ダンススマートリー

和名:ダンススマートリー

英名:Dance Smartly

1988年生

黒鹿

父:ダンチヒ

母:クラッシーンスマート

母父:スマーテン

牡馬相手の加国三冠競走を全勝した上にBCディスタフも優勝して繁殖牝馬としても一流の成績を残した加国競馬史上最高の名牝

競走成績:2~4歳時に加米で走り通算成績17戦12勝2回3着3回

誕生からデビュー前まで

加国オンタリオ州に本拠地を置く、同国屈指の名門牧場サムソンファームの生産・所有馬である。生後すぐの本馬は、まるで蟹のように脚が曲がっており、不安定な立ち方で必死に母クラッシーンスマートの母乳を吸う子馬であり、その血統構成以外に特筆できるものはない馬だった。しかし成長すると曲がっていた脚は真っ直ぐになった。顔には菱形の流星が走っており、それが花の形にも似ていたことから、幼少期は“Daisy(英語でヒナギクの意味)”の愛称で呼ばれていた。

競走年齢に達した本馬は、加国のジェームズ・E・デイ調教師に預けられた。デイ師はかつてサムソンファーム所属の乗馬選手として、メキシコシティオリンピックで団体金メダルを獲得した人物だった。その後にサムソンファームの設立者アーニー・I・サミュエル氏が本格的なサラブレッド事業に参入した際に調教師に転身。サムソンファームの専属調教師として加国競馬界のトップクラスで活躍していた名伯楽だった。預かった当初はあまり本馬を評価していなかったデイ師だが、デビューが近づくと、その優れた動きから「この馬は私の生涯で最高の馬になるかもしれない」と評価するようになっていた。もっとも集中力には難があったようで、2歳時はブリンカーを、ブリンカーを外して以降はシャドーロールを装着してレースに臨むことになった。

競走生活(2歳時)

2歳7月にウッドバイン競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦で、I・ドライジャー騎手を鞍上にデビューして、2着ケイダナに3馬身半差をつけて勝ち上がった。翌月に同コースで出走した一般競走も、主戦となるS・ホウリー騎手を鞍上に、2着サイレントバトルに4馬身3/4差をつけて楽勝した。同月にはフォートエリー競馬場に場所を移してオンタリオデビュータントS(D6F)に出走したが、ここでは不良馬場に脚を取られた影響もあって、リーガルペナントの2馬身半差2着に敗れた。

9月にはウッドバイン競馬場に戻ってナタルマS(T8F)に出走した。このレースは加国の2歳牝馬限定競走としては最上級に位置するものであり、出走登録馬が多くなるために2年に1回ほどのペースで分割競走となっており、この年もそうであった。結果は本馬が2位入線のレディビーグレート(進路妨害により6着に降着)以下に5馬身差をつけて圧勝した。

続いて米国遠征を敢行し、ベルモントパーク競馬場で行われたBCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ・D8.5F)に、マザリーンBCS・プリンセスエリザベスSを連勝していた同馬主同厩のウィルダネスソングと共に参戦した。スピナウェイS・メイトロンS・フリゼットS・スカイラヴィルS・アストリアBCSなど6戦無敗のメドウスターを筆頭に、ソレントS・オークリーフSの勝ち馬で翌年にラスヴァージネスS・サンタアニタオークス・ケンタッキーオークス・CCAオークスを制するライトライト、デルマーデビュータントSの勝ち馬ビヨンドパーフェクション、アーリントンワシントンラッシーSの勝ち馬スルーフライト、アルキビアデスSを勝ってきたプライヴェートトレジャー、フリゼットSで2着してきたシャンペングロウ、メイトロンSで2着してきたヴァーバスル、ガーデニアSを勝っていた後の米国顕彰馬フローレスリーなどの強敵が対戦相手となった。メドウスターが単勝オッズ1.2倍という圧倒的な1番人気に支持され、ライトライトが単勝オッズ10.2倍の2番人気、本馬とウィルダネスソングのカップリングとビヨンドパーフェクションが並んで単勝オッズ14.5倍の3番人気となった。

スタートが切られると、ブリンカーを外した本馬とウィルダネスソングの2頭が積極的に先頭を引っ張り、メドウスターは好位を追走した。そして三角手前で上がってきたメドウスターが、四角で外側から本馬とウィルダネスソングの2頭に襲い掛かってきた。そしてメドウスター、本馬、ウィルダネスソングの順で直線に入ってきたが、ここからメドウスターが後続を引き離していった。何とか粘っていた本馬だが、ゴール前で追い込んできた単勝オッズ27.5倍の6番人気馬プライヴェートトレジャーに差されて3着となった。勝ったメドウスターからは6馬身差をつけられており、ここではメドウスターの完成度の高さに屈する結果となった。

2歳時の成績は5戦3勝だったが、BCジュヴェナイルフィリーズ3着が評価されて、この年のソヴリン賞最優秀2歳牝馬に選ばれた。

競走生活(3歳初期)

3歳時は5月にウッドバイン競馬場で行われたスターシュートS(D6F)から始動した。ホウリー騎手から乗り代わったブライアン・スワタック騎手を鞍上に単勝オッズ1.35倍という断然の1番人気に支持されると、先行して直線入り口で早めに抜け出し、2着ダイヤモンドシルに2馬身半差をつけて快勝した。

翌月に出走した加国の3歳牝馬路線の大一番シリーンS(D8.5F)では、米国から遠征してきたケンタッキーオークス・アッシュランドS3着馬ティルフォービッドと、前年のBCジュヴェナイルフィリーズで5着だったスルーフライトが主な対戦相手となった。しかし単勝オッズ1.5倍という断然の1番人気に支持された本馬が、3番手追走から直線ですんなりと抜け出し、2着スルーフライトに3馬身1/4差をつけて楽勝した。

同月に出走した次走の加オークス(D9F)では、米国の名手パット・デイ騎手と初コンビを組んだ。ここでは本馬とウィルダネスソングのカップリングが単勝オッズ1.05倍という圧倒的な1番人気に支持された。レースではウィルダネスソングが逃げを打ち、本馬は2番手を追走。そのまま2頭が後続を大きく引き離して直線に入ってきたが、直線に入るとすぐに本馬がウィルダネスソングを引き離し、最後は4馬身半差をつけて圧勝した(3着プラチナムポーズはウィルダネスソングから10馬身半後方だった)。デイ騎手はこの1991年に米国競馬の殿堂入りを果たす米国屈指の名手だが、よほど本馬の素質に惚れ込んだようで、この後に本馬がレースに出る際には(加国内の競走も含めて)必ず騎乗することになる。

競走生活(加国三冠競走)

加オークスの圧勝で牝馬相手に敵がいなくなった本馬は、牡馬相手の加国三冠路線に向かった。まずは7月にウッドバイン競馬場で行われる三冠競走第1戦のクイーンズプレート(D10F)に出走した。本馬、ウィルダネスソング、サマーS・カップ&ソーサーS・コロネーションフューチュリティを勝って前年のソヴリン賞最優秀2歳牡馬に選ばれたレインボーズフォーライフの同馬主同厩馬3頭のカップリングが単勝オッズ1.55倍の1番人気に支持された。他の対戦相手は、ヴィクトリアパークSを勝ってきたオハイオダービー・コロネーションフューチュリティ3着馬シュダンズ、ウッドストックS・クイーンストンS・マリーンS・分割競走プレートトライアルSなどを勝ってきたこの年のソヴリン賞最優秀3歳牡馬に選ばれるボルライト、分割競走プレートトライアルSを勝ってきたメガスヴケファロスなどであり、シュダンズとボルライトのカップリングが単勝オッズ3.5倍の2番人気となっていた。このレースは本馬にとって初の牡馬相手の競走となった。

スタートが切られるとウィルダネスソングが先頭に立ち、ボルライトが2番手、本馬とシュダンズが3番手を追走。そして直線に入ってすぐに本馬が先頭を奪うと、馬なりのまま後続を引き離し、そのまま2着ウィルダネスソングに8馬身差、3着シュダンズにはさらに3馬身差をつけて圧勝した(余談だが、ウィルダネスソングに騎乗していたフランシーヌ・ヴィルヌーヴ騎手は、史上初めてクイーンズプレートで入着した女性騎手となった)。

同月末に出走した三冠競走第2戦のプリンスオブウェールズS(D9.5F)は、前年に本馬が敗れたフォートエリー競馬場で行われるレースだったためにやや不安視されたが、ウィルダネスソング、前走4着のレインボーズフォーライフとのカップリングで単勝オッズ1.1倍という断然の1番人気に支持され、シュダンズが単勝オッズ5倍の2番人気となった。

ここではウィルダネスソングとシュダンズの2頭が先頭を引っ張り、本馬は3番手を追走した。そして四角で外側を通って先頭を奪うと、内側から追い込んできた単勝オッズ24.5倍の最低人気馬プロフェッサーラビットに2馬身差、3着シュダンズにはさらに2馬身3/4差をつけて勝利した。

翌8月に出走した三冠競走最終戦のブリーダーズS(T12F)は芝のレースだったが、芝では既にナタルマSで勝った実績がある上に、7戦全て圧勝と得意にしていたウッドバイン競馬場のレースとあって、唯一の不安は初の12ハロンという距離だけであった。ここではウィルダネスソングとレインボーズフォーライフの2頭は不在であり、その代わりにスピークノーエヴィルという馬が本馬のペースメーカー役として出走していた。本馬とスピークノーエヴィルのカップリングが単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持され、前走2着のプロフェッサーラビットが単勝オッズ9.05倍の2番人気、同3着のシュダンズが単勝オッズ9.1倍の3番人気となった。

スタートが切られるとペースメーカー役のスピークノーエヴィルが先頭を飛ばし、本馬は2番手のシュダンズから少し離れた3番手を追走。最初のコーナーで外側に大きく膨らむコースロスを犯したスピークノーエヴィルは2番手に後退し、シュダンズが代わって先頭に立った。向こう正面でスピークノーエヴィルは失速していき、入れ代わるように本馬が上がってきて、三角で先頭に立った。仕掛けが早すぎるかとも思われたが、全然そんなことは無かったようで、その後は快調に先頭を走り続け、2着に追い込んできた単勝オッズ30.55倍の5番人気馬シャイニーキーに8馬身差をつけて圧勝。

一昨年のウィズアプルーヴァル、前年のイズヴェスティアに続く3年連続史上5頭目、牝馬としては史上初の加国三冠馬の栄誉を手にした(ただし、加国三冠路線が正式に3歳限定戦として整備される前も含めると、史上11頭目。牝馬としては1932年のクイーンズウェイに次ぐ史上2頭目となる)。

競走生活(3歳後期)

その後は9月にウッドバイン競馬場で行われたモルソンエクスポートミリオン(加GⅡ・D9F)に出走した。このレースには、フライソーフリーという強敵が米国から参戦してきた。フライソーフリーは前年にBCジュヴェナイル・シャンペンSを制してエクリプス賞最優秀2歳牡馬に選ばれた馬で、3歳時もハッチソンS・ファウンテンオブユースS・フロリダダービー・リヴァリッジS・ジムダンディSに勝利していた(ケンタッキーダービーはストライクザゴールドの5着、前走のトラヴァーズSではコーポレートリポートの3着だった)。他にも、前走ジェロームHで2着してきたニューヨークダービー馬エクセレントティッパー、前年のハリウッドフューチュリティ2着馬ジェネラルミーティング、前走のGⅠ競走セクレタリアトSの他にトロピカルパークダービー・フーリッシュプレジャーS・シティオブマイアミS・クリプトクリアランスSなども勝っていたジャッキーワッキーといった面々も米国から参戦してきた。フライソーフリーが単勝オッズ2.25倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ2.65倍の2番人気、エクセレントティッパーが単勝オッズ9.5倍の3番人気だった。

スタートが切られると単勝オッズ35.7倍の7番人気まで評価を下げていたシュダンズが逃げを打ち、本馬とフライソーフリーが2番手を追走。しかしフライソーフリーは徐々に後退していき、直線では本馬とシュダンズの一騎打ちとなった。しかし1分49秒2のコースレコードを樹立した本馬が、2着シュダンズに2馬身差で勝利した(フライソーフリーは本馬から9馬身差の4着だった)。

そして再び米国に向かい、チャーチルダウンズ競馬場で行われたBCディスタフ(米GⅠ・D9F)に参戦した。このレースには、プリンスオブウェールズS5着後に一足先に米国に移動してスピンスターSを勝っていたウィルダネスソングも出走していた。他の対戦相手は、バレリーナS・マスケットS・ラフィアンH・ヴェイグランシーHなど5連勝中で挑んできたこの年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬クイーナ、テストS・アラバマH・ガゼルHの勝ち馬でエイコーンS・ベルデイムS2着のヴェルサイユトリーティ、ルイビルBCH・ターフウェイBCS・チャーチルダウンズディスタフHなどの勝ち馬フィットフォーアクイーン、ジョンAモリスH・ラカナダS・サンタイネスS・アクサーベンオークスなどの勝ち馬でヘンプステッドH・ヴァニティ招待H・マスケットS2着のフィットトゥスカウト、ミレイディH・ヴァニティ招待H・ホーソーンH・セニョリータBCS・ラブレアSの勝ち馬ブロートツウマインド(日本のダート王クロフネの伯母)、ハリウッドオークス・ガゼルH2着のグランドガールフレンド、前年のBCジュヴェナイルフィリーズで本馬に1馬身先着する2着した後にアッシュランドSでも2着していたプライヴェートトレジャー、ハニービーSの勝ち馬でジョンAモリスH2着のトレインロバリー(BCクラシック馬キャットシーフの母)、メリーランドミリオンオークス馬リチャーズラス、ラフィアンH・ベルデイムSと連続3着してきたレディダコードであり、合計13頭による戦いとなった。

本馬とウィルダネスソングのカップリングが単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、ヴェルサイユトリーティが単勝オッズ5.8倍の2番人気、クイーナが単勝オッズ6.7倍の3番人気となった。しかし本馬はケンタッキー州到着直後の調教において前脚を負傷しており、3週間の治療を経て急仕上げで臨んでいた。

スタートが切られると、単勝オッズ90.2倍の11番人気馬リチャーズラスが逃げを打ち、ブロートツウマインドやフィットフォーアクイーンがそれを追走。その後方にウィルダネスソングがつけ、本馬はその少し後方5~6番手を追走した。そして三角で仕掛けて上がっていき、3番手で直線を向いた。そしてすぐにロートツウマインドやフィットフォーアクイーンをかわして先頭に立った。後方からはヴェルサイユトリーティが追ってきたが、最後まで寄せ付けることは無く、2着ヴェルサイユトリーティに1馬身半差、3着ブロートツウマインドにはさらに2馬身3/4差をつけて完勝。加国産馬として史上初のブリーダーズカップ制覇の偉業を成し遂げた。

3歳時は8戦全勝という完璧な成績で、ソヴリン賞年度代表馬・エクリプス賞最優秀3歳牝馬・ソヴリン賞最優秀3歳牝馬のタイトルを獲得した。

競走生活(4歳時)

翌年も現役を続けたが、BCディスタフ優勝後に右前脚の靱帯を損傷しており、その治療に手間取った。ようやく出走に漕ぎ着けたのは6月のキングエドワード金杯(加GⅢ・T9F)だった。単勝オッズ1.4倍の1番人気に支持されたものの、先行した騙馬サンダーリージェントを捕らえることが出来ずに鼻差2着に敗れてしまい、初めてウッドバイン競馬場で黒星を喫した。もっとも斤量は本馬のほうがサンダーリージェントより6ポンド重く、長期休養明けである事を考慮すると悪い内容ではなかった。

翌月にウッドバイン競馬場で出走したカナディアンマチュリティS(T10F)では、単勝オッズ1.05倍という圧倒的な1番人気に支持された。ここでは単勝オッズ23.65倍の4番人気馬ソードダンスとの先陣争いを制して珍しく逃げを打ち、そのまま押し切って、2着ソードダンスに半馬身差で勝利を手にした。

その後は3度目の米国遠征に向かい、アーリントンパーク競馬場で行われたアーリントンバドワイザーBCH(T8.5F)に出走。GⅠ競走ビヴァリーヒルズHの勝ち馬アルカンドの姿もあったが、123ポンドのトップハンデを課された本馬が単勝オッズ1.2倍の1番人気に支持され、113ポンドのアルカンドが単勝オッズ5.7倍の2番人気となった。レースでは2番手追走から直線で抜け出そうとしたが、やはり斤量が影響したのか、ここからいつもの走りが見られなかった。そしてアルカンドと、11ポンドのハンデを与えたエクスプローシヴケイトの2頭に差されて、勝ったアルカンドから2馬身差の3着に敗れた。

次走のビヴァリーDS(米GⅠ・T9.5F)では、イエローリボンS・サンタバーバラH・ラスパルマスH・ウィルシャーH・デズモンドSの勝ち馬コストローマ、リディアテシオ賞・EPテイラーS・メルセデスベンツ大賞・プリティポリーS・ナッソーS2回の勝ち馬ルビータイガーといった強敵が出現した。定量戦ということもあって本馬は1番人気に支持されたが、単勝オッズは2.6倍と、今までのレースに比べると高くなっていた。コストローマが単勝オッズ3.5倍の2番人気、ルビータイガーが単勝オッズ6.8倍の3番人気となった。スタートが切られるとルビータイガーが逃げを打ち、本馬は2番手を追走した。そしてそのままの態勢で直線に入ってきたが、後方から追い込んできたコストローマに差された上に、ルビータイガーも首差捕らえられず、勝ったコストローマから1馬身3/4差の3着に敗退。

このレースを最後に4歳時4戦1勝の成績で引退した。しかし獲得賞金総額は326万3836ドルに達し、この当時の北米賞金女王になっている(海外の資料では世界賞金女王と記載されていることが多いが、本馬より少し前に引退していた日本調教馬ダイイチルビーの獲得賞金総額4億3171万1600円(当時の為替レートで約332万ドル)のほうが多いので、北米賞金女王と記載することにした)。

なお、この4歳時にはかつて本馬の引き立て役だったウィルダネスソングがピムリコディスタフH・チャーチルダウンズバドワイザーBCHに勝利してソヴリン賞最優秀古馬牝馬に選ばれている。また、ウィルダネスソングは後に加国競馬の殿堂入りも果たしている。

血統

Danzig Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Pas de Nom Admiral's Voyage Crafty Admiral Fighting Fox
Admiral's Lady
Olympia Lou Olympia
Louisiana Lou
Petitioner Petition Fair Trial
Art Paper
Steady Aim Felstead
Quick Arrow
Classy 'n Smart Smarten Cyane Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Your Game Beau Pere
Winkle
Smartaire Quibu Meadow
Querendona
Art Teacher Olympia
Teaching
No Class Nodouble Noholme Star Kingdom
Oceana
Abla-Jay Double Jay
Ablamucha
Classy Quillo Outing Class Nasrullah
Track Medal
Quillopoly Princequillo
Tonga

ダンチヒは当馬の項を参照。

母クラッシーンスマートは現役成績9戦5勝。加オークス・フューリーS・バイソンシティS・オンタリオコリーンSなどを勝って1984年のソヴリン賞最優秀3歳牝馬に選ばれた名牝。繁殖牝馬としても優秀で、1991年には本馬の活躍によりソヴリン賞最優秀繁殖牝馬に選ばれている。本馬を産んだ後にも、全米賞金王カーリンなどを出して2007・08年の北米首位種牡馬に輝いた本馬の半弟スマートストライク(父ミスタープロスペクター)【フィリップHアイズリンH(米GⅠ)・サルヴェイターマイルH(米GⅢ)】、半弟ストライクスマートリー(父ミスタープロスペクター)【チャイニーズカルチュアルセンターS(加GⅡ)】、半弟フルオブワンダー(父ミスタープロスペクター)【ナイアガラBCS(加GⅠ)】など活躍馬を続出させた。クラッシーンスマートは1999年に18歳で他界したが、これらの功績が評価されて2004年には加国競馬の殿堂入りを果たしている。本馬の半妹ウィスパードシークレット(父セクレタリアト)の孫には日本で走ったハッピースプリント【全日本2歳優駿(GⅠ)・北海道2歳優駿(GⅢ)・羽田盃・東京ダービー・サンライズC・京浜盃】が、半妹シアトルクラシック(父シアトルスルー)の子にはハローシアトル【マザリーンBCS(加GⅠ)】、孫には日本で走ったラヴェリータ【関東オークス(GⅡ)・エンプレス杯(GⅡ)・スパーキングC(GⅢ)3回・名古屋大賞典(GⅢ)・TCK女王盃(GⅢ)】がいる。

クラッシーンスマートの母ノークラスは現役成績29戦3勝、イヤリングセールズSで2着、プリンセスエリザベスSで3着した中級競走馬だったが、繁殖牝馬としては1993年に19歳で他界するまでに8頭の産駒を出し、そのうち競走馬となった7頭全てがステークスウイナーになるという優秀な成績を収め、1985年のソヴリン賞最優秀繁殖牝馬に輝いた。主なノークラスの産駒は、1985年のソヴリン賞最優秀2歳牡馬に選ばれたクラッシーンスマートの半弟グレイクラシック(父グレイドーン)【サマーS(加GⅢ)・ローレルターフカップS(米GⅢ)】、1987年のソヴリン賞最優秀2歳牡馬に選ばれた半弟リーガルクラシック(父ヴァイスリージェント)【プリンスオブウェールズS・サマーS(加GⅢ)・グレイS(加GⅢ)・エクリプスH(加GⅢ)】、1992年のエクリプス賞最優秀芝牡馬に選ばれた半弟スカイクラシック(父ニジンスキー)【ロスマンズ国際S(加GⅠ)・マンハッタンH(米GⅠ)・ターフクラシック招待S(米GⅠ)・シーザーズ国際H(米GⅡ)・アーリントンH(米GⅡ)・サマーS(加GⅢ)・グレイS(加GⅢ)・キングエドワード金杯(加GⅢ)・ディキシーH(米GⅢ)】、半弟オールウェイズアクラシック(父デピュティミニスター)【ETターフクラシックS(米GⅡ)・エクスプローシヴビッドH(米GⅢ)】などである。ノークラスの産駒のうち、クラッシーンスマートとスカイクラシックの2頭が加国競馬の殿堂入りを果たしており、ノークラス自身も死後の1997年に繁殖成績が評価されて加国競馬の殿堂入りを果たし、同国を代表する名牝系の祖となっている。

牝系は、米国顕彰馬ディスカヴァリー、2011年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬アクラメーション、2012年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬アイルハヴアナザー、史上初めてBCジュヴェナイルフィリーズとBCディスタフの両競走を制したビホルダー、日本で走ったパーソナルラッシュ、イイデケンシンなどと同じである。→牝系:F23号族②

母父スマーテンは、現役成績27戦11勝。オハイオダービー(米GⅡ)・アメリカンダービー(米GⅡ)・ウッドローンS(米GⅢ)・イリノイダービー(米GⅢ)・メリーランダーH(米GⅢ)・ペンシルヴァニアダービー・セナトリアルS・シティオブマイアミHに勝ち、トラヴァーズS(米GⅠ)やセクレタリアトS(米GⅡ)で2着している。種牡馬としてもまずまずの成績を残した。スマーテンの父シアンはターントゥ産駒で、現役成績は14戦6勝。ベルモントフューチュリティS・ドワイヤーSに勝っている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のサムソンファームで繁殖入りした。1995年に加国競馬の殿堂入りを果たし、2003年には米国競馬の殿堂入りも果たした。

本馬は繁殖牝馬としても非常に優秀な成績を収めた。7歳時に産んだ初子の牡駒ダンスブライトリー(父ミスタープロスペクター)は、コロネーションフューチュリティで2着したが故障のため2戦1勝の成績で競走馬を引退。その後は血統が買われて米国で種牡馬入りして、後に亜国や智国など南米でも供用されている。

8歳時に産んだ2番子の牡駒シークスマートリー(父シーキングザゴールド)は12戦2勝の成績に終わったが、血統が買われてベネズエラで種牡馬入りした。

9歳時に産んだ3番子の牡駒スキャターザゴールド(父ミスタープロスペクター)は現役成績7戦2勝。初勝利がクイーンズプレートという史上初の快挙を達成した馬で、次走プリンスオブウェールズSも制したが、ブリーダーズSではロッジヒルに敗れて3着に終わり、母子二代の加国三冠馬という大魚は逃した。ブリーダーズS直後に日本のアロースタッドから種牡馬輸入のオファーがあったため、このレースを最後に競走馬を引退。総額7億3500万円のシンジケートが組まれてアロースタッドで種牡馬入りした。しかし種牡馬としては2007年の天皇賞春でメイショウサムソンの鼻差2着したエリモエクスパイアを出した程度であまり成功できず、2008年にシンジケートが解散。ウルグアイに輸出される予定だったが、直前にキャンセルされ、結局ロシアに輸出されていった。

10歳時に産んだ4番子の牝駒ダンススルーザドーン(父ミスタープロスペクター)は、2歳時にプリンセスエリザベスSを勝利。3歳時にはクイーンズプレート・加オークスを勝ちプリンスオブウェールズSで2着して、2001年のソヴリン賞最優秀3歳牝馬に選出された。これはクラッシーンスマート、本馬に続く母子3代の選出となっている。また、同じ年には本馬がソヴリン賞最優秀繁殖牝馬に選ばれており、ノークラス、クラッシーンスマートに続く母子3代の選出となった。ダンススルーザドーンは4歳時にはゴーフォーワンドH(米GⅠ)を勝利して母に続いて米国のGⅠ競走制覇を果たした。通算成績は20戦10勝。2011年には加国競馬の殿堂入りも果たし、ノークラス、クラッシーンスマート、本馬に続く母子4代の加国顕彰馬となった。

11歳時に産んだ5番子の牡駒ダンストゥデスティニー(父ミスタープロスペクター)は11戦3勝の成績だったが、血統が買われて最初は加国で、後にサウジアラビアで種牡馬入りしている。

14歳時に産んだ6番子の牡駒ダンスウィズレイヴンズ(父エーピーインディ)は、グレイBCS(加GⅡ)・プレートトライアルSに勝つなど7戦3勝の成績だった。

その後も本馬は3頭の子を産んだが、3頭とも不出走に終わった。2007年8月、本馬は放牧中に膝関節を故障して重度の関節炎を発症したために19歳で安楽死の措置が執られ、遺体はサムソンファームに埋葬された。

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