リアルシャダイ

和名:リアルシャダイ

英名:Real Shadai

1979年生

鹿毛

父:ロベルト

母:デザートヴィクスン

母父:インリアリティ

ノーザンテーストの12年連続を阻止して中央競馬首位種牡馬を獲得し、日本におけるヘイルトゥリーズン系種牡馬ブームの先駆けとなった良血馬

競走成績:2・3歳時に仏で走り通算成績8戦2勝2着2回3着2回

ノーザンテーストの12年連続を阻止して中央競馬首位種牡馬を獲得し、日本競馬界におけるヘイルトゥリーズン直系種牡馬ブームの先駆けとなった名種牡馬。

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州ノースリッジファームにおいて、フランクリン・グローヴ氏により生産された。1歳時のキーンランド7月セールに出品され、社台グループの創業者である吉田善哉氏により36万ドル(当時の為替レートで約8千万円)で落札された。かなりの高額ではあるが、母デザートヴィクスンが現役時代にGⅠ競走を6勝して1973年のエクリプス賞最優秀3歳牝馬及び1974年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬に選ばれ、本馬が産まれた1979年に米国競馬の殿堂入りを果たした名牝である事を考えると、超高額というほどではない。その理由は、まだ父ロベルトが種牡馬として本格化する前だった(本馬がセリに出される以前におけるロベルト産駒のGⅠ競走勝ちは1つ)事と、本馬自身に脚部不安があったためだと推察される。仏国のジョン・カニングトン・ジュニア調教師に預けられた。

競走生活

2歳11月に仏国メゾンラフィット競馬場で行われたアズダトゥ賞(T1600m)で、主戦となるモーリス・フィリッペロン騎手を鞍上にデビューしたが、ノーブルブルームの6着に敗退。サンクルー競馬場に移動して出走したマドリガル賞(T2000m)も、後のエクスビュリ賞の勝ち馬イムヤーの2着に敗れ、2歳時は2戦未勝利の成績に終わった。この年は脚部不安の影響で強い調教が出来ていなかったとされている。

3歳時は4月にロンシャン競馬場で行われたリステッド競走マロニエ賞(T2400m)から始動して、ここで勝ち上がった。翌月のオカール賞(GⅡ・T2400m)では、勝った後のガネー賞2着馬カドゥーダルから3馬身差、2着ノーブルブルームから2馬身差の3着に入った。続いて仏ダービー(GⅠ・T2400m)に参戦。勝ったベレスフォードS・ガリニュールSの勝ち馬アサートから3馬身差をつけられたが、3着となったグレフュール賞の勝ち馬ボアドグラースに2馬身差をつけて、2着を確保した。

次走は古馬相手のサンクルー大賞(GⅠ・T2500m)となった。ここでは、伊グランクリテリウム・伊ダービー・パリ大賞・オイロパ賞・グレートヴォルティジュールS・ジョンポーターSに勝ち、英ダービーでシャーガーの2着、英セントレジャーでシャーガーに先着する2着、コロネーションCでも2着していたグリントオブゴールド、エヴリ大賞・アルクール賞・リス賞・エドヴィル賞を勝ちガネー賞で2着してきたランカストリアンの2頭の古馬が接戦を演じて、グリントオブゴールドが頭差で勝利を収めたが、本馬も3馬身差をつけられながらも3着を確保した。

続くドーヴィル大賞(GⅡ・T2700m)では、モーリスドニュイユ賞・ヴィシー大賞で2着してきたノーアテンションとの、後に日本で種牡馬入りする馬同士の対戦となった。そして結果は殿一気の競馬を見せた本馬が、2着ノーアテンションに1馬身半差をつけてグループ競走初勝利を挙げた(負けたノーアテンションは結局グループ競走を勝てずじまいだった)。

秋には凱旋門賞(GⅠ・T2400m)に参戦した。仏ダービーの後に愛ダービー・ベンソン&ヘッジズ金杯・ジョーマクグラス記念SとGⅠ競走3勝を積み上げてキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSでも2着していたアサート、アスコット金杯2回・ロワイヤルオーク賞・ガリニュールS・ヨークシャーC2回・グッドウッドC・ジェフリーフリアS2回・ジョッキークラブC・ジョッキークラブS・ヘンリーⅡ世S・ドンカスターCと欧州最多タイのグループ競走13勝を挙げていたアルドロス、仏オークス・サンタラリ賞・ヴァントー賞の勝ち馬ハーバー、仏ダービー・ガネー賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞・サンクルー大賞2着のビカラ、仏オークス・ヴェルメイユ賞で2着のアキーダ、ヴェルメイユ賞・ターフクラシックS・クレオパトル賞・ポモーヌ賞・フォワ賞を勝ち前年の凱旋門賞で3着していたエイプリルラン、ヴェルメイユ賞・モーリスドニュイユ賞・ペネロープ賞の勝ち馬でサンタラリ賞2着のオールアロング、ヨークシャーオークスの勝ち馬アワーシフ、クリテリウムドサンクルー・シェーヌ賞・ニエル賞の勝ち馬ボンサン、ハードウィックS・カンバーランドロッジS・セプテンバーSの勝ち馬で仏グランクリテリウム2着・コロネーションC3着のクリティク、ムシドラSの勝ち馬で英オークス3着のラストフェザー、オカール賞で本馬を破ったカドゥーダル、ノーアテンションなどが出走しており、本馬は9番人気の低評価だった。1番人気のアサートが馬群に沈み、アキーダ、アルドロス、アワーシフ、エイプリルランの4頭が大接戦を演じた末にアキーダが勝利したこのレースで、本馬はアキーダから4馬身3/4差の5着に入った。ノーアテンション(6着)、カドゥーダル(7着)、クリティク(8着)、ハーバー(9着)、アサート(11着)、ビカラ(12着)、ボンサン(13着)、ラストフェザー(14着)、翌年の凱旋門賞を勝つオールアロング(15着)などには先着しており、健闘したと言える。3歳時の成績は6戦2勝だった。

翌年も現役を続行する予定で、米国のチャールズ・ウィッティンガム厩舎に転厩する計画もあったようだが、4歳時は結局1度もレースに出る事なく競走馬引退となった。

血統

Roberto Hail to Reason Turn-to Royal Charger Nearco
Sun Princess
Source Sucree Admiral Drake
Lavendula 
Nothirdchance Blue Swords Blue Larkspur
Flaming Swords 
Galla Colors Sir Gallahad
Rouge et Noir
Bramalea Nashua Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Segula Johnstown
Sekhmet
Rarelea Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Bleebok Blue Larkspur
Forteresse
Desert Vixen In Reality Intentionally Intent War Relic
Liz F.
My Recipe Discovery
Perlette
My Dear Girl Rough'n Tumble Free for All
Roused
Iltis War Relic
We Hail
Desert Trial Moslem Chief Alibhai Hyperion
Teresina
Up the Hill Jacopo
Gentle Tryst
Scotch Verdict Alsab Good Goods
Winds Chant
Glen Arvis Attention
Helen Gleason

ロベルトは当馬の項を参照。

デザートヴィクスンは当馬の項を参照。→牝系:F2号族②

母父インリアリティは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は4歳時の1983年11月に来日し、翌年から社台スタリオンステーションにおいて種牡馬生活を開始した。当時は同じ社台スタリオンステーションで繋養されていたノーザンテーストが種牡馬として猛威を振るっていた時期であり、優秀なノーザンテースト牝駒が社台グループには多くいた。他にもノーザンダンサーの血を引く優秀な繁殖牝馬は多かったため、ノーザンダンサーの血を持たない本馬にはそれらの交配相手としての期待が寄せられた。種牡馬入り初年度は73頭と交配し、2年目は81頭、3年目は86頭と交配数を増やした。4年目の1987年は交配数が67頭に下がったが、翌1988年春に初年度産駒のミュゲロワイヤルやフリートークが重賞を勝利したために、この年は97頭まで交配数が増加。6年目となる1989年の交配数は90頭。この年に2年目産駒のシャダイカグラが桜花賞に勝利して、全日本種牡馬ランキングでも第8位に入ったため、人気種牡馬としての地位は確立された。7年目は94頭、8年目は97頭、9年目の1992年は81頭の交配数だった。この1992年は5年目産駒のライスシャワーが菊花賞を勝った年であり、翌10年目の交配数は111頭と、遂に交配数が100頭を突破した(ノーザンテーストは年間交配数が100頭を超えた年は無い)。この1993年には天皇賞春を勝ったライスシャワーを筆頭に、ムッシュシェクル、シクレノンシェリフ、ステージチャンプなどが着実に賞金を積み重ね、ノーザンテーストの12年連続を阻止して中央競馬首位種牡馬の座を獲得し、全日本首位種牡馬にも輝いた。

本馬の成功を皮切りに、日本ではヘイルトゥリーズン直系種牡馬ブームが起こり、遅れて輸入されてきたブライアンズタイムサンデーサイレンスの種牡馬人気にも影響を与えた。

本馬の産駒は大別して早熟のマイラータイプと、晩成の長距離馬タイプがいる。初期の産駒はシャダイカグラやイブキマイカグラに代表される前者のマイラータイプが多かったが、中期以降の産駒は後者の長距離馬タイプが大半となっている。1995年の天皇賞春で本馬の産駒(ライスシャワー、ステージチャンプ、ハギノリアルキング)が1~3着を占めたのが典型例である。ただ、長距離馬タイプの産駒が多い故に(一部の例外を除いて)ジリ脚傾向が強い。そのため、スピード競馬全盛となった日本競馬界ではやや時代に合わなくなった部分もあり、首位種牡馬獲得後は、トニービン、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスといった新鋭種牡馬に押されるようになった。それでも人気種牡馬である事には変わりが無く、11年目は過去最高の120頭、12年目は105頭、13年目は105頭、14年目は72頭、15年目は89頭、16年目の1999年は97頭の繁殖牝馬を集め、長期間にわたり安定して活躍馬を送り出した。全日本種牡馬ランキングでは1989年の8位を皮切りに、90年の9位、91年の7位、92年の3位、93年の首位、94年の2位、95年の5位、96年の9位、97年の10位、98年の6位と、10年連続でトップテン入りを果たした。

一部を除いて決め手に欠ける部分は確かにあったが、産駒の質は全体的に高く、スタミナ・我慢強さ・闘争心・底力などは一流のものを有していた。しかし自身の脚部不安を受け継いだ産駒が多かったのが最大の難点であり、故障に泣かされた産駒は数知れない。1999年頃から受精率の低下が目立つようになり、種牡馬入り17年目の2000年に36頭と交配したのを最後に、種牡馬を引退。以降は社台スタリオンステーションで功労馬として余生を送った。2004年5月に右後脚蹄葉炎による衰弱のため25歳で他界した。同年12月にはノーザンテーストも他界しており、社台グループの屋台骨を支えた輸入種牡馬が相次いでこの世を去ったことになった(トニービンは2000年に、サンデーサイレンスは2002年に他界していた)。

代表産駒のライスシャワーが不慮の事故で早世した影響もあり、残念ながら後継種牡馬には恵まれなかった。現在は母系に入って優秀なスタミナを伝える役割を果たしている。繁殖牝馬の父としては、トウカイポイント、イングランディーレ、プライドキム、サンライズバッカス、アドマイヤジュピタなどを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1985

ヒカリシャダイ

中島記念(佐賀)

1985

フリートーク

フラワーC(GⅢ)・クイーンS(GⅢ)

1985

ミュゲロワイヤル

共同通信杯四歳S(GⅢ)

1986

オースミシャダイ

阪神大賞典(GⅡ)・日経賞(GⅡ)

1986

シャダイカグラ

桜花賞(GⅠ)・ローズS(GⅡ)・ペガサスS(GⅢ)

1986

ジョーロアリング

阪急杯(GⅢ)

1986

スピークリーズン

京成杯(GⅢ)・函館記念(GⅢ)

1986

リアルサファイヤ

フラワーC(GⅢ)

1988

イブキマイカグラ

阪神三歳S(GⅠ)・弥生賞(GⅡ)・NHK杯(GⅡ)

1988

ムッシュシェクル

アルゼンチン共和国杯(GⅡ)・日経新春杯(GⅡ)・阪神大賞典(GⅡ)

1989

ライスシャワー

菊花賞(GⅠ)・天皇賞春(GⅠ)2回・日経賞(GⅡ)

1990

シクレノンシェリフ

毎日杯(GⅢ)

1990

ステージチャンプ

日経賞(GⅡ)・ステイヤーズS(GⅢ)

1990

ハギノリアルキング

目黒記念(GⅡ)・日経新春杯(GⅡ)

1990

フジノスラッガー

中山大障害秋

1993

オグリシャダイ

サラクイーン特別(笠松)

1994

サンライズフラッグ

鳴尾記念(GⅡ)

1994

ランフォザドリーム

マーメイドS(GⅢ)・朝日チャレンジC(GⅢ)

1995

ビッグコマンド

北陸三県畜産会長賞(金沢)

1996

ヤマノリアル

関東オークス(南関GⅠ)・TCK女王盃(GⅢ)・マリーンC(GⅢ)・ゴールデンティアラ賞(南関GⅡ)・ロジータ記念(南関GⅡ)・リリーC(南関GⅢ)

1997

ファイブビーンズ

埼玉新聞杯(南関GⅢ)

1997

フレアリングアロー

ニューイヤーC(南関GⅢ)

1998

サンライズジェガー

アルゼンチン共和国杯(GⅡ)

TOP