カポウティ

和名:カポウティ

英名:Capote

1984年生

黒鹿

父:シアトルスルー

母:トゥーボールド

母父:ボールドイーグル

悲劇的な最期を遂げた半兄エクセラーとは対照的に種牡馬として成功し自身と同様の早熟快速馬を次々送り出したエクリプス賞最優秀2歳牡馬

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績10戦3勝3着1回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州ノースリッジファームにおいて、同牧場の所有者フランクリン・グローヴス氏により生産された。米国三冠馬シアトルスルーを父に、そのシアトルスルーをジョッキークラブ金杯で破るなどGⅠ競走11勝を挙げたエクセラーを兄に持つ良血馬で、1歳7月のキーンランドセールにおいてダレル・ウェイン・ルーカス調教師により80万ドルという高値で購入され、バリー・A・ベール氏、ロイド・R・フレンチ・ジュニア氏、ユージン・ヴィクター・クライン氏の3名による共同所有馬となり、ルーカス師の管理馬となった。

競走生活(2歳時)

2歳9月にデルマー競馬場で行われたダート6ハロンの未勝利戦でデビュー。しかし結果は勝ち馬スペシャルトリックから22馬身も離された11着と惨敗だった。しかし翌月に出走したサンタアニタパーク競馬場ダート6ハロンの未勝利戦では、主戦となるラフィット・ピンカイ・ジュニア騎手を鞍上に迎え、前走とは打って変わって2着ウインドウッドレーンに11馬身差をつける圧勝劇を披露した。

翌週のノーフォークS(GⅠ・D8.5F)では、ホープフルS・ベルモントフューチュリティS・サラトガスペシャルS・トレモントSなど5戦全勝のガルチ、デルマーフューチュリティの勝ち馬でハリウッドジュヴェナイルCSS2着のクオリファイとの対戦となった。結果は本馬が2着ガルチに1馬身3/4差をつけて勝利した。

3週間後にはサンタアニタパーク競馬場で行われたBCジュヴェナイル(GⅠ・D8.5F)に出走。ガルチに加えて、アーリントンワシントンフューチュリティ・ローレルフューチュリティ・サプリングSの勝ち馬ベットトゥワイス、カウディンS・シャンペンSを勝ってきた4戦無敗のポリッシュネイビーと、2歳GⅠ競走を2勝ずつ挙げている馬が3頭も参戦してきた。さらに、前走4着のクオリファイ、同3着のゴールドオングリーン、ブリーダーズフューチュリティを勝ってきたオロノ、シャンペンS・ベルモントフューチュリティSで連続2着していたデーモンズビーゴーン、ローレルフューチュリティ2着馬プレッジカード、ヤングアメリカSで2着してきたダマスカスドラマ、ブリーダーズフューチュリティで2着してきた後の米国顕彰馬アリシーバなども出走しており、米国2歳王者決定戦にふさわしいメンバー構成となった。本馬が単勝オッズ3.4倍の1番人気に支持され、ガルチが単勝オッズ3.6倍の2番人気、デーモンズビーゴーンが単勝オッズ5.5倍の3番人気、ポリッシュネイビーが単勝オッズ6.2倍の4番人気、ベットトゥワイスが単勝オッズ10.4倍の5番人気となった。レースではスタートから先頭に立って馬群を引っ張り、そのまま直線に入ると後続馬を引き離しにかかった。ゴール前ではやや脚色が鈍って後続との差は縮まったが、結局2着クオリファイに1馬身1/4差をつけて優勝した。

2歳時の成績は4戦3勝で、エクリプス賞最優秀2歳牡馬のタイトルを手中に収めた。この時点では翌年のケンタッキーダービーの最有力候補だった。

競走生活(3歳時)

3歳時は4月のゴーサムS(GⅡ・D8F)から始動して、BCジュヴェナイルで5着に終わるも前走ベイショアSを勝ってきたガルチ、ファウンテンオブユースS3着馬ゴーンウエスト、ベイショアSで3着してきたショークリットウォンなどと対戦した。しかし初めて経験する不良馬場が災いしたのか、ゴーンウエストの9馬身半差4着に敗れた。

2週間後のウッドメモリアルS(GⅠ・D9F)でも、ゴーンウエスト、前走2着のショークリットウォン、同3着のガルチと対戦した。しかしこのレースも重馬場となり、ガルチの7馬身3/4差4着に敗れた。

この連敗が響いて、ケンタッキーダービー(GⅠ・D10F)では4番人気まで評価を下げた。1番人気に支持されたのはBCジュヴェナイルでは6着に終わるも3歳時はサウスウエストS・レベルS・アーカンソーダービーと3戦全勝だったデーモンズビーゴーンで、2番人気がガルチ、3番人気はサンラファエルSの勝ち馬でサンタアニタダービー2着のマスターフルアドヴォケイトだった。他の出走馬は、ブルーグラスSを勝ってきたウォー、ダービートライアルSを勝ってきたオンザライン、フロリダダービー・エヴァーグレイズSの勝ち馬でフラミンゴS2着のクリプトクリアランス、BCジュヴェナイルで3着後にハリウッドフューチュリティ・サンフェリペSで2着していたアリシーバ、BCジュヴェナイルで4着だったファウンテンオブユースSの勝ち馬ベットトゥワイスなどだった。相棒だったピンカイ・ジュニア騎手がマスターフルアドヴォケイトに騎乗したため、本馬にはアンヘル・コルデロ・ジュニア騎手が騎乗した。レースは前2走とは異なり良馬場で行われた。やはりスタートから先頭を切って逃げた本馬だが、三角に入る頃には早くも失速してしまい、競走中止扱いにさせられるほど前方馬群から大きく差をつけられて、17頭立ての16着に終わった。勝ったのはアリシーバで、1番人気のデーモンズビーゴーンは肺出血を発症した影響で、本馬と同じく競走中止扱いにさせられるほどの大差をつけられて最下位に終わっている。

プリークネスSとベルモントSは回避し、8月にサラトガ競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走で再起を図った。しかし結果はクイックコールの6馬身3/4差3着に終わった。翌月にはベルモントパーク競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走に出走。しかし結果はミスタークラシックの3馬身半差4着に敗れた。さらに翌月にはサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走に出走。しかし結果は勝ち馬デコレから13馬身も離された6着最下位。これが現役最後のレースとなり、3歳時の成績は6戦未勝利となった。

血統

Seattle Slew Bold Reasoning Boldnesian Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Alanesian Polynesian
Alablue
Reason to Earn Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Sailing Home Wait a Bit
Marching Home
My Charmer Poker Round Table Princequillo
Knight's Daughter
Glamour Nasrullah
Striking
Fair Charmer Jet Action Jet Pilot
Busher
Myrtle Charm Alsab
Crepe Myrtle
Too Bald Bald Eagle Nasrullah Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
Siama Tiger Bull Dog
Starless Moment
China Face Display
Sweepilla
Hidden Talent Dark Star Royal Gem Dhoti
French Gem
Isolde Bull Dog
Fiji
Dangerous Dame Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lady Kells His Highness
Anyway

シアトルスルーは当馬の項を参照。

母トゥーボールドは現役成績24戦13勝。バーバラフリッチーH2回・ベッドオローゼズH・コロンビアナHなどを勝っている。繁殖牝馬としても優秀であり、本馬の半兄である悲運の名馬エクセラー(父ヴェイグリーノーブル)【パリ大賞(仏GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)・加国際CSS(加GⅠ)・サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)・ハリウッドパーク招待ターフH(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)・サンセットH(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・オークツリー招待H(米GⅠ)・リス賞(仏GⅢ)・アーケイディアH(米GⅢ)】、種牡馬として成功した半兄ボールドスキー(父ニジンスキー)、半弟ヴェイグリーヒドゥン(父ヴェイグリーノーブル)【ニュージャージーターフクラシックS(米GⅢ)】などを産んだ。1986年には本馬の活躍によりケンタッキー州最優秀繁殖牝馬に選ばれている。本馬の半姉ブラゾン(父アクアク)の玄孫にはゴードンロードバイロン【フォレ賞(仏GⅠ)・スプリントC(英GⅠ)・ジョージライダーS(豪GⅠ)】が、半姉バルドファクツ(父インリアリティ)の孫には日本で走ったアドマイヤマンボ【全日本三歳優駿(GⅡ)】が、半妹マイソングフォーユー(父シアトルソング)の孫にはボブアンドジョン【ウッドメモリアルS(米GⅠ)】がいる。

トゥーボールドの母ヒドゥンタレントはケンタッキーオークス・アッシュランドSの勝ち馬。トゥーボールドの1歳年上の半姉ターントゥタレント(父ターントゥ)の孫には1994年の北米首位種牡馬ブロードブラッシュ【ウッドメモリアルS(米GⅠ)・メドウランズCH(米GⅠ)・サンタアニタH(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)】がいる。また、ヒドゥンタレントの1歳年下の全妹ヘヴンリーボディー【メイトロンS】の曾孫にはサキー【凱旋門賞(仏GⅠ)・英国際S(英GⅠ)】がいる。→牝系:F21号族①

母父ボールドイーグルは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、権利の50%を購入した米国ケンタッキー州の名門牧場カルメットファームにおいて種牡馬入りした。3年後の1991年にカルメットファームが破産すると、カルメットファームが所有していた権利はセリに掛けられ、ヴァージニア州モーヴェンスタッドの所有者ジョン・クルーゲ氏により購入された。クルーゲ氏は本馬をケンタッキー州スリーチムニーズファームに移動させ、そこで種牡馬生活を続行させた。

種牡馬として不成功に終わったためスウェーデンに輸出されて彼の地で非業の死を遂げた半兄エクセラーと異なり、本馬は62頭のステークスウイナー(うちグレード競走勝ち馬は21頭)を出して成功した。典型的な早熟馬だった自身と同様に仕上がり早い産駒が多く、1991年には北米新種牡馬ランキング1位となり、同年には北米2歳種牡馬ランキングでも2位に入っている(1位とする資料もある)。

2003年8月、脊髄に神経系の病気を発症したために、同年11月に種牡馬を引退。その後もスリーチムニーズファームにおいて病気と付き合いながらも穏やかな余生を過ごしていたが、2007年8月に急激に病状が悪化して倒れたために23歳で安楽死の措置が執られ、遺体はスリーチムニーズファームに埋葬された。後継種牡馬としてはボストンハーバーが一定の成功を収めたが、その後に続く種牡馬が出ていない。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1989

Agincourt

ベルモントフューチュリティS(米GⅠ)・ドワイヤーS(米GⅡ)

1989

La Spia

デルマーデビュータントS(米GⅡ)

1989

Looie Capote

サンタイネスBCS(米GⅢ)

1989

She's Tops

レイルバードS(米GⅡ)

1990

Basim

アングルシーS(愛GⅢ)

1992

Lilly Capote

ゴールデンロッドS(米GⅢ)

1992

ダンツダンサー

函館三歳S(GⅢ)

1993

Capote Belle

テストS(米GⅠ)・プライオレスS(米GⅡ)・ヒューマナディスタフH(米GⅢ)

1993

Matty G.

ハリウッドフューチュリティ(米GⅠ)・アスコットH(米GⅢ)

1993

True Flare

サンクレメンテH(米GⅡ)・レアパフュームBCH(米GⅡ)

1994

Acceptable

ケンタッキーCクラシックプレビューH(米GⅢ)

1994

Boston Harbor

BCジュヴェナイル(米GⅠ)・ブリーダーズフューチュリティS(米GⅡ)・バッシュフォードマナーS(米GⅢ)・ケンタッキーCジュヴェナイルS(米GⅢ)

1994

Capdiva

加オークス

1994

Hollycombe

デルマーBCH(米GⅡ)

1995

セレクトグリーン

根岸S(GⅢ)

1996

Madison's Charm

カムリーS(米GⅢ)

1998

ストロングボス

建依別賞(高知)2回・二十四万石賞(高知)2回

1999

Cappuchino

アクアクH(米GⅢ)・ターフウェイパークフォールCSS(米GⅢ)

2000

Buffythecenterfold

ソレントS(米GⅡ)・ランダルースS(米GⅢ)・レイルバードS(米GⅢ)

2001

Zosima

アーリントンワシントンラッシーS(米GⅢ)

2002

Dance Away Capote

ノーブルダムゼルH(米GⅢ)

TOP