ティズナウ

和名:ティズナウ

英名:Tiznow

1997年生

鹿毛

父:シーズティジー

母:シーズソング

母父:シアトルソング

溢れる闘魂で史上初のBCクラシック2連覇を果たし、米国同時多発テロにより暗く沈む米国に勇気と希望の灯を照らしたマンノウォー直系の名種牡馬

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績15戦8勝2着4回3着2回

BCクラシックと言えば、ドバイワールドCと世界最高賞金を争う、米国競馬屈指の大競走である。欧州で言えば凱旋門賞、日本で言えば有馬記念に相当するレースであり、まさしく米国競馬の1年の総決算となるレースである。そんなBCクラシックを史上唯一2連覇してみせたのが本馬である。そのレースぶりは2回ともゴール前の大激戦を制するというものであり、その闘魂の素晴らしさは米国競馬史上でも有数と言っても良いのではないだろうか。

そして2度目のBCクラシック制覇は、単に史上初の2連覇というだけでなく、その直前に発生した世紀の悲劇的大事件の影響で暗く沈む米国の競馬ファン達の心に希望の光を灯すものとなった。それはその10年後の2011年、東日本大震災が発生した直後に行われたドバイワールドCにおいて、日本調教馬のヴィクトワールピサが勝ったときと似た雰囲気であった。そのために本馬は“Americas Horse(アメリカの馬)”なる異名でも呼ばれている。

誕生からデビュー前まで

米国カリフォルニア州の女性馬産家セシリア・ストラウブ・ルーベンス女史により生産され、ルーベンス女史の愛称“Cee”から名前を取ったシーズステーブルと、ルーベンス女史の長年の友人マイケル・L・クーパー氏の共同所有馬として、ジェイ・M・ロビンズ調教師に預けられた。

ロビンズ師によると本馬は知的な馬だったらしいが、意外にも精神的に脆弱な部分があり、少々落ち着きが無い一面も持ち合わせていたという。そんな本馬を落ち着かせるために、ロビンズ師はしばしば精神安定剤を投与していたという。そしてレースの少し前には安定剤の投与を中断し、本馬の闘争心を爆発させるようにしたという。

競走生活(3歳時)

2歳時は体重が絞り切れなかった上に、未熟さやら、左前脚の軽度の骨折やらのためにレースに出ることが出来ず、3歳4月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦がデビュー戦となった。アレックス・ソリス騎手が騎乗する本馬の単勝オッズは14.8倍で、10頭立ての6番人気とあまり評価されていなかった。レースでは馬群の中団を追走して、直線で末脚を伸ばしてきた。結果は勝った単勝オッズ5倍の3番人気馬ミスターワンダフルから3馬身差の6着だったが、2着馬プログラムドアピールとは半馬身の差しかなく(5着だった単勝オッズ2.6倍の1番人気馬ホンブレラピドとは頭差)、それほど悪い内容ではなかった。

翌月にハリウッドパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの未勝利戦が2戦目となった。ここでもソリス騎手とコンビを組んだ本馬は、今回は単勝オッズ3.2倍の1番人気に支持された。前走と同様に馬群の中団を追走し、四角で位置取りを上げて直線で追い上げてきた。しかし本馬と並んで1番人気に支持されていたスパイシースタッフの逃げ切りを許して首差の2着に敗れた。

その3週間後に同コースで出走した未勝利戦では、単勝オッズ2.3倍で再び1番人気に支持された。今回もソリス騎手とコンビを組んだ本馬だったが、過去2戦とは異なりここでは逃げ馬を見る形で2番手を追走した。そして向こう正面で先頭に立つと、そのまま後続を引き離し続けて、2着となった単勝オッズ9倍の4番人気馬コールドウォーターキャニオンに8馬身半差をつけて圧勝した。

この時期には既に米国三冠競走はほぼ終わっており(この未勝利戦から10日後がベルモントS)、本馬は米国三冠競走には縁は無かった。しかし本馬不在の米国三冠競走を勝った馬達は後にことごとく本馬の前に膝を屈することになる。

デビュー4戦目は7月にハリウッドパーク競馬場で行われたアファームドH(GⅢ・D8.5F)となった。ノーフォークS・ハリウッドジュヴェナイルCSS・ベストパルSの勝ち馬でデルマーフューチュリティ2着のディキシーユニオン、ダービートライアルS・イリノイダービーを連勝してきたパフォーミングマジック、ケンタッキーカップジュヴェナイルSの勝ち馬でブリーダーズフューチュリティ3着のミレンコリン、ハリウッドプレビューSの勝ち馬グレイメモなど5頭が対戦相手となった。122ポンドのディキシーユニオンが単勝オッズ1.8倍の1番人気、121ポンドのパフォーミングマジックが単勝オッズ3.4倍の2番人気、117ポンドのミレンコリンが単勝オッズ6.7倍の3番人気、111ポンドの本馬が単勝オッズ11.8倍の4番人気となった。

スタートが切られるとミレンコリンが逃げを打ち、ディキシーユニオンがそれを追走。ヴィクター・エスピノーザ騎手が騎乗する本馬はディキシーユニオンをマークするように3番手を追走した。直線に入ってディキシーユニオンが先頭に立つと、内側からそれに並びかけて叩き合いに持ち込んだ。そして最後はディキシーユニオンを競り落として首差で勝利した。本馬の類まれなる闘争心が最初に発揮されたのがこのレースだったと言える。もっとも、このレースにおける斤量は本馬よりディキシーユニオンのほうが11ポンドも重く、実力による勝利とは言い難いのもまた事実だった。

それから3週間後のスワップスS(GⅠ・D9F)がGⅠ競走初出走となった。対戦相手は、ハリウッドフューチュリティ・ブリーダーズフューチュリティ・ケンタッキージョッキークラブSの勝ち馬キャプテンスティーヴ、カリフォルニアカップジュヴェナイルSの勝ち馬スペースリンク、前走で本馬から2馬身1/4差の3着だったミレンコリン、同4着だったグレイメモなど5頭だった。キャプテンスティーヴが単勝オッズ1.9倍の1番人気、前走に続いてエスピノーザ騎手が騎乗する本馬が単勝オッズ3.9倍の2番人気、スペースリンクが単勝オッズ6.7倍の3番人気、ミレンコリンが単勝オッズ9.5倍の4番人気となった。

スタートが切られると、アファームドHと同じくミレンコリンが逃げを打ち、キャプテンスティーヴが2番手を追走。本馬はキャプテンスティーヴから少し後方の4番手を追走した。そしてキャプテンスティーヴが仕掛けるのと同時に上がっていき、直線入り口で先頭に立ったキャプテンスティーヴを追撃したが、最後は逆に差を広げられて2馬身半差の2着に敗れた。完敗だった上に斤量はキャプテンスティーヴが2ポンド重かったのだが、未勝利戦で負けていた2~3か月前に比べるとかなり力を付けてきていることは証明できた。なお、スワップスSの2週間後に行われたハスケル招待Hでは、ディキシーユニオンがキャプテンスティーヴを2着に抑えて勝っている。

次走は、スワップスSから5週間後に行われた古馬相手のパシフィッククラシックS(GⅠ・D10F)となった。ここではクリス・マッキャロン騎手と初コンビを組んだ。対戦相手の層は厚く、サンタアニタダービー・パシフィッククラシックS・サンタアニタH・サンタカタリナS・ストラブS・アファームドHの勝ち馬でスワップスS・ハリウッド金杯2着のジェネラルチャレンジ、前走サンディエゴHを8馬身差で圧勝してきたスキミング、スーパーダービー・ジムダンディSの勝ち馬エクトンパーク、3連勝でベルエアHを勝ってきたユーカー(後のこの年の第1回ジャパンCダートに出走して2番人気に推されるもウイングアローの8着に終わっている)、ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯・カリフォルニアンS・ベルエアHの勝ち馬で前年のパシフィッククラシックS2着馬リヴァーキーン、ペガサスHの勝ち馬フォーティワンカラットの計6頭の古馬が対戦相手となった。ジェネラルチャレンジが単勝オッズ1.9倍の1番人気、唯一の3歳馬だったため古馬から7ポンドのハンデを貰っていた本馬が単勝オッズ5倍の2番人気、スキミングが単勝オッズ5.7倍の3番人気、エクトンパークが単勝オッズ7.2倍の4番人気となった。

スタートが切られるとスキミングが逃げを打ち、本馬が2番手を追走、人気のジェネラルチャレンジは後方待機策を採った。しかしスキミングの逃げは絶妙で、2番手追走の本馬を最後まで寄せ付けずに、そのまま逃げ切って勝利。本馬は四角でスキミングとの差を詰めたが、直線入り口で引き離されてしまい、2馬身差の2着に敗れた。それでも本馬の素質を評価したマッキャロン騎手は、この後に本馬が引退するまでの全競走に騎乗することになる。

それから5週間後には、米国南部のルイジアナ州ルイジアナダウンズ競馬場で行われるスーパーダービー(GⅠ・D10F)に出走した。ここでは、この年のベルモントSの勝ち馬コメンダブルが対戦相手となった。コメンダブルは未勝利戦を勝った後にケンタッキーダービー17着など6戦続けて着外だったが、単勝オッズ19.8倍の8番人気で出走したベルモントSを勝利した馬だった。前走トラヴァーズSで3着してはいたが、勝ち馬アンシェイディドには6馬身半差をつけられており、はっきり言って一発屋だった。そのため単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持されたのは本馬であり、コメンダブルが単勝オッズ3.2倍の2番人気、ナシュアS・ウエストヴァージニアダービーの勝ち馬で前走ペンシルヴァニアダービー2着のマスマーケットが単勝オッズ4.9倍の3番人気と続いた。

このレースにおける本馬はスタートが今ひとつだったが、押して逃げる戦法に出た。スタミナには自信があるコメンダブルが四角を回るまで食らいついてきたが、直線に入ると振り払って後は独走。最後は2着コメンダブルに6馬身差をつけてGⅠ競走初勝利を挙げた。勝ちタイム1分59秒84はコースレコードだった。このレースはちょうど10年前に本馬の父シーズティジーが3着に敗れており、父の雪辱を果たす勝利ともなった。

いったん米国西海岸に戻った本馬は、スーパーダービーから2週間後のグッドウッドBCH(GⅡ・D9F)に出走した。対戦相手は、ハスケル招待H2着後にケンタッキーCクラシックHを勝ってきたキャプテンスティーヴ、シガーマイルH・メトロポリタンH・ブラワードH2回・エクセルシオールBCH・テキサスマイルS・コーンハスカーBCHとGⅠ競走2勝を含むグレード競走7勝を挙げドンH・メドウランズCH・ガルフストリームパークH・メトロポリタンHとGⅠ競走3着が4回あったサーベア、一昨年のサンタアニタH2着馬バグショット、パシフィッククラシックS5着から直行してきたユーカー、同7着最下位後に出走したベイメドウズHで5着だったリヴァーキーン、チリで智2000ギニー・智グランクリテリウムとGⅠ競走2勝を挙げた後に米国に移籍して2か月前のカリフォルニアンSを勝っていたビッグテンの計6頭だった。上昇度を買われた本馬が単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持され、本馬より1ポンド斤量が重い117ポンドのキャプテンスティーヴが単勝オッズ2.8倍の2番人気、同じく117ポンドのサーベアが単勝オッズ8.5倍の3番人気となった。今回も本馬はスタートから逃げを打ち、キャプテンスティーヴが直後を追いかけてくる展開となった。そのまま直線に入るとキャプテンスティーヴに並びかけられて一騎打ちに持ち込まれたが、激しい叩き合いを半馬身差で制して勝利した。

BCクラシック(3歳時)

スーパーダービーとグッドウッドBCHの内容から、陣営はBCクラシックでも好勝負になると感じ始めた。しかし本馬の父シーズティジーはマイナー種牡馬だったためにブリーダーズカップ登録が無かった。それでもルーベンス女史は、36万ドルの追加登録料を支払ってでも、本馬をBCクラシックに向かわせることを決定した。この背景には、やはりルーベンス女史の生産馬だった本馬の全兄バドロワイヤル(馬主は違う)が前年のBCクラシックで惜しくも2着に敗れており、その雪辱戦の意味合いがあった事、そして当時ルーベンス女史が癌と闘っていた事などもあった。

そして東上した本馬は、チャーチルダウンズ競馬場で行われたBCクラシック(GⅠ・D10F)に挑戦した。さすがにBCクラシックだけあって、対戦相手の層の厚さは今までのレースとは段違いだった。この年のケンタッキーダービー・サンフェリペS・ウッドメモリアルSの勝ち馬で前走ジェロームHもきっちりと勝ってきたフサイチペガサス、ベルモントフューチュリティSの勝ち馬にも関わらず前年のベルモントSを勝利した際には人気薄だったがその後にトラヴァーズS・ブルックリンH・サバーバンH・ホイットニーH・ウッドワードSを勝ちこの当時の米国最強古馬として君臨していたレモンドロップキッド、前走ジョッキークラブ金杯でレモンドロップキッドなどを相手に6馬身差で逃げ切っていたドワイヤーSの勝ち馬アルバートザグレート、アメリカンダービー・ペンシルヴァニアダービーの勝ち馬パインダンス、前年のBCクラシックで本馬の全兄バドロワイヤルを2着に下して優勝したスワップスS・ブリーダーズフューチュリティの勝ち馬でファウンテンオブユースS・ブルーグラスS・ハスケル招待H・ホイットニーH2着・ケンタッキーダービー3着のキャットシーフ、ピムリコスペシャルH・スティーヴンフォスターH・ワイドナーHの勝ち馬で前年のBCクラシック3着のゴールデンミサイル、本馬と対戦成績五分のキャプテンスティーヴ、イリノイダービーの勝ち馬でベルモントS・トラヴァーズS2着・前走ジョッキークラブ金杯3着のヴィジョンアンドヴァース、3連勝でホーソーン金杯Hを勝ってきたダストオンザボトル、ウッドワードS3着・ジョッキークラブ金杯2着とGⅠ競走で連続好走してきたガンダー、米国競馬名誉の殿堂博物館Hの勝ち馬で前走ホーソーン金杯2着のガイデッドツアーといった地元米国の有力馬達に加えて、欧州からもセントジェームスパレスS・エクリプスS・サセックスS・英国際S・愛チャンピオンSとGⅠ競走を5連勝していたこの年のカルティエ賞年度代表馬ジャイアンツコーズウェイが参戦してきた。

ケンタッキーダービーを1番人気で勝っていたフサイチペガサスがここでも単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持され、レモンドロップキッドが単勝オッズ7.2倍の2番人気、ジャイアンツコーズウェイが単勝オッズ8.6倍の3番人気、アルバートザグレートが単勝オッズ10倍の4番人気、本馬が単勝オッズ10.2倍の5番人気となった。

スタートが切られるとアルバートザグレートが先頭を伺ったが、本馬がアルバートザグレートに並びかけて積極的にハナを狙い、本馬とアルバートザグレートの2頭が先頭争いを展開した。この2頭の少し後方をジャイアンツコーズウェイが追走し、人気のフサイチペガサスは後方待機策を採った。本馬とアルバートザグレートの先頭争いは四角を回るところまで続いたが、直線に入ると外側の本馬が抜け出した。しかし少し後退したアルバートザグレートに代わって、さらに外側からジャイアンツコーズウェイが上がってきた。そして本馬にジャイアンツコーズウェイが並びかけて叩き合いに持ち込んだ。ジャイアンツコーズウェイはゴール前の競り合いに非常に強い馬で、GⅠ競走5連勝はどれも他馬との競り合いを制しての勝利だった。そのために直線半ばでジャイアンツコーズウェイが完全に本馬に並んだ際には、脚色の違いもあって、ここで勝負あったかとも思われた。しかし闘争心に関しては本馬もジャイアンツコーズウェイにひけを取らなかったようで、ゴールラインを通過するまで続いた壮絶な叩き合いを首差で制したのは本馬であり、名実共に米国競馬の頂点に立った。

調教師生活24年目にして初めて管理馬をブリーダーズカップに送り込んで勝利したロビンズ師は「私は彼を最初に見た日から期待していましたが、デビュー9戦目でBCクラシックに勝てるとは思いませんでした」とニューヨーク・タイムズ紙のインタビューに応えた。

本馬をこの世に送り出したルーベンス女史は共同所有者のクーパー氏と並んで笑顔で記念写真に収まったが、これが、彼女が公の場に姿を見せた最後となった。栄光の勝利から僅か3日後、ルーベンス女史は癌の手術中に心臓発作を起こして84歳で死去してしまったのである。

彼女は手術を受けるに先立ってロビンズ師と会話をかわしていた。その中でロビンズ師が「BCクラシックを勝ちましたから、この後はどうしましょうか」と尋ねると、ルーベンス女史は「これから20年が経った後でも競馬界が失望しないようにしてください」と応じたという。そして最後に彼女は「私の子をよろしく頼みます」と本馬をロビンズ師に託していったという。本馬はルーベンス女史亡き後も、ルーベンス女史の子ども達が受け継いだシーズステーブルとクーパー氏の共同名義で現役を続けることになった。

3歳時の成績は9戦5勝で、BCクラシック制覇が決め手となり、この年のエクリプス賞年度代表馬・最優秀3歳牡馬のタイトルを獲得した。

競走生活(4歳時)

4歳時は早くも1月からサンタアニタパーク競馬場で始動。まずはサンフェルナンドBCS(GⅡ・D8.5F)に出走した。前月のマリブSで3着してきた上がり馬ウッデンフォン、デルマーダービー・ベイメドウズBCダービーの勝ち馬ウォークスライクアダック、エルカミノリアルダービーの勝ち馬リメンバーシェイク、ゴールデンゲートダービーの勝ち馬ニューアドバンテージなど5頭が対戦相手となった。122ポンドの本馬が単勝オッズ1.3倍の1番人気、116ポンドのウッデンフォンが単勝オッズ6倍の2番人気、120ポンドのウォークスライクアダックが単勝オッズ9.2倍の3番人気となった。スタートが切られるとウッデンフォンが逃げを打ち、本馬はその直後2番手を追走。直線入り口でウッデンフォンに並びかけたところに、後方から仕掛けてきたウォークスライクアダックにいったん抜かれてしまった。しかし直線半ばで差し返して、2着ウォークスライクアダックに1馬身1/4差で勝利した。

次走のストラブS(GⅡ・D9F)では、前走で本馬から2馬身差の3着だったウッデンフォン、特にこれといった実績は無かったがGⅠ競走7勝の名馬チーフズクラウンの半弟という血統背景から期待されていたトリビューナルくらいしか目立つ対戦相手がいなかった。本馬が他の出走全馬より6ポンド重い123ポンドのトップハンデでも単勝オッズ1.3倍の1番人気に支持され、トリビューナルが単勝オッズ6.7倍の2番人気、ウッデンフォンが単勝オッズ8.2倍の3番人気となった。今回もウッデンフォンが逃げを打ち、本馬やトリビューナルなどがそれを追う展開となった。しかしウッデンフォンの逃げ脚は最後まで衰えず、そのまま逃げ切って勝利。本馬は直線で伸びを欠き、2馬身差をつけられた2着に敗れた。

次走は大一番のサンタアニタH(GⅠ・D10F)となった。対戦相手は、ウッデンフォン、前走ストラブSで本馬から3馬身半差の3着だったジミーズィー、同4着だったトリビューナル、ハリウッドターフカップS・サンセットH・サンマルコスS・コンデ賞などの勝ち馬でクリテリウムドサンクルー2着のビエナマド、前年のBCクラシック12着後にクラークHで2着してルイジアナH・サンアントニオHを連勝してきたガイデッドツアー、一昨年の英ダービー3着馬ビートオール、オプショナルクレーミング競走を2連勝してきたアイリッシュアイズアーフライング、サンアントニオHで2着してきたリーサルインストルメントなど11頭だった。前年のBCクラシックとは比較の対象にならないほど対戦相手のレベルは低く、本馬が他馬勢より3~11ポンド重い122ポンドのトップハンデでも単勝オッズ2倍の1番人気に支持された。119ポンドのビエナマドが単勝オッズ7.1倍の2番人気、117ポンドのウッデンフォンと116ポンドのガイデッドツアーが並んで単勝オッズ7.7倍の3番人気となった。スタートが切られると例によってウッデンフォンが逃げを打ち、本馬は2番手を追走。そして四角でウッデンフォンを捕らえて先頭を奪うと、そのまま直線では独り旅となった。最後は2着に粘ったウッデンフォンに5馬身差をつけて圧勝した。

しかし本馬はこの後の4月の調教中に背中と腰を痛めて長期休養に入ってしまった。状態はあまり芳しくなく、ロビンズ師は周囲から「なぜ引退させないのか?」と問われた。しかし亡きルーベンス女史から本馬を託されていたロビンズ師は、クーパー氏との話し合いの末に、BCクラシック連覇を目指して現役を続けることを決定した。

7月頃になってようやく状態は少し改善したため、調教が再開された。そして復帰初戦は、この年のBCクラシックが施行されるベルモントパーク競馬場で行われたウッドワードS(GⅠ・D9F)となった。対戦相手は僅か4頭だったが、少なくともサンタアニタHよりレベルは上だった。前年のBCクラシック4着後にブルックリンH・サバーバンH・ワイドナーHを勝ちドンH・ピムリコスペシャルH・ホイットニーHで2着していたアルバートザグレート、チリでタンテオデポトリリョス賞・智2000ギニー・智グランクリテリウム・智セントレジャーとGⅠ競走4勝を挙げた後に米国に移籍して前走ホイットニーHを勝ってきたリドパレス、前年のプリークネスSでフサイチペガサスを2着に破って勝った馬で、本馬と同世代の米国三冠競走勝ち馬3頭の中で唯一本馬とは未対戦だったレッドビュレットなどが出走してきた。アルバートザグレートが単勝オッズ2.3倍の1番人気に支持され、臨戦過程が嫌われた本馬が単勝オッズ3.4倍の2番人気、リドパレスが単勝オッズ3.9倍の3番人気、レッドビュレットが単勝オッズ5.9倍の4番人気となった。

スタートが切られるとアルバートザグレートが逃げを打ち、本馬が直後の2番手を追走。そのすぐ後方にリドパレスが本馬をマークするようにつけた。そして直線に入ると外側からリドパレスが仕掛けてアルバートザグレートに並びかけ、直線半ばで抜け出した。最内の本馬も粘ったものの、ゴール前では単走になってしまって得意の闘争心を発揮する機会は無く、リドパレスとの競り合いに持ち込んだアルバートザグレートを捕らえることにも失敗し、勝ったリドパレスから1馬身半差、アルバートザグレートから半馬身差の3着に敗退した(5着最下位のレッドビュレットには先着したため、これで同世代の米国三冠競走の勝ち馬全てを破ったことにはなった)。

その後はいったん地元西海岸に戻る予定だったが、すぐに本馬は地元に帰ることが出来なかった。ウッドワードSから僅か3日後の9月11日、全世界を揺るがした「あの」大事件が勃発したのである。世界貿易センタービルに航空機が続けて衝突し、そして最後はビルが崩壊する瞬間までリアルタイムで全世界に配信された歴史的悪夢。米国同時多発テロである。この事件の余波でニューヨークは大混乱に陥り、本馬も空港で足止めを食ってしまった。

ようやく西海岸に戻った本馬は、前走から1か月後のグッドウッドBCH(GⅡ・D9F)に出走した。対戦相手は、前年のパシフィッククラシックSで本馬を破った後は一時期不調でBCクラシックにも不参加だったがこの年は復調してパシフィッククラシックS・カリフォルニアンS・サンディエゴHを勝ちハリウッド金杯で2着していたスキミング、サンフェルナンドS・サンパスカルH・テキサスマイルS・ローンスターパークHの勝ち馬でハリウッドダービー・パシフィッククラシックS2着のディキシードットコム、サンタアニタHで本馬から6馬身半差の3着だったトリビューナル、サンパスカルHの勝ち馬フリーダムクレスト、パシフィッククラシックS3着馬ディグフォーイットの計5頭だった。124ポンドの本馬と123ポンドのスキミングが並んで単勝オッズ2.1倍の1番人気、118ポンドのディキシードットコムが単勝オッズ8.2倍の3番人気となった。

スタートが切られるとスキミングが逃げを打ち、単勝オッズ40倍の5番人気馬フリーダムクレストが2番手、本馬は3番手を追走した。しかし116ポンドと斤量に恵まれていたフリーダムクレストの走りがこの3頭の中で一番生き生きとしており、直線入り口でスキミングに並びかけると、そのまま押し切って勝利。一方の本馬は勝負どころにおける反応が今ひとつで、ゴール前で差を詰めては来たものの、2着スキミングにも半馬身及ばず、勝ったフリーダムクレストから1馬身半差の3着に敗れた。

BCクラシック(4歳時)

このように故郷休養明けは今ひとつ精彩を欠いていた本馬だったが、それでもBCクラシック2連覇が目標である事には変わりが無かった。そこで再び東上して、同時多発テロの余韻が収まらぬニューヨークに向かった。そして世界貿易センタービルの跡地「グラウンド・ゼロ」から20kmほど離れた場所にあるベルモントパーク競馬場に姿を現し、BCクラシック(GⅠ・D10F)に参戦した。

前年のBCクラシック勝ち馬が連覇を狙って出走してきた例は過去に、スカイウォーカーアンブライドルドコンサーンシガースキップアウェイ、キャットシーフの6頭いたが、シガーやスキップアウェイといった歴史的名馬も含めてその全てが敗れ去っていた。

故障休養中に頻繁に投与されていた精神安定剤は、本番直前のこの時期には中断されていた。ロビンズ師は落ち着きが無い本馬を一時的に宥めるために、朝の調教前に飼い葉に酒のウォッカを混ぜて本馬に与えていたという。また、ポニーと一緒に散歩をさせるなどして、気性の安定に努めたという。

悲惨なテロ事件の影響で暗く沈む米国の競馬ファン達をさらに苛めようとしたわけではないだろうが、この年のBCクラシックは米国外からの参戦馬が充実していた。この年の英ダービー・愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSを勝利したガリレオ、英国際Sと凱旋門賞を連続圧勝してきた前年の英ダービー2着馬サキー、愛2000ギニー・セントジェームズパレスSの勝ち馬ブラックミナルーシュが出走してきたのである。一方の米国調教馬は、この年のプリークネスS・ベルモントSを勝利した3歳最強馬ポイントギヴンが左前脚屈腱炎のために既に引退、この年のケンタッキーダービー馬モナーコスも右前脚亀裂骨折のために戦線を離脱中の上に、ウッドワードSで本馬を破ったリドパレスは莫大な追加登録料を嫌って回避(代わりに来日してジャパンCダートに参戦したが、クロフネの前に惨敗したのは周知のとおり)と、元気が無い米国の現状を象徴するかのような有様だった。それでも、前年のケンタッキーダービーとベルモントSでは共に2着だったが古馬になって上昇してハリウッド金杯・サラトガBCH・ジョッキークラブ金杯と3連勝中してきたアプティテュード、ピムリコスペシャルH・ニューオーリンズH・マサチューセッツHの勝ち馬インクルード、ウッドワードS2着後に出走したジョッキークラブ金杯では4着だったアルバートザグレート、サンタアニタH5着後にスティーヴンフォスターH・ワシントンパークH・ケンタッキーカップクラシックHを勝ってきたガイデッドツアー、BCジュヴェナイル・グレイBCS・ペンシルヴァニアダービーを勝っていた前年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬マッチョウノ、インディアナダービーを勝ってきたオリエンテート、本馬を破ったグッドウッドBCHから直行してきたフリーダムクレスト、前年のBCクラシック9着後にドンH・ホイットニーHで3着して前走メドウランズCHを勝ってきたガンダーが出走してきた。

前走ジョッキークラブ金杯を10馬身差で圧勝していたアプティテュードが単勝オッズ3.35倍の1番人気に支持され、ガリレオが単勝オッズ4.35倍の2番人気、サキーが単勝オッズ5.8倍の3番人気と続き、前年の覇者である本馬は故障休養を経ていた事に加えて、近2走の敗戦が嫌われて単勝オッズ7.9倍の4番人気だった。

ベルモントパーク競馬場は再度のテロを警戒するために厳戒態勢が敷かれており、武装した兵士が各所に配置され、警察犬が全ての車両を検査し、屋根の上には双眼鏡を持った狙撃兵がいるという、異様に物々しい雰囲気だった。スタートが切られると、翌年のBCスプリントを制するオリエンテートが快速に任せてハナを奪い、アルバートザグレートが2番手を追走、本馬は3番手で様子を見た。向こう正面で早くもオリエンテートが失速して後退すると、アルバートザグレートが先頭に立ち、本馬やガイデッドツアーなどがそれを追う展開となった。そして四角で本馬がアルバートザグレートをかわそうとしたところに、後方からやってきたのはサキーだった。そして最内のアルバートザグレート、真ん中の本馬、大外のサキーが並んで直線を向き、この3頭の叩き合いとなった。直線に入った直後はアルバートザグレートとサキーが前に出ており、本馬は3番手に落ちた。しかし直線半ばでアルバートザグレートは後れを取り、勝負は本馬とサキーの壮絶な叩き合いに持ち込まれた。いったんはサキーが僅かに前に出たのだが、亡きルーベンス女史の魂が乗り移ったのか、マッキャロン騎手の執念か、米国の競馬ファン達の大声援が本馬に力を与えたのか、はたまたジャイアンツコーズウェイに競り勝った本馬の闘争心に敵う馬がいるはずもなかったのか、本馬がゴール前で鼻差差し返して優勝。史上初(2014年現在でも唯一)のBCクラシック2連覇を達成した。

本馬が勝った瞬間、実況のトム・ダーキン氏が叫んだ「ティズナウがアメリカのために勝ちました!」は名台詞として語り継がれている。マッキャロン騎手はレース後に本馬の首に抱きつき、「お前は真の男だ!」と言った。この勝利は「米国競馬史上において、最も感情的に充実した出来事だった」と評されている。

この後、ハリウッドターフCの出走も検討されていたが、結局はBCクラシックを最後に競走馬を引退。4歳時は6戦3勝の成績で、エクリプス賞年度代表馬の座はポイントギヴンに譲ったが、最優秀古馬牡馬に選出された。獲得賞金総額642万7830ドルは、カリフォルニア州産馬としては現在でも史上1位の高額である。

血統

Cee's Tizzy Relaunch In Reality Intentionally Intent
My Recipe
My Dear Girl Rough'n Tumble
Iltis
Foggy Note The Axe Mahmoud
Blackball
Silver Song Royal Note
Beadah
ティズリー Lyphard Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
Tizna Trevieres Worden
Vamarie
Noris Licencioso
Nizarda
Cee's Song Seattle Song Seattle Slew Bold Reasoning Boldnesian
Reason to Earn
My Charmer Poker
Fair Charmer
Incantation Prince Blessed Princequillo
Dog Blessed
Magic Spell Flushing
Subterranean
Lonely Dancer ナイスダンサー Northern Dancer Nearctic
Natalma
Nice Princess Le Beau Prince
Happy Night
Sleep Lonely Pia Star Olympia
Inquisitive
Sulenan トンピオン
Blue Canary

父シーズティジーはマンノウォー直系の名種牡馬リローンチの産駒で、1歳時にルーベンス女史によって購入され、シーズステーブル名義で走った。優秀なスピード能力こそ示していたものの、健康面に問題があり、競走馬としては7戦3勝でステークス競走の勝ちは無く、スーパーダービー(米GⅠ)で3着した程度だった。しかし、貴重なマンノウォーの直系子孫であることに加え、自身の祖母がサンタマルガリータ招待H2回・レディーズHとGⅠ競走3勝の名牝ティズナという事で、カリフォルニア州ハリスファームで種牡馬入りを果たした。そして本馬やその全兄バドロワイヤルの活躍によりカリフォルニア州でもトップクラスの種付け料を誇る人気種牡馬となった。2010年の繁殖シーズン終了後に受精率低下を理由に種牡馬を引退し、現在もハリスファームで余生を送っている。

母シーズソングは、やはり1歳時にルーベンス女史によって購入されてシーズステーブル名義で走った馬だが、競走馬としては18戦して1勝を挙げるに留まった。繁殖牝馬としては14頭の子を産んだ。同馬主だったシーズティジーとの交配が多く行われており、14頭のうち9頭がシーズティジーとの間の子である。活躍馬もシーズティジーとの間にもうけた子が多く、本馬の全兄バドロワイヤル【サンバーナーディノH(米GⅡ)・マーヴィンルロイH(米GⅡ)・グッドウッドBCH(米GⅡ)・サンアントニオH(米GⅡ)・ロングエイカーズマイルH(米GⅢ)・2着BCクラシック(米GⅠ)】、全妹ティズドバイ【ソレントS(米GⅡ)】などが活躍した。2001年にはカリフォルニア州最優秀繁殖牝馬に輝いている。晩年はケンタッキー州アッシュフォードスタッドで余生を過ごし、2011年に25歳で眠るような平和な死を迎えている。なお、シーズソングの母ロンリーダンサーの父は本邦輸入種牡馬のナイスダンサーである。

本馬の全姉ティズソーの子にはティズウェスト【シネマH(米GⅢ)】、ペインター【ハスケル招待S(米GⅠ)】が、本馬の全妹ティズアメイジングの子にはオクスボウ【プリークネスS(米GⅠ)・ルコントS(米GⅢ)】がおり、最近は結構繁栄している牝系である。近親の他の活躍馬には、ロンリーダンサーの母スリープロンリーの全姉スウィンギングリジーの子であるスウィングティルドーン【チャールズHストラブS(米GⅠ)・ワイドナーH(米GⅠ)】とライブリーワン【スワップスS(米GⅠ)】の兄弟、それにスウィンギングリジーの曾孫であるアメリカンジプシー【ガヴェアブラジル共和国大統領大賞(伯GⅠ)・シダージジャルジンブラジル共和国大統領大賞(伯GⅠ)】、スリープロンリーの半妹ルックアウトリズの玄孫であるディアレストトリックスキー【ラブレアS(米GⅠ)】、スリープロンリーの祖母ブルーカナリの半弟である1961年の米最優秀2歳牡馬クリムゾンサタン【ピムリコフューチュリティ・ガーデンステートS・サンフェルナンドS・チャールズHストラブS】などがいる。牝系は19世紀末に仏国から亜国に導入されて根付いた南米血統である。シーズティジーの祖母ティズナもチリ出身であり、本馬の血統構成は南米の血が強い。→牝系:F26号族

母父シアトルソングはシアトルスルー産駒の米国産馬だが、ニアルコスファミリーに購入されて仏国を主戦場とした。現役成績は9戦3勝ながら、サラマンドル賞(仏GⅠ)・ワシントンDC国際S(米GⅠ)を勝った活躍馬である。種牡馬としての成績は並だった。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、米国ケンタッキー州ウィンスターファームで種牡馬入りした。初年度産駒からエクリプス賞最優秀2歳牝馬フォークロアを出して、北米新種牡馬ランキングでトップに立つという順調なスタートを切った。その後も安定して活躍馬を輩出し、貴重なマンノウォーの直系を代表する種牡馬として奮闘している。北米種牡馬ランキングでは2008年の3位が最高で、翌2009年にも4位に入った。この2009年には米国競馬の殿堂入りをも果たしている。

2013年以降2015年現在に至るまでの種付け料は、無事出産時に7万5千ドルという金額であるが、それでも本馬の実績からすれば比較的安価であるとされている。実際に2013年には本馬の1歳馬は平均28万2038ドルで売れたらしいから、米国の馬産家達にとっては有難い存在であろう。2015年現在におけるステークスウイナー数は58頭となっている。

産駒はダート競走でありさえすれば、2歳戦でも3歳戦でも古馬戦でも短距離戦でも長距離戦でも米国外の競走でも何でも走ることが出来るようである。本馬は馬産家からだけでなく、競馬ファン達からの人気も高く、現在も本馬に会うためにウィンスターファームを訪れるファンは後を絶たないという。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

2003

Folklore

BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ)・アディロンダックS(米GⅡ)

2003

Well Armed

ドバイワールドC(首GⅠ)・グッドウッドS(米GⅠ)・サンアントニオH(米GⅡ)・サンディエゴH(米GⅡ)

2004

Bear Now

コティリオンH(米GⅡ)・シリーンS(加GⅢ)・ケンタッキーCディスタフS(米GⅢ)

2004

Bullsbay

ホイットニーH(米GⅠ)・アリシーバS(米GⅢ)

2004

Informed

カリフォルニアンS(米GⅡ)・サンディエゴH(米GⅡ)

2004

Slew's Tizzy

レキシントンS(米GⅡ)・ローンスターダービー(米GⅢ)・ネイティヴダイヴァーH(米GⅢ)

2004

Tiz Wonderful

ケンタッキージョッキークラブS(米GⅡ)・イロコイS(米GⅢ)

2004

Tizfiz

サンゴルゴーニオH(米GⅡ)

2004

Tough Tiz's Sis

レディーズシークレットS(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)・ハリウッドオークス(米GⅡ)・ホーソーンH(米GⅢ)

2005

Colonel John

サンタアニタダービー(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)・シャムS(米GⅢ)

2005

Da'Tara

ベルモントS(米GⅠ)

2005

Tizaqueena

チャーチルディスタフターフマイルS(米GⅡ)・アーリントンメイトロンH(米GⅢ)

2005

Tizdejavu

ジェファーソンCS(米GⅡ)・アメリカンダービー(米GⅡ)・ファイアクラッカーH(米GⅡ)・アメリカンターフS(米GⅢ)

2005

Tizway

メトロポリタンH(米GⅠ)・ホイットニー招待H(米GⅠ)・ケルソH(米GⅡ)

2006

Direct Line

ガーデニアS(米GⅢ)

2007

American Lion

ハリウッドプレビューS(米GⅢ)・イリノイダービー(米GⅢ)

2007

Ellafitz

バヤコアH(米GⅡ)・サンタマリアS(米GⅡ)

2007

Golden Itiz

アファームドH(米GⅢ)

2007

Kitty in a Tizzy

シカゴH(米GⅢ)

2007

Lovely Lil

ゴーフォーワンドH(米GⅡ)

2007

Morning Line

カーターH(米GⅠ)・ペンシルヴァニアダービー(米GⅡ)・マーヴィンルロイH(米GⅡ)

2007

Tiz Miz Sue

オグデンフィップスH(米GⅠ)・アゼリS(米GⅢ)2回

2007

Tizahit

デモワゼルS(米GⅡ)

2009

Big Kick

サンフアンカピストラーノH(米GⅡ)

2009

Gemologist

ウッドメモリアルS(米GⅠ)・ケンタッキージョッキークラブS(米GⅡ)

2010

Carinosa

マルコスリベーラ賞(亜GⅡ)

2010

Fury Kapcori

プレシジョニストS(米GⅢ)

2010

My Sweet Addiction

ヴァニティS(米GⅠ)

2010

Norumbega

ブルックリン招待S(米GⅡ)

2011

Dynamic Impact

イリノイダービー(米GⅢ)

2011

Strong Mandate

ホープフルS(米GⅠ)

2011

Tiz Windy

インディアナオークス(米GⅡ)

2011

ナイトバロン

平和賞(SⅢ)

2012

Kentuckian

ラザロバレラ記念S(米GⅢ)

2012

Tiz Shea D

インディアナダービー(米GⅡ)

TOP