和名:ナスルーラ |
英名:Nasrullah |
1940年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ネアルコ |
母:ムムタズビガム |
母父:ブレニム |
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爆発的なスピードを誇りながら激しい気性のため競走馬としては大成できなかったがその快速を子孫に伝えて世界中の競馬界に影響を与えた稀代の大種牡馬 |
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競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績10戦5勝2着1回3着2回 |
圧倒的なスピードを誇りながら激しすぎる気性が災いして競走馬としては大成できなかったが、種牡馬として記録的大成功を収め、世界中に自身のスピードを広めた大種牡馬。
誕生からデビュー前まで
名馬産家アガ・カーンⅢ世殿下により、愛国シェシューン牧場において生産・所有された。幼い頃から素晴らしい馬体を誇っており、その高い素質を認められて、大物との評価が高かった。アガ・カーンⅢ世殿下の専属調教師だった英国フランク・バターズ調教師に預けられ、主戦はゴードン・リチャーズ騎手が務めた。しかし本馬は、バーラムやマームードなどを手掛けた名伯楽バターズ師や、26度もの英国平地首位騎手に輝く事になる世紀の名手リチャーズ騎手の手にも負えない程に非常に気性が荒い馬で、また大変な気分屋だった。そのためにバターズ師は調教パターンを色々変えたり、ブリンカーなどの馬具を装着させてみたりと試行錯誤の毎日を送った。
競走生活(2歳時)
2歳6月にニューマーケット競馬場で行われたウィルバートンS(T5F)でデビューしたが、同じネアルコ産駒の牝馬ニアリー(天皇賞馬モンテプリンス・モンテファスト兄弟の4代母)の1馬身半差3着に敗退した。なお、本馬の現役時代は第二次世界大戦の最中であり、ニューマーケット競馬場を除く英国の主要競馬場は全て開催が中止されていた。そのため、本馬はニューマーケット競馬場のみで走る事になる。
同月には、本来はアスコット競馬場で行われるコヴェントリーS(T5F)に出走した。ここではリチャーズ騎手と初コンビを組んで、単勝オッズ2.75倍の1番人気に支持された。そして馬なりのまま走り、2着ストレートディールに1馬身半差をつけて初勝利を挙げた。翌月に出走したグレートブラッドリーS(T6F)では2頭立てとなり、11ポンドのハンデを与えた唯一の対戦相手フェリエルに4馬身差をつけて勝利した。
次走は英国で最も権威がある2歳戦の1つミドルパークS(T6F)となった。ここでは前走デューハーストSで本馬の同厩馬ウミッダッドの2着してきたストレートディールとの再戦となった。しかし本馬とストレートディールは共に気性の悪さを見せてしまった。勝ったのは牝馬リボンであり、本馬は追い上げ届かずに首差2着、ストレートディールは着外だった(ウィルバートンSで本馬を破ったニアリーが3着に入っている)。
2歳時の成績は4戦2勝だったが、それでも2歳フリーハンデでは、チェヴァリーパークSを3馬身差で快勝した牝馬レディーシビルの133ポンドより1ポンド低いだけの132ポンドで第2位にランクされた(リボンは129ポンドだった)。同世代の牡馬勢ではトップの評価を受けたため、翌年の英国クラシック競走の最有力候補と目された。
競走生活(3歳時)
3歳時は5月のチャタリスS(T8F)から始動したが、パドックからコースに向かう途中で突然身動きしなくなり、発走が8分間遅れる事態となった。何とか出走したレースでは2着レスポンスを半馬身差し切って勝利した。
次走の英2000ギニー(T8F)では、ストレートディールなどを抑えて単勝オッズ2.625倍の1番人気に支持された。ここではブリンカーを装着して臨んだのだが、それでも発走前に暴れてスタートを大幅に遅らせてしまった。何とか発走には漕ぎ着けると、残り3ハロン地点で先頭に立った。しかしゴール寸前で急激に走る気を無くして失速し、キングスウェイ、ピンクフラワー、ウェイインの3頭に差されて、勝ったキングスウェイから僅か3/4馬身差の4着に敗れた。
次走は、第二次世界大戦の影響により英ダービーの代替競走としてニューマーケット競馬場で行われたニューダービー(T12F)となった。本馬の気性の激しさは“rogue(ならず者)”と渾名されるほどになっており、ここでは単勝オッズ10倍で6番人気の評価だった。しかしリチャーズ騎手はこのレースで他馬に騎乗可能だったにも関わらず、本馬に乗ることを選んだ。レースでは先行策を採り、直線に入ると鋭く抜け出して残り2ハロン地点で先頭に立った。ところがここで例の気抜き癖を出して減速してしまい、単勝オッズ17.67倍で本馬より人気薄だったストレートディール、デューハーストSを勝っていた同厩馬ウミッダッド(後にアスコット金杯も勝利)の2頭にかわされて、勝ったストレートディールから僅か半馬身差の3着に敗れた。
その後は8月のケヴェナムS(T10F)に出走。過去のレースぶりから、本馬はゴール寸前で先頭に立たせないと駄目であると確信していたリチャーズ騎手は、道中は適当に遊ばせながら走らせ、ゴール前だけ真面目に走らせて2馬身差で勝利した。
秋は英セントレジャーの代替競走であるニューセントレジャー(T14F)に出走した。ここでもリチャーズ騎手は本馬を遊ばせながら走らせ、最後だけ全力で走らせる作戦だったようだが、しかし勝負どころで走る気を出さずに、一度も先頭に立つことは出来なかった。レースは単勝オッズ17.67倍の伏兵扱いだった英1000ギニー馬ヘリングボーンが、英1000ギニーと英オークス(ニューオークス)でいずれも2着だったリボンを短頭差の2着に抑えて勝ち、単勝オッズ4倍の1番人気に支持されていたストレートディールはリボンから3/4馬身差の3着、本馬はストレートディールから1馬身半差の6着に終わった。ところで、ヘリングボーンが道中で他馬の前に割って入った際に進路を妨害する場面があり(審議の結果は着順変更なし)、ヘリングボーンは失格又は降着になるべきだったという論調が多く見られた。
本馬の次走は英チャンピオンS(T10F)となった。ここでも、リチャーズ騎手はスタートから徹底的に抑えて仕掛けをぎりぎりまで遅らせる戦法を採用した。そしてゴール前で素晴らしい末脚を披露して他馬勢を一気に差し切り、英2000ギニー馬キングスウェイを1馬身差の2着に、同厩馬ウミッダッドを3着に破って勝利した。本馬の生涯において唯一本気で走ったとも言われるこのレースを最後に、3歳時6戦3勝の成績で競走馬を引退した。
気性と馬名に関して
本馬の気性の激しさは伝説となるほどであり、周囲の人間は常に本馬から攻撃される危険に晒されていた。かつて気性難の代名詞と言われていたセントサイモンと同じく傘だけは恐れて近づこうとしなかったため、本馬に近づく人間は常に傘を携帯し、本馬が自分に突撃してきたら傘を開いて攻撃を避けたという。
馬名の由来に関しては諸説あり、以下はいずれも日本の資料からの抜粋であるが、19世紀半ばのインドにいた好戦的で残酷非道な首長ナスルーラの名前に由来するとする説、アラビア語で「神の援助」又は「偉大なる」を意味しているとする説がある。筆者が“Nasrullah”という言葉(イランでは“Nasrollah”。他に“Nasrallah”という綴りもある)をインターネットで検索してみると、アラビア語で“Victory of God(神の勝利)”という意味だとされていた他に、イスラム圏の男性に比較的多く見られる姓でもあるようで、ナスルーラという名前を持つ人は結構いるようである。そのためにアガ・カーンⅢ世殿下がどういった意図で本馬を命名したのかを後世の人間が断定するのは無理である。
血統
Nearco | Pharos | Phalaris | Polymelus | Cyllene |
Maid Marian | ||||
Bromus | Sainfoin | |||
Cheery | ||||
Scapa Flow | Chaucer | St. Simon | ||
Canterbury Pilgrim | ||||
Anchora | Love Wisely | |||
Eryholme | ||||
Nogara | Havresac | Rabelais | St. Simon | |
Satirical | ||||
Hors Concours | Ajax | |||
Simona | ||||
Catnip | Spearmint | Carbine | ||
Maid of the Mint | ||||
Sibola | The Sailor Prince | |||
Saluda | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | Blandford | Swynford | John o'Gaunt |
Canterbury Pilgrim | ||||
Blanche | White Eagle | |||
Black Cherry | ||||
Malva | Charles O'Malley | Desmond | ||
Goody Two-Shoes | ||||
Wild Arum | Robert le Diable | |||
Marliacea | ||||
Mumtaz Mahal | The Tetrarch | Roi Herode | Le Samaritain | |
Roxelane | ||||
Vahren | Bona Vista | |||
Castania | ||||
Lady Josephine | Sundridge | Amphion | ||
Sierra | ||||
Americus Girl | Americus | |||
Palotta |
父ネアルコは当馬の項を参照。
母ムムタズビガムは現役時代8戦2勝。本馬の全妹であるリヴァズ【ジュライS・クイーンメアリーS】も産んでいる。ムムタズビガムはかなり優秀な牝系を構築した馬である。
本馬の半姉サンプリンセス(父ソラリオ)の子にはロイヤルチャージャー【チャレンジS・クイーンアンS】、テッサジリアン【モールコームS】、曾孫にはダーバヴィル【キングズスタンドS】、玄孫世代以降には、オンザハウス【英1000ギニー(英GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)】、ハビブティ【ジュライC(英GⅠ)・アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)・キングズスタンドS(英GⅠ)】、テレスト【チッピングノートンS(豪GⅠ)・ジョージライダーS(豪GⅠ)】、デーンウイン【スプリングチャンピオンS(豪GⅠ)・ローズヒルギニー(豪GⅠ)・ドゥーンベンC(豪GⅠ)・コーフィールドS(豪GⅠ)・マッキノンS(豪GⅠ)】、オクタゴナル【コックスプレート(豪GⅠ)・サイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・カンタベリーギニー(豪GⅠ)・ローズヒルギニー(豪GⅠ)・メルセデスクラシック(豪GⅠ)・AJCダービー(豪GⅠ)・アンダーウッドS(豪GⅠ)・チッピングノートンS(豪GⅠ)・オーストラリアンC(豪GⅠ)・メルセデスクラシック(豪GⅠ)】、ムアワド【オーストラリアンギニー(豪GⅠ)・豪フューチュリティS(豪GⅠ)・ジョージライダーS(豪GⅠ)】、モルシュディ【伊ダービー(伊GⅠ)・バーデン大賞(独GⅠ)】、ヴァイカウント【AJCサイアーズプロデュースS(豪GⅠ)・豪シャンペンS(豪GⅠ)・ジョージメインS(豪GⅠ)】、ブラックステアマウンテン【中山グランドジャンプ(JGⅠ)】などがいる。
本馬の半姉ドドマ(父ダスター)の子にはディアブレレッタ【クイーンメアリーS・モールコームS・ジュライS・チェリーヒントンS】、オメリア【チェリーヒントンS】、孫にはジネッタ【仏1000ギニー・ムーランドロンシャン賞】、玄孫世代以降には、アルマノース【コティリオンH・マッチメイカーS(米GⅠ)】、シャーガー【英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS(英GⅠ)】、ポイントオフザベンチ【ビングクロスビーS(米GⅠ)・サンタアニタスプリントCS(米GⅠ)】、イオタパ【ヴァニティS(米GⅠ)・クレメントLハーシュS(米GⅠ)】、プリオーレフィリップ【伊グランクリテリウム(伊GⅠ)・ヴィットリオディカプア賞(伊GⅠ)・ローマ賞(伊GⅠ)】、ディランマウス【伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)】などがいる。
本馬の半妹ビビベグ(父バーラム)の子にはビビトーリ【モートリー賞】、牝系子孫には、リズンスター【プリークネスS(米GⅠ)・ベルモントS(米GⅠ)】、コマンチコート【愛グランドナショナル(愛GA)・パンチェスタウン金杯(愛GⅠ)】などがいる。
リヴァズの子にはタイエー【モールコームS】、パラリヴァ【キングズスタンドS・モールコームS・サンジョルジュ賞・グロシェーヌ賞・キングジョージS・セーネワーズ賞・プティクヴェール賞】、 スパイシーリヴィング【エイコーンS・マザーグースS・ベッドオローゼズH・モリーピッチャーH】、曾孫にはカラムーン【仏2000ギニー(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)】、ハバット【ミドルパークS(英GⅠ)】、リトルブリアン【サンタマリアH(米GⅠ)・サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)】、玄孫世代以降には、マンダー【ターフクラシックS(米GⅠ)・マンハッタンH(米GⅠ)】、マンデシャ【アスタルテ賞(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・オペラ賞(仏GⅠ)】、日本で走ったホクトベガ【エリザベス女王杯(GⅠ)・川崎記念2回・帝王賞・マイルCS南部杯】などがいる。
本馬の全妹マリンディの子には仏首位種牡馬プリンスタジ、曾孫にはオーソーシャープ【英1000ギニー(英GⅠ)・英オークス(英GⅠ)・英セントレジャー(英GⅠ)】、玄孫世代以降には、シャントゥ【英セントレジャー(英GⅠ)・伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)】、リヴァーベイ【ハリウッドターフCS(米GⅠ)・チャールズウィッティンガムH(米GⅠ)】、レフトバンク【ヴォスバーグS(米GⅠ)・シガーマイルH(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)】、コリアーヒル【愛セントレジャー(愛GⅠ)・加国際S(加GⅠ)・香港ヴァーズ(香GⅠ)】、ヒバーイェブ【フィリーズマイル(英GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)】などがいる。
ムムタズビガムの母ムムタズマハルは“Flying Filly”の異名をとった快速牝馬で、その父ザテトラークは7戦全勝の成績を残した歴史的快速馬という超スピード血統である。近親にはアバーナントやマームードなど、数多くの名馬がいるが、その詳細はムムタズマハルの項を参照してほしい。→牝系:F9号族③
母父ブレニムは当馬の項を参照。
競走馬引退後(欧州種牡馬時代)
競走馬を引退した本馬は英ブラッドストックエージェンシー社のバーティー・カー氏により購入され、英国バートングランジスタッドで種牡馬入りした。種牡馬入り2年目に愛国の政治家で、事業家・馬産家としても活躍していたジョー・マクグラス氏によって1万9千ギニーで購入され、愛国ブラウンズタウンスタッドに移動した。当初の種付け料は198ギニーに設定された。
初年度産駒から1948年の愛ダービー馬ナッソーを出すと、2年目産駒からも1949年の英1000ギニー・英オークスの勝ち馬ムシドラを出し、1949年の英愛種牡馬ランキングでは3位に入った。そのために種付け料は500ギニーまで跳ね上がった。また、欧州ではあまり芽が出なかった初年度産駒のヌーアが渡米して、米国三冠馬サイテーションを4戦連続で撃破して1950年の米最優秀ハンデ牡馬に選ばれる活躍を見せたことによって米国でも大きく注目された。
この1950年の繁殖シーズン終了後に米国ケンタッキー州クレイボーンファームの代表者アーサー・“ブル”・ハンコック・ジュニア氏は本馬を37万ドル(34万ドルとも)で購入し、本馬は渡米してクレイボーンファームで種牡馬生活を送る事になった。なお、日本ではヌーアの活躍を見たハンコック・ジュニア氏が本馬の購入を決意したと紹介される場合が多いが、米ブラッドホース誌の記事“Fifty Years of Nasrullah”によると、ヌーアが大活躍する前の1949年秋には既にこの契約は成立していたようである。
本馬が米国に旅立った翌年の1951年には、4年目産駒である英1000ギニー馬ベルオブオールなどの活躍により、英愛首位種牡馬を獲得した。さらに5年目産駒のナシュア(米国における本馬の代表産駒ナシュアとは同名の別馬)が愛1000ギニーを勝ち、6年目産駒のニアルーラが英2000ギニー・英チャンピオンSを勝ち、7年目産駒(欧州における最終世代)のネヴァーセイダイが英ダービー・英セントレジャーを勝つなどの活躍を示した。
競走馬引退後(米国種牡馬時代)
クレイボーンファームが米国で組んだ本馬の種牡馬シンジケートには、ハンコック・ジュニア氏の父親アーサー・“ブル”・ハンコック・シニア氏、ベルレアスタッドの所有者ウィリアム・ウッドワード・シニア氏、ホイートリーステーブル、マリオン・デュポン・スコット夫人(名障害競走馬バトルシップの所有者)、エルデンハイムファームの所有者ジョージ・D・ワイドナー・ジュニア氏、愛国供用時代の本馬の所有者マクグラス氏など、錚々たるメンバーが参加した。そして本馬は米国でも彼等の期待に応える好成績を残した。初年度産駒は32頭だったが、それらは総じて高い評価を受け、キーンランドサマーセールでは同セリの平均取引価格9746ドルを大きく上回る16500~17500ドルほどで取引された。そしてこの初年度産駒からは米年度代表馬ナシュアなど8頭のステークスウイナーを輩出した(初年度のステークスウイナー率は25%だった)。その後も4年目産駒のボールドルーラーを筆頭に数々の名馬を輩出し、1955・56・59・60・62年と5度の北米首位種牡馬に輝く成功を収めた。英愛と米国の両方で首位種牡馬になったのは20世紀初の快挙(19世紀には英ダービー馬プライアムが英米両方で首位種牡馬になっているが、時代が違いすぎるので同列には論じられない)だった。
産駒の活躍に伴い、本馬の種付け料も高騰し、1956年に米国で競売に掛けられた本馬の種付け株が6万5千ドルで落札されるほどだった。欧米両方で出したステークスウイナーは、425頭(420頭とする資料もある)の産駒中98頭であり、ステークスウイナー率は23%に達した。米国に来ても本馬の気性の激しさは変わっておらず、クレイボーンファームの獣医フロイド・セイガー博士が破傷風の予防注射をしようとすると大暴れして誰にも手がつけられない状態となった。そのために本馬が死ぬまで破傷風の予防注射は出来ないままだったという。1959年5月、放牧中に大動脈破裂を発症して19歳で急死し、遺体はクレイボーンファームに埋葬された。
産駒は芝・ダート・距離を問わずに素晴らしいスピードを見せた。また、ボールドルーラー、グレイソヴリン、ネヴァーベンド、レッドゴッドなど後継種牡馬も非常に数多く、欧州・米国で本馬を祖とする有力血統が発展した。そのため本馬は近代スピード競馬の祖とも言われている。日本でも直子のプリンスリーギフトの血統がスピード革命を起こす原動力となった。現在はノーザンダンサー、ミスタープロスペクター、ヘイルトゥリーズンなどの系統に押され気味となっている本馬の直系だが、まだまだ世界中でその血は息づいているのである。なお、繁殖牝馬の父としてはモンタヴァルとムーティエの兄弟などを出しているが、全体的に競走馬の父としてほどの威力は無く、各国の母父首位種牡馬にも1度も輝いていない。気性が悪すぎる種牡馬は繁殖牝馬の父としては不適であるという説が存在するが、本馬はその説を裏付ける代表例であるとも言えるだろう。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1945 |
Golestan |
ジャックルマロワ賞 |
1945 |
Nathoo |
愛ダービー・ゴードンS |
1945 |
サンタアニタH・サンフアンカピストラーノ招待H・ハリウッド金杯・ダイオメドS・ゴールデンゲートH・アメリカンH |
|
1946 |
Musidora |
英1000ギニー・英オークス |
1947 |
Master Gunner |
ニューS |
1947 |
Sugar Bowl |
スチュワーズC |
1947 |
Tambara |
コロネーションS |
1948 |
Belle of All |
英1000ギニー・チェヴァリーパークS・コロネーションS |
1948 |
Chadwick Manor |
ガリニュールS |
1948 |
リッチモンドS |
|
1948 |
Zucchero |
コロネーションC・プリンセスオブウェールズS |
1949 |
Nashua |
愛1000ギニー・プリティポリーS |
1949 |
Nemrod |
ダイオメドS |
1949 |
Orgoglio |
英シャンペンS |
1950 |
Curragh King |
アーカンソーダービー・アーゴノートH2回 |
1950 |
Nearula |
英2000ギニー・ミドルパークS・セントジェームズパレスS・英チャンピオンS |
1950 |
Victory Roll |
ディーS |
1951 |
Baghicheh |
グロット賞 |
1951 |
Mister Gus |
ウッドワードS・サンアントニオH・アーリントンH |
1951 |
英ダービー・英セントレジャー |
|
1951 |
チャレンジS・ハンガーフォードS |
|
1951 |
Urshalim |
モールコームS |
1952 |
Blue Ruler |
ハリウッドジュヴェナイルCSS・デルマーフューチュリティ |
1952 |
Delta |
アーリントンラッシーS・アーリントンメイトロンH |
1952 |
Flying Fury |
シャンペンS・マンハッタンH |
1952 |
Independence |
米グランドナショナル |
1952 |
Insouciant |
アッシュランドS・モデスティH |
1952 |
Jean's Joe |
サンフェリペS |
1952 |
プリークネスS・ベルモントS・ホープフルS・ベルモントフューチュリティS・フラミンゴS・フロリダダービー・ウッドメモリアルS・ドワイヤーS・アーリントンクラシックS・ジョッキークラブ金杯2回・ワイドナーH・グレイラグH・サバーバンH・モンマスH |
|
1953 |
Glamour |
テストS |
1953 |
Judy Rullah |
アーリントンラッシーS |
1953 |
Nahodah |
サルヴェイターマイルH |
1953 |
Nasrina |
フリゼットS |
1954 |
プリークネスS・ベルモントフューチュリティS・フラミンゴS・ウッドメモリアルS・ジェロームH・クイーンズカウンティH・トレントンH・トボガンH・カーターH・サバーバンH・モンマスH |
|
1954 |
Leallah |
アーリントンラッシーS・アルキビアデスS・フォールズシティH |
1954 |
Marullah |
ソロリティS |
1954 |
Nashville |
パロスヴェルデスH |
1954 |
One-Eyed King |
ドンH2回・ディキシーH・ロングアイランドH・アーリントンH |
1954 |
リッチモンドS |
|
1955 |
ワシントンDC国際S2回・サバーバンH・メトロポリタンH・クレイヴンS・ダンテS・ギャラントフォックスH・ワイドナーH・ガルフストリームパークH |
|
1955 |
Bug Brush |
ケンタッキーオークス・サンタモニカH・サンアントニオH・サンタマルガリータ招待H・イングルウッドH・ラスフローレスH |
1955 |
Fleet Nasrullah |
サンパスカルH・カリフォルニアンS |
1955 |
Guide Line |
セリマS |
1955 |
Martin's Rullah |
ローレンスリアライゼーションS |
1955 |
Nadir |
アメリカンダービー |
1955 |
Nadir |
ガーデンステートS |
1955 |
Nasco |
サラナクH |
1955 |
Sir Ruler |
ラホヤH |
1955 |
Victory Morn |
ドワイヤーH |
1956 |
On-and-On |
オハイオダービー・ブルックリンH |
1957 |
Nagea |
デルマーダービー |
1957 |
Our Rulla |
ラホヤマイルH |
1958 |
Royal Record |
ボーリンググリーンH・ロングフェローH |
1958 |
Tutankhamen |
マンハッタンH・ドンH |
1959 |
Intercepted |
ハイアリアターフCH |
1959 |
Jaipur |
ベルモントS・トラヴァーズS・ホープフルS・カウディンS・ゴーサムS・ウィザーズS・ジャージーダービー |
1960 |
Bal Masque |
ジョッキークラブS |
1960 |
Nasram |
キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・リス賞 |
1960 |
ベルモントフューチュリティS・シャンペンS・カウディンS・フラミンゴS |
|
1960 |
Outing Class |
ホープフルS・サラナクH・ドワイヤーH |