トニービン

和名:トニービン

英名:Tony Bin

1983年生

鹿毛

父:カンパラ

母:セヴァーンブリッジ

母父:ホーンビーム

伊国の下級馬から伊国最強馬の座を経て欧州最強馬の座へ上り詰めた凱旋門賞馬は日本で東京コース巧者の名種牡馬として大活躍する

競走成績:2~5歳時に伊仏英日で走り通算成績27戦15勝2着5回3着4回

誕生からデビュー前まで

パトリック・オキャラハン氏という人物により生産された愛国産馬である。パトリック・オキャラハン選手と言えば、1928年アムステルダム五輪と1932年ロサンゼルス五輪のハンマー投げ競技において2大会連続金メダルを獲得して、愛国スポーツ史上最大の英雄と讃えられた人物の名前だが、本馬の生産者であるオキャラハン氏と同一人物かどうかは調べても分からなかった(1991年に死去したオキャラハン選手は医師免許も持っており、晩年は人間だけでなく動物の診療もしていたらしいから馬産に携わっていた可能性は否定できないのだが)。

本馬は当歳11月のゴフスセールに出品され、ピエロ・ブロット氏により3000ギニー(当時の為替レートで約90万円)で購入された。ブロット氏は伊国の名物実業家ルチアーノ・ガウチ氏が所有していたアレヴァメント・ホワイト・スター牧場の獣医であり、本馬はガウチ氏の妻デル・ボノ・ガウチ夫人の名義で競走馬となった。全く余談だが、後にガウチ氏は伊国のサッカークラブであるACペルージャのオーナーとなり(本馬の活躍で手にした資金で購入したらしい)、日本人選手の中田英寿氏が海外移籍を果たした際に最初に迎え入れた人物として日本でも著名になったが、後に一族もろとも脱税で逮捕されて没落している。

馬名は、ガウチ夫妻が本馬の所有者となった直後に知り合った無名の画家アントニオ・ビン氏に因むという。馬に画家の名前を付けるのはフェデリコ・テシオ氏以来の伊国の伝統なのだろうか。

競走生活(2歳時)

伊国のルイージ・カミーチ調教師(リボーの主戦だったエンリコ・カミーチ騎手の従兄弟)に預けられた本馬は、2歳9月にカパネッレ競馬場で行われたコルシカ賞(T1600m)でデビューして、4馬身差で勝ち上がった。それから2週間後に同じカパネッレ競馬場で出走したリステッド競走ルモン賞(T1600m)も2着マックスドールに首差で勝利した。

さらに16日後にはサンシーロ競馬場で伊グランクリテリウム(伊GⅠ・T1600m)に出走。ここでは同厩の期待馬アレックスヌレイエフのペースメーカー役としての参戦だったが、惨敗したアレックスヌレイエフとは対照的に、勝ったタンケベルデから3/4馬身差、2着アッシジデルサントから半馬身差の3着と好走した。

しかし翌11月にカパネッレ競馬場で出走したテヴェレ賞(伊GⅡ・T1600m)では、勝ったブステブリュジェから7馬身差、2着マックスドールからも6馬身差をつけられた3着に終わり、2歳時の成績は4戦2勝となった。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月から始動。まずはカパネッレ競馬場で伊ダービーの前哨戦リパ賞(T2400m)に出走して、2着カロボールドに1馬身半差で勝利した。そしてサンシーロ競馬場に向かい、伊ダービー(伊GⅠ・T2400m)に参戦したが、トミーウェイ、ビーマイマスター、シビルの3頭に敗れて、勝ったトミーウェイから3馬身差の4着に終わった。

夏場は休養し、秋は9月にカパネッレ競馬場で行われたリステッド競走ヴィラボルゲーゼ賞(T2400m)から始動して3馬身半差で勝利。そして2週間後のイタリア大賞(伊GⅠ・T2400m)に挑むも、エルキュイット、トミーウェイとの大接戦に屈して、勝ったエルキュイットから半馬身差、2着トミーウェイから短頭差の3着と惜敗。

カパネッレ競馬場からサンシーロ競馬場に移動して10月に出走した伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ・T2400m)でも、ハードウィックS・セプテンバーSを勝ってきた英国調教馬ディヒスタンを半馬身差の3着に抑えるのが精一杯で、ラクープドメゾンラフィットを勝って参戦してきた仏国調教馬アンテウスの2馬身差2着までだった。3歳時の成績は5戦2勝だった。

競走生活(4歳時)

3歳時までは好走はすれども勝ち切れない本馬だったが、翌4歳時に一気に躍進を果たす。まずはシーズン初戦として5月にカパネッレ競馬場で出走したサルナノ賞(T2400m)を7馬身差で圧勝。8日後に出走したエリントン賞(伊GⅢ・T2400m)では単勝オッズ1.3倍の1番人気に応えて、2着となった伊セントレジャー3着馬デュカディバステッドに鼻差(大差とする資料もある。いずれかが書き誤りであろう)をつけて勝利した。

それから5日後に出走した伊共和国大統領賞(伊GⅠ・T2000m)では、単勝オッズ2.3倍の1番人気となった。そして2着デュカディバステッドに2馬身差、3着ブーンポイントにはさらに2馬身半差をつけて、ようやくGⅠ競走勝ち馬になった。

サンシーロ競馬場に移動して6月に出走したミラノ大賞(伊GⅠ・T2400m)でも単勝オッズ3.1倍の1番人気に応えて、前月の伊ダービーで首差3着だったアワーエリアソを3馬身差の2着に破って快勝し、4連勝を記録した。

伊国最強馬となった本馬は、今度は海外遠征を決行。次走は翌7月のサンクルー大賞(仏GⅠ・T2400m)となった。伊国競馬のレベルは英仏より一枚落ちとされており、通用するかどうか疑問視されていたが、前年の英セントレジャー馬ムーンマッドネスの1馬身半差2着と好走し、オカール賞の勝ち馬でイスパーン賞2着のグランパヴォアなどには先着してみせた。

さらに英国に向かい、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)に挑んだ。ここではメンバーが一気に強化され、英ダービー・ウィリアムヒルフューチュリティS・ダンテSの勝ち馬リファレンスポイントを筆頭に、マルセルブサック賞・愛2000ギニー・英チャンピオンS・ガネー賞・コロネーションCとGⅠ競走で既に5勝を挙げていたトリプティク、ムーンマッドネス、独ダービー・アラルポカル2回・サンクルー大賞・ベルリン大賞・バーデン大賞などを勝っていた独国の歴史的名馬アカテナンゴ、プリンセスオブウェールズSを勝ってきた英チャンピオンS2着馬セレスティアルストームなどが相手となった。しかし英国に向かう途中の飛行機の中で暴れて負傷していた本馬は、直線で伸びを欠き、勝ったリファレンスポイントから8馬身半差をつけられた5着に完敗した。

その後いったん本国に戻り、9月にサンシーロ競馬場で行われたリステッド競走ベロッタ賞(T2400m)に出走して、2着ゴールデンボーイに6馬身差をつけて楽勝。そして再度仏国に向かい、追加登録料を支払って凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に挑んだ。対戦相手は、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS勝利後にグレートヴォルティジュールS・英セントレジャーも勝ってきたリファレンスポイント、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS3着後に英国際S・愛チャンピオンSを連勝してきたトリプティク、この年の仏ダービー馬ナトルーン、エクリプスS・プリンスオブウェールズS・ブリガディアジェラードSと3連勝中のムトト、リュパン賞・コンデ賞・ギシュ賞・ダフニ賞・プランスドランジュ賞の勝ち馬グルームダンサー、ニエル賞を勝ってきた仏ダービー・リュパン賞2着馬トランポリノ、エスペランス賞・ベルトゥー賞・ラクープドメゾンラフィットの勝ち馬タバヤーン、ハードウィックSの勝ち馬オーバンなどだった。

レースでは、ナトルーン陣営が送り込んだペースメーカー役のシャラニヤに競られたリファレンスポイントが超ハイペースで先頭を飛ばし、このレースから手綱を取る事になったキャッシュ・アスムッセン騎手騎乗の本馬は後方待機策を採った。直線に入るとさすがのリファレンスポイントも失速して瞬く間に馬群に飲み込まれ、そこへ直線入り口で最後方だったトランポリノが凄まじいまでの豪脚を繰り出して、残り400m地点で早くも先頭に踊り出た。一方、直線入り口で後方2番手だった本馬は、自分の外を走っていたトランポリノが突き抜けた隙間から、前方のトランポリノを追撃した。結局トランポリノには2馬身届かず2着に敗れたが、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでは敵わなかったリファレンスポイント(本馬から18馬身差の8着)やトリプティク(本馬から3馬身差の3着)に先着を果たし、欧州の一線級でも十分に通用することを示した。

その後は本国に戻り、伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ・T2400m)に出走。単勝オッズ1.7倍の1番人気に応えて、この年の伊オークス馬レディベントレーを4馬身半差の2着に下して圧勝した。続くローマ賞(伊GⅠ・T2800m)はさすがに疲れが出たのか、凱旋門賞で6着だったオーバンの半馬身差2着に敗れて、休養入りした。4歳時の成績は10戦6勝2着3回で、飛躍の年となった。

競走生活(5歳前半)

5歳時はアスムッセン騎手に代わってパット・エデリー騎手を主戦に迎えた。まずは4月にカパネッレ競馬場で行われたイタリア陸軍賞(T1800m)から始動して、2着フィレオールに10馬身差をつける圧勝で復帰戦を飾った。

翌月の伊共和国大統領賞(伊GⅠ・T2000m)では単勝オッズ1倍(元返しなのか、それとも本当は1倍よりほんの僅か高いのだが微々すぎて反映されていないのかは不明)という究極の1番人気に支持された。そして人気に応えて、2着フィルマイホープスに3馬身半差、3着ドゥカディバステッドにはさらに3/4馬身差をつけて2連覇を達成した。

この年の伊ダービー馬ティザーランドとの対戦となった次走のミラノ大賞(伊GⅠ・T2400m)でも単勝オッズ1.3倍の1番人気に応えて、2着ティザーランドに1馬身半差、3着ドゥカディバステッドにはさらに1馬身差をつけて勝利を収め、これも2連覇を達成した。

そして再び英国に向かい、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)に出走。対戦相手は、チェスターヴァーズ・プリンセスオブウェールズSを勝っていた3歳馬アンフワイン、前年の凱旋門賞では本馬に先着を許す4着だったがこの年になってプリンスオブウェールズS・エクリプスSを共に連覇するなど調子を上げていたムトト、ホーリスヒルSの勝ち馬で英ダービー2着・愛ダービー3着のグラシアルストーム、英2000ギニー・クレイヴンSの勝ち馬で英ダービー3着のドユーン、ケルゴルレイ賞・ドーヴィル大賞・ジョッキークラブS・ハードウィックSの勝ち馬アルマーラド、グロット賞の勝ち馬で愛オークス3着のシルバーレーン(ブラックホークやピンクカメオの母)、前年の同競走4着後にジェフリーフリアS・カンバーランドロッジS・ヨークシャーCを勝っていたムーンマッドネス、パーシーズラス(英ダービー馬サーパーシーの母)などだった。前走プリンセスオブウェールズSを15馬身差で圧勝してきたアンフワインが単勝オッズ3倍の1番人気、3連勝中のムトトが単勝オッズ5倍の2番人気、同じく3連勝中の本馬が単勝オッズ5.5倍の3番人気となった。

スタートが切られるといったんは先頭に立ったアンフワインをかわしたムーンマッドネスとグラシアルストームの2頭が先頭を引っ張り、本馬とムトトは後方待機策を採った。四角で再び先頭に立ったアンフワインが直線で逃げ込みを図ったところに、本馬とムトトの2頭が後方から差して来た。しかし本馬よりムトトのほうが末脚は勝っており、アンフワインをかわして2馬身差で勝利。本馬はアンフワインを捕らえることにも失敗し、ムトトから3馬身半差の3着に敗退した。

競走生活(5歳後半)

この年の秋も最大の目標は凱旋門賞だったが、夏場に軽度の故障を発症したために調整が遅れ、本番1週間前のフェデリコテシオ賞(伊GⅢ・T2200m)で実戦に復帰した。休養明けではあったが、単勝オッズ1倍(これも元返しなのかどうかは不明)の1番人気に支持された。そしてエデリー騎手に代わって主戦となったジョン・リード騎手を鞍上に、2着ユング(エリントン賞などの勝ち馬で前年のイタリア大賞ではイブンベイの2着だった)に4馬身半差、3着ダマスカスリーガルにはさらに3馬身差をつけて圧勝した。

そして僅か1週間後に再び凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に挑んだ。対戦相手は、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS勝利後に前哨戦のセレクトSも勝って5連勝としてきたムトト、英ダービー・愛ダービー・リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬でニエル賞2着のカヤージ、英オークス・愛オークス・ヨークシャーオークス・フィリーズマイル・チェリーヒントンS・ムシドラSの勝ち馬で前走の英セントレジャー2着のディミニュエンド、ヴェルメイユ賞・クレオパトル賞の勝ち馬インディアンローズ、仏グランクリテリウム・パリ大賞・ニエル賞の勝ち馬でジャンプラ賞2着のフィジャータンゴ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS2着から直行してきたアンフワイン、愛セントレジャー・プリティポリーSの勝ち馬ダークロモンド、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS8着後に出走したセプテンバーSでパーシーズラスの2着だったグラシアルストーム、サンクルー大賞・コンセイユドパリ賞・アルクール賞・エクスビュリ賞の勝ち馬で前年のBCターフではシアトリカルの3着だったヴィレッジスター、前年の凱旋門賞3着後に英チャンピオンS・コロネーションC・プランスドランジュ賞を勝っていたトリプティク、ポモーヌ賞の勝ち馬ライトザライツ、クリテリウムドサンクルーの勝ち馬ワキリヴァー、リス賞の勝ち馬でサンクルー大賞3着のフランクリーパーフェクト、ユジェーヌアダム賞の勝ち馬サーフーブ、ラクープ2連覇のレソト、この年の仏ダービー馬アワーズアフター、リス賞・エドヴィル賞の勝ち馬ルースダンサー、グレフュール賞の勝ち馬でリュパン賞3着のソフトマシーン、ウィリアムヒルフューチュリティSの勝ち馬で仏ダービー3着のエムソン、ジャンドショードネイ賞の勝ち馬でバーデン大賞3着のボイヤティノなど23頭だった。5連勝中と絶好調のムトトが1番人気で、カヤージが2番人気。過去に英仏では勝った事が無い本馬は5番人気止まりだった。

スタートが切られると、ポレモス、タボシュカン、ルシャードといったペースメーカー役の馬達にエムソンなどが絡んで先頭争いを演じ、本馬、ムトト、カヤージなどは揃って後方待機策を採った。かなり速いペースでレースは進み、直線に入ってもエムソンがしばらく粘っていたが、やがて先行馬群からアンフワインとボイヤティノの2頭が抜け出した。12番手で直線に入ってきた本馬は外側から追い上げてくると、いったんは先頭に立っていたボイヤティノをかわして残り100m地点手前で先頭に立った。そこへ本馬よりさらに外側からワンテンポ遅れて仕掛けたムトトが猛然と追い上げてきた。しかし本馬がムトトの追撃を首差抑え切って見事に優勝。遂に欧州競馬の頂点に立った。伊国調教馬の凱旋門賞制覇は1961年のモルヴェド以来27年ぶりの快挙となった。喜びに沸き立つ伊国の競馬ファンとは対照的に、英国の競馬ファンは自分達が期待していたムトトが敗れたために失望の声を漏らしたという。

その後はいったん伊国に戻り、凱旋門賞から2週間後の伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ・T2400m)に出走。ここではローアカラッドの1馬身差2着だった(翌年の凱旋門賞馬キャロルハウスが本馬から2馬身差の3着)。

続いて来日してジャパンC(日GⅠ・T2400m)に出走。この際に、それまで競走馬の空輸を頑強に拒み続けていた伊国のアリタリア航空は、母国の英雄である本馬のために内規を改正して本馬を日本に送り届けたという(この内規改正は、同年のソウル五輪の男子マラソン競技で伊国のジェリンド・ボルディン選手が金メダルを獲得した事に触発されたともいう)。

対戦相手は、地元日本からは、天皇賞春・宝塚記念・天皇賞秋・鳴尾記念・京都金杯・阪神大賞典など8連勝中のタマモクロス、ペガサスS・毎日杯・京都四歳特別・ニュージーランドトロフィー四歳S・高松宮杯・毎日王冠と重賞6連勝していた公営笠松競馬出身のオグリキャップ、宝塚記念・ラジオたんぱ賞・福島記念・中山金杯・ダービー卿チャレンジトロフィー2回・中山記念・オールカマーと重賞8勝のスズパレード、菊花賞・有馬記念の勝ち馬メジロデュレン、阪神三歳Sの勝ち馬で皐月賞・菊花賞2着のゴールドシチー、福島記念の勝ち馬で天皇賞春2着のランニングフリーの計6頭。海外からは、バーナードバルークHの勝ち馬でマンハッタンH・ターフクラシック2着・マンノウォーS3着のマイビッグボーイ、AJCダービー・コックスプレート・新ダービー・ニュージーランドS2回・タンクレッドS・アンダーウッドS・コーフィールドS・オーストラリアンCとGⅠ競走で9勝を挙げていたオセアニア最強馬ボーンクラッシャー、アラルポカル・オイロパ賞・独2000ギニー・ウニオンレネンなどの勝ち馬コンドル、英国際S・ロジャーズ金杯・ダルマイヤー大賞の勝ち馬でエクリプスS・愛チャンピオンS2着のシェイディハイツ、前哨戦の富士Sを勝ってきたブーゲンヴィリアH・オーシャンポートH・ロイヤルパームHの勝ち馬セーラムドライブ、レッドスミスHの勝ち馬でマンノウォーS2着のペイザバトラー、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで10着最下位に終わっていたムーンマッドネスの計7頭だった。タマモクロスが単勝オッズ3.2倍の1番人気、凱旋門賞優勝馬としては史上初のジャパンC参戦となった本馬が単勝オッズ3.9倍の2番人気、前走の天皇賞秋でタマモクロスに敗れて連勝が14で止まっていたオグリキャップが単勝オッズ6.9倍の3番人気となった。

スタートが切られるとメジロデュレンが先頭に立ち、オグリキャップは好位、本馬は馬群の中団につけ、タマモクロスは後方待機策を採った。向こう正面でシェイディハイツがメジロデュレンをかわして先頭に立つと後続馬の動きも激しくなり、本馬も外側に持ち出して前との差を縮めにかかった。そして直線を向くと横一線の中から抜け出そうとしたが、もう一つ伸びを欠いてしまい、ゴール直前でムーンマッドネスをかわすのが精一杯で、好位から抜け出してタマモクロスを抑えたペイザバトラーの2馬身差5着に敗退。レース中に骨折していた事が判明したため、これが現役最後のレースとなった。5歳時の成績は8戦5勝で、ムトトと共にこの年の欧州最優秀古馬に選ばれている。

血統

カンパラ Kalamoun ゼダーン Grey Sovereign Nasrullah
Kong
Vareta Vilmorin
Veronique
Khairunissa Prince Bio Prince Rose
Biologie
Palariva Palestine
Rivaz
State Pension オンリーフォアライフ Chanteur Chateau Bouscaut
La Diva
Life Sentence Court Martial
Borobella
Lorelei Prince Chevalier Prince Rose
Chevalerie
Rock Goddess Hyperion
Rockfoil
Severn Bridge Hornbeam Hyperion Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Selene Chaucer
Serenissima
Thicket Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Thorn Wood Bois Roussel
Point Duty
Priddy Fair Preciptic Precipitation Hurry On
Double Life
Artistic Gainsborough
Ishtar
Campanette Fair Trial Fairway
Lady Juror
Calluna Hyperion
Campanula

父カンパラは2~4歳時に英で走り通算成績19戦8勝。主に短距離競走を中心に走り、ハンガーフォードS(英GⅢ)に勝利し、スプリントC(英GⅡ)で2着している。種牡馬としては、本馬の活躍により1987・88年の伊首位種牡馬を獲得。本馬が日本で種牡馬として大成功を収めたことにより、カンパラも1993年に日本に輸入されたが、既に高齢であったため、活躍馬を出すことは出来ず、2000年に種牡馬生活を引退している。本馬以外の主な産駒は、ハイランドチーフテン【ローマ賞(伊GⅠ)】、ポテンシャルスター【ゴールドコーストC(豪GⅡ)】、アイリッシュサファリ【ヴィルジニオクルティ賞(伊GⅢ)】、オーンパラ【タタソールズC(豪GⅢ)】、ティーチダミレ【パナソニックフューチュリティ(愛GⅢ)】など。カンパラの父カラムーンはゼダーン産駒で、仏2000ギニー(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)の勝ち馬。

母セヴァーンブリッジは英国で走り1勝を挙げている。本馬以外には特筆できる活躍馬を産んでいない。セヴァーンブリッジの半姉プリディメイド(父アクロポリス)の子にディビデイル【愛オークス(愛GⅠ)・ヨークシャーオークス(英GⅠ)・チェシャーオークス(英GⅢ)】、クラカヴァル【チェスターヴァーズ(英GⅢ)】、孫にミッショナリーリッジ【ガリニュールS(愛GⅡ)・カールトンFバークH(米GⅡ)・セレクトS(英GⅢ)・パシフィッククラシックS】、玄孫世代以降にマグワイア【オークランドC(新GⅠ)】が、セヴァーンブリッジの半妹プリディブルー(父ブルーカシミア)の曾孫にヴァルベニー【ハネムーンBCH(米GⅡ)】がいる。

セヴァーンブリッジの母プリディフェアの半妹ベルオブアテネの子にアセンスウッド【英セントレジャー(英GⅠ)・グレートヴォルティジュールS(英GⅡ)】、スリート【サンチャリオットS(英GⅡ)】が、プリディフェアの半弟にラッキーフィニッシュ【ダンテS】が、プリディフェアの半妹ベルソングの牝系子孫にヴィヴァパタカ【クイーンエリザベスⅡ世C(香GⅠ)2回・香港ダービー・香港チャンピオンズ&チャターC3回・香港金杯2回】、ラフィング【ダイアナS(米GⅠ)・フラワーボウル招待S(米GⅠ)】、ヴォワライシ【ローマ賞(伊GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)】、セレネイドローズ【クラウンオークス(豪GⅠ)・アローフィールドスタッドS(豪GⅠ)・AJCオークス(豪GⅠ)】などがいる。プリディフェアの曾祖母カンパニュラは英1000ギニー馬で、プリディフェアの従姉妹の子にはボルコンスキー【英2000ギニー(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)】がいる。→牝系:F19号族①

母父ホーンビームはインターメゾの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、日本の社台グループが既に購入して10億4500万円のシンジケートを組んでいたため、そのまま日本の社台スタリオンステーションで1989年から種牡馬生活を開始した。意外かもしれないが、当初から人気種牡馬だったわけではなく、初年度の交配数は57頭だった。2年目は65頭、3年目は67頭、4年目は62頭と、多くもなく少なくもなしといった交配数が続いていたが、その状況が一変したのは初年度産駒であるベガが桜花賞と優駿牝馬を、ウイニングチケットが東京優駿を制した5年目の1993年である。この2頭共に春シーズンから活躍したために、この年の交配数は111頭と過去最多を記録した。翌1994年は117頭の繁殖牝馬を集め、さらに同年にはマイル女王ノースフライト、クラシック戦線で活躍したエアダブリン、中山記念などを制したサクラチトセオーなどの活躍により、全日本首位種牡馬に輝いた。

これにより種牡馬としての名声は不動のものとなり、7年目は138頭、8年目は159頭、9年目は155頭、10年目は129頭、11年目は124頭の繁殖牝馬を集める人気種牡馬となった。この間の産駒成績も優良で、同時代の名種牡馬だったサンデーサイレンスブライアンズタイムと共に種牡馬御三家と呼ばれ、数多くの活躍馬を送り続けた。しかし種牡馬生活12年目となった2000年の繁殖シーズンが始まって間もない3月10日に心不全を発症して17歳で他界した。短命とは言えないが、種牡馬として脂が乗っていた時期だけに惜しまれる死であった。

産駒は、直線の長い東京・新潟コースで特に強く、産駒のGⅠ競走勝利の大半は東京競馬場におけるものである。東京競馬場で行われる芝のGⅠ競走は、本馬の死から6年後に新設されたヴィクトリアマイルを除いて完全制覇している。一瞬の切れは無いが持続力ある末脚を有する事が、長い直線で活きるためと思われるが、その代わりに小回り競馬場(特に中山競馬場)における成績は今ひとつである。また、ダートはあまり得意ではない様子で、ダートの重賞競走を勝った馬は少数派であり、中央競馬のダート限定ランキングでは2001年に8位になったのが最高で、ベストテン入りはこの年だけだった。全日本種牡馬ランキングでは1993年が3位、94年が首位、95年が4位、96年が3位、97年も3位、98年が2位、99年も2位、2000年が3位、01年が2位、02年が3位、03年が4位、04年が8位で、12年連続でトップテン入りした。しかし地方競馬の種牡馬ランキングでは1998年の82位が最高と、地方競馬では殆ど実績を残さなかった。産駒がダート向きでない傾向があった他に、そもそも地方競馬で走る産駒が少数派だった事も影響しているのだろう。

後継種牡馬としてはジャングルポケットがまずまずの成功を収めており、孫世代のカンパニーも種牡馬入りしているが、サンデーサイレンス直子種牡馬に押され気味である。むしろ、サンデーサイレンス又はその直子種牡馬と、本馬の牝駒の間から優秀な産駒が登場するケースが多い。母父としての主な産駒は、ハーツクライ、アドマイヤベガ、アドマイヤドン、アドマイヤグルーヴ、ルーラーシップ、トランセンド、カレンチャン、ヴィクトリー、キャプテントゥーレ、アーネストリー、ショウワモダン、コパノリチャード、ビッグウルフ、マルカラスカルなど。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1990

アイリッシュダンス

新潟大賞典(GⅢ)・新潟記念(GⅢ)

1990

ウイニングチケット

東京優駿(GⅠ)・弥生賞(GⅡ)・京都新聞杯(GⅡ)

1990

サクラチトセオー

天皇賞秋(GⅠ)・中山記念(GⅡ)・アメリカジョッキークラブC(GⅡ)・京王杯オータムH(GⅢ)

1990

ノースフライト

安田記念(GⅠ)・マイルCS(GⅠ)・マイラーズC(GⅡ)・府中牝馬S(GⅢ)・阪神牝馬特別(GⅢ)・京都牝馬特別(GⅢ)

1990

ベガ

桜花賞(GⅠ)・優駿牝馬(GⅠ)

1991

エアダブリン

青葉賞(GⅢ)・ステイヤーズS(GⅢ)・ダイヤモンドS(GⅢ)

1991

オフサイドトラップ

天皇賞秋(GⅠ)・七夕賞(GⅢ)・新潟記念(GⅢ)

1991

マドロス

サラブレッド大賞典(荒尾)

1991

ミナミノウイン

若草賞(三条)

1992

ベッスルキング

ゴールドジュニア(笠松)・駿蹄賞(中京)

1992

ミナミノジャック

金盃(南関GⅡ)

1992

ユウキビバーチェ

チューリップ賞(GⅢ)

1993

エアグルーヴ

優駿牝馬(GⅠ)・天皇賞秋(GⅠ)・札幌記念(GⅡ)2回・大阪杯(GⅡ)・チューリップ賞(GⅢ)・マーメイドS(GⅢ)

1993

サンアドマイヤ

青藍賞(水沢)

1993

ミスズトニーオー

新潟グランプリ(三条)

1993

ロングカイウン

七夕賞(GⅢ)

1994

ダイワトニービン

東国賞(高崎)・東国賞(北関GⅡ)

1995

エモシオン

京都記念(GⅡ)

1995

ミスズシャルダン

小倉大賞典(GⅢ)

1995

ロードクロノス

中京記念(GⅢ)

1996

アイランドオオジャ

マーチS(GⅢ)

1996

ロードプラチナム

函館記念(GⅢ)

1997

エアトゥーレ

阪神牝馬S(GⅡ)

1997

トーワトレジャー

新潟記念(GⅢ)

1997

マックロウ

京都記念(GⅡ)

1998

サイドワインダー

京阪杯(GⅢ)・京都金杯(GⅢ)・関屋記念(GⅢ)

1998

ジャングルポケット

東京優駿(GⅠ)・ジャパンC(GⅠ)・札幌2歳S(GⅢ)・共同通信杯(GⅢ)

1998

ダービーレグノ

シンザン記念(GⅢ)・新潟記念(GⅢ)

1998

テンザンセイザ

京都新聞杯(GⅡ)・京阪杯(GⅢ)

1998

レディパステル

優駿牝馬(GⅠ)・中山牝馬S(GⅢ)・府中牝馬S(GⅢ)

1999

サクラヴィクトリア

関東オークス(GⅢ)

1999

テレグノシス

NHKマイルC(GⅠ)・京王杯スプリングC(GⅡ)・毎日王冠(GⅡ)

1999

ナリタセンチュリー

京都大賞典(GⅡ)・京都記念(GⅡ)

1999

レニングラード

アルゼンチン共和国杯(GⅡ)

2000

メモリーキアヌ

愛知杯(GⅢ)

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