シャディード

和名:シャディード

英名:Shadeed

1982年生

鹿毛

父:ニジンスキー

母:コンティニュアル

母父:ダマスカス

マイル戦で実力を発揮したニジンスキー直子の英2000ギニー・クイーンエリザベスⅡ世Sの勝ち馬

競走成績:2・3歳時に英米で走り通算成績7戦4勝3着2回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州において、チェリーヴァレーファームと、ザ・ゲイムリー・コーポレーションにより共同生産された。1歳7月のキーンランドセールに出品され、ドバイのシェイク・モハメド殿下により80万ドルで購入されて、英国サー・マイケル・スタウト調教師に預けられた。

競走生活(3歳前半まで)

2歳10月にニューマーケット競馬場で行われたウェストリー未勝利Sでデビュー。調教の動きが評価されて1番人気に支持されたが、勝った単勝オッズ34倍の伏兵カラダンサーから1馬身半差、2着アルリヤドから短頭差の3着に敗れた。同月のホーソーンS(T7F)では、先行策から残り2ハロン地点で先頭に立ち、2着タイバークリークに2馬身半差をつけて勝利した。

2歳時の成績は2戦1勝で、グループ競走にも出走しなかったが、ウェストリー未勝利Sで本馬を破ったカラダンサーがデューハーストSを勝利して国際クラシフィケーションで2歳馬トップの評価を得たために本馬の評価も上がり、翌年の英2000ギニーや英ダービーの有力候補として認められた。

3歳時は4月のクレイヴンS(英GⅢ・T8F)から始動した。デューハーストSでカラダンサーから僅か首差の3着だったミルリーフSの勝ち馬ローカルスーターと並んで、単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。レースではウォルター・スウィンバーン騎手を鞍上に、残り2ハロン地点で先頭に立つと後続を引き離し、最後は2着となったウィリアムヒルフューチュリティS2着馬ダミスターに6馬身差をつけて圧勝した。

2週間後の英2000ギニー(英GⅠ・T8F)では、単勝オッズ1.8倍という断然の1番人気に支持された。スウィンバーン騎手が騎乗停止中だったため、陣営はレスター・ピゴット騎手に騎乗を依頼した。ピゴット騎手はルカ・クマーニ厩舎に所属していたグリーナムSの勝ち馬ベイルンに乗る先約があったのだが、勝つ確率がより高い馬に乗るという信条の彼は、ベイルンを捨てて本馬に騎乗した。本馬はレース前に焦れ込んでいたため、スタウト師は本馬をスタンド前行進に参加させず、直接スタート地点まで移動させた。これによってスタウト師はニューマーケット競馬場から罰金を科せられたが、その配慮によって少しは落ち着いたのか、レースが始まると無難に走り、残り2ハロン地点で悠々と先頭に立った。楽勝かと思われたが、そこに後方から1頭の馬がやって来た。それはピゴット騎手に捨てられたために代わりにウィリー・カーソン騎手とコンビを組んだベイルンだった。ピゴット騎手が必死に追ったため、ベイルンの追撃を何とか頭差で凌いで優勝した。

次走の英ダービー(英GⅠ・T12F)では、リングフィールドダービートライアルSを10馬身差で圧勝してきたスリップアンカーが単勝オッズ3.25倍の1番人気で、本馬は単勝オッズ4.5倍の2番人気となった。鞍上はスウィンバーン騎手に戻っており、ピゴット騎手は4番人気のデリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬シアトリカルに騎乗していた。いつもレース前に焦れ込む傾向があった本馬だが、この日のレース前は不思議と静かだった。しかし結果論ではあるが、この日の静けさは悪い予兆だったようで、レースでは全く何の見せ場も無く、勝ったスリップアンカーから50馬身も離されて、14頭立ての13着と大惨敗を喫してしまった。あまりの惨敗ぶりに、レース後にスタウト師とスウィンバーン騎手の2人はエプソム競馬場から呼び出されて事情聴取を受けた。2人とも惨敗理由の説明をする事はできず、スウィンバーン騎手が「彼はまるで銃で撃たれて死んだかのように走らなくなった」と語ったのみだった。惨敗の理由は、12ハロンという距離が長すぎた上に、その日は走る気が無かったのだろうと筆者は考えているが、本当のところは本馬自身に聞いて見ないと分からない。

競走生活(3歳後半)

夏場は休養に充て、秋はクイーンエリザベスⅡ世S(英GⅡ・T8F)から始動した。このレースには、前年の同競走と前月のアーリントンミリオンSを勝っていたテレプロンプターという強敵の姿があった。しかし本馬が単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。レースでは好位から悠々と抜け出して、後方から追ってきたテレプロンプターを2馬身半差の2着に破り、1分38秒8のコースレコードを樹立して完勝。

マイル戦ではやはり欧州トップクラスである事を立証した本馬の次走は、米国アケダクト競馬場で行われたBCマイル(米GⅠ・T8F)となった。英国クラシック競走の勝ち馬がブリーダーズカップで走るのは史上初であり、注目は集めたが、米国の競馬ファンの見立てはシビアで、人気を集めたのは同じ欧州調教馬でもクイーンアンS・サセックスS・ムーランドロンシャン賞と欧州の重要マイル競走を3連勝してきたルションのほうだった。他の対戦相手は、ロングフェローH・オーシャンポートHの勝ち馬で前年の同競走3着のコジーン、カールトンFバークH・デルマーダービー・アメリカンH・エディリードHの勝ち馬ツナミスルー、キングズスタンドS・ジュライC・スプリントCS・モーリスドギース賞・ポルトマイヨ賞・ダイアデムS・テンプルSと欧州の主要短距離戦を勝ちまくってきたネヴァーソーボールド、英チャンピオンS・ダフニ賞・ラクープドメゾンラフィットの勝ち馬でジャックルマロワ賞2着のパレスミュージック、イングルウッドHの勝ち馬でサンアントニオH・アメリカンH・エディリードH2着のアルマムーン、メトロポリタンH・フォートマーシーHの勝ち馬フォーザンド、ルイジアナダウンズH2回・クリフハンガーHの勝ち馬レイトアクト、チェリーヒントンS・デュークオブヨークSの勝ち馬チャペルコテージ、ロングブランチS・ロイヤルパームHの勝ち馬ドクターシュワルツマンなどだった。本馬は単勝オッズ4倍のルション、単勝オッズ4.6倍のコジーン、単勝オッズ4.7倍のツナミスルーに次ぐ、単勝オッズ6.3倍の4番人気だった。

スタートが切られるとアルマムーンが押して先頭を奪い、本馬が2番手、コジーンが3番手を追走した。そしてそのまま2番手で直線を向いた本馬だったが、すぐにコジーンに抜かれて置き去りにされてしまい、前を行くアルマムーンも捕まえられず、ゴール前で追い込んできたパレスミュージックにも差されて、勝ったコジーンから2馬身1/4差の4位入線(2位入線のパレスミュージックがツナミスルーやルションの進路を妨害した咎で9着降着となったため3着に繰り上がり)だった。このレースを最後に、3歳時5戦3勝の成績で競走馬を引退した。

競走馬としての評価

馬名はアラビア語で「強い」という意味である。実績を見ると、あまり強い英2000ギニー馬という印象を持たないかもしれないが、英国では本馬の実力は評価されており、英タイムフォーム社のレーティングにおいては3歳トップのスリップアンカーより1ポンド低いだけの135ポンド(キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを勝ったペトスキと同値)であり、年齢が違うので単純比較は出来ないが古馬トップのBCターフ馬ペブルスやネヴァーソーボールドと同値、凱旋門賞で死闘を演じたサガスレインボークエストの134ポンドより高いものである。

血統

Nijinsky Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Flaming Page Bull Page Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Our Page Blue Larkspur
Occult
Flaring Top Menow Pharamond
Alcibiades
Flaming Top Omaha
Firetop
Continual Damascus Sword Dancer Sunglow Sun Again
Rosern 
Highland Fling By Jimminy
Swing Time
Kerala My Babu Djebel
Perfume
Blade of Time Sickle
Bar Nothing
Continuation Forli Aristophanes Hyperion
Commotion
Trevisa Advocate
Veneta
Continue Double Jay Balladier
Broomshot
Courtesy Nasrullah
Highway Code

ニジンスキーは当馬の項を参照。

母コンティニュアルは現役成績5戦2勝。本馬の半妹バスーフ(父ビリーヴイット)の孫にシャープヒューマー【スウェイルS(米GⅡ)】がいる他、本馬の全妹アファフが繁殖牝馬として日本に輸入されている。母系を見回すとアファフ以外にも日本に輸入された種牡馬・繁殖牝馬の名が少なからず見られる。コンティニュアルの半妹アイルランダ(父トムロルフ)の娘ワイプザアイも持ち込み馬として来日した馬であり、その子にはストロングブラッド【かしわ記念(GⅠ)・カブトヤマ記念(GⅢ)・さくらんぼ記念(GⅢ)・群馬記念(GⅢ)】がいる。

コンティニュアルの母コンティニュエーションの半兄にはリスト【ガヴァナーズCH】、全姉にはトゥエルタ【ロングアイランドH(米GⅢ)・クリサンセマムH(米GⅢ)】、半弟には本邦輸入種牡馬ヤマニン【ワイドナーH(米GⅠ)】がいる他、コンティニュエーションの半姉チェーンの子にチェーンブレスレット【トップフライトH(米GⅠ)・シュヴィーH(米GⅡ)】、牝系子孫にゾフティグ【シリーンS(加GⅠ)】、ザフティグ【エイコーンS(米GⅠ)】、ゾーインプレッシヴ【マザーグースS(米GⅠ)】、トムズトリビュート【エディリードS(米GⅠ)】が、トゥエルタの子にスウェイル【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・ベルモントS(米GⅠ)・ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)・ヤングアメリカS(米GⅠ)・フロリダダービー(米GⅠ)・サラトガスペシャルS(米GⅡ)・ブリーダーズフューチュリティS(米GⅡ)・ハッチソンS(米GⅢ)】、曾孫にヴァレナー【フォレ賞(仏GⅠ)】が、コンティニュエーションの半妹ファーリングの孫にブランズウィック【ホイットニーH(米GⅠ)】、曾孫に日本で走ったナムラマース【札幌2歳S(GⅢ)・毎日杯(GⅢ)】が、コンティニュエーションの半妹ファイルの子に本邦輸入種牡馬フォーティナイナー【ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・ハスケル招待H(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)・サンフォードS(米GⅡ)・ブリーダーズフューチュリティS(米GⅡ)・ファウンテンオブユースS(米GⅡ)】がいる。→牝系:F1号族⑤

母父ダマスカスは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州ゲインズボローファームで種牡馬入りした。種牡馬としてもなかなかの活躍を示した。2004年に種牡馬を引退し、2005年11月に23歳で病死した。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1988

Infamous Deed

アスコットH(米GⅢ)

1988

Satin Flower

ジャージーS(英GⅢ)

1988

Shadayid

英1000ギニー(英GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)・フレッドダーリンS(英GⅢ)

1989

Alydeed

カーターH(米GⅠ)・クイーンズプレート・ダービートライアルS(米GⅢ)・コモンウェルスBCS(米GⅢ)

1989

Indian Hope

マルシアノデアギアルモレイラ大賞(伯GⅠ)

1990

Sayyedati

英1000ギニー(英GⅠ)・モイグレアスタッドS(愛GⅠ)・チェヴァリーパークS(英GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)・チェリーヒントンS(英GⅢ)

1990

Splendent

ジムクラックS(英GⅡ)

1992

Citadeed

ピーターパンS(米GⅡ)

1995

Nadwah

クイーンメアリーS(英GⅢ)

1995

クレッセル

若草賞(新潟)・三条記念(三条)

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