パーシモン

和名:パーシモン

英名:Persimmon

1893年生

鹿毛

父:セントサイモン

母:パーディタ

母父:ハンプトン

好敵手セントフラスキンと競走馬・種牡馬としてしのぎを削ったセントサイモン直子の英ダービー・英セントレジャー優勝馬

競走成績:2~4歳時に英で走り通算成績9戦7勝2着1回3着1回

誕生からデビュー前まで

アルバート・エドワード・ウェールズ皇太子、すなわち後の英国王エドワードⅦ世が、皇太子時代から所有していたノーフォーク州サンドリンガム王立牧場において生産・所有した馬である。性格的には父セントサイモンや母パーディタに似て神経質で頑固な一面があったが、気性難の極致と言われた父や全弟ダイヤモンドジュビリーと異なり、温厚で従順な一面も持ち合わせていたという。また、馬体は非常に雄大で端正だったという。エドワード皇太子のお抱え調教師リチャード・マーシュ師に預けられた。主戦はジョン・ワッツ騎手で、本馬の全レースに騎乗した。

競走生活(2歳時)

2歳6月にアスコット競馬場で行われたコヴェントリーS(T5F136Y)でデビューして、単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。スタートから先頭に立つと、そのまま2着メリメロに3馬身差をつけて快勝した。このレースで見せた素晴らしいスピード能力と、全兄フロリゼルが有していたスタミナ能力から、この時点で本馬は英ダービーの有力候補として認知されたという。

翌月のリッチモンドS(T6F)では、単勝オッズ1.5倍という圧倒的な1番人気に支持された。そして8ポンドのハンデを与えた2着シャフリュリーに1馬身差をつけて勝利した。しかしその後に風邪で体調を崩してしまい、しばらくレースには出られなかった。

10月のミドルパークプレート(T6F)には出走して、単勝オッズ3倍の1番人気に支持された。しかしまだ体調が万全ではなく、後の好敵手となる同父馬セントフラスキンと、英シャンペンSを勝っていた牝馬オムラディナの2頭に屈して、勝ったセントフラスキンから5馬身半差の3着に敗れた。2歳時の成績は3戦2勝となった。ミドルパークプレートに続いてデューハーストプレートも勝ったセントフラスキンと本馬は翌年の英2000ギニーにおいて、3.5倍で並んで前売り1番人気に支持されていた。

競走生活(3歳時)

しかし本馬は翌年も体調不良が続いたために、結局英2000ギニーは回避する事になり、セントフラスキンの英2000ギニー楽勝を許した。結局、本馬の3歳初戦は英ダービーとなった。しかし、エプソム競馬場に向かう途中で本馬は列車に乗るのを強硬に拒否(平素の本馬は従順な馬であり、通常はこのような事は無かった)して、列車の出発時間まで残り僅かになったため、マーシュ師が本馬を列車に乗せるための人手をその場で急遽募集し、集まった12人の人間が無理やり本馬を列車に押し込めるという一騒動があったようである。もっとも、列車に乗り込んだ本馬は、先ほどまでの騒ぎなど忘れたように悠然と食事を始めたらしく、もしかしたら人間側が本馬に遊ばれていたのかもしれない。

さて、英ダービー(T12F29Y)では、英2000ギニーを圧勝したセントフラスキンが単勝オッズ1.62倍の1番人気に支持され、本馬が単勝オッズ6倍の2番人気となった。しかしぶっつけ本番とは言え、体調が回復した本馬は完璧に仕上がっており、セントフラスキンとの好勝負が戦前から期待されていた。本馬の神経質な気性を考慮したためか、マーシュ師はレース前にスタンド前で行われるパレードに本馬を参加させず、直接スタート地点に向かわせた。

レースが始まると、後に名種牡馬となるベイロナルドとガリスタンの2頭がペースを作り、本馬とセントフラスキンは共に道中は最後方を進んだ。やがてセントフラスキンが先に仕掛けると本馬も一緒に進出。ベイロナルドが先頭、セントフラスキンが2番手、本馬が3番手で直線に入ってきた。そして直線では戦前の期待どおりに本馬とセントフラスキンの2頭による激しい叩き合いとなった。残り1ハロン地点ではセントフラスキンが僅かに優勢だったが、ここから本馬がワッツ騎手の檄に応えて前に出て、最後は首差で優勝した。

英国皇太子の持ち馬が英ダービーを制した(英国王室の所有馬が英ダービーを勝ったのは、英国王ジョージⅣ世が皇太子時代に所有していた1788年の勝ち馬サートーマス以来108年ぶり)という事で、エプソム競馬場は興奮の渦に包まれた。本馬の勝ちタイム2分42秒0は、1867年にハーミットが樹立したレースレコードと同じという好タイムだった。なお、この英ダービーの映像が現在も残っており、筆者はそれを見たことがある。映像はレースのごく一部だけなのだが、出走各馬が走り抜けていった直線のコース上に大勢の観衆達が溢れ出てくる様子が写っていた。これは競馬の映像としては世界最古のものであるばかりか、ニュース映像としても現存する最も古い部類に属するという大変貴重なものだそうである。

続くプリンセスオブウェールズS(T8F)でも、セントフラスキンとの顔合わせとなった。他にも前年の英ダービー・英セントレジャー馬サーヴィストや、前年の英2000ギニー馬カークコネルも出走しているという豪華メンバーとなった。しかし1番人気に支持されたのは本馬でもセントフラスキンでも古馬勢でもなく、本馬より12ポンド、セントフラスキンより9ポンド斤量が軽かった、サセックスS勝ちがある3歳牡馬リグレットだった。しかしレースは本馬とセントフラスキンによる再度の一騎打ちとなった。最後は3ポンドの斤量差が効いたのか、セントフラスキンが本馬を半馬身差の2着に抑えて勝利した(リグレットはさらに半馬身差の3着だった)が、2頭の名勝負に観衆は酔いしれた。セントフラスキンはその後のエクリプスSを勝った後に両前脚の靭帯損傷により引退したため、もはや本馬に敵う馬はいなくなった。

秋の英セントレジャー(T14F132Y)では、本馬が単勝オッズ1.19倍という圧倒的な1番人気に支持され、ジュライS・グレートヨークシャーSの勝ち馬で英2000ギニー3着のラブラドールが単勝オッズ7倍の2番人気となった。レースで本馬は4番手につけると、最終コーナーで仕掛けて、ラブラドールと一緒に直線に入ってきた。ここから2頭の叩き合いが展開されたが、ゴール前ではワッツ騎手が手綱を抑える余裕を見せた本馬が、2着ラブラドールに1馬身半差で勝利した。

翌月のジョッキークラブS(T14F)では、サーヴィスト、前年のジョッキークラブS・英チャンピオンSの勝ち馬で英2000ギニー2着のラヴェーノなどを抑えて、単勝オッズ1.73倍の1番人気に支持された。レース前半は控え気味に走っていたが、後半になると“fire and dash”と評された加速を見せて一気に先頭に踊り出て、最後は流しながら走り、2着サーヴィストに2馬身差、3着ラヴェーノにはさらに4馬身差をつけて勝利した。3歳時の成績は4戦3勝となった。

競走生活(4歳時)

4歳時は6月のアスコット金杯(T20F)が初戦となった。対戦相手は僅か3頭だったが、前年の同競走の勝ち馬で英2000ギニーではセントフラスキンの2着だったラヴワイズリー、この年の英オークス馬リマソル、ケンブリッジシャーH・リンカンシャーHの勝ち馬ウインクフィールズプライドと強敵ばかりだった。単勝オッズ1.47倍の1番人気で出走した本馬は直線入り口まで最後方でじっと我慢した。そして直線だけで他馬勢をごぼう抜きにしてしまい、最後は2着ウインクフィールズプライドを8馬身引き離す圧勝劇を演じた。こんな勝ち方は過去に見たことが無いとして、本馬の評価は一層高くなった。

次走のエクリプスS(T10F)では、前年の英ダービー着外後にライムキルンS・ロウザーS・ハードウィックSを勝っていたベイロナルドに加えて、1歳年下のヴェラスケスが本馬に挑戦してきた。ヴェラスケスは2歳時に英シャンペンS・ジュライS・ニューSと英国主要2歳競走を勝ち、3歳時は英2000ギニー・英ダービーのいずれも後の英国三冠馬ガルティモアの2着に屈したが、前走プリンセスオブウェールズSを勝ってエクリプスSに参戦してきたのである。ベイロナルドも、ハードウィックSを10馬身差で勝ってここに臨んできていた。本馬は単勝オッズ1.12倍の1番人気に支持されたが、142ポンドを背負わされた本馬とヴェラスケスの斤量差は12ポンドあり、さすがの本馬もレース序盤はヴェラスケスに先手を許す苦しい展開となった。しかし本馬がスパートを掛けると、瞬く間にヴェラスケスを差し切った。最後は2着ヴェラスケスに2馬身差、3着ベイロナルドにはさらに4馬身差をつけて完勝した。

本馬に完敗を喫したヴェラスケスはその後英チャンピオンSを2連覇し、翌年のエクリプスSを勝つ強豪馬へと成長。ベイロナルドも、シティ&サバーバンH・エプソム金杯(現コロネーションC)を勝ち、英チャンピオンSで2年連続ヴェラスケスの2着する活躍を見せた。この事が本馬の評価をさらに高める事となった。しかし、当の本馬は142ポンドを背負って激走した影響なのか、脚に故障を発生。次走に予定していたグッドウッドCを回避して休養入りした。

秋シーズンまで競走馬登録は残っており、リングフィールドパーク競馬場が、1歳年下の英国三冠馬ガルティモアと本馬の2頭によるマッチレースを10月に企画したのだが、本馬は故障が癒えなかったために出走できず、そのまま4歳時2戦2勝の成績で競走馬引退となった。本馬の馬名は「柿」という意味だが、両親の名前を足して割ったものでもある。

血統

St. Simon Galopin Vedette Voltigeur Voltaire
Martha Lynn
Mrs. Ridgway Birdcatcher
Nan Darrell
Flying Duchess The Flying Dutchman Bay Middleton
Barbelle
Merope Voltaire
Juniper Mare
St. Angela King Tom Harkaway Economist
Fanny Dawson
Pocahontas Glencoe
Marpessa
Adeline Ion Cain
Margaret
Little Fairy Hornsea
Lacerta
Perdita Hampton Lord Clifden Newminster Touchstone
Beeswing
The Slave Melbourne
Volley
Lady Langden Kettledrum Rataplan
Hybla
Haricot Lanercost
Queen Mary
Hermione Young Melbourne Melbourne Humphrey Clinker
Cervantes Mare
Clarissa Pantaloon
Glencoe Mare
La Belle Helene St. Albans Stockwell
Bribery
Teterrima Voltigeur
Ellen Middleton

セントサイモンは当馬の項を参照。

母パーディタは名調教師ジョン・ポーター師の薦めを受けたエドワード皇太子が購入した馬で、競走馬としては、グレートチェサーC2回・チェスターフィールドナーサリーS・エアー金杯・リヴァプールサマーCなど7勝を挙げた。繁殖牝馬として極めて優秀で、本馬の全兄で種牡馬としても成功したフロリゼル【セントジェームズパレスS・グッドウッドC】、そして全弟の英国三冠馬ダイヤモンドジュビリー【英2000ギニー・英ダービー・英セントレジャー・エクリプスS・ニューマーケットS】も産んでいる。

パーディタの半妹ドロシードラッグルテール(父スプリングフィールド)の牝系子孫が発展しており、アルキダミア【伊グランクリテリウム・伊1000ギニー・伊2000ギニー・伊オークス・伊ダービー・ミラノ大賞】、アストルフィーナ【伊1000ギニー・伊2000ギニー・伊オークス・ミラノ大賞・伊ジョッキークラブ大賞】、ケイティーズ【愛1000ギニー(愛GⅠ)】、ベーリング【仏ダービー(仏GⅠ)】、アヌスミラビリス【毎日王冠(日GⅡ)】、ヘルメット【AJCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・豪シャンペンS(豪GⅠ)・コーフィールドギニー(豪GⅠ)】、日本で走ったヒシアマゾン【阪神三歳牝馬S(GⅠ)・エリザベス女王杯(GⅠ)】、アドマイヤムーン【ドバイデューティーフリー(首GⅠ)・宝塚記念(GⅠ)・ジャパンC(GⅠ)】、スリープレスナイト【スプリンターズS(GⅠ)】などが出ている。

パーディタの母ハーマイオニーの半妹ヘレンパーマーの牝系子孫には、スーザンズガール【ケンタッキーオークス・エイコーンS・ガゼルH・ベルデイムS・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・サンタバーバラH(米GⅠ)・デラウェアH(米GⅠ)2回・スピンスターS(米GⅠ)2回・マッチメイカーS(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)】、コープラン【ホープフルS(米GⅠ)・ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)】、ピヴォタル【ナンソープS(英GⅠ)】、日本で走ったコレヒサ【天皇賞春】、コレヒデ【有馬記念・天皇賞秋】などが、ハーマイオニーの半妹パティニュースの牝系子孫には、クーガー【ムニシパルデヴィーニャデルマール賞・サンフアンカピストラーノ招待H・カリフォルニアンS2回・ハリウッドパーク招待ターフH・オークトゥリー招待H2回・センチュリーH・サンタアニタH(米GⅠ)・センチュリーH(米GⅠ)・サンセットH(米GⅠ)】がいる。→牝系:F7号族①

母父ハンプトンは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のサンドリンガム王立牧場で種牡馬となり、初年度の種付け料は300ギニーに設定された。種牡馬としても優秀な成績を収め、初年度産駒から英国クラシック競走4勝馬セプターを出して、1902年に父セントサイモンから英愛首位種牡馬の座を奪取した。その後も数々の活躍馬を出し、1906・08・12年と計4度の英愛首位種牡馬に輝き、競走馬時代に好敵手だったセントフラスキン(1903・07年と英愛首位種牡馬に2回輝いている)とは種牡馬としてもしのぎを削った。繁殖牝馬の父としても優秀で、1914・15・19年と3度の英愛母父首位種牡馬に輝いている(セントフラスキンは1924年の1回)。

しかし本馬は種牡馬として脂が乗り切っていた時期の1908年1月初めに、馬房で脚を滑らせて転倒し、骨盤と大腿骨を骨折。天井からぶら下げた革で馬体を支えて治療する試みがされたが実を結ぶ事は無く、同年2月に15歳で他界した。死後に作られた本馬の銅像が現在でもサンドリンガム王立牧場に建てられており、牧場の象徴として牧場を見守っている。遺骨は現在ロンドン自然史博物館に展示されている。ロンドン・アンド・ノース・イースタン鉄道は所有する機関車に競走馬の名前をつける伝統を1925年から始めたが、2549号には本馬の名前が付けられ、1963年6月まで現役で運行を続けた。

本馬の直系子孫はセントサイモン系の衰退に伴って一時期ほとんど消滅したが、本馬の曾孫に当たるプリンスローズプリンスキロやプリンスビオを出すなど種牡馬として成功し、現代まで直系子孫が残っている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1899

Cheers

エクリプスS

1899

Sceptre

英2000ギニー・英1000ギニー・英オークス・英セントレジャー・ジュライS・セントジェームズパレスS・ナッソーS・ハードウィックS・ジョッキークラブS・英チャンピオンS

1900

Mead

リッチモンドS・プリンスオブウェールズS・ジョッキークラブC

1900

Red Lily

ナッソーS

1900

Zinfandel

アスコット金杯・コロネーションC・ジョッキークラブC・ゴールドヴァーズ・ゴードンS

1903

Colonia

チェヴァリーパークS・ニューS・モールコームS・ジムクラックS

1903

Keystone

英オークス・コロネーションS

1903

Plum Tree

グッドウッドC

1904

Ouadi Halfa

仏2000ギニー・仏グランクリテリウム・イスパーン賞

1905

Pearl of the Loch

ジュライS

1905

Putchamin

ゴードンS

1905

Royal Realm

ジムクラックS

1905

Sea King

モールコームS

1905

Your Majesty

英セントレジャー・セントジェームズパレスS・エクリプスS

1906

Perdiccas

モールコームS

1906

Perola

英オークス

1907

Comedy King

メルボルンC・MRCフューチュリティS

1907

Tressady

モールコームS

1907

Ulster King

プリンセスオブウェールズS

1908

Lord Burgoyne

仏2000ギニー・ロベールパパン賞

1908

Prince Palatine

英セントレジャー・アスコット金杯2回・エクリプスS・コロネーションC・ドンカスターC・ゴードンS・ジョッキークラブS

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