サイソンビー

和名:サイソンビー

英名:Sysonby

1902年生

鹿毛

父:メルトン

母:オプタイム

母父:オーム

薬物を漏られたレース以外は無敗を誇った20世紀米国初頭の伝説的快速馬だが、病気のため3年4か月の若い命を散らす

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績15戦14勝3着1回

同馬主同厩で3歳年下の15戦無敗馬コリンと並び称せられる、20世紀初頭の米国を代表する伝説的快速馬。

誕生からデビュー前まで

母オプタイムが英ダービー・英セントレジャーの勝ち馬メルトンの子を受胎した状態で米国に輸入された後に産んだ馬であり、日本で言うところの持ち込み馬であった。米国に輸入されたオプタイムをセリで購入したのは、ドミノコマンドなどの馬主として知られるジェームズ・R・キーン氏だった。キーン氏は購入したオプタイムをケンタッキー州キャッスルトンスタッドに移し、本馬はそこで誕生した。キャッスルトンスタッドはキーン氏が所有する牧場だったが、彼は滅多にその場所を訪れなかったという。

生後すぐの本馬は成長が遅く小柄であり、特に目立つところが無い平凡な馬だった。本馬にまるで魅力を感じなかったキーン氏は、本馬をすぐに売却することを考えたが、息子のフォックスホール・P・キーン氏により説得されたために、ひとまず思い留まった。しかし本馬は1歳になっても相変わらず見栄えがしなかったため、キーン氏は本馬を英国に送り返して売却することを検討し始めた。

しかしキーン氏の専属調教師だったサー・ジェームズ・G・ロウ師は、本馬の活動を注意深く観察した結果、精神力に優れたこの馬は相当な可能性を秘めている事を見抜いた。本馬が売られないために一計を案じたロウ師は、本馬が英国に輸送される日が来ると、本馬の馬体を毛布と包帯でくるみ、「この馬は体調が悪いので、英国までの長い船旅には耐えられません」と理由をつけてキーン氏を説得し、英国に戻される寸前だった本馬を米国に留め置くことに成功した。結果、本馬はキーン氏の所有馬、ロウ師の管理馬として走る事になった。

競走生活(2歳時)

2歳7月にブライトンビーチ競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦でデビューして、1番人気に応えて2着リンダリーに6馬身差(10馬身差とする資料もある)で圧勝した。それから2日後に出走したブライトンジュニアS(D6F)では、2着ジョンキルに4馬身差で楽勝した。次走のフラッシュS(D5.5F)でも、2着オーガーに6馬身差(これも10馬身差とする資料もある)をつけて圧勝した。翌週のサラトガスペシャルS(D5.5F)でも、2着ホットショットに6馬身差(これまた10馬身差とする資料もある)をつけて勝利し、わずか1か月間に4連勝となった。

続いてシープスヘッドベイ競馬場に移動して、ベルモントフューチュリティS(D6F)に出走。対戦相手は、後のケンタッキーダービー馬アジル、ホープフルSの勝ち馬で後に20世紀唯一の牝馬のベルモントS勝ち馬となる女傑ターニャ、加国最強2歳馬オワソー、当時無敗だった後のアラバマS・ガゼルHの勝ち馬トラディション、そして名牝アートフルなどであり、米国の著名な競走としてはかつて無いほどの強力なメンバー構成であると言われた。本馬は127ポンドのトップハンデながら、単勝オッズ2.5倍の1番人気に支持された。ところが本馬は直線で伸びを欠き、前を行くアートフルとトラディションの2頭に追いつくことが出来ず、勝ったアートフルから5馬身差、2着トラディションから鼻差の3着に敗退してしまい、観衆に衝撃を与えた。

この不可解な敗戦の直後、ロウ師は1人の厩務員が多額のお金を所持しているのを発見した。ロウ師がこの厩務員を問い詰めたところ、彼は買収されて本馬に精神安定剤を漏った事を認めたという。この逸話は本馬を紹介した米国のどの資料にも記載がある事から、どうやら事実であるようで、それが無ければ本馬はコリンと同じく生涯無敗馬でいられたはずだったと惜しまれている。

3週間後のジュニアチャンピオンS(D6F)では、2着ワイルドミントに3馬身差をつけて快勝した(後にプリークネスS・ブルックリンダービー・サラトガダービーなどを勝つケアンゴームが3着だった)。2歳時の成績は6戦5勝で、後年になってこの年の米最優秀2歳牡馬に選ばれた。

競走生活(3歳時)

3歳時は8か月ぶりのレースとして、ベルモントパーク競馬場で行われたメトロポリタンH(D8F)に出走。結果は4歳馬レースキングと同着勝利だったが、本馬の斤量が107ポンドだったのに対して、レースキングの斤量は10ポンド軽い97ポンドだった。当時のメトロポリタンHにおいては3歳馬より4歳馬のほうが20ポンドほど重い斤量を背負うのが一般的だったようで、これは本馬がレースキングに事実上30ポンドのハンデを与えたものだったと評されている。また、本馬が8か月の休み明けだったのに対して、レースキングはその間に7戦を消化していた。本馬にとっては初の6ハロンを超える距離だった事や、3着馬コロニアルガールは5馬身後方だったこともあり、同着勝利とは言っても内容的には高く評価されているようである。

続いて前年に敗戦を喫した舞台であるシープスヘッドベイ競馬場に向かい、タイダルS(D10F)に出走。過去最長距離の上に、ケンタッキーダービーを勝ってきたアジル、プリークネスSを勝ってきたケアンゴームが対戦相手となったが、2着アジルに5馬身差をつけて圧勝した。続くコモンウェルスH(D10F)では重馬場を克服して、2着プロープに4馬身差をつけて完勝し、距離が長くなっても変わらぬ強さを見せ続けた。

コモンウェルスHから3日後に出走したローレンスリアライゼーションS(D13F)では、ベルモントSを勝ってきたターニャが挑んできたが、ターニャを5馬身差の2着に破って圧勝した。次走のイロコイS(D10F)では、馬なりのまま走り、2着ミグレインに1馬身半差で勝利した。翌週のブライトンダービー(D12F)は、2着アジルに5馬身差をつけて完勝した(アジルも3着馬パサデナには30馬身差をつけていた)。

次走のグレートリパブリックS(D10F)では、グレートアメリカンS・ジュヴェナイルS・トラヴァーズS・ブライトンHなどを勝っていた1歳年上のブルームスティック、かつてベルモントフューチュリティSで本馬と対戦経験があるシャンペンS・ゴールデンロッドS・バッシュフォードマナーS・ハロルドSなどの勝ち馬オワソーといった強敵が挑んできた。本馬はこのレースにおいて、スタートで致命的な出遅れを犯してしまった。海外のある資料には、100ヤード(90m強)ほども出遅れたと書かれていた。これは約30馬身ほどの出遅れであり、常識的にはスタートの段階で敗戦確定なのだが、ゴールまで残り半ハロンの地点からブルームスティックやオワソー以下をごぼう抜きして、2着オワソーに3馬身差で勝ってしまった。本馬がこのレースにおいて本当に100ヤードも出遅れたのかについては筆者はやや疑問を抱いているのだが、非常に悪いスタートだったのは間違いないようである。

次走のセンチュリーS(D12F)でも、ブルームスティックやユージニアバーチ(メイトロンSやジェロームHの勝ち馬で、1902年の米最優秀2歳牝馬・1903年の米最優秀3歳牝馬に選ばれている)を寄せ付けず、2着ブルームスティックに2馬身差で勝利した。ブルームスティック、オワソーとの3頭立てとなった翌週のアニュアルチャンピオンS(D18F)も、2着オワソーに4馬身差をつけて完勝した。3歳時は9戦全勝という完璧な成績を残し、後年になってこの年の米年度代表馬・米最優秀3歳牡馬に選ばれた。

病魔に倒れる

翌4歳時も現役続行の予定だったが、調教を再開しようとした矢先の6月に馬房内で突然高熱を発して倒れ、筋肉が収縮し、体中の皮膚が破れて血が流れ始めた。病名は馬痘(天然痘とは別のウイルスによって引き起こされる感染症だが、症状は天然痘に近い。世界的に近年は殆ど見られない)とも肝臓病ともされている。6月17日に敗血症のため他界、僅か3年4か月の生涯だった。厩舎前で執り行われた本馬の葬儀には4千人以上のファンが駆けつけ、本馬との別れを惜しんだ。本馬の遺体はいったん埋葬されたが、翌7月になってキーン氏により解剖研究の目的でニューヨークの自然博物館に寄贈され、現在もそこに本馬の骨格が展示されている。

本馬は出走した全レースで1番人気に推され、距離不問の活躍を見せた。しかし本馬は前述のとおり小柄で見栄えがしない馬だった。本馬の担当厩務員アーネスト・シャックルフォード氏(本馬に薬物を漏った厩務員と同一人物かどうかは不明)は「耳は垂れており、3歳になっても体高は15.1ハンドしかなく、誰が見ても安っぽい馬でした」と評している。

しかし本馬は当時の米国競馬関係者から畏敬の対象として見られていた。競馬作家のネイル・ニューマン氏は、かつて見た中で最良の競走馬として、本馬、コリン、マンノウォーの3頭を挙げている。マンノウォーより本馬のほうが上だったとする人もいたほどだった。本馬が米国に残らずに英国に行っていたら、英国三冠競走は全て本馬のものだったとする意見もある。1956年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第30位。

なお、本馬の名前はフォックスホール・P・キーン氏が命名したもので、日本語版ウィキペディアによると彼と父親のキーン氏が共同で使用していた狩猟小屋の名前に由来するらしいが、筆者が調べた範囲における海外の資料には馬名由来に関する記載は見当たらない。この“Sysonby”という名前は現在に至るまで正式な読み方が不明であり、サイソンビーの他にも、シスオンバイ、サイゾンビー、シゾンビー、シソンビーなどの読み方があり、英語圏においても一定していないとされる。筆者が調べた範囲における海外の資料には、読み方の候補どころか、様々な読み方があるという旨の記載すらも無いため、どの読み方が正しいのかは検証不能であった。本項では「サイソンビー」を採用したが、筆者にとってはこれが一番しっくりくると感じただけで、これが正しい読み方だという根拠は何も無い。

血統

Melton Master Kildare Lord Ronald Stockwell The Baron
Pocahontas
Edith Newminster
Deidamia
Silk Plum Pudding Sweetmeat
Foinnualla
Judy Go Dey of Algiers 
Cacique
Violet Melrose Scottish Chief Lord of the Isles Touchstone
Fair Helen
Miss Ann The Little Known
Bay Missy 
Violet Thormanby Windhound
Alice Hawthorn
Woodbine Stockwell
Honeysuckle
Optime Orme Ormonde Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Lily Agnes Macaroni
Polly Agnes
Angelica Galopin Vedette
Flying Duchess
St. Angela King Tom
Adeline
Speculum Mare Speculum Vedette Voltigeur
Mrs. Ridgway
Doralice Orlando
Preserve
Nydia Orest Orestes
Lady Louisa
Adelaide Young Melbourne
Teddington Mare

メルトンは当馬の項を参照。

母オプタイムは英国産馬で、競走馬としてのキャリアは不明。元々は米国有数の銅産会社アナコンダ銅山の経営者マーカス・ダリー氏が英国で所有していた馬であり、メルトンとオプタイムの交配も彼の指示によるものである。しかしオプタイムが出産する前にダリー氏が死去したため、彼が英国で所有していた馬は全てニューヨークに輸送されて競売にかけられた。そしてキーン氏によって6600ドルで購入されたオプタイムが本馬を産み落としたのである。この経緯から、本馬の生産者はキーン氏ではなく、ダリー氏ということになっている。

オプタイムの近親にはあまり活躍馬は多くないが、オプタイムの祖母ニディアの半弟にはペレグリン【英2000ギニー】、半妹にはクイーンアデレード【デューハーストプレート】がいる。

クイーンアデレードと、その全妹であるセントアルヴェーレはいずれも今日まで続く世界的名牝系を構築している。

クイーンアデレードの子にはアイダ【英1000ギニー】、牝系子孫には、シャテレイン【英オークス・英チャンピオンS】、ハウ【ケンタッキーオークス・CCAオークス・レディーズH】、トムロルフ【プリークネスS・カウディンS・アーリントンクラシックS・アメリカンダービー】、アクアク【アーリントンクラシックS・サンカルロスH・サンパスカルH・サンアントニオH・サンタアニタH・アメリカンH・ハリウッド金杯】、シャム【サンタアニタダービー(米GⅠ)】、スクワートルスクワート【BCスプリント(米GⅠ)・キングズビショップS(米GⅠ)】、デザートウォー【エプソムH(豪GⅠ)2回・チッピングノートンS(豪GⅠ)・マッキノンS(豪GⅠ)・ランヴェットS(豪GⅠ)・クイーンエリザベスS(豪GⅠ)】、日本で走ったゴールドアリュール【ジャパンダートダービー(GⅠ)・ダービーグランプリ(GⅠ)・東京大賞典(GⅠ)・フェブラリーS(GⅠ)】などが出ている。

セントアルヴェーレの牝系子孫には、オマルハイヤーム【ケンタッキーダービー・ブルックリンダービー・トラヴァーズS・サラトガC・ローレンスリアライゼーションS】、アルヒミスト【独ダービー・ベルリン大賞・バーデン大賞】、バトルハイツ【新国際S・クイーンエリザベスS・シドニーC・コックスプレート・ザメトロポリタン】、アテナゴラス【独ダービー(独GⅠ)・アラルポカル(独GⅠ)2回・バーデン大賞(独GⅠ)・ベルリン大賞(独GⅠ)】、アーバンシー【凱旋門賞(仏GⅠ)】、キングズベスト【英2000ギニー(英GⅠ)】、ガリレオ【英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ)】、シーザスターズ【英2000ギニー(英GⅠ)・英ダービー(英GⅠ)・エクリプスS (英GⅠ)・英国際S(英GⅠ)・愛チャンピオンS(愛GⅠ)・凱旋門賞(仏GⅠ)】、ウィークエンドハスラー【コーフィールドギニー(豪GⅠ)・クールモアスタッドS(豪GⅠ)・オークレイプレート(豪GⅠ)・ニューマーケットH(豪GⅠ)・ランドウィックギニー(豪GⅠ)・ジョージライダーS(豪GⅠ)・アンダーウッドS(豪GⅠ)】、シリュスデゼーグル【英チャンピオンS(英GⅠ)・ドバイシーマクラシック(首GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)3回・イスパーン賞(仏GⅠ)・コロネーションC(英GⅠ)】、ヴァインヤードヘヴン【ホープフルS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・フランクJドフランシス記念ダッシュS(米GⅠ)】、日本で走ったフェアーウイン【東京優駿】、メイズイ【皐月賞・東京優駿】、シノンシンボリ【中山大障害秋】、ミスターシービー【皐月賞・東京優駿・菊花賞・天皇賞秋(GⅠ)】、ライトカラー【優駿牝馬(GⅠ)】、マーベラスサンデー【宝塚記念(GⅠ)】、マイネルマックス【朝日杯三歳S(GⅠ)】、サダムパテック【マイルCS(GⅠ)】などがいる。

また、セントアルヴェーレの全妹セントメアリーも前2頭ほどではないが牝系を伸ばしており、その子にラサジェッス【英オークス】、牝系子孫にエスポサ【ホイットニーS・ホーソーン金杯H】などがいる。→牝系:F9号族①

母父オームは当馬の項を参照。

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