オールドローズバド

和名:オールドローズバド

英名:Old Rosebud

1911年生

鹿毛

父:アンクル

母:アイヴォリーベルズ

母父:ヒムヤー

無敵の強さでケンタッキーダービーを制覇後に故障するも2年8か月もの空白を経て競走生活に復帰し米年度代表馬に輝いた薄幸の名馬

競走成績:2~11歳時に墨米で走り通算成績80戦40勝2着13回3着8回

140年もの歴史を誇る米国有数の大競走ケンタッキーダービー。この伝統あるレースの勝ち馬の中で、おそらく最も波乱万丈の生涯を送ったのが本馬である。

誕生からデビュー前まで

20世紀初頭の米国の大馬産家ジョン・E・マッデン氏によりケンタッキー州ハンブルグプレイスファームにおいて生産され、生後間もなく去勢されて騙馬になった。1歳時のセリにおいてフランク・D・ウィアー調教師により500ドルで購入された。ウィアー師は本馬の権利の多くをチャーチルダウンズ競馬場の会計担当職員だったハミルトン・C・アップルゲート氏に売却し、本馬は両名の共同所有馬となった。アップルゲート氏の一家はケンタッキー州にオールドローズバドストックファームという牧場と、オールドローズというブランド名のウイスキーを製造する蒸留所を所有しており、それらにちなんで本馬を命名した。

競走生活(2・3歳時):ケンタッキーダービー制覇

ウィアー師の調教を受けた本馬は2歳2月に墨国チワワ州最大の都市シウダー・フアレスで行われたユカタンS(D3.5F)でデビューして6馬身差で圧勝。その後も5月から6月にかけて距離5ハロンのレースで4度のコースレコードを記録するなど、圧倒的なスピード能力を発揮した。この年の本馬は、スプリングトライアルS(D5F)・ハロルドS(D5F)・フラッシュS(D5.5F)・ユナイテッドステーツホテルS(D6F)・シンシナティトロフィーS(D6F)などを勝利し、アイドルアワーS(D4.5F)・バッシュフォードマナーS(D4.5F)でいずれも2着している。

本馬が負けた2戦を勝ったのはいずれもリトルネフューという馬だったが、スプリングトライアルSではリトルネフューを2着に破って借りを返している。また、バッシュフォードマナーSでは後の名種牡馬ブラックトニー(3着)に先着している。ハロルドSでは泥だらけの不良馬場だったが、本馬は重馬場が得意な馬だったらしく、平気で勝っている。フラッシュSでは後にマンハッタンH・ジェロームH・メトロポリタンH・サバーバンHを勝つ強豪ストロンボリを2着に、グランドユニオンホテルSの勝ち馬ブラックブルームを3着に破って勝っている。ユナイテッドステーツホテルSでもブラックブルームを2着に破って勝っている。8月中旬に脚を負傷してシーズン後半はレースに出られなかったにも関わらず、9連勝を含む14戦12勝2着2回という完璧に近い成績を残した本馬は、後年になってこの年の米最優秀2歳牡馬騙馬に選ばれた。

3歳時は初戦を勝利して前年からの連勝を10に伸ばした後、ケンタッキーダービー(D10F)に出走した。レース前日の大雨で馬場は泥だらけになっていたが、チャーチルダウンズ競馬場側がレース当日の早朝から排水に務めた結果、レース施行時点では堅良馬場まで回復していた。単勝オッズ1.85倍という断然の1番人気に支持されたジョン・マッケーブ騎手騎乗の本馬は、スタートから快調に先頭を走り続け、直線では一気に他馬を引き離して2着ホッジに8馬身差をつけて圧勝した(3着馬はケンタッキーオークス馬ブロンズウイングだった)。この着差はケンタッキーダービー史上最大着差で、現在でも破られていない。勝ち時計2分03秒4もコースレコードで、1931年のケンタッキーダービーでトゥエンティグランドが2分01秒8を樹立するまで17年間破られなかったという素晴らしいものだった(各種資料には16年間破られなかったとあるため、もしかしたらトゥエンティグランドの前年に別のレースで記録が更新されているのかもしれない)。

この時点における本馬の競走成績は16戦14勝2着2回であり、これは過去のケンタッキーダービー馬の中でもずば抜けた好成績だった。そのため、この時点における本馬は“a Prince of the Turf(競馬場の貴公子)”の異名を取ったという。

ところが栄光は長くは続かず、ケンタッキーダービーの3週間後に出走したウィザーズS(D8F)で、最後の直線を走っている途中に転倒して脚の腱に大怪我を負ってしまった。当時のウィザーズSはベルモントパーク競馬場で行われていた(現在はアケダクト競馬場)が、当時のベルモントパーク競馬場はまだ右回りで競走が行われており(左回りで競走が行われるようになったのは1920年頃から)、本馬は不慣れな右回りのコースに混乱して手前を変えることが出来ずに直線に突入した結果として転倒したと考えられている。競走馬としての再起は無いと判断したウィアー師は本馬をテキサス州の牧場へ送り、そこで余生を過ごさせる事にした。3歳時の成績は3戦2勝だった。

競走生活(6歳時):再び米国競馬の頂点に君臨する

しかし2年8か月後に本馬の脚の具合が奇跡的に回復したとして、陣営は6歳になった本馬を競走馬に復帰させた。消長の激しい最盛期のサラブレッドにとって2年8か月という時間はとてつもなく長い(人間で言えば7~8年間に相当すると思われる)。しかし本馬の実力は衰えるどころか、むしろ以前よりも向上していた。

この6歳時は、クラークH(D8.5F)・クイーンズカウンティH(D8F)・カーターH(D7F)・フロンティアH(D9F)・ベイビューH(D8.5F)・ラトニアイノーギュラルH(D8.5F)・デラウェアH(D10F)・レッドクロスH・マウントヴァーノンH・サーアーチーハイウェイトHなどに勝ち、ブルックリンH(D9F)で3着している。

クラークHとクイーンズカウンティHでは、サラトガスペシャルS・カーターH・ブルックリンダービー・トラヴァーズS・クイーンズカウンティHなどを勝って、後年になって1914年の米年度代表馬及び米最優秀3歳牡馬騙馬、並びに1915・16年の米最優秀ハンデ牡馬騙馬に選ばれる名馬ローマーをいずれも2着に破って勝利している。デラウェアHでもローマーを3着に破って勝っている。カーターHでは130ポンドを課せられながらも、ベルモントS・ウィザーズS・ディキシーH・マンハッタンH2回・メトロポリタンHなどを勝っていた1歳年下の名馬ザフィンを3着に破って勝っている。フロンティアHでは、英国でミドルパークプレートなどを勝った後に米国に移籍し、後年になって1914年の米最優秀ハンデ牡馬騸馬に選ばれることになるボローを2着に破って勝っている。ベイビューHでは133ポンドを背負いながらも、1分44秒6のコースレコードで勝っており、それを含めてこの年は3度のコースレコード(タイレコードを含む)を樹立している。

ブルックリンHでは、ローマーやボロー、マンハッタンH・ジェロームH・メトロポリタンH・サバーバンHを勝っていたストロンボリ達に加えて、1歳年下のケンタッキーダービー馬リグレット、3歳年下のケンタッキーダービー馬で後にトラヴァーズS・ローレンスリアライゼーションSも勝ってこの年の米最優秀3歳牡馬に選ばれるオマールカイヤム、後のサバーバンH勝ち馬ブーツなどの強敵と対戦した。本馬はリグレットと激しい先頭争いを演じた結果、後方から差してきたボロー、直線で2着に粘ったリグレットに屈して3着だったが、このレースは名勝負として知られている。

6歳時の本馬は21戦15勝2着1回3着3回という見事な成績を残し、後年になって同年の米年度代表馬・米最優秀ハンデ牡馬騙馬のタイトルを獲得することになった。

競走生活(8~11歳時):レース中の故障で落命する

ところがその後に本馬はまたしても脚の腱を故障してしまい、再度テキサス州の牧場で過ごす事になった。いかに騙馬とはいえどもこれだけの成績を挙げれば、完全に引退して悠々自適の余生を送っても良さそうなものだが、陣営は本馬にその道を選ばせなかった。1年半の長期休養を経た本馬は競走馬に復帰。既に8歳になっていた本馬には往年の力は残っていなかったが、それでもこの年は何と30戦を消化して9勝2着7回3着5回の成績を残した。ステークス競走の勝ちは無いようだが、ポーモノクH(D6F)・マウントヴァーノンHで2着、サンクスギビングHで3着している。マウントヴァーノンHでは4歳年下のマンハッタンH勝ち馬ラキュリッテに敗れているが、4歳年下の名馬エクスターミネーターの同厩馬として知られるサンブライアーに先着している。

翌9歳時も本馬は走り続け、8戦してバビロンH(D6F)の1勝を挙げ、2着に2回入った。翌10歳時も2戦して、9月にベルモントパーク競馬場で行われたクレーミング競走に勝利した。このレースで引退していれば、かつて本馬が大怪我を負ったベルモントパーク競馬場における勝利で引退の花道を飾った事になっていたのだが、陣営は翌11歳時も本馬に競走馬生活を続行させた。

初戦で2着し、続いて5月17日にジャマイカ競馬場で行われたクレーミング競走に出走した。しかし最後の直線を走っている時に土片を踏んで躓いて転倒。この時に脚に負った怪我は獣医が回復の見込みが無いと判断するほどの重傷であり、5月23日に安楽死の措置が執られた(「ザ・サラブレッド・レコード」では故障してすぐにその場で安楽死の措置が執られたとされている)。3度の故障の度に類稀なる精神力で復活した本馬は、その褒美として安楽を得ることはこの世では出来なかったのである。

競走馬としての評価

ウィアー師は本馬を「一生に一度しか見られないような馬で、私が見た中でも一番速い馬でした。彼がもし健康体だったならば、果たしてどれくらい速く走れたのかは分かりません」と評している。なお、米国競馬名誉の殿堂博物館のウェブサイトには、主戦を務めたマッケーブ騎手が1970年にインタビューを受けて「彼はマンノウォーカウントフリートサイテーションセクレタリアトより良い馬でした」と答えたという逸話が掲載されているが、1970年時点ではまだ当歳だったセクレタリアトの名前が挙がっているのは明らかにおかしく、発言年の記載が誤っているか、後年の創作であるかのいずれかであると思われる。なお、ジム・ボウラス氏の著作「ケンタッキーダービー・ストーリーズ」には、マッケーブ騎手が「彼はマンノウォー、カウントフリート、セクレタリアトより良い馬でした」と言ったと書かれているが、これにはサイテーションの名前が無く、発言年の記載も無い。ボウラス氏がサイテーションとセクレタリアトを書き間違えてしまい、それを参照してウェブサイトを作成した米国競馬名誉の殿堂博物館がセクレタリアトの名前を削除せずにサイテーションを追加したのかもしれない。しかし米国競馬関係者がこの2頭を取り違えるなど常識ではありえないと思うのだが。ただ、幾度もの故障を乗り越えて走り続けた本馬の能力は、上記に挙がった馬と比べても決して遜色ないものである事は確かであろう。

獲得賞金総額7万4729ドルは、歴代ケンタッキーダービー馬の中ではヒンドゥーの7万1875ドルを抜いて当時史上最高記録だった(後にエクスターミネーターに破られる)。このエクスターミネーターと本馬は類似点が多い。騙馬である点、ケンタッキーダービーを勝った点、古馬になっても高い実力を誇った点、、卓越した闘争心と忍耐力を有していた点、ひたすら走り続けた点、ちょうど勝率が5割である点などである。しかしエクスターミネーターが30歳で天寿を全うしたのに比べると、本馬の生涯はあまりにも悲壮感が漂うものであった。1968年に米国競馬の殿堂入りを果たした本馬の物語は、もっと後世に語られ続けるべきものであろう。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第88位。

血統

Uncle Star Shoot Isinglass Isonomy Sterling
Isola Bella
Dead Lock Wenlock
Malpractice
Astrology Hermit Newminster
Seclusion
Stella Brother to Strafford
Toxophilite Mare
The Niece Alarm Eclipse Orlando
Gaze
Maud Stockwell
Countess of Albemarle
Jaconet Leamington Faugh-a-Ballagh
Pantaloon Mare
Maggie B B Australian
Madeline
Ivory Bells Himyar Alarm Eclipse Orlando
Gaze
Maud Stockwell
Countess of Albemarle
Hira Lexington Boston
Alice Carneal
Hegira Ambassador
Flight
Ida Pickwick Mr. Pickwick Hermit Newminster
Seclusion
Tomato King Tom
Mincemeat
Ida K. King Alfonso Phaeton
Capitola
Lerna Asteroid
Laura

父アンクルはスターシュート産駒で、現役成績は12戦7勝。サラトガスペシャルSでコリンの2着に入っているが、このレースは2頭立てであった。種牡馬としては北米種牡馬ランキング上位に9回名を連ねる名種牡馬となった。本馬は父の初年度産駒である。

母アイヴォリーベルズは競走馬としてのキャリアは不明。その産駒には、本馬の半妹レディローズバド(父オーモンデール)【デモワゼルS】がいる。

また、本馬の半姉アイヴァベル(父オグデン)の牝系子孫は現在も残っており、1976年のエクリプス賞最優秀短距離馬マイジュリエットと、その子であるステラマドリッド【スピナウェイS(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・エイコーンS(米GⅠ)】とティズジュリエット【シュヴィーH(米GⅠ)】の姉妹、ステラマドリッドの娘である2002年の中央競馬最優秀四歳以上牝馬ダイヤモンドビコー、ステラマドリッドの孫であるライラックスアンドレース【アッシュランドS(米GⅠ)】、曾孫であるミッキーアイル【NHKマイルC(GⅠ)】、他にもタワフェアジ【モイグレアスタッドS(愛GⅠ)】、ウィノナ【愛オークス(愛GⅠ)】、スーパークワーカス【ハリウッドダービー(米GⅠ)・ハリウッドターフCS(米GⅠ)】、そして種牡馬としても絶好調のお馴染みハーツクライ【有馬記念(GⅠ)・ドバイシーマクラシック(首GⅠ)】、ノンコノユメ【ジャパンダートダービー(GⅠ)】などがアイヴァベルの牝系子孫から登場している。→牝系:F6号族①

母父ヒムヤーは当馬の項を参照。

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