディ直系の本邦輸入種牡馬 |
||
1983 |
牡 |
ダンシングブレーヴの豪脚を退けて英ダービーを勝ち、愛ダービーも8馬身差で圧勝してその実力を証明した実力馬 |
||
1983 |
牝 |
同じヌレイエフ牝駒である1歳年下のミエスクと共に牡馬相手の欧州マイル路線を牽引した名マイラー |
||
1983 |
牡 |
競走馬としてはステークス競走未勝利の身ながら亜国で種牡馬として記録的大成功を収めた「アルゼンチンのサドラーズウェルズ」 |
||
1983 |
牡 |
4歳時までは仏国の下級馬だったが移籍先の米国で徐々に実績を積み重ね6歳時にBCマイル・アーリントンミリオンを勝って米国芝馬の頂点に上り詰める |
||
1983 |
牡 |
競走馬としては2歳GⅠ競走1勝止まりだったが種牡馬として数々の優駿を出し世界屈指の大種牡馬の座に上り詰める |
||
1983 |
牝 |
ハイレベルなケンタッキーオークスを無敗で制した名牝は日本に繁殖牝馬として輸入されて牝系を伸ばす |
||
1983 |
牡 |
伊国の下級馬から伊国最強馬の座を経て欧州最強馬の座へ上り詰めた凱旋門賞馬は日本で東京コース巧者の名種牡馬として大活躍する |
||
1983 |
牡 |
競走馬としては単なる早熟馬だったが種牡馬としては同じ早熟ながら一流の競走馬を続出させたミスタープロスペクター最良の後継種牡馬 |
||
1984 |
牡 |
加国調教馬でありながら米国でも活躍したソヴリン賞年度代表馬は日本のミスタープロスペクター系種牡馬ブームに火をつけた立役者となる |
||
1984 |
牡 |
当初は善戦馬だったが卓越した闘争心を身につけてケンタッキーダービー・プリークネスS・BCクラシックを制覇した1980年代米国有数の名馬 |
||
1984 |
牝 |
BCディスタフ2連覇など当時の牝馬最多記録となる米国GⅠ競走12勝を挙げた亜国産の快速牝馬は孫世代にBCクラシック優勝馬を輩出する |
||
1984 |
牡 |
悲劇的な最期を遂げた半兄エクセラーとは対照的に種牡馬として成功し自身と同様の早熟快速馬を次々送り出したエクリプス賞最優秀2歳牡馬 |
||
1984 |
牡 |
GⅠ競走勝ちはドワイヤーSのみだったが内容は12馬身半差の圧勝であり、種牡馬としても父ミスタープロスペクターの後継として大活躍する |
||
1984 |
牡 |
米国三冠競走制覇には縁が無かったがとにかく頑健に走り続けてBCスプリントなどを制した名馬はミスタープロスペクターの後継種牡馬としても大活躍する |
||
1984 |
牡 |
豊富なスタミナを武器に芝とダートを問わずに活躍し、日本では1989年のジャパンCで見せた伝説的大逃げで知られる実力馬 |
||
1984 |
牝 |
仏オークスをミエスク相手に圧勝し、牡馬相手に英国と愛国のチャンピオンSも勝利した芦毛の名牝 |
||
1984 |
牡 |
小柄な馬体ながら世界各国を頑健に走り、同一年に欧州・北米・アジアの3大陸でGⅠ競走を制覇する快挙を達成した第7回ジャパンCの勝ち馬 |
||
1984 |
牝 |
英仏の1000ギニー連覇・BCマイル2連覇など欧米のマイル路線を美しく華麗に舞った20世紀を代表する名マイラーは繁殖牝馬としても一級品 |
||
1984 |
牡 |
4歳時のジャパンCでタマモクロス、オグリキャップ、トニービンを破り翌年のジャパンCでも好走するが早世したため日本の馬場適性を種牡馬としては発揮できず |
||
1984 |
牝 |
2歳時の故障から復帰してBCディスタフなど13戦無敗の完璧な競走成績を残した名牝は、繁殖成績も見事な成績を収めて全てにおいて完璧だった |
||
1984 |
牡 |
米国三冠競走は不参加だったがウッドワードSなど米国GⅠ競走で3勝を挙げ、種牡馬としてケンタッキーダービー馬も輩出した本邦輸入種牡馬 |
||
1984 |
牡 |
徹底した逃げ戦法で英ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・英セントレジャーを制覇するも凱旋門賞では脚の負傷のため馬群に沈む |
||
1984 |
牡 |
好敵手でもあった同世代同父の名牝ミエスクと同じく米国で産まれて欧州で走りGⅠ競走で5勝を挙げた歴史的名マイラー |
||
1984 |
牡 |
GⅠ競走未勝利の身で出走した凱旋門賞で怒涛の追い込みを決めて、前年にダンシングブレーヴが樹立したコースレコードを1秒4も更新する |
||
1985 |
牡 |
競走馬としては欧州芝12ハロン路線を主戦場として活躍したにも関わらず、日本ではダート巧者を続出させた個性派種牡馬 |
||
1985 |
騙 |
当初は下級競走を地道に走っていたが4歳時に開花して豪州最強馬の座に上り詰め、迫力満点の走りでジャパンCも制覇する |
||
1985 |
牡 |
仏2000ギニー勝利後に米国に移籍してBCクラシックにおいてサンデーサイレンスとイージーゴアの対決に食い下がりエクリプス賞最優秀古馬牡馬を受賞 |
||
1985 |
牡 |
購入に失敗した競走成績上位の従兄弟の代替種牡馬としての来日だったが、数々の大物競走馬を輩出しダートでも良績を残した歴史的大種牡馬となる |
||
1985 |
牡 |
欧州短距離路線のトップホースとして活躍しただけでなく種牡馬としても成功して貴重なテューダーミンストレル直系の救世主となる |
||
1985 |
牡 |
伊国や独国のレースで地道に力をつけて重馬場となった凱旋門賞を制して欧州競馬の頂点に立った力馬だが日本の馬場には適合できず |
||
1985 |
牡 |
4歳時までは平凡な馬だったが5歳時に突如覚醒してサンデーサイレンスとイージーゴアの2頭を連破してエクリプス賞年度代表馬に輝く |
||
1985 |
牝 |
抜群の瞬発力を武器に英オークス・愛オークス・ヨークシャーオークスを連勝して1988年の欧州3歳牝馬最強の称号を得る |
||
1985 |
牡 |
米国クラシック競走制覇には縁が無かったが北米首位種牡馬になるなどミスタープロスペクターの後継種牡馬として活躍したエクリプス賞最優秀2歳牡馬 |
||
1985 |
牝 |
安馬ながらケンタッキーオークスなど米国でGⅠ競走7勝を挙げた名牝は日本で繁殖入りしてキングヘイローの母となる |
||
1985 |
牡 |
一本調子の逃げ馬だったため競走馬として大成出来なかったが種牡馬として優れた速度を産駒に伝え欧州では稀少となったトウルビヨン直系を21世紀に伝える |
||
1985 |
牡 |
祖父ニジンスキー以来18年ぶりに無敗で英ダービーと愛ダービーの連覇を達成し、繁殖牝馬の父として良績を残す |
||
1985 |
牡 |
仏国から米国に転厩して開花し芝とダートを問わずにGⅠ競走で4勝を挙げるも期待された日本での種牡馬成績は不振に終わる |
||
1985 |
牡 |
競走馬としてはGⅡ競走を1勝するに留まったが種牡馬としては父ブラッシンググルームの後継種牡馬として大活躍した良血馬 |
||
1985 |
牡 |
ルイジアナ州のローカル馬から出世を果たし、プリークネスSを勝ちベルモントSを14馬身3/4差で圧勝した、種牡馬セクレタリアトの牡馬の最高傑作 |
||
1985 |
牡 |
競走馬としてはマイナーGⅠ競走を2勝した程度だったが日本を含めて世界各国で一流馬を出してミスタープロスペクターの代表後継種牡馬となる |
||
1985 |
牡 |
古馬になってコロネーションC・サンクルー大賞を連勝して日本で種牡馬入りするも代表産駒の登場前に種牡馬を廃用となり行方不明になったセイウンスカイの父 |
||
1985 |
牡 |
ダートでは芽が出なかったが芝で素質を開花させて従兄弟ブライアンズタイム以上の評価を得たが種牡馬としては従兄弟の足元にも及ばなかった |
||
1985 |
牡 |
GⅠ競走未勝利ながらGⅠ競走級の実力を発揮したノーザンダンサー最後の大物競走馬にして大物後継種牡馬 |
||
1985 |
牡 |
1980年代欧州競馬を代表する名マイラーは貴重なマンノウォー直系の種牡馬として日本の快速馬を次々に出したが惜しくも早世する |
||
1985 |
牝 |
ケンタッキーダービーで史上3頭目の牝馬制覇を果たしBCディスタフでは無敗のパーソナルエンスンを脅かした芦毛の快速逃げ馬 |
||
1986 |
牡 |
4歳時までは短距離戦を中心に地道に走り続けていたが、5歳時に目覚めて距離を伸ばして活躍し最後はBCクラシックを逃げ切って米国競馬の頂点に立つ |
||
1986 |
牡 |
GⅠ競走では好走すれどもなかなか勝ち切れないレースが続いたが種牡馬としては日本でダートの活躍馬を多く出したアリダーの後継種牡馬の1頭 |
||
1986 |
牡 |
父ダンチヒ最高の後継種牡馬として世界中で活躍馬を輩出し史上最多のステークスウイナー349頭を輩出して歴史上最高の種牡馬とも呼ばれる |
||
1986 |
牡 |
筋骨隆々の馬体を揺るがして走りベルモントSなどGⅠ競走を9勝を挙げ、競走馬時代のサンデーサイレンスの宿命の好敵手として日本でも良く知られる |
||
1986 |
牡 |
世界各国を渡り歩きジャパンCでメジロマックイーンを破って優勝したアーリントンミリオン覇者だが種牡馬としては日本の馬場適性を十分に発揮できず |
||
1986 |
牡 |
BCターフ・コロネーションC・サンクルー大賞などを勝ち種牡馬としても父サドラーズウェルズの最初の有力後継種牡馬として活躍する |
||
1986 |
牡 |
対戦機会は無かったが同世代のサンデーサイレンスやイージーゴアの強敵になり得る潜在能力を有していた本邦輸入種牡馬 |
||
1986 |
牡 |
名手ランフランコ・デットーリ騎手に初のGⅠ競走勝ちをプレゼントし、日本で種牡馬入り後は九州馬産界の救世主として活躍するも惜しくも早世した名マイラー |
||
1986 |
牡 |
英2000ギニー・英ダービー・エクリプスS・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの英国主要4大競走を史上初めて無敗で全勝した超大物競走馬 |
||
1986 |
牡 |
サドラーズウェルズの初年度産駒として仏ダービー・愛ダービーを圧勝して同世代のナシュワンを上回る評価を得たスタミナ自慢の逃亡者 |
||
1986 |
牝 |
2位入線繰り上がりの一幕もあったがケンタッキーオークス・ニューヨーク牝馬三冠競走を全勝して同世代最強牝馬となるも他世代相手では実力を発揮できず |
||
1986 |
牡 |
従兄弟のジルザルには競走馬として敵わなかったが種牡馬としては確実に上回ったピルサドスキーの父 |
||
1986 |
牡 |
BCターフを芝競走初出走で制した史上唯一の馬としてだけでなく、スワップスSでサンデーサイレンスに黒星をつけた事でも知られる |
||
1986 |
牝 |
非常に地味な血統ながら米国短距離路線で活躍し、短距離王デイジュールを破ったBCスプリントなどステークス競走22勝を挙げた米国顕彰馬の1頭 |
||
1986 |
牡 |
1980年代の米国を代表する名競走馬であるだけでなく日本の競馬界を完全制圧した、いまさら説明不要の日本競馬史上最高の種牡馬 |
||
1986 |
牡 |
GⅠ競走は1勝止まりだったが、父サートリストラムの後継種牡馬筆頭格として豪州・新国に長期間君臨し続けた大種牡馬 |
||
1986 |
牡 |
突如として現れて欧州競馬界を揺るがし瞬く間に競馬場を去っていった欧州マイル王者 |
||
1987 |
牡 |
米国2歳GⅠ競走を2勝して日本に種牡馬として輸入され、8年連続で地方競馬の首位種牡馬に輝き、「地方のサンデーサイレンス」の異名を取る |
||
1987 |
牡 |
英ダービーには参戦できなかったがキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを快勝しジャパンCでも1番人気に支持される |
||
1987 |
牡 |
他馬を寄せ付けぬ圧倒的な加速力を武器に欧州短距離路線を席巻し「世界で最も速い馬」と評された20世紀末英国の誇る稀代の超短距離馬 |
||
1987 |
牡 |
1990年のベルモントSを優勝して欧州調教馬として史上唯一の米国三冠競走制覇を果たす |
||
1987 |
牝 |
圧倒的な強さで1990年の米国牝馬戦線を席巻するも暮れのBCディスタフのレース中に命を散らした「ラフィアンの再来」 |
||
1987 |
牡 |
BCスプリント制覇には縁が無かったが2度のエクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれるなど短距離路線軽視の米国において時代の最強馬として君臨する |
||
1987 |
牝 |
3歳時後半から牡馬に挑戦し続け英国際S・英チャンピオンS・コロネーションCを全て制した名牝 |
||
1987 |
牡 |
GⅠ競走勝ちは仏グランクリテリウムのみだったが日本でダート巧者を多く輩出して成功を収めたミスタープロスペクター直子の超良血馬 |
||
1987 |
牡 |
競走馬としては仏2000ギニーを勝った以外はGⅠ競走惜敗続きだったが種牡馬としては2度の仏首位種牡馬に輝くなど活躍する |
||
1987 |
牡 |
競走馬としては仏国最優秀2歳牡馬に選ばれた早熟馬だったが種牡馬としてドバイワールドC勝ち馬を2頭輩出したミスタープロスペクターの後継種牡馬 |
||
1987 |
牝 |
仏国ではそれほど目立たなかったが遠征先の米国でBCターフを勝利し、さらにハリウッドターフCも勝利してエクリプス賞最優秀芝牝馬を受賞する |
||
1987 |
牡 |
短距離路線の裏街道で地道に走り5歳時にジュライC・アベイドロンシャン賞を勝って欧州短距離路線の頂点に立つもBCスプリントでその命を散らす |
||
1987 |
牝 |
3歳年上のバヤコアに続いて亜国から米国に渡りBCディスタフなど米国GⅠ競走10勝を挙げて2年連続のエクリプス賞最優秀古馬牝馬に輝く |
||
1987 |
牡 |
プレザントコロニー最良の後継種牡馬は4年連続で異なる種類のブリーダーズカップの競走に出た珍記録保持馬でもある |
||
1987 |
牡 |
評価が低い英ダービー馬だが古馬になって米国を主戦場とした後も活躍してGⅠ競走も勝った点では3歳限りで勝ち逃げした英ダービー馬より評価されるべき |
||
1987 |
牡 |
競走馬としては故障のためグレード競走不出走ながら種牡馬としては100頭以上のステークスウイナーを出して父ロベルトの後継種牡馬として大活躍する |
||
1987 |
牡 |
短距離路線から方針転換して出走したBCマイルにおいて復活した名手レスター・ピゴット騎手を鞍上に優勝し種牡馬としても成功する |
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1987 |
牝 |
英1000ギニー・英オークスを勝った後に果敢に愛ダービーに挑むと有力牡馬勢を蹴散らして90年ぶりの同競走牝馬優勝を果たす |
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1987 |
牡 |
英国調教時代は芽が出なかったが仏国に移籍して開花しパリ大賞を制すると凱旋門賞では父レインボークエストとの父子制覇を果たす |
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1987 |
牡 |
好敵手アンブライドルドと好勝負を演じたプリークネスS優勝馬は種牡馬としてもアンブライドルドと同じく活躍する |
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1987 |
牡 |
芝に転向後に素質を開花させ、アーリントンミリオンなど8連勝してエクリプス賞最優秀芝牡馬に選ばれた本邦輸入種牡馬 |
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1987 |
牡 |
爆発的な追い込みを武器にケンタッキーダービーとBCクラシックの米国2大競走を制し、種牡馬としても米国三冠競走を完全制覇する成功を収める |
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1988 |
牡 |
単勝オッズ134.6倍の最低人気という評価を覆して欧州調教馬として史上初のBCクラシック制覇を達成した本邦輸入種牡馬 |
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1988 |
騙 |
気まぐれな性格ながらもカリフォルニア州のアイドルホースとして長年に渡り活躍したが競走馬引退後3年足らずで早世した「最高の友人」 |
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1988 |
牝 |
牡馬相手の加国三冠競走を全勝した上にBCディスタフも優勝して繁殖牝馬としても一流の成績を残した加国競馬史上最高の名牝 |
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1988 |
牝 |
米国芝GⅠ競走を9勝して2年連続エクリプス賞最優秀芝牝馬に選ばれ米国競馬の殿堂入りも果たした米国三冠馬アファームドの代表産駒 |
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1988 |
牡 |
英ダービー・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを全て圧勝して1990年代欧州屈指の名馬の称号を得る |
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1988 |
牡 |
父ウッドマンの初年度産駒として父の種牡馬としての名声を高めたプリークネスS・ベルモントSの優勝馬 |
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1988 |
牡 |
仏国主要2歳競走や仏2000ギニーを含むデビュー8連勝を達成した名マイラーは種牡馬として日本を含む世界各国で活躍する |
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1988 |
牝 |
日本人馬主の所有馬として走り英国の伝統競走エクリプスSで牡馬勢を蹴散らして勝つなどGⅠ競走で4勝を挙げた欧州の名牝 |
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1988 |
牡 |
仏国から米国に移籍してしばらくして開花しBCターフを勝つなど芝路線で大活躍してエクリプス賞年度代表馬に選出された幻のジャパンC馬 |
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1988 |
牝 |
アベイドロンシャン賞を圧倒的な強さで連覇してカルティエ賞年度代表馬に選ばれた英国競馬史上最高のスピード女王 |
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1988 |
牝 |
小柄な馬体ながらもヴェルメイユ賞勝ちと凱旋門賞2着の実力をジャパンCでも十分に発揮した名牝は繁殖入り後も日本で一定の成功を収める |
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1988 |
牝 |
2歳時BCジュヴェナイルフィーズなど7戦無敗の成績を残し「史上最も偉大な2歳牝馬の1頭」と呼ばれ3歳時もニューヨーク牝馬三冠に王手をかける |
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1988 |
牡 |
5歳時に本格化してキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSなどGⅠ競走を3連勝したカルティエ賞最優秀古馬は日本で種牡馬として超大物競走馬を連発する |
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1988 |
牡 |
名種牡馬カーリアンの全妹を母に持つ米国GⅠ競走2勝の良血馬は日本でも種牡馬としてダート巧者を多く輩出して活躍する |
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1988 |
牡 |
GⅠ競走はクイーンエリザベスⅡ世Sの1勝ながらも2年連続で欧州マイル部門のトップにランクされたエタン直系の名種牡馬 |
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1988 |
牡 |
人気薄ながら欧州調教馬として史上唯一のBCスプリント制覇を果たし初代のカルティエ賞最優秀短距離馬に選ばれたた芝ダート不問の名短距離馬 |
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1988 |
牡 |
3歳時から素質を垣間見せていたが5歳時に本格化してアーリントンミリオンを勝つなど米国芝のマイル中距離路線で活躍した本邦輸入種牡馬 |
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1988 |
牡 |
爆発的な末脚を武器に仏ダービー・凱旋門賞を制覇して同世代の名馬ジェネラスと互角の評価を得るも、種牡馬入り6年目に落雷により若くして命を落とす |
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1988 |
牡 |
歴代最強クラスのメンバーが揃った凱旋門賞を4歳時に制覇したレッドゴッド直系の傍流から出現した実力馬だが種牡馬としては全く振るわず |
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1989 |
牡 |
筋骨隆々の雄大な馬体で力強く走りベルモントSとBCクラシックを快勝した1990年代米国最強3歳馬は種牡馬としても超一流 |
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1989 |
牡 |
仏国2歳GⅠ競走を総なめにした後に出走したBCジュヴェナイルを圧勝して、2歳にしてカルティエ賞年度代表馬に選ばれたワンダーホース |
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1989 |
牡 |
ケンタッキーダービーに挑戦した後に英国に戻って英ダービーを制覇しその後も国際的に活躍を続けた本邦輸入種牡馬 |
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1989 |
牡 |
競走馬としては愛国内でしか活躍できない早熟の短距離馬という評価だったが、サドラーズウェルズ直子種牡馬として史上初めて北米首位種牡馬に輝く |
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1989 |
牝 |
古馬になっても欧米のトップホースとして活躍してエクリプス賞最優秀芝牝馬に選ばれ、牡馬相手でも互角以上の走りを披露した英1000ギニー馬 |
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1989 |
牝 |
仏オークス・ヴェルメイユ賞と仏国牝馬GⅠ競走を2勝しBCクラシックでも3着と健闘したダンシングブレーヴの全妹 |
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1989 |
牡 |
ミエスク以来史上2頭目のBCマイル連覇を達成するもエクリプス賞では無冠に終わった20世紀米国芝最強マイラー |
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1989 |
牝 |
稀代の快速牝馬マーウェルの娘として誕生し、鋭い末脚を武器に欧州牝馬マイル路線では敵無しの実力を誇る |
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1989 |
牡 |
好敵手ルアーとの死闘で揉まれて鍛えられアーリントンミリオンを勝つなど米国芝路線のトップに君臨し、日本でも種牡馬として活躍する |
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1989 |
牡 |
優れた加速力を武器に芝のマイル~10ハロン路線で活躍し、名手レスター・ピゴット騎手に30回目にして最後となる英国クラシックタイトルをプレゼントする |
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1989 |
牡 |
「競馬場のブラッド・ピット」と呼ばれ、米国芝路線のトップを走り続けた貴重なハリーオン直系の伯国産馬 |
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1989 |
牡 |
GⅠ競走勝ちは仏2000ギニーの1勝のみだったが日本で種牡馬入りするとダートの強豪馬を多く出して成功した良血馬 |
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1989 |
牡 |
愛ダービーを12馬身差のウルトラレコードタイムで圧勝したのに続いてキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSも圧勝する |
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1989 |
牝 |
競走馬としてもGⅠ競走を勝った名牝だったが、母として名種牡馬エンパイアメーカーなど4頭のGⅠ競走勝ち馬を産んだ大繁殖牝馬 |
||
1989 |
牝 |
フロック視されていた凱旋門賞制覇の実力を繁殖入りしてから証明、2頭のチャンピオンホースを含む4頭のGⅠ競走の勝ち馬を産んだ世界的名繁殖牝馬 |
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1989 |
牝 |
無敗で英オークス・愛オークス・英セントレジャーなどを勝利し凱旋門賞で2着してジャパンCでも1番人気に支持された女傑 |
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1990 |
牡 |
2度目の挑戦となったBCマイルを入念な下準備で制し当年GⅠ競走1勝ながらカルティエ賞年度代表馬のタイトルを獲得 |
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1990 |
牡 |
仏国調教馬として史上初めて英国古馬混合マイル競走の最高峰サセックスS・クイーンエリザベスⅡ世Sを両方制したメイショウドトウの父 |
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1990 |
牡 |
芝からダートに転向した途端に開花してBCクラシックやドバイワールドCなど16連勝を達成した1990年代米国最強馬だが無精子症のため子孫は残せず |
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1990 |
牡 |
ジュリー・クローン騎手に女性騎手として史上初の米国三冠競走勝利をプレゼントしたベルモントS優勝馬は古馬になっても活躍する |
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1990 |
牡 |
無敗で英ダービーと愛ダービーを連覇した種牡馬ダンシングブレーヴの最高傑作は日本で父の後継種牡馬としても活躍する |
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1990 |
牡 |
GⅠ競走勝ちは3歳時のリュパン賞・仏ダービーのみだったが古馬になっても一線級で活躍し、種牡馬としても一流馬を次々に出して成功する |
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1990 |
牝 |
米国西海岸で芝とダートを問わずに活躍してBCディスタフを制した名牝は繁殖牝馬としてもブリーダーズカップ勝ち馬を産んで成功する |
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1990 |
牡 |
名牝ミエスクの初子としてマイルGⅠ競走を3勝した超良血馬は、種牡馬としても父ミスタープロスペクターの最良後継種牡馬として大活躍する |
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1990 |
牡 |
名手マイケル・ロバーツ騎手の慧眼によりジャパンCに参戦して独国調教馬として史上初の同競走優勝を果たした独ダービー馬 |
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1990 |
牡 |
後のジャパンC優勝馬ランドの好敵手として活躍した独年度代表馬は、独国繋養種牡馬として歴史上初の世界的大種牡馬に上り詰める |
||
1990 |
騙 |
騙馬としては79年ぶりのプリークネスS制覇を果たすも、次走のベルモントSで若き命を散らす |
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1990 |
牝 |
3歳までに英1000ギニーなどGⅠ競走4勝を挙げ、BCスプリント出走を境に陥ったスランプから5歳時に脱出に成功してGⅠ競走勝ちを上乗せする |
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1990 |
牝 |
GⅠ競走では勝ち切れない事が多かったが、京王杯スプリングCで見せた豪脚と武豊騎手に海外国際GⅠ競走初制覇をプレゼントした事で有名な芦毛の名牝 |
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1990 |
牝 |
かなり気性が激しかったがニューヨーク牝馬三冠を達成しエクリプス賞最優秀古馬牝馬にも輝いた超良血馬 |
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1990 |
牡 |
伊ダービーを驚異的レコードタイムで制し、英国や仏国の最高峰競走でも好走を続けたダンシングブレーヴの後継種牡馬 |
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1990 |
牡 |
断然の1番人気に支持された英2000ギニーをコースレコードで圧勝した1992年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬 |
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1991 |
牡 |
名馬ベストパルの現役最後のレースを勝ち、さらに歴史的名馬シガーの現役最後のレースとなったBCクラシックも優勝する |
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1991 |
牝 |
英オークスに続いて牡馬相手の愛ダービーも圧勝した、ゴドルフィン軍団の記念すべき欧州クラシック競走勝ち馬第1号 |
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1991 |
牡 |
史上初めて母子2代の凱旋門賞制覇を達成した本邦輸入種牡馬だが重馬場を得意とした力馬だった故か日本の水には合わなかった |
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1991 |
牡 |
最後方からの追い込み戦法を武器にして貴重なドミノ直系を一時的に現代に復活させたBCクラシック優勝馬だが種牡馬としては全く振るわず |
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1991 |
牡 |
77年ぶり史上3頭目となる夏のサラトガ開催2歳主要競走3戦完全制覇を達成してエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれた本邦輸入種牡馬 |
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1991 |
牝 |
母ミエスクが勝てなかった仏オークスを制した他に仏1000ギニー・ジャックルマロワ賞とGⅠ競走を3勝した良血の名牝 |
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1991 |
牡 |
競走馬としてはカナダ国内限定GⅠ競走勝ち止まりだったが、種牡馬としては驚異的な産駒の勝ち上がり率を誇り早世が惜しまれる名種牡馬となる |
||
1991 |
牡 |
英ダービーの前哨戦と本番を共に鋭い末脚で快勝したが日本を含む各国で種牡馬として成功できなかった小柄で漆黒の青毛馬 |
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1991 |
牡 |
デューハーストS・セントジェームズパレスSとGⅠ競走2勝を挙げ種牡馬としても父チーフズクラウンの後継筆頭格として活躍したが惜しくも早世する |
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1991 |
牡 |
エクリプスS・英国際Sをいずれも2連覇した他にイスパーン賞も勝利した欧州芝10ハロン路線のスペシャリスト |
||
1991 |
牡 |
海外馬として初めて安田記念を制したゴドルフィンの刺客は馬場適性が認められて日本で種牡馬入りするも早世する |
||
1991 |
牝 |
ブリーダーズカップ制覇には手が届かなかったが数々の強豪牝馬と戦いながらGⅠ競走を8勝して生涯着外無しの安定感を誇った良血馬は繁殖牝馬としても優秀 |
||
1991 |
牡 |
芦毛の馬体で先頭を爆走し、そのまま後続をちぎり捨てるレースぶりで人気を博したフロリダ州出身のアイドルホース |
||
1991 |
牝 |
BCディスタフをブリーダーズカップ史上最大着差の13馬身半差で圧勝するなど米国牝馬路線で圧勝を続けた1990年代米国最強名牝 |
||
1991 |
牡 |
空馬がレースに決定的な影響を与えた事で知られる1994年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで自身も不利を受けながら優勝 |
||
1991 |
牡 |
日本における種牡馬としての活躍を期待されながら早世したストームキャット直子のプリークネスS・ベルモントS優勝馬 |
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1991 |
牡 |
欧州で走っていた頃は振るわなかったが遠征先の米国で突如開花して、豪快な追い込み戦法でハイレベルなBCターフを制覇する |
||
1991 |
牡 |
愛2000ギニーを15馬身差で圧勝し、現役時代未勝利馬だった父フェアリーキングの種牡馬としての飛躍のきっかけとなる |
||
1991 |
牝 |
七冠馬ディープインパクトの母は妊娠中にGⅠ競走を優勝した肝っ玉母さん |
||
1992 |
牡 |
カルティエ賞最優秀短距離馬だが種牡馬としては仏ダービー馬や21世紀のマイル女王など傾向が異なる活躍馬を出して成功する |
||
1992 |
牡 |
GⅠ競走制覇には手が届かなかったが毎日王冠を制した思い出の地日本で種牡馬入りする事になるもそこで待ち受けていた思いもよらない悲惨な運命 |
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1992 |
牡 |
クイーンエリザベスⅡ世Sで外埒沿いを走る奇襲戦法を採り、リッジウッドパールを6馬身差の2着に破って圧勝する |
||
1992 |
牝 |
仏オークスに加えて、ダンスパートナーが参戦していたヴェルメイユ賞も制した名牝は日本で繁殖入りしてローエングリンなどの母となる |
||
1992 |
牡 |
レーシングポストトロフィーの大差勝ちにより欧州競馬史上最強の2歳馬という評価を獲得した仏ダービー馬 |
||
1992 |
騙 |
BCマイル制覇後に故障により長期休養に追い込まれたが2年のブランクを経て2度目のBCマイル復活優勝を果たした米国の奇跡 |
||
1992 |
牡 |
現役時代はGⅡ競走1勝の身ながら種牡馬としてはクロフネなどの活躍で注目され輸出先の日本でブレイクする |
||
1992 |
牡 |
亜国の最優秀3歳牡馬は米国でもGⅠ競走3連勝をマークして好敵手スキップアウェイより一時的とはいえ高い評価を得る |
||
1992 |
騙 |
病魔に倒れた調教師の期待に応えてロイヤル&サンアライアンスノービスハードルを勝ち英チャンピオンハードル3連覇も果たした近年最も人気を博した障害競走馬 |
||
1992 |
牝 |
最初は全く歯が立たなかったセレナズソングをBCディスタフなどで3度破ってエクリプス賞最優秀古馬牝馬の座に君臨する |
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1992 |
牡 |
わずか4戦のキャリアで英ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・凱旋門賞の3競走を完全制覇した奇跡の馬 |
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1992 |
牡 |
22年ぶり史上4頭目のシドニー3歳秋季三冠馬となったオセアニアの歴史的名馬「ビッグ・オー」は種牡馬としても成功する |
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1992 |
牡 |
ケルティックスウィングより劣るという2歳時の評価を英2000ギニーで引っくり返すも英ダービーでは実力を発揮できず |
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1992 |
牡 |
3歳時にラムタラに競り負けたキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを4歳時に制覇した新国のトップ種牡馬 |
||
1992 |
牡 |
当初は下級ハンデ馬だったが4歳時に本格化するとBCターフなど欧米でGⅠ競走を5勝する世界有数の強豪馬となり引退レースのジャパンCを制覇する |
||
1992 |
牝 |
BCマイルを筆頭に4か国でマイルGⅠ競走を制し、ラムタラを抑えてカルティエ賞年度代表馬に選ばれる |
||
1992 |
騙 |
好敵手オクタゴナルへの雪辱は果たしたがジャパンCに出走できなかった父の無念は晴らせなかった豪州年度代表馬 |
||
1992 |
牝 |
2歳から4歳まで頑健に走り続けて、牝馬として史上初のハスケル招待H勝利などGⅠ競走で11勝をマークした1990年代を代表する米国の名牝 |
||
1992 |
牡 |
実力はありながらGⅠ競走では勝ち切れない状態が続いていたがジャパンC優勝を機に善戦馬から脱却しドバイワールドCなども勝って世界有数の強豪馬となる |
||
1992 |
牡 |
競走馬としてはフィリップHアイズリンHでGⅠ競走を1勝したに留まったが北米で万能種牡馬として大成功した加国の名門牝系の出身馬 |
||
1992 |
牡 |
名牝ダリア以来史上2頭目となるキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2年連続連覇を達成しただけでなくダート競走でも実力を発揮する |
||
1992 |
牡 |
1995年のケンタッキーダービー・ベルモントSの優勝馬は種牡馬としても自身を超える超大物競走馬を輩出して種牡馬引退後も大役を任される |
||
1992 |
牡 |
BCジュヴェナイルの勝ち馬として史上初の米国三冠競走勝ち馬となったプリークネスSの勝ち馬は日本で種牡馬入りすると様々なタイプの産駒を出して成功 |
||
1993 |
牡 |
2歳時にデューハーストSなど5戦全勝の成績を挙げた1995年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬は3歳以降は振るわなかったが種牡馬として好成績を残す |
||
1993 |
牡 |
同世代の強豪馬スピニングワールドと4度戦って全て先着した1990年代欧州屈指の名マイラー |
||
1993 |
牝 |
英1000ギニー・英チャンピオンS・プリンスオブウェールズSなどに勝ち、牝馬としては1990年代における世界最高の評価を得る |
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1993 |
牡 |
鋭い末脚を武器にBCターフを制した加国出身の実力馬で、日本で種牡馬入りすると距離適性万能の名種牡馬として活躍する |
||
1993 |
牡 |
現役時代は一介の早熟短距離馬だったが、種牡馬としては父デインヒルの後継として大活躍して英愛首位種牡馬にも輝く |
||
1993 |
牡 |
競走馬としてはGⅠ競走制覇に手が届かなかったが種牡馬として成功し日本に輸入されたフォーティナイナーが米国に残した最良後継種牡馬となる |
||
1993 |
牡 |
現役時代は芝1マイルの世界レコードを樹立したがGⅢ競走制覇止まり、しかし種牡馬としては北米首位種牡馬に輝くなど大活躍する |
||
1993 |
牡 |
ケンタッキーダービーを制した直後に故障を起こしてプリークネスSの施行前に競走馬引退に追い込まれたアンブライドルドの初年度産駒 |
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1993 |
牡 |
凱旋門賞を逃げて5馬身差で圧勝して「走る機械のような馬」と評されジャパンCでも好走したカルティエ賞年度代表馬だが種牡馬としては今ひとつ |
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1993 |
牡 |
2歳GⅠ競走を制した自身と同様の仕上がり早い快速を主に産駒に伝えたが、古馬になって大成する産駒も出したストームキャットの後継種牡馬 |
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1993 |
騙 |
ジャパンCに三度参戦して最初の参戦時に2着と大健闘、数多くの日本馬と一緒に走り多くの機会で見せ場を作った香港の名馬 |
||
1993 |
牡 |
ケンタッキーダービー馬2頭の父となり米国の名馬マジェスティックプリンスの直系を21世紀に繋いだエクリプス賞最優秀2歳牡馬 |
||
1993 |
牡 |
英2000ギニーやクイーンエリザベスⅡ世Sを勝った欧州マイル王者はシェイク・モハメド殿下とヘンリー・セシル調教師の決裂のきっかけとしても知られる |
||
1993 |
牝 |
母が出走できなかったBCジュヴェナイルフィリーズを制して母子3代ブリーダーズカップ制覇の中継ぎを果たしたクレイボーンファームの結晶 |
||
1993 |
騙 |
GⅠ競走制覇には至らなかったが欧州長距離路線で長年に渡り走り続けカルティエ賞最優秀長距離馬を2度受賞するなど英国の競馬ファンから大きな人気を得る |
||
1993 |
牡 |
競走馬として勝利したGⅠ競走は現役最後のレースとなったナンソープSのみだが、種牡馬としては100頭以上のステークスウイナーを出して大活躍する |
||
1993 |
牡 |
名馬ムトトの代表産駒として英ダービーを制覇するも、早世したため後継種牡馬に恵まれず父の直系を後世に伸ばす役割は果たせなかった |
||
1993 |
牡 |
ジョッキークラブ金杯2連覇・BCクラシック制覇などGⅠ競走10勝を挙げて米国競馬界の頂点に君臨した芦毛の快速馬「スキッピー」 |
||
1993 |
牡 |
現役最後のレースとなったBCマイルを筆頭に欧米でマイルGⅠ競走5勝を挙げた1990年代を代表する強豪マイラー |
||
1993 |
牡 |
父アンブライドルドの初年度産駒としてBCジュヴェナイルを優勝し種牡馬としても活躍してアンブライドルドの後継種牡馬筆頭格となる |
||
1993 |
牡 |
デビュー3戦目の愛ダービーを圧勝した実力馬は日本で種牡馬入りするも活躍馬を出せずに去ったがその後にコスモサンビームやコスモバルクが登場する |
||
1994 |
牡 |
4歳時6戦全勝で史上最高レベルのメンバー構成となったBCクラシックを制した実力を種牡馬としても存分に発揮中 |
||
1994 |
牡 |
先行して直線で粘る戦法で大接戦の英ダービーを制したサイレンススズカの叔父 |
||
1994 |
牝 |
牝馬ながら独ダービー・バーデン大賞を制し競走生活後半は屈腱炎と戦いながら走り続けて引退レースの香港ヴァーズを制した20世紀後半の独国最強牝馬 |
||
1994 |
牡 |
現役時代のGⅠ競走勝ちはペースメーカー役だったロッキンジSのみだが種牡馬としてはカルティエ賞年度代表馬を3頭も輩出する大活躍を見せる |
||
1994 |
牡 |
3歳時はマイル路線を走っていたがゴドルフィン移籍後に中距離路線に参入して欧米の大競走を次々に制覇する大活躍を見せた1990年代欧州最強古馬 |
||
1994 |
牡 |
大種牡馬デインヒルの欧州における知名度向上と、名伯楽エイダン・オブライエン調教師の雄飛の契機となった愛2000ギニー・愛ダービーの優勝馬 |
||
1994 |
牡 |
GⅠ競走未勝利にも関わらずクイーンアンSで披露した圧倒的なパフォーマンスで1998年欧州最強マイラーという評価を受ける |
||
1994 |
牡 |
20世紀末の欧州長距離路線を席巻して3年連続でカルティエ賞最優秀長距離馬に選ばれたゴドルフィン自慢の名長距離馬 |
||
1994 |
騙 |
BCスプリントに5年連続出走し6歳時に同レースを制覇と息の長い活躍を示した名短距離馬だが競走馬引退後の余生は短かった |
||
1994 |
牡 |
その爆発的な切れ味を武器に、凱旋門賞で驚異的レコードタイムを樹立して5馬身差で圧勝した1990年代の仏国最強3歳馬 |
||
1994 |
牡 |
溢れる闘志でケンタッキーダービー・プリークネスS・ドバイワールドCを制して米国内で絶大な人気を博した芦毛の名馬 |
||
1994 |
騙 |
海外調教馬として史上初めて中山グランドジャンプを制した豪州の名障害競走馬 |
||
1994 |
牡 |
競走馬としては不安定なレースが目立ったが日本で種牡馬入りするとダートの活躍馬を多く出して活躍した日本では異流のアイスカペイド直系種牡馬 |
||
1995 |
牡 |
ドバイワールドC制覇後に欧州芝路線から米国ダート路線に転向するも勝ち星は挙げられず |
||
1995 |
牡 |
レース中に乱入した観客に殴られそうになるなど紆余曲折を経ながらも最後にはBCスプリントを制して米国短距離界の頂点に立つ |
||
1995 |
騙 |
名馬アークル以来のチェルトナム金杯3連覇を果たし、絶大な人気を誇った安定感抜群の名障害競走馬だが最後はレース中に命を落とす |
||
1995 |
牡 |
父フォーティナイナーの後継として日本で種牡馬入りするも2年で他界したハスケル招待H・トラヴァーズSの勝ち馬 |
||
1995 |
牡 |
欧州遠征初戦のエルコンドルパサーをイスパーン賞で迎撃して勝利した事で知られる本邦輸入種牡馬 |
||
1995 |
牡 |
モーリスドギース賞・スプリントCと欧州短距離GⅠ競走を2勝し安田記念でも好走したウォーニング直子の名短距離馬 |
||
1995 |
牡 |
オールドヴィック以来の仏ダービーと愛ダービーの連覇を達成しカルティエ賞年度代表馬に輝く |
||
1995 |
騙 |
香港の短距離・マイル路線のトップホースとして活躍し、香港調教馬として初めて日本の安田記念を優勝する |
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1995 |
牡 |
2歳時8戦全勝の成績で2歳にしてエクリプス賞年度代表馬に選ばれた早熟の天才の最期は牧場の火事で焼死するという悲劇的なものだった |
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1995 |
牡 |
米国2歳GⅠ競走を2勝するも不運に泣いて大成できなかった快速馬だが高い勝ち上がり率を誇る名種牡馬となる |
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1995 |
牡 |
人気薄ながらも鋭い末脚と優れた闘争心を武器に英ダービーを制覇し、ジャパンCでも英ダービー馬に相応しい着順を得る |
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1995 |
騙 |
4度も来日して中山グランドジャンプを3連覇して日本でも高い人気を獲得した豪州の名障害競走馬 |
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1995 |
牡 |
未勝利脱出に7戦を要するも着実に出世してケンタッキーダービー・プリークネスSを制したが、史上最少着差でベルモントSを落とし米国三冠馬を逃す |
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1995 |
牡 |
デビューから無傷の4連勝で凱旋門賞を制覇したが古馬になってからは苦戦が続いた重馬場巧者 |
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1995 |
牝 |
タタソールズ金杯で当年のカルティエ賞年度代表馬に選ばれるデイラミを破り、日本産馬として史上初めて海外国際GⅠ競走を制覇する |
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1995 |
牝 |
主にマイル戦を主戦場として卓越した先行力を武器にGⅠ競走で13勝をマーク、豪州歴代賞金王にも輝いた20世紀末オセアニアの歴史的名牝 |
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1995 |
牡 |
リアルクワイエットの米国三冠達成をゴール前の豪脚で阻止しただけでなく、古馬になっても活躍しエクリプス賞最優秀古馬に選ばれたベルモントS優勝馬 |
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1996 |
牡 |
とにかく勝ち切れないレースぶりが目立っていたが大一番BCクラシックで激走を見せて見事に優勝を果たした馬主孝行の馬 |
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1996 |
牡 |
最下級馬から瞬く間に米国三冠競走の主役に昇り詰めエクリプス賞年度代表馬にも輝いたドリームホース |
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1996 |
牡 |
現役時代はマイル路線でGⅠ競走を勝ち切れなかったが種牡馬として10ハロン以上の距離を得意とする大物を次々輩出して仏首位種牡馬にも輝く |
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1996 |
牡 |
その名前のとおりに千年紀(ミレニアム)のドバイワールドCを制覇した20世紀のフィナーレを飾る芝ダート不問の最強馬 |
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1996 |
牡 |
2~4歳時に地道に実力を磨き、5歳時の愛チャンピオンSでガリレオを撃破、BCターフも制して誰もが認める欧州古馬最強馬の座に君臨する |
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1996 |
牡 |
強烈な末脚と闘争心を武器として、強豪馬がしのぎを削った西暦2000年の欧米芝路線のトップに君臨したBCターフ優勝馬 |
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1996 |
牡 |
カリズマティックの米国三冠達成を阻止してベルモントSを制した時点では評価があまり高くなかったが古馬になって活躍し米国最強古馬の座に君臨する |
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1996 |
牡 |
エルコンドルパサーを激闘の末に破って日本でも有名になった凱旋門賞馬は種牡馬としても英ダービー馬を4頭も輩出する活躍を見せる |
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1996 |
騙 |
その卓越した闘争心で接戦を制するレースぶりと勝負服の模様から「闘争する虎」の異名で呼ばれた、21世紀初頭の豪州最強中距離馬 |
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1996 |
牡 |
父フェアリーキングが他界したまさにその日にドバイミレニアムを破って英ダービーを優勝した本邦輸入種牡馬 |
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1996 |
牡 |
独国調教馬として史上初めて米国GⅠ競走を制したアーリントンミリオン優勝馬は種牡馬としても南アフリカを中心に活躍中 |
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1996 |
牝 |
BCジュヴェナイルフィリーズやケンタッキーオークスなどGⅠ競走5勝を含むグレード競走13勝を挙げて米国顕彰馬にも選ばれた神からの贈り物 |
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1996 |
牡 |
マイラーが多いヌレイエフ産駒としては珍しく短距離路線で活躍しカルティエ賞最優秀短距離馬に選ばれた本邦輸入種牡馬 |
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1996 |
牡 |
屈腱炎との長い闘いを克服して爆発的な末脚でBCマイルを制覇した頑張り屋で種牡馬としての能力もあったが惜しくも早世する |
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1997 |
牡 |
日本から参戦したトゥザヴィクトリーを2着に破ってドバイワールドCを制覇した事で有名になった本邦輸入種牡馬 |
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1997 |
牡 |
日本の名物馬主の所有馬としても知られた大種牡馬ミスタープロスペクター産駒唯一のケンタッキーダービー馬 |
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1997 |
牡 |
連戦に次ぐ連戦で欧州GⅠ競走を5連勝してカルティエ賞年度代表馬に選ばれた「鉄馬」は種牡馬としても3度の北米首位種牡馬に輝くなど大成功 |
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1997 |
牡 |
GⅠ競走勝ちは人気薄のスプリントCのみだが、種牡馬としては高い勝ち上がり率を武器に活躍し、2013~14年には大物競走馬も連続輩出 |
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1997 |
牡 |
英2000ギニーでジャイアンツコーズウェイを一蹴して優勝を果たした超良血馬は種牡馬としても活躍中 |
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1997 |
牡 |
史上6頭目のウッドワードS2連覇を果たすなど米国一線級で活躍したチリのダート三冠馬だが、ジャパンCダートではクロフネの引き立て役となってしまう |
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1997 |
牡 |
血統的背景からしばらくは長距離路線を走っていたが5歳時に12ハロン路線に転向してGⅠ競走3連勝で凱旋門賞を制覇する |
||
1997 |
騙 |
閉所恐怖症のため平地競走では芽が出なかったが障害競走に転向するとBCグランドナショナルを5連覇するなど大活躍した21世紀米国最高の障害競走馬 |
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1997 |
牡 |
優れた素質を3歳時から見せていたが古馬になって開花し凱旋門賞を史上最大着差タイの6馬身差で圧勝、ダート路線でも実力を発揮する |
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1997 |
牡 |
英ダービー・愛ダービーをダブル制覇した馬として史上初めて凱旋門賞も優勝してジンクス打破に成功する |
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1997 |
牡 |
溢れる闘魂で史上初のBCクラシック2連覇を果たし、米国同時多発テロにより暗く沈む米国に勇気と希望の灯を照らしたマンノウォー直系の名種牡馬 |
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1998 |
牡 |
典型的な善戦馬から米国短距離王に変身を遂げた大種牡馬ミスタープロスペクター産駒最後のGⅠ競走勝ち馬 |
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1998 |
牝 |
仏オークス・ヴェルメイユ賞を制し凱旋門賞でも2着と健闘、古馬になっても牡馬相手に好走を続けた21世紀欧州競馬界最初の女傑 |
||
1998 |
牝 |
史上初めて3年連続でエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選ばれ、エクリプス賞年度代表馬にも選ばれた21世紀初頭の米国競馬界の女王 |
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1998 |
牝 |
BCフィリー&メアターフやジャックルマロワ賞などを制した欧米統一芝女王の意地を見せてロックオブジブラルタルに食い下がり、繁殖牝馬としても活躍中 |
||
1998 |
牡 |
ポストサンデーサイレンスとして社台グループが購入するも日本における初年度産駒デビュー前に他界したリュパン賞・パリ大賞の勝ち馬 |
||
1998 |
牡 |
米国古馬ダート路線のトップを走り続けてシガーマイルH2連覇などGⅠ競走で5勝を挙げ父アラジが惨敗したケンタッキーダービーでも好走する |
||
1998 |
牡 |
ジャパンCを制覇した後に本格化してカルティエ賞最優秀古馬に選ばれた遅咲きの名馬は世界7か国で走り5か国でGⅠ競走を合計9勝した国際派ホース |
||
1998 |
騙 |
人気薄ながら本命馬アドマイヤドンとの大激戦を4cm差で制して海外馬として史上唯一のジャパンCダート勝ち馬となる |
||
1998 |
牡 |
サドラーズウェルズ産駒初の英ダービー優勝馬となった良血馬は種牡馬としても猛威を振るい父に代わって欧州競馬界に君臨する |
||
1998 |
牡 |
英2000ギニー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSをいずれも休み明けの追い込み戦法で制覇する |
||
1998 |
牡 |
世界中を走り回る日程で素質を開花させワールドシリーズレーシングチャンピオンとカルティエ賞最優秀古馬に輝いたが酷い気性難のため関係者からは敬遠される |
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1998 |
牝 |
英ダービーなどを勝った名馬ジェネラスの妹として英オークスを優勝し、繁殖牝馬としても活躍している良血馬 |
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1998 |
牝 |
異色のジンバブエ産馬ながら南アフリカの女傑として鳴らしドバイデューティーフリーも圧勝して世界中の競馬関係者を驚かせる |
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1998 |
牡 |
豪州でGⅠ競走11勝を含むグループ競走24勝を挙げて豪年度代表馬にも選ばれ、豪首位種牡馬にも輝いた21世紀初頭豪州最強牡馬 |
||
1998 |
牡 |
BCジュヴェナイルを制して競走馬としてはブリーダーズカップに縁が無かった父ホーリーブルにBCタイトルをプレゼントし後継種牡馬としても活躍中 |
||
1998 |
牡 |
セクレタリアト以来28年ぶりにケンタッキーダービーで2分を切るタイムで勝利した脚毛の追い込み馬 |
||
1998 |
牡 |
トラブルを乗り越えてジュライC・ナンソープSを完勝してデイジュール級の評価を受けるも、名前の由来となった天才音楽家と同様に早世した名短距離馬 |
||
1998 |
牡 |
アンフワインやナシュワンの母となった名繁殖牝馬ハイトオブファッションが最後に送り出したGⅠ競走4勝の大物競走馬 |
||
1998 |
牡 |
3歳時はGⅠ競走では全く通用しなかったが4歳夏に急上昇し暮れのBCスプリントを制覇したレッドゴッド直系の名短距離馬 |
||
1998 |
牡 |
シガー以来史上2頭目となるBCクラシック・ドバイワールドCのダブル制覇を達成するがエクリプス賞のタイトルには無縁だった無冠の帝王 |
||
1998 |
牡 |
超ハイペースとなったケンタッキーダービーは完敗したがプリークネスSを勝ちベルモントSも大差勝ちしてエクリプス賞年度代表馬に選ばれた超巨漢馬 |
||
1998 |
牡 |
2歳時から素質を垣間見せていたが3歳時に本格化して暮れのBCスプリントを制覇してエクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれた本邦輸入種牡馬 |
||
1998 |
牡 |
快速馬ミスタープロスペクターの2×3の強いクロスを有しながらも欧米古馬中長距離路線で活躍した気まぐれな性格の本邦輸入種牡馬 |
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1998 |
牡 |
生涯4着以下無しの安定した成績を残したドバイワールドC優勝馬は種牡馬としても絶好調だったがその最中に原因不明の病気で急逝する |
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1998 |
牡 |
愛セントレジャーを4連覇してカルティエ賞最優秀長距離馬のタイトルも獲得した21世紀初頭の名長距離馬 |
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1998 |
牡 |
癌に侵された老調教師の期待に応えて、最低人気で迎えたBCクラシックで乾坤一擲の激走を見せて6馬身半差の圧勝劇を演じる |
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1998 |
牝 |
僅か5千ドルの取引価格ながら牝馬としては米国競馬史上最多のステークス勝利数25勝を記録して200万ドル以上を稼いだ快速馬 |
||
1999 |
騙 |
追い込み一手の戦法が影響してレースぶりは安定しなかったが、2度目の出走となった安田記念ではその実力を存分に発揮して勝利した香港の名馬 |
||
1999 |
牡 |
ロッキンジSの11馬身差圧勝により歴史的名馬の称号を得るが同時にレーティングの基準に関する論争の引き金ともなる |
||
1999 |
牡 |
英ダービー・愛ダービーを連覇した他に史上初めてBCターフの2連覇を達成した生涯着外無しの安定感抜群の名馬は種牡馬としても活躍したが惜しくも早世 |
||
1999 |
牝 |
気性難や重馬場不得手など多くの欠点を抱えながらヨークシャーオークス2連覇に加えてBCフィリー&メアターフも制してエクリプス賞最優秀芝牝馬を受賞 |
||
1999 |
牡 |
愛国・仏国・英国の3か国で2歳GⅠ競走を勝った上にBCジュヴェナイルも制してアラジ以来10年ぶりの欧米統一2歳王者となった本邦輸入種牡馬 |
||
1999 |
牝 |
独国産馬として史上初めて英国クラシック競走に優勝した英1000ギニー・英オークスの覇者は繁殖牝馬としても活躍したが惜しくも早世する |
||
1999 |
牝 |
豪州最大の競走メルボルンCを3連覇して豪州競馬の伝説となっただけでなく現役終盤にはコックスプレートも優勝した豪州が誇る長距離女王 |
||
1999 |
牡 |
ベルモントS・BCクラシック2回・ドバイワールドCで全て2着に終わるもGⅠ競走で3勝を挙げ、種牡馬としても大活躍中 |
||
1999 |
牡 |
欧州で走っていた時期は振るわなかったが米国移籍後に開花し父子三代に渡るエクリプス賞年度代表馬を受賞する |
||
1999 |
牡 |
父シングスピールとの親子2代ドバイワールドカップ制覇を達成するが父と異なり種牡馬としては振るわず |
||
1999 |
牡 |
名馬ミルリーフの記録を更新する7連続GⅠ競走出走7連勝という欧州新記録を樹立した歴史的名マイラー |
||
1999 |
牝 |
名伯楽ロバート・フランケル調教師をして自身が手掛けた最高の牝馬と言わしめ、米国古馬牝馬路線で圧勝を続けたがエクリプス賞には縁が無かった無冠の女王 |
||
1999 |
騙 |
デビューから破竹の17連勝という大記録を達成して日本のスプリンターズSも完勝した香港競馬の国民的英雄 |
||
1999 |
牡 |
ニアルコスファミリーからゴドルフィンに移籍して世界5か国で走り5か国全てでGⅠ競走を制した強烈な末脚を最大の武器とした国際派ホース |
||
1999 |
騙 |
廃用寸前のところを貧乏調教師に救われ、日本のスプリンターズSを勝つなど世界各国で大活躍した豪州のシンデレラホース |
||
1999 |
牡 |
繁殖牝馬との交配を嫌がる性格で牧場関係者を悩ませるが質が高い産駒を送り出すので見切るに見切れないケンタッキーダービー・プリークネスS優勝馬 |
||
2000 |
牡 |
愛ダービーでダラカニに生涯唯一の黒星を付け、ハイレベルなキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSも完勝した名馬だが日本で種牡馬として苦戦中 |
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2000 |
牡 |
デビュー当初は芽が出なかったが古馬になって成長し、ハーツクライとの大接戦を制してホーリックスの記録を更新する日本レコードでジャパンCを優勝 |
||
2000 |
牡 |
愛ダービーで敗れた以外は凱旋門賞・仏ダービーなどを含めて全て勝利を収め、兄デイラミに続くカルティエ賞年度代表馬に選ばれる |
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2000 |
牡 |
3歳まで仏国で走って実力を磨き4歳時にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを完勝して欧州古馬路線の頂点に立つも、それを最後に燃え尽きる |
||
2000 |
牡 |
ファニーサイドの米国三冠達成を阻止した良血のベルモントS優勝馬は優秀な種牡馬成績を残しながらも米国から日本に放出される |
||
2000 |
騙 |
人気薄を覆して勝利したケンタッキーダービーで受けた濡れ衣をプリークネスSの圧勝で晴らすも米国三冠馬の栄誉には手が届かず |
||
2000 |
牡 |
短距離路線のトップホースだったが10ハロン路線へ転進しBCクラシックをレースレコードで圧勝した21世紀初頭の米国最強馬 |
||
2000 |
騙 |
キングジョージⅥ世チェイス5勝を筆頭に数々の大競走を勝ち史上唯一の長距離チェイス三冠を達成した1970年代以降の欧州長距離チェイス界最強馬 |
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2000 |
牡 |
調教でもレース序盤でもまともに走らない超怠け者の馬でありながら英ダービーを好タイムで優勝した、努力しない天才肌の馬 |
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2000 |
牡 |
ミドルパークS・ジュライC・ナンソープSと短距離GⅠ競走3勝を挙げてカルティエ賞最優秀短距離馬に選ばれた小柄な快速馬は種牡馬としても好調 |
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2000 |
牝 |
6歳時に本格化してGⅠ競走を3勝して凱旋門賞でも追い込んで2着するなど戦法も競走経歴も追い込みだった典型的晩成型の重馬場得意な牝馬 |
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2000 |
牡 |
BCクラシック2着後にドバイワールドCを完勝して日本で種牡馬入りして活躍しているヘイロー直系の実力馬 |
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2000 |
牝 |
史上最高レベルの英1000ギニーや牡馬相手のロッキンジSを含めてGⅠ競走を4勝し同世代の強豪牝馬勢を抑えてカルティエ賞最優秀3歳牝馬に選ばれる |
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2000 |
牡 |
古馬になって開花しウッドワードS・BCクラシックを連勝してエクリプス賞年度代表馬に輝くも種牡馬入り1年足らずで夭折する |
||
2000 |
牝 |
不利を受けるレースが多く能力に見合う競走実績は残せなかったが、伯母ミエスクに続くBCマイル・ジャックルマロワ賞制覇を達成する |
||
2000 |
牝 |
脚部不安を抱えながらも6歳時まで徹底してマイル路線のみを走り続けてGⅠ競走で5勝を挙げ、4歳時にはカルティエ賞最優秀古馬に選出される |
||
2000 |
牡 |
オセアニアのトップホースとして活躍した後に欧州に移籍し欧州伝統のマイルGⅠ競走を2連勝した「現代のファーラップ」 |
||
2000 |
牝 |
BCジュヴェナイルフィリーズを勝利して史上初の母子3代ブリーダーズカップ制覇を成し遂げた超良血牝馬 |
||
2000 |
騙 |
香港国内限定有力馬だったが遠征先のドバイシーマクラシックを優勝して香港調教馬として史上初めて香港国外における2000m以上の国際GⅠ競走を制覇 |
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2001 |
牝 |
当初は下級ハンデ競走を走っていたが3歳時から表舞台に飛び出して21戦連続でGⅠ競走に出走、世界4か国でGⅠ競走勝ちを挙げた国際派牝馬 |
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2001 |
牝 |
エクリプス賞最優秀3歳牝馬とエクリプス賞最優秀古馬牝馬を受賞し、繁殖牝馬として史上最高額となる900万ドルの値で取引される |
||
2001 |
牝 |
外向した両前脚のため特徴的な走り方だったが、圧倒的なスピードで史上初の英1000ギニー・愛1000ギニーのダブル制覇を達成 |
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2001 |
牡 |
マイル路線から距離を伸ばし初の12ハロン戦出走となったキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSをレコード優勝してカルティエ賞最優秀古馬を受賞 |
||
2001 |
牡 |
父ナシュワンが出走できなかった凱旋門賞を父の死後に制覇して古馬になっても一線級で活躍した実力馬は現在日本で種牡馬として奮闘中 |
||
2001 |
牡 |
ベルモントSでスマーティージョーンズの無敗の米国三冠達成を阻止したムラ馬は種牡馬としても安定感に欠け最高のスタートを切るもその後は今ひとつ |
||
2001 |
牡 |
伊国から世界に飛び立ち芝とダートを問わずに脚質自在の活躍を見せ将来を嘱目されながら現役中に急死したドバイワールドC優勝馬 |
||
2001 |
牝 |
破竹の9連勝で迎えたBCディスタフで待ち受けていたブリーダーズカップ史上稀に見る大波乱の結末 |
||
2001 |
騙 |
地元カリフォルニア州内で芝・ダート・オールウェザーを問わずに圧倒的な実力を示しクレーミング競走で取引された馬として史上最高の賞金を稼ぎ出す |
||
2001 |
牡 |
母系から受け継いだ豊富なスタミナを最大の武器として、英ダービーを四角先頭から見事に押し切って優勝する |
||
2001 |
牝 |
世界各国を走り回り史上初めて2度のカルティエ賞年度代表馬に輝いた英国の名牝は繁殖牝馬としても大活躍中 |
||
2001 |
牡 |
4歳時にBCターフを制して独国産馬としては史上初めて米国ブリーダーズカップで勝利を挙げ、父モンズーンの種牡馬としての名声を不動のものとする |
||
2001 |
牡 |
頭蓋骨骨折の重傷から立ち直りケンタッキーダービー・プリークネスSを無敗で制覇するが米国三冠馬には僅かに届かず |
||
2001 |
牡 |
病気や故障のため競走馬としてはGⅠ競走1勝止まりだったが種牡馬として大成功し種付け料が世界最高の30万ドルに達した現役北米最高の人気種牡馬 |
||
2001 |
牡 |
史上初のアスコット金杯4連覇を果たし4年連続でカルティエ賞最優秀長距離馬に選出された21世紀欧州最高の長距離馬 |
||
2002 |
牡 |
癌に侵された少女と生産者の想いを乗せて走り続け、ケンタッキーダービーこそ負けるも落馬寸前だったプリークネスSとベルモントSを連続圧勝する |
||
2002 |
牡 |
英チャンピオンS・ドバイデューティーフリー・エクリプスSを制して2005~06年の10ハロン路線の頂点に立った本邦輸入種牡馬 |
||
2002 |
牝 |
距離や馬場状態不問の走りでデビューから仏1000ギニー・仏オークスを含む無傷の9連勝を達成しカルティエ賞最優秀2歳牝馬と3歳牝馬を連続受賞 |
||
2002 |
牡 |
僅か1世代の産駒を残して急死した名馬ドバイミレニアムの子の中で唯一のGⅠ競走勝ち馬にして最有力後継種牡馬 |
||
2002 |
牡 |
米国調教馬ながら一貫して芝競走を走り、引退を1年先延ばしにして出走した3度目のBCターフで同競走史上最大の7馬身差圧勝を飾る |
||
2002 |
牡 |
父モンジューの初年度産駒として全て父子2代の凱旋門賞・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・愛ダービー・タタソールズ金杯の制覇を達成 |
||
2002 |
牡 |
ウルグアイ三冠馬に輝いた後に米国に移籍し、BCクラシック・ドバイワールドCなどGⅠ競走を6連勝してエクリプス賞年度代表馬・米国顕彰馬に選出される |
||
2002 |
牡 |
北米大陸を西から東に東から西に横断しながら短距離路線で圧勝劇を連発し国民的人気を博したが悪性腫瘍により若き命を散らす |
||
2002 |
牡 |
凱旋門賞馬モンジューの初年度産駒として英ダービーを優勝し、種牡馬としては凱旋門賞2連覇のトレヴを送り出す |
||
2002 |
牡 |
欧州10ハロン路線でGⅠ競走を3勝したが、特に外埒沿い直線一気の奇襲作戦で優勝したエクリプスSで世界的に有名となった稀少血統馬 |
||
2002 |
牡 |
安楽死寸前の重病から回復して44年ぶりの仏2000ギニー・仏ダービーのダブル制覇を果たした芝では無敗の快速逃げ馬 |
||
2002 |
騙 |
豪州から香港に移籍してこつこつと走り、10番人気で迎えたスプリンターズSを鮮やかに逃げ切って勝利する |
||
2003 |
牝 |
慢性的な出遅れ癖を持ちながらも史上5頭目の英オークス・愛オークス・ヨークシャーオークス3競走制覇を達成した距離12ハロンのスペシャリスト |
||
2003 |
牡 |
デビューから無敗でケンタッキーダービーを制覇するもプリークネスSで致命的な故障を起こし8か月に及ぶ闘病生活の末に力尽きる |
||
2003 |
牡 |
故障して競馬場を去ったバーバロの後を受け継ぎ同世代最強馬の地位を築いたプリークネスS優勝馬 |
||
2003 |
牡 |
古馬として49年ぶり史上3頭目となるキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・凱旋門賞の同一年ダブル制覇を達成する |
||
2003 |
牡 |
史上初めてカルティエ賞最優秀2歳牡馬と最優秀3歳牡馬のタイトルを連続受賞した名馬を待ち受けていた種牡馬失格の烙印と非業の最期 |
||
2003 |
牡 |
ドバイワールドCに3年連続出走、最初の2回は勝ち馬から大きく離されて敗れたが最後の1回において大接戦を制して優勝者の栄光をつかんだ伯国産馬 |
||
2003 |
牡 |
米国の2歳戦と短距離路線で活躍した快速馬は種牡馬として米国と日本でいずれも大物を出して注目され、日本に輸入されて人気種牡馬となる |
||
2003 |
牡 |
喘鳴症や出遅れ癖といった問題を抱えながらも、直線で繰り出す豪脚を武器に史上初のBCスプリント2連覇を達成する |
||
2003 |
牡 |
ディープインパクトが出走して日本で大きく盛り上がった2006年の凱旋門賞を5連勝で制覇し日本の競馬ファンを落胆させる |
||
2003 |
牡 |
名マイラーのマークオブエスティームの子でありながらゴール前4頭横一線の大接戦となった英ダービーを勝利したが負傷のためその後は活躍できなかった |
||
2003 |
牝 |
南アフリカの一流牝馬として活躍した後にドバイへ渡ってドバイシーマクラシックを優勝した日本の種牡馬フジキセキの娘 |
||
2003 |
騙 |
英国時代は活躍できなかったが、致命的な故障から復活して米国に転厩した後に能力が開花しドバイワールドCを史上最大の14馬身差で圧勝する |
||
2004 |
牡 |
名手マイケル・キネーン騎手の手でこの世に生を受け、名手ランフランコ・デットーリ騎手に念願の英ダービー騎手の称号をプレゼントする |
||
2004 |
牡 |
プリークネスS・BCクラシック・ドバイワールドCなどを制して2年連続でエクリプス賞年度代表馬に輝いた米国競馬史上初の1000万ドルホース |
||
2004 |
牡 |
クールモア陣営の準ペースメーカー役として走った3歳時は未勝利に終わるも4歳時は陣営のエース格としてGⅠ競走を5連勝して欧州古馬の頂点に立つ |
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2004 |
牝 |
英仏愛の3か国の1000ギニーに出走して2勝を挙げたが、それで燃え尽きたカルティエ賞最優秀2歳牝馬 |
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2004 |
牝 |
ケンタッキーオークスを勝った後に果敢に参戦したベルモントSで名馬カーリンとの一騎打ちを制して102年ぶり史上3頭目の牝馬制覇を達成する |
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2004 |
牡 |
BCジュヴェナイル優勝馬として史上初めてケンタッキーダービーも制覇したエクリプス賞最優秀2歳牡馬は種牡馬としても好調なスタートを切る |
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2004 |
牝 |
徹底した追い込み戦法により牝馬として史上初のBCクラシック優勝を果たすなどデビュー19連勝を飾った米国競馬界が誇る至高の名牝 |
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2005 |
牡 |
圧勝に次ぐ圧勝でケンタッキーダービー・プリークネスSを無敗で制して米国三冠馬に王手をかけたが、最終戦のベルモントSで不可解な惨敗を喫する |
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2005 |
騙 |
英愛の障害競走ナショナルハント所属の競走馬として史上初めて中山グランドジャンプを制覇する |
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2005 |
牡 |
BCターフ2連覇・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS制覇など欧米の大競走で活躍を続けた近年最強の英セントレジャー優勝馬 |
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2005 |
牡 |
世界最高峰の大競走では勝ち運に恵まれなかったが、長きに渡って米国芝路線の頂点に君臨し続けた21世紀初頭を代表する米国芝王者 |
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2005 |
牝 |
BCマイル3連覇・ロートシルト賞4連覇など欧州調教馬史上最多のGⅠ競走14勝を挙げた21世紀のマイルの女王 |
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2005 |
牡 |
英愛の2000ギニーとセントジェームズパレスS・サセックスSとマイルGⅠ競走を4連勝しBCクラシックでも2着したクールモア自慢の「航海王子」 |
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2005 |
牝 |
BCジュヴェナイルフィリーズの勝ち馬としては珍しく3歳以降に短距離路線に転向して一流の活躍を示し2年連続でエクリプス賞のタイトルを受賞 |
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2005 |
牝 |
日本で走り重賞未勝利に終わった父ディヴァインライトに伝統ある英国クラシック競走優勝馬サイアーの名誉を送った孝行娘 |
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2005 |
牡 |
2歳限りで競馬場を去った1歳年上の同厩馬テオフィロと同成績でカルティエ賞最優秀2歳牡馬に選ばれ、逃げから追い込みに転換した英ダービーも制覇 |
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2005 |
牡 |
好敵手ヘンリーザナヴィゲーターと欧州マイル路線で戦いながら成長し、オールウェザーで行われたBCクラシックで好敵手を破って優勝する |
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2005 |
牝 |
直線で繰り出す切れ味抜群の末脚を武器に仏1000ギニー・仏オークス・ヴェルメイユ賞、そして凱旋門賞も優勝した生涯無敗の女傑 |
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2006 |
牝 |
GⅠ競走15勝を含む25戦無敗の記録を残し、牝馬及び短距離馬として世界競馬史上最高クラスの評価も得た豪州が誇る世界的名牝 |
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2006 |
牡 |
デビュー19連勝中の名牝ゼニヤッタにBCクラシックで生涯唯一の黒星をつけるという「罪」の意味を持つ名前に相応しい名馬 |
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2006 |
牡 |
2~4歳時までは欧州10~12ハロン路線のトップホースとして活躍し、5歳時から超長距離路線に転向してカルティエ賞最優秀長距離馬に選ばれる |
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2006 |
牡 |
同競走史上最大の11馬身差で圧勝したキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの1戦のみで歴史的名馬の称号を獲得した本邦輸入種牡馬 |
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2006 |
牝 |
BCフィリー&メアターフ優勝・ナッソーS3連覇などの活躍を見せ、英国の名伯楽ヘンリー・セシル調教師の復活を世界中に印象付けた無冠の女王 |
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2006 |
牝 |
牝馬限定戦では圧勝の連続、牡馬相手のプリークネスS・ハスケル招待S・ウッドワードSも制して3歳牝馬として初めてエクリプス賞年度代表馬に輝く |
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2006 |
牡 |
3歳時にGⅠ競走6連勝、史上初めて英2000ギニー・英ダービー・凱旋門賞の3競走を制して欧州競馬史上有数の名馬の称号を得る |
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2006 |
牡 |
コックスプレート2連覇など豪州GⅠ競走を5勝した後に欧州に移籍してやはりGⅠ競走を5勝した距離10ハロンのスペシャリスト |
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2006 |
騙 |
短距離チェイス界で圧倒的な強さを発揮し英タイムフォーム社のレーティングで1970年代以降では最高となる192ポンドの評価を得た歴史的名障害競走馬 |
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2006 |
牝 |
圧倒的な強さで無敗の仏オークス馬となり、古馬になっても米国等で活躍してエクリプス賞最優秀芝牝馬に選ばれた本邦輸入繁殖牝馬 |
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2007 |
騙 |
現役当初は仏国のマイル短距離路線で地道に走っていたが、ドバイ転厩後に開花して7歳時に出走したドバイワールドCをコースレコードで制覇する |
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2007 |
牡 |
ゴルディコヴァとの激闘となったクイーンアンSなどマイルGⅠ競走5連勝を達成するも、最後にフランケルに圧倒されて最強マイラーの称号は得られず |
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2007 |
牡 |
人気で凡走、人気薄で好走し、生涯で挙げたグレード競走2勝がベルモントSとBCクラシックだったという大一番に強い馬 |
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2007 |
騙 |
史上唯一のサンタアニタH3勝を挙げるなど主に米国西海岸で活躍し、ケルソ、フォアゴー、ジョンヘンリーといった歴史的名騙馬に比肩するとの評価を受ける |
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2007 |
牝 |
僅か1世代の産駒を残して早世した父の忘れ形見として父娘2代のエクリプス賞年度代表馬に輝き、絶望の淵に沈む管理調教師の心も救済した美しき幸福の女神 |
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2007 |
牡 |
接戦における強さを武器に、スペクタキュラービッド以来31年ぶりにエクリプス賞最優秀2歳牡馬・最優秀3歳牡馬を連続受賞したプリークネスS優勝馬 |
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2007 |
牡 |
日本調教馬がワンツーを決めたドバイワールドCで3着し、翌年の同競走で祖父ドバイミレニアムの制覇から12年目の優勝を飾った本邦輸入種牡馬 |
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2007 |
騙 |
ドバイワールドCに4度挑戦して最初の3回は惨敗だったが、8歳時に挑んだ4度目で遂に優勝を果たして有終の美を飾った老雄 |
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2007 |
牝 |
息を呑むほどの素晴らしい豪脚を武器にエリザベス女王杯を2連覇し、英オークス・愛オークス優勝馬の実力を日本の競馬ファンにまざまざと見せ付ける |
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2007 |
牡 |
カルティエ賞最優秀2歳牡馬に選ばれるも不調で3歳時を棒に振るがその後にコロネーションC3連覇・BCターフ・ドバイシーマクラシックを制覇した薄幸の名馬 |
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2007 |
騙 |
BCマイル2連覇など米国の芝マイル路線で快進撃を続けて2年連続でエクリプス賞年度代表馬に選ばれ、芝専門馬として史上初めて米国最強馬の座に君臨する |
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2007 |
牡 |
英ダービーを7馬身差のレコードタイムで圧勝し、同年の凱旋門賞も日本調教馬ナカヤマフェスタとの接戦を制して優勝する |
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2008 |
牡 |
父は伯国産馬で母は独国産馬という血統もユニークながら競走成績もユニークな史上2頭目のケンタッキーダービー・ドバイワールドCのデュアル優勝馬 |
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2008 |
牝 |
当初は目立たなかったが3歳夏に開花して牝馬として史上初の凱旋門賞・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSのダブル制覇を達成した独国の世界的名牝 |
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2008 |
牡 |
圧勝やスリリングな大接戦などで短距離GⅠ競走を5勝した2011年のカルティエ賞最優秀短距離馬 |
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2008 |
牡 |
同世代にフランケルがいなければ歴史的名マイラーの称号を獲得していたはずの、産まれた時期を間違えた名マイラー |
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2008 |
牡 |
歴史的名牝バヤコアの孫でありながら現役時代当初は全く評価されていなかったが、徐々に実績を積み重ねてBCクラシックの覇者となる |
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2008 |
牡 |
圧勝に次ぐ圧勝で生涯戦績14戦全勝、各団体が評価したレーティングにおいていずれも史上最高の数値を獲得したサラブレッド史上最強馬最有力候補 |
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2008 |
牝 |
強烈な末脚を武器にモーリスドギース賞3連覇など仏国でGⅠ競走6勝を挙げ、カルティエ賞最優秀古馬にも選出される |
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2008 |
牡 |
生誕直後の心臓が止まった状態から蘇生し、心臓移植で生命を繋いだ調教師の管理馬として成長し、BCクラシックで米国ダート界の頂点を極める |
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2008 |
牡 |
同父同世代のフランケルには歯が立たなかったが、優れたスタミナと闘争心を武器にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・エクリプスSを制覇 |
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2008 |
牡 |
19歳のミカエル・バルザローナ騎手を鞍上に直線殿一気の追い込みで仏国調教馬として35年ぶりの英ダービー馬となるが故障で引退した未完の大器 |
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2008 |
牝 |
BCレディーズクラシックを2連覇するなどして、エクリプス賞最優秀3歳牝馬として史上初めて2度のエクリプス賞最優秀古馬牝馬を受賞する |
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2008 |
牝 |
人気薄で迎えた2012年の凱旋門賞のゴール直前でオルフェーヴルを差し返して優勝し、レースを見ていた日本中の競馬ファン達に悲鳴を上げさせる |
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2009 |
牡 |
英2000ギニー・英ダービーを制した後に英セントレジャーに参戦してニジンスキー以来42年ぶりの英国三冠馬を目指した挑戦者 |
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2009 |
牡 |
日本や香港で活躍したハットトリックの初年度産駒で、カルティエ賞最優秀2歳牡馬と仏年度代表馬をダブル受賞する |
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2009 |
牡 |
当初の低評価を覆してケンタッキーダービー・プリークネスSを制して米国三冠馬に王手をかけるも、ベルモントSの寸前で故障により夢絶たれる |
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2009 |
牡 |
キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを驚異的レコードタイムで圧勝し、独国調教馬としてデインドリームに続く2年連続の同競走制覇を達成 |
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2010 |
牝 |
米国競馬史上初めて2~5歳時まで4年連続GⅠ競走を勝つなど多くの記録を打ち立て牡馬相手のGⅠ競走も圧勝した米国競馬史上に残る稀有の名牝 |
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2010 |
牡 |
デビュー56日目で英ダービーを勝った時点では前途洋々の未来が待っているかに思えたが、その後は苦戦が続いた良血馬 |
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2010 |
牝 |
36年ぶり史上6頭目の凱旋門賞2連覇を達成しただけでなく、史上初めて凱旋門賞3連覇の大偉業に挑戦した歴史的名牝 |
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2011 |
牡 |
英ダービー馬と英オークス馬の子として史上2例目の英ダービー制覇と、愛ダービー馬と愛オークス馬の子として史上初の愛ダービー制覇を果たした超良血馬 |
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2011 |
牡 |
当時から現在まで色々と物議を醸している2014年のBCクラシックの優勝馬 |
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2011 |
牡 |
2人の個人馬産家が共同生産した地味なカリフォルニア州産馬ながら、同州産馬として史上初めてケンタッキーダービー・プリークネスSの2競走を制覇 |
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2011 |
牡 |
英2000ギニーこそ予想外の敗北を喫するも、その後はマイルGⅠ競走を4連勝してカルティエ賞年度代表馬の座を手中に収める |
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2011 |
騙 |
圧勝に次ぐ圧勝で7戦無敗で迎えたBCクラシックで致命的な不利を受けて敗北し、翌年に疝痛のため短い生涯を終えた不運な馬 |
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2011 |
牝 |
英国調教の3歳牝馬としては史上初のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS制覇を果たした英オークス馬 |
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2012 |
牡 |
37年ぶりに出現した史上12頭目の米国三冠馬にして、BCクラシックも勝利した史上初の「アメリカン・グランド・スラム」達成馬 |
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2012 |
牡 |
典型的なマイラー血統ながらも英ダービーを完勝し、トレヴの3連覇を阻んで凱旋門賞も制覇してカルティエ賞年度代表馬に選ばれた強豪馬 |