ロドリゴデトリアーノ

和名:ロドリゴデトリアーノ

英名:Rodrigo de Triano

1989年生

栗毛

父:エルグランセニョール

母:ホットプリンセス

母父:ホットスパーク

優れた加速力を武器に芝のマイル~10ハロン路線で活躍し、名手レスター・ピゴット騎手に30回目にして最後となる英国クラシックタイトルをプレゼントする

競走成績:2・3歳時に英愛米で走り通算成績13戦9勝

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州スウェッテナムスタッドにおいて、同牧場の創設者である英国の大馬主ロバート・サングスター氏により生産・所有され、本馬が2歳時の1991年に開業したばかりの英国ピーター・チャプルハイアム調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳7月にヘイドックパーク競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利ステークスで、ポール・エデリー騎手を鞍上にデビューした。既にかなりの評判馬だったから、単勝オッズ3.25倍の1番人気というのはむしろ低評価だったかも知れない。スタート直後の行き脚は今ひとつだったが、レース中盤辺りから加速すると、残り1ハロン地点で先頭に立ち、2着となった単勝オッズ3.75倍の2番人気馬ストロングスーツに半馬身差で勝利した。

続いてニューベリー競馬場で出走したリステッド競走ローズボウルS(T6F)では、単勝オッズ3.5倍の1番人気となった。未勝利ステークスを4馬身差で勝ち上がってきたリヴァーフォールズと、未勝利ステークスを2馬身半差で勝ち上がってきたロークビーの2頭が並んで単勝オッズ5倍の2番人気だった。今回もエデリー騎手とコンビを組んだ本馬は抑え気味にレースを進め、残り2ハロン地点で仕掛けた。先に先頭に立っていたリヴァーフォールズに残り1ハロン地点で並びかけると、ここから2頭揃って左側に切れ込みながら一騎打ちを展開し、本馬が頭差で競り勝って勝利した。

次走は8月にニューベリー競馬場で行われたリステッド競走ワシントンシンガーS(T7F)となった。エデリー騎手騎乗の本馬が単勝オッズ2.5倍の1番人気で、アンカライトという馬と、後にロワイヤルオーク賞・カドラン賞・ヨークシャーC・ドンカスターCなどを勝つアセッサーの2頭が単勝オッズ4.5倍の2番人気で並び、後にクイーンアンS・エミリオトゥラティ賞・愛国際Sを勝つアルフローラなど2頭が単勝オッズ8倍の4番人気(最低人気)となった。レースではやはり序盤は抑え気味に走り、残り2ハロン地点で仕掛けると、スタートから先頭を走っていたアンカライトを残り1ハロン地点で一気にかわし、1馬身半差をつけて勝利した。

このワシントンシンガーSから5日後、ローズボウルSで本馬と接戦を演じたリヴァーフォールズがジムクラックSを3馬身半差で快勝したため、本馬の評価はさらに上昇した。そのためか、陣営は名手ウィリー・カーソン騎手に本馬の主戦を依頼した。

カーソン騎手との初コンビとなった英シャンペンS(英GⅡ・T7F)では、そのリヴァーフォールズと2度目の顔合わせとなった。本馬が単勝オッズ2.375倍の1番人気、ソラリオS3着馬アーティックトラッカーが単勝オッズ3.5倍の2番人気で、リヴァーフォールズは単勝オッズ4倍の3番人気に留まった。今回もリヴァーフォールズが先行して、本馬は中団を進む展開となった。そしてリヴァーフォールズが残り2ハロン地点で左側によれてもたついている間にスパートした本馬が残り1ハロン地点でリヴァーフォールズを一気に抜き去った。先頭に立った本馬はリヴァーフォールズに付き合うかのように左側によれたが、それでも後続との差は広げ続け、2着リヴァーフォールズに3馬身半差で勝利した。

次走はミドルパークS(英GⅠ・T6F)となった。リヴァーフォールズに加えて、アッシュランドS・ハリウッドオークス・ヴァニティ招待Hなどを勝った名牝ゴージャスの甥に当たる(この時点では産まれてもいないがカルティエ賞年度代表馬ファンタスティックライトの従兄弟でもある)良血馬バラジダール、名種牡馬ゴーンウエストの全弟に当たるモルニ賞3着馬ライオンキャヴァーンなどが対戦相手となった。本馬が単勝オッズ2倍の1番人気、バラジダールが単勝オッズ5倍の2番人気、リヴァーフォールズが単勝オッズ5.5倍の3番人気、ライオンキャヴァーンが単勝オッズ8倍の4番人気となった。今回もスタートからリヴァーフォールズが先手を取ったのだが、スタートで出遅れた本馬は今回積極的にリヴァーフォールズを追いかけた。そして残り1ハロン地点でリヴァーフォールズをかわして先頭に立った。ここで本馬の悪癖である左側への斜行が出てしまったが、それでも押し切って、2着ライオンキャヴァーンに1馬身差、3着リヴァーフォールズにはさらに2馬身差をつけて勝利した。

2歳時の成績は5戦全勝で、同厩のデューハーストS・ヴィンテージSの勝ち馬ドクターデヴィアスを抑えて英最優秀2歳牡馬に選ばれた。しかし同世代の仏国調教馬に2歳時8戦7勝、サラマンドル賞・モルニ賞・仏グランクリテリウム・BCジュヴェナイルとGⅠ競走4勝の成績を残したアラジがいたため、この年に創設された欧州競馬の年度表彰カルティエ賞の初代最優秀2歳牡馬には選ばれなかった。

競走生活(3歳前半)

3歳時は英2000ギニーを見据えて、4月のグリーナムS(英GⅢ・T7F)から始動した。対戦相手は、リヴァーフォールズ、ミドルパークS2着後にホーリスヒルSを勝っていたライオンキャヴァーン、ノーフォークS・ジョエルSの勝ち馬マジックリング、レパーズタウンSなど5連勝中のスウィングロウ、伊グランクリテリウムの勝ち馬で後に伊2000ギニー・ヴィットリオディカプア賞を勝つアルヒジャズ、前年のワシントンシンガーSで4着だったアルフローラなどだった。本馬が単勝オッズ2.875倍の1番人気、ライオンキャヴァーンが単勝オッズ3.25倍の2番人気、マジックリングが単勝オッズ4.33倍の3番人気、スウィングロウが単勝オッズ10倍の4番人気、リヴァーフォールズが単勝オッズ17倍の5番人気となった。スタートが切られるとリヴァーフォールズが逃げて、本馬は中団、ライオンキャヴァーンは後方待機策を採った。そして本馬は残り2ハロン地点で仕掛けたのだが、初めて経験する湿った馬場に脚を取られて反応が悪く、リヴァーフォールズを捕らえるどころかライオンキャヴァーンに差されてしまった。レースはライオンキャヴァーンがリヴァーフォールズをゴール寸前で頭差捕らえて勝ち、スウィングロウにも後れを取った本馬は、ライオンキャヴァーンから2馬身3/4差の4着と初黒星を喫してしまった。

それでも次走は予定どおり、英2000ギニー(英GⅠ・T8F)となった。対戦相手は、クレイヴンSでドクターデヴィアスを2着に破ってきたアルナスルアルワシーク、ヨーロピアンフリーHを勝ってきたパースートオヴラヴ、クリテリウムドメゾンラフィット・エクリプス賞・ジェベル賞の勝ち馬カルドゥン、クリテリウムドメゾンラフィット2着馬ターシャン、リッチモンドS・コヴェントリーSの勝ち馬ディラム、ロシェット賞の勝ち馬でヨーロピアンフリーH2着・ロベールパパン賞3着のスタインベック、スウィングロウ、リヴァーフォールズ、古馬になって開花して愛チャンピオンS・伊共和国大統領賞・プリンスオブウェールズS2回を勝つがこの段階では無名だったムータラム、後にジョッキークラブSを勝つシルヴァーウィスプ、イースターSを勝ってきたラッキーリンディなどだった。

アルナスルアルワシークが単勝オッズ3.5倍の1番人気、パースートオヴラヴが単勝オッズ5.5倍の2番人気で、前走の敗戦が嫌われたらしい本馬は単勝オッズ7倍の3番人気と、初めて1番人気の座を他馬に明け渡した。本馬の鞍上にも変更があった。過去3戦で騎乗してきたカーソン騎手から、レスター・ピゴット騎手に乗り代わっていたのである。いったん騎手を引退して調教師に転身しながらも脱税で逮捕されて服役し、1年半前の1990年10月に騎手復帰するといきなりロイヤルアカデミーでBCマイルを制して名手健在を印象付けていたピゴット騎手だったが、前年の1991年に勝ったGⅠ競走2つはいずれも比較的マイナーなレース(愛ナショナルS・伊グランクリテリウム)であり、過去に全て勝利していた英国クラシック競走を前年に勝つ事は出来ず、完全復活には至っていなかった。

スタートが切られると予想どおりリヴァーフォールズが先頭に立ち、やや出遅れ気味にスタートした本馬をピゴット騎手は馬群の後方で待機させた。そして残り3ハロン地点で仕掛けると馬群の間をすり抜けながら次々に他馬を抜き去り、残り2ハロン地点で先頭。その後もしっかりと脚を伸ばし、2着に粘った単勝オッズ51倍の12番人気馬ラッキーリンディに1馬身半差、3着パースートオヴラヴにはさらに半馬身差をつけて勝利。鞍上のピゴット騎手にとっては1985年のシャディード以来7年ぶり5度目の同競走制覇で、英国クラシック競走制覇も7年前の同競走以来で節目の30勝目だった。これによりピゴット騎手が本馬の主戦を務める事になった。

続く愛2000ギニー(愛GⅠ・T8F)では、ラッキーリンディ、グラデュエーションSを勝ってきたエズード、レパーズタウン2000ギニートライアルを勝ってきたポーチコ、アメジストSを勝ってきたブリーフトゥルース、テトラークSの勝ち馬アイリッシュメモリーの5頭しか対戦相手がいなかった。本馬が単勝オッズ1.73倍の1番人気、エズードが単勝オッズ6倍の2番人気、ラッキーリンディが単勝オッズ7.5倍の3番人気となった。レースは重馬場で行われたのだが、チャプルハイアム師はグリーナムSの結果を受けて、本馬に湿った馬場を走らせる訓練を施しており、本馬はかなり慣れていた。今回も道中は最後方に陣取った本馬は、直線に入ってから徐々に加速していった。そして残り1ハロン地点で一気にスパートすると馬群の間を突き抜けて瞬く間に先頭に踊り出て、追い上げてきた2着エズードに1馬身差で勝利した。

これで本馬は1969年のライトタック、1987年のドントフォーゲットミー、1990年のチロルに次ぐ史上4頭目の英2000ギニー・愛2000ギニーのダブル制覇を果たした。

次走は英ダービー(英GⅠ・T12F10Y)となった。チャプルハイアム師は本馬の英ダービー挑戦に難色を示したが、サングスター氏のごり押しにより出走となったらしい(ただしチャプルハイアム師の談話なので真実かどうかは不明)。対戦相手は、クレイヴンS2着後に出走した前走ケンタッキーダービーで7着に終わっていた同厩馬ドクターデヴィアス、フォンテーヌブロー賞の勝ち馬で仏グランクリテリウム・仏2000ギニー2着のレインボーコーナー、英2000ギニー4着馬シルヴァーウィスプ、同5着馬ムータラム、チェスターヴァーズを勝ってきたツイストアンドターン、サンダウンクラシックトライアルSを勝ってきたポーレンカウント、英2000ギニーでは9着に終わるも前走ダンテSを勝ってきたアルナスルアルワシーク、リングフィールドダービートライアルSを勝ってきたアセッサー、デューハーストS・ダンテSで共に2着のグレートパーム、アングルシーS・愛フューチュリティS・デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬セントジョヴァイトなどだった。

本馬の英ダービー出走に関しては過密日程と距離不安を指摘する意見もあったのだが、本馬鞍上のピゴット騎手には1983年のティーノソ以来となる10度目の英ダービー制覇がかかっており、その応援の意味もあったのか本馬が単勝オッズ7.5倍の1番人気に支持され、ドクターデヴィアスが単勝オッズ9倍の2番人気、レインボーコーナー、ムータラム、アルナスルアルワシーク、アセッサーの4頭が並んで単勝オッズ10倍の3番人気となった。スタートが切られるとツイストアンドターンが先頭に立ち、セントジョヴァイトやドクターデヴィアスなどが先行。本馬は馬群の中団後方につけた。しかしタッテナムコーナーを回って直線に入ってきても本馬の反応は悪く、最後まで上位争いに加わることはできず、勝ったドクターデヴィアスから14馬身差の9着と大敗。ピゴット騎手の英ダービー10勝目は結局果たせなかった。

その後は13日後のセントジェームズパレスS(英GⅠ・T8F)に向かった。グリーナムSから僅か2か月で5戦目という過密日程を不安視する意見はますます大きくなっていた。さらにこのレースには、前年に2歳にしてカルティエ賞年度代表馬に選ばれたアラジも出走していた。アラジは前走のケンタッキーダービーでまさかの8着に大敗しており、ここで捲土重来を期していた。他の対戦相手は、愛2000ギニー2着から直行してきたエズード、ダイオメドSを勝ってきたザーヒ、愛2000ギニー3着後にガリニュールSを勝っていたブリーフトゥルース、本馬とは6度目の対戦となる英2000ギニー14着馬リヴァーフォールズなどだった。アラジが単勝オッズ1.91倍の1番人気、本馬が単勝オッズ5倍の2番人気、エズードが単勝オッズ7倍の3番人気、ザーヒが単勝オッズ9倍の4番人気となった。

スタートが切られるとザーヒが先頭に立ち、いつもは先行するリヴァーフォールズは抑えた。そして本馬もアラジも後方待機策を採った。しかし直線に入っても逃げ粘るザーヒを捕まえにかかったのは本馬でもアラジでもなく、単勝オッズ26倍の6番人気馬ブリーフトゥルースだった。レースはブリーフトゥルースがザーヒを短頭差かわして勝ち、末脚不発の本馬はエズードとの3着争いに敗れてブリーフトゥルースから1馬身3/4差の4着、アラジはさらに3/4馬身差の5着と、2頭揃って振るわない結果に終わった。

競走生活(3歳後半)

ここで本馬にはさすがに2か月間の休養が与えられ、次走は8月の英国際S(英GⅠ・T10F85Y)となった。対戦相手は、英ダービーの次に出た愛ダービーで英ダービー2着馬セントジョヴァイトに12馬身差をつけられて2着に敗れたドクターデヴィアス、愛1000ギニー・コロネーションS・エクリプスS・ダルマイヤー大賞・愛メイトロンSの勝ち馬で英1000ギニー・クイーンエリザベスⅡ世S2着の名牝クーヨンガ、英オークス・ナッソーSと連続2着してきたムシドラSの勝ち馬オールアトシー(次走のムーランドロンシャン賞に勝利)、英ダービー7着から直行してきたアルナスルアルワシーク、リディアテシオ賞・EPテイラーS・メルセデスベンツ大賞・プリティポリーS・ナッソーS2回などの勝ち馬ルビータイガー、前年のレーシングポストトロフィーの勝ち馬で仏グランクリテリウム3着のシアトルライム、伊ダービー3着馬マサド、イスパーン賞・愛国際S・タタソールズ金杯・ロンポワン賞・スコティッシュクラシックの勝ち馬で仏2000ギニー2着のゾーマン、前年の英国際Sを筆頭にアールオブセフトンS2回を勝ち英ダービー・エクリプスS・コロネーションC2着の実績もあった前年のカルティエ賞最優秀古馬テリモン、ファルマスS・ムシドラSの勝ち馬でコロネーションS3着のガシーマーロウなどだった。クーヨンガが単勝オッズ3倍の1番人気、オールアトシーが単勝オッズ6倍の2番人気、アルナスルアルワシークが単勝オッズ8倍の3番人気で、本馬とドクターデヴィアスは共に単勝オッズ9倍の4番人気に留まった。

レースはドクターデヴィアスが先行して、本馬は後方待機策を採った。1番人気のクーヨンガはこのレースでは何故か絶不調であり、スタートして早々に勝ち負けの範疇から消えていた。直線に入って残り3ハロン地点でオールアトシーが仕掛けて、残り2ハロン地点でドクターデヴィアスをかわして先頭に立った。そのままオールアトシーが押し切るかと思われたが、残り4ハロン地点で仕掛けていた本馬がやって来て、残り1ハロン地点でオールアトシーに並びかけて抜き去り、1馬身差をつけて勝利した。ドクターデヴィアスは本馬から4馬身差の4着であり、英ダービーの借りをここで返した格好になった。

次走の英チャンピオンS(英GⅠ・T10F)では、前走クイーンエリザベスⅡ世Sでブリーフトゥルースを2着に破っていたクイーンアンSの勝ち馬でジャックルマロワ賞2着のラヒブ、英国際S5着後にイタリア大賞を勝ってきたマサド、英2000ギニー11着後にダフニ賞を勝っていたスタインベック、前走の英セントレジャーでユーザーフレンドリーの4着だったシュアイラーン、セントジェームズパレスS2着後に出走したダルマイヤー大賞でクーヨンガの2着だったザーヒ、英国際Sで3着だったシアトルライム、前年のエクリプスS・ダンテSの勝ち馬で愛チャンピオンS2着のエンヴァイロンメントフレンド、ユジェーヌアダム賞・サンダウンクラシックトライアルの勝ち馬ポーレンカウント、グレートヴォルティジュールS・リングフィールドダービートライアルS・ゴントービロン賞の勝ち馬コラプトだった。本馬が単勝オッズ2.375倍の1番人気、ラヒブが単勝オッズ3倍の2番人気、マサドが単勝オッズ12倍の3番人気であり、ほぼ本馬とラヒブの一騎打ちムードだった。

スタートが切られると単勝オッズ15倍の5番人気馬シュアイラーンが逃げを打ち、ラヒブが先行、本馬は相変わらずの後方待機策だった。残り2ハロン地点でラヒブが仕掛けて残り1ハロン地点では先頭に立ち、そのまま押し切るかと思われたが、同じく残り2ハロン地点で仕掛けて猛然と追い上げてきた本馬がラヒブに並びかけると、叩き合いを首差で制して勝利した。

この英チャンピオンSの1週間後に、日本中央競馬会が本馬を620万ドル(当時の為替レートで約7億5千万円)で購入したため、競走馬引退後に日本で種牡馬入りする事が決定した。

その後は渡米して、フロリダ州ガルフストリームパーク競馬場で行われたブリーダーズカップに参戦。BCマイルに出るかと思われたのだが、陣営が選択したのは初ダートとなるBCクラシック(米GⅠ・D10F)だった。対戦相手は、ベルモントS・ハリウッドフューチュリティ・サンタアニタダービー・サンラファエルS・ピーターパンSを勝っていた現役米国最強3歳馬エーピーインディ、前年のケンタッキーダービーを筆頭にピムリコスペシャルH・ブルーグラスS・ナッソーカウンティHを勝ちベルモントS・フロリダダービー・ガルフストリームパークH・サバーバンH・ジョッキークラブ金杯2着のストライクザゴールド、ハリウッド金杯・ホイットニーH・ウッドワードS・ジャマイカHの勝ち馬でNYRAマイルH2着のサルトリーソング、前走のジョッキークラブ金杯でストライクザゴールド、エーピーインディ、サルトリーソング達を撫で斬りにしたサバーバンH・マリブS・コモンウェルスBCS・チャーチルダウンズHの勝ち馬でBCスプリント・メトロポリタンH・ウッドワードS2着・ケンタッキーダービー・サンタアニタH3着のプレザントタップ、ハリウッド金杯・エディリードHの勝ち馬でハリウッド金杯2着・カリフォルニアンS3着のマーケトリー、フロリダダービー・ハスケル招待H・トロピカルパークダービーの勝ち馬テクノロジー、メドウランズCH・ベルエアH・デルマーBCH・サンパスカルH・カーネルFWケスターH・サンディエゴH・ネイティヴダイヴァーHの勝ち馬で前年のBCクラシックとこの年のサンタアニタH2着のトワイライトアジェンダ、トラヴァーズS・ジムダンディSの勝ち馬サンダーランブル、デルマーBCH・グッドウッドHの勝ち馬でハリウッドフューチュリティ・チャールズHストラブS3着のレインロード、マンノウォーS・チャールズHストラブS・エクセルシオールH・サンダウンクラシックトライアル・ローズオブランカスターSの勝ち馬でカリフォルニアンS・オークツリー招待S2着・サンタアニタH・サバーバンH3着のディフェンシヴプレイ、ドンH・ガルフストリームパークH・フィリップHアイズリンHとGⅠ競走3勝のジョリーズヘイロー、仏オークス・ヴェルメイユ賞を勝ちサンタラリ賞で2着していたジョリファ、英国際S6着後にワシントンDC国際Sを勝っていたゾーマンの計13頭だった。ピゴット騎手が渡米できなかったためにウォルター・スウィンバーン騎手に乗り代わっていた本馬だが、単勝オッズ7.2倍の4番人気とそれなりの支持を受けていた。エーピーインディが単勝オッズ3.1倍の1番人気、プレザントタップが単勝オッズ3.5倍の2番人気、サルトリーソングが単勝オッズ6.7倍の3番人気となっていた。

と、ここまでBCクラシックの出走馬や人気について細かく記載してきたのだが、本馬を紹介する項である以上、このレースに関してそれらに詳しく触れる必要は無かったかも知れない。何故なら、このレースで本馬はスタートからゴールまでずっと後方のままで何の見せ場も無かったからである。道中は何とか馬群の中団後方にしがみついていたが、直線ではふらふらになりながら歩くように走り、勝ったエーピーインディから32馬身半差、13着だったテクノロジーからも12馬身差をつけられた14着最下位に惨敗してしまった。

敗因については色々と言われており、フロリダ州の酷暑にやられたという説も有力視されている。確かにフロリダ州で実施されたブリーダーズカップは欧州調教馬にとって鬼門であり、暑さにやられて敗退した馬は少なくないのは事実である。しかし同厩馬ドクターデヴィアスが同日のBCターフで3馬身差4着、やはり欧州から遠征してきたブリーフトゥルースがBCマイルで3馬身1/4差3着とそれなりに走っている(BCマイルに出たアラジは惨敗したが)事を考慮すると、まるでレースにならなかった本馬の敗因が暑さだけとは考えづらく、単にダート競走が合わなかったと考えるのが妥当だろう。チャプルハイアム師は本馬に関して「高速馬場では素晴らしい加速力を発揮する良い馬でした」と述懐しているが、逆に言えば力を要する馬場では加速力が悪かったという事でもある。

これが現役最後のレースとなったが、3歳時8戦4勝、勝ち星は全てGⅠ競走という成績が評価されて、ドクターデヴィアスやセントジョヴァイトを抑えて、この年のカルティエ賞最優秀3歳牡馬に選出された。

馬名に関して

馬名は、1492年10月12日にコロンブス一行がアメリカ大陸に到達した際、陸地(現在の西インド諸島サンサルバドル島に当たる)を最初に発見して「土地!土地!」と叫んだスペイン人船員(ちなみに初めて喫煙した欧州人でもあるらしい)の名前に由来するとされている。馬主のサングスター氏が西インド諸島に複数の別荘を所有していた事や、本馬が3歳になる1992年がその500年後に当たる事が命名の由来であるとする説もある。

しかし本馬の馬名由来について触れられているのは日本の資料ばかりであり、海外の資料(本馬だけでなく船員のほうも)には両者の名前に関係があるという話が載っておらず、本当の馬名由来は実のところ裏付けを取れなかった。ちなみに当該船員の名前は “Rodrigo de Triana(ロドリゴ・デ・トリアーナ)”であり、本馬とは一文字だけ綴りが違うが、これは英語とスペイン語の違いによるものであろう。

血統

El Gran Senor Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos
Nogara
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
Natalma Native Dancer Polynesian
Geisha
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Sex Appeal Buckpasser Tom Fool Menow
Gaga
Busanda War Admiral
Businesslike
Best in Show Traffic Judge Alibhai
Traffic Court
Stolen Hour Mr. Busher
Late Date
Hot Princess ホットスパーク Habitat Sir Gaylord Turn-to
Somethingroyal
Little Hut Occupy
Savage Beauty
Garvey Girl Princely Gift Nasrullah
Blue Gem
Tekka Ridge Wood
Chart Room
Aspara Crimson Satan Spy Song Balladier
Mata Hari
Papila Requiebro
Papalona
Courtside Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Omelet Souffle Eight Thirty
Miel

エルグランセニョールは当馬の項を参照。

母ホットプリンセスは現役成績24戦6勝、バリコーラスSの勝ち馬。繁殖牝馬としては本馬の半弟モディリアーニ(父ダンチヒ)【テトラークS(愛GⅢ)】も産んでいる。ホットプリンセスの祖母コートサイドの半妹スキャンパーアウェイの孫にデアリングジョン【グッドウッドH(豪GⅠ)】、曾孫にスニペッツ【AJCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・オークレイプレート(豪GⅠ)・ザギャラクシー(豪GⅠ)】、玄孫世代以降にリワーヤ【サールパートクラークS(豪GⅠ)】が、コートサイドの半妹ファッシネイションジュードの孫にミスルキャット【ヴィットーリオディカープア賞(伊GⅠ)】がいる。→牝系:F20号族①

母父ホットスパークはハビタット直子で、現役成績9戦3勝。短距離戦を主に走り、フライングチルダースS(英GⅠ)・パレスハウスS(英GⅢ)を勝利している。種牡馬としては欧州では活躍できないまま日本に輸入された。日本ではマイルCS南部杯の勝ち馬タケデンマンゲツなどを出した。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はすぐに来日して、日本軽種馬協会静内で種牡馬生活を開始した。初年度の交配数は50頭だったが、2年目は65頭、3年目は82頭、4年目の1996年は79頭と安定して繁殖牝馬を集めた。1997年には日本軽種馬協会所有の種牡馬としては史上初めてのシャトル種牡馬(同年には社台グループ繋養のカーネギーヘクタープロテクターら5頭もシャトル種牡馬となっており、この6頭が日本競馬史上初めてのシャトル種牡馬となる)として南半球に渡り、1998年まで新国グレンモーガンスタッドで供用された。1997年の日本における交配数は50頭、1998年は同じく56頭だった。

日本に腰を据えるようになった7年目の1999年は前年にエリモエクセルが優駿牝馬を勝った影響もあって82頭、8年目は91頭、日本軽種馬協会胆振に移動した9年目の2001年は94頭と交配数が増加。しかしこの2001年にグレイスナムラ、イブキヤマノオー、ミヤギロドリゴの3頭が重賞を勝ったにも関わらず、種牡馬生活10年目に当たる翌2002年の交配数は36頭まで下落。11年目は8頭で、日本軽種馬協会静内に戻った12年目は4頭まで下がってしまった。13年目の2005年に日本軽種馬協会静内から日本軽種馬協会下総に移動して、この年は9頭と交配。翌2006年は13頭、翌2007年は14頭の交配数だった。

この年に日本軽種馬協会下総が閉鎖されたため日本軽種馬協会那須に移動したが、翌年には日本軽種馬協会那須も閉鎖されたため日本軽種馬協会九州に移動した。九州では本馬の競走成績及び種牡馬成績は注目の的であり、ちょうどこの時期にスーパーホーネットが活躍していた影響もあって、種牡馬生活16年目に当たるこの年は48頭の繁殖牝馬を集めた。17年目は46頭、18年目は40頭と九州馬産界における人気種牡馬の地位を確保していた。しかし日本軽種馬協会七戸に移動した2011年の交配数は9頭まで減少。種牡馬生活20年目に当たる2012年は6頭だった。そして2013年に6頭と交配したのを最後に種牡馬を引退。全日本種牡馬ランキングは1999年の20位が最高だった。

種牡馬引退後は日本軽種馬協会静内で余生を送っていたが、2014年7月に肺炎を発症し、治療が施されたが8月に呼吸不全のため25歳で他界した。本馬の訃報を耳にしたチャプルハイアム師とピゴット元騎手は一斉に弔意を表明した。本馬は、チャプルハイアム師にとっては初の、ピゴット元騎手にとっては最後の英国クラシックタイトルをプレゼントしてくれた馬だったのである。チャプルハイアム師は「彼はそれほど大きい馬ではありませんでしたが、信じられないほど頑健でした。また、信じられないほど精神的にも優れていました。私が彼を手掛けることができたのは私にとっての特権でした」と、ピゴット元騎手は「適した馬場状態では驚異的な力を発揮した馬でした」と述べている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1994

ミヤギロドリゴ

福島記念(GⅢ)

1995

イブキヤマノオー

ダイヤモンドS(GⅢ)

1995

エリモエクセル

優駿牝馬(GⅠ)・中京記念(GⅢ)・マーメイドS(GⅢ)・府中牝馬S(GⅢ)

1996

グレイスナムラ

京都牝馬S(GⅢ)

1997

マイネルコンドル

札幌2歳S(GⅢ)

2002

ナムラローレライ

ルプランタン賞(KG3)

2003

スーパーホーネット

スワンS(GⅡ)・京王杯スプリングC(GⅡ)・毎日王冠(GⅡ)・マイラーズC(GⅡ)

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