ソレミア

和名:ソレミア

英名:Solemia

2008年生

鹿毛

父:ポリグロート

母:ブルックリンズダンサー

母父:シャーリーハイツ

人気薄で迎えた2012年の凱旋門賞のゴール直前でオルフェーヴルを差し返して優勝し、レースを見ていた日本中の競馬ファン達に悲鳴を上げさせる

競走成績:2~4歳時に仏日で走り通算成績14戦5勝2着3回3着2回

誕生からデビュー前まで

仏国の世界的ファッションブランドであるシャネルの代表者で、馬主としてもコタシャーンゴルディコヴァなどを生産・所有した事で知られる、アレン・ウェルトハイマー氏とジェラール・ウェルトハイマー氏の兄弟により生産・所有された愛国産馬で、仏国シャンティに厩舎を構えていたスペイン出身のカルロス・ラフォン・パリアス調教師に預けられた。パリアス師は仏国の有名な女性調教師クリスティアーヌ・ヘッド師の娘の夫である。

競走生活(2・3歳時)

2歳6月にロンシャン競馬場で行われたラシャペル賞(T1800m)で、主戦となるオリビエ・ペリエ騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ7倍で11頭立ての3番人気での出走だったが、1番人気に応えて勝ったカリサンバから2馬身差の6着に敗れた。

次走となったメゾンラフィット競馬場のアクアチントⅡ賞(T1800m)では単勝オッズ3.8倍で8頭立ての2番人気だった。非常に湿った馬場状態で行われたこのレースでは、先行して瞬く間に他馬を置き去りにすると、2着ヴェニスジェロワに6馬身差をつけて圧勝。後に本馬が超不良馬場の凱旋門賞で激走する伏線は初勝利を挙げたこのレースから既に存在していた。

2歳時は2戦1勝で終え、3歳時は3月にサンクルー競馬場で行われたリステッド競走ロゼドメ賞(T2100m)から始動した。2歳時にポイヤック賞というレースを15馬身差で大圧勝していたドントハリーミーが単勝オッズ2倍の1番人気で、本馬が単勝オッズ3.5倍の2番人気だった。本馬にとって得意な重馬場で行われたレースでは3番手を追走し、残り400m地点で仕掛けたが、前の2頭が壁になって抜け出せなかった。残り300m地点で隙間を見つけて割り込もうとしたが再び進路を塞がれてしまい、ようやく残り100m地点で抜け出して追い上げてきた時には既に遅く、勝ったピースオブオアシスから2馬身半差の5着に敗れた。

その後はしばらくレースに出ず、次走は6月にサンクルー競馬場で行われたディクタウェイ賞(T2400m)だった。ここでは単勝オッズ7倍ながらも前走と同じ2番人気に推された。不良馬場の中でスタートが切られると本馬はやはり3番手につけ、残り400m地点でスパートを開始。しかし2番手までは上がったものの、ここから突き抜けることが出来ず、ゴール前で順位を1つ落として、勝ったミスクリシーから1馬身差の3着に敗れた。

その後は再びしばらくレースに出ず、次走は9月にサンクルー競馬場で行われたリステッド競走トゥーレル賞(T2500m)だった。ここではペリエ騎手が他馬に騎乗する先約があったため、ミカエル・バルザローナ騎手が騎乗した。これは古馬相手のレースであり、本馬程度の実績ではそれほど評価が高くなるわけも無く、単勝オッズ17倍で11頭立ての7番人気止まりだった。今回も重馬場となったレースではやはり先行して、残り600m地点から徐々に加速。残り300m地点で先頭に立ってそのまま押し切ろうとしたが、道中は6番手を走っていたベルニエール(単勝オッズ22.3倍の8番人気だった)に残り200m地点で並びかけられ、競り負けて3/4馬身差の2着に敗れた。

その後は同月末にやはりサンクルー競馬場で行われたリステッド競走ジュベール賞(T2400m)に向かった。このレースには3歳馬しか出走しておらず、鞍上がペリエ騎手に戻ったこともあり、3番人気ながらも単勝オッズは4.1倍と人気の一角を占めた。過去4戦と異なり馬場状態はそれほど悪くなかった(稍重馬場)ためか道中は後方に置かれてしまうという苦戦を強いられたが、それでもゴール前で5頭が一団となる大混戦を制して、2着ピリカに首差で勝利した。ちなみにこのピリカはペネロープ賞2着馬だが、デビュー戦は本馬と同じラシャペル賞で、奇しくも本馬から(今回と同じ着差の)首差7着に敗れていた。

次走は10月にロンシャン競馬場で行われたコンセイユドパリ賞(仏GⅡ・T2400m)だった。この2週間前に同コースで行われた凱旋門賞がレコード決着(デインドリームが勝利)となるような高速馬場であり、このレースも本馬にとっては残念ながら良馬場だった。対戦相手は、グレフュール賞・ニエル賞で3着していたヴァダマー、ドーヴィル大賞勝ち馬マリノス、ディクタウェイ賞で本馬を破った後にポモーヌ賞・ロワイヤリュー賞で2着していたミスクリシー、エドヴィル賞勝ち馬アイヴォリーランドなどだった。ここでもペリエ騎手が他馬に騎乗する先約があったためにバルザローナ騎手が騎乗した本馬は単勝オッズ11倍で7頭立ての6番人気だった。

今回は絶好のスタートからハナを奪い、そのまましばらく先頭を走り続けた。600mほど走ったところでヴァダマーなど2頭に先頭を譲って3番手に落ち着いた。そのままの態勢で直線に入ると残り300m地点で仕掛けて、残り100m地点で2番手に上がり、逃げるヴァダマーに並びかけた。しかし首差及ばずに2着に敗れた。3歳時の成績は5戦1勝だった。

競走生活(4歳初期と中期)

4歳時は4月にロンシャン競馬場で行われたリステッド競走ロードシーモア賞(T2400m)から始動した。馬場状態は本馬が得意とする重馬場。鞍上には名手ペリエ騎手が復帰。GⅡ競走で2着の実績あり。それらの要因が重なり、単勝オッズ3.2倍で生涯最初の1番人気に支持された。そして人気に応える走りを披露し、中団から抜け出して2着グリラズに4馬身差をつけて圧勝した。

次走は翌月のエドヴィル賞(仏GⅢ・T2400m)となった。ジョンポーターSで2着してきた一昨年のシャンティ大賞・エドヴィル賞勝ち馬アライドパワーズという実力馬の姿もあったが、馬場が非常に湿っていたためか、本馬が単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持され、アライドパワーズは単勝オッズ7倍の2番人気だった。

ここではペリエ騎手は意図的に本馬を抑えて中団を走らせた。そして残り300m地点で仕掛けると、内埒沿いを突いて末脚を伸ばそうとした。ところが前を走っていたモリーマローン(5か月後のカドラン賞を勝っている)が内側に斜行して本馬の進路を塞ぐ形になった。それで完全に行き脚を無くした本馬は、勝ったアライドパワーズから3馬身差の3位入線(2位入線のモリーマローンが本馬に対する進路妨害で3着に降着となったため繰り上がって2着)となった。

次走は同月末のコリーダ賞(仏GⅡ・T2100m)となった。これまで本馬が戦ってきた相手の中に一線級と言える馬は1頭もいなかったが、ここには1頭存在していた。それは、ミネルヴ賞の勝ち馬で前年の凱旋門賞では人気薄を覆して2着に粘り込んだシャレータだった。シーズン初戦のアレフランス賞を3着と無難にまとめてきたシャレータが単勝オッズ2倍の1番人気に支持され、ペリエ騎手騎乗の本馬が単勝オッズ4倍の2番人気、アレフランス賞を勝ってきたアクアマリン(ディープインパクト産駒の日本産馬)が単勝オッズ6.5倍の3番人気となった。

少し馬場が湿った中でスタートが切られるとシャレータは4番手の好位につけたが、本馬はすぐに下げて後方から競馬を進めた。そして残り400m地点で内側を突いてスパートを開始。シャレータが一瞬だけ馬群の中に閉じ込められている隙を突いて残り50m地点で先頭に踊り出た。そこへ馬群を抜け出してきたシャレータが猛追してきたが、本馬が鼻差凌いで勝利した(後にこの年のサンチャリオットS・EPテイラーSを勝つシユーマがシャレータから3/4馬身差の3着に入った)。

自身が致命的な不利を受けた前走とは逆にライバル馬が不利を受けた事に乗じての勝利ではあったが、負けたシャレータは次走のサンクルー大賞で2着した後にヨークシャーオークスを勝っているから、例え運に恵まれた勝利であっても強敵を倒した事には変わりが無かった。ウェルトハイマー兄弟の競馬マネージャーだったピエール・シャルル・ビューロー氏も本馬の走りを「非常に勇敢でした」と賞賛した。

その後はサンクルー大賞に向かう計画もあったが見送りとなり、一間隔を空けて8月のポモーヌ賞(仏GⅡ・T2500m)に向かった。前年の加国際Sを勝っていたサラリンクスというGⅠ競走勝ち馬の姿もあったが、シーズン初戦という点が割り引かれてここでは人気薄。本馬より7kgも斤量が軽かったクレオパトル賞勝ち馬ダルカラが単勝オッズ3.3倍の1番人気で、61kgのトップハンデを課された本馬が単勝オッズ5.3倍の2番人気となった。他にも前年のジュベール賞で本馬の2着だったピリカの姿もあった。前走では後方待機策を採ったペリエ騎手だが、今回は3番手につける先行策を選択。残り300m地点で仕掛けたが、良馬場で行われたこのレースでは本馬の伸びは他馬に比べてあまり良くなく、勝ったラポムダムールから3馬身1/4差の4着に敗れた。

次走はGⅠ競走初出走となるヴェルメイユ賞(仏GⅠ・T2400m)だった。ヨークシャーオークスを勝ってきたシャレータ、前年のヴェルメイユ賞・ギョームドルナノ賞の勝ち馬で仏オークス・ジャンロマネ賞2着のガリコヴァ(ゴルディコヴァの半妹で、本馬と馬主は同じ。ただし厩舎は異なっていた)、独オークスなど4戦全勝で挑んできたサロミナ、ブルーウインドS・リブルスデールS勝ち馬で愛オークス3着のプリンセスハイウェイ、ノネット賞を勝ってきたロマンチカ、ラポムダムール、マルレ賞を勝ってきたイエローアンドグリーン、ロワイヨモン賞を勝ってきたセディシオーサ、ポモーヌ賞で8着だったサラリンクス、サンタラリ賞勝ち馬サガワラ、前走ポモーヌ賞で6着に終わっていたピリカなどが対戦相手となった。シャレータが単勝オッズ4.5倍の1番人気、ガリコヴァが単勝オッズ5倍の2番人気、サロミナが単勝オッズ8倍の3番人気で、ペリエ騎手をガリコヴァに取られてしまったためにクリストフ・スミヨン騎手が騎乗した本馬は、前々走でシャレータを負かしているという事実にも関わらず、単勝オッズ17倍の7番人気だった。

稍重馬場の中でスタートが切られると最低人気馬シダッラが先頭に立ち、シャレータがそれを追って先行。本馬は馬群の中団につけた。直線に入って残り400m地点でスミヨン騎手が仕掛けると本馬は鋭く伸びて2番手に上がり、先頭に立っていたシャレータを追いかけた。しかしシャレータには届かず、最後方からの追い込みに賭けたピリカ(単勝オッズ34倍の11番人気だった)にゴール直前でかわされ、シャレータの2馬身差3着に敗れた。

凱旋門賞

普通に考えれば次走はオペラ賞辺りが妥当なのだが、ウェルトハイマー兄弟はガリコヴァをオペラ賞に向かわせ、本馬はオペラ賞と同日に行われる凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)に向かわせることにした。

この年の凱旋門賞は、有力視されていた馬達が直前になって次々に回避していた。まず前年の覇者にしてこの年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSを勝っていた独国調教馬デインドリームが、調教先のケルントレーニングセンターにおいて馬伝染性貧血に陽性反応を示す馬が発見され、当該施設にいた馬全てに3か月間の移動禁止命令が出たために出走不可能となった。次に、前年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSとこの年のエクリプスSの勝ち馬ナサニエルも熱発と血液障害を発症したために回避した。さらに、英オークス・愛オークス・エリザベス女王杯2回・香港C・愛チャンピオンSを勝ち、前年の凱旋門賞でも3着と好走していたスノーフェアリーも左前脚の屈腱炎を再発させてしまい回避となっていた。

そんな状況下で本馬の対戦相手となったのは、前年2着の雪辱を期して参戦したシャレータ、ヴェルメイユ賞で本馬から1馬身1/4差の4着だったイエローアンドグリーン、本馬が出走したコリーダ賞とポモーヌ賞でいずれも5着に終わっていたグループ競走未勝利馬ハヤランダの既対戦馬3頭に加えて、前走の英セントレジャーで2着に敗れて42年ぶりの英国三冠馬を逃してしまい急遽参戦してきた英2000ギニー・英ダービー・レーシングポストトロフィー・愛ダービーの勝ち馬キャメロット、同馬主同厩である全兄ナサニエルの代わりに参戦してきた愛オークス・ランカシャーオークスなど4連勝中のグレートヘヴンズ、グレートヴォルティジュールS・ハードウィックS勝ち馬でこの年のキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSで1番人気(5着)に推されたシームーン、仏ダービーを人気薄で制し前哨戦のニエル賞も勝ってきたサオノア、ドーヴィル大賞を勝ってきたマスターストローク、コロネーションC2回・BCターフ・レーシングポストトロフィーの勝ち馬セントニコラスアビー、パリ大賞・サンクルー大賞・ベルリン大賞とGⅠ競走3勝のメオンドル、ニエル賞で2着してきたセクレタリアトS・ユジェーヌアダム賞勝ち馬バイエル、グレフュール賞勝ち馬ケサンプール、ドバイシティオブゴールドなどの勝ち馬ミハイルグリンカ、キャメロットやセントニコラスアビーを管理するエイダン・オブライエン調教師がペースメーカー役として出走させたアーネストヘミングウェイとロビンフッドの2頭、そして日本からは、皐月賞・東京優駿・菊花賞・有馬記念・宝塚記念などを勝っていた史上7頭目の中央競馬三冠馬オルフェーヴルと、そのペースメーカー役アヴェンティーノが参戦し、本馬も含めて18頭による戦いとなった。

キャメロットが単勝オッズ3倍の1番人気、オルフェーヴルが単勝オッズ6倍の2番人気、グレートヘヴンズが単勝オッズ7倍の3番人気、シームーンとサオノアが並んで単勝オッズ10倍の4番人気、マスターストロークが単勝オッズ12倍の6番人気、シャレータ、セントニコラスアビー、イエローアンドグリーンの3頭が並んで単勝オッズ15倍の7番人気、メオンドルが単勝オッズ21倍の10番人気、バイエルが単勝オッズ23倍の11番人気、ケサンプールが単勝オッズ29倍の12番人気と続き、本馬が単勝オッズ34倍の13番人気だった。ちなみにこれは英国ブックメーカーのオッズであり、地元仏国では前哨戦フォワ賞を勝ってきたオルフェーヴルが1番人気に支持されていたが、本馬は地元でも単勝オッズ42倍の12番人気であり低評価である事には変わりがなかった。

本馬の鞍上はペリエ騎手に戻り、ヴェルメイユ賞で本馬に騎乗したスミヨン騎手はオルフェーヴルに騎乗した。超がつく不良馬場の中でスタートが切られるとアーネストヘミングウェイが先頭に立ち、ロビンフッドが2番手で、本馬やグレートヘヴンズは2頭のペースメーカーを見るように先行。キャメロットは馬群の中団、オルフェーヴルは馬群の最後方集団につけた。そのままアーネストヘミングウェイが先頭で直線に入ってくると、既に失速していたロビンフッドをかわして2番手に上がっていた本馬がすぐに先頭を奪った。本馬と一緒に先行していたグレートヘヴンズも直線に入ってしばらくは頑張っていたが、やがて脱落。キャメロットを始めとする後方の有力馬勢の殆ども伸びてこなかったが、1頭だけ例外がいた。それは直線で大外から豪脚を繰り出したオルフェーヴルだった。残り300m地点でオルフェーヴルが本馬をかわして先頭に立ち、そのまま差を広げていった。このレースを現地又はテレビで見ていた日本の競馬ファン達が、遂に日本調教馬による凱旋門賞制覇が成ったと確信した次の瞬間、オルフェーヴルは右側に大きくよれて内埒沿いまで行ってしまった。そしてオルフェーヴルが失速したその隙に、粘っていた本馬がその差を縮めにかかった。そして日本の競馬ファン達の歓喜の声が悲鳴に変わる中、本馬がオルフェーヴルをゴール直前で差し返して首差で優勝(3着マスターストロークはさらに7馬身後方だった)。

このレースをリアルタイムで見ていた筆者は、オルフェーヴルが本馬に差し返された瞬間に、自分でも何を叫んだが覚えていないがとにかく絶叫を上げながら頭を抱えてうずくまったのを覚えている。日本調教馬が凱旋門賞で2着したのは1999年のエルコンドルパサー、2010年のナカヤマフェスタに次いで3回目となった。エルコンドルパサーの時は負けた相手がモンジューという超強敵だったから納得だったし、ナカヤマフェスタの時は(ナカヤマフェスタのファンには悪い書き方だが)期待していなかったから悔しさは無かった。2006年にディープインパクトが負けた時は悔しいと思ったが、後に薬物検査に引っ掛かって失格となったため、むしろ1位入線しなくて良かったと安堵したものだった。しかし今回はエルコンドルパサーやディープインパクトに匹敵する期待を抱いていた上に、負けた相手が聞いたことも無い馬だったし、オルフェーヴル鞍上のスミヨン騎手の騎乗内容にあまり納得がいかなかった事もあって、筆者としては悔しさだけが残る結果となった。あそこで右側に大斜行するようなオルフェーヴルの気性の悪さが最大の敗因であり、オルフェーヴルは肉体的には凱旋門賞を勝つ能力があっても精神的には欠けていたのだと自分で自分を納得させたが、それでも未だに悔しさは消えておらず、筆者の競馬人生における最大の心的外傷の1つとなっている。

一方、本馬に乗っていたペリエ騎手は1996~98年にエリシオパントレセレブルサガミックスで3連覇して以来となる凱旋門賞4勝目を挙げた。彼はレース後に「入着できるかも知れないとは思っていましたが、勝てるとは正直思っていませんでした」「私は日本が好きですし、レース直前までオルフェーヴルは特に好きな馬の1頭でしたが、しかしこれは真剣勝負だったのです」と語った。また、本馬を管理していたパリアス師は親日家であり、かつて凱旋門賞に参戦するために渡欧したサクラローレルやディープインパクトを自厩舎に受け入れた人物だった。オルフェーヴルを管理した池江泰寿調教師はディープインパクトを管理した池江泰郎元調教師の息子であるから、勝負の世界の常とは言え、なんとも皮肉な結果となった。

競走生活(凱旋門賞以降)

次走はジャパンC(日GⅠ・T2400m)となった。このレースにはオルフェーヴルも出走してきて、いきなりリターンマッチとなった。この2頭以外の出走馬は、日経新春杯・金鯱賞・アメリカジョッキークラブCなどを勝った後に香港のGⅠ競走クイーンエリザベスⅡ世Cを勝っていた良血馬ルーラーシップ、桜花賞・優駿牝馬・秋華賞など4連勝中だった史上4頭目の中央競馬牝馬三冠馬ジェンティルドンナ、青葉賞・セントライト記念の勝ち馬で東京優駿・天皇賞秋2着のフェノーメノ、前走の天皇賞秋で久々のGⅠ競走勝利を飾った一昨年の東京優駿勝ち馬エイシンフラッシュ、毎日王冠・エプソムCの勝ち馬で前年の天皇賞秋2着のダークシャドウ、この年の天皇賞春の勝ち馬ビートブラック、一昨年のジャパンCを繰り上がりながら勝利したローズキングダム、前年の天皇賞秋をレコード勝ちしたトーセンジョーダン、一昨年の天皇賞春の勝ち馬ジャガーメイルなどの日本馬と、ヨークシャーC勝ち馬でメルボルンC・コロネーションC2着のレッドカドー、ミラノ大賞の勝ち馬ジャッカルベリー、ギョームドルナノ賞・ヨークSの勝ち馬でエクリプスS2着のスリプトラなどの海外馬だった。

オルフェーヴルが単勝オッズ2倍の1番人気、ルーラーシップが単勝オッズ5.4倍の2番人気、ジェンティルドンナが単勝オッズ6.6倍の3番人気、フェノーメノが単勝オッズ8倍の4番人気、エイシンフラッシュが単勝オッズ13.9倍の5番人気、ダークシャドウが単勝オッズ18.6倍の6番人気と続き、本馬は海外馬では最上位ながら単勝オッズ22.7倍の7番人気に留まった。

スタートが切られるとビートブラックが逃げを打ち、ジェンティルドンナやトーセンジョーダンが2~3番手、本馬が4番手で、オルフェーヴルは馬群の中団後方からレースを進めた。そのままの体勢で三角に入ると、オルフェーヴルが仕掛けて一気に位置取りを上げてきた。そして本馬とオルフェーヴルがいずれも3番手の位置取りで直線を向いた。前方では大逃げを打ったビートブラックが粘っていたがやがて失速。その後はオルフェーヴルがジェンティルドンナと叩き合いながら伸びていったのに対して、本馬のほうは全く伸びずにどんどん後退していった。レースはジェンティルドンナが2着オルフェーヴルに鼻差で勝利を収め、本馬はジェンティルドンナから10馬身半差の13着と惨敗した。馬場状態が湿っていればもう少し好走できたのだろうが、生憎とこの日の東京競馬場は良馬場だった。

このレースを最後に4歳時7戦3勝の成績で引退した。

血統

Poliglote Sadler's Wells Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Fairy Bridge Bold Reason Hail to Reason
Lalun
Special Forli
Thong
Alexandrie Val de l'Orne Val de Loir Vieux Manoir
Vali
Aglae Armistice
Aglae Grace
Apachee Sir Gaylord Turn-to
Somethingroyal
Americaine Cambremont
Alora
Brooklyn's Dance Shirley Heights Mill Reef Never Bend Nasrullah
Lalun
Milan Mill Princequillo
Virginia Water
Hardiemma ハーディカヌート ハードリドン
Harvest Maid
Grand Cross Grandmaster
Blue Cross
Vallee Dansante Lyphard Northern Dancer Nearctic
Natalma
Goofed Court Martial
Barra
Green Valley Val de Loir Vieux Manoir
Vali
Sly Pola Spy Song
Ampola

父ポリグロートはサドラーズウェルズ産駒で、現役成績は19戦5勝。クリテリウムドサンクルー(仏GⅠ)・エヴリ大賞(仏GⅡ)・コンデ賞(仏GⅢ)に勝ち、仏ダービー(仏GⅠ)・オカール賞(仏GⅡ)・ニエル賞(仏GⅡ)・コンセイユドパリ賞(仏GⅡ)で2着した一流半の競走馬だった。競走馬引退後は亜国で種牡馬入りして多くの活躍馬を出して成功。そのためか欧州に逆輸入され、そして本馬を送り出した。しかし欧州では平地よりも障害競走で走る産駒のほうが多いようである。

母ブルックリンズダンスは現役成績8戦3勝、クレオパトル賞(仏GⅢ)を勝っている。母としては本馬の半兄プロスペクトパーク(父サドラーズウェルズ)【リス賞(仏GⅢ)・ラクープドメゾンラフィット(仏GⅢ)】、半兄プロスペクトウェルズ(父サドラーズウェルズ)【グレフュール賞(仏GⅡ)】も産んでいる。本馬はブルックリンズダンスが20歳時に産んだ子であり、母にとって最後の産駒である。また、本馬の半姉ゴールドドジャー(父スルーオゴールド)の子にはチンツ【ウェルドパークS(愛GⅢ)】が、本馬の半姉ブルックリンズストーム(父ストームキャット)の孫にはシラソル【マルセルブサック賞(仏GⅠ)・サンタラリ賞(仏GⅠ)】がいる。ちなみにシラソルは本馬と同馬主同厩で、マルセルブサック賞勝利は本馬の凱旋門賞勝利と同日で鞍上はやはりペリエ騎手だった。

ブルックリンズダンスの半妹クエストオブファイア(父レインボークエスト)の孫にはキハーノ【バーデン大賞(独GⅠ)・ミラノ大賞(伊GⅠ)2回】が、ブルックリンズダンスの半妹クリサント(父クリス)の子にはオカワンゴ【仏グランクリテリウム(仏GⅠ)・ロシェット賞(仏GⅢ)】が、ブルックリンズダンスの半妹ファンシー(父ソーマレズ)の子にはオーソライズド【英ダービー(英GⅠ)・レーシングポストトロフィー(英GⅠ)・英国際S(英GⅠ)・ダンテS(英GⅡ)】がいる。

ブルックリンズダンスの母ヴァリーダンサンテは、名種牡馬グリーンダンサー【オブザーヴァー金杯(英GⅠ)・仏2000ギニー(仏GⅠ)・リュパン賞(仏GⅠ)】の半妹で、近親にはアルハース【デューハーストS(英GⅠ)】、マクフィ【英2000ギニー(英GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)】、ドリームウェル【仏ダービー(仏GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)】、スラマニ【仏ダービー(仏GⅠ)・ドバイシーマクラシック(首GⅠ)・アーリントンミリオン(米GⅠ)・ターフクラシック招待S(米GⅠ)・英国際S(英GⅠ)・加国際S(加GⅠ)】、ザゴラ【BCフィリー&メアターフ(米GⅠ)・ダイアナS(米GⅠ)】など多くの活躍馬がいる。→牝系:F16号族①

母父シャーリーハイツは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は英国ニューセルズパークスタッドで繁殖入りした。初年度はドバウィと交配されて受胎している。やはり凱旋門賞を人気薄で制したアーバンシーがあれほど繁殖牝馬として成功したのだから、本馬も成功する可能性は十分にあるだろう。個人的には本馬には母としても成功してもらいたい。そうすれば凱旋門賞勝利はフロックでは無かったと思えるようになり、心的外傷が癒えるだろうから。

TOP