リッジウッドパール

和名:リッジウッドパール

英名:Ridgewood Pearl

1992年生

栗毛

父:インディアンリッジ

母:ベンズパール

母父:タップオンウッド

BCマイルを筆頭に4か国でマイルGⅠ競走を制し、ラムタラを抑えてカルティエ賞年度代表馬に選ばれる

競走成績:2・3歳時に愛英仏米で走り通算成績8戦6勝2着1回3着1回

誕生からデビュー前まで

愛国の小規模馬産家ショーン・コクラン氏と妻のアン・コクラン夫人により生産された。生産者が愛国の人であるため本馬も愛国産馬であると勘違いされやすいが、誕生したのは英国である。コクラン夫人の名義で競走馬となり、愛国ジョン・オックス調教師に預けられた。

競走生活(3歳前半まで)

2歳9月にカラー競馬場で行われたリステッド競走タワーS(T6F)で、クリスティ・ロシェ騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ1.9倍の1番人気に支持されたが、ゴール前の4頭による接戦に敗れて、勝った単勝オッズ15倍の5番人気馬ヴィアティクムから3/4馬身差の3着だった。

続いて2週間後のウェルドパークS(愛GⅢ・T7F)に向かい、ここでオックス厩舎の主戦を務めていた当時24歳のジョニー・ムルタ騎手と初コンビを組んだ。既に3勝を挙げていたサブヤという馬も出走していたのだが、本馬が単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。そして2着となった単勝オッズ17倍の8番人気馬オーセシリアに2馬身半差をつけて勝ち、初勝利をグループ競走で飾った。2歳時の成績は2戦1勝だった。

3歳時は4月にカラー競馬場で行われたリステッド競走アサシS(T7F)から始動して、単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持された。レースでは先行して残り2ハロン地点で先頭に立つと後続を引き離し、先行して2着に粘った単勝オッズ13倍の6番人気馬ワンフォルスムーヴに7馬身差をつけて圧勝した。

次走の愛1000ギニー(愛GⅠ・T8F)では、英1000ギニー・ロウザーSの勝ち馬でチェヴァリーパークS3着のハライール、レパーズタウン1000ギニートライアルを3馬身半差で完勝してきたカイタダ、デリンズタウン1000ギニートライアルを勝ってきたメディエーション、オマール賞の勝ち馬ゴーストリーなどが対戦相手となった。ムルタ騎手が同じオックス厩舎所属のカイタダに騎乗する事になったため、本馬にはロシェ騎手が騎乗した。ハライールが単勝オッズ2.1倍の1番人気、本馬が単勝オッズ3.25倍の2番人気、カイタダが単勝オッズ9倍の3番人気であり、本馬とハライールの2強ムードだった。

スタートが切られるとカイタダが先頭に立ち、本馬とハライールはいずれも好位につけた。先に仕掛けたのは本馬で、残り2ハロン地点で先頭を奪取。そこへ後方からハライールがやってきたが、本馬より先に失速していった。代わりに最後方からの追い込みに賭けた単勝オッズ10倍の4番人気馬ウォーニングシャドウズ(後のサンチャリオットSの勝ち馬)が2番手に上がったが、本馬を脅かすようなことはなく、本馬が2着ウォーニングシャドウズに4馬身差をつけて圧勝した。

次走のコロネーションS(英GⅠ・T8F)では、ウォーニングシャドウズ、前走5着のハライール、マルセルブサック賞の勝ち馬マクーンバ、サンドリンガム賞を勝ってきたスモレンスク、チェヴァリーパークS・クイーンメアリーSを勝って前年のカルティエ賞最優秀2歳牝馬に選ばれたゲイギャランタ、メイヒルSなど3連勝中のマムラカー、ネルグウィンSの勝ち馬マイセルフ(ラムタラのデビュー戦となった前年のワシントンシンガーSで2着した馬として知られる)などが出走してきた。前走の敗戦にも関わらずハライールが単勝オッズ2.875倍の1番人気で、ムルタ騎手が鞍上に戻ってきた本馬が単勝オッズ5.5倍の2番人気、マクーンバとスモレンスクが並んで単勝オッズ7倍の3番人気となった。

スタートが切られると単勝オッズ26倍の9番人気馬マムラカーが先頭に立ち、本馬、ハライール、マクーンバ、スモレンスクといった有力馬勢は好位から中団辺りに密集。その中から一足先に抜け出してきたのは本馬であり、残り2ハロン地点で先頭に立った。後はまったく危なげなく、2着スモレンスクに2馬身差、3着ハライールにはさらに1馬身3/4差をつけて快勝。これで同世代の3歳牝馬マイル路線では敵なしとなった。

競走生活(3歳後半)

その後は仏国に遠征して、ムーランドロンシャン賞(仏GⅠ・T1600m)に臨んだ。前走ジャックルマロワ賞を勝ってきたミスサタミクサ、英1000ギニー・モイグレアスタッドS・チェヴァリーパークS・ジャックルマロワ賞・サセックスS・チェリーヒントンSの勝ち馬でサセックスS・ジャックルマロワ賞2回2着のサイエダティ、仏2000ギニー・イスパーン賞・ミュゲ賞の勝ち馬でムーランドロンシャン賞3着のグリーンチューン、コロネーションS2着後に出走したアスタルテ賞を勝つも前走ジャックルマロワ賞では8着に終わっていたスモレンスク、ロンポワン賞・サンダウンマイル・モートリー賞の勝ち馬(サンダウンマイルでは本馬の全兄リッジウッドベンを2着に破っていた)でロッキンジS3着のミスドフライト、アスタルテ賞2着・仏1000ギニー・ジャックルマロワ賞3着のシャンクシー、愛国際Sの勝ち馬でジャンプラ賞2着・サセックスS3着のダーネイの計7頭が対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2.3倍の1番人気、ミスサタミクサが単勝オッズ5.1倍の2番人気、サイエダティが単勝オッズ6.2倍の3番人気、グリーンチューンが単勝オッズ7.2倍の4番人気、ミスドフライトが単勝オッズ8.9倍の5番人気、スモレンスクが単勝オッズ9.1倍の6番人気と、やや混戦模様となった。

スタートが切られると、スモレンスクや単勝オッズ17倍の最低人気馬ダーネイが先頭に立ち、本馬やミスドフライトが好位につけた。先に仕掛けたのはミスドフライトのほうで、残り200m地点で先頭に立った。しかしすぐに本馬が先頭を奪い、後方から差してきた単勝オッズ13倍の7番人気馬シャンクシーを3/4馬身差の2着に抑えて勝利した。

次走は英国最強マイラー決定戦のクイーンエリザベスⅡ世S(英GⅠ・T8F)となった。セントジェームズパレスSの勝ち馬でサセックスS・英国際S2着・英2000ギニー・愛2000ギニー3着のバーリ、ロッキンジS・キヴトンパークS・スプリームS・香港国際ボウルの勝ち馬ソヴィエトライン、クリテリウムドメゾンラフィット・キヴトンパークSを勝ってきたビショップオブカシェル、ダイオメドS・デズモンドSの勝ち馬ミスターマルティニなど5頭が対戦相手となった。本馬が単勝オッズ1.62倍の1番人気、バーリが単勝オッズ3.5倍の2番人気、ソヴィエトラインが単勝オッズ7.5倍の3番人気、ビショップオブカシェルが単勝オッズ15倍の4番人気であり、前走ムーランドロンシャン賞に比べると各馬の評価差が大きかった。

スタートが来られると、いきなり対抗馬のバーリが外側に大斜行して外埒沿いまですっ飛んでいってしまい、残りの5頭は一団となって内埒沿いにレースを進めた。この馬群の中では単勝オッズ101倍の最低人気馬ムハブが先頭で、本馬は例によって逃げ馬を見るように先行していた。やがてムハブが失速すると本馬が代わりに先頭に立ち、そのまま三角に入ろうとした。ところがここで外埒沿いを走っていたバーリが突然内側に切れ込んできた。内外離れていたために分かり辛かったが、バーリの位置取りは内側馬群より前であり、切れ込んで内埒沿いまで来たバーリは本馬よりも前にいた。直線に入ると逃げるバーリを本馬が追いかける展開となったが、バーリの脚色は非常に良く、本馬はどんどん離されてしまった。結局バーリがそのまま圧勝し、本馬は6馬身差の2着に敗れた。

バーリがこんな走りをした理由はバーリの項にも記載したが、ここに改めて記載する。当日のアスコット競馬場はレース前の散水と降雨により馬場が湿っていたが、木陰だった外埒沿いだけは馬場状態が良かった。要するにバーリだけが道中で良馬場を走り、それ以外の馬は終始湿った馬場を走ったわけであり、コースロスを差し引いても6馬身差がつくほどのアドバンテージをバーリは得ていたのだった。もっとも、本馬も3着ソヴィエトラインには5馬身差をつけていたから、別に凡走したわけではなかった。

その後は渡米して、ベルモントパーク競馬場で行われたBCマイル(米GⅠ・T8F)に挑んだ。ムーランドロンシャン賞2着後にロンポワン賞を勝っていたシャンクシー、ムーランドロンシャン賞4着から直行してきたサイエダティ、ソヴィエトラインといった既対戦馬3頭のほかに、モーリスドギース賞・スプリントC・パレロワイヤル賞・ポルトマイヨ賞と4連勝した後のアベイドロンシャン賞で2着してきたチェロキーローズ、フォレ賞を勝ってきたポプラーブラフといった初顔合わせの欧州調教馬勢2頭、欧州であまり芽が出なかったために米国に移籍してエディリードHを勝ち前走ケルソHで2着してきた愛国産馬ファストネス、カナディアンターフH・ディキシーS・トロピカルターフH・フォートローダーデールHの勝ち馬で前走アーリントンミリオン3着のザヴィド、カールトンFバークH・エルリンコンHの勝ち馬でハリウッドターフH3着のサヴィニオ、4年前の愛2000ギニー馬でその後もエルクホーンS・バーナードバルークH2回・ニューハンプシャースウィープS・サラトガバドワイザーBCH・フォートマーシーHを勝ち一昨年のBCマイルで3着と健闘していた7歳馬フォースターズオールスター、ハリウッドパークターフH・シネマH・サンガブリエルH・ホイストザフラッグSの勝ち馬でハリウッドフューチュリティ・ハリウッドダービー3着のアールオブバーキング、ピリグリムS・ローレルフューチュリティ・フォートハロッドS・レッドバンクH・ベルモントBCHとGⅢ競走5勝を挙げていたダヴハント、ジャイプールH・クリフハンガーH・ケルソHを勝ってきたマイティフォーラムといった米国調教馬勢7頭が対戦相手となり、合計で12頭が対戦相手となった。

本馬が単勝オッズ3.55倍の1番人気、ダンシングブレーヴ産駒のチェロキーローズが単勝オッズ5.9倍の2番人気、ファストネスとザヴィドが並んで単勝オッズ7.3倍の3番人気、ポプラーブラフが単勝オッズ12倍の5番人気、サヴィニオ、フォースターズオールスター、アールオブバーキングの3頭カップリングが単勝オッズ12.5倍の6番人気で、過去に本馬に敗れたことがある馬達は軒並み人気薄だった。

当日の馬場状態は湿っていたが、ベルモントパーク競馬場に限らず米国の芝コースは基本的に軽く、少し馬場が湿っているくらいが欧州調教馬にとっては有利だったようである。スタートが切られるとこれが引退レースであるフォースターズオールスターが先頭に立ち、ポプラーブラフ、ファストネスなども先行。本馬は3~4番手の位置取りであり、いつもどおりの好位追走策だった。やや行きたがる仕草を見せる場面もあったが、ムルタ騎手は本馬を馬群の内側に入れて上手く抑えていた。三角に入ったところでファストネスが先頭に立つと本馬もその直後から上がっていった。直線入り口ではこの2頭が先頭で並び、3番手以下は大きく離された。そして直線では本馬とファストネスの一騎打ちが展開されたが、残り半ハロン地点から本馬が力強く付き抜けて、2着ファストネスに2馬身差、最後方からの追い込みで3着に入ったサイエダティにはさらに7馬身差をつけて完勝。これが現役最後のレースとなった。

競走馬としての評価

3歳時の成績は6戦5勝で、GⅠ競走4勝は全て異なる国におけるものだった。それが評価されて、この年のカルティエ賞年度代表馬及び最優秀3歳牝馬のタイトルを受賞した。しかし最優秀3歳牝馬についての異論は出なかったが、年度代表馬の受賞に関しては異論が出た。それは何故かと言うと、この年はラムタラが英ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・凱旋門賞を全て制覇していたからである。この件に関しては、本馬の生産・所有者が愛国の小規模牧場主だったのに対して、ラムタラの実質的所有者はドバイのシェイク・モハメド殿下達マクトゥーム一族だったため、マクトゥーム一族に対する反感が働いたのではないかとする論調が当時から根強い(特に日本では未だに言われている)。

しかしながらカルティエ賞の各部門は、グループレースごとに定められたポイントの総計40%、英国の競馬記者達による投票総計30%、レーシングポスト紙とデイリーテレグラフ紙の読者による投票総計30%の合計ポイントによって選出されるものである。レースポイントではラムタラよりも本馬のほうが上位であり、投票で逆転されなかったに過ぎない(逆転されていたら、それはそれで異論が出ていたのではないだろうか)。

ラムタラが勝った3競走はいずれも日本人が欧州最大の競走として認識している(別にそれ自体は間違ってはいない)ものであり、それを全て勝った馬を差し置いて他の馬が年度代表馬になるなど、牡馬三冠競走や天皇賞・ジャパンC・有馬記念を重視する日本の常識ではあり得ないだろうが、それはあくまで日本人の感覚であり、欧州競馬関係者や競馬ファンは違う感性を持っている。短距離路線もマイル路線も10ハロン路線も、12ハロン路線とそれほど変わらない評価を受けている。筆者はここでいったん筆を置いて1991年から2015年までのカルティエ賞選考結果一覧を見てみたが、年度代表馬に選ばれた延べ25頭のうち、距離12ハロン(又は2400m)以上のGⅠ競走を勝たずして選出された馬が11頭、そのうち距離10ハロン(又は2000m)以上のGⅠ競走を勝たずして選出された馬が8頭いる。同じく1991年から2015年までの中央競馬年度代表馬延べ25頭のうち、距離2400m以上のGⅠ競走を勝たずして選出されたのは6頭、そのうち距離2000m以上のGⅠ競走を勝たずして選出されたのは3頭しかいない(これでも最近は増えたほうであり、1954年から1990年までの年度代表馬延べ38頭のうち距離2400m以上の八大競走を勝たずして選出されたのは1959年のウイルデイールのみである。天皇賞秋の距離が短縮されるまで距離2400m未満の八大競走は桜花賞と皐月賞しか無かったから当然ではあるが)。つまり日本人の感覚に基づいて欧州の年度代表馬選考に関して議論する事自体が無意味なのである。

また、ラムタラがマクトゥーム一族の所有馬だから敬遠されたとする論調を張る人は、この前年1994年にカルティエ賞年度代表馬に選ばれた馬の事を知っているのだろうか。それはGⅠ競走勝ちがBCマイルの1勝のみだったバラシアであり、そしてバラシアの所有者は誰あろうシェイク・モハメド殿下だった。この1994年の欧州競馬は中心馬不在であり、しかも活躍馬はバランシーンカーネギー、エズード、キングズシアターエルハーブなどマクトゥーム一族の所有馬ばかりだった点も無視できないが、それでもモハメド殿下の所有馬がGⅠ競走1勝ながらカルティエ賞年度代表馬に選ばれていた(この年はジャックルマロワ賞などGⅠ競走3勝を挙げたイーストオブザムーンもいたのだが、年度代表馬どころか最優秀3歳牝馬もバランシーンに奪われている)という事実は大きく、ラムタラはマクトゥーム一族の所有馬だから敬遠されたというのは完全に的外れとまでは言い切れないにしても、決定的な理由にはならない。

本馬がラムタラを抑えてカルティエ賞年度代表馬に選ばれた最大の理由は「ラムタラよりリッジウッドパールのほうが実績上位だと判断されたから」なのである。これでラムタラの勝利が圧勝ばかりであればまた違う結果になったかもしれないが、ラムタラの勝利は3戦全て2着馬と1馬身差以内の接戦であり、個別のレース内容を着差のみで判断するとややインパクトに欠けていた(筆者は着差だけでは馬の強さを判断できないと思っている。ここで言うのはあくまで一般論)から、同一年に4つの異なる国でGⅠ競走を勝ち(海外の資料ではこの点がかなり強調されており、かなりのセールスポイントとなった模様)、BCマイルでは完勝を収めたという本馬のインパクトには及ばず、ラムタラが投票で逆転するには至らなかったようである。

血統

Indian Ridge Ahonoora Lorenzaccio Klairon Clarion
Kalmia
Phoenissa The Phoenix
Erica Fragrans
Helen Nichols Martial Hill Gail
Discipliner
Quaker Girl Whistler
Mayflower
Hillbrow Swing Easy Delta Judge Traffic Judge
Beautillion
Free Flowing Polynesian
Rytina
Golden City スカイマスター Golden Cloud
Discipliner
West Shaw Grey Sovereign
Irish Candy
Ben's Pearl タップオンウッド Sallust Pall Mall Palestine
Malapert
Bandarilla マタドア
Interval
Cat o'Mountaine Ragusa Ribot
Fantan
Marie Elizabeth Mazarin
Miss Honor
Joshua's Daughter Joshua Welsh Rake Abernant
Wayward Belle
Charybdis Chanteur
Brighton Rock
Legal Love キングスベンチ Court Martial
King's Cross
Mareeba Mieuxce
Battle Law

インディアンリッジは当馬の項を参照。

母ベンズパールは現役成績8戦2勝。母としては本馬の全兄リッジウッドベン【グラッドネスS(愛GⅢ)・3着愛2000ギニー(愛GⅠ)】も産んでいる。しかし近親には活躍馬がおらず、リッジウッドベンや本馬から一番近い活躍馬は、ベンズパールの曾祖母マリーバの全姉コードミリティアの孫であるロックロワ【カドラン賞】で、次に近いのはマリーバの曾祖母であるグローリアスデヴォン【ヨークシャーオークス】といった辺りである。グローリアスデヴォンの半妹エンパイアグローリーの孫にはシェシューン【アスコット金杯・サンクルー大賞】とシャルロットヴィル【仏ダービー・リュパン賞・パリ大賞】の兄弟がおり、さらに遠くには桜花賞馬アチーブスター、名馬マヤノトップガンなども出ているが、これらの馬達は近親とは言えない。→牝系:F14号族②

母父タップオンウッドは現役成績18戦10勝、英2000ギニー(英GⅠ)・愛ナショナルS(愛GⅡ)に勝っている。欧州で平均的な種牡馬成績を残した後に日本に輸入され、エリザベス女王杯を勝ったキョウエイタップを出した。タップオンウッドから直系を遡ると、サセックスS・ムーランドロンシャン賞・リッチモンドS・グッドウッドマイル・ポルトマイヨ賞・ダイオメドSを勝ったサラスト、英2000ギニー・ロッキンジS2回・ニューSを勝ったポールモール、英2000ギニー・セントジェームズパレスS・サセックスS・コヴェントリーS・リッチモンドS・ジムクラックS・英シャンペンSを勝ったパレスタインを経て、フェアトライアルに行きつく典型的なマイラー血統。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国と愛国を行き来しながら繁殖生活を送り、レインボークエストサドラーズウェルズデイラミの3頭の種牡馬の間に合計5頭の子をもうけたが、全く活躍馬は出なかった。2002年には競走馬時代にクイーンエリザベスⅡ世Sで戦ったバーリと交配されて受胎したが、翌年の5月にその子を流産した際に本馬も出血多量のため11歳で他界した。

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