マニカト

和名:マニカト

英名:Manikato

1975年生

栗毛

父:マニヒ

母:マルカト

母父:ナチュラルビッド

脚部不安の悪化により若くして落命したが今日の豪州短距離路線の隆盛の礎となった豪州競馬史上最強の誉れ高き短距離王者

競走成績:2~7歳時に豪で走り通算成績47戦29勝2着8回3着5回

豪州競馬の中でも短距離路線のレベルは特に高い。現在、そのレベルは世界トップクラスであると言っても過言ではなく、25戦無敗の名牝ブラックキャビアを筆頭に数々の馬が世界を股にかけて活躍した事例を見れば明らかである。もっとも、豪州において短距離競走が昔から重視されていたわけではない。豪州最大の競走メルボルンCが3200mの長距離戦である事を見れば分かるとおり、一昔前の豪州競馬は短距離よりも中距離以上のレースの方が明らかに格上だった。本馬はそんな時代の豪州短距離路線で大活躍して、短距離競走の格を著しく上昇させるのに絶大な役割を果たした馬である。ブラックキャビアが登場した今日になっても、本馬が20世紀豪州最強の短距離馬と讃えられている事には変わりが無い。本馬がいなければ今日の豪州短距離路線の隆盛もなく、ブラックキャビアの登場も無かったのではないかと思われるほどである。

誕生からデビュー前まで

豪州の紳士服業者ロス・トラスコット氏が豪州キャンプベルタウンに所有していた小牧場において、母マルカトの3番子としてこの世に生を受けた。幼少期に母に誤って踏まれて負傷するなどのアクシデントに見舞われたが何とか成長し、アデレードで開催されたセリに出された。セリに出された本馬を買いに来たのは、ボブ・ホイステッド氏という人物で、兄のボン・ホイステッド調教師からの依頼を受けての事だった。特に問題が無ければ7千ドルで購入するよう兄から指示されていた弟だが、彼が見た本馬は痩せて頭でっかちであり、欠点だらけで良いところが何も無い馬だった。それでも結局本馬は3500ドルで購入され、兄の知人マル・セキュール氏の所有馬となり、ボン・ホイステッド師の管理馬となった。

本馬は気性が激しい馬だった事もあり、馬体の成長を促す意味も含めて、早々に去勢された。その結果、馬体は16.3ハンドまで成長したが、厩務員を噛んだり蹴ったりしようとする気性の激しさは改善されなかった。この気性の激しさは最後まで治ることは無かった。

しかし人間に対しては心を開かない本馬も、4歳年上の同厩馬スキャマンダ(この馬もフリーウェイSやクレイヴンASなどを勝ち55戦15勝の成績を挙げた実力馬である)や、シロという名前のポニーとは仲が良かった。スキャマンダとの仲の良さを表す逸話には次のものがある。ある日、本馬やスキャマンダが厩舎の外にいるときに雨が降り出した。厩舎の近くにいた本馬はすぐに厩舎内に避難する事が可能だったにも関わらず、遠くにいるスキャマンダが戻ってくるまで雨に濡れたまま待ち続けていたという。シロとの仲の良さを表す逸話は、本馬が競走生活を終えた後の出来事であるため、これは後述する事にする。

競走生活(2歳時)

人間に対する気性難に加えて、調教中に背中を負傷した影響もあり、デビューは豪州としてはやや遅めの2歳シーズン年明け1月にクランボルン競馬場で行われた芝1000mのハンデ競走となった。主戦となるゲイリー・ウィレッツ騎手を鞍上に迎えた本馬は、2着ナースに6馬身差で圧勝した。続いてフレミントン競馬場に向かい、芝1000mのハンデ競走に出たが、ここでは直線コースの端を走っていたところ、逆側を走っていたカラマンという馬に出し抜かれて2着に敗れた。しかし10日後に同コースで出走したハンデ競走では、競りかけてきたターフルーラー(後にGⅠ競走オークレイプレートを勝利)を難なく競り落とし、芝1000mを58秒3という好時計で走破して、後にブラッドホースブリーダーズプレートを勝つ牝馬アウトペースを2着に抑えて勝利を収めた。その11日後のブルーダイヤモンドS(T1200m)では、単勝オッズ13倍といった程度の評価だったが、逃げるトゥーラーンハイを見る形で2番手を進むと、残り400m地点で先頭に立って押し切り、2着トゥーラーンハイやターフルーラー以下に勝利を収めた。

その後はAJCサイアーズプロデュースSに向かう予定だったが、本馬が絶好調だったのを見た陣営はその前に豪州2歳短距離王決定戦のゴールデンスリッパーS(T1200m)に出走させた。レースでは序盤から逃げるブラックオペークに競りかける形で主導権を握り、2着となったブリーダーズプレートの勝ち馬スモーキージャック以下を抑えてそのまま逃げ切った。しかし本番のAJCサイアーズプロデュースS(T1400m)は重馬場に脚を取られて先頭に立てず2番手を進むも、最後は力尽きて、カラマン、後に同年のフライトSを勝利するジュビリーウォーク、前走ゴールデンスリッパーSで3着だった牝馬ジュエルフライトなどに屈して、カラマンの5着に敗れた。

2歳シーズン最後の出走を勝利で飾れなかった本馬だが、2歳時の成績は6戦4勝、同世代の2歳馬の中では獲得賞金第2位であり、セリに出された頃の低評価とは比較にならない出世ぶりだった。それから間もなくして管理していたボン・ホイステッド師が心臓発作で急死したため、かつて本馬をセリに買いに来た弟のボブ・ホイステッド氏が代わりに本馬の調教師となった。

競走生活(3歳時)

78/79シーズンは9月にフレミントン競馬場で行われたアスコットヴェイルS(T1200m)から始動。ここではスタートから先頭に立つとそのままゴールまで逃げ切り、1分09秒6のコースレコードを樹立して勝利した。カラマンが2着で、翌年のライトニングSを勝つザジャッジが3着であり、カラマンにAJCサイアーズプロデュースSの借りを返した。次走のマールボロC(T1400m)は古馬相手のレースとなったが、クリスマスH・シュウェップスレモネードSを勝っていたリップマンを4馬身差の2着に破って勝利した。

コーフィールドギニー(T1600m)では、カラマン、ザジャッジ、オーストラレイシアンチャンピオンSの勝ち馬ジャストアスティール、後のフリーウェイSの勝ち馬グレイサファイアなどが対戦相手となった。レースではザジャッジやグレイサファイアを先に行かせて3番手を進んだが、道中でカラマンが上がってきて本馬を馬群の中に閉じ込めてしまった。それでも残り150m地点で馬群を突破して抜け出すと、カラマンを2馬身差の2着に下して勝利した。しかしゴール前の斜行のため鞍上のウィレッツ騎手には3週間の騎乗停止処分が言い渡された。本馬の着順には変更が無かったが、陣営の抗議は実らずにウィレッツ騎手に対する処分は覆らなかった。そのために3週間後に出走したクレイヴンAS(T1200m:現サリンジャーS)でウィレッツ騎手は本馬に騎乗できず、J・ストッカー騎手に乗り代わった。さらに当日の暑さのためか、レース前に軽度の熱発を起こして発汗していた。この状況下で全力疾走することは出来ず、豪フューチュリティS・オールエイジドSの勝ち馬オールウェイズウェルカムの首差2着に敗れた(それでもこの強敵相手に首差2着というのは大したものではある)。この結果を見てレースに出走させた事を後悔したホイステッド師は、本馬に休養を取らせる事にした。

3か月の休養を経た本馬は、翌年1月に復帰。復帰戦のウィリアムレイドS(T1200m)では、コックスプレート・マールボロ500002回・コーフィールドS・ウィリアムレイドS・ジョージアダムスS・マッキノンSを勝っていたファミリーオブマン、ローソンS・ドゥーンベンCの勝ち馬マルソー、トゥーラックHの勝ち馬サラマンダーといった強敵達が参戦してきた。しかし本馬がスピードの違いで圧倒して、2番手を追いかけてきた1歳年上のキングオブザスターズを2着に抑えて逃げ切り勝利した。次走のCFオーアS(T1400m)では、ファミリーオブマンに加えて、ローズヒルギニー・オーストラレイシアンCSS・クイーンズランドダービーを勝っていたレフロイ、コーフィールドSの勝ち馬ロイドボーイ、後にウォーウィックSを勝つジプシーキングダムという実力馬も参戦してきたが、本馬が難なく逃げ切って2着ジプシーキングダム以下に勝利した。

豪フューチュリティS(T1800m)では、ファミリーオブマン、レフロイ、サラマンダー、ロイドボーイ、メルボルンCを2連覇していたシンクビッグ、サウスオーストラリアンダービー・ヴィクトリアダービー・マールボロ50000・WATCダービーの勝ち馬ストーミーレックス、エプソムHの勝ち馬で後にチッピングノートンSを勝つレオノチスなどの強敵が大挙して挑んできた。しかも本馬にとっては初のマイルを超える距離のレースだった。それにも関わらずスタートから先頭に立つとそのまま鮮やかに逃げ切って、2着ストーミーレックスに3馬身差で勝利。勝ち時計1分53秒7はコーフィールド競馬場のコースレコードだった。

1800mの距離を克服したため、次走はオーストラリアンC(T2000m)となった。対戦相手は、ファミリーオブマン、ターフルーラー、サラマンダー、レフロイ、ロイドボーイ、前年のメルボルンCの勝ち馬アーウォン、ヴィクトリアダービーの勝ち馬ダルシファイ、後にこの年のシドニーC・クイーンズランドダービーを勝つダブルセンチュリーなどだった。レースではスタートから先頭をキープし続けたが、最後の100mで失速。そこへ最後方からの追い込みに賭けた伏兵ダルシファイが襲い掛かってきて、ゴール直前で差されて2着に敗れた。ダルシファイはここでは人気薄だったが、後にAJCダービー・コックスプレート・マッキノンSを勝つ実力馬となる(ただし最終的にはメルボルンCで故障して命を落とした悲劇の馬でもある)。ダルシファイに負けたとはいえ、3着だったファミリーオブマンを始めとする有力馬の多くには先着した。そのために次走も同距離のローズヒルギニー(T2000m)となった。しかし結果はダルシファイ、マールボロS・クラウンオークスを勝っていたスコメルドなどに差されて、ダルシファイの4着に敗退。この後に2度とマイルを超える距離のレースを走る事は無かった。

その1週間後にはジョージライダーS(T1400m)に出走。オールウェイズウェルカム、ザジャッジ、1歳年上のAJCダービー・カンタベリーギニーの勝ち馬ベルムララッド(後にオールエイジドS・マッキノンS2回・ザメトロポリタンも勝っている)などが出走していたが、ローズヒル競馬場のコースレコードを更新する1分21秒9のタイムで駆け抜けた本馬が、2着となった牝馬ジョイタに6馬身差をつけて圧勝した。続いてドンカスターマイル(T1600m)に出走した。ここで本馬に課された斤量は57.5kgで、かつて1974年にサイアーズプロデュースS・ゴールデンスリッパー・オークレイプレートなどを勝って同競走に出走して勝利した名馬トントナンの時より3.5kgも重い、3歳馬としては同レース史上最高斤量となった。このハンデに加えて、豪州レコードを更新するほどの超ハイペースに巻き込まれたせいもあり、前走4着のベルムララッド、前走2着のジョイタの2頭に差されて、レイルウェイS・ウインターボトムSを勝っていたマージョリオと同着の3着に敗れた。

その後は少し休養し、7月のロスマンズ100000(T1350m:現ドゥーンベン10000)に出走。ここでも3歳馬ながら58kgが課された本馬だが、2着カスカ以下に見事に勝利。豪州競馬史上、3歳のうちに58kgを背負って勝ったのはバゲット(1970~71年の豪州短距離路線で活躍した馬で、豪シャンペンS・サイアーズプロデュースS・ゴールデンスリッパー・ニューマーケットH・レイルウェイクオリティH・ドゥーンベン10000・ジョージメインSを勝っている)以来2頭目。3歳のうちに50万ドルホースとなったのは初めてだった。3歳時の成績は12戦8勝で、この1978/79シーズンの豪年度代表馬に選出された。

競走生活(4歳時)

月が代わって79/80シーズンに入り、本馬は4歳となった。シーズン初戦のフリーウェイS(GⅡ・T1200m)では、カラマン、インビテーションSの勝ち馬プライヴェートトーク、SAJCライトニングSの勝ち馬オーエンジャイスター、そして本馬と同厩の友であるクレイヴンAS・フリーウェイSの勝ち馬スキャマンダなどが対戦相手となった。レースは本馬にとって不得手な重馬場となったが、それを克服して、2着オーエンジャイスター以下に勝利した。しかし次走のマールボロC(GⅠ・T1400m)では、59.5kgの斤量、重馬場、さらには(レース後に判明した事だが)ウイルス性の疾患に感染していた等のあらゆる悪条件が重なり、プライヴェートトークの12着に沈んだ。

その後は4か月間の休養を経て、翌年1月のウィリアムレイドS(GⅡ・T1200m)で復帰。2着ホウバーグに4馬身差をつけて、後にオークレイプレートを勝つサンズライバルを3着に破る完勝で復帰戦を飾った。次走のCFオーアS(GⅡ・T1400m)では、一昨年のCFオーアS・タンクレッドSと前年のメルボルンCを勝っていたハイペルノを2着に破って勝利。次走は、前年から400m距離が短縮された豪フューチュリティS(GⅠ・T1400m)となった。ここでは、前年のレイルウェイS・ウインターボトムSを勝っていたアジアンビュー、前年のアスコットヴェイルSを勝っていたトルハーストなどが対戦相手となった。レースではアジアンビューを先に行かせて2番手を進むと、直線入り口でアジアンビューをかわして、そのまま勝利した。さらにジョージライダーS(GⅠ・T1400m)ではスタート後の先陣争いを制して先頭に立つと、ローズヒル競馬場のレコードを更新する1分21秒6のタイムで走破し、ジプシーキングダムを2着に、この年のライトニングSを勝ってきたばかりのスポーツキャストを3着に破って勝利した。

続いてザギャラクシー(GⅡ・T1100m)に出たが、翌月のロスマンズ10000を勝つヒットイットベニー、チッピングノートンSを勝ってきたエンバサドラなどに屈して、ヒットイットベニーの8着に敗退。60.5kgの斤量が影響したのかと思われたが、実は本馬は大量に呼吸器官から出血した上に、軽度の心臓発作を起こしていたのである。その後、出血防止薬を使用しながらレースに出られる米国競馬の関係者から本馬を購入したいという申し出があった。陣営もそれに心を動かされたが、最終的には競走馬として復帰できなかったとしても地元に残るほうが気性が悪い本馬のために良いだろうという結論となった。

競走生活(5歳時)

4歳時を7戦5勝の成績で終えた本馬が再び競馬場に姿を現したのは、前走から10か月近くが経った5歳1月、3年連続出走となるウィリアムレイドS(GⅡ・T1200m)だった。気温が高かったため、本馬が再度出血する事を危惧した陣営は、本馬に冷水をかけて体を冷やした。対戦相手は、本馬と何度も対戦歴がある前年のオークレイプレートの勝ち馬ターフルーラーやグレイサファイア、それに後にこの年のドンカスターマイルと翌年のCFオーアSを勝つロウマン、この年のジョージライダーS・チッピングノートンSを勝つプリンスルーリングなどだった。レースでは逃げる本馬にゴール前でターフルーラーが並びかけてきたが、ターフルーラーを首差の2着に抑えて逃げ切り、復帰戦を見事な勝利で飾った。これ以降、陣営は本馬がレースを走る度に脚を氷水が入った袋で包んで冷やしたという。

次走のCFオーアS(GⅡ・T1400m)では、ターフルーラー、プリンスルーリング、新2000ギニー馬マイブラウンジャグなどとの対戦となった。ここでも直線でターフルーラーが本馬に並びかけてきたが、本馬より先に失速。代わりにマイブラウンジャグが追撃してきたが、本馬が凌ぎきり、マイブラウンジャグを短首差の2着に、ターフルーラーを3着に破って勝利した。さらに豪フューチュリティS(GⅠ・T1400m)でも、CDマッケイSの勝ち馬ドゥカトーン、ターフルーラー達を蹴散らして優勝。しかしこのレースの後に脚の腱を痛めたため半年間の長期休養に入り、5歳時の成績は3戦3勝となった。

競走生活(6歳時)

この休養中にホイステッド師とウィレッツ騎手の間に諍いが生じ、ウィレッツ騎手はしばらく本馬の鞍上から離れる事になった。代わりにロイ・ヒギンズ騎手を主戦に迎え、9月のバーンボローH(T1000m)で復帰した。ここでは63.5kgという酷量が課せられたが、スタートからゴールまで馬なりで走り、2着キングオブザスターズ以下に勝利した。次走のマールボロC(GⅠ・T1400m)では60.5kgを背負い、8kgのハンデを与えたソルジャーオブフォーチュンの2着だった。その僅か5日後には、同じコーフィールド競馬場で行われたクイーンエリザベスC(T1600m)に出走。コーフィールドギニー・ウエスタンメイルクラシック・ヴィクトリアダービー・ロスマンズ10000・アンダーウッドSの勝ち馬ソヴリンレッド、ジョージアダムスS・フリーウェイSの勝ち馬で翌月のコーフィールドCを勝つシルヴァーバウンティ、ドンカスターマイルを勝ってきたロウマンなどが対戦相手となった。やや距離が長かった上にソヴリンレッドに競られる厳しい展開だったが、ゴール前で粘り腰を見せて2着ロウマンの追撃を封じ、1分35秒7のコースレコードタイで勝利した。次走のチャーンサイドS(T1200m)でオペラプリンスの2着に敗れた後、腱の故障が再発して3か月半の休養に入った。この休養中にホイステッド師とウィレッツ騎手は和解し、ウィレッツ騎手は本馬の鞍上に戻る事になった。

復帰戦は翌年2月、4年連続出走のウィリアムレイドS(GⅡ・T1200m)となった。対戦相手は、前年のVRCサイアーズプロデュースS・AJCサイアーズプロデュースS・ゴールデンスリッパーを勝っていたフルオンエーセス、ピュアパークS・オールエイジドS・ストラドブロークHの勝ち馬ワトニー、新国のGⅠ競走エラーズリーサイアーズプロデュースSの勝ち馬ヤアティズ、シルヴァーバウンティなどだった。しかし衰えない韋駄天ぶりを発揮した本馬が、2着ヤアティズに1馬身1/4差で勝利を収め、同レース4連覇を達成。

豪フューチュリティS(GⅠ・T1400m)では、サンダウンギニーの勝ち馬ガレオン、ジョージアダムスSの勝ち馬タワーベル、ソルジャーオブフォーチュンなどが対戦相手となった。しかしこの3頭が露骨な本馬包囲網を敷き、最後まで馬群から抜けられなかった本馬は、ガレオンの2着に敗退した。ウィレッツ騎手の抗議は認められず、こちらの4連覇は成らなかった。その後は、カンタベリーS(GⅡ・T1200m)に出走して、2着オペラプリンス以下にあっさりと勝利した。しかしオールエイジドS(GⅠ・T1600m)ではレース中に健の故障が再発して、レイルウェイH・ドンカスターマイルの勝ち馬マイゴールドホープの3着に敗退。そろそろ引退させるべきではとの声が上がったが、陣営はそれらの声に耳を傾けなかった。

競走生活(7歳時)

6歳時を8戦4勝の成績で終えた本馬は、4か月間の休養を経て、7歳8月のフリーウェイS(GⅡ・T1200m)で復帰した。そして、後にウィリアムレイドS・CFオーアSに勝利するクビュー、セゴビアンリズムとのゴール前の接戦を制して、2着クビューに短首差で勝利した。次走のメムジーS(GⅡ・T1400m)では、クビュー、ガレオン、ロウマンなどとの対戦となった。レースではスタートから先手を取って逃げ切り、ガレオンを2着に、ロウマンを3着に破って勝利を収め、豪州競馬史上初の100万ドルホースに王手をかけた。次走のジョンFフィーハンS(T1600m)では本馬の100万ドル達成のために賞金が増額までされたが、微妙に距離が長かったのか、前年の同競走を勝っていたロウマンの3着に敗れてしまった。次走のチャーンサイドS(T1200m)ではガレオンの6着に終わり、久々の着外となってしまった。

次走のAJモイアS(GⅡ・T1000m)では、ニューマーケットHの勝ち馬レーザーシャープ、ブルーダイヤモンドS・アスコットヴェイルSを勝ってきたランチャーなどが対戦相手となった。レースではランチャーを先に行かせて3番手を進むと、残り50m地点で先頭に立ち、2着レーザーシャープ以下に勝利を収め、遂に100万ドルホースとなった。しかし同日同じムーニーバレー競馬場でAJモイアSの直前に行われたコックスプレートでキングストンタウンが豪州競馬史上初の獲得賞金100万ドルを達成しており、本馬は豪州競馬史上2番目の達成馬ということになった。その後はピュアパックS(GⅠ・T1200m)で、フォーゴンコンクルージョンの3着。リンリスゴーS(T1400m)では、4頭立てながら宿敵ガレオンの3着と振るわなかった。

3か月の休養を経て出走した1月のウィリアムレイドS(GⅡ・T1200m)では、クビュー、マールボロC・トゥーラックHの勝ち馬トルベック、前年のロスマンズ10000の勝ち馬アイデアルプラネットなどが対戦相手となった。気温39度の灼熱の中で行われたレースでは、スタートから本馬が先頭に立ち、クビューや同厩馬デムスなどを引き連れて馬群を先導。直線に入って並びかけてきたトルベックを競り落として短頭差で勝利を収め、豪州競馬史上前人未到(前馬未到か)の同一競走5連覇を達成し、観衆を熱狂の渦に巻き込んだ。

次走のライトニングS(GⅡ・T1000m)では、3着レーザーシャープには先着したが、同厩馬デムスの3/4馬身差2着に敗れた。豪フューチュリティS(GⅠ・T1400m)では、トルベック、前年のジョージライダーSの勝ち馬ピュアオブハート、前年のMRC1000ギニー・クラウンオークスの勝ち馬ロムズスティレットなどが対戦相手となった。スタートから本馬が先頭に立ち、トルベックが追撃してくる展開となった。直線に入ると本馬が難なくトルベックを振り切り、追い上げてきた2着アバターに1馬身差をつけて、同レース4勝目を挙げた。続くジョージライダーS(GⅠ・T1400m)では、後にドンカスターマイル・ジョージメインS・ローズマウントワインズクラシック・ジョージライダーS(2勝目)・オールエイジドS・チッピングノートンSを勝つ名牝エマンシペーションに敗れて2馬身差の2着だったが、カンタベリーギニーの勝ち馬で後にオールエイジドSを勝つレアフォーム、直前のブルーダイヤモンドSを勝ってきた同厩馬ラヴアショウには先着した。しかしこの後に脚部不安が再発したため、7歳時11戦5勝の成績で休養入りした(この時点で競走馬を引退したとする資料が多い)。

脚部不安が極度に悪化して落命する

この時期の本馬は一層気性が激しくなっていた。本項の最初で触れたように、人間に対しては心を開かない本馬も、4歳年上の同厩馬スキャマンダや、シロという名前のポニーとは仲が良かった。しかしスキャマンダは既に競走生活を終えて厩舎からはいなくなっており、スキャマンダの代わりに5歳年下の前述ラヴアショウと仲が良くなっていた。そのために本馬、シロ、ラヴアショウの3頭が寄り添う光景がしばしば見られたようである。しかしある日、シロが致命的な病気にかかってしまった。シロは動物病院へ搬送され、その際にラヴアショウも同伴したが、本馬は同伴させてもらえず、厩舎に1頭だけ取り残されてしまった。なかなか帰ってこないシロを心配した本馬は延々4時間も嘶き続けた。様子を見に来たホイステッド師が本馬の馬衣を整えようと近づくと、本馬は歯を剥き出して襲い掛かったという。これは、シロに自分を同伴させなかった事に対する怒りだったのだろうか。シロは結局そのまま戻ってこず、本馬の病んだ心を癒す最高の存在はこの世から消えた。

そうした精神的な問題が身体面にも悪影響を及ぼしたのかは定かではないが、本馬の脚の状態はなかなか改善せず、年が改まる頃にはかなり悪化していた。豪州国内のみならず国外における様々な治療法や薬も本馬のために試みられた。病態は資料によって様々であり、ウイルスが腱に感染して壊疽を起こしたとするものが多く、アルミニウム中毒に似た症状とするものもあるが、詳しい原因は不明である。1984年2月13日、遂に鎮痛剤も効かなくなり、立つ事も出来なくなった本馬は8歳の若さで安楽死となった。

本馬の遺体は5連覇したウィリアムレイドSが行われるムーニーバレー競馬場のゴール板正面に埋葬され、この場所は「マニカト・ガーデン」と命名された。また、同競馬場で施行されていたフリーウェイS(本馬も2回勝っている)は同年中にマニカトSと改称された(その5年後にGⅠ競走に昇格し、豪州では最も重要な短距離戦の1つとなっている)。コーフィールド競馬場の特別観覧席にあるレストランにも本馬の名前が冠されている。

競走馬としての評価と特徴

本馬の現役当初は豪州競馬にグループ制が導入されていなかった(導入されたのは1979/80シーズンで、本馬が4歳のときである)上に、グループ制導入後もフリーウェイS・ウィリアムレイドS・CFオーアSといった重要な短距離競走がGⅡ競走として格付けされた(3競走とも現在ではGⅠ競走になっている)事もあり、本馬が勝ったGⅠ競走の数は、豪フューチュリティS3回・ジョージライダーSの合計4つだけである。しかし本馬の存在により豪州では短距離路線に対する注目度が上がり、多くの短距離競走がGⅠ競走に昇格した。現在の基準で言うと、本馬はGⅠ競走を22勝している計算になる。

空を飛ぶ馬を想起させるほどの快速馬だった本馬は、豪州国民全てが尊敬し誇りに思っている馬である。後の21世紀になって豪州競馬にブラックキャビアという怪物が出現したために、本馬が豪州競馬史上最強の短距離馬と呼ばれることは少なくなってしまった。しかし繰り返しになるが、世界史上最強の短距離馬ブラックキャビアが登場するほどに今日の豪州短距離路線がハイレベルとなっている背景に本馬の存在が一役買っている事はほぼ間違いない。もっとも、いわゆる圧勝というのは少なく、ゴール前で他馬との叩き合いを制する接戦に強いタイプの競走馬だったようである。2001年に豪州競馬名誉の殿堂が創設された際に、本馬は惜しくも初年度で殿堂入りする事はできなかったが、2年目の2002年に殿堂入りを果たした。

血統

Manihi Matrice Masthead Blue Peter Fairway
Fancy Free
Schiaparelli Schiavoni
Aileen
La Patrice St. Magnus Sansovino
Fair Isle
La Joconde Heroic
Bronacre
Beauteous Newtown Wonder Fair Trial Fairway
Lady Juror
Clarapple Apple Sammy
Racla
Maderson Brueghel Pharos
Bunworry
Creusa Ajax
Farida
Markato Natural Bid Nasrullah Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
Queen of Clubs Roman Sir Gallahad
Buckup
Black Queen Pompey
Black Maria
Fortune's Orbit ヴィゴー Vilmorin Gold Bridge
Queen of the Meadows
Thomasina Felstead
Bulolo
Probity Fair Trial Fairway
Lady Juror
Grace Dalrymple Gainsborough
Cypher

父マニヒは現役成績16戦11勝。優秀なスピード能力を有しており、ブリーダーズS・ニューマーケットHなどを勝利したが、飛行機に乗るのを嫌がってゴールデンスリッパーSを取り消したという逸話もある。種子骨骨折という大怪我から一命を取り留めて種牡馬入り。種牡馬としては12頭のステークスウイナーを出し、1986年に他界した。マニヒの父マトリースは現役成績45戦27勝、アデレードギニー・インビテーションS・クリスマスH2回・グッドウッドH・カンタラS・リンリスゴーS2回などを制した豪州の名馬で、種牡馬としても1973/74シーズンの豪首位種牡馬になるなど優秀な成績を残している。マトリースの父マストヘッドはブルーピーター産駒の英国産馬で、現役成績は10戦4勝、チェスターフィールドS・グレートチェシャーH・オードビーブリーダーズプレート・ニューマーケットセントレジャーを勝っている。種牡馬として豪州へ輸入されて成功している。

母マルカトは豪州産馬で、2・3歳時に走ったが未勝利に終わった。本馬の生産者トラスコット氏により1300ドルで購入されて繁殖入りしていた。マルカトは8頭の子を産んだが、その中でステークス競走に勝利したのは本馬のみである。ただし幼少期の事故のため競走馬になれなかった初子の牝駒グランドフィエスタ(父ラージャサヒブ)は、アブストラクション【ドゥーンベンC(豪GⅠ)】を産んでいる。本馬の弟の中には本馬の活躍を受けて種牡馬入りした馬もいるが、これといった種牡馬成績は残せなかった。

マルカトの母フォーチュネスオービットは英国産馬で、フォーチュネスオービットの祖母グレイスダーリンプルはデューハーストSの勝ち馬。グレイスダーリンプルの牝系子孫には、キングフェニックス【マールボロC(豪GⅠ)・ジエルダーズマイル(豪GⅠ)】、パスザピース【チェヴァリーパークS(英GⅠ)】、エンバシー【チェヴァリーパークS(英GⅠ)】、キングズアポッスル【モーリスドギース賞(仏GⅠ)】、アトランティックジュエル【MRC1000ギニー(豪GⅠ)・AJCオールエイジドS(豪GⅠ)・メムジーS(豪GⅠ)・コーフィールドS(豪GⅠ)】、コマンディングジュエル【MRC1000ギニー(豪GⅠ)】、ファンタスマゴリコ【アルベルトビアルインファンテ賞(智GⅠ)】、フライヤー【ポージャデポトリジョス賞(智GⅠ)】などがいる。→牝系:F8号族①

母父ナチュラルビッドはナスルーラ産駒の米国産馬で、現役成績は38戦7勝。種牡馬として豪州へ輸入されて一定の成功を収めた。

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