和名:ファロス |
英名:Pharos |
1920年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ファラリス |
母:スカパフロー |
母父:チョーサー |
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競走馬としては全弟フェアウェイより下の評価だったが、種牡馬として大種牡馬ネアルコや名馬ファリスを輩出した世界競馬史上を照らす大灯台 |
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競走成績:2~5歳時に英で走り通算成績30戦14勝2着5回3着6回 |
競走馬としての評価は全弟フェアウェイには及ばなかったが、弟よりも卓越したスピード能力を子孫に伝え、世界中の競馬界を自身の血で覆い尽くした大種牡馬。
誕生からデビュー前まで
第17代ダービー伯爵エドワード・スタンリー卿の生産・所有馬である。父ファラリスにとっては初年度産駒で、母スカパフローにとっては2番子だった。身体には白毛の部分が無く完全に鹿毛で覆われており、肩から腰にかけてのバランスが良い好馬体の持ち主で、父ファラリスよりも母父チョーサーに似ていると評された。膝が鎌のように湾曲しているのが欠点だったが、基本的に健康な馬であり、しかも機敏な動きを見せていた。ここまで書くと、いかにも期待できそうな馬に思えるが、気性が大人しすぎて、闘志が感じられない馬だったという。父ファラリスも手掛けたジョージ・ラムトン厩舎に所属したのだが、しかし名伯楽として名高かったラムトン師も本馬の素質はあまり高く評価していなかったようである。もっとも、本馬の素直な気性は、騎手の立場からすると至って好評だった。
競走生活(2歳時)
2歳4月にニューマーケット競馬場で行われた芝5ハロンの未勝利プレートでデビューして初勝利を挙げた。さらにベッドフォードS(T5F)も勝利。その後はアスコット競馬場に移動して、チェシャムS(T5F)を勝利した。しかしニューマーケット競馬場に戻って出走したチェスターフィールドS(T5F)では、後のジュライSの勝ち馬レガリティの2着に敗北。その後はリヴァプール競馬場で出走したマージーS(T5.5F)、ストックトン競馬場で出走したラムトンSと連勝した。しかしヨーク競馬場で出走した新設競走ナンソープS(T5F)ではスタートに失敗した影響もあり、3歳牝馬トゥーステップの最下位に敗れた。ニューマーケット競馬場で出走した次走のホーソーンS(T8F)では、トゥエルヴポインターの2着に敗れた。しかし2歳最後のレースとなったハーストパークグレート2歳S(T6F)では勝利した。2歳時の本馬は裏街道を進んでおり、2歳戦の大レースには参戦しなかった。そのためか2歳時9戦6勝の好成績ながらも2歳時のフリーハンデでは第4位に留まった(第1位はジムクラックS・ニューS・ナショナルブリーダーズプロデュースS・モールコームSなどを制したタウンガード)。
競走生活(3歳時)
3歳になってもラムトン師は本馬に対して高評価を下さず、実力不足であるとして最初から英2000ギニーを見送る事が決定していた。その代わりにポンテクラフトSに出走したが、重馬場に泣いて3着に終わった。ところがこのレースの直後、本馬は急激に調子が上向き、それを感じ取ったラムトン師は本馬を英ダービーに向かわせる事とし、それに向けての調整を開始した。まずはヘイスティングスS(T10F)に本馬を出走させた。本馬がこのレースを快勝すると、続いてマーチS(T10F)に向かわせた。本馬はこのレースも、後のグレートジュビリーHの勝ち馬サイモンピュアを2着に破って勝利した。
そして本馬は英ダービー(T12F)に参戦し、勢いが買われて2番人気に推された。直線では先頭に立ち、そのまま押し切るかと思われたが、ゴール直前でスタミナ切れを起こして失速し、クリテリオンS・チェスターヴァーズの勝ち馬パパイラスにかわされて1馬身差の2着に敗れた。ただし、この年の凱旋門賞を勝つグリーナムSの勝ち馬パース(3着)には1馬身半先着した。
その2週間後にはプリンスオブウェールズS(T13F)に出走したが、同世代馬イースタンモナークの3着に敗退。それで結局本馬は再び裏路線に戻ることとなった。まずはニューベリー競馬場に向かい、ロイヤルS(T10F)に出走して、2着ケルヴィンに頭差で辛うじて勝利した。その後は調子を崩して4か月間レースに出走できず、復帰は3歳シーズン終盤にニューマーケット競馬場で施行されたセレクトS(T8F)となった。しかしこのレースではロイヤルハントCで2着していた4歳馬ストラットフォードの2着に敗れた。
次走のケンブリッジャーH(T9F)では、後にコロネーションCを勝つ牝馬ヴァーディクト(後に英オークスやアスコット金杯の勝ち馬クワッシュドの母となっている)と、仏グランクリテリウム・フォレ賞・クリテリウムデメゾンラフィット・イスパーン賞・グロシェーヌ賞などを勝っていた当時の仏国最強馬エピナードの、本馬の同世代馬2頭の好勝負に参加できず、2着エピナードを首差抑えて勝ったヴァーディクトから少し離された4着に敗れた。もっとも、本馬の斤量は121ポンドであり、128ポンドのエピナードよりは軽かったが、110ポンドのヴァーディクト、3着だった3歳牡馬デュマの86ポンドに比べると重かった。3歳シーズン最後のリヴァプールオータムC(T10F)では、勝ったデュークオブヨークHの勝ち馬ポイズンドアローから4馬身半差、2着となったチェスターフィールドCの勝ち馬エヴァンダーから1馬身半差の3着に敗退。
結局3歳時は9戦3勝の成績に終わり、エピナードなどに比べると遥かに下の実力しかない、並の3歳馬という程度の評価だった。なお、エピナードに関して書かれた海外の資料には、この年のスチュワーズCでエピナードが本馬を破って勝利したと書かれているのだが、本馬に関して書かれた海外の資料には、本馬がスチュワーズCに出走したと書かれているものはない。仮に出ていたとすると本馬の3歳時の成績は10戦3勝になるのだが、いずれが正しいのか判然としない。
競走生活(4歳時)
4歳時は4月にエプソム競馬場で行われたシティ&サバーバンH(T10F)から始動したが、重馬場に脚を取られてしまい、99ポンドの軽量を活かして勝ったウルラ、134ポンドの斤量ながらも2着に入ったヴァーディクトから離された着外。5月にケンプトンパーク競馬場で出た次走のグレートジュビリーH(T10F)でも、2着ヴァーディクトと3着となった前年の愛2000ギニー馬ソルドゥメノとの短頭差・短頭差の大接戦を制した凱旋門賞馬パースの前に着外に終わった。さらに6月にアスコット競馬場で出たロウス記念S(T7F155Y)でも、ニューマーケットセントレジャー2着馬トゥエルヴポインターに敗れた。
しかし夏を迎えると調子が上昇し、4歳4戦目のリヴァプールサマーC(T10F)では、2着となったニューベリーサマーCの勝ち馬バトンルージュに6馬身差、3着となった後のロイヤルハントCの勝ち馬コクピットにはさらに半馬身差をつけて圧勝した。次走のノースシーS(T8F)も、唯一の対戦相手ボーディーラーを破って勝利。続くデュークオブヨークH(T10F)では、2着ヨーマンに3馬身差、3着ヴァーディクトにもさらに3馬身差をつけて完勝。
その3日後には英チャンピオンS(T10F)に参戦。凱旋門賞馬パースを2着に、英セントレジャー・デューハーストS・プリンセスオブウェールズSを勝っていた3歳馬サーモントラウトを3着に打ち破って勝利を収め、4連勝でシーズンを締めくくった。この年の成績は7戦4勝で、古馬10ハロン路線ではトップクラスの馬という評価を確立した。
競走生活(5歳時)
5歳時も現役を続行した。まずは一昨年に勝利したマーチS(T10F)から始動したが、前年の英2000ギニー2着馬ブライトナイトの3着に敗退した。その後はしばらく休養を取り、前年勝利したリヴァプールサマーC(T10F)に出走した。しかし131ポンドの斤量が影響したようで、14ポンドのハンデを与えたマンチェスターCの勝ち馬ウィナロットから1馬身1/4差、33ポンドのハンデを与えたルマントウアンから3/4馬身差の3着に敗れた。次走は10ハロン路線から離脱して短距離戦のナンソープS(T5F)に向かったが、そんなに甘くは無く、キングズスタンドプレート・キングジョージS・ジュライCを勝ってきた3歳馬ディオメデスの3着に敗退。
その後は再度10ハロン路線に戻り、デュークオブヨークH(T10F)に出走。ここでは、かなり大きなハンデを与えた13頭の他馬を蹴散らして6馬身差で圧勝した。その後は引退レースとして英チャンピオンS(T10F)で連覇を狙った。対戦相手は、ミドルパークS・インペリアルプロデュースS・クレイヴンSの勝ち馬で、後に夭折して悲運の名馬と呼ばれた3歳馬ピカルーンだけだった。結果はピカルーンが勝ち、本馬は半馬身差で敗れた。5歳時は5戦1勝の成績で引退した。
本馬は典型的な10ハロン専門馬であり、10ハロン戦が存在しない英国クラシック競走では残念ながら本馬の本領を発揮する機会は無かった。陣営がもっと早く10ハロン路線に専念させていれば、英チャンピオンS2連覇や、エクリプスS制覇も狙えたのではないだろうか。この点については、スタンリー卿もラムトン師も抜かったと言わざるを得ない。
馬名はアレクサンドリアの大灯台があるファロス島に由来しており、母スカパフローが英国オークニー諸島に存在する入り江(外部からの侵入を防げる天然の良港として第一次・第二次世界大戦で英国海軍の根拠地として利用され、両大戦で英国海軍と独国海軍の双方に多大な戦死者が出た)の名称だった事からの連想である。
血統
Phalaris | Polymelus | Cyllene | Bona Vista | Bend Or |
Vista | ||||
Arcadia | Isonomy | |||
Distant Shore | ||||
Maid Marian | Hampton | Lord Clifden | ||
Lady Langden | ||||
Quiver | Toxophilite | |||
Young Melbourne Mare | ||||
Bromus | Sainfoin | Springfield | St. Albans | |
Viridis | ||||
Sanda | Wenlock | |||
Sandal | ||||
Cheery | St. Simon | Galopin | ||
St. Angela | ||||
Sunrise | Springfield | |||
Sunray | ||||
Scapa Flow | Chaucer | St. Simon | Galopin | Vedette |
Flying Duchess | ||||
St. Angela | King Tom | |||
Adeline | ||||
Canterbury Pilgrim | Tristan | Hermit | ||
Thrift | ||||
Pilgrimage | The Palmer | |||
Lady Audley | ||||
Anchora | Love Wisely | Wisdom | Blinkhoolie | |
Aline | ||||
Lovelorn | Philammon | |||
Gone | ||||
Eryholme | Hazlehatch | Hermit | ||
Hazledean | ||||
Ayrsmoss | Ayrshire | |||
Rattlewings |
父ファラリスは当馬の項を参照。
母スカパフローもスタンリー卿の生産・所有馬で、競走馬としてはスカーボローSなど3勝をマークしている。繁殖牝馬としての成績は素晴らしく、本馬の全弟フェアウェイ【英セントレジャー・英チャンピオンS2回・エクリプスS・ジョッキークラブC・コヴェントリーS・ジュライS・英シャンペンS・プリンセスオブウェールズS】、全妹フェアアイル【英1000ギニー】、半弟ハイランダー(父コロナック)【ディーS】などを産んでいる。
フェアアイルの子にはセントマグナス【クイーンアンS】、牝系子孫には、オペラハウス【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・エクリプスS(英GⅠ)】、カイフタラ【アスコット金杯(英GⅠ)2回・愛セントレジャー(愛GⅠ)2回】、イジートップ【プリティポリーS(愛GⅠ)・ジャンロマネ賞(仏GⅠ)】などがいる。また、本馬の全妹ファラの子にはフェロー【サセックスS】、玄孫にはカリバン【コロネーションC】がいる。
スカパフローの半妹ロッセーベイ(父ベイヤード)の子にはブロディックベイ【ヨークシャーオークス】、孫にはプラッシー【コロネーションC・ジョッキークラブS】、ミラクル【エクリプスS・ジムクラックS】、玄孫世代以降にはニコポリス【WATCダービー・トゥーラックH2回・インビテーションS】、クリベンシス【英チャンピオンハードル・クリスマスハードル2回】、プリンスサリエリ【キャッスルメインS(豪GⅠ)・アンダーウッドS(豪GⅠ)】、グレートコマンド【新ダービー(新GⅠ)・新国際S(新GⅠ)】、サーミワン【マッキノンS(豪GⅠ)・オーストラリアンC(豪GⅠ)】、日本で走ったスギヒメ【桜花賞】などがいる。
スカパフローの半妹ファストネット(父ステッドファスト)の牝系子孫には、フュリアス【ヨハネスブルグサマーC(南GⅠ)・グレイヴィルチャンピオンS(南GⅠ)・ターフフォンテンチャンピオンS(南GⅠ)・グレイヴィル金杯(南GⅠ)】、ハレーバ【サウスコープパッケージングS(豪GⅠ)・オーストラリアメイドS(豪GⅠ)】、日本で走ったニシノスキー【朝日杯三歳S】などが、スカパフローの半妹ロサイス(父ハリーオブヘレフォード)の曾孫には、プリンスモルヴィ【カンタベリーギニー・AJCダービー・ヴィクトリアダービー・STCローソンS・AJCオールエイジドS・ジョージメインS】がいる。
また、スカパフローの叔母フライングホームの牝系子孫からは、インターメゾ【英セントレジャー】、日本で走ったイチフジイサミ【天皇賞春】、ギャラントダンサー【朝日杯三歳S】、シリウスシンボリ【東京優駿(GⅠ)】などが出ている。→牝系:F13号族①
母父チョーサーは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は、スタンリー卿所有の英国ウッドランドスタッドで種牡馬入りした。しかしその3年後の1929年、長距離馬を好んだスタンリー卿が本馬以上に期待していた全弟フェアウェイが期待どおりの活躍を示すと、まだフェアウェイが種牡馬入りする前から競合を避ける意味もあって仏国に輸出され、ウィイー牧場で種牡馬生活を続けた。しかし種牡馬としての成績は4度の英愛首位種牡馬に輝いたフェアウェイにそれほど引けを取るものではなく、1931年には英2000ギニー・英ダービーを制したカメロニアンの活躍で英愛首位種牡馬に輝いた。1937年4月に本馬は17歳でウィイー牧場において他界したが、その2年後の1939年には代表産駒の1頭ファリスの活躍で仏首位種牡馬を獲得した(ただし、仏首位種牡馬一覧表には同年の首位種牡馬はヴァトーであるとなっているものが多い。集計方法の違いによるものだろう)。
本馬の産駒は英愛仏伊の4か国でダービーを制覇しており、やはりスタンリー卿やラムトン師の相馬眼には少々疑問を抱かざるを得ない(彼等は本馬の父ファラリスの種牡馬能力も最初は評価していなかった)。しかし、スタンリー卿が本馬を仏国へ輸出した事は後に大きな意味を持つ事になる。1934年に伊国の馬産家フェデリコ・テシオ氏は、自身の所有する繁殖牝馬ノガラにフェアウェイを交配させようとした。しかし人気種牡馬だったフェアウェイの交配予約を得られなかったため、伊国の隣国仏国にいた本馬を代わりに交配させた。その結果として誕生したのがネアルコである。そしてネアルコを経由してナスルーラ、ノーザンダンサー、サンデーサイレンスなどが登場し、本馬の直系は全弟フェアウェイとは比較にならないくらい後世に大きく広まることになったのである。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1928 |
Cameronian |
英2000ギニー・英ダービー・セントジェームズパレスS・英チャンピオンS |
1928 |
Link Boy |
グリーナムS |
1928 |
Philae |
クレイヴンS |
1929 |
Firdaussi |
英セントレジャー・デューハーストS・ゴードンS・ジョッキークラブS |
1929 |
Limelight |
ハードウィックS |
1930 |
Arpette |
ジャックルマロワ賞・クロエ賞・アスタルテ賞 |
1930 |
Pampilhosa |
エクリプス賞 |
1931 |
Bernina |
伊1000ギニー・伊2000ギニー・伊オークス |
1931 |
Mary Tudor |
仏1000ギニー・ヴェルメイユ賞・クロエ賞・アルクール賞 |
1931 |
Shining Tor |
ジャックルマロワ賞・アランベール賞・プティクヴェール賞・グロシェーヌ賞・ダフニ賞 |
1932 |
Bouillon |
ノアイユ賞・アルクール賞 |
1932 |
Ping Pong |
シェーヌ賞・ゴントービロン賞・ドーヴィル大賞 |
1932 |
The Nile |
仏1000ギニー |
1932 |
Will of the Wisp |
リス賞 |
1933 |
Ambrose Light |
ジョンシェール賞・ダフニ賞 |
1933 |
Fair Ranee |
クイーンメアリーS |
1933 |
Fastnet |
トーマブリョン賞・ノアイユ賞・グレフュール賞 |
1933 |
Rhodes Scholar |
エクリプスS・セントジェームズパレスS・リブルスデールS |
1934 |
En Fraude |
仏オークス・ジャックルマロワ賞・クロエ賞 |
1934 |
Pherozshah |
コーク&オラリーS |
1934 |
Phideas |
愛2000ギニー・愛ダービー |
1935 |
パリ大賞・伊グランクリテリウム・伊2000ギニー・伊ダービー・ミラノ大賞・インペロ大賞 |
|
1935 |
Pactolus |
ディーS |
1936 |
仏ダービー・パリ大賞・ノアイユ賞 |
|
1936 |
Semiramide |
モルニ賞・ジャックルマロワ賞 |
1936 |
Signal Light |
クレイヴンS |
1937 |
Pallas |
ポモーヌ賞 |