サンドリッジ

和名:サンドリッジ

英名:Sundridge

1898年生

栗毛

父:アンフィオン

母:シエラ

母父:スプリングフィールド

重いハンデに耐えながらジュライC3連覇など短距離戦で活躍し、後世にもその快速を伝えた20世紀初頭英国の名短距離馬

競走成績:2~6歳時に英で走り通算成績35戦17勝2着8回3着1回

誕生からデビュー前まで

英国の保守党議員だった第6代男爵サミュエル・エドワード・スコット卿により、自身が所有する牧場において生産・所有され、J・キャノン調教師に預けられた。主戦は英国平地騎手に6回輝いていたモルニ・キャノン騎手が務めた。

競走生活(2・3歳時)

デビューする直前の2歳夏に腰を悪くし、治療のため3か月を要した。ようやく2歳10月にニューマーケット競馬場で行われた未勝利戦でデビューしたが、着外に敗れてしまい、この年の出走はこれだけだった。

翌3歳時は英国クラシック競走には目もくれず、古馬相手の短距離路線に進んだ。3歳初戦は5月にニューマーケット競馬場で行われたヒースハイウェイトH(T5F)だった。古馬相手のレースとなったが104ポンドという軽量に恵まれて、17ポンドのハンデを貰った4歳馬スターオブハノーヴァーに1馬身差で勝利した。1週間後のチェスター伯爵ウェルターH(T6F)では前走より23ポンド重い127ポンドを課されたが、13ポンド斤量が軽いシルバーハンプトンに3馬身差をつけて勝利した。次走のロイヤルS(T6F)では、同じアンフィオン産駒である3歳年上のデュードネ(この段階でミドルパークプレート・サセックスS・英チャンピオンSなどを勝っていた)との対決となったが、5歳馬マスターワイリーが勝利を収め、本馬は2着、デュードネは3着に敗れた。次走のジュライH(T6F)では104ポンドの軽量を活かして、117ポンドの斤量だったローズツリー以下に勝利した。続くポートランドプレート(T5F)では、再びデュードネとの対決となったが、2ポンド斤量が重いデュードネが勝ち、本馬は3/4馬身差の2着だった。その後は距離を伸ばして10ハロン路線に向かい、プリンスエドワードH(T10F)に出走したが、106ポンドの軽量にも関わらずファンシーマンの着外。その後のリッチモンドプレートやクロックステスプレートでも着外に敗退したが、この年最後の出走となったチャッツワースプレート(T5F)では勝利した。3歳時の成績は9戦4勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時はテディントンプレート(T6F)から始動し、121ポンドのトップハンデながら、14ポンドのハンデを与えたヴェルスや26ポンドのハンデを与えたフィロキセラを一蹴して2馬身差で勝利した。続くロイヤルS(T6F)では着外に敗れたが、次走のジュライC(T6F)では勝利した。しかし、その後は重い斤量に悩まされ、なかなか勝ち星に恵まれなかった。130ポンドを課せられたスチュワーズC(T6F)で着外に敗れると、マリーンプレートも3着に敗退。リッチモンドプレートでも着外に敗れ、チャレンジS(T6F)では3ポンドのハンデを与えたチャコルナク(米国から移籍してきた米国産馬で、ベルモントフューチュリティSなどを勝って1899年の米最優秀2歳牡馬に選ばれている)の僅差2着に敗退。スチュワーズプレートでも2着に敗れて、これで5連敗を喫した。4歳最後のレースとなったチャッツワースプレート(T5F)では連敗を脱出したが、4歳時の成績は9戦3勝と、昨年より勝ち星を減らした。

この頃から本馬に喘鳴症の兆候が現れ始めたため、馬主のスコット卿は12月に本馬をニューマーケットセールで売却した。本馬を1450ギニーで購入したのは、南アフリカのダイヤモンド王ソロモン・バーナート・ジョエル氏の兄ジャック・バーナート・ジョエル氏だった。そして本馬は、ジョエル氏の専属調教師となっていたシャルル・モートン調教師(本馬より1歳年下の英国クラシック4勝馬セプターの最初の管理調教師だったが、セプターの所有者ロバート・シービア氏と仲違いしてジョエル氏のところに去っていた)の元に転厩して翌5歳時も現役を続けることになった。厩舎は変わったが、主戦はキャノン騎手のまま変更されなかった。

競走生活(5・6歳時)

5歳時は前年に引き続きテディントンプレート(T6F)から始動して、123ポンドの斤量を難なくこなして勝利した。次走のロイヤルS(T6F)は過去2年連続敗れている相性が悪いレースだったが、136ポンドの斤量を克服し、19ポンドのハンデを与えた同世代の英オークス馬キャップアンドベルズを破って勝利した。次走のキングズスタンドS(T5F)では142ポンドという酷量を課せられたが、それでも勝利。続くジュライC(T6F)でも142ポンドを背負いながら勝利して、1877年のスプリングフィールド(本馬の母父でもある)、1881年のカリベルトに次いで史上3頭目となる同競走2連覇を飾った。スチュワーズC(T6F)ではスタートで出負けして4着に終わったが、137ポンドを背負ったデワーレンH(T5F)では、2着馬クライレッタとの斤量差50ポンドという圧倒的なハンデ差を覆して勝利した。その後、ルブリゾンという馬とのマッチレースがハーストパーク競馬場芝5.5ハロンで組まれたが、本馬は136ポンド、ルブリゾンは116ポンドという20ポンドのハンデ差が響いて2馬身差で敗れた。その後に感染症を患った本馬にはさらに喘鳴症の症状が本格的に現れ始め、この年の出走はこれが最後となった。5歳時の成績は7戦5勝だった。

喘鳴症の症状は比較的軽度だったのか、6歳時も現役を続行した。初戦のスウィープSでは144ポンドの斤量が課されて、56ポンドも軽い88ポンドだったナットウィズに敗れて2着だった。しかし次走のキングズスタンドS(T5F)は前年と同じ142ポンドを背負って2連覇を果たした。さらに続くジュライC(T6F)でも前年と同じく142ポンドを背負いながらも勝利を収め、同競走史上初(現在でも唯一)の3連覇を果たした。続くスチュワーズC(T6F)は137ポンドを課せられて着外に敗れた(上位3頭は全て本馬から42~53ポンドのハンデを貰っていた)が、デワーレンH(T5F)では前年より2ポンド重い139ポンドを背負いながらも、17ポンドのハンデを与えたレイルウェイS勝ち馬ファリマンに勝利した。ポートランドプレートで22ポンドのハンデを与えた3歳馬サントリーの2着した後、いずれも134ポンドを背負ったスネイルウェルS(T5F)・ケンネットプレート(T5F)を連勝した。続くチャレンジS(T6F)では5ポンドのハンデを与えたデローネイの2着に敗退。デローネイは翌年のキングズスタンドプレートやジュライCを勝っており、このレースは世代交代の一面を持っていた。そして本馬はこのレースを最後に6歳時9戦5勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Amphion Rosebery Speculum Vedette Voltigeur
Mrs. Ridgway
Doralice Orlando
Preserve
Ladylike Newminster Touchstone
Beeswing
Zuleika Muley Moloch
Corumba
Suicide Hermit Newminster Touchstone
Beeswing
Seclusion Tadmor
Miss Sellon
Ratcatcher's Doughter Rataplan The Baron
Pocahontas
Lady Alicia Melbourne
Testy
Sierra Springfield St. Albans Stockwell The Baron
Pocahontas
Bribery The Libel
Splitvote
Viridis Marsyas Orlando
Malibran
Maid of Palmyra Pyrrhus the First
Palmyra
Sanda Wenlock Lord Clifden Newminster
The Slave
Mineral Rataplan
Manganese
Sandal Stockwell The Baron
Pocahontas
Lady Evelyn Don John
Industry

父アンフィオンは、現役成績24戦14勝、英チャンピオンS・ハードウィックS・シャンペンS・ジュビリーS・ランカシャープレートなどを制した。特に4歳時のハードウィックSでは英ダービー馬セインフォインと英2000ギニー馬シュアフットという1歳年下の一流馬をまとめて負かし、自身もまたそれらに引けを取らない一流馬である事を立証した。種牡馬としては10ハロン前後の距離もこなした自身と異なり短距離馬を多く出した。また、名繁殖牝馬ビューチフルドリーマー(五冠馬シンザンの5代母)の母父として日本競馬界にも影響を与えている。

アンフィオンの父ローズベリーは現役成績8戦2勝だが、勝った2戦はシザレウィッチH・ケンブリッジシャーHの上級ハンデ競走だった。ローズベリーの父スペキュラムはヴェデット産駒で、グッドウッドCなど16勝を挙げた長距離馬だった。種牡馬としても1878年の英ダービー馬セフトンなどを出し、同年の英首位種牡馬に輝く成功を収めた。ちなみにアンフィオンの母スーサイドはアンフィオンを産む前年にスペキュラムと交配されたが、その直後にスペキュラムが他界した上にスーサイドが再び発情したため、スペキュラムの息子であるローズベリーが急遽代役として交配相手となったという。そのためにアンフィオンの血統表の父欄には「スペキュラム又はローズベリー」と書かれているが、交配後に発情した経緯からしてもローズベリーが父親で間違いないだろう。

母シエラは馬産にはあまり興味が無かったヴィクトリア英国女王の生産馬で、アンフィオンにハードウィックSで負かされた英ダービー馬セインフォインの2歳年下の全妹に当たる。片側の鼻孔に異常があり、呼吸に難があったため、不出走のまま繁殖牝馬となった。産駒には本馬の全姉アンフォーラ【ジムクラックS・スチュワーズC】、全弟エルムスティード【スチュワーズC】がいる。アンフォーラの牝系子孫はなかなか発展しており、マイスワロー【ロベールパパン賞・モルニ賞・サラマンドル賞・仏グランクリテリウム】、シガー【BCクラシック(米GⅠ)・ドバイワールドC・NYRAマイルH(米GⅠ)・ドンH(米GⅠ)2回・ガルフストリームパークH(米GⅠ)・オークローンH(米GⅠ)・ピムリコスペシャルH(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)2回・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)】、デインリッパー【コックスプレート(豪GⅠ)・ストラドブロークH(豪GⅠ)・オーストラリアンC(豪GⅠ)・マニカトS(豪GⅠ)】、ジオポンティ【フランクEキルローマイルH(米GⅠ)・マンハッタンH(米GⅠ)・マンノウォーS(米GⅠ)2回・アーリントンミリオン(米GⅠ)・シャドウェルターフマイルS(米GⅠ)2回】、日本で走ったフジノホマレ【中山大障害春】、ナスノセイラン【中山大障害春2回】、ナスノヒエン【中山大障害春】などが登場している。→牝系:F2号族②

母父スプリングフィールドは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、ジョエル氏が所有していた英国ノーソウハウススタッドで種牡馬入りしたが、喘鳴症がある事が嫌われて、種牡馬としての人気は上がらなかった。その3年後の1908年に、ジョエル氏が新たに購入したチャイルドウィックベリースタッドに移動したが、ここでも不人気である状況に変わりはなかった。その2年後の1910年に仏国に輸出され、ヴィルボン牧場で種牡馬供用されるようになった。

ところがその翌年の1911年、産駒のサンスターが英2000ギニー・英ダービーを制覇。他にもサンダーがジュライCを優勝するなど、英国に残してきた産駒が大活躍し、本馬はこの年の英愛首位種牡馬に輝いた。ジョエル氏は慌てて本馬を買い戻そうとしたが、時既に遅く本馬は仏国で人気種牡馬となっており、買い戻しは出来なかった。1913年にも、英愛種牡馬ランキングで2位に入る活躍を示している。

1920年にジョエル氏はようやく本馬を買い戻し、再びチャイルドウィックベリースタッドで種牡馬として繋養したが、本馬の受精能力は既に低下しており、その後の2年間で僅か9頭の産駒を出すに留まった。1923年に本馬は心臓麻痺により25歳で他界したが、同年には英愛母父首位種牡馬に輝いている。遺体はチャイルドウィックベリースタッド内の、代表産駒サンスターの母ドリスの隣に埋葬された。

本馬の直系は、代表産駒サンスターを通じて世界各国に広まった。サンスターの産駒には、英2000ギニー馬クライグアンエラン、エクリプスS2連覇のバカン、パリ大賞優勝馬ギャロッパーライト、ミドルパークS勝ち馬ノーススターなどがいる。バカンは1927年の英首位種牡馬になり、バカン産駒のシアンモアは日本に輸入されて種牡馬として大きな成功を収めた。また、米国に輸入されたノーススターはケンタッキーダービー馬バブリングオーバーを出した。しかし現在では本馬の直系は衰退し、殆ど見かけることはなくなっている。しかし、本馬の牝駒レディジョセフィンが産んだ2頭の牝駒ムムタズマハルナスルーラマームードアバーナントの祖母。ロイヤルチャージャーの曾祖母)とレディジュラール(フェアトライアルの母。テューダーミンストレルの祖母)を通じて、本馬の血が近代競馬に与えた影響力は現在も絶大なものとなっている。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1906

Sunflower

オールエイジドS

1907

Sunder

ジュライC

1908

Radiancy

コヴェントリーS

1908

Sunstar

英2000ギニー・英ダービー

1909

Absurd

ミドルパークS

1909

White Star

デューハーストS・ジュライS・モールコームS・英シャンペンS

1910

Golden Sun

ジュライC・チャレンジS・スチュワーズC

1910

Jest

英1000ギニー・英オークス

1910

Sun Yat

サセックスS

1911

Sunny Lake

グリーナムS

1912

Lady Josephine

コヴェントリーS

1912

Silver Tag

チャイルドS・ケンブリッジシャーH・ロイヤルハントC

1912

Sunfire

グリーナムS

1913

Argos

ミドルパークS

1913

Figaro

ジュライS

1915

Caroly

エドヴィル賞

1915

Sun Briar

サラトガスペシャルS・ホープフルS・トラヴァーズS

1920

Niceas

フォレ賞・ボイアール賞・モートリー賞・エドモンブラン賞・グロシェーヌ賞・セーネワーズ賞・プティクヴェール賞

TOP