プリンスリーギフト

和名:プリンスリーギフト

英名:Princely Gift

1951年生

鹿毛

父:ナスルーラ

母:ブルージェム

母父:ブルーピーター

現役時代は英国短距離路線で活躍し、種牡馬としては日本で一大ブームを巻き起こしたプリンスリーギフト系の始祖となる

競走成績:2~5歳時に英で走り通算成績23戦9勝2着4回3着4回

誕生からデビュー前まで

アルフレッド・オールナット氏という人物により生産された英国産馬で、大種牡馬ナスルーラが米国に輸出される前に英国で出した最終世代の1頭に当たる。1歳時のセリにおいて、第3代准男爵エリス・ビクター・サスーン卿により5千ギニーで購入された。インドで生産した阿片を中国で売りさばいて阿片戦争の火種となった事で悪名高いサスーン財閥の後継者だったサスーン卿は、中国・香港・東南アジアにおいて不動産を次々と入手してホテル王として君臨した人物で、第二次世界大戦が勃発する前には東洋一の大富豪だった。しかし日中戦争が激化すると中国に所有していた財産を売却し、晩年はバハマに居を構えて慈善事業に精を出しながら余生を送っていた。彼は競馬好きでもあり、1925年には英国ニューマーケット近郊にあったバンガロースタッドを購入して、自身の名前(Ellice Victor)にちなんでイヴスタッド(Eve Stud)と改名して馬主活動を開始していた。初期においてはそれほど目立った馬主成績を残さなかったサスーン卿だが、本馬を購入したのと時を同じくしてノエル・マーレス調教師と専属契約を結んでからは急激に成績を伸ばし、ピンザクレペロハードリドン、セントパディの4頭で英ダービーを制覇するほどの有力馬主となった。本馬を管理したのもやはりマーレス師だった。

競走生活

2歳時の成績はそこそこと言ったところで、クリアウェルSを勝ち、ジュライS(T5.5F)では、後に英2000ギニー・エクリプスS・シャンペンS・セントジェームズパレスSを勝つ実力馬ダリウスの短頭差2着だった。英タイムフォーム社のレーティングにおいては120ポンドの評価で、同世代トップのコヴェントリーS・リッチモンドS・ジムクラックS勝ち馬ザパイキング(132ポンド)より12ポンド低い27位タイだった。2歳シーズン終了後にサスーン卿は本馬を売りに出したが、最低競売価格に届かなかったために、結局サスーン卿の所有馬のままとなった。

3歳時は短距離のハンデ競走路線に進み、サンダウンパーク競馬場で行われたディットンスプリントというレースをゴードン・リチャーズ騎手騎乗で勝利。この年限りで騎手を引退するリチャーズ騎手にとって、これが自身最後の勝利となる4870勝目だった。

3歳シーズン後半になると、ハンデ競走から定量競走路線に転向。チャレンジS(T6F)では、この年にネヴァーセイダイに騎乗して18歳の若さで英ダービーを制覇したレスター・ピゴット騎手を鞍上に、単勝オッズ3倍の1番人気に応えて勝利した。リチャーズ騎手とピゴット騎手はいずれも英国競馬史上においても五本の指に入る名手だが、活躍時期がちょうど入れ違いとなっており、この2人が騎乗して勝利した馬というのは珍しい。

4歳時はウォーキンガムS(T6F)こそ凡走したが、7月のチチェスターSを勝利。さらにハンガーフォードS(T7F)も勝ち、現役最後のレースとなった9月のポートランドH(T5.5F)では130ポンドを背負いながらも4馬身差のコースレコードで圧勝した。4歳時の本馬に対して英タイムフォーム社は137ポンドという評価を与えた。これは古馬勢ではこの年の最高値(全体では3歳馬パッパフォーウェイの139ポンド、2歳牝馬スターオブインディアの138ポンドに次いで3位)であり、英タイムフォーム社のレーティング史上において古馬では当時3番目(当時の1位は1950年に142ポンドを獲得したアバーナントで、2位は1949年に138ポンドを獲得したアリシドン)という高評価だった。

血統

Nasrullah Nearco Pharos Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Nogara Havresac Rabelais
Hors Concours
Catnip Spearmint
Sibola
Mumtaz Begum Blenheim Blandford Swynford
Blanche
Malva Charles O'Malley
Wild Arum
Mumtaz Mahal The Tetrarch Roi Herode
Vahren
Lady Josephine Sundridge
Americus Girl
Blue Gem Blue Peter Fairway Phalaris Polymelus
Bromus
Scapa Flow Chaucer
Anchora
Fancy Free Stefan the Great The Tetrarch
Perfect Peach
Celiba Bachelor's Double
Santa Maura
Sparkle Blandford Swynford John o'Gaunt
Canterbury Pilgrim
Blanche White Eagle
Black Cherry
Gleam Galloper Light Sunstar
Santa Fina
Eagerford Aldford
Eager Eyes

ナスルーラは当馬の項を参照。

母ブルージェムは競走馬としては英で走り6戦3勝の成績だった。本馬の半妹エセルレダ(父プリンスシュヴァリエ)の牝系子孫に、マウンテンベアー【サンタバーバラH(米GⅠ)】、エフィシオ【エミリオトゥラティ賞(伊GⅠ)】、ティンボロア【伊共和国大統領賞(伊GⅠ)・ターフクラシック招待S(米GⅠ)】などがいる。ブルージェムの母スパークルの半姉インクリングの子にはスターリノ【愛2000ギニー】とブライトニューズ【愛ダービー】、牝系子孫にはトロメオ【アーリントンミリオン(米GⅠ)】が、スパークルの半妹セレスティアルライトの子には豪州で名種牡馬として大活躍したスモーキーアイズがおり、セレスティアルライトの牝系子孫は、エイブルフレンド【香港マイル(香GⅠ)・香港スチュワーズC(香GⅠ)・クイーンズシルバージュビリーC(香GⅠ)・チャンピオンズマイル(香GⅠ)】が出るなど現在もオセアニアや香港を中心に繁栄している。→牝系:F13号族②

母父ブルーピーターは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は5歳時から英国で種牡馬入りした。産駒は自身と同様の短距離馬が多かったが、古馬になってから大成した自身と異なり早熟傾向が見て取れる。1966年には英愛2歳種牡馬ランキングで3位、翌67年には2位に入っている。

もっとも、本馬自身の種牡馬成績は、大種牡馬が多いナスルーラ産駒の中では際立って目立つものではなく、本馬の直系が一つの独立した系統として認知されたのは、日本に輸入された直子テスコボーイが種牡馬として大成功を収めたためである。テスコボーイの成功を受けて、ファバージ、バーバー、サンプリンス、リアルム、ソーブレスド、フロリバンダ、トライバルチーフ、フランキンセンス、ゲイルーザック、シリコーン、マイハート、グッドウッド、ディバインギフト、リッチボーイ、レボウ、デヴィシアック、メダル、プリンスリーマウントなど本馬の直子が現役成績の高低に関わらず先を争って日本に輸入され、まさにプリンスリーギフト狂想曲とでも言うべき状態に陥っていた。ファバージなどは欧州で複数のGⅠ競走勝ち馬を出しており、そのまま欧州にいればさらなる活躍が出来た可能性があるのだが、不幸にも日本に輸入されてしまった。しかもファバージの代表産駒だった凱旋門賞馬ラインゴールドや伊ダービー馬ゲイルーザックまで御丁寧に日本に輸入されるという有様だった。このおかげで日本以外の国では本馬の直系は殆どいなくなってしまった。なお、本馬自身はテスコボーイが最初の全日本首位種牡馬になる前年の1973年に22歳で他界しており、本馬自身が日本に輸入される事は無かった。

日本に輸入されたプリンスリーギフト系の種牡馬はそれなりの成績を残したものが多かったが、テスコボーイに匹敵する成功を収めた産駒はおらず、その後に到来したノーザンダンサー系種牡馬ブームに押されて殆どの種牡馬は直系が途絶えてしまい、結局残ったのはテスコボーイの直系のみとなった。そのテスコボーイの直系も現在では風前の灯となっており、近い将来に絶滅する事はほぼ確実な情勢である。確かに本馬の系統は欧州よりも日本の馬場に適していた可能性が高い。産駒が欧州に残っていても、(ファバージ以外は)種牡馬として成功できたか疑問であり、日本が本馬の血を導入したからこそ本馬の直系が繁栄した側面はある。しかし、それにしても限度がある。これだけ多くの直子を日本に輸入したところで、繁殖牝馬の奪い合いになるだけで、全てが成功するわけは無いのである。しかし日本競馬界は本馬の系統を殆どまるごと日本に持ってきてしまい、挙句の果てには直系を伸ばそうともせず滅亡に追いやろうとしている。海外の馬産家の中には日本の馬産界に対して冷ややかな目を向けている人が少なくないのは、筆者が多数の海外の資料に目を通してきた中で感じ取った事である。その理由のかなりの割合を、2003年に発覚したファーディナンド屠殺事件が占めており、この件で日本がやたらと責められるのは筆者にとって腹立たしい事なのだが、日本の馬産界が過去にやってきた行為を考えれば、それは当然の報いなのかも知れない。

本馬の直系は日本以外にもごく一部生き残っている。それは南米のウルグアイである。フロリバンダが日本に輸入される前に英国で出したゴアバンドルという馬(競走馬としては12勝を挙げているようだが、特に名のあるレースを勝っている形跡は無い)がウルグアイに輸出され、そこでウルグアイの首位種牡馬アドリアティックを出して直系を伸ばしたからである。さすがにウルグアイでも本馬の直系は衰退傾向にあるようだが、特定の系統ばかりに群がる日本の馬産界より、南米の馬産界の方が様々な血統を残す事に長けているため、日本の方が先に本馬の直系が滅亡するような気もする。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1957

Kings Troop

ロイヤルハントC

1958

Floribunda

ナンソープS・ニューS・キングジョージS

1959

Prince Poppa

愛フェニックスS

1959

Prince Tor

コーンウォリスS

1960

Romantic

ジュライS・リッチモンドS

1960

Royal Indiscretion

モールコームS

1961

Princelone

クイーンアンS

1962

Present

シュマンドフェルデュノール賞

1962

Siliconn

コーク&オラリーS

1963

Caterina

ナンソープS

1963

Chrona

チェリーヒントンS・チャイルドS

1963

Tesco Boy

クイーンアンS

1964

Alcan

ホーリスヒルS

1964

Jadeite

愛フェニックスS

1965

Berber

リッチモンドS・セントジェームズS

1965

Lowna

モールコームS

1965

So Blessed

ジュライC・ナンソープS・コーンウォリスS・キングジョージS

1966

Princeline

モルニ賞

1967

Realm

ジュライC(英GⅠ)・ダイアデムS・チャレンジS

1967

Tribal Chief

ニューS・ノーフォークS

1968

Anna Karenina

アランベール賞

1969

Sun Prince

ロベールパパン賞(仏GⅠ)・コヴェントリーS(英GⅡ)・セントジェームズパレスS(英GⅡ)・クイーンアンS(英GⅢ)

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