アリシーバ

和名:アリシーバ

英名:Alysheba

1984年生

鹿毛

父:アリダー

母:ベルシーバ

母父:ルーテナントスティーヴンス

当初は善戦馬だったが卓越した闘争心を身につけてケンタッキーダービー・プリークネスS・BCクラシックを制覇した1980年代米国有数の名馬

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績26戦11勝2着8回3着2回

誕生からデビュー前まで

19世紀末から20世紀初頭における米国の名馬主ジョン・E・マッデン氏が米国ケンタッキー州レキシントンに開設した由緒正しい名門牧場ハンブルグプレイスファームにおいて、プレストン・W・マッデン氏により生産された。1歳時のセリにおいてドロシーシャーバウアー女史とパム・シャーバウアー女史の両名により50万ドルで購入され、米国ジャック・ヴァン・バーグ調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳7月にハリウッドパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦でデビューしたが、フリーティングジェットの4馬身3/4差5着に敗退。アーリントンパーク競馬場に場所を移して8月に出走したダート8ハロンの未勝利戦では、後のアーリントンクラシックS2着馬ジェムマスターの頭差2着だった。9月にケンタッキー州ターフウェイパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの未勝利戦を8馬身差で圧勝して未勝利を脱出した。それから2週間後には創設1年目のインメモリアムS(D8F・現ケンタッキーカップジュヴェナイルS)に出たが、レインボーイーストの半馬身差2着に惜敗。ブリーダーズフューチュリティ(GⅡ・D8.5F)でも、オロノの3/4馬身差2着と勝ち切れなかった。

次走はサンタアニタパーク競馬場で行われたBCジュヴェナイル(GⅠ・D8.5F)となった。ノーフォークSを勝ってきたカポウティ、ホープフルS・ベルモントフューチュリティS・サラトガスペシャルSなどの勝ち馬ガルチ、ベルモントフューチュリティS・シャンペンSで連続2着してきたデモンズビーゴーン、カウディンS・シャンペンSを連勝してきたポリッシュネイビー、アーリントンワシントンフューチュリティ・ローレルフューチュリティ・サプリングSの勝ち馬ベットトゥワイス、デルマーフューチュリティ勝ち馬クオリファイなど、GⅠ競走路線で実績を挙げていた馬達が顔を揃えていた。その中にあって、ステークス競走勝ちも無い1勝馬とあっては人気になるはずもなく、本馬は単勝オッズ34.4倍で9番人気の低評価だった。しかしテン乗りのウィリアム・シューメーカー騎手を鞍上に、道中は最後方でレースを進めると、直線一気の末脚を披露。逃げ切った単勝オッズ3.4倍の1番人気馬カポウティと2着クオリファイには届かなかったが、カポウティから2馬身半差の3着に入り、能力の一端を垣間見せた(ちなみに本馬から2馬身1/4差の4着が、後に本馬の好敵手となるベットトゥワイスだった)。

次走のハリウッドフューチュリティ(GⅠ・D8F)では、BCジュヴェナイルフィリーズ・デルマーデビュータントSなど5連勝で臨んできた、この年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬に選ばれるブレーヴラジとの顔合わせとなった。レースでは5着に沈むブレーヴラジ(そのまま現役引退)を尻目に、本馬とバルボアS勝ち馬テンパレートシルの2頭が接戦を演じ、2頭がほぼ同時にゴールインした。しかし写真判定の結果はテンパレートシルが勝ち、本馬は首差2着に惜敗していた。2歳時は結局7戦して1勝を挙げるに留まった。

競走生活(3歳初期)

3歳になった本馬は、喉頭蓋エントラップメント(喉頭蓋包埋)を発症。これは嚥下時に食物が食道に向かうように気管を塞ぐ働きがある喉頭蓋を、その基部にある披裂ヒダが覆うために喘鳴症状が出る病気である。これ自体は外科的治療で完治し予後も良好であるため、本馬も手術で治癒したが、ケンタッキーダービーを目指す調整に狂いが生じるのは避けられなかった。

3歳時は3月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走から始動。1番人気に支持されたが、バーブズレリックの5馬身差4着に敗れた。2週間後のサンフェリペS(GⅠ・D8.5F)では、3着テンパレートシルには先着したが、サンラファエルS2着馬チャートザスターズに屈して、3/4馬身差の2着とまたしても惜敗。

次走のブルーグラスS(GⅠ・D9F)では、レキシントンSを勝ってきたウォー、フラミンゴS3着馬レオキャステリとの頭差、頭差の大接戦を制してトップゴールを果たした。これでようやく2勝目を挙げたと思われたのも束の間、3位入線だったレオキャステリの進路を妨害したとして3着に降着となってしまい、2位入線だったウォーが繰り上がって勝利を拾った。しかしこのレースで本馬に初騎乗したクリス・マッキャロン騎手は以降本馬の主戦として全てのレースで騎乗する事になる。

競走生活(米国三冠競走)

そして迎えたケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では、ウォー、レオキャステリに加えて、BCジュヴェナイルでは6着だったが3歳時はサウスウエストS・レベルS・アーカンソーダービーと3戦全勝だったデモンズビーゴーン、BCジュヴェナイルでは5着だったが3歳時にベイショアS・ウッドメモリアル招待Sを勝っていたガルチ、ハリウッドフューチュリティ3着後にエルカミノリアルダービー・サンラファエルSを勝ちサンタアニタダービーでテンパレートシルの2着していたマスターフルアドヴォケイト、3歳時は2戦していずれも着外だった前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬カポウティ、ダービートライアルSを勝ってきたオンザライン、フロリダダービー・エヴァーグレイズSの勝ち馬でフラミンゴS2着のクリプトクリアランス、ファウンテンオブユースSを勝っていたベットトゥワイスなどが対戦相手となった。デモンズビーゴーンが1番人気に支持され、ガルチとレオキャステリのカップリングが2番人気、マスターフルアドヴォケイトが3番人気で、不調のカポウティはウォー、オンザラインとのカップリングでようやく4番人気だった。本馬は6番人気だったが、それでも単勝オッズは9.4倍であり、かなりの混戦模様だった。

本馬はスタートから馬群の後方につけてインコースをロス無く追走。三角から四角にかけて抜群の手応えで外側を上がっていった。そして先に抜け出していたベットトゥワイスに続く2番手で直線を向いた。しかしベットトゥワイスに並びかけようとした時、ベットトゥワイスが外側によれたため、それに接触した本馬はバランスを崩した。その後も左右にふらつくベットトゥワイスに進路を塞がれる場面があったが、ようやくベットトゥワイスに外側から並びかけると叩き合いを3/4馬身差で制して優勝し、2勝目をこの大一番で挙げた。現役時代に米国三冠競走勝利に縁が無かった本馬の父アリダーにとっては、父として初の米国三冠競走制覇となった。もっとも良馬場にも関わらず勝ちタイムが2分03秒4と遅かったため、この段階で本馬が同世代最強の地位を確立させたわけではなかった。

次走のプリークネスS(GⅠ・D9.5F)では、ケンタッキーダービーで人気を背負って大敗した馬達の多くが回避した。そのため本馬が単勝オッズ3倍で1番人気の評価を受け、続いて前走4着のクリプトクリアランス、同6着のガルチ、ベットトゥワイスの順で支持を集めた。レースでは馬群の中団好位につけ、三角から四角にかけて外から上がっていった。そして先に抜け出したベットトゥワイスに続く2番手で直線を向くという、前走と似たような展開となった。ベットトゥワイスは今回斜行せずに直線で粘ったが、本馬が外側から一完歩ずつ追い詰めて並びかけ、最後は半馬身かわして勝利した。

次走のベルモントS(GⅠ・D12F)では、1978年のアファームド以来史上12頭目の米国三冠がかかった本馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持され、前走3着のクリプトクリアランスが2番人気、ゴーサムS・ウィザーズS勝ち馬でウッドメモリアル招待S2着のゴーンウエストが3番人気、プリークネスS4着後に古馬相手のメトロポリタンHを勝っていたガルチが4番人気で、ベットトゥワイスは単勝オッズ9倍の5番人気止まりだった。しかし本馬の父アリダー以来史上2頭目となる米国三冠競走全て2着という屈辱を味わいたくないベットトゥワイス陣営は、渾身の仕上げでベットトゥワイスを送り出していた。レースではベットトゥワイスは道中3番手、本馬はそれを見る形で4番手を追走した。三角でベットトゥワイスが一気に先頭を奪うと、本馬もそれを追って2番手まで上がったが、いつもの伸びは影を潜めていた。一方のベットトゥワイスはそのまま直線を独走して14馬身差の圧勝。本馬はゴール前でクリプトクリアランスとガルチに僅かに差されて4着に終わった。

正確な敗因は勿論不明だが、本馬が使用していたラシックスがニューヨーク州で禁止されていた事が影響しているかもしれない(本馬はラシックス不使用のレースでは通算で9戦1勝だった)。それでも本馬とベットトゥワイスの米国三冠競走における対決は、2年後のサンデーサイレンスイージーゴアの死闘と比べると知名度こそ低いものの、名勝負数え歌に挙げられて不思議ではないものである。

競走生活(3歳後半)

2か月後のハスケル招待H(GⅠ・D9F)では早くもベットトゥワイスとの再戦となり、さらに米国三冠競走不参戦ながらアーリントンクラシックS・オハイオダービー・イリノイダービー・セントポールダービーなど7連勝中のロストコードも出走してきて、3強対決となった。レースでもこの3頭による直線勝負となったが、ベットトゥワイスが1分47秒0のレースレコードタイで勝ち、本馬は首差遅れて2着に敗れた(上位2頭から2ポンドのハンデを貰っていたロストコードは本馬からさらに首差の3着だった)。

次走のトラヴァーズS(GⅠ・D10F)でもベットトゥワイスとの対戦となり、さらにはベルモントSで2着だったクリプトクリアランス、同3着だったガルチ、BCジュヴェナイルで7着だったジムダンディS勝ち馬ポリッシュネイビーなども参戦してきた。しかし勝ったのは本馬とは初顔合わせとなるレムセンS・ホイットニーH勝ち馬ジャワゴールドだった。クリプトクリアランスが2馬身差の2着、ポリッシュネイビーがさらに6馬身3/4差の3着で、ガルチはさらに1馬身1/4差の4着、ベットトゥワイスはさらに2馬身差の5着。そして本馬は不良馬場が災いしたのか疲労の蓄積なのか例によってラシックスが使用できなかったためなのかは不明だが、ベットトゥワイスからさらに8馬身差、ジャワゴールドからは20馬身差の6着と惨敗した。

しかし続くスーパーダービー(GⅠ・D10F)では、スワップスSで2着していたシルヴァースクリーンH勝ち馬キャンディズゴールドを半馬身差の2着に抑えて勝利を掴んだ。

そしてハリウッドパーク競馬場で行われたBCクラシック(GⅠ・D10F)に向かった。対戦相手は、ハリウッド金杯・グッドウッドHなど3連勝で臨んできた前年のケンタッキーダービー馬ファーディナンド、前年のBCクラシック優勝馬でサンタアニタダービー・マーヴィンルロイH・ロングエイカーズマイルHなども勝っていたスカイウォーカー、ジェロームH・ペンシルヴァニアダービーを勝ってきた加国調教馬アフリート、フェイエットSを勝ってきたグッドコマンド、カリフォルニアンS・サンバーナーディノH・ベルエアH・ロングエイカーズマイルHの勝ち馬ジャッジアンジェルーチ、ペガサスHでGⅠ競走2勝目を挙げてきたクリプトクリアランス、ウッドワードSで2着していたガルチ、キャンディズゴールド、チャールズHストラブS・ホーソーン金杯Hなどの勝ち馬ノスタルジアズスター、前年のケンタッキーダービーで2着していた英国調教馬ボールドアレンジメントなど11頭だった。

本馬とファーディナンドの対戦は、1979年のジョッキークラブ金杯でアファームドとスペクタキュラービッドが対戦して以来となるケンタッキーダービー馬の直接対決となった。ファーディナンドが単勝オッズ2倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ4.6倍の2番人気、2連覇を目指すスカイウォーカーが単勝オッズ9.3倍の3番人気、アフリートが単勝オッズ10.6倍の4番人気となり、本馬とファーディナンドの2強ムード的な雰囲気が強かった。2頭とも後方からの末脚を持ち味とする馬であり、キャンディズゴールドとジャッジアンジェルーチの2頭が引っ張ったレースではファーディナンドは中団好位、本馬はさらにその後方を追走。三角から四角にかけてファーディナンドが外から上がっていくと、本馬もそれを追って外から上がっていった。直線では内側で粘るキャンディズゴールドとジャッジアンジェルーチの2頭にファーディナンドが並びかけてかわしたところへ本馬が外側から強襲したが、僅か鼻差届かず2着に敗退。

この結果により、3歳時10戦3勝の成績となった本馬はエクリプス賞最優秀3歳牡馬には選ばれたものの、年度代表馬の座はファーディナンドに譲る事となった。

競走生活(4歳前半)

4歳時は2月のチャールズHストラブS(GⅠ・D10F)から始動して、2着キャンディズゴールドに3馬身差で快勝。続くサンタアニタH(GⅠ・D10F)では、ファーディナンドとの再戦となった。斤量はファーディナンドが127ポンド、本馬が125ポンドであり、3ポンド差だった前年のBCクラシックより僅かに縮まっていた。今回も本馬とファーディナンドの2頭による直線勝負となったが、単勝オッズ3倍の1番人気に支持された本馬が1分59秒8で走破して、ファーディナンドを半馬身差の2着に下して勝利を収めた(3着にはハリウッド金杯・サンパスカルHなどを勝っていたスーパーダイヤモンドが入った)。

次走のサンバーナーディノH(GⅡ・D9F)でもファーディナンドとの対戦となった。斤量は2頭とも127ポンドであり、ハンデ無しのガチンコ勝負となった。結果は本馬がファーディナンドを鼻差の2着に破って勝利した。

続いて出走したのは、30年ぶりに復活した米国の伝統競走ピムリコスペシャルH(D9.5F)だった。このレースでは、トラヴァーズS5着後にウッドワードSで6着に敗れてBCクラシックを回避したベットトゥワイス、ハスケル招待H3着後は一息の競馬が続いたがレイザーバックH・オークローンHを連勝して復調してきたロストコード、BCクラシック5着後にドンH・ガルフストリームパークH・オークローンHと3度のGⅠ競走2着があったクリプトクリアランス達と顔を合わせた。しかしベットトゥワイスがロストコードを2着に、クリプトクリアランスを3着に抑えて勝ち、ベットトゥワイスより4ポンド斤量が重かった本馬はベットトゥワイスから4馬身1/4差の4着に終わった。

次走のハリウッド金杯(GⅠ・D10F)では、ファーディナンドと4度目にして最後の対戦となった。斤量は本馬が125ポンド、ファーディナンドが123ポンドと逆転していた。しかしレースはカリフォルニアンSでファーディナンドやガルチを破ってきた上がり馬カットラスリアリティが圧勝し、本馬は6馬身半差の2着、ファーディナンドはさらに5馬身半差の3着と共倒れになった。

競走生活(4歳後半)

しかし2か月の短期休養を経た本馬は調子を取り戻し、フィリップHアイズリンH(GⅠ・D9F)では8度目の対戦となった同斤量のベットトゥワイスを3/4馬身差の2着に、7度目の対戦となったガルチをさらに4馬身差の3着に下して勝利した。

次走のウッドワードS(GⅠ・D10F)では、ベルモントフューチュリティS・シャンペンS・ハスケル招待H・トラヴァーズS・サンフォードS・ブリーダーズフューチュリティ・ファウンテンオブユースSを勝ちケンタッキーダービーで2着していた3歳馬フォーティナイナー、ブルックリンH2回・マサチューセッツH・ミシガンマイル&ワンエイスHを勝っていた5歳馬ワクォイトが相手となった。大半の時期で定量戦として施行されていた同競走だが、この時期にはハンデ競走であり、本馬の斤量125ポンドは、122ポンドのワクォイトや119ポンドのフォーティナイナーより厳しいものだった。しかし直線における他2頭との大激闘を制した本馬が、フォーティナイナーを首差2着に、ワクォイトをさらに首差3着に抑えて勝利。勝ちタイム1分59秒4はコースレコードだった。

続くメドウランズCH(GⅠ・D10F)では、ベットトゥワイスとの最後の対戦となった。斤量は本馬が127ポンド、ベットトゥワイスが123ポンドだった。しかしベットトゥワイスは4着に終わり、本馬が2着スルーシティースルーに首差で勝利した。勝ちタイム1分58秒8は2戦連続のコースレコードであり、同一年にダート10ハロンにおいて2分を切るタイムで3回勝ったのは本馬が米国競馬史上初となった。ベットトゥワイスとの対戦成績は本馬の5勝4敗であり、両馬の調教師は、互いに顔見知りになっていた2頭は挨拶をかわすようになっていたと述べている。

続いてチャーチルダウンズ競馬場で行われたBCクラシック(GⅠ・D10F)に出走。ウッドワードS3着後に出走した前走ジョッキークラブ金杯を15馬身差で大圧勝してきたワクォイト、ウッドワードS2着後にNYRAマイルHを勝ってきたフォーティナイナー、ドワイヤーS・スーパーダービー・ピーターパンSの勝ち馬でウッドメモリアル招待S・ハスケル招待H・トラヴァーズS2着のシーキングザゴールド、ワイドナーH・サバーバンH・ナッソーカウンティHなどの勝ち馬でハスケル招待H・ブルックリンH・ジョッキークラブ金杯2着のパーソナルフラッグ、ハリウッド金杯勝利後にベルエアH・サンディエゴH・グッドウッドHを勝っていたカットラスリアリティ、スルーシティースルー、本馬と9度目の対戦となるクリプトクリアランス、スワップスS勝ち馬でサンタアニタダービー2着のライブリーワンの計8頭が対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持され、ワクォイトが単勝オッズ3.9倍の2番人気、フォーティナイナーが単勝オッズ4.7倍の3番人気、シーキングザゴールドとパーソナルフラッグが並んで単勝オッズ6.8倍の4番人気と続いた。

重馬場で行われたレースは、スタートからワクォイトとスルーシティースルーが先陣争いを続け、本馬は好位追走から四角で外を通って先頭に並びかけた。そして本馬が前をかわして先頭に立ったところで外側からシーキングザゴールドが追い上げてきて2頭が並んだ。しかしここから本馬が突き放し、最後はシーキングザゴールドを半馬身差の2着に、ワクォイトをさらに5馬身差の3着に破って優勝。この勝利で本馬の獲得賞金総額は667万9242ドルになり、ジョンヘンリーの記録を更新して世界賞金王となった。

このレースの9日後に現役引退が発表された。4歳時は9戦7勝の成績で、この年のエクリプス賞年度代表馬・最優秀古馬牡馬に選出された。

競走馬としての特徴と評価

本馬は若い頃こそ惜敗が多かったが、長じてからは競り合いになると実力を発揮する闘争心タイプの競走馬へと成長を遂げ、勝った11戦中9戦が2着馬と1馬身差以内の接戦だった。バーグ師は本馬を、非常に利口な馬で今何をするべきなのかを常に理解していたと評している。マッキャロン騎手は自分を有名にしたのは本馬とジョンヘンリーの2頭であり、本馬は自分が乗った中で最も優れた馬だったと評した。ラシックス云々の問題はあったが、それでも本馬が1980年代の米国競馬を代表する名馬であった事には疑いの余地は無く、1993年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第42位。

血統

Alydar Raise a Native Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Raise You Case Ace Teddy
Sweetheart
Lady Glory American Flag
Beloved 
Sweet Tooth On-and-On Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Two Lea Bull Lea
Two Bob
Plum Cake Ponder Pensive
Miss Rushin
Real Delight Bull Lea
Blue Delight
Bel Sheba Lt. Stevens Nantallah Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Shimmer Flares
Broad Ripple
Rough Shod Gold Bridge Golden Boss
Flying Diadem
Dalmary Blandford
Simons Shoes
Belthazar War Admiral Man o'War Fair Play
Mahubah
Brushup Sweep
Annette K.
Blinking Owl Pharamond Phalaris
Selene
Baba Kenny Black Servant
Betty Beall

アリダーは当馬の項を参照。

母ベルシーバは現役成績22戦5勝。ステークス競走勝ちは無いが、アディロンダックS(米GⅡ)で3着している。本馬の全妹アリスベル【ラカナダS(米GⅡ)】の子には、日本で走ったマチカネキンノホシ【アメリカジョッキークラブC(GⅡ)・アルゼンチン共和国杯(GⅡ)】、孫にはマチカネニホンバレ【エルムS(GⅢ)】がいる。ベルシーバの全姉ワックの子には、リアファン【ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)・英シャンペンS(英GⅡ)・クレイヴンS(英GⅢ)】、孫にはオリンピックエクスプレス【香港マイル(香GⅠ)・香港クラシックマイル・香港ダービー・香港金杯】が、ベルシーバの全妹レディリトの玄孫にはウィラビーオーサム【サンタアニタオークス(米GⅠ)】がいる。ベルシーバの曾祖母ババケニーはメイトロンS・エイコーンSの勝ち馬で、ババケニーの半妹であるメイトロンS勝ち馬ビニーエムの牝系子孫には皐月賞馬イシノサンデーがいる。→牝系:F20号族①

母父ルーテナントスティーヴンスはナスルーラの直子ナンタラーの息子で、現役成績は26戦9勝。サラナクH・ジョンBキャンベルH・パームビーチHの勝ち馬。ルーテナントスティーヴンスの母ラフショッドは、サドラーズウェルズヌレイエフ、エルコンドルパサーなどを輩出した今世紀有数の名牝系の祖である。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国ケンタッキー州レーンズエンドファームで種牡馬入りした。しかし種牡馬成績は期待ほどとは言えず、産駒のステークスウイナーは11頭に留まった。その後2000年にサウジアラビアに輸出されて彼の地で種牡馬生活を送った。2008年8月にジェニュインリスクが他界したため、生存中の最年長ケンタッキーダービー馬になった。この年10月にサウジアラビアのアブドラ国王の計らいにより米国に戻り、ケンタッキーホースパークに移り住んだ。そして前年に他界したジョンヘンリーが暮らしていた馬房で余生を送った。本馬の向かい側の馬房には本馬の記録を破って世界賞金王になったシガーも繋養されていた。25歳になった翌2009年の3月、高齢による体力低下のためバランスを崩した際に右後脚の大腿骨を骨折。鎮痛剤も効かないほどの苦痛を訴えたために、アブドラ国王とケンタッキーホースパークの協議により安楽死の措置が執られ、遺体はジョンヘンリーの墓の向かい側に埋葬された。母父としては、グランデラジョージワシントンなどを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1990

Bright Moon

ポモーヌ賞(仏GⅡ)2回・エヴリ大賞(仏GⅡ)・ミネルヴ賞(仏GⅢ)

1990

Desert Waves

ナイアガラBCS(加GⅡ)2回・キングエドワードBCH(加GⅡ)

1991

Alywow

ニジャナS(米GⅢ)

1991

Moonlight Dance

サンタラリ賞(仏GⅠ)

1993

Naninja

サンシメオンH(米GⅢ)

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