和名:エルバジェ |
英名:Herbager |
1958年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ヴァンダル |
母:フラゲット |
母父:エスカミロ |
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凱旋門賞こそ惨敗するも仏ダービー・サンクルー大賞などを勝ち種牡馬としても成功し優秀なスタミナを日本や北米に伝える |
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競走成績:2・3歳時に仏で走り通算成績8戦6勝 |
誕生からデビュー前まで
レオポルド・バラ夫人により生産された仏国産馬で、仏国経済界の大物シノ・デル・ドゥーカ氏の妻で慈善家・馬主としても名高かったシモーネ・デル・ドゥーカ夫人の所有馬となり、仏国ピエール・ペラット調教師に預けられた。
競走生活
2歳時は9月に行われたデビュー戦のセラフィン賞を逃げて4馬身差で楽勝したが、次走の仏グランクリテリウム(T1600m)では道中の不利もあって、シェーヌ賞を勝ってきたタイポレットーの7馬身差5着に敗退(2着とする資料もあるが、基礎資料を見る限りでは少なくとも入着はしていない)。2歳時の成績は2戦1勝だった。
3歳時は5月のグレフュール賞(T2100m)から始動し、クリテリウムドサンクルー勝ち馬で後にカドラン賞も勝つルルーガルーを相手に3馬身差で逃げ切る幸先の良いスタートを切った。次走のオカール賞(T2400m)では打って変わって後方待機策から直線で差し切る内容で、サラマンドル賞2着馬プリンシヨンを2馬身差の2着に破って勝利した。
3歳3戦目の仏ダービー(T2400m)では、単勝オッズ1.8倍の圧倒的1番人気に支持された。主戦を務めたギイ・シャンスリエ騎手鞍上の本馬は、道中は中団に位置し、直線で一気に抜け出した。そしてミドルパークS2着馬ダンキューピッド(シーバードの父)を短首差の2着に、リュパン賞を勝ってきたミッドナイトサンをさらに5馬身差の3着に破って勝利した。なお、基礎資料には本馬とダンキューピッドの着差は短首差とあるのだが、5馬身差がついていたとする資料もある。この年の本馬は英タイムフォーム社のレーティングにおいてダンキューピッドを4ポンド上回る136ポンドが与えられており、圧勝したと考える方が妥当かもしれない。
次走のサンクルー大賞(T2500m)では、英ダービーで1番人気に推されながら致命的な不利を受けてパーシアの3着に敗れた素質馬シャンタンとの対決となった。結果は本馬が2着シャンタンに頭差、3着となったノアイユ賞勝ち馬ノエロールにはさらに1馬身半差をつけて勝利した。次走のプランスドランジュ賞(T2400m)では、2着となった後のガネー賞勝ち馬マリーノに2馬身半差をつけて完勝した。
そして迎えた凱旋門賞(T2400m)では、ロワイヤルオーク賞を勝ってきたヴァムール、前年のロワイヤルオーク賞と同年のジャンプラ賞・アスコット金杯を勝ったワラビー、エクリプスSの勝ち馬セントクレスピン、プリンスオブウェールズSの勝ち馬プリメラ、イタリア大賞・ミラノ大賞の勝ち馬エクサー、ヴェルメイユ賞の勝ち馬ミカリーナ、前年のパリ大賞勝ち馬サンロマン、ミッドナイトサン、ルルーガルー、マリーノといった実力馬達を抑えて、単勝オッズ1.7倍という断然の1番人気に支持された。ところがレースではスタートから行き脚がつかず後方に置かれてしまい、ゴール前では出走馬が大混雑を起こす乱戦の中で先頭まで2馬身差まで迫ったが、10着に敗れてしまった(セントクレスピンとミッドナイトサンが1位同着でゴールインしたが、ミッドナイトサンが進路妨害で2着降着となり、セントクレスピンの単独優勝となった)。レース後に本馬は左前脚の腱を損傷していることが判明、そのまま引退を余儀なくされた。それでも3歳時6戦5勝の成績で、この年の仏最優秀3歳馬に選出されている。
血統
Vandale | Plassy | Bosworth | Son-in-Law | Dark Ronald |
Mother in Law | ||||
Serenissima | Minoru | |||
Gondolette | ||||
Pladda | Phalaris | Polymelus | ||
Bromus | ||||
Rothesay Bay | Bayardo | |||
Anchora | ||||
Vanille | La Farina | Sans Souci | Le Roi Soleil | |
Sanctimony | ||||
Malatesta | Isinglass | |||
Parisina | ||||
Vaya | Beppo | Marco | ||
Pitti | ||||
Waterhen | Gallinule | |||
Gipsy Queen | ||||
Flagette | Escamillo | Firdaussi | Pharos | Phalaris |
Scapa Flow | ||||
Brownhylda | Stedfast | |||
Valkyrie | ||||
Estoril | Solario | Gainsborough | ||
Sun Worship | ||||
Appleby | Pommern | |||
Birdswing | ||||
Fidgette | Firdaussi | Pharos | Phalaris | |
Scapa Flow | ||||
Brownhylda | Stedfast | |||
Valkyrie | ||||
Boxeuse | Teddy | Ajax | ||
Rondeau | ||||
Spicebox | Spion Kop | |||
Sally Lunn |
父ヴァンダルは仏国で走り7戦5勝、コンセイユドパリ賞を勝った長距離馬だった。種牡馬としても長距離における活躍馬を多く出し、1959年には本馬の活躍により仏首位種牡馬に輝いている。遡るとコロネーションC・ジョッキークラブSの勝ち馬プラッシー、アスコット金杯の勝ち馬ボスワースを経て、サンインローに行きつく血統である。
母フラゲットは父方の祖父と母方の祖父が共に英セントレジャー馬フィルドウシであり、つまりフィルドウシの2×2という非常に強いインブリードの持ち主であった。この近親交配が災いしたのかどうかは定かではないが競走馬になることは出来なかった。フラゲットの半姉には伊オークス馬ラカデット(父ルパシャ)がいる。ラカデットは母として伊オークス馬ラカネアを産み、ラカネアも母として伊ダービー馬ローソを産んだ。ラカネアの牝系子孫からはダホス【BCマイル(米GⅠ)2回】を筆頭に、タグラ【モルニ賞(仏GⅠ)】など何頭かの活躍馬が登場しているが、フラゲットの牝系子孫は発展しておらず、本馬の全妹エルバジェルの孫に日本で種牡馬入りしたペンシルプッシャー(地方競馬で29戦無敗の成績を誇ったドージマファイターの父)がいる程度である。→牝系:F16号族①
母父エスカミロはサンクルー大賞の勝ち馬。エスカミロの父は前述のフィルドウシで、英セントレジャーの他にデューハーストS・ゴードンS・ジョッキークラブSを勝っている。フィルドウシの父はファロスである。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は当初仏国で種牡馬入りしたが、1964年12月に米国の名馬産家アーサー・“ブル”・ハンコック氏に70万ドルで購入されて、種牡馬シンジケートが組まれて米国ケンタッキー州クレイボーンファームに移り住んだ。ハンコック氏が本馬に目を付けた理由は、ケン・マクリーン氏の著書「競走馬の速度設計」によると、当時の米国競馬界における主流血脈からは大きく離れた本馬の血統が、米国の繁殖牝馬に適合すると考えたからだという。米国供用初年度の種付け料は1万ドルに設定された。
ハンコック氏の読みどおり本馬は種牡馬としても成功した。仏国の種牡馬供用時代にはグレイドーン、シーホークなどを輩出し、1964年の仏2歳首位種牡馬となり、1966年の仏種牡馬ランキングで2位となった。米国でもアワーミムズやビッグスプールスなどを出して活躍し、1970年から74年まで5年連続で北米種牡馬ランキングにおいてベスト10入りしている(最高位は72・73年の3位)。産駒のステークスウイナーは欧米合わせて64頭である。1976年3月に20歳で他界し、遺体はクレイボーンファームに埋葬された。
後世に与えた影響
日本にはシーホークが種牡馬として輸入され、天皇賞馬モンテプリンス・モンテファスト兄弟や日本ダービー馬アイネスフウジン・ウィナーズサークルなどを出して大活躍した。また、グレイドーン産駒のモーニングフローリックも日本に種牡馬として輸入され、名短距離馬バンブーメモリーを出した。海外では米国で種牡馬入りしたビッグスプールスが43頭のステークスウイナーを出し、アッピアーニは凱旋門賞馬スターアピールを出して1975年の独首位種牡馬に輝き、グレイドーンも1990年の北米母父首位種牡馬になるなど後継種牡馬として活躍した。しかし日本と海外のいずれにおいても本馬の直系は衰退しており、スターアピールの直系子孫からスカイチェイスとセイントリー父子が登場した豪州や新国で僅かに残っている程度である。繁殖牝馬の父としてはレインボークエストや、グローリアスソング、デヴィルズバッグ、セイントバラードの姉弟を輩出している。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1961 |
Firstborn |
モーリスドニュイユ賞 |
1961 |
Point du Jour |
ローマーH |
1962 |
Grey Dawn |
モルニ賞・サラマンドル賞・仏グランクリテリウム・フォンテーヌブロー賞・ブランディワインターフH |
1963 |
Appiani |
伊ダービー・伊共和国大統領賞 |
1963 |
Lionel |
ドーヴィル大賞2回 |
1963 |
Oliveira |
ドルメロ賞 |
1963 |
クリテリウムドサンクルー・サンクルー大賞 |
|
1966 |
Dike |
ブリーダーズフューチュリティS・ゴーサムS・ウッドメモリアルS・セミノールH |
1967 |
Happy Way |
マンハッタンH |
1967 |
Herbalist |
アーカンソーダービー |
1967 |
Loud |
トラヴァーズS・エクセルシオールH・ガヴァナーS |
1967 |
The Pruner |
アメリカンダービー |
1968 |
Chrisaway |
バーナードバルークH・デルマーH |
1968 |
Gleaming |
ロングブランチS・ランプライターH・ハイアリアターフCH2回・ブーゲンヴィリアH(米GⅡ) |
1968 |
List |
ABレテリア記念H・ガヴァナーズCH |
1969 |
Big Spruce |
サンルイレイS(米GⅠ)・ガヴァナーS(米GⅠ)・ギャラントフォックスH(米GⅡ)2回・ベルモントレキシントンH |
1969 |
Forage |
ウイリアムデュポンジュニアH(米GⅡ)・ディスカヴァリーH・スタイミーH(米GⅢ) |
1969 |
Meadow Mint |
カウフホフ大賞(独GⅢ) |
1969 |
Outdoors |
ハイアリアターフCH(米GⅡ)・ディスプレイH(米GⅢ) |
1970 |
Bag of Tunes |
ケンタッキーオークス(米GⅡ) |
1970 |
Okavango |
サンパスカルH(米GⅡ)・サルヴェイターマイルH(米GⅢ) |
1972 |
Landscaper |
センチュリーH(米GⅠ)・ロングフェローH(米GⅢ) |
1972 |
Snap Apple |
デルマーオークス(米GⅢ) |
1972 |
Yamanin |
ワイドナーH(米GⅠ)・クラークH(米GⅢ) |
1973 |
French Friend |
コンデ賞(仏GⅢ) |
1973 |
L'Heureux |
アーゴノートS(米GⅡ)・ローレンスリアライゼーションS(米GⅡ) |
1974 |
Coined Silver |
フロリダダービー(米GⅠ) |
1974 |
Fluorescent Light |
ディキシーH(米GⅡ)・サンルイオビスポH(米GⅡ)・マンハッタンH(米GⅡ)・ニッカボッカーH(米GⅢ)・サンガブリエルH(米GⅢ)・アーケイディアH(米GⅢ) |
1974 |
Harvest Girl |
アディロンダックS(米GⅢ) |
1974 |
Kulak |
ヴォランテH(米GⅢ) |
1974 |
Our Mims |
CCAオークス(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)・デラウェアH(米GⅠ)・ファンタジーS(米GⅡ) |
1974 |
Tiller |
サンアントニオH(米GⅠ)・サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・ボーリンググリーンH(米GⅡ)・タイダルH(米GⅡ)2回・エッジミアH(米GⅢ)・サンマルコスH(米GⅢ) |
1975 |
I Will Follow |
ミネルヴ賞(仏GⅢ) |
1975 |
Land of Eire |
ワイドナーH(米GⅠ) |
1975 |
Peat Moss |
ディスプレイH(米GⅢ) |
1976 |
Anifa |
ターフクラシックS(米GⅠ)・ミネルヴ賞(仏GⅢ)・グラディアトゥール賞(仏GⅢ) |
1976 |
Flitalong |
パンアメリカンS(米GⅡ)・ロングアイランドH(米GⅢ) |
1977 |
Field Cat |
パンアメリカンH(米GⅠ)・ディスプレイH(米GⅢ) |