ロイヤルヒロイン

和名:ロイヤルヒロイン

英名:Royal Heroine

1980年生

栗毛

父:リイフォー

母:マイシエラレオネ

母父:レルコ

欧州でキャリアをスタートしたが米国において最も活躍した記念すべき第1回BCマイルの覇者

競走成績:2~4歳時に英仏米で走り通算成績21戦10勝2着4回3着2回

誕生からデビュー前まで

B・ラリー・ライアン氏により愛国バリーモリススタッドにおいて生産され、名馬主ロバート・サングスター氏の所有馬となり、英国マイケル・スタウト調教師に預けられた。

競走生活(3歳前半まで)

2歳6月にドンカスター競馬場で行われた芝6ハロンの未勝利ステークスでデビューしたが、ブライトコーンの3馬身半差4着に敗退。翌月にニューマーケット競馬場で出走した芝6ハロンの未勝利ステークスを3馬身差で勝ち上がった。初勝利の17日後にはアスコット競馬場でプリンセスマーガレットS(T6F)に出走して、2着ヘンリーズシークレットに2馬身半差で勝利した。8月にはヨーク競馬場でロウザーS(英GⅡ・T6F)に出走したが、後にモイグレアスタッドS・ジュライC・スプリントCS・スプリントC・アベイドロンシャン賞・キングズスタンドSを勝つ短距離女王ハビブティに敗れて、1馬身半差の2着。2歳時の成績は4戦2勝だった。

3歳時は当然のように英1000ギニーを目標として、まずは本番2週間前のネルグウィンS(英GⅢ・T7F)に出走した。しかしチェヴァリーパークS2着馬フェイヴォリッジと、ロウザーSで本馬から2馬身差の3着だったアニーエッジの2頭に屈して、フェイヴォリッジの1馬身半差3着に敗れた。

本番の英1000ギニー(英GⅠ・T8F)では、ロベールパパン賞・チェヴァリーパークSの勝ち馬マビッシュ、フェイヴォリッジ、ハビブティなどが対戦相手となった。主戦のウォルター・スウィンバーン騎手が騎乗する本馬は逃げ馬を見るように先行して、残り3ハロン地点で早々に先頭に立って粘り込みを図った。しかし馬群の中団から差してきた単勝オッズ3.5倍の1番人気馬マビッシュに残り1ハロン地点でかわされた。さらにはフェイヴォリッジにもかわされそうになったが、これは差し返して、勝ったマビッシュから2馬身半差をつけられながらも2位を確保した。ところがレース後の薬物検査に引っ掛かって失格となってしまい、せっかくのゴール前の粘りは無に帰してしまった。

その後は英オークス(英GⅠ・T12F)に向かった。対戦相手は、クレオパトル賞を3馬身差で快勝してきたアレクサンドリー、フィリーズマイルの勝ち馬アクリマタイズ、リングフィールドオークストライアルS2着馬コーモラントウッドなどだった。このレースでも本馬は先行策を採ったが、直線に入ると失速。レースは未勝利馬の身で果敢に参戦してきたサンプリンセスが2着アクリマタイズに12馬身差という同競走史上最大着差で圧勝し、本馬はサンプリンセスから18馬身差の7着に敗れた。

競走生活(3歳後半)

その後は地道に裏街道を進み、7月のチャイルドS(英GⅢ・T8F)に出走。プレステージSの勝ち馬フラメンコを2馬身差の2着に抑えて勝利した。8月には牡馬相手のハンガーフォードS(英GⅢ・T7F)に出走して、ミルリーフSの勝ち馬サリエリの2馬身半差2着となった。9月に出走したセプターS(T8F)では、フラメンコとの接戦を首差で制して勝利した。10月には渡仏してオペラ賞(仏GⅡ・T1850m)に出走。このレースの2着争いは5頭の馬が入り乱れる混戦となったが、本馬のみが抜け出し、2着となった後のサンクルー大賞2着馬フライミーに1馬身半差で勝利した。

すると今度は米国に遠征し、イエローリボンS(米GⅠ・T10F)に出走した。ヴァニティ招待H・ビヴァリーヒルズH・サンタマリアH・ラモナHなどを勝っていた元仏国調教の5歳牝馬サング、仏1000ギニー・愛1000ギニー・EPテイラーSを勝っていた本馬と同世代の仏国調教馬ラトレイヤント、ラカナダS・サンタバーバラとGⅠ競走2勝を挙げていたアヴィゲイション、ゲイムリーHの勝ち馬プライドオブローズウッド、サラナクS・ニューヨークH・シープスヘッドベイHなどを勝っていたサビンなどが対戦相手となった。ここではサングが勝利を収め、本馬は10馬身差をつけられて7着に敗れ去った。同じく欧州から遠征してきたラトレイヤントが2着と好走したのとは対照的な結果だった。

しかし本馬はこのまま米国に留まり、ジョン・ゴスデン厩舎に転厩して正式に米国を主戦場とすることになった。ゴスデン師は英国出身だが、米国で調教師として独立しており、この当時はまだ米国に本拠を構えていたのだった。

そしてイエローリボンSから2週間後のハリウッドダービー(米GⅠ・T9F)に出走した。そして新しく主戦となったフェルナンド・トロ騎手を鞍上に、2着となった牡馬インテルコに3/4馬身差をつけて、GⅠ競走初勝利を収めた。もっとも、ハリウッドダービーは出走馬が多すぎて分割競走になる事がしばしばあり、1981年から1987年まで7年連続で分割競走になっていた。本馬が出走したのは1983年であるから、当然分割競走だった。そのために対戦相手の層がやや薄くなっていた一面は否めないが、それでも負けたインテルコはこの後にサンフェルナンドS・サンタアニタH・サンルイレイS・センチュリーHのGⅠ競走4勝を含む破竹の7連勝を達成する実力馬であり、相手が弱かったわけではないようである。3歳時の成績は9戦4勝だった。

競走生活(4歳前半)

4歳時はまず3月のサンタアナH(米GⅠ・T9F)に出走した。前年のイエローリボンS2着後にやはりそのまま米国に移籍していたラトレイヤント、前年のイエローリボンSで5着だったアヴィゲイション、同12着だったプライドオブローズウッド、サンタマリアHを勝ちサンタマルガリータ招待Hで2着してきたハイヘブン、ラカナダSを勝ってきたスウィートダイアンといったGⅠ競走級の馬達が多数参戦しており、何事も無ければ好勝負が期待できたはずだった。しかしこのレースは道中で、ハイヘブン、スウィートダイアン、本馬の3頭が落馬事故に巻き込まれて競走を中止する大波乱となり、好勝負どころではなくなってしまった(レースはアヴィゲイションが勝利した)。ハイヘブンとスウィートダイアンの2頭は命を落とし、本馬鞍上のトロ騎手も入院するという大事故だったが、本馬は奇跡的に軽症で済んだ。

その後は一間隔を空けて、6月のイングルウッドH(米GⅢ・T8.5F)に出走した。牡馬相手の競走だったが、復帰してきたトロ騎手を鞍上に、2着となったジムクラックS・デルマー招待H・カールトンFバークHの勝ち馬ベルボライドに半馬身差で勝利を飾った。続いて出走したビヴァリーヒルズH(米GⅡ・T9F)では、サンタアナH3着後にサンタバーバラHで2着していたラトレイヤント、そのサンタバーバラHの勝ち馬コメディアクト、古馬になってサンタマルガリータ招待H・ホーソーンH・ミレイディH勝ちを含む7戦6勝の快進撃を見せていた上がり馬アドアードなどが対戦相手となった。しかし本馬がアドアードを1馬身半差の2着に抑えて勝利した。

次走のパロマーH(米GⅢ・T9F)では、前走3着のコメディアクト、同9着のラトレイヤント、この年の2月にデビューしたばかりだったが前走ハリウッドオークス勝ちなど9戦8勝の快進撃を見せていた上がり馬モーメントトゥバイなどが対戦相手となった。ここでも本馬は上がり馬の勢いを阻止して、モーメントトゥバイを2着に破って勝利した。そう思われたのも束の間で、3位入線のラトレイヤントの進路を妨害したと裁定が下り、本馬は3着に降着。モーメントトゥバイが繰り上がって勝利馬となった。それでも陣営はトロ騎手を本馬から降ろす事はなかった。

この2週間後には、アーリントンミリオンS(米GⅠ・T10F)に参戦した。対戦相手は、9歳にして2度目の全盛期を迎えつつあったサンルイレイS2回・サンフアンカピストラーノ招待H・ハリウッドパーク招待ターフH3回・オークツリー招待H3回・サンタアニタH2回・ジョッキークラブ金杯・ハリウッドターフカップS・サンセットHとGⅠ競走14勝を挙げていたジョンヘンリー、芝競走に活路を求めていた一昨年のケンタッキーダービー馬でベルモントS・ブルーグラスS・サンルイレイS2着のガトデルソル、ロスマンズ国際S・ソードダンサーH2回・マンノウォーS・レキシントンSなどの勝ち馬マジェスティーズプリンス、チャールズHストラブS・カリフォルニアンS・ハリウッド金杯とGⅠ競走を3連勝していたデザートワイン、リュパン賞の勝ち馬で愛ダービー3着のダハール、イスパーン賞2連覇のクリスタルグリッターズなどだった。レースでは他の強豪馬勢を引き連れてスタートから果敢に逃げを打ち、そのまま直線半ばまで先頭を維持していたが、3年前の同競走を勝って初代王者になっていたジョンヘンリーに差されて1馬身3/4差の2着に敗れた。もっとも、これは相手が悪すぎたと言えるものだった。

競走生活(4歳後半)

カリフォルニア州に戻ってきた本馬は9月のラモナH(米GⅠ・T10F)に出走した。しかしここでは前走チュラヴィスタHで2着してきたフラグドルーンに足元を掬われて、2馬身半差の2着に敗れた。

その後はこの年の11月にハリウッドパーク競馬場にて施行された第1回ブリーダーズカップに向かった。当時はBCフィリー&メアターフというレースは存在せず、芝しか走った事が無い本馬にはダートのBCディスタフは厳しく、BCターフは距離的に厳しいという事で、出走したのはBCマイル(米GⅠ・T8F)であった。対戦相手は、ジャックロマロワ賞・英シャンペンS・クレイヴンSの勝ち馬でムーランドロンシャン賞2着・英2000ギニー3着のリアファン、ユナイテッドネーションズH2着・マンノウォーS3着のコジーン、ハンガーフォードSの勝ち馬でクリスタルマイル・チャレンジS2着のプレゴ、ロサンゼルスHの勝ち馬でロングエーカーズマイルS2着のナイトムーヴァー、デルマーダービー・ウィルロジャーズSの勝ち馬ツナミスルー、シルヴァースクリーンH・ラホヤマイルH・ヴォランテHの勝ち馬タイツ、パンアメリカンSの勝ち馬でセンチュリーH2着のトンザラン、メトロポリタンH・フェイエットSの勝ち馬スターチョイス、マークズプレースSを勝ってきたスマートアンドシャープの計9頭だった。

本馬と同馬主のプレゴのカップリングが単勝オッズ2.7倍の1番人気に支持され、コジーンが単勝オッズ4.8倍の2番人気、リアファンが単勝オッズ6.2倍の3番人気、ナイトムーヴァーが単勝オッズ7.2倍の4番人気、ツナミスルーが単勝オッズ7.4倍の5番人気と続いた。

スタートが切られると単勝オッズ46.3倍の8番人気馬スマートアンドシャープが即座に先頭に立ち、ツナミスルーが2番手、コジーンが3番手で、本馬はコジーンの背中を見るように5番手につけた。最初の2ハロン通過が22秒3、半マイル通過は45秒3というやや速いペースだったが、トロ騎手が手綱を握る本馬は落ち着いて好位を走っていた。三角に入って他馬の動きが激しくなると、本馬も加速を開始。そのまま5番手の位置取りで直線に入ってきた。前方では先頭にツナミスルーにコジーンが並びかけて叩き合いに持ち込んでいたが、残り半ハロン地点で外側から本馬がその2頭を並ぶ間もなく抜き去った。最後は2着に追い上げてきた単勝オッズ70.7倍の最低人気馬スターチョイスに1馬身半差をつけて、1分32秒6のコースレコードを樹立して優勝。記念すべき第1回BCマイルの覇者となった。BCマイルはこの後も牝馬の活躍が目立つレースになるのだが、本馬はその先駆けであったと言える。

本馬のこの年の出走はBCマイルが最後ではなく、まだ続きがあった。それは2週間後のメイトリアークS(米GⅠ・T9F)であった。このレースには前年のイエローリボンS4着馬で、この年はゲイムリーH・イエローリボンS・ブラックヘレンH・オーキッドH・シープスヘッドベイH・マッチメイカーS勝ちなど10戦9勝の成績を誇っていたサビンも参戦してきて、この年の米国最強芝牝馬を決める本当の戦いとなった。しかし本馬が、マルレ賞・オペラ賞・EPテイラーSを勝ってきたレインマティルダ(管理調教師はかつて本馬が失格となった英1000ギニーの勝ち馬マビッシュを手掛けていた仏国のクリスティアーヌ・ヘッド師だった)を1馬身差の2着に、サビンを3着に破って勝利。見事に引退レースの花道を飾った。4歳時の成績は8戦4勝で、この年のエクリプス賞最優秀芝牝馬に選出された。

血統

リィフォー Lyphard Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Goofed Court Martial Fair Trial
Instantaneous
Barra Formor
La Favorite
Klaizia Sing Sing Tudor Minstrel Owen Tudor
Sansonnet
Agin the Law Portlaw
Revolte
Klainia Klairon Clarion
Kalmia
Kalitka Tourment
Princesse d'Amour
My Sierra Leone Relko Tanerko Tantieme Deux-Pour-Cent
Terka
La Divine Fair Copy
La Diva
Relance Relic War Relic
Bridal Colors
Polaire Le Volcan
Stella Polaris
Smeralda Grey Sovereign Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Kong Baytown
Clang
Brilliant Stone Borealis Brumeux
Aurora
Cobble Stone Fairway
Rosetta

父リイフォーはリファール産駒で現役成績11戦3勝。クインシー賞(仏GⅢ)を勝っているが、一流の競走成績を残した馬ではない。そのためか愛国で種牡馬入りしたものの僅か1年で日本に輸出された。しかし愛国で残した僅か1世代の産駒から本馬やアーリントンミリオンの勝ち馬トロメオが登場した。日本では5歳から8歳までの4年間種牡馬生活を送ったが、トロメオがアーリントンミリオンを、本馬がハリウッドダービーを勝った翌年の9歳時に米国に再輸入された。しかし11歳時に米国ケンタッキー州ゲインズウェイファームで怪我のため他界してしまった。日本に残してきた産駒からもニッポーテイオーを筆頭とする活躍馬が登場しており、早世が惜しまれる種牡馬の一頭である。

母マイシエラレオネは現役成績2戦未勝利。近親にはあまり活躍馬がおらず、マイシエラレオネの従姉妹の子にクリスタルゲイジング【ロックフェルS(英GⅡ)・ネルグウィンS(英GⅢ)】が、マイシエラレオネの母スメラルダの従兄妹にアマヌーラ【ジョージメインS】がいるのが目立つ程度である。スメラルダの曾祖母ロゼッタは、英セントレジャー・コロネーションCを勝った名馬バスティノの曾祖母でもあり、同じ牝系からは、20世紀最強の長距離馬アリシドン、英1000ギニー・英オークス・愛オークスを勝ったアルテッスロワイヤルとその息子であるマグニテュード(ミホノブルボンの父)、英ダービー馬エルハーブ、カーターHやメトロポリタンHを勝った本邦輸入種牡馬ワイルドラッシュ、地方競馬の強豪スイフトセイダイ、小倉競馬場の主メイショウカイドウなども出ているが、いずれも本馬の近親と言うには遠い。→牝系:F1号族①

母父レルコは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、最初は米国で、後に愛国で繁殖生活を送った。母としては7頭の子を産んだが、8歳時に産んだ2番子の牡駒リーガルセイバー(父シャーペンアップ)が28戦3勝、ホーリスヒルS(英GⅢ)・ダイオメドS(英GⅢ)で各3着したのが目立つ程度と、繁殖牝馬としては期待に応えられなかった。2002年に22歳で他界した。しかし9歳時に産んだ3番子の牝駒カスティリアンクイーン(父ダイイシス)の子にカーマインレイク【アベイドロンシャン賞(仏GⅠ)】が出て、GⅠ競走勝ち馬の祖母となることは出来た。初子の牝駒マダムプッシー(父アファームド)の孫にはディフラクション【カラカッタプレート(豪GⅡ)】がおり、牝系は堅持されている。

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