クリスエヴァート

和名:クリスエヴァート

英名:Chris Evert

1971年生

栗毛

父:スウォーンズサン

母:ミスカーミー

母父:ティーヴィーラーク

その名の由来となった歴史的名テニス選手が頭角を現すのと同時に大活躍して、繁殖牝馬としても世界的な名門牝系を構築したニューヨーク牝馬三冠馬

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績15戦10勝2着2回3着2回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州エコーヴァレーファームの生産馬で、1歳時のキーンランドセールにおいてカール・ローゼン氏という人物により3万2千ドルで購入された。ピューリタンファッションズ社という衣類会社を経営していたローゼン氏は、同社が製造するスポーツウェアを使用していた、当時デビュー間もない若手テニス選手だったクリス・エヴァート(本名クリスティン・マリー・エヴァート)選手にちなんで本馬を命名した。安値で購入された本馬だったが、ローゼン氏が非常に期待を寄せていたエヴァート選手の名を貰ったというからには、本馬に対する期待も決して低いものではなかったはずである。ジョセフ・A・トロヴァート調教師に預けられた。

競走生活(3歳前半まで)

2歳9月にベルモントパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦で、ラフィット・ピンカイ・ジュニア騎手を鞍上にデビューして、2着モードマラーに1馬身3/4差で勝利した。翌月に同コースで行われた一般競走も、2着フラッシングレディに3馬身1/4差で快勝した。しかしそれから僅か4日後に出走したフリゼットS(GⅠ・D8F)は、バンドラーの半馬身差2着に惜敗した。しかし11月のゴールデンロッドS(GⅢ・D7F)では、バンドラーを1馬身1/4差の2着に破って雪辱を果たした。続くデモワゼルS(GⅢ・D8F)も2着アンバーアレロに1馬身1/4差で勝利を収め、2歳時を5戦4勝で終えた。

3歳時は5月のカムリーS(GⅢ・D7F)から始動した。主戦となるジョン・ヴェラスケス騎手と初コンビを組んだが、ここではプライオレスSを勝ってきたクリアコピー、シャイドーン(BCマイル馬オープニングヴァーズの母)の2頭に屈して、クリアコピーの4馬身半差3着に敗れた。

その10日後に行われた分割競走エイコーンS(GⅠ・D8F)では、クリアコピーに加えて、スピナウェイS・メイトロンS・スカイラヴィルS・アディロンダックSを勝って前年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬に選ばれたトーキングピクチャーという強敵が登場した。しかし本馬が2着クリアコピーに3/4馬身差で勝利した。

その3週間後に出走したマザーグースS(GⅠ・D9F)では、ケンタッキーオークス馬クワジクイルト、デビュー戦で本馬に敗れた後にアッシュランドSを勝っていたモードマラーなどが挑んできた。レースは本馬にとって初めて経験する不良馬場となったが、それを克服して、2着モードマラーに半馬身差で勝利した。なお、このマザーグースSの直後に開幕したテニスの全仏オープンにおいて、本馬の名の由来となったエヴァート選手が女子シングルスと女子ダブルスを制覇してテニスの4大大会初優勝を果たしている。

一方の本馬もエヴァート選手に負けじとばかりに、マザーグースSの3週間後に出走したCCAオークス(GⅠ・D12F)で、2着フィースタリブレに3馬身半差をつけて完勝し、1969年のシュヴィー以来5年ぶり史上3頭目のニューヨーク牝馬三冠馬に輝いた。すると今度はエヴァート選手が本馬に負けじとばかりに、このCCAオークスの直後に開幕したウィンブルドン選手権において初優勝を果たし、競馬界とテニス界共にクリス・エヴァート旋風が吹き荒れる事となった。本馬がエヴァート選手を意識して活躍したわけはないのだが、エヴァート選手は本馬の活躍を意識していた可能性は十分にあるだろう。なお、エヴァート選手は最終的には、女子シングルスにおいては全仏オープンで史上1位の7勝、全米オープンで6勝、ウィンブルドン選手権で3勝、全豪オープンで2勝、女子ダブルスにおいても全仏オープンで2勝、ウィンブルドン選手権で1勝を挙げて史上有数の名テニス選手として君臨するに至った。

競走生活(3歳後半以降)

さて、本馬が米国東海岸で勝ち星を重ねているのと同じ時期に、米国西海岸ではミスマスケットという牝馬がサンタイサベルS・サンタスサナS・ファンタジーS・ハリウッドオークスを勝つなど優秀な成績を残していた。ミスマスケットの馬主アーロン・ジョーンズ氏は、本馬の馬主ローゼン氏に対して、お互いが10万ドルずつ出し合い、勝ち馬の馬主が全ての賞金を得るという内容のマッチレースを持ちかけた。ローゼン氏はこの申し出を了承し、これに便乗したハリウッドパーク競馬場がさらに15万ドルを拠出して、CCAオークスの4週間後である7月20日にハリウッドパーク競馬場で2頭のマッチレースが行われることになった。合計賞金35万ドルは当時米国で行われていたあらゆるレースの賞金よりも高かった。ハリウッドスペシャルS(D10F)と題されたマッチレースだったが、レースでは完全に一方的な展開となり、本馬がミスマスケットに50馬身差をつけて勝ち、実力の違いを見せつけた。

米国東海岸に戻った本馬はアラバマS(GⅠ・D10F)に出走したが、遠征の疲れが出たのか、マザーグースS3着後にテストSを勝っていたクワジクイルトに首差敗れて2着だった。次走は牡馬相手のトラヴァーズS(GⅠ・D10F)となった。ここでは、プリークネスS・ベルモントS・エヴァーグレイズSの勝ち馬でモンマス招待H2着のリトルカレント、シャンペンS・モンマス招待Hの勝ち馬ホールディングパターンの2頭に屈して、ホールディングパターンの4馬身半差3着に敗れた。しかしトラヴァーズSで牝馬が入着したのは、1950年にベッドオローゼズが2着して以来24年ぶりの事であり、本馬以降には2015年現在に至るまで1例もない。

その後はしばらく休養し、大晦日に行われたコナイヴァーS(D6F)に出走。2着スーパースティシャスに半馬身差で勝利して、3歳シーズンを締めくくった。3歳時の成績は8戦5勝で、この年のエクリプス賞最優秀3歳牝馬のタイトルを受賞した。また、ハリウッドスペシャルSの賞金が物を言って、この年の米国競馬界における最多獲得賞金馬にもなった(2位のフォアゴーより5977ドル多い55万1063ドルを獲得)。

翌4歳時は再び西海岸に赴き、2月にサンタアニタパーク競馬場で行われた新設競走ラカナダS(D8.5F)に出走。128ポンドの斤量を克服して、2着マーシーディーに鼻差で勝利した。次走のサンタマルガリータH(GⅠ・D9F)では、ケンタッキーオークス・エイコーンS・ガゼルH・ベルデイムS・サンタマリアH・サンタマルガリータ招待H・サンタバーバラH・デラウェアH・スピンスターSなどを勝っていた2歳年上の名牝スーザンズガールと最初で最後の対戦となった。他にも、前年のサンタマルガリータ招待H・サンタモニカH・ラモナを勝っていたチリ出身馬ティズナ、サンタマリアHを勝ってきたゲイスタイルといった年上の強豪馬達の姿もあった。本馬は前走より1ポンド軽い127ポンドだったが、それでも123ポンドのスーザンズガールより4ポンド重かった。この斤量が堪えたのか、レースでは勝ったティズナから7馬身1/4差、2着スーザンズガールからも5馬身3/4差をつけられた8着と、生涯唯一の着外を喫してしまった。このレースを最後に、4歳時2戦1勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Swoon's Son The Doge Bull Dog Teddy Ajax
Rondeau
Plucky Liege Spearmint
Concertina
My Auntie Busy American North Star
Breathing Spell
Babe K. Leonardo
Cri de Coeur
Swoon Sweep Like Sweep Ben Brush
Pink Domino
Lady Braxted Braxted
Frummenty
Sadie Greenock Greenock The Porter
Starella
Silk Lady Ormondale
Silk Maid
Miss Carmie T. V. Lark Indian Hemp Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Sabzy Stardust
Sarita
Miss Larksfly Heelfly Royal Ford
Canfli
Larksnest Bull Dog
Light Lark
Twice Over Ponder Pensive Hyperion
Penicuik
Miss Rushin Blenheim
Lady Erne
Twosy Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Two Bob The Porter
Blessings

スウォーンズサンは当馬の項を参照。

母ミスカーミーは現役成績11戦3勝で、クリップセッタSの勝ち馬。本馬以外にはこれといった競走成績を残した産駒はいないのだが、その子孫は世界的な名牝系を形成。本馬の半妹カルメライズ(父コーニッシュプリンス)の孫にはロイヤルドラゴン【独2000ギニー(独GⅡ)・ベルリンブランデンブルクトロフィー(独GⅡ)・オッペンハイムマイレ(独GⅡ)】、曾孫には日本で走ったディープスカイ【東京優駿(GⅠ)・NHKマイルC(GⅠ)・神戸新聞杯(GⅡ)・毎日杯(GⅢ)】が、半妹オールレインボーズ(父ボールドアワー)の子にはウイニングカラーズ【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・サンタアニタオークス(米GⅠ)・サンタアニタダービー(米GⅠ)】、孫には日本で走ったタップダンスシチー【ジャパンC(GⅠ)・宝塚記念(GⅠ)・金鯱賞(GⅡ)3回・京都大賞典(GⅡ)・朝日チャレンジC(GⅢ)】が、半妹バーバラシューアジン(父ドロールロール)の子にはパリスト【イリノイダービー(米GⅢ)】が、半妹ソーシャルコラム(父ヴェイグリーノーブル)の子にはツータイミング【プリンスオブウェールズS(英GⅡ)】が、半妹チャーミーカーミー(父リファール)の子には日本で走ったエイシンナポレオン【サマーC(SPⅡ)】が、半妹アンスチュアート(父リファール)の子にはベイトン【キングエドワードⅦ世S(英GⅡ)】、曾孫にはエクセレントアート【セントジェームズパレスS(英GⅠ)】が、半妹ミスドザウェディング(父ブラッシンググルーム)の子にはミスドザストーム【テストS(米GⅠ)・アスタリタS(米GⅡ)】、グリーンミーンズゴー【レキシントンS(米GⅢ)・ヒルプリンスS(米GⅢ)】が、半妹ウィスパーフーデアズ(父グリーンダンサー)の子にはコンフェッショナル【フリゼットS(米GⅠ)・ロイヤルノースH(加GⅢ)2回】などがいる。

ミスカーミーの半妹ファミリーフェイム(父ドロールロール)の子にはクラシックフェイム【愛ナショナルS(愛GⅠ)・ベレスフォードS(愛GⅡ)・アメリカンH(米GⅡ)・サンガブリエルH(米GⅢ)・サンマルコスH(米GⅢ)】がいる。ミスカーミーの曾祖母トゥーボブはケンタッキーオークス馬で、名牝トゥーリーの母でもある。この近親にもセイウンスカイやユートピアなど活躍馬が複数いるが、その詳細はトゥーリーの項を参照してほしい。→牝系:F23号族②

母父ティーヴィーラークは現役成績72戦19勝。アーリントンクラシックS・アメリカンダービー・ユナイテッドネーションズH・ワシントンDC国際S・アーゴノートS・ワシントンパークH・ロサンゼルスH・ホーソーン金杯H・ニッカボッカーHなどに勝っており、ワシントンDC国際Sでケルソを2着に破った1961年には米最優秀芝馬に選ばれている。種牡馬としても成功した部類に入っており、1974年の北米首位種牡馬を獲得している。ティーヴィーラークの父インディアンヘンプはナスルーラ産駒の英国産馬で、競走馬としては英米で走り40戦7勝。タタソールセールS・ウィンザーキャッスルS・イエルバブエナHを勝っている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ローゼン氏が馬産を行う上における基礎繁殖牝馬となるべく、米国ケンタッキー州スリーチムニーズファームで繁殖入りした。初子は5歳時に産んだセクレタリアト牝駒で、米国三冠馬セクレタリアトとニューヨーク牝馬三冠馬である本馬の間に産まれた馬であるから「六冠」の意味を持つシックスクラウンズと命名された。シックスクラウンズは現役成績15戦5勝で、メドウクイーンSを勝っている。2番子は7歳時に産んだ牝駒トーナメントスター(父ニジンスキー)で、18戦3勝の成績だった。3番子は8歳時に産んだ牝駒ウィンブルドンスター(父ホイストザフラッグ)で、トレヴォースS勝ちなど12戦3勝の成績だった。4番子は9歳時に産んだ牝駒ニジンスキースター(父ニジンスキー)で、不出走だった。5番子は10歳時に産んだ牝駒センターコートスター(父セクレタリアト)で、5戦未勝利だった。ここまでは順調に産駒を送り出してきた本馬だが、この後は不受胎や死産が相次ぎ、センターコートスターの後は子を産むことは無かった。生涯で産んだ産駒は5頭であり、全て牝馬だった。母の名前にちなんでテニスに関係した名を付けられた産駒が多い。

後世に与えた影響

産駒5頭のうち2頭がステークスウイナーになっているとは言え、本馬の直子の競走成績は決して期待どおりだったわけではない。しかし本馬の孫世代以降からは活躍馬が続出。5頭の牝駒全てがステークスウイナーの母又は祖母となり、後継繁殖牝馬として牝系を伸ばしているのである。特に本馬の牝系発展に貢献したのがシックスクラウンズ、ニジンスキースターの2頭である。

シックスクラウンズの子には名種牡馬チーフズクラウン【トラヴァーズS(米GⅠ)・BCジュヴェナイル(米GⅠ)・ホープフルS(米GⅠ)・カウディンS(米GⅠ)・ノーフォークS(米GⅠ)・ブルーグラスS(米GⅠ)・マールボロC招待H(米GⅠ)・サラトガスペシャルS(米GⅡ)】、クラシッククラウン【フリゼットS(米GⅠ)・ガゼルH(米GⅠ)】が、孫には日本で走ったシルクフェニックス【エンプレス杯(GⅡ)2回】が、曾孫にはバーボンカリッジ【スーパーダービー(米GⅡ)】がいる。クラシッククラウンの孫にはリーチザクラウン【マイラーズC(GⅡ)・きさらぎ賞(GⅢ)・2着東京優駿(GⅠ)】、エーシンエフダンズ【東海桜花賞(SPⅠ)】、エーシンジーライン【小倉大賞典(GⅢ)】がいる。

ニジンスキースターは直子の活躍馬こそリバッサー【タイダルH(米GⅡ)】程度だったが、孫世代には、テーツクリーク【ゲイムリーS(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)・ダイアナH(米GⅡ)・ラスパルマスH(米GⅡ)・サンゴルゴーニオH(米GⅡ)・ジェニーワイリーS(米GⅢ)・ノーブルダムゼルH(米GⅢ)】、サイトシーク【ベルデイムS(米GⅠ)2回・ヒューマナディスタフH(米GⅠ)・オグデンフィップスH(米GⅠ)2回・ゴーフォーワンドH(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)・トップフライトH(米GⅡ)・ランパートH(米GⅡ)・レイヴンランS(米GⅢ)】、エトワールモンタント【フォレ賞(仏GⅠ)・パロマーBCH(米GⅡ)・ラスシエネガスH(米GⅢ)】などが、曾孫世代にはポラーズヴィジョン【イリノイダービー(米GⅡ)・レナードリチャーズS(米GⅢ)・ローンスターダービー(米GⅢ)・ナショナルジョッキークラブH(米GⅢ)】、スペシャルデューティ【英1000ギニー(英GⅠ)・仏1000ギニー(仏GⅠ)・チェヴァリーパークS(英GⅠ)・ロベールパパン賞(仏GⅡ)】、グラスウィージャン【フォンテーヌブロー賞(仏GⅢ)】、スターフォーマー【ニューヨークS(米GⅡ)・ロバートGディック記念S(米GⅢ)・ロングアイランドH(米GⅢ)・ザベリワンS(米GⅢ)】、日本で走ったライジングウェーブ【大井記念(SⅡ)】などが出ている。

ウィンブルドンスターも曾孫にドミニカン【ブルーグラスS(米GⅠ)】を出すなどしており、本馬の牝系子孫は世界的な繁栄を見せている。本馬は1988年に米国競馬の殿堂入りを果たした。1990年に繁殖牝馬を正式に引退した後もスリーチムニーズファームで余生を送った。2001年1月に老衰のため30歳で他界、遺体はスリーチムニーズファームに埋葬された。

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