フランケル

和名:フランケル

英名:Frankel

2008年生

鹿毛

父:ガリレオ

母:カインド

母父:デインヒル

圧勝に次ぐ圧勝で生涯戦績14戦全勝、各団体が評価したレーティングにおいていずれも史上最高の数値を獲得したサラブレッド史上最強馬最有力候補

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績14戦14勝

英国のタイムフォーム社は、レースで発揮したパフォーマンスに基づいて競走馬の能力をレーティング数値化して競馬ファンに情報提供する事を目的として1948年に設立された民間の出版社である。また、ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングは、1977年に英国・愛国・仏国の3か国が合同で国際クラシフィケーション会議として発足させたもので、やはりレースで発揮したパフォーマンスに基づいて競走馬の能力をレーティング数値化して発表しているものである。

公式なのは後者のほうであるが、歴史が古いのは前者のほうである。同じ競走馬やレースであってもそれぞれの見解が異なり、片方が高評価を下しても片方はそこまで評価しないという事例も珍しくはない。

しかし2015年現在、上記の両者が揃って史上最高のレーティングを与えている馬は同じである。“the world's highest rated racehorse(世界史上最高の評価を得た競走馬)”。それが本馬、フランケルなのである。

誕生からデビュー前まで

本馬を英国ジュドモントファームにおいて生産・所有したのは、本馬が登場する以前に国際クラシフィケーション史上最高となる141ポンドのレーティングを獲得していたダンシングブレーヴなど数々の名馬を所有してきた、サウジアラビアのハーリド・ビン・アブドゥッラー王子である。

本馬の祖母レインボーレイクはアブドゥッラー王子が所有していた凱旋門賞馬レインボークエストの娘で、ランカシャーオークスを勝つなど6戦3勝の成績を残して繁殖入りした。レインボーレイクが繁殖入りした当時の欧州競馬界では、愛国の世界的馬産団体クールモアグループが所有していた大種牡馬サドラーズウェルズの天下が始まっていた。元々アブドゥッラー王子とクールモアは比較的懇意にしており、アブドゥッラー王子の所有馬として走ったデインヒルを購入して種牡馬入りさせたのもクールモアだった。クールモアが所有する種牡馬達の活躍を目の当たりにしたアブドゥッラー王子はさらにクールモアに接近し、自身が所有していた繁殖牝馬を毎年10頭ほどクールモア所有の種牡馬と交配させ、誕生した馬を分け合うという契約を締結した。レインボーレイクもやがてクールモア所有の種牡馬の交配相手に選抜され、サドラーズウェルズやデインヒルといったクールモア自慢の名種牡馬との間に子をもうけた。

その子達の中にデインヒルとの間に産まれたカインドという牝馬がいた。カインド自身はずば抜けて優れた競走成績を挙げた馬ではなかったが、カインドの1歳年上の半兄であるサドラーズウェルズ産駒のパワーズコートはタタソールズ金杯やアーリントンミリオンSを勝つなど優れた競走成績を挙げていた。そこでカインドもクールモア所有の種牡馬の交配相手に選ばれる事になった。

そしてカインドは2008年2月11日、サドラーズウェルズの息子である英ダービー馬ガリレオとの間に鹿毛の牡馬をもうけた。この馬こそが本馬である。

アブドゥッラー王子の所有馬となった本馬が1歳時の2009年11月、ベルモントS勝ち馬エンパイアメーカーなどアブドゥッラー王子が米国で走らせた馬の多くを手掛けていた米国の名伯楽ロバート・フランケル調教師が白血病のため68歳で死去した。フランケル師の死を悼んだアブドゥッラー王子は、彼の名前をそのまま本馬に名付けた。

そんな本馬を預けられたのは、英国の名伯楽サー・ヘンリー・セシル調教師だった。かつてここには挙げきれないほど数々の名馬を手掛けていたセシル師だが、1995年にマークオブエスティームのレース出走と故障を巡ってドバイのシェイク・モハメド殿下と決別してからは運が傾き始め、21世紀に入ってからしばらくは雌伏の日々を過ごしていた。しかし英ダービー馬コマンダーインチーフなどをセシル師に委ねていたアブドゥッラー王子は彼を見捨てず、その後も支援を続けた。米国では専らフランケル師に所有馬を任せていたアブドゥッラー王子だが、英国では多くの優れた調教師達に幅広く所有馬を任せていた。その中の1人で居続けたセシル師は、2006年にアブドゥッラー王子の所有馬パッセージオブタイムでクリテリウムドサンクルーを制して21世紀になって初のGⅠ競走制覇を挙げて復活。その後もBCフィリー&メアターフ勝ち馬ミッデイなどアブドゥッラー王子の所有馬を何頭も任せられていた。

しかしフランケル師より2歳年下のセシル師も当時、胃癌と闘病しながら調教師を続けていた。おそらく本馬を預かった時期のセシル師は既に自分の命がそう長くはない事を悟っていたと思われる。セシル師は自分の生命を削るかのように全身全霊を込めて本馬を育成していった。

主戦はトム・クウィリー騎手で、本馬の全レースに騎乗した。1984年産まれのクウィリー騎手は2000年に見習い騎手となり、同年に愛国の首位見習い騎手を獲得。2004年に英国に本拠地を移すと英国でも首位見習い騎手を獲得し、英国の騎手表彰レスター賞において最優秀見習い騎手を受賞。2006年にセシル厩舎に所属して、ミッデイの主戦を務めるなど厩舎のエースとして活躍を続けていた。

競走生活(2歳時)

2歳8月にニューマーケット競馬場で行われた芝8ハロンの未勝利ステークスでデビューした。本馬が単勝オッズ2.75倍の1番人気、同じガリレオ産駒のナサニエルが単勝オッズ4倍の2番人気、ゴドルフィンの所有馬ジーニアスビースト(後のサンダウンクラシックトライアルS勝ち馬)とドルトムントの2頭カップリングが単勝オッズ8.5倍の3番人気となり、後のアスコット金杯勝ち馬カラービジョンが単勝オッズ26倍の8番人気となるレベルだった。

重馬場の中でスタートが切られると、本馬は少し後手を踏んでしまい、馬群の中団後方を追走した。一方、2番人気のナサニエルは逃げ馬を見るように先行していた。残り2ハロン地点でナサニエルが先頭に立つのとほぼ同時にクウィリー騎手が仕掛けると、残り1ハロン地点でナサニエルに並びかけた。ナサニエルもここからよく粘り、2頭の叩き合いとなったが、馬なりのまま走っていた本馬が、必死で走るナサニエルを半馬身抑えて勝利した(3着ジーニアスビーストはナサニエルからさらに5馬身後方だった)。着差は小さかったが、内容的には“readily win(容易な勝利)”と言われた本馬の楽勝だった。ナサニエルはここで勝てなかったために出世が遅れて3歳4月にようやく勝ち上がったが、その3か月後にはキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを勝つ事になる。

一方の本馬は翌9月初めにはドンカスター競馬場でフランクホイットルパートナーシップ条件S(T7F)に出走。未勝利ステークスを6馬身差で圧勝して対抗馬と目されていたファーが直前で回避したために対戦相手は僅か2頭だけとなり、本馬が単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持された。2番人気のダイアモンドギーザーは単勝オッズ15倍だったから一本かぶりの人気だったが、結果からすると1.5倍でも高すぎたと言えるかも知れない。レースでは逃げるダイアモンドギーザーを見るように2番手を走り、残り2ハロン地点で悠々と先頭に立つと全くの独走状態となり、最後は2着レインボースプリングス(次走のマルセルブサック賞で3着している)に13馬身差をつけて大楽勝した。

次走は9月下旬にアスコット競馬場で行われた、ジュドモントファームがスポンサーとなったばかりのロイヤルロッジS(GⅡ・T8F)だった。本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気で、クールモアの所有馬でガリレオ産駒のトレジャービーチが単勝オッズ6.5倍の2番人気だった。スタートが切られるとやはりクールモアの所有馬でガリレオ産駒のエスキモーが先頭に立ち、本馬は最後方を追尾した。コーナーを回るところで外側に持ち出すと馬なりのまま直線入り口の残り3ハロン地点で先頭に立った。そして一瞬だけ後方を振り向いたクウィリー騎手が残り2ハロン地点で仕掛けると瞬く間に後続馬を引き離していった。そして2着クラマー(次走のホーリスヒルSを勝っている)に10馬身差をつけて圧勝。翌年の愛ダービー馬で英ダービー2着のトレジャービーチはさらに3/4馬身差の3着、後に米国に移籍してサンマルコスS2回・ジョンヘンリーターフCSを勝つスリムシェイディは5着最下位だった。

クウィリー騎手が手と足で追っただけで勝ったこのレースは、セシル師だけでなく、レーシングポスト紙も“very impressive”と言わしめた。レーシングポスト紙が“very impressive”という表現を使用した例を筆者は過去に数回ほど見たが、その多くがGⅠ競走であり、GⅡ競走でこの表現を目にしたのは、ボスラシャムが8馬身差で圧勝した1997年のプリンスオブウェールズSに次いで2回目である。ちなみにこの翌週に実施されたGⅠ競走ミドルパークSを9馬身差で圧勝したドリームアヘッドの勝ち方をもってしても“impressive”止まりだった。

翌10月のデューハーストS(GⅠ・T7F)では、そのドリームアヘッドに加えて、所有者のゴドルフィンをして「ペガサス」と言わしめたシャンペンS勝ち馬サーミッドとの対決となり、“the two-year-old race of the century(2歳戦としては100年に1度の大一番)”と評された。本馬が単勝オッズ1.67倍の1番人気で、モルニ賞・ミドルパークSなど3戦無敗のドリームアヘッドが単勝オッズ3.5倍の2番人気、サーミッドが単勝オッズ8倍の3番人気、次走のクリテリウム国際を勝つ事になるクールモア所有のガリレオ産駒ロデリックオコナーが単勝オッズ26倍の4番人気で、GⅢ競走エイコムS勝ち馬ニューグリーンフィールドが単勝オッズ51倍の最低人気となるほどのレベルだった。

スタートが切られるとロデリックオコナーが先頭に立ち、少し後手を踏んだ本馬はドリームアヘッドと並ぶようにして最後方を追走した。そして残り4ハロン地点からドリームアヘッドを置き去りにして徐々に進出を開始して、残り2ハロン地点で先頭に立った。残り1ハロン地点で少し右側によれてしまったが、お構いなしに先頭を走り続け、2着ロデリックオコナーに2馬身1/4差をつけて勝利した(ドリームアヘッドは本馬から7馬身差の5着に終わった)。青さを見せた内容だったにも関わらずこのメンバー相手に完勝した事で、近年の欧州競馬では最強の2歳馬という評価を確立した。

2歳時の成績は4戦全勝で、この年のカルティエ賞最優秀2歳牡馬を受賞。英タイムフォーム社は本馬に対して133ポンドのレーティングを与えた。英タイムフォーム社のレーティングにおいて2歳馬が130ポンド以上を獲得したのは1997年のザール(132ポンド)以来だった。1990年代にはアラジ(135ポンド)やケルティックスウィング(138ポンド)といった本馬以上の数値を得た2歳馬もいたのだが、元々英タイムフォーム社は3歳馬や古馬と比べると2歳馬に対するレーティングの付け方が不可解で、同程度の実績を残した馬であっても年を追うごとに評価が辛くなっていた(その詳細はアラジやケルティックスウィングの項を参照)から、本馬の133ポンドという数値は2歳馬としては近年では異例の高評価である。

競走生活(3歳前半)

3歳時は英2000ギニーを目標として、4月のグリーナムS(GⅢ・T7F)から始動した。本馬が単勝オッズ1.25倍の1番人気で、ミドルパークSでドリームアヘッドに9馬身ちぎられる2着だったコヴェントリーS勝ち馬ストロングスートが単勝オッズ5.5倍の2番人気だった。スタートが切られると最低人気馬ピクチャーエディターが先頭に立ち、今回もあまりスタートがよろしくなかった本馬は少し加速して2番手につけた。そして残り3ハロン地点で馬なりのままピクチャーエディターをかわして先頭に立ち、3番手から粘って2着に食い込んだエクセレブレーションに4馬身差をつけて楽勝した。エクセレブレーションはこの段階では単勝オッズ26倍の伏兵だったが、後にマイル路線の強豪馬に成長し、「本馬さえいなければ」という但し書き付きで歴史的名マイラーの称号を得るに相応しい活躍を見せる事になる。セシル師は、これはあくまで前哨戦であり、本番ではこんなものではありませんという旨を語った。

本番の英2000ギニー(GⅠ・T8F)では、クリテリウム国際勝利から直行してきたロデリックオコナー、愛ナショナルS・愛フューチュリティSなど3戦無敗のパスフォーク、レーシングポストトロフィー・ベレスフォードSの勝ち馬カサメント、クレイヴンSを勝ってきたソラリオS勝ち馬ネイティヴカーン、デューハーストS最下位から直行してきたサーミッドなど12頭が本馬に挑んできたが、本馬に敵いそうな馬は1頭も出走していなかった。本馬が1947年のテューダーミンストレル(2.375倍)や1993年のザフォニック(1.83倍)を上回る(下回るというべきか?)1.5倍という20世紀以降では同競走史上2番目に低い単勝オッズ(20世紀以降における史上1位は1974年のアパラチーの1.44倍。1934年のコロンボは資料によって単勝オッズ1.29倍と単勝オッズ1.57倍の2つの数字がある。19世紀以前であれば、1885年にパラドックスが単勝オッズ1.33倍、1896年にセントフラスキンが単勝オッズ1.12倍に支持された例がある)となり、ロデリックオコナーとパスフォークの2頭が並んで単勝オッズ9倍の2番人気となった。

クウィリー騎手にとって怖かったのは馬群に包まれて進路を失うことだけだったらしく、アブドゥッラー王子が自身の所有馬であるタタソールS勝ち馬リルーテッドをペースメーカー役として用意していたにも関わらず、スタートからいきなり先頭に立って逃げを打った。慣れない逃げ戦法だったためか抑えは効かず、レース中盤では2番手集団に10~15馬身もの差をつけるという超大逃げとなった。普通の馬であればマイル戦でこんな大逃げを打てばゴール前で確実にばてるのだが、クウィリー騎手が残り2ハロン地点で本馬を追い始めると、二の脚を使って伸び始めた。さすがに後続との差は縮まったものの、最後方待機策から2着まで追い込んできた単勝オッズ34倍の伏兵ドバウィゴールドに6馬身差をつけて圧勝。20世紀以降における英2000ギニーを最少オッズで勝った馬となった(アパラチーはノノアルコの3着に敗れている)。この勝ち方は当時“one of the greatest displays on a British racecourse(英国の競馬場で見られた史上最も偉大な展示の1つ)”だと評されたが、後に本馬がさらなる大活躍をしたために少々埋もれてしまった感もある。

その後は英ダービーに向かうのはという憶測があり、実際にかなり前から英ダービーの前売りオッズで1番人気に推されていた。しかし本馬のスタミナ能力に疑問を抱いていたセシル師は本馬をマイル路線に向かわせる事に決めていた。そのため、次走は6月のセントジェームズパレスS(GⅠ・T8F)となった(愛2000ギニーには向かわなかった。同競走は英2000ギニー11着のロデリックオコナーが勝っている)。対戦相手は前走2着のドバウィゴールド、グリーナムS2着後に独2000ギニーを7馬身差で勝ってきたエクセレブレーション、デューハーストS5着以来の実戦となるドリームアヘッド、ジャンリュックラガルデール賞の勝ち馬ウットンバセット、愛フェニックスS・タイロスSの勝ち馬ゾファニー、朝日杯フューチュリティS・NHKマイルC・京王杯2歳Sを勝って日本から遠征してきたグランプリボスなどで、むしろ英2000ギニーよりも今回のほうがレベルは高かった。それでも本馬の断然評価は揺らぐことは無く、単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持された。エクセレブレーションが単勝オッズ11倍の2番人気だったから、前走以上に一本かぶりの人気だった。

スタートが切られると前走に続いてペースメーカー役として出走していたリルーテッドが今回は逃げを打って後続を大きく引き離し、グランプリボスが2番手、本馬は3~4番手の好位につけた。しかしクウィリー騎手は何を考えたのかスタートして3ハロンほど走ったところで本馬を加速させた。そして四角途中である残り3ハロン地点でリルーテッドをかわして先頭に立ち、残り2ハロン地点では後続に6馬身差をつけた。しかしさすがの本馬にとっても残り5ハロン地点からのロングスパートでそのまま楽勝できるほどこのレースは甘くは無く、残り半ハロン地点で目に見えて脚が上がって失速。ゾファニーを始めとする後続馬勢が押し寄せてきて大ピンチとなったが、辛うじて2着ゾファニーに3/4馬身差、3着エクセレブレーションにはさらに1馬身半差で勝利を収めた(グランプリボスは8着だった)。

鞍上のクウィリー騎手は仕掛けが早すぎたとして非難された。一部の批評家の中からはこの馬は難攻不落ではないという意見が出たが、こんな暴走とも言えるほど無茶なレース内容でGⅠ競走を勝てる馬は本馬くらいだっただろう。なお、ここで5着に敗れたドリームアヘッドはマイル路線を諦めて短距離路線に向かい、ジュライC・スプリントC・フォレ賞を勝ってこの年のカルティエ賞最優秀短距離馬に選ばれる事になる。

競走生活(3歳後半)

次走は7月のサセックスS(GⅠ・T8F)となった。対戦相手は古馬3頭のみだったが、そのうちの1頭キャンフォードクリフスは、前年の愛2000ギニーを皮切りにセントジェームズパレスS・サセックスS・ロッキンジS・クイーンアンSと破竹のGⅠ競走5連勝中で、しかも前走クイーンアンSではBCマイルを3連覇していたマイル女王ゴルディコヴァを2着に破っていたから、本馬との対決は以前から熱望されていた。“The Duel on the Downs(芝生上の決闘)”と評されたこのレースは、本馬が単勝オッズ1.62倍の1番人気で、キャンフォードクリフスが単勝オッズ2.75倍の2番人気、ジャンリュックラガルデール賞・ヴィットリオディカプア賞・ローマ賞・ヴィンテージSなどの勝ち馬リオデラプラタと、フォンテーヌブロー賞・パース賞・ミュゲ賞の勝ち馬ラジサマンの2頭はいずれも単勝オッズ23倍であり、完全な2強対決ムードだった。

今回クウィリー騎手はスタートして間もなく本馬を先頭に立たせた。しかし英2000ギニーのような大逃げでも、セントジェームズパレスSのような暴走でもなく、本馬のペースを上手くコントロールしながらレースを支配していた。本馬を徹底マークして2番手を追走してきたキャンフォードクリフスが残り2ハロン地点で仕掛けるのと同時に本馬もスパート。キャンフォードクリフスが間もなく左側に大きくよれて失速した時点で勝負は決した。2着キャンフォードクリフスに5馬身差をつけて圧勝し、最強マイラー決定戦は本馬に軍配が上がった。負けたキャンフォードクリフスは直後に脚の負傷が判明し、そのまま引退してしまった。

その後は仏国のジャックルマロワ賞かムーランドロンシャン賞に向かうとも思われたが、癌と闘病中だったため自国を離れるわけにはいかなかったセシル師は英国内におけるレース出走に拘らざるを得ず、2競走とも出走しなかった。10ハロン路線に向かって8月の英国際Sに出るのはとも噂されたが、結局次走は10月のクイーンエリザベスⅡ世S(GⅠ・T8F)となった。対戦相手は、セントジェームズパレスS3着後にハンガーフォードS・ムーランドロンシャン賞を連勝していたエクセレブレーション、サンドリンガム賞・コロネーションS・ジャックルマロワ賞と3連勝中の3歳牝馬イモータルヴァース、ジャンプラ賞・ヴィットリオディカプア賞・リッチモンドS・ベット365マイル・サマーマイルなどの勝ち馬で前年の英2000ギニー・仏2000ギニー・セントジェームズパレスSで全て2着だったディックターピン、セントジェームズパレスS6着後にセレブレーションマイルを勝っていたドバウィゴールド、前年のクイーンエリザベスⅡ世S勝ち馬ポエッツヴォイス(日本で活躍したゴールドティアラの半弟に当たる)、後に豪州GⅠ競走マッキノンSを勝つソヴリンS勝ち馬サイドグランスなどだった。本馬が単勝オッズ1.36倍の1番人気に支持され、エクセレブレーションが単勝オッズ7倍の2番人気、イモータルヴァースが単勝オッズ8倍の3番人気だった。

スタートが切られるとアブドゥッラー王子とセシル師が用意したペースメーカー役のブレットトレイン(実は本馬の1歳年上の半兄である)が後続を大きく引き離して先頭を引っ張り、本馬は好位で様子を伺った。レース中盤で2番手に上がると、失速するブレットトレインと入れ代わるように残り2ハロン地点で先頭に立った。後は力強くゴールまで走り抜けるだけで、2着エクセレブレーションに4馬身差をつけて快勝。

3歳時の成績は5戦全勝で、この年のカルティエ賞年度代表馬及び最優秀3歳牡馬を受賞した。ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングでは136ポンド、英タイムフォーム社のレーティングでは143ポンドの評価を獲得し、いずれも全世代を通じてこの年世界1位だった。特に英タイムフォーム社のレーティングにおいては、145ポンドのシーバード、144ポンドのブリガディアジェラードとテューダーミンストレルに次ぐ当時史上第4位の高評価であり、この時点で既に欧州競馬史上最強馬候補の一角に名を連ねることになった。

競走生活(4歳前半):サラブレッド史上最高のパフォーマンスと評されたクイーンアンS

本馬陣営は10ハロン路線にも出したい旨を3歳シーズン終了後に公言したが、ひとまず4歳当初はマイル路線に専念する事になった。5月のロッキンジSを目標に調整されていたが、4月11日の調教中に後突を起こして負傷してしまった。アブドゥッラー王子は「彼は自分で自分を蹴って負傷しましたが、現段階ではたいした怪我ではないように見えます。しばらくは経過観察をする事にします」と発表した。陣営は念のために本馬の脚にギプスを装着して様子を見たが、そうこうしている間に噂が噂を呼び、これで競走馬引退という報道まで出て、陣営がそれを否定するというちょっとした騒ぎになった。実際に本馬の怪我はたいしたものではなく、負傷から2週間後の4月25日には調教に復帰。翌5月には公開調教で抜群の走りを見せてセシル師を安堵させた。

そして当初の予定どおりロッキンジS(GⅠ・T8F)に出走した。対戦相手は、クールモアに移籍して前走グラッドネスSを快勝してきたエクセレブレーション、クイーンエリザベスⅡ世Sで4着だったドバウィゴールド、アールオブセフトンS・ジョエルSの勝ち馬ランサムノートなど5頭だった。本馬が単勝オッズ1.29倍の1番人気で、クールモア自慢の名伯楽エイダン・オブライエン師の調教を受けたエクセレブレーションが単勝オッズ4.33倍の2番人気となった。

スタートが切られると、本馬のペースメーカー役としての役割を果たすためだけに競走馬登録されていたブレットトレインが先頭に立ち、本馬は兄の背中を見るように2番手を追走した。そして残り2ハロン地点でブレットトレインに代わって先頭に立つと、2着エクセレブレーションに5馬身差をつけて圧勝。しかしセシル師は「彼はベストの状態ではありませんでした。季節が進むにつれて良くなっていくでしょう。彼は肉体的にも精神的にも前年より大きく成長していますから」と語った。

次走はロッキンジSからちょうど1か月後の6月19日にアスコット競馬場で行われたクイーンアンS(GⅠ・T8F)となった。そしてこのレースで本馬は歴史を塗り替えることになるのである。対戦相手は、打倒本馬の執念を燃やすエクセレブレーション、前年のグリーナムSで本馬の6着最下位に敗れたがその後にジャージーS・レノックスS・チャレンジSを勝っていたストロングスート、豪州からやって来たサイアーズプロデュースS・豪シャンペンS・コーフィールドギニー勝ち馬ヘルメット、伊ダービー・伊2000ギニー・リボー賞・カルロヴィッタディーニ賞の勝ち馬ワースアド、ダイオメドSを勝ってきたサイドグランスなど10頭だった。本馬が単勝オッズ1.1倍の1番人気に支持され、エクセレブレーションが単勝オッズ6倍の2番人気、ストロングスートが単勝オッズ11倍の3番人気だった。

スタートが切られるとブレットトレインが先頭を引っ張り、本馬はやはり兄を見るように2番手を追走した。そして残り2ハロン地点で先頭に立つと、どんどん後続馬を引き離していった。既に周囲に誰もいなくなった残り1ハロン地点で本馬は落鉄してしまい、少し右側によれる場面もあったが、そのまま先頭でゴールイン。2着となったエクセレブレーションには実に11馬身もの差をつけていた。

このレースは各方面から絶賛の声で迎えられた。英国のガーディアン紙は「サラブレッド競馬史上最高のパフォーマンスでした」と賞賛した。レーシングポスト紙は“very impressive”を超える“extremely impressive(極めつけの印象度)”という、筆者が過去に1度も見たことが無い表現で賞賛し、自紙が独自に評価していたレーティングにおいて142ポンドという史上最高評価を与えた(それまでの最高はドバイミレニアムの139ポンド)。

そして英タイムフォーム社はこのレースで本馬が披露したパフォーマンスに対して、147ポンドのレーティングを与えた。これで仏国調教馬にも関わらず英国の会社であるタイムフォーム社がかつて「世紀の名馬」と絶賛したシーバードが47年間も保持していた、英タイムフォーム史上最高のレーティング145ポンドは遂に更新されたのだった(1997年の凱旋門賞を圧勝したパントレセレブルがその直後にいったん147ポンドの評価を受けた事があるが結局137ポンドに下方修正されている。本馬の場合は修正される事は無かった)。シーバードの数字は3歳時に距離12ハロン(又は2400m)で評価されたものであり、4歳時にマイル戦で評価された本馬と単純比較は出来ないけれども、数字上においては英タイムフォーム社は本馬に史上最強馬の称号を授けたのだった。

しかしワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングはひとまず140ポンドの評価を下したものの、これはダンシングブレーヴの141ポンドより1ポンド低いもので、この段階においては史上最高評価ではなかった。結果的にはこの140ポンドが史上最高評価となるのだが、この件については後述する事にする。

競走生活(4歳後半)

落鉄の影響を懸念したセシル師は念のために脚に湿布を貼ったが、特に問題は起こらず、次走は8月のサセックスS(GⅠ・T8F)となった。もはや本馬と戦いたいと希望する物好きは少数派であり、欧州マイル路線の有力馬勢は挙って11日後のジャックルマロワ賞に向かっていた。クイーンアンSで本馬との対戦成績5戦全敗となったエクセレブレーションもジャックルマロワ賞に向かったためこのレースには不在だった。しかしそれでも、前走エクリプスSでナサニエルの半馬身差2着してきたファーを始めとする3頭(うち1頭は兄ブレットトレインなので、実質的な対戦相手は2頭)が果敢に本馬に挑んできた。特にファーには、本馬のデビュー2戦目だったフランクホイットルパートナーシップ条件Sを直前に回避した後に順調に使うことが出来ずに、4歳になってようやく一線級まで駆け上がってきた勢いがあった。それでも史上最強馬の称号を得た本馬の敗北を予想する人は少なく、本馬が単勝オッズ1.05倍という究極の1番人気に支持され、ファーが単勝オッズ12倍の2番人気となった。

スタートが切られると例によってブレットトレインが先頭に立ち、本馬は兄の背中に張り付くように2番手を追走した。そのままの体勢で直線に入ると残り2ハロン地点でブレットトレインをかわして先頭に立った。その後は後続を引き離す一方で、馬なりのまま2着ファーに6馬身差をつけて圧勝を収め、史上初の同競走2連覇を果たすと同時に、ロックオブジブラルタルが保持していた7連続GⅠ競走出走7連勝の欧州記録に並んだ(世界記録はゼニヤッタの9連続GⅠ競走出走9連勝)。

マイル路線では全くの敵無し状態となった本馬を、セシル師は10ハロン路線に向かわせることを決断した。そのため次走は前走から3週間後の英国際S(GⅠ・T10F88Y)となった。対戦相手は、ファー、BCターフ・レーシングポストトロフィー・コロネーションC2回を勝っていたセントニコラスアビー、英チャンピオンS2回・エクリプスS・英国際S・ユジェーヌアダム賞・マクトゥームチャレンジR3・ヨークSなどを勝っていたトゥワイスオーヴァー、ギョームドルナノ賞・ヨークSの勝ち馬でエクリプスS2着もあったスリプトラ、ガネー賞・ノアイユ賞・アルクール賞の勝ち馬で仏ダービー・パリ大賞・イスパーン賞2着・ドバイワールドC3着のプラントゥールなどだった。本馬以外の有力馬はどれも距離10ハロン以上のGⅠ競走で勝利又は2着があった馬ばかりであり、マイルより長い距離を走るのが初めてである本馬と比較して経験面では有利だった。それでも本馬が単勝オッズ1.1倍の1番人気に支持され、セントニコラスアビーが単勝オッズ6倍の2番人気、ファーが単勝オッズ11倍の3番人気となった。

スタートが切られると、兄ブレットトレインはいつもどおり先頭に立ってペースメーカーとしての役割を始めたが、肝心の本馬はスタートで出遅れて最後方からの競馬となっていた。そのまましばらくは後方で待機していたが、直線に入ると残り3ハロン地点で大外に持ち出してスパートを開始。残り2ハロン地点で先頭に踊り出た。ここから先は未知の距離だったが、どうやら本馬には10ハロンの距離でも全く問題無かったようで、そのまま馬なりで後続を引き離し続け、セントニコラスアビーとの2着争いを制したファー(翌年にロッキンジS・英チャンピオンSを勝利)に7馬身差をつけて圧勝。これで8連続GⅠ競走出走8連勝となり、ロックオブジブラルタルの欧州記録を更新した。

その後は凱旋門賞に向かうのではという噂もあったが、結局は当初の予定どおりに10月の英チャンピオンS(GⅠ・T10F)に向かった。これが現役最後のレースとなる旨が事前に発表されていた。対戦相手は、英チャンピオンS・ドバイシーマクラシック・ガネー賞・コンセイユドパリ賞・ドラール賞2回・ドーヴィル大賞を勝利して前年のカルティエ賞最優秀古馬にも選ばれていたシリュスデゼーグル、デビュー戦で本馬の2着に負けた後に出世が遅れていたが、3歳夏に開花してキングエドワードⅦ世S・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを連勝し、この年もエクリプスSを勝ちキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・愛チャンピオンSで連続2着と好調を維持していたナサニエル、独ダービー・ダルマイヤー大賞を勝って挑んできた独国現役最強馬パストリアス、ドバイのGⅠ競走ジェベルハッタの勝ち馬マスターオブハウンズ、そして弟の競走馬引退と同時に自分も引退する事になるペースメーカー役の兄ブレットトレインの5頭だった。本馬が単勝オッズ1.18倍の1番人気に支持され、シリュスデゼーグルが単勝オッズ5.5倍の2番人気、ナサニエルが単勝オッズ10倍の3番人気となった。

本馬にとってはデビュー戦以来となる重馬場の中でスタートが切られると、最後までペースメーカーとしての役割を全うするべくブレットトレインが先頭に立ったが、本馬はまたしてもスタートで後手を踏んで後方からの競馬となっていた。すぐに少し加速して4~5番手につけ、しばらくはその位置取りで走っていた。そして直線に入って残り2ハロン半地点で仕掛けると、残り1ハロン地点で馬なりのまま先頭に立った。不得手だと噂されていた重馬場が影響したのか、いつものようにここから後続馬を引き離す事は無かったが、それでも2着シリュスデゼーグルに1馬身3/4差をつけて勝利。ゼニヤッタが保持していた9連続GⅠ競走出走9連勝の世界記録に並び、14戦無敗の成績を残した本馬は、3万2千人の観衆から拍手喝采を受けながら競馬場を後にしていった。ちなみにこの英チャンピオンSと同日に同じアスコット競馬場で行われたクイーンエリザベスⅡ世Sは、史上最高クラスのメンバー構成となったジャックルマロワ賞を勝利してきたエクセレブレーションが完勝を収めている。

4歳時の成績は5戦全勝で、2年連続となるカルティエ賞年度代表馬と、カルティエ賞最優秀古馬を獲得した。

競走馬としての評価

英タイムフォーム社はシーズン終了後に本馬のレーティングはクイーンアンSにおける147ポンドから変動させない旨を発表し、本馬が英タイムフォーム社の評価史上における最強馬である事が確定した。

また、ワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングも、クイーンアンSで与えた140ポンドのまま変動させない旨を発表した。これは先述したようにダンシングブレーヴの141ポンドより1ポンド低いものだった。実はワールド・サラブレッド・レースホース・ランキングにおいて、レーティングの最高値は140ポンドが原則とされており、ダンシングブレーヴの141ポンドが例外中の例外だった。本馬が140ポンドとなったのは原則に従ったためだった。

ところが、昔の馬と近年の馬の評価基準が異なっており、昔の馬のほうが甘い評価だとしばしば批判される事があった国際クラシフィケーション会議は、これを機会に過去に評価してきた馬達のレーティング見直しを翌2013年1月に実施。1991年以前の評価について、1977年は全馬一律7ポンド減、1978年は全馬一律6ポンド減、ダンシングブレーヴが141ポンドの評価を受けた1986年は一律3ポンド減というように、年によって1~7ポンドの引き下げを行った。これによりダンシングブレーヴの評価は138ポンドに下がり、140ポンドの本馬が歴代単独1位の座に就いたのだった。

ダンシングブレーヴの所有者でもあったアブドゥッラー王子は特に何もコメントした形跡は無いが、ダンシングブレーヴを管理していたガイ・ハーウッド調教師は当然のように猛反発。競馬関係者やファンの間でも否定派と肯定派に分かれて世界各国で議論の的となった。筆者自身は否定したい気持ちと肯定できる気持ちが混在しているため何とも言い難いが、1つだけ確実に言えることは、本馬の強さは国際クラシフィケーション会議に重い腰を上げさせて数値改革をさせるほど衝撃的なものだったという事である(本馬を首位にするための見直しである旨は公式には否定されているが、無関係である事はあり得ない)。

さて、人間は熱中して応援した相手を過剰評価する傾向があるから、競走馬の能力を正確に評価するためには、一定の冷却期間を置いて客観的に振り返る必要があると筆者は思っている。本馬はほんの3年前まで走っていた馬であり、はっきり言って冷却期間が足りていない。したがって、本馬が本当に史上最強馬なのかどうかについては現時点で結論を出すことは難しいと思っている。それでも、間違いなく史上最強馬の最有力候補に挙がる馬であるのは間違いないと思っている。その理由は大別して3つある。1つ目は、生涯無敗でしかも大半のレースで他馬を寄せ付けない強さを発揮した事。2つ目は、斤量に恵まれる3歳時だけでなく古馬になっても走った上に、むしろ古馬になってからのほうが強い勝ち方をしていた事。3つ目は、同時代の強豪馬達が幾度も挑んできたにも関わらず、その度に返り討ちにし続けた事である。

特に最後の3つ目は大きいと思っている。シーバードやダンシングブレーヴが高評価を得ているのは、史上最強クラスのメンバーが集結した凱旋門賞を完勝した事が大きいが、逆に言えばそれ以外のレース全てにおいて最強クラスのメンバーと戦い続けたわけではない。しかし本馬は殆どのレースにおいて、本馬さえいなければ時代の最強馬として名を馳せていたかも知れない馬と戦い続け、その全てに勝利した。本馬に負かされた馬のうちGⅠ競走を2勝以上した馬は、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・エクリプスSの勝ち馬ナサニエル、愛ダービー・セクレタリアトSの勝ち馬トレジャービーチ、ミドルパークS・ジュライC・スプリントC・フォレ賞の勝ち馬ドリームアヘッド、クリテリウム国際・愛2000ギニーの勝ち馬ロデリックオコナー、ジャンリュックラガルデール賞・ヴィットリオディカプア賞・ローマ賞の勝ち馬リオデラプラタ、ジャンプラ賞・ヴィットリオディカプア賞の勝ち馬ディックターピン、サイアーズプロデュースS・豪シャンペンS・コーフィールドギニーの勝ち馬ヘルメット、ムーランドロンシャン賞・ジャックルマロワ賞・クイーンエリザベスⅡ世Sの勝ち馬エクセレブレーション、愛2000ギニー・セントジェームズパレスS・サセックスS・ロッキンジS・クイーンアンSの勝ち馬キャンフォードクリフス、コロネーションS・ジャックルマロワ賞の勝ち馬イモータルヴァース、ジャンプラ賞・ヴィットリオディカプア賞の勝ち馬ディックターピン、ロッキンジS・英チャンピオンSの勝ち馬ファー、BCターフ・コロネーションC3回・ドバイシーマクラシック・レーシングポストトロフィーの勝ち馬セントニコラスアビー、英チャンピオンS2回・エクリプスS・英国際Sの勝ち馬トゥワイスオーヴァー、それにグランプリボスと大勢居るのである。

時代が異なる上に主戦場としたレースの距離も異なるから、筆者が史上最強馬候補だと思っている他の馬達と単純比較するのは困難ではあるが、芝のマイル~10ハロン路線においては本馬が現時点における21世紀最強馬である事はここで断言してしまってよいだろう。

そんな本馬を手掛けたセシル師は、愛馬の競走馬引退から8か月後の2013年6月に70年の生涯を閉じた。彼は最後に史上最強馬を手掛けられて満足して逝ったのか、それとも本馬を超えるほどの馬にまた巡り会いたいと願いながら逝ったのかは、筆者には分からない。

血統

Galileo Sadler's Wells Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Fairy Bridge Bold Reason Hail to Reason
Lalun
Special Forli
Thong
Urban Sea Miswaki Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Hopespringseternal Buckpasser
Rose Bower
Allegretta Lombard Agio
Promised Lady
Anatevka Espresso
Almyra
Kind デインヒル Danzig Northern Dancer Nearctic
Natalma
Pas de Nom Admiral's Voyage
Petitioner
Razyana His Majesty Ribot
Flower Bowl
Spring Adieu Buckpasser
Natalma
Rainbow Lake Rainbow Quest Blushing Groom Red God
Runaway Bride
I Will Follow Herbager
Where You Lead
Rockfest Stage Door Johnny Prince John
Peroxide Blonde
Rock Garden Roan Rocket
Nasira

ガリレオは当馬の項を参照。

母カインドは現役成績13戦6勝。英国のリステッド競走フラワーオブスコットランドS・キルヴィントンSを勝ち、バリーオーガンS(英GⅢ)で3着している。繁殖牝馬としての成績はかなり優秀で、本馬の半兄ブレットトレイン(父サドラーズウェルズ)【リングフィールドダービートライアルS(英GⅢ)】、全弟ノーブルミッション【タタソールズ金杯(愛GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・英チャンピオンS(英GⅠ)・ゴードンS(英GⅢ)・ゴードンリチャーズS(英GⅢ)・ハクスレイS(英GⅢ)】も産んでいる。ちなみにブレットトレインは本馬の現役時代後半におけるペースメーカー役を務めた馬で、本馬が競走馬引退するのと同時に自分も引退して米国ケンタッキー州と豪州を行き来するシャトルサイヤーになっている。

カインドの母レインボーレイクは最初に記載したとおり現役成績6戦3勝、ランカシャーオークス(英GⅢ)・バリーマコールスタッドSを勝っている。やはり優れた繁殖牝馬であり、カインドの半兄パワーズコート(父サドラーズウェルズ)【タタソールズ金杯(愛GⅠ)・アーリントンミリオンS(米GⅠ)・グレートヴォルティジュールS(英GⅡ)】、半弟ラストトレイン(父レイルリンク)【バルブヴィル賞(仏GⅢ)】、半妹リポステ(父ダンシリ)【リブルスデールS(英GⅡ)・シープスヘッドベイS(米GⅡ)・ニューヨークS(米GⅡ)】も産んでいる。もっとも本馬の属する牝系自体はそれほど近親に活躍馬が多いわけではなく、パワーズコートが登場する以前にGⅠ競走勝ち馬は出ていなかった(かなり遠縁にはいるが近親ではない)。→牝系:F1号族⑥

母父デインヒルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、アブドゥッラー王子が英国に所有するバンステッドマナースタッドで種牡馬入りした。バンステッドマナースタッドや英ブラッドストックエージェンシー社によると、本馬の種牡馬価値はざっと見積もって1億ポンド(競走馬引退の2012年10月時点の為替レートで127億円)くらいだろうと推定されている。

初年度の種付け料は12万5千ポンドという高額だったが世界各国から交配申し込みが殺到。本馬と同馬主同厩同主戦騎手の先輩ミッデイ、凱旋門賞・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSなどGⅠ競走5勝のデインドリーム、香港CなどGⅠ競走5勝のアレクサンダーゴールドラン、ドバイシーマクラシックなどGⅠ競走3勝のダーレミ、仏オークスなどGⅠ競走6勝のスタセリタ、英1000ギニーなどGⅠ競走3勝のフィンシャルベオ、2011年のケンタッキー州最優秀繁殖牝馬オートシー(同年のプリークネスS勝ち馬シャックルフォードの母)、そして日本が世界に誇る名牝ウオッカなど、競走成績や繁殖成績が一流である数多くの牝馬を含む133頭が初年度の交配相手となった。

受精率は非常に良く、95%に当たる126頭が受胎した(ウオッカは受胎しなかったが、翌年も続けて交配されて今度は受胎・出産している)。その後の種付け料も12万5千ポンドのままである。高額の種付け料ではあるが、本馬の産駒は普通に数十万~100万ポンドくらいの値が付くらしいから、馬産家にとっては垂涎の的となっている。初年度産駒がデビューするのは2016年の事である。※追記:2016年の阪神ジュベナイルフィリーズをスタセリタとの間に産まれたソウルスターリングが勝利し、国内外を通じて産駒のGⅠ競走初勝利となった。

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