ポリネシアン

和名:ポリネシアン

英名:Polynesian

1942年生

青鹿

父:アンブレーカブレ

母:ブラックポリー

母父:ポリメリアン

プリークネスSの勝ち馬にして記念すべき初代の米最優秀短距離馬は種牡馬としてもネイティヴダンサーを輩出して後世に絶大な影響を与える

競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績58戦27勝2着10回3着10回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州エレメンドルフファームにおいて、同牧場の当時の所有者で、祖父シックルを米国に輸入した人物でもある米国競馬界の名士ジョセフ・E・ワイドナー氏により生産された。しかし本馬が産まれた年の秋に母ブラックポリーが6歳の若さで他界してしまったため、本馬は人間の手で育てられた。さらには本馬が1歳時の10月に生産者のワイドナー氏も72歳で死去してしまい、本馬はワイドナー氏の息子ピーター・アレル・ブラウン・ワイドナーⅡ世氏の妻だったガートルード・T・ワイドナー夫人の所有馬となった。

本馬の代表産駒であるネイティヴダンサーの生産・所有者アルフレッド・グウィン・ヴァンダービルトⅡ世氏の従姉妹でもあったワイドナー夫人は1948年に夫も亡くして未亡人となった後に、所有馬を主に欧州で走らせることになり、1963年の英1000ギニー馬フラダンサーや、1964年の仏グランクリテリウムの勝ち馬グレイドーンなどを生産・所有する事になる。そしてそのグレイドーンに仏グランクリテリウムで生涯唯一の黒星をつけられた20世紀欧州最強馬シーバードの父ダンキューピッド(本馬から見れば孫に当たる)もまたワイドナー夫人の生産・所有馬であるから、日本ではほぼ無名であるワイドナー夫人の競馬界における功績はかなり大きい。人の手で育てられながらも何とか成長した本馬は、モリス・H・ディクソン調教師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳4月にピムリコ競馬場で行われたダート4.5ハロンの未勝利戦でデビューしたが、勝ったケウェイディーから4馬身差の3着に敗退。その4日後に同コースで出た一般競走も、勝ったアラバマから3馬身差の3着に敗退。さらに5日後に出たラルパールS(D4.5F)では、勝ったアラバマから3馬身差の4着に敗退。しかもレース中に脛を痛めたために休養入りした。

次の逸話は筆者が海外の資料では見つけられなかったもので、日本の資料にしか載っていないものであるが、とりあえず掲載することにする。本馬はこの休養の間に横紋筋融解症(窒素尿症ともいう。いわゆる「こずみ」「すくみ」と同一視する向きもあるようだが、必ずしもイコールとは限らない。強度の運動や熱中症、負傷などが引き金となって骨格筋の壊死を起こし、壊死した細胞が血液中に流出し、重度の筋肉痛・筋力低下及び麻痺・尿の赤色化などの症状を呈し、最悪の場合は腎不全を発症して死に至る。日本中央競馬会の研究によると死亡率は50%で、再発することもあるそうである)を発症してしまい、激痛に襲われた。やがて痛みは和らいだが、再度の激痛を恐れるあまりか、身体を動かす事もしなくなった。ディクソン師もどうする事も出来ないでいたある日、本馬はスズメバチの群れに襲われて体を刺されてしまった。ところが蜂毒が何らかの作用をもたらしたのか、本馬の体調はそれで回復したというのである。しかしスズメバチの毒は横紋筋融解症を治すどころか、逆に横紋筋融解症を起こす原因となり得るものである(蜂毒の症状について記した各種論文にそう書いてある)から、むしろスズメバチに刺されたために本馬が横紋筋融解症を発症したと考えるほうが理に適っている。横紋筋融解症の別名である窒素尿症という名前からアンモニアを連想して、アンモニアは蜂毒に有効であるという俗説(最近の研究ではアンモニアが蜂毒に有効であるという説はほぼ否定されている)に基づいて流布された誤った話ではないかと思われる。さらに言えば、本馬は僅か3か月間の休養で実戦に復帰しているが、死亡率50%で再発することもある横紋筋融解症はそんな簡単な病気ではないから、そもそも横紋筋融解症を発症したという話や、スズメバチに刺されたという話も怪しいものであり、単に脚を痛めたから3か月間休養したと考えるほうが妥当であろう。

それはさておき、8月にベルモントパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦で復帰した本馬は、2着シップコールに2馬身半差をつけて初勝利を挙げた。翌週に出たベルモントパーク競馬場ダート6ハロンの一般競走では、後にイースタンショアH・ベンジャミンフランクリンH・ハーフォードSなどを勝つボバネットの2馬身半差3着だった。さらに翌週に出た同コースの一般競走では、後のレムセンSの勝ち馬グレートパワーを頭差の2着に抑えて勝利した。さらに翌9月に出た同コースの一般競走も、アーリントンワシントンフューチュリティ3着馬スパルタンノーブルを1馬身1/4差の2着に抑えて勝利した。10月にはベルモントパーク競馬場ダート7ハロンの一般競走に出走して、2着アンコンディショナルに頭差で勝利。

そして11月にピムリコ競馬場で出た分割競走サガモアS(D6F)では、サンフォードSの勝ち馬ザドージェなどを一蹴。2着ケウェイディーに1馬身半差をつけて、ステークス競走勝ちを収めた。その1週間後に同じピムリコ競馬場で出走した分割競走エンデュランスH(D8F70Y)で、後のクラークHの勝ち馬ヘイルヴィクトリーの半馬身差2着(ブリーダーズフューチュリティ2着馬で後のサンタアニタダービー馬バイミーアボンドが3着)となったところで、2歳戦を終えた。本馬が出走しなかった方のエンデュランスHは、サガモアSで3着だったザドージェが、シャンペンS・ピムリコフューチュリティの勝ち馬ポットオラックを2着に破って勝っている。2歳時の成績は10戦5勝だった。

競走生活(3歳時)

3歳時は5月にジャマイカ競馬場で行われたエクスペリメンタルフリーHナンバー1(D6F)から始動したが、ジープ、グリークウォリアーのマームード産駒2頭に敗れて、勝ったジープから3馬身3/4差の3着に終わった。次走の分割競走ウッドメモリアルS(D8.5F)では、勝ったフープジュニアから9馬身差をつけられた4着に敗れた。本馬が出走しなかった方のウッドメモリアルSは、ジープが名牝ギャロレットを2着に破って勝っている。

エクスペリメンタルフリーHナンバー1やウッドメモリアルSの結果により、ケンタッキーダービーは回避が決定。その代わりにウィザーズS(D8F)に出走した。このレースには、前年の米最優秀2歳牡馬でありながらもケンタッキーダービーを回避してきた、サラトガスペシャルS・ベルモントフューチュリティS・ホープフルS・メイフラワーS・グランドユニオンホテルS・ユナイテッドステーツホテルS・クリスティアーナSの勝ち馬パボットも出走してきた。しかし主戦となるウェイン・ダンフォース・ライト騎手と初コンビを組んだ本馬が2着パボットに半馬身差で勝利した。

そしてプリークネスS(D9.5F)に参戦。対戦相手は、ケンタッキーダービーを6馬身差で圧勝してきたフープジュニア、パボット、ケンタッキーダービーで3着だったブルーグラスSの勝ち馬ダルビーディエップ、ザドージェ、ケンタッキーダービーで7着だったダービートライアルSの勝ち馬シースワロー、ケンタッキーダービーで10着だったベルモントフューチュリティS・ウッドメモリアルS2着馬アレクシス、後のトラヴァーズSの勝ち馬アドニス、2歳時の一般競走で本馬に勝った事もあるイースタンショアHの勝ち馬ボバネットの8頭だった。単勝オッズ13倍の伏兵扱いだった本馬はスタートから先行し、フープジュニアが内側の3番手を追いかけてきた。しかし直線に入っても本馬とフープジュニアの差は縮まらず、本馬がそのまま2着フープジュニアに2馬身半差をつけて勝利した。なお、フープジュニアはこの競走で屈腱炎を発症してしまい、そのまま引退している。

ベルモントSは距離的に厳しいという判断により回避した。本馬不在のベルモントSは、プリークネスSでダルビーディエップと3着同着だったパボットが勝っている。その後はシェヴリンS(D8.5F)に向かったが、ベルモントS2着馬ワイルドライフ、後に本馬と幾度か対戦する事になるコインシデンス、後にこの年のホイットニーSを勝つトライミーナウなどに屈して、勝ったワイルドライフから11馬身差の5着に惨敗した。しかし次走のベルモントパーク競馬場ダート6ハロンのハンデ競走では、2着アラバマに1馬身3/4差で勝利した。さらにジェロームH(D8F)に出走したが、不良馬場に脚を取られて、後に本馬の好敵手の1頭となるバズフズの13馬身差9着に惨敗した(パボットが3着だった)。10月に出たベルモントパーク競馬場ダート6ハロンのハンデ競走では、2着となったエクセルシオールHの勝ち馬サグアロに3馬身半差で勝利。2週間後に出たローレル競馬場ダート6ハロンのハンデ競走は、ザドージェの鼻差2着だった。分割競走リッチーH(D6F)では、前年の同競走に加えてアケダクトHなどを勝っていた5歳馬ニュームーンの4馬身差2着に敗退。

エイコーンS・ピムリコオークス・デラウェアオークス・エンパイアシティSを勝ちウッドメモリアルS・ドワイヤーSで2着していた同世代の名牝ギャロレットとの初顔合わせとなったピムリコ競馬場ダート8.5ハロンのハンデ競走では、サルヴォの半馬身差2着(ギャロレットは5着)。11月のターフ&フィールドCH(D8F)ではテックスマーティンの鼻差2着と、4戦続けて2着に敗れた。ピムリコ競馬場ダート6ハロンのハンデ競走では、2着ブリティッシュバディに頭差で勝利して惜敗街道は抜けた。

しかしそれから3日後に出走したピムリコスペシャルS(D9.5F)では、シェリダンH・ワシントンHを勝っていた4歳馬アームド、コンチネンタルH・ルイジアナH・グレイラグH・クイーンズカウンティH・マサチューセッツ2回・バトラーH・フリートウイングH・トレントンHを勝っていた5歳馬ファーストフィドル、ブルックリンH・グレイラグH・バトラーH・サラトガC・コンチネンタルH・ウエストチェスターHを勝っていた4歳馬スタイミーといった強力古馬勢だけでなく、ギャロレットにも後れを取り、勝ったアームドから8馬身半差の6着に大敗。3歳時の成績は14戦5勝だった。

競走生活(4歳時)

4歳時は4月にジャマイカ競馬場で行われたダート6ハロンのハンデ競走から始動したが、前年のジェロームHと同じく不良馬場の中で、バズフズの3馬身1/4差3着に敗れた。次走のトボガンH(D6F)では、2着カシスに頭差で勝利。しかしギャロレットと3度目の対戦となったメトロポリタンH(D8F)では、勝ったギャロレットに7馬身1/4差をつけられた9着と大敗した(前年のピムリコスペシャルSとこの年のサンタアニタHで2着だったファーストフィドルが3着だった)。ローズベンH(D6F)では、後にカーターHを勝つフラッドタウンを4馬身差の2着に、パボットを3着に破って快勝した。

しかしサバーバンH(D10F)では距離が長すぎたのか、勝ったアームドから15馬身差をつけられた10着に大敗した(スタイミーが3着だった)。デラウェアパーク競馬場ダート6ハロンのハンデ競走では、2着ブルックフィールドに2馬身1/4差で勝利した。その後のブルックリンH(ギャロレットが勝っている)には出走せず、フリートウイングH(D6F)に向かった。しかし132ポンドを課されてしまい、スカラーシップとフラッドタウンの2頭に屈して、勝ったスカラーシップから1馬身差の3着に敗退。次走のラムゾンH(D6F)でも130ポンドを背負わされたが、2着ブルックフィールドに1馬身1/4差をつけて、1分10秒6のコースレコードを計時して勝利した。ギャロレット、スタイミー、パボットとの再戦となったウィルソンS(D8F)では、ゴール前の大接戦に遅れて、勝ったパボットから僅か半馬身差の4着に敗退。ギャロレットが首差2着、1歳年上のグレートアメリカンS・トレモントS・ユースフルS・ジュヴェナイルS・ウッドメモロアルS・ピーターパンH・ジャージーHの勝ち馬ラッキードローがさらに首差の3着、本馬がさらに頭差の4着、スタイミーがさらに首差の5着という大激戦だった。次走のホイットニーS(D10F)では、距離と重馬場の両面でスタミナを消耗し、勝ったスタイミーから14馬身差をつけられた4着と完敗。

マーチャンツ&シチズンズH(D9.5F)では、コースレコードで走破したラッキードローの1馬身半差2着だった。サラトガH(D10F)でも、ラッキードローの3/4馬身差2着に入り、3着スタイミーに先着した。ただし斤量はラッキードローが121ポンド、スタイミーが124ポンドだったのに対して、本馬は113ポンドだった。なお、本馬とスタイミーの対戦はこれが最後で、対戦成績は本馬の2勝3敗だった。

それでもこの2戦では不得手な距離で好走したのだが、得意距離に戻ったベイショアH(D7F)では130ポンドを課されて、2着キングドーセットを首差抑えて勝ったギャロレットの1馬身3/4差3着に敗退した。125ポンドまで斤量が減ったページェントH(D6F)では、2着スリードッツに6馬身差をつけて、1分09秒2のコースレコードで完勝した。しかし130ポンドを課されたヴォスバーグH(D7F)では、コインシデンスの6馬身半差3着に敗れた。次走のターフ&フィールドH(D8F)では、2着コインシデンスに3/4馬身差で何とか勝利した。しかしワシントンH(D10F)では、2歳年上のアーカンソーダービー・ウエストチェスターH・リグスH・スカースデールHの勝ち馬セブンハーツ、1歳年上のワシントンH・ポトマックH・ピムリコカップHの勝ち馬メゴゴの2頭に敗れて、セブンハーツの1馬身3/4差3着。トレントンH(D9F)では不良馬場の中を頑張り、1番人気に推されていたギャロレット(8着)には先着したが、タービンの首差2着に惜敗。次走のスカースデールH(D8F70Y)では、ファーストフィドルを1馬身半差の2着に、バズフズを3着に破って勝利。リグスH(D9.5F)では2着ラウンドビューに半馬身差で勝利を収め、4歳時を20戦8勝の成績で終えた。

競走生活(5歳時)

翌5歳時は4月のポーモノクH(D6F)から始動し、130ポンドを背負いながらも泥だらけの不良馬場の中を好走し、バッシュフォードマナーS・グレートウェスタンH・クイックステップSの勝ち馬ファイティングフランクの頭差2着と無難なスタートを切った。2週間後に同コースで行われたハンデ競走では、ギャロレット、バズフズとの顔合わせとなった。本馬には前走と同じ130ポンドが課せられたが、2着バズフズに1馬身3/4差で勝利した(ギャロレットは4着)。次走のエクセルシオールH(D8.5F)でもギャロレットとの顔合わせとなったが、コインシデンスが勝ち、本馬は5馬身差の2着、ギャロレットは5着に敗れた。2連覇を目指したトボガンH(D6F)では134ポンドを課せられてしまい、バズフズの1馬身1/4差3着に敗退。前年とは異なりメトロポリタンHには向かわず、やはり2連覇がかかるローズベンH(D6F)に直行した。しかしここでも132ポンドを課せられてしまい、インロックの6馬身差4着に敗れた。

しかしここからが本馬の全盛期となる。次走のアトランティックシティインググラルH(D6F)では130ポンドを背負いながら、2着エアパトロールに2馬身半差で勝利。続くウィルミントンH(D6F)では132ポンドを背負ったが、2着シースナックに3馬身差で勝利。オーシャンポートH(D6F)では134ポンドが課せられたが、それでも2着ミスリーダーに3馬身半差で勝利した。次走のロングブランチH(D8.5F)では距離が伸びたが斤量も129ポンドと少し軽くなり、2着フラッシュバーンとの着差は鼻差ながら、1分43秒6のコースレコードで勝利した。同じ129ポンドで出走したオムニバスH(D9F)も、2着ラウンドビューとの着差は半馬身差ながら、1分50秒6のコースレコードで勝利した。次走はさらに距離が伸びたモンマスH(D10F)だった。斤量は127ポンドとなっていたが、さすがにこの距離は厳しかったようで、コースレコードで勝利を収めたラウンドビューの8馬身半差4着に敗退。このレースで本馬に鼻差先着する3着だったギャロレットとの対戦はこれが最後で、対戦成績は本馬の4勝5敗と、1つ負け越してしまった。その後は得意の短距離路線に戻って実力を存分に発揮。まずはカムデンH(D6F)に出て、エアパトロールを5馬身差の2着に、前年の同競走を勝っていたザドージェを3着に下して、1分09秒8のコースレコードを計時して圧勝した。

次走のベルモントパーク競馬場ダート6ハロンの一般競走では、ピムリコスペシャルS・サバーバンHの2戦以来となるアームドとの顔合わせとなった。過去2戦ではアームドが勝って本馬は惨敗。しかもこの時点におけるアームドもまた全盛期を迎えており、米国三冠馬アソールトを8馬身差で葬り去ってアームドの名を不朽のものとするマッチレースはこの5日後だった。しかも馬場状態は不良であり、重い馬場をそれほど苦にしないアームドと、明らかに重馬場が不得手な本馬では、130ポンドのアームドから5ポンドのハンデを貰ったと言っても本馬のほうが不利だった。しかしそれでもこの距離では本馬のほうがアームドより一枚上だったようで、2着アームドに2馬身半差をつけて勝利。3度目にして最後の対戦でアームドに一矢を報いた。次走のジャニーH(D6F)では134ポンドを課せられたが、2着ザドージェに1馬身差で勝利。このレースを最後に、5歳時14戦9勝の成績で競走馬を引退。この年に創設されたばかりの米最優秀短距離馬を受賞し、記念すべき初代米国短距離王となった(ただしマートルウッドの項に記載したように、マートルウッドが初の米最優秀短距離馬であるとする資料もあり、資料間で矛盾が生じている)。

本馬はプリークネスSの勝ち馬ではあるが、マイル以上の距離ではアームド、スタイミー、ギャロレットといった同時代の強豪相手に苦戦を強いられた。しかし短距離戦ではアームドやギャロレット相手でも勝利を収めている。競走生活全般を見ると、9~10ハロン戦よりもマイル戦、マイル戦よりも短距離戦の方が、成績が安定しており、能力的には短距離馬だったと言える。

血統

Unbreakable Sickle Phalaris Polymelus Cyllene
Maid Marian
Bromus Sainfoin
Cheery
Selene Chaucer St. Simon
Canterbury Pilgrim
Serenissima Minoru
Gondolette
Blue Glass Prince Palatine Persimmon St. Simon
Perdita
Lady Lightfoot Isinglass
Glare
Hour Glass Rock Sand Sainfoin
Roquebrune
Hautesse Archiduc
Hauteur
Black Polly Polymelian Polymelus Cyllene Bona Vista
Arcadia
Maid Marian Hampton
Quiver
Pasquita Sundridge Amphion
Sierra
Pasquil Plebeian
Pasquinette
Black Queen Pompey Sun Briar Sundridge
Sweet Briar
Cleopatra Corcyra
Gallice
Black Maria Black Toney Peter Pan
Belgravia
Bird Loose Sardanapale
Poule au Pot

父アンブレーカブレはシックル産駒で、ベルモントSの勝ち馬ハリーオフの半弟。誕生したのは米国だが、競走馬としては英国で走った。2歳時にエクセターS・ソルティコフS・リッチモンドSを勝ち、ミドルパークSでは3着。3歳時はウォーターフォードSを勝ち、サセックスSで2着。英2000ギニーでは5着、英ダービーではボワルセルの8着だった。4歳時には距離7ハロンのヴィクトリア金杯を勝って、通算成績14戦5勝で引退。シックル産駒らしい仕上がり早い短距離馬だった。競走馬引退後は米国に戻って種牡馬となっていた。種牡馬としては13頭のステークスウイナーを出した程度で、あまり成功したとは言えなかったが、本馬を出した事で血統界にその名を刻む事になった。

母ブラックポリーは本馬と同じくワイドナー氏の生産馬で、現役成績3戦1勝。前述のとおり本馬を産んだ年の秋に6歳で夭折している。ブラックポリーの半妹タジビビ(父シックル)の子にパパレッドバード【アーリントンクラシックS】がいる。また、パパレッドバードの1歳年下の全弟であるブラックウヰングは血統が評価されて日本に種牡馬として輸入された。ブラックウヰングは父としては殆ど成功できなかったが、名繁殖牝馬ブラックターキン(優駿牝馬勝ち馬シャダイターキンの母。天皇賞馬レッツゴーターキンの曾祖母。短距離女王カレンチャンの5代母)を出し、後世にその血を伝えることには成功している。

ブラックポリーの半妹クイーンオブクラブズ(父ローマン)の牝系子孫には、エアフォーブズウォン【ウッドメモリアルS(米GⅠ)】などがいる。ブラックポリーの祖母ブラックマリアはケンタッキーオークス・レディーズH2回・イリノイオークスなどに加えて、メトロポリタンH・ホイットニーS・アケダクトH2回なども制し、1926年の米最優秀3歳牝馬、及び1927・28年の米最優秀ハンデ牝馬を受賞した男勝りの名牝だった。しかしブラックマリアは9歳で事故死したこともあってか、その牝系子孫はそれほど発展しなかった。ブラックマリアの5代母フリッパントは英2000ギニー・英ダービー馬マカロニの半妹で、19世紀英国を代表する名競走馬にして名種牡馬であるタッチストンの姪に当たる。→牝系:F14号族②

母父ポリメリアンはポリメラス産駒で、現役当初は英国で走ったが、ルツェルンハイウェイトHという下級競走を勝った程度だった。後に米国に移籍して、サラトガ競馬場ダート6ハロンのコースレコードタイを計時している。引退後はそのまま米国で種牡馬入りして、20頭のステークスウイナーを出している。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、生まれ故郷のエレメンドルフファームで種牡馬入りしたが、1年目の繁殖シーズン終了後に、アイドライマンズファームに移動した。しかし2年目産駒から超大物ネイティヴダンサーを出して1952年の北米2歳首位種牡馬となり、種牡馬としての名声を高めた。その後は大物と言える競走馬を出す事は無かったが、大物はネイティヴダンサーの1頭を出せば十分すぎるほどであるし、ステークスウイナーは37頭出しているから、種牡馬としては成功したと言える。産駒には1956年の米最優秀2歳牝馬バルビゾン、ダート7ハロンの世界レコードを樹立した事もあるインブロス(米国顕彰馬ネイティヴダイヴァーや天皇賞馬ハクズイコウの父でもある)など短距離馬が多く、米国三冠競走では全て苦戦を強いられたネイティヴダンサーもどちらかと言えば短い距離のほうが得意だったと思われるから、種牡馬としては自身の能力を素直に伝えるタイプだったようである。1959年12月に疝痛のため17歳で他界し、当時繋養されていたケンタッキー州ギャラハーファームに埋葬された。

本馬の血はネイティヴダンサーを経由してノーザンダンサーミスタープロスペクターなどに受け継がれ、後世に大きな影響を与えている。また、繁殖牝馬の父としては、1962年の米最優秀ハンデ牝馬に加えて1978年のケンタッキー州最優秀繁殖牝馬にも選ばれたアラバマS・スピンスターSの勝ち馬プリモネッタと、1963年のケンタッキーダービー・ベルモントSの勝ち馬シャトーゲイの姉弟などを出している。本馬の曾孫シーバードの代表産駒であるプリークネスS・ベルモントSの勝ち馬リトルカレントの祖母の父も本馬である。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1949

Thataway

ハリウッドラッシーS

1950

Imbros

ウィルロジャーズS・パロスヴェルデスH・カリフォルニアンS・マリブS

1950

Native Dancer

プリークネスS・ベルモントS・サラトガスペシャルS・ホープフルS・ベルモントフューチュリティS・ウッドメモリアルS・ゴーサムS・ウィザーズS・ドワイヤーS・アーリントンクラシックS・トラヴァーズS・アメリカンダービー・メトロポリタンH

1953

Polly's Jet

サラトガスペシャルS

1954

Alanesian

アスタリタS・スピナウェイS

1954

Barbizon

ガーデンステートS

1954

Bureaucracy

ドワイヤーH

1954

Darling Adelle

ハリウッドラッシーS

1955

Poly Hi

アーリントンラッシーS

1956

Mommy Dear

ソロリティS・ディスタフH・ヴェイグランシーH

1956

Polylad

デルマーデビュータントS・ハネムーンH・ローマーH・ナッソーカウンティH・マサチューセッツH・ギャラントフォックスH

1957

Cranberry Sauce

クイーンズカウンティH

1957

Fiftieth State

ジョンシェール賞

1959

Polylady

テストS

1959

Sturdy Man

アランベール賞

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