和名:ハヴァードグレイス |
英名:Havre de Grace |
2007年生 |
牝 |
鹿毛 |
父:セイントリアム |
母:イースターバンネット |
母父:カーソンシティ |
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僅か1世代の産駒を残して早世した父の忘れ形見として父娘2代のエクリプス賞年度代表馬に輝き、絶望の淵に沈む管理調教師の心も救済した美しき幸福の女神 |
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競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績16戦9勝2着4回3着2回 |
2007年以降今日に至るまで、世界中の競馬界で牝馬が牡馬顔負けの大活躍をしている。欧州では2008年の凱旋門賞を無敗で制したザルカヴァ、BCマイル3連覇を含むGⅠ競走14勝を挙げたゴルディコヴァ、牝馬として史上初めて凱旋門賞とキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSをダブル制覇したデインドリーム、1978年のアレッジド以来36年ぶりの凱旋門賞2連覇を達成したトレヴなどが登場した。日本ではこの時期にウオッカ、ダイワスカーレット、ブエナビスタ、ジェンティルドンナ達が大活躍したのは御存知の通りである。豪州では25戦無敗のブラックキャビアが出現したし、南アフリカでもダーバンジュライやJ&BメトロポリタンHを制したイググが登場した。同性としては歓迎すべき状態なのだが、あまり牡馬が不甲斐ないのも案外つまらないものである。
こうした風潮は米国でも例外ではなく、2007年のベルモントSで102年ぶりに牝馬制覇を果たしたラグストゥリッチズ、3歳時に8戦無敗でプリークネスSやウッドワードSなどを制したレイチェルアレクサンドラ、そしてデビューからBCクラシックなど19連勝を達成したゼニヤッタなどが登場している。2009年から2011年にかけて米国競馬の年度表彰エクリプス賞において3年連続で牝馬が年度代表馬を受賞したのが米国競馬の状況を象徴している。
この年度代表馬3頭のうち1頭目のレイチェルアレクサンドラと2頭目のゼニヤッタについては、米国は勿論の事、日本でも取り上げられる事が少なくない。ところが3頭目である本馬については、米国ではともかく、日本で取り上げられる事は殆ど無い。年度代表馬に相応しい馬が他にいなかったための受賞という側面は否めない事、他の2頭に比べると成績やレース内容において派手さに欠けるといった理由もあるだろうが、あまりに牝馬が活躍していたために人々が慣れてしまい、それで注目度が低下した一面はあるだろう。他の2頭が登場せず、米国競馬が牡馬中心で回っていれば、もっと本馬は注目される馬になっていたのではないだろうか。
本馬には、早世した父の忘れ形見という一面や、とある事情で絶望の淵に沈んでいた調教師の心を蘇らせたといった逸話もあり、割と日本人受けする馬だと思われるから、本項ではその辺にもスポットライトを当てて紹介を試みる事にする。
誕生からデビュー前まで
かつて英オークス・愛オークス・ヨークシャーオークスを勝った名牝ディミニュエンドを生産した事で知られる米国の馬産家ナンシー・S・ディルマン女史により米国ケンタッキー州において生産された。誕生日は2007年5月12日で、北半球産馬としてはかなり遅生まれの部類だった。また、本馬の父セイントリアムは2005年にBCクラシック・ウッドワードS・ドンH・スティーヴンフォスターHとGⅠ競走4勝を挙げてエクリプス賞年度代表馬に選ばれた名馬だが、本馬が産まれた時点では既にこの世にいなかった。2006年8月に牧場内の事故で左後脚を粉砕骨折して6歳で夭折していたのである。残された産駒は1世代96頭で、本馬はその中の1頭だった。
遅生まれにも関わらず幼少期から愛らしい顔立ちと整った体格により注目されていた本馬は、1歳9月のキーンランドセールに出品され、デラウェア州ウィルミントン在住の自動車販売業者リック・ポーター氏がケンタッキー州に創設した馬主団体フォックスヒルファームズの代理人としてセリに参加していたブラッドストックエージェンシー社のトム・マックグリービー氏により38万ドルで購入されてフォックスヒルファームズの所有馬となり、アンソニー・W・ダットロー調教師に預けられた。
競走生活(2・3歳時)
2歳8月にデラウェアパーク競馬場で行われたダート8ハロンの未勝利戦で、主戦となるジェレミー・ローズ騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ3.4倍で8頭立ての2番人気に推された。しかしスタートで後手を踏んで後方からの競馬になってしまい、三角で仕掛けて直線入り口では2番手まで上がってきたが、先行して抜け出した3番人気馬ラッキートゥビーミーに届かず3馬身3/4差の2着に敗れた。
次走はその約5週間後に同じデラウェアパーク競馬場で行われたダート8ハロン70ヤードの未勝利戦となった。今回もローズ騎手が手綱を取る本馬が単勝オッズ1.9倍で5頭立ての1番人気に支持された。またしてもスタートで出遅れた本馬だが、他馬がそれほど飛ばさなかったために馬群から離されずに付いていく事が出来た。しばらくはそのまま各馬が固まって進んだが、向こう正面から馬群がばらけ始め、その中から抜け出した本馬が四角で先頭に立った。そして直線で後続を引き離し、2着プレザントフィーヴァーに4馬身3/4差で勝利した。
2歳時はこの2戦のみで終え、7か月間の休養を経た本馬は3歳5月にフィラデルフィア競馬場で行われたダート8ハロンの一般競走で復帰した。ここではフランキー・ペニントン騎手が騎乗した本馬は、長期休養明けということもあって単勝オッズ4.3倍で5頭立ての3番人気に留まった。相変わらず本馬のスタートは悪く、レース序盤は最後方からの競馬となった。三角手前で3番手、四角で2番手まで押し上げると、逃げていた4番人気馬ブロークンルールズに直線に入ってすぐに並びかけた。そして残り1ハロン地点でかわし、1馬身1/4差をつけて勝利した。
デラウェアパーク競馬場に戻ってきた本馬は6月のゴーフォーワンドS(D8.5F)に出走した(アケダクト競馬場で施行されている同名の元GⅠ競走とは別競走)。ここではブラックアイドスーザンSで2着・ファンタジーSで3着していたハニービーS勝ち馬ノーサッチワード(暮れにガゼルSを勝っている)の姿もあった。ノーサッチワードが単勝オッズ1.6倍の1番人気で、本馬が単勝オッズ2.9倍の2番人気となった。ローズ騎手が鞍上に戻ってきた本馬は、4戦目にして初めてまともなスタートを切り、道中は5頭立ての4番手を追走した。そして三角手前で先頭に並びかけたのだが、ここで本馬より後方を走っていたノーサッチワードが一気に上がってきた。そして直線に入ると本馬とノーサッチワードの叩き合いとなったが、後続を6馬身引き離す一騎打ちの末に勝ったのはノーサッチワードで、本馬は首差の2着に敗れた。
次走は翌月に同コースで行われるデラウェアオークス(GⅡ・D8.5F)となった。ノーサッチワードもここに出走してきたが、それ以上に手強い相手が1頭いた。それは、オークリーフS・ハリウッドスターレットS・ラスヴァージネスS・ファンタジーS、そしてケンタッキーオークスを勝っていた、この年の米国3歳牝馬路線における双璧の1頭ブラインドラックだった(もう1頭はデヴィルメイケアという馬で、後に本項でも登場する)。ブラインドラックが単勝オッズ1.2倍という断然人気となり、ノーサッチワードが単勝オッズ7.5倍の2番人気、本馬が単勝オッズ7.6倍の3番人気となった。
不良馬場の中でスタートが切られると、単勝オッズ13.6倍の4番人気馬ダーウィンズスターが先頭に立ち、好スタートを切った本馬が2番手、ノーサッチワードが3番手で、ブラインドラックは最後方に陣取った。そのままの体勢でレースが進み、三角手前でブラインドラックが仕掛けると、ダーウィンズスターや本馬も抜かれまいと加速。ダーウィンズスター、本馬、ブラインドラックの順番で直線に入ってきた。残り1ハロン地点で本馬がダーウィンズスターをかわして先頭に立ったが、そこへブラインドラックが襲い掛かってきた。そして2頭がほぼ同時にゴールインして、写真判定待ちとなった。しかし僅かにブラインドラックが先着しており、本馬は鼻差2着に敗れた。現役最強3歳牝馬と接戦を演じたわけであるから健闘したと言えるが、斤量はブラインドラックより本馬が6ポンド軽かったから、実力的にはブラインドラックのほうが明らかに上位だった。
次走は8月にサラトガ競馬場で行われたアラバマS(GⅠ・D10F)となった。このレースにはブラインドラックに加えて、前述のデヴィルメイケアも出走してきた。デヴィルメイケアはBCジュヴェナイルフィリーズ11着など脆い一面もあったが、フリゼットS・マザーグースS・CCAオークスとGⅠ競走3勝を挙げており、ケンタッキーダービーにも挑んだ(結果は10着)期待馬で、ブラインドラックと並ぶ米国3歳牝馬路線の双璧だった。定量戦であるこのレースはデヴィルメイケアとブラインドラックの一騎打ちムードであり、デヴィルメイケアが単勝オッズ1.75倍の1番人気、ブラインドラックが単勝オッズ2.8倍の2番人気で、本馬が単勝オッズ8.2倍の3番人気だった。
スタートが切られるとブラックアイドスーザンS勝ち馬アクティングハッピーが先頭に立ち、本馬とデヴィルメイケアが馬群の中団につけ、ブラインドラックは得意の最後方待機策を採った。三角に入ったところで本馬が仕掛けて先頭のアクティングハッピーに並びかけ、デヴィルメイケアも追撃を開始した。しかしデヴィルメイケアには伸びが無く、代わりに最後方からブラインドラックが猛然とやって来た。そして直線に入ると単独先頭に立った本馬にブラインドラックが襲い掛かるという、前走と同じ展開となった。2頭がほぼ同時にゴールインし、写真判定に縺れ込んだところまで同じだった。そしてブラインドラックが勝利した点まで同じであり、本馬は首差2着に敗れた。前走と違う点は斤量面であり、本馬とブラインドラックは同斤量だったから、2頭の実力差が前走より接近している事を示す形となった。
なお、ここで本馬から4馬身半差の4着に敗れたデヴィルメイケアは、それから間もなくして悪性のリンパ腫瘍が判明し、治療の甲斐なく翌年5月に夭折してしまった。
本馬の次走は10月にフィラデルフィア競馬場で行われたコティリオンS(GⅡ・D8.5F)となった。このレースにもブラインドラックが出走していたが、斤量はブラインドラックの124ポンドに対して本馬は114ポンドと、10ポンドもの差があった。それでもブラインドラックが単勝オッズ1.7倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ2.2倍の2番人気、メイトロンS勝ち馬でフリゼットS2着のオーサムマリア(115ポンド)が単勝オッズ7.7倍の3番人気、プライオレスS3着・テストS2着とGⅠ競走で連続入着してきたボニーブルーフラッグ(115ポンド)が単勝オッズ15.7倍の4番人気となった。
スタートが切られると、ボニーブルーフラッグと最低人気馬アブサンマインディッドが先頭に立ち、本馬がその2頭を見るように3番手、ブラインドラックは相変わらずの最後方待機策を採った。向こう正面でアブサンマインディッドが失速すると本馬が2番手に上がり、さらに三角でボニーブルーフラッグをかわして先頭に立った。そして直線で押し切りを図った本馬に襲い掛かってきたのは、インコースを駆け上がってきたブラインドラックであり、3戦連続で逃げる本馬と追うブラインドラックという構図となった。そして2頭がほぼ同時にゴールインしたところまでは前2戦と同じだったが、今回の写真判定が下した結果は本馬の首差勝利だった。これでブラインドラックに一矢報いた本馬だったが、斤量差が大きかったために、実力で負かしたとは言えなかった。それでも3着馬オーサムマリアはブラインドラックから9馬身3/4差も後方だったから、ブラインドラックを別にすれば本馬の実力が同世代でも上位に入ってきていた事は確かだった。
次走はチャーチルダウンズ競馬場で行われたBCレディーズクラシック(GⅠ・D9F)となった。デビューから19戦無敗の米国現役最強牝馬ゼニヤッタは2連覇を目指してBCクラシックに向かったため、これはゼニヤッタを除く米国調教牝馬の中では誰が一番強いかを決めるレースとなった。出走馬は、本馬、ブラインドラック、過去8戦でベルデイムS・オグデンフィップスH・デラウェアHなど7勝を挙げていたライフアットテン、ラトロワンヌSでレイチェルアレクサンドラを2着に破った馬で、オグデンフィップスH・ラフィアン招待H・ベルデイムSとGⅠ競走3連続2着中のアンライヴァルドベル、スピンスターSなどグレード競走7勝を挙げていたアコマ、前々走パーソナルエンスンSでレイチェルアレクサンドラを2着に破る大金星を挙げたパーシステントリー、ラフィアン招待Hなどの勝ち馬マリブブレイヤー、アラバマS3着から直行してきたアクティングハッピー、レイクプラシッドSの勝ち馬でアッシュランドS2着のイッツアティータイムなどだった。ブラインドラックが単勝オッズ2.5倍の1番人気、ライフアットテンが単勝オッズ4.8倍の2番人気、本馬が単勝オッズ6.8倍の3番人気となった。
スタートが切られるとマリブブレイヤーが単騎の逃げに持ち込み、本馬は馬群の中団後方を進んだ。1番人気のブラインドラックは例によって最後方から競馬を進めた。厳密に言うと、レース序盤はブラインドラックから大きく離された最後方にライフアットテンがいたため、ブラインドラックは後方2番手だったのだが、スタートから全く他馬に付いていけずに歩くように走ったライフアットテンは既にまともな競馬になっていなかった(この理由については騎手の敗戦行為によるものだとかレース前から体調が悪かったとか薬物が誤投与されていたとか色々と言われているが真相は良く分からない。結局は最下位入線で、公式記録上は競走中止扱いになっている)から、事実上はブラインドラックが最後方だった。三角に入ったところで5番手を走っていたアンライヴァルドベルが一気に加速して四角で先頭に踊り出ると、本馬やブラインドラックもそれを追って進出を開始。先頭のアンライヴァルドベルから2馬身ほど後方で本馬、そのさらに2馬身ほど後方でブラインドラックが直線に入ってきた。そして直線では逃げるアンライヴァルドベルを、本馬とブラインドラックの2頭が叩き合いながら追う展開となった。しかしそのまま押し切ったアンライヴァルドベルが2着ブラインドラックに1馬身3/4差をつけて優勝し、残り半ハロン地点で競り負けた本馬はブラインドラックからさらに1馬身差の3着に敗退した(4着イッツアティータイムには7馬身半差をつけていた)。
3歳時は6戦2勝の成績で、GⅡ競走は勝ったがGⅠ競走には少し足りなかった。
失意の調教師
さて話が変わるが、この前年2009年までケンタッキー州を拠点に調教師をしていたJ・ラリー・ジョーンズ氏という人物がいた。ジョーンズ師は牡馬の活躍馬も多く送り出したが、どちらかと言えば牝馬の育成に定評があった人物だった。
彼は多くの有力牝馬を手掛けたが、その1頭エイトベルズを2008年のケンタッキーダービーに出走させたのが悲劇の始まりだった。エイトベルズはビッグブラウンの2着と健闘したものの、レース終了直後に両前脚を骨折して予後不良となってしまった。その直後から、エイトベルズを死なせたのはお前だという嫌がらせの手紙がジョーンズ師のところに殺到するようになり、マスコミからも集中砲火を浴びたため、悩んだ彼は調教師を辞める事を決意した。
しかし彼の調教を手伝っていた妻のシンディ夫人は夫を励まし、自らが調教師となり、夫はあくまでも助手として自分をサポートするという形を提案。夫がそれを受け入れたため、2009年11月にジョーンズ厩舎の調教師は正式にシンディ夫人に変わった。
しかしジョーンズ氏は、この時期の自分は認知症のようでしたと後に語ったほど気力を喪失しており、それも影響したのか体調を崩してしまっていた。彼は毎日のように厩舎には姿を見せたものの、自分が馬に関わる割合を徐々に縮小していた。シンディ夫人だけでは、厩舎にまだ100頭以上いた管理馬を上手く育成する事が出来ず、翌2010年におけるジョーンズ厩舎の成績は振るわなかった。
そんなジョーンズ厩舎の様子を心配そうに見つめている人物がいた。それは本馬を所有するフォックスヒルファームズの代表者ポーター氏だった。実はエイトベルズもフォックスヒルファームズの所有馬であり、エイトベルズをケンタッキーダービーに出走させる許可を出したのはポーター氏だったから、彼は悩み苦しむジョーンズ氏の姿を見て我が事のように悲しんだ。
そこで彼は一計を案じ、自身が所有する馬の中で一番の期待馬だった本馬をジョーンズ厩舎に連れてきて、ジョーンズ氏に見せた。本馬を見て非常に感銘を受けたジョーンズ氏は、この馬を自分で育ててみたいという衝動にかられた。ジョーンズ氏の心に希望の光が宿ったのを察知したポーター氏は、本馬をジョーンズ厩舎に転厩させる事を決定。ジョーンズ氏はシンディ夫人に代わって正規の調教師に復帰。4歳になった本馬はジョーンズ師の管理馬となり、シンディ夫人に日常の世話を受けながら育成されていった。
競走生活(4歳中期まで)
ジョーンズ厩舎の一員となった本馬の初戦は4歳3月にオークローンパーク競馬場で行われたアゼリS(GⅢ・D8.5F)だった。ここには、トップフライトHを勝ってきたスペイシートレイシー、前年のケンタッキーオークス3着馬タイダルプールに加えて、これで5戦連続の顔合わせとなるブラインドラックも出走してきた(厳密に書くとブラインドラックはエルエンシノS・ラカナダSで連続2着してきており、ブラインドラック側からすれば5戦連続ではない)。前年のエクリプス賞最優秀3歳牝馬に選ばれたブラインドラックが単勝オッズ2.3倍の1番人気、主戦となるラモン・ドミンゲス騎手と初コンビを組んだ本馬が単勝オッズ2.6倍の2番人気となった。本馬とブラインドラックは同斤量であり、2頭によるガチンコ一騎打ちとなった。
スタートが切られるとアブサンマインディッドが先頭に立ち、本馬は4番手の好位、ブラインドラックは毎度お決まりの最後方待機策を採った。三角で本馬が仕掛けて先頭に並びかけ、そして四角途中で先頭に立って直線に入ってきた。普段なら三角から四角にかけて猛然とまくって追い上げてくるブラインドラックだが、ここでは行き脚があまり良くなく、直線入り口でも7頭立ての6番手だった。さすがのブラインドラックもこの状況で本馬を捕らえる事は出来ず、2着ブラインドラックに3馬身1/4差をつけた本馬が完勝を収めた。
そのままオークローンパーク競馬場に留まった本馬は翌月のアップルブロッサムH(GⅠ・D8.5F)に向かった。このレースは前年にゼニヤッタとレイチェルアレクサンドラの直接対決の舞台として期待されていたが、レイチェルアレクサンドラが前哨戦ニューオーリンズレディーズSの敗北を理由に回避したため実現せず、盛り上がりに欠ける中でゼニヤッタの圧勝に終わっていた。
むしろレースとしてはこの年のほうが面白く、ラブレアS・サンタモニカS・ハリウッドオークスの勝ち馬でレディーズシークレットS・BCフィリー&メアスプリント・サンタマルガリータ招待SとGⅠ競走2着3回のスイッチが出走してきて、本馬との2強ムードとなった。斤量は2頭とも同じ119ポンドのトップハンデだったのだが、単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持されたのはGⅠ競走未勝利である本馬のほうで、スイッチが単勝オッズ3倍の2番人気、亜国のGⅠ競走セレクシオン大賞の勝ち馬で、前走サンタマルガリータ招待Sでスイッチを2着に破っていたミスマッチが単勝オッズ8.8倍の3番人気となった。
スタートが切られるとアブサンマインディッドが先頭に立ち、スイッチが3番手、本馬が5頭立ての4番手につけた。この3頭の位置取りは直線入り口でもあまり変わっておらず、逃げ粘るアブサンマインディッドをまずはスイッチがかわして先頭に立った。しかしそこへ後方から来た本馬が残り50ヤード地点で並ぶ間もなくスイッチを差し切り、3/4馬身差で勝利。これが記念すべき本馬のGⅠ競走初優勝となった。
その後はデラウェアパーク競馬場に向かい、6月のオービアS(GⅢ・D9F)に出走した。過去のレースとは異なり、ここでは本馬が単独トップハンデ(123ポンド)となって他馬を迎え撃つ立場になったが、本馬以外にこれといった馬が出走していなかったため、本馬が単勝オッズ1.2倍という断然の1番人気に支持された。
ここではドミンゲス騎手が騎乗できなかったため、ガブリエル・サエス騎手が手綱を取った。スタートが切られると、単勝オッズ9倍の3番人気馬サラズソングが先頭に立ち、単勝オッズ5.2倍の2番人気馬スウィートンソーニナが2番手、本馬は5頭立ての3番手を進んだ。三角から四角にかけて徐々に前との差を縮めると、直線入り口で先頭に立った、後方からは最後方からの追い込みに賭けた単勝オッズ9.7倍の4番人気馬ティズミズスー(後にアゼリSを2連覇してオグデンフィップスHも勝っている)が追い上げてきたが、本馬との差は全く縮まらず、本馬が2着ティズミズスーに2馬身1/4差をつけて楽勝した。
次走は翌月のデラウェアH(GⅡ・D10F)となった。このレースには、ブラインドラック、ライフアットテンの2頭が参戦してきた。ブラインドラックもアゼリS2着後にヴァニティH・ラトロワンヌSを勝って好調を維持していたのだが、この段階では本馬のほうがブラインドラックより実力上位と判断されていたようで、124ポンドの本馬が単勝オッズ1.7倍の1番人気、122ポンドのブラインドラックが単勝オッズ2.1倍の2番人気、この年3戦全敗でBCレディーズクラシックの汚名を払拭できていなかったライフアットテンが117ポンドで単勝オッズ7.9倍の3番人気となった。
スタートが切られるとライフアットテンが先頭に立ち、本馬は3馬身ほど後方の3番手、さらに3馬身ほど後方の4番手にブラインドラックがつけた。三角で本馬が加速して先頭に立つと、ブラインドラックもそれを待っていたように加速して、直線入り口ではこの2頭が先頭で並んだ、そしてここからは本馬とブラインドラックの激しい叩き合いとなった。しかし叩き合いになると、後方から来た馬や斤量が軽い馬が有利であり、その両方の条件を満たしていたブラインドラックが写真判定に縺れ込む接戦の末に勝利を収めた。鼻差2着に敗れた本馬だが、3着ライフアットテンには18馬身半差をつけており、今回はトップハンデだった事や負けた相手が一流馬だった事も手伝って、これで評価が下がるような事は無かった。
ウッドワードS
本馬の次走として常識的に考えられたのは9月3日にサラトガ競馬場で行われる牝馬限定のGⅠ競走パーソナルエンスンSだった。しかしポーター氏とジョーンズ師は協議の末、本馬をパーソナルエンスンSではなく、同日に同じサラトガ競馬場で行われる牡馬混合競走ウッドワードS(GⅠ・D9F)に出走させる事を決定した。
ポーター氏はレース後に「ハヴァードグレイスが特別な馬だったから出走させたのであり、この決定に際してエイトベルズの事は考えていませんでした」と述べたが、実際にはこの決断に際して2人の脳裏にエイトベルズの姿が全くよぎらなかったはずはなく、2人は大なり小なり葛藤したと推察される。エイトベルズが勝てなかった牡馬混合GⅠ競走を狙いたい気持ちもあっただろうが、もし惨敗や故障という結果になれば、もはや2人は米国競馬界に居られなくなるかもしれない。しかし本馬の能力は牡馬を含めても現在米国では最強であるという自信が2人の決断を後押しした。
対戦相手は、サバーバンH勝ち馬でホイットニー招待H2着のフラットアウト、モンマスカップSなどの勝ち馬でフロリダダービー・ドンH3着のルール、クラークH・ドンHとGⅠ競走を2勝していたジャイアントオーク、ルイジアナダービー・ニューオーリンズH勝ち馬でスティーヴンフォスターH2着のミッションインパジブル、前年のフロリダダービー勝ち馬でケンタッキーダービー2着のアイスボックス、スペンドアバックH・マイアミマイルH・メモリアルデイH勝ち馬マンボマイスター、ドワイヤーS・サバーバンH2着のコンヴォケーションの7頭で、本馬以外の出走馬は全て牡馬・騙馬だった(この年はレベルが低いと言われていた3歳馬の参戦は無かった)。
1954年の創設以来長年に渡り牝馬が勝った事が無かったウッドワードSだが、この2年前にレイチェルアレクサンドラが勝利していた。それも手伝ったのか、初の牡馬混合戦出走となる本馬が単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持され、フラットアウトが単勝オッズ3.35倍の2番人気、ルールが単勝オッズ4.9倍の3番人気となった。
スタートが切られると真っ先にゲートを飛び出したルールがそのまま先頭に立ち、ミッションインパジブルやコンヴォケーションが先行、本馬は4番手の好位につけた。そのまましばらく好位を走っていた本馬が仕掛けたのは三角に入る直前だった。容易に2番手に上がることは出来たが、マイペースで逃げていたルールはなかなか失速してくれず、本馬はルールから1馬身ほど遅れて直線に入ってくることになった。そして後方からは対抗馬のフラットアウトも迫ってきた。しかしここからの本馬の走りは実に堂々としていた。まずは直線に入って間もなくルールに並びかけると、力強い走りで残り1ハロン地点で抜き去った。そこへフラットアウトがやってきたが並ばせることは無かった。2着フラットアウトに1馬身1/4差、3着ルールにはさらに1馬身半差をつけた本馬が快勝した。
牝馬が同競走を勝ったのはレイチェルアレクサンドラに次いで史上2頭目だが、古馬牝馬が勝利したのは史上初の快挙だった。また、父セイントリアムは現役時代にウッドワードSを勝っているが、レイチェルアレクサンドラの父メダグリアドーロは出走さえしていなかったから、セイントリアムと本馬の2頭が史上初の同競走父娘制覇という栄誉も手にした(親子制覇自体は過去にソードダンサーとダマスカス、シアトルスルーとスルーオゴールドの例がありこれが初ではない)。
ポーター氏とジョーンズ師夫妻は勿論大喜びだったが、本馬が勝って当然と思っていた彼等は感激の涙を流すことは無く、笑顔を浮かべながらも意外と落ち着いていた。むしろ熱狂したのはサラトガ競馬場に詰め掛けた2万4430人の観衆のほうで、スタンディングオベーションで本馬と陣営を祝福した。
競走生活(4歳後期)
陣営はウッドワードS勝利後に、この年の最終目標を2年連続でチャーチルダウンズ競馬場において行われるブリーダーズカップとする旨を表明したが、牡馬相手のBCクラシックにも出したいけれども、好敵手ブラインドラックとの決着もつけたいと述べ、BCクラシックとBCレディーズクラシックの両方に登録しておくことにした。
ブリーダーズカップに直行する事はせず、次走は牝馬限定競走ベルデイム招待S(GⅠ・D9F)となった。このレースにはアラバマS・ブラックアイドスーザンSを勝っていた3歳馬ロイヤルデルタ、デラウェアHから直行してきたライフアットテンも出走してきた。本馬が単勝オッズ1.45倍の1番人気に支持され、前走アラバマSの5馬身半差圧勝が評価されたロイヤルデルタが単勝オッズ3.15倍の2番人気、ライフアットテンが単勝オッズ7.2倍の3番人気となった。
不良馬場に近いような重馬場の中でスタートが切られると、ライフアットテンが一か八かの逃げを打ち、本馬は最低人気馬バンカーズバイと共に4~5馬身ほど後方の2~3番手、ロイヤルデルタは本馬をマークするように4番手につけた。向こう正面で本馬とロイヤルデルタがほぼ同時に加速して先頭のライフアットテンに接近。四角でこの3頭が集団となった。しかし直線に入ると本馬が他2頭を置き去りにして一気に抜け出した。そのまま全くの独走状態となり、2着ロイヤルデルタに8馬身1/4差をつけて圧勝。この年のエクリプス賞最優秀3歳牝馬と翌年・翌々年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選ばれる一流馬ロイヤルデルタもこのレースでは本馬にまるで歯が立たなかった。
続いてブリーダーズカップ参戦のためにケンタッキー州に向かった。本馬の好敵手ブラインドラックは前哨戦レディーズシークレットSで惨敗してしまったためBCレディーズクラシックには不参加(そのまま引退繁殖入り)となっていた。これでブラインドラックとの決着をつける事は叶わなくなった(対戦成績は本馬の2勝4敗)ため、陣営が選択したのはBCクラシック(GⅠ・D10F)となった。
対戦相手は、ウッドワードS2着後にジョッキークラブ金杯を快勝してきたフラットアウト、前年にBCジュヴェナイル・シャンペンSを制してエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれ、前走ケルソHを制して復活の兆しを見せたアンクルモー、ナシュアS・レムセンS・ペンシルヴァニアダービーとGⅡ競走3勝のトゥオナーアンドサーヴ、トラヴァーズS・ジムダンディSの勝ち馬でベルモントS2着のステイサースティ、サンタアニタH・グッドウッドS勝ち馬でハリウッド金杯2着のゲームオンデュード、前年のベルモントS勝ち馬で前走ジョッキークラブ金杯2着のドロッセルマイヤー、この年のベルモントS勝ち馬ルーラーオンアイス、トラヴァーズS2着馬ラトルスネークブリッジ、ホーソーン金杯Hを勝ってきたヘッドエイク、ウッドワードSで6着に終わっていたアイスボックス、それに豪州でコックスプレート2回・アンダーウッドS・ヤルンバS・マッキノンSを勝った後に欧州に移籍してタタソールズ金杯・エクリプスS・愛チャンピオンSを勝っていた新国が生んだ名馬ソーユーシンクの牡馬・騙馬11頭だった。フラットアウトが単勝オッズ4.6倍の1番人気、本馬が単勝オッズ5.1倍の2番人気、ソーユーシンクが単勝オッズ6.3倍の3番人気、アンクルモーが単勝オッズ6.4倍の4番人気となった。
スタートが切られると、ゲームオンデュードが先頭に立ち、スタートで躓いて出遅れた本馬は馬群の中団好位の6番手を追走した。マイペースで逃げを打ったゲームオンデュードの走りはなかなか衰えず、三角から四角にかけて後続馬が追い上げてきても先頭を維持し続けていた。本馬も直線入り口までに順位を上げる事が出来なかったが、直線に入ると追撃を開始した。しかしここで大外から追い込んできたドロッセルマイヤーが全馬をごぼう抜きにして、そのままゴールに突き刺さった。ゲームオンデュードを捕まえられず、さらに後方から来たルーラーオンアイスにも差された本馬は、勝ったドロッセルマイヤーから3馬身差の4着に敗退。2年前のゼニヤッタに続く牝馬による同競走制覇、及び父セイントリアムとの父娘制覇は成らなかった。上位3頭は全て7番人気以下の馬達であり、上位人気馬勢では本馬が最先着ではあった。
4歳時の成績は7戦5勝(うちGⅠ競走3勝)だった。この年の米国競馬はとにかく中心馬不在であり、エクリプス賞最優秀3歳牡馬はGⅠ競走勝ちがケンタッキーダービーのみだったアニマルキングダムが受賞。エクリプス賞最優秀古馬牡馬は、チャールズウィッテンガム記念H・エディリードS・パシフィッククラシックSとGⅠ競走3勝を挙げたアクラメーションが、マンノウォーS・アーリントンミリオン・ターフクラシック招待SとGⅠ競走3勝を挙げたケープブランコ(エクリプス賞最優秀芝牡馬を受賞)を抑えて受賞しているが、2頭ともダートGⅠ競走の勝ち星は無かった。要するにダート路線で顕著な活躍を見せた牡馬はいなかったのである。また、本馬不在のBCレディーズクラシックを、ベルデイム招待Sで本馬に完敗したロイヤルデルタが勝った事も本馬の評価を押し上げた。
こうした経緯があり、本馬はこの年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬だけでなく、248票中166票を獲得(2位のアクラメーションは26票)してエクリプス賞年度代表馬も受賞。一昨年のレイチェルアレクサンドラ、前年のゼニヤッタに続いて3年連続で牝馬がエクリプス賞年度代表馬を受賞することになった。父娘でエクリプス賞年度代表馬を受賞したのは、セクレタリアトとレディーズシークレットに次いで史上2例目だった。また、主戦のドミンゲス騎手もエクリプス賞最優秀騎手を受賞した。
競走生活(5歳時)
5歳時も現役を続け、まずは3月にフェアグラウンズ競馬場で行われたニューオーリンズレディーズS(D8.5F)から始動した。このレースは普通のリステッド競走であり賞金額も驚くほど高額ではなかったが、実績馬が重い斤量を課せられるタイプの別定重量戦でもハンデ競走でもなかったため、シーズン初戦としては無難な競走だった。事実、先輩年度代表馬レイチェルアレクサンドラもゼニヤッタとの初対決が期待されていた4歳シーズンはこのレースから始動している。これといった対戦相手もいなかったため、本馬が単勝オッズ1.05倍という究極の1番人気に支持された。レースでは出遅れ気味のスタートから3番手を追走し、直線入り口で先頭に立って後続を引き離すという余裕が感じられる内容(ドミンゲス騎手は後方を振り返っていた)で、2着となったインディアナオークス勝ち馬ファニータに4馬身半差をつけて勝利した。
その後は前年に勝利したアップルブロッサムHではなく、ラトロワンヌSを目標とした(これもレイチェルアレクサンドラと同じである)。ところが直前の調教中に右前脚の靱帯を損傷。生命に関わるほど重度の負傷では無かったが、競走能力においては致命的であり、そのまま現役引退が発表された。
こうして本馬は競走馬を引退してしまったが、本馬が出走予定だったラトロワンヌSと同日に同じチャーチルダウンズ競馬場で行われたケンタッキーオークスを、ジョーンズ師の管理馬ビリーヴユーキャンが優勝し、競馬場を去る本馬に対する最高の餞となった。
馬名に関して
馬名は米国メリーランド州にある小さな港町ハヴァードグレイス市と同地に存在していた小規模競馬場ハヴァードグレイス競馬場に由来する。“Havre de Grace”とはフランス語で「優美な港・安息の地」といった意味で、米国独立戦争時に友人のジョージ・ワシントン初代米国大統領を援助するために訪米した仏国の貴族兼軍人のラファイエット公爵がこの町を訪れた際に、その美しい風景が仏国の著名な港町ルアーブル(Le Havre)を髣髴とさせた事から“Le Havre de Grace”と命名して、後に“Le”が取れたものである。本馬自身も周囲の人が口を揃えて褒め称える(筆者も同感)美貌の持ち主であり、実にぴったりの名前であると言える。
血統
Saint Liam | Saint Ballado | Halo | Hail to Reason | Turn-to |
Nothirdchance | ||||
Cosmah | Cosmic Bomb | |||
Almahmoud | ||||
Ballade | Herbager | Vandale | ||
Flagette | ||||
Miss Swapsco | Cohoes | |||
Soaring | ||||
Quiet Dance | Quiet American | Fappiano | Mr. Prospector | |
Killaloe | ||||
Demure | Dr. Fager | |||
Quiet Charm | ||||
Misty Dancer | Lyphard | Northern Dancer | ||
Goofed | ||||
Flight Dancer | Misty Flight | |||
Courbette | ||||
Easter Bunnette | Carson City | Mr. Prospector | Raise a Native | Native Dancer |
Raise You | ||||
Gold Digger | Nashua | |||
Sequence | ||||
Blushing Promise | Blushing Groom | Red God | ||
Runaway Bride | ||||
Summertime Promise | Nijinsky | |||
Prides Promise | ||||
Toll Fee | Topsider | Northern Dancer | Nearctic | |
Natalma | ||||
Drumtop | Round Table | |||
Zonah | ||||
Toll Booth | Buckpasser | Tom Fool | ||
Busanda | ||||
Missy Baba | My Babu | |||
Uvira |
父セイントリアムは当馬の項を参照。
母イースターバンネットは現役成績11戦3勝。特に目立つ競走成績ではないが牝系はかなり優秀で、イースターバンネットの半姉ザビンク(父シーキングザゴールド)の子にはリスカヴァース【クイーンエリザベスⅡ世CCS(米GⅠ)・フラワーボウル招待S(米GⅠ)2回・サンズポイントS(米GⅢ)・カーディナルH(米GⅢ)】が、半姉ラーフィー(父ラーイ)の子にはテイスティーヴィル【スポートページH(米GⅢ)】が、半妹セトリングミスト(父プレザントコロニー)の子にはトゥーナリスト【ベルモントS(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)2回・シガーマイルH(米GⅠ)・ピーターパンS(米GⅡ)・ウェストチェスターS(米GⅢ)】が、半妹トールオーダー(父ルウソヴァージュ)の子にはブーケブース【デルタダウンズプリンセスS(米GⅢ)】がいる。
イースターバンネットの母トールフィーは現役成績39戦7勝、ウェバーシティミスSを勝ち、レアパフュームS(米GⅡ)・インターボローBCH(米GⅢ)・ヴェイグランシーH(米GⅢ)で各2着している。トールフィーの母トールブースは1991年のケンタッキー州最優秀繁殖牝馬で、トールフィーの半兄で1980年のエクリプス賞最優秀短距離馬に選ばれたプラグドニックル【ローレルフューチュリティ(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)・ウッドメモリアルS(米GⅠ)・ヴォスバーグS(米GⅠ)】、半妹クリスティキャット【フラワーボウルH(米GⅠ)】なども産んでいる。クリスティキャットの子には日本で走ったイクスキューズ【クイーンC(GⅢ)】がいる。トールフィーの従姉妹の孫にはプリークネスS勝ち馬サマースコールとエクリプス賞年度代表馬エーピーインディ兄弟の名前も見られる。→牝系:F3号族④
母父カーソンシティはバーバロの項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、それから半年後の11月にファシグ・ティプトン社がケンタッキー州において実施した繁殖牝馬セールに出品され、フロリダ州のウィスパーヒルファームにより1000万ドルで購入されて繁殖入りした。初年度は従兄弟トゥーナリストの父でもあるタピットと交配されて、翌2014年に初子となる牝駒を産んでいる。