和名:スターアピール |
英名:Star Appeal |
1970年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:アッピアーニ |
母:ステルナ |
母父:ネカール |
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単勝オッズ120.7倍という最低人気の評価を覆して独国調教馬として初めて凱旋門賞を優勝する |
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競走成績:2~5歳時に愛独仏英伊米で走り通算成績39戦11勝2着4回3着8回 |
1975年の凱旋門賞を単勝オッズ120.7倍という最低人気で制覇して欧州競馬界を驚かせた馬で、日本で言うならダイユウサクに近い存在である。
誕生からデビュー前まで
独国の大牧場レットゲン牧場の愛国分場により生産・所有された愛国産馬で、愛国ジョン・オックス調教師に預けられた。
競走生活(2・3歳時)
2歳7月に愛国フェニックスパーク競馬場で行われたエニスキレンS(T6F)で、主戦となるH・コープ騎手を鞍上にデビューしたが、8着に終わった。次走のゴールウェイ競馬場芝7ハロンの未勝利ステークスでは、後のキングエドワードⅦ世S・ロイヤルホイップSの勝ち馬クレアヴィミーに8馬身差をつけられて3着と完敗。8月にダンダルク競馬場で出たウォーレンポイントプレート(T8F)を4馬身差で制して初勝利を挙げた。9月にレパーズタウン競馬場で出たラークスパーS(T7F)では、クワンスー、後のグラッドネスS・テトラークSの勝ち馬ダッパーの2頭に後れを取り、クワンスーの2馬身半差3着に敗退。10月にナース競馬場で出たバードキャッチャーナーサリーH(T6F)では、2着エターナルユースに1馬身差、3着レイロックにはさらに2馬身差をつけて勝利を収め、2歳時の成績は5戦2勝となった。
3歳時は4月にカラー競馬場で行われたマドリードフリーH(T7F)から始動して、2馬身差で勝利した。しかし同月にナヴァン競馬場で出たハーディカヌートS(T10F)では、ソーラーウインドの4馬身差3着に敗退。次走のガリニュールS(愛GⅡ・T10F)では、勝ったヘイルザパイレーツから6馬身差、2着デシモからも3馬身差をつけられた3着と今ひとつの結果だった。それでも愛ダービー(愛GⅠ・T12F)には参戦したが、単勝オッズ34倍の低評価を覆して勝利を収めたウィーヴァーズホールから8馬身以上離された7着に敗れた。
夏場も休まずに走り、7月にレパーズタウン競馬場でヘネシーH(T9F)に出走して、ステータスシーカーの3/4馬身差2着。同月にフェニックスパーク競馬場で出たヘイズルハッチH(T10F)では、2着ベンドアボウに1馬身半差で勝利した。続いて独国に移動して、8月のバーデンバーデン賞(T2000m)に出走。単勝オッズ3.6倍という高評価に応えて、2着ベルモンドに4馬身半差をつけて圧勝した。
愛国に戻ってくると、9月の愛セントレジャー(愛GⅠ・T14F)に参戦した。ここでは直線でいったん先頭に立つ見せ場を作ったが、最後に失速して、勝ったコナーパスから8馬身3/4差の3着に終わった。このレース後に本馬は独国の新鋭馬主ヴァルデマール・ツァイテルハック氏により6万マルクで購入され、独国アントン・ポールコテール厩舎に転厩した。
転厩初戦は凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)となった。クリテリウム国際・仏1000ギニー・仏オークス・ヴェルメイユ賞の勝ち馬アレフランス、サンタラリ賞・愛オークス・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・ニエル賞の勝ち馬ダリアという、20世紀欧州競馬を代表する2頭の女傑に加えて、サンクルー大賞2回・ガネー賞・ハードウィックS・ダンテS・ジョンポーターSの勝ち馬でデューハーストS・英ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS2着のラインゴールド、パリ大賞の勝ち馬で仏ダービー・ニエル賞2着のテニソン、ロワイヤルオーク賞・ポモーヌ賞の勝ち馬レディベリー、仏グランクリテリウム・リュパン賞・仏ダービー・ニエル賞の勝ち馬ハードツービート、アスコット金杯・カドラン賞の勝ち馬ラッサール、前年の凱旋門賞・ヴェルメイユ賞の勝ち馬サンサン、ヨークシャーオークス・パークヒルS・ジェフリーフリアSの勝ち馬アッティカメリ、愛セントレジャー・ジャンプラ賞2回の勝ち馬パーネル、イスパーン賞の勝ち馬ミスターシックトップなど欧州の最強クラスが勢揃いしていた。グループ競走の勝ちも無い本馬は当然のように人気薄で、27頭立ての最低人気(18番人気タイ)だった。コープ騎手から主戦の座を引き継いだペーター・アルフィ騎手を鞍上に迎えたものの、勝ったラインゴールドに大差をつけられて13着に終わった。3歳時の成績は9戦3勝だった。
競走生活(4歳時)
4歳時は仏国南部にあるカーニュシュルメール競馬場から始動した。まずは1月のロベールドヴィエニュヴバルジモン賞(T2600m)に出走したが、6着に敗退。翌2月のアノ賞(T2400m)では、マイブリーフ、レジスの2頭に後れを取り、マイブリーフの2馬身差3着に終わった。翌3月のアルペマリティメ市長大賞(T2400m)では、2着レジスに8馬身差をつけて圧勝したマイブリーフから11馬身差をつけられた4着に敗退。しかし独国ゲルセンキルヘン競馬場に移動して4月に出たゲルゼンキルヒェン市大賞(独GⅢ・T2000m)では、バーデン大賞・独2000ギニーなどの勝ち馬カラコルに食い下がって首差2着と健闘。単勝オッズ5.2倍となかなかの評価を受けた5月のバーデン経済大賞(独GⅡ・T1800m)では、2着ホルストヘルベルトに3馬身半差をつけて勝利を収め、グループ競走初勝利を挙げた。
その後は仏国に戻ってドラール賞(仏GⅡ・T1950m)に出走。前走で騎乗したアルフィ騎手に代わって英国の名手レスター・ピゴット騎手を鞍上に迎えたが、マルグイヤの11着と大敗した。独国に戻って出走したドイツ投資信託コンセントラポカル(独GⅡ・T2000m)では、61.5kgという厳しい斤量が課せられた。それでも単勝オッズ2.4倍の1番人気に支持されると、M・コスマン騎手を鞍上に、2着テレマークに3馬身半差をつけて快勝した。
しかしその後は調子を落とし、ハンザ国際大賞(独GⅡ・T2200m)ではカラコルの11着に敗退。ノルトラインヴェストファーレン大賞(T2400m)も6着に敗北。エッティンゲンレネン(T1600m)では、サセックスSを勝ってきたエースオブエーセスの6着に敗れた。出走登録馬が多すぎて同競走史上唯一の分割競走となったバーデン大賞(独GⅠ・T2400m)では、独ダービー馬マルドゥークの4馬身半差5着に敗退。エティアンヌアイネヒル大賞(T1600m)では、ホンジュラスの1馬身差2着に敗れた。
次走の英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)では、英国人騎手のグレヴィル・スターキー騎手と初コンビを組んだ。レースでは、ジムクラックS・英シャンペンSの勝ち馬で英2000ギニー・英セントレジャー2着・英ダービー3着のジャコメッティが単勝オッズ5倍の1番人気に応えて勝利を収め、2馬身半差の2着がプリティポリーS・フレッドダーリンSの勝ち馬で愛1000ギニー2着のノーザンジェム、さらに3/4馬身差の3着がハンガーフォードS・グッドウッドマイルの勝ち馬でミドルパークS・デューハーストS・愛2000ギニー2着のピットカーン(後の本邦輸入種牡馬)で、本馬はさらに1馬身半差の4着だった。
このメンバー構成で4着に入れるなら、デュッセルドルフ競馬場で出た次走のインデシュトリウントヴィルトシャフト賞(T2400m)では問題なく勝てるはずだったが、59kgの斤量が影響したのか、シンクレアの6着に敗退。4歳時の成績は14戦2勝となった。
競走生活(5歳初期)
5歳時は独国テオ・グリーパー厩舎に転厩して、4月に独国ケルン競馬場で行われたフリューヤールスH(T1600m)から始動した。ここでは61.5kgを背負わされてしまい、51kgの4歳牡馬ウッドストックの頭差2着に敗れた。同月にドルトムント競馬場で出たフォーゲルパルクヴァルスローデ賞(T1800m)でも、前走と同じ61.5kgが課された。そして50kgのダウス、51kgのルッツの2頭の4歳牡馬に先着されて、ダウスの3馬身3/4差3着に敗れた。翌月のバーデン経済大賞(独GⅡ・T1800m)でも61kgが課されたが、他馬との斤量差は前2走ほど大きくなかった。そして単勝オッズ3.6倍の1番人気に応えて、2kgのハンデを与えたホルストヘルベルトを短頭差の2着に抑えて勝利をもぎ取った。
6月には伊国に移動してミラノ大賞(伊GⅠ・T2400m)に参戦。このレースには、一昨年の凱旋門賞16着後にワシントンDC国際S・サンクルー大賞・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・ベンソン&ヘッジズ金杯・マンノウォーS・加国際CSSを勝っていたダリア、2か月前の伊ダービーを勝っていたオレンジベイ(後にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでザミンストレルの短頭差2着)などが参戦しており、伊国の競走としてはかなりハイレベルとなった。しかし2度目の騎乗となるスターキー騎手を鞍上に迎えた本馬が、2着デュークオブマーマレードに3/4馬身差、3着オレンジベイにもさらに3/4馬身差をつけて勝利を収め、GⅠ競走初勝利を挙げた(ダリアは6着だった)。この勝利をきっかけに、本馬の鞍上にはスターキー騎手が固定されることになった。
競走生活(5歳中期)
続いて英国に移動してエクリプスS(英GⅠ・T10F)に参戦。ダリアを破ってミラノ大賞を勝ったと言っても、独国でシーズン2連敗スタートだった本馬の実績はまだ欧州トップクラスに追いついたとは言い難く、ここでは単勝オッズ21倍の6番人気止まりだった。レースでは馬群の中団を追走し、直線を向くと先行馬群を割って伸びてきた。そして残り1ハロン地点で先頭に踊り出ると、そのまま突き抜けて2着タロスに2馬身差をつけて優勝した。
次走はキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)となった。英ダービー・愛ダービー・愛2000ギニー・デューハーストS・英シャンペンSの勝ち馬で英2000ギニー2着のグランディ、英セントレジャー・コロネーションC・グレートヴォルティジュールSの勝ち馬でパリ大賞2着のバスティノ、同競走3連覇を目指すダリアなどが参戦していたが、3連勝中の本馬も前記3頭に次ぐ4番人気と評価されていた。しかしレースでは、バスティノとの歴史的一騎打ちを制して勝利したグランディから遥か後方の9着に破れ去った。
翌月のベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ・T10F110Y)では、グランディ、前走3着のダリア、前走で5着だったドーヴィル大賞・アルクール賞の勝ち馬でミラノ大賞・イタリア大賞・バーデン大賞・ガネー賞と4度のGⅠ競走2着があったカードキングなどが対戦相手となった。レースでは、前走の死闘で既に燃え尽きていたグランディ(本馬から4馬身差の4着)には先着したものの、勝ったダリアから6馬身半差、2着カードキングからも5馬身差をつけられて3着に敗れた。
その後はいったん地元に戻ってきて、バーデン大賞(独GⅠ・T2400m)に出走した。しかし2連覇を飾ったマルドゥークに4馬身3/4差をつけられて4着に終わった(カードキングが3着だった)。
凱旋門賞
次走は2年ぶりの出走となる凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)となった。キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで燃え尽きたグランディとバスティノは不参戦だったが、それでも世界各国から最強クラスの馬達が参戦していた。一昨年の凱旋門賞では2着に惜敗するも前年の凱旋門賞を筆頭にガネー賞2回・イスパーン賞・アルクール賞・ドラール賞・フォワ賞2回を勝っていたアレフランス、対戦成績7戦全敗のアレフランスに何としても一矢報いたいダリア、オブザーヴァー金杯・仏2000ギニー・リュパン賞の勝ち馬グリーンダンサー、仏1000ギニー・ヴェルメイユ賞・ノネット賞の勝ち馬で翌年の凱旋門賞を制覇するイヴァンジカ、英セントレジャーを10馬身差で圧勝してきたブルーニ、サンタラリ賞・グロット賞の勝ち馬で仏1000ギニー・英ダービー・ヴェルメイユ賞2着のノビリアリー、前年の凱旋門賞とクリテリウムデプーリッシュ・仏オークス・ヴェルメイユ賞で2着していたサンタラリ賞の勝ち馬コンテスドロワール、米国の名馬主オグデン・ミルズ・フィップス氏が送り込んできたハリウッドダービー・セクレタリアトSの勝ち馬イントレピッドヒーロー、ロワイヤルオーク賞を勝ってきたアンリルバラフル、サンクルー大賞・エヴリ大賞・フォルス賞の勝ち馬アンコペック、コンセイユドパリ賞の勝ち馬でロワイヤルオーク賞2着・仏ダービー・パリ大賞3着のカマラーン、本馬が勝ったミラノ大賞の2着馬で前哨戦フォワ賞ではアレフランスの2着だったデュークオブマーマレード、ロワイヤリュー賞・ヴィシー大賞の勝ち馬アンブレリッタ、グロット賞・ポモーヌ賞の勝ち馬パディーズプリンセス、プランスドランジュ賞を勝ってきたカスティール、パリ大賞・ロワイヤルオーク賞2着のシトワイヤン、ロワイヤルオーク賞で3着してきたオルメト、サンクルー大賞でダリアの2着していたオンマイウェイ、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS・ベンソン&ヘッジズ金杯・バーデン大賞と3戦連続で本馬に先着していたカードキングなどが対戦相手となった。
2連覇を目指すアレフランスが単勝オッズ2.75倍で貫禄の1番人気に支持され、グリーンダンサーとイヴァンジカのカップリングが単勝オッズ4.25倍の2番人気、ブルーニが単勝オッズ5.5倍の3番人気、ダリアとノビリアリーのカップリングが単勝オッズ9.75倍の4番人気、デュークオブマーマレードが単勝オッズ10.5倍の5番人気と続く一方で、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSの惨敗や、前走バーデン大賞の敗戦などからすっかり評価を落としていた本馬は、エクリプスSなどGⅠ競走2勝馬でありながら、単勝オッズ120.7倍の低評価。24頭立て20番人気で、単独の最低人気だった(24番人気でないのはカップリングの存在があるためである)。
レースはシトワイヤンを先頭に出走馬が一団となって進み、本馬は馬群の最後方辺りを追走した。フォルスストレートに入る手前から各馬の動きが活発になると、スターキー騎手は本馬を馬群のど真ん中に突っ込ませた。そしてフォルスストレートで少し位置取りを上げて、14番手辺りで直線を向いた。ここから素晴らしい切れ味を発揮した本馬は、前を走る馬達の壁を縫うようにすり抜けていった。残り300m地点で早くも先頭に立つと、その後も末脚を伸ばし続けた。後方から追撃してくる馬はおらず、そのまま2着オンマイウェイに3馬身差、3着コンテスドロワールにはさらに2馬身半差をつけて完勝した。アレフランスは5着で、ダリアは15着だった。
独国調教馬の凱旋門賞制覇は史上初の快挙だった(2011年の勝ち馬デインドリームが史上2頭目)。また、凱旋門賞を人気薄で勝った馬は他にも少なからずいる(例えば、1966年の勝ち馬ボンモーと1967年の勝ち馬トピオは共に23番人気だった)が、最低人気で勝ったのは後にも先にも本馬のみである(ボンモーは下から2番目の人気で、トピオは下から7番目の人気だった)。
凱旋門賞勝利の第一報が届いたとき、独国の競馬ファンは一瞬耳を疑ったそうだが、事実と判ると大きな歓喜に包まれた。独国の一般メディアも大きくこのニュースをとり上げたという。また、当時の仏国大統領ヴァレリー・ジスカール・デスタン氏は、愛国産まれで独国において調教を受けた本馬に、英国出身のスターキー騎手が乗って仏国で勝利したため、「これはヨーロッパ全ての勝利です」とコメントした。
競走生活(凱旋門賞制覇以降)
次走の英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)では、アレフランスに加えて、クイーンエリザベスⅡ世S・ネルグウィンSの勝ち馬でサセックスS2着のローズボウル、この年のイスパーン賞でアレフランスを破って勝っていたラミレスなどとの対戦となった。結果は上記3頭全てに後れを取り、勝ったローズボウルから3馬身差の4着に終わった。
その後は米国に遠征して、ワシントンDC国際S(米GⅠ・T12F)に出走した。しかし、オンマイウェイ、コンテスドロワール、凱旋門賞6着だったノビリアリーなど凱旋門賞で打ち負かした馬達に屈して、勝ったノビリアリーから9馬身3/4差をつけられた5着に敗退。このレースを最後に、5歳時11戦4勝の成績で競走馬を引退した。この年の独年度代表馬に選出されている。
本馬の競走成績を振り返って見ると、安定感という言葉とはほぼ無縁である。どうもレースに集中できない場合が多かったようで、ブリンカーを装着することが多かった(勝った凱旋門賞でも本馬の目立つ大きなブリンカーは一目で判る)。最低人気での勝利と言っても、凱旋門賞で蹴散らした対戦相手はかなりハイレベルであり、一言でフロックと片付ける事は出来ない。
血統
Appiani | Herbager | Vandale | Plassy | Bosworth |
Pladda | ||||
Vanille | La Farina | |||
Vaya | ||||
Flagette | Escamillo | Firdaussi | ||
Estoril | ||||
Fidgette | Firdaussi | |||
Boxeuse | ||||
Angela Rucellai | Rockefella | Hyperion | Gainsborough | |
Selene | ||||
Rockfel | Felstead | |||
Rockliffe | ||||
Aristareta | Niccolo Dell'Arca | Coronach | ||
Nogara | ||||
Acquaforte | Blenheim | |||
Althea | ||||
Sterna | Neckar | Ticino | Athanasius | Ferro |
Athanasie | ||||
Terra | Aditi | |||
Teufelsrose AUT | ||||
Nixe | Arjaman | Herold | ||
Aditja | ||||
Nanon | Graf Isolani | |||
Nella da Gubbio | ||||
Stammesart | Alchimist | Herold | Dark Ronald | |
Hornisse | ||||
Aversion | Nuage | |||
Antwort | ||||
Stammesfahne | Flamboyant | Tracery | ||
Simonath | ||||
Selika | Nuage | |||
Safety |
父アッピアーニはエルバジェの直子で、伊ダービー・伊共和国大統領賞などを勝ち、1966年の伊最優秀3歳馬に選ばれた。本馬の活躍により1975年の独首位種牡馬になっている。
母ステルナの競走馬としての経歴は不明だが、母系には、本馬の半姉シュテルンワット(父ワルドキャンター)の孫にシュテルンケーニッヒ【メルクフィンク銀行賞(独GⅠ)】、本馬の半妹スターガール(父ソヴリングリーム)の孫にハーディユースタス【英チャンピオンハードル(英GⅠ)2回・パンチェスタウンチャンピオンハードル(愛GⅠ)・愛チャンピオンハードル(愛GⅠ)・モルジアナハードル(愛GⅠ)】が、ステルナの半兄にスタニ(父ヌヴォラリ)【バーデン大賞】、ステルナの半姉にサンタクルツ(父キャランダッシュ)【独オークス】、サンタクルツの曾孫にソロ【アラルポカル(独GⅠ)】などの活躍馬がいる。→牝系:F5号族②
母父ネカールはティチノの項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は英国ナショナルスタッドで種牡馬入りした。種牡馬としての成績は並といったところだった。1987年のクリスマスの日に17歳で他界した。本馬の直系は、1990/91シーズンの新首位種牡馬になったスターウェイの功績によりオセアニアで一時期繁栄したが、現在ではかなり衰退している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1978 |
Go Leasing |
ナッソーS(英GⅡ)・アスコット1000ギニートライアルS(英GⅢ) |
1978 |
Madam Gay |
仏オークス(仏GⅠ) |
1980 |
Diu Star |
スプリンター賞(独GⅢ)・ヘッセンポカル(独GⅢ) |
1980 |
Lina Cavalieri |
ロイヤルメアズ賞(伊GⅢ)・バグッタ賞(伊GⅢ)・ダリアH(米GⅢ) |
1982 |
Kamiros |
オイロパ賞(独GⅠ)・独セントレジャー(独GⅡ)・ドルトムント大賞(独GⅢ)2回 |
1983 |
Comme l'Etoile |
伊セントレジャー(伊GⅡ) |
1985 |
Nerio |
ノアイユ賞(仏GⅡ) |
1987 |
Walesiana |
アラク賞(独GⅡ) |