パーシア

和名:パーシア

英名:Parthia

1956年生

鹿毛

父:パーシャンガルフ

母:ライトニング

母父:ハイペリオン

同期の名牝プティトエトワールには勝てなかったが英国と日本で種牡馬として活躍した英ダービー馬

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績12戦6勝2着2回3着1回

誕生からデビュー前まで

第4代準男爵ハンフリー・エドマンド・ド・トラフォード卿により生産・所有された英国産馬で、英国セシル・ボイド・ロックフォート調教師に預けられた。生産者・所有者・調教師の組み合わせは、本馬の1歳年上の叔父である名馬アルサイドと一緒である。

競走生活(2・3歳時)

本馬は成長が遅い馬で、デビュー戦は2歳10月にハーストパーク競馬場で行われたゲインズボローSとなったが、6着に敗退。同月にはデューハーストS(T7F)に出走してビラムの3着と好走したが、結局2歳時は2戦未勝利に終わった。

3歳時は、前年に叔父のアルサイドが直前で謎の負傷を受けたために出走できなかったことも影響したのか、陣営は当初から英ダービーを目標とした。まずは4月にハーストパーク競馬場で行われたホワイトローズS(T10F)に出走して、2着ジェロームに3馬身差をつけて初勝利を挙げた。翌月にチェスター競馬場で出たディーS(T10F10Y)でも、2着シャイニングオーブに首差で勝利した。さらにリングフィールドダービートライアルS(T12F)に出て、3着馬以下を8馬身以上引き離すカスクとの接戦を制して、3/4馬身差で勝利した。

そして目標の英ダービー(T12F)へと駒を進めた。主な対戦相手は、英1000ギニー・英セントレジャーを制した名牝ヘリンボーンの甥に当たる期待馬シャンタン、サラマンドル賞を同着で勝っていたオカール賞2着馬プリンシオン、チェスターヴァーズを勝ってきたフィダルゴ、7年前の英ダービーを勝ったタルヤーの半弟に当たるギシュ賞の勝ち馬でジャンプラ賞2着のセントクレスピン、仏2000ギニー馬タイム、ニューマーケットS2着馬アバヴサスピション、ボワ賞の勝ち馬でミドルパークS・仏ダービー2着のダンキューピッド(シーバードの父)、トーマブリョン賞・アルクール賞の勝ち馬リージェント、クリテリウムドサンクルー2着馬アムールーなどだった。前哨戦を3連勝してきた本馬だったが、その内容は取り立てて印象的なものではなかったため、単勝オッズ11倍で3番人気の評価だった。

スタートが切られると、最低人気馬ルソーズドリームが先頭に立ち、セントクレスピンやフィダルゴなどがそれを追って先行集団を形成。W・ハリー・カー騎手が騎乗する本馬も先行集団の中につけた。1番人気に推されていたシャンタンは、騎乗していたF・パーマー騎手が馬群に包まれる事を懸念したために、後方からの競馬を選択していた。そのままの態勢で直線を向くと、フィダルゴが一気に抜け出して残り3ハロン地点で先頭に立った。そしてその直後にいた本馬も馬群を飛び出してきて、フィダルゴを追撃。残り1ハロン半地点でフィダルゴに並びかけた。フィダルゴの鞍上はカー騎手の娘の夫ジョー・マーサー騎手であり、義父と義息の一騎打ちとなった。そして残り半ハロン地点で前に出た本馬が、2着フィダルゴに1馬身半差、3着シャンタンにもさらに1馬身半差をつけて優勝した。余談だが、ここで英ダービーを獲り損なったマーサー騎手は、英国クラシック競走の他4つは最終的に全て勝ったが、英ダービーだけは運に見放され続けて最後まで勝てなかった。

英ダービーで頂点に立った本馬だが、その後は喉の感染症に罹って咳が止まらなくなったため、しばらくレースに出なかった。そして秋はぶっつけ本番で英セントレジャー(T14F132Y)に参戦した。対戦相手は、英ダービー2着後に出走した愛ダービーを4馬身差で完勝していたフィダルゴ、クレイヴンS・キングエドワードⅦ世S・グレートヴォルティジュールSの勝ち馬ピンダリ、ロイヤルロッジS・チェシャーオークス・リブルスデールSの勝ち馬で、英オークスでプティトエトワールの2着だったカンテロなどだった。本馬は単勝オッズ1.62倍の1番人気に支持されたものの、レース中に負傷してしまい、カンテロの5馬身1/4差4着に敗退した。余談だが、この英セントレジャーで2着だったフィダルゴは、競走馬引退後しばらくして日本に種牡馬として輸入され、菊花賞馬コクサイプリンスや重賞4勝のキクノオーなどを出して活躍する事になる。コクサイプリンスやキクノオーは、本馬の代表産駒フジノパーシアと何度も対戦して勝ったり負けたりしており、競走馬としても好敵手だった本馬とフィダルゴは種牡馬としても好敵手となった。本馬はこの英セントレジャーが3歳時最後のレースで、この年の成績は5戦4勝となった。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月にニューマーケット競馬場で行われたジョッキークラブC(T12F)から始動した。ここでは単勝オッズ1.91倍の1番人気に応えて、ジョッキークラブSの勝ち馬コートプリンスを4馬身差の2着に、一昨年のグレートヴォルティジュールSで本馬の叔父アルサイドの12馬身差2着だったアークティシーラフをさらに15馬身差の3着に葬り去って圧勝した。翌月にハーストパーク競馬場で出走したパラダイスS(T14F66Y)では、19ポンドのハンデを与えた2着ローマンエンパイアに4馬身差をつけて完勝した。

次走のコロネーションC(T12F)では、同世代の最強牝馬プティトエトワールとの対戦となった。プティトエトワールは、前年に英1000ギニー・英オークス・サセックスS・ヨークシャーオークス・英チャンピオンSなど6戦全勝の成績を残し、英タイムフォーム社のレーティングにおいて132ポンドの本馬を上回る134ポンドの評価を獲得していた。そのために本馬が世代最強の地位を手に入れるためには、ここで勝たなければならなかった。しかし結果はプティトエトワールが勝利を収め、1馬身半差の2着に敗れた本馬は世代最強の座を奪取する事は出来なかった。

本馬は続いてハードウィックS(T12F)に出走したが、6ポンドのハンデを与えたコロネーションS・カンバーランドロッジS・ジョンポーターSの勝ち馬アグレッサーの1馬身半差2着に敗退。さらに次走のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(T12F)では、勝ったアグレッサーから10馬身以上の差をつけられた7着と完敗。このレースを最後に4歳時5戦2勝の成績で競走馬を引退した。なお、プティトエトワールはこのレースで半馬身差の2着であり、本馬は結局プティトエトワールの評価を上回ることは出来なかった。

血統

Persian Gulf Bahram Blandford Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
Friar's Daughter Friar Marcus Cicero
Prim Nun
Garron Lass Roseland
Concertina
Double Life Bachelor's Double Tredennis Kendal
St. Marguerite
Lady Bawn Le Noir
Milady
Saint Joan Willbrook Grebe
Nora Gough
Flo Desmond Desmond
Flighty Flo
Lightning Hyperion Gainsborough Bayardo Bay Ronald
Galicia
Rosedrop St. Frusquin
Rosaline
Selene Chaucer St. Simon
Canterbury Pilgrim
Serenissima Minoru
Gondolette
Chenille King Salmon Salmon-Trout The Tetrarch
Salamandra
Malva Charles O'Malley
Wild Arum
Sweet Aloe Cameronian Pharos
Una Cameron
Aloe Son-in-Law
Alope

パーシャンガルフは当馬の項を参照。

母ライトニングは現役成績3戦1勝。本馬以外に目立つ競走成績を残した産駒はいないが、本馬の半弟モニター(父ワードン)は9戦1勝の成績ながらも新国で種牡馬入りして、後に日本で種牡馬入りしている(ただし成功は出来なかった)。また、本馬の半妹エレクトリックフラッシュ(父クレペロ)の孫には、フレイムオブタラ【コロネーションS(英GⅡ)・プリティポリーS(愛GⅡ)】、エレクトリックソサエティ【ニューヨークH(米GⅡ)・ダイアナH(米GⅡ)】、ボブザオ【ハードウィックS(英GⅡ)】が、曾孫にはサルサビル【英1000ギニー(英GⅠ)・英オークス(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・マルセルブサック賞(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)】、マルジュ【セントジェームズパレスS(英GⅠ)】、ノーザンスパー【BCターフ(米GⅠ)・オークツリー招待H(米GⅠ)】、セカンドエンパイア【仏グランクリテリウム(仏GⅠ)】などがおり、牝系を伸ばしている。

ライトニングの半弟には、本文中でも触れた名馬アルサイド(父アリシドン)【英セントレジャー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・ホーリスヒルS・リングフィールドダービートライアルS・チェスターヴァーズ・グレートヴォルティジュールS】がいる。また、ライトニングの半妹パラディシア(父オリオール)は日本に繁殖牝馬として輸入され、持ち込み馬のメジロサンマン【目黒記念秋】を産んだ。メジロサンマンからは、京都新聞杯の勝ち馬メジロイーグル、宝塚記念・有馬記念の勝ち馬メジロパーマーへと血が受け継がれた。→牝系:F2号族②

母父ハイペリオンは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国で種牡馬入りした。1968年に日本に輸入され、翌1969年から日本で種牡馬生活を開始した。この1969年に欧州に残してきた産駒の1頭スリーピングパートナーが英オークスを勝利した。また、本馬に先んじて日本に競走馬として輸入されていたシュンサクオーやシャンデリーも重賞を勝つ活躍を見せたため、早い段階から注目されていた。そして日本における2年目産駒から天皇賞秋などを勝ったフジノパーシア、東京大賞典などを勝ったスピードパーシアが出たため、毎年安定した数の繁殖牝馬を集める人気種牡馬となった。日本における供用初年度は72頭、2年目は73頭、3年目は69頭、4年目は58頭、5年目は51頭、6年目も51頭、7年目は52頭、8年目は51頭、9年目は50頭、10年目も50頭、11年目も50頭、12年目は42頭、13年目の1981年は34頭の交配数だった。1982年に26歳で他界した。全日本種牡馬ランキングでは、フジノパーシアが優駿賞最優秀五歳以上牡馬に選ばれ、スピードパーシアが東京大賞典を勝利した1975年の5位が最高だった。基本的にダート向きの種牡馬だったようで、芝の重賞を勝った馬であってもダートを得意としていた。後継種牡馬には恵まれなかったが、本馬の血が母系に入った馬は現在でもしばしば見かける。例えば重賞を10勝した名牝メイショウバトラーの曾祖母の父は本馬である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1963

Parthian Glance

ヨークシャーオークス・リブルスデールS・パークヒルS

1964

Resilience

チャイルドS

1964

Sloop

クレイヴンS

1966

Sentier

ホーリスヒルS

1966

Sleeping Partner

英オークス・リブルスデールS

1966

シャンデリー

オークストライアル四歳牝馬特別

1966

シュンサクオー

大阪杯・高松宮杯

1969

Parsimony

ジュライC(英GⅠ)・コーク&オラリーS(英GⅢ)

1971

シャンタン

キヨフジ記念(川崎)

1971

スピードパーシア

全日本三歳優駿(川崎)・東京大賞典(大井)・平和賞(船橋)・黒潮盃(大井)・戸塚記念(川崎)

1971

フジノパーシア

天皇賞秋・宝塚記念・東京新聞杯・ダイヤモンドS・高松宮杯

1972

カバリダナー

京都牝馬特別

1972

グレートセイカン

札幌記念・オールカマー・ダービー卿チャレンジトロフィー

1973

アスキットパーシヤ

報知グランプリC(船橋)

1973

トップサブロー

カンナ賞(金沢)

1973

プラスワン

川崎記念(川崎)・東京王冠賞(大井)

1975

ハヤシゲルオー

葵特別(紀三井寺)

1977

シゲノパーシヤ

はまゆう特別(紀三井寺)

1978

コマツミサキ

プリンセス特別(笠松)

1979

ウルフパーシア

開設記念(高崎)

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