ベニーザディップ

和名:ベニーザディップ

英名:Benny the Dip

1994年生

黒鹿

父:シルヴァーホーク

母:ラスカルラスカル

母父:アクアク

先行して直線で粘る戦法で大接戦の英ダービーを制したサイレンススズカの叔父

競走成績:2・3歳時に英で走り通算成績11戦5勝2着3回3着2回

誕生からデビュー前まで

米国を代表する新聞王の1人であるジョン・シヴリー・ナイト氏の息子で、自身も新聞業界で働いていたチャールズ・ランドン・ナイトⅡ世氏により米国ケンタッキー州で生産された。晩年に馬産に凝っていたナイト氏が1981年に86歳で死去した後に、ナイトⅡ世氏がそれを受け継いで馬産を続けていたものである。幼少期の本馬に対するナイトⅡ世氏の評価は低く、彼は1歳になった本馬をセリに出そうとしたが、懇意にしていた英国のジョン・ゴスデン調教師の説得により思い留まり、そのまま自分の所有馬としてゴスデン師に委ねた。

競走生活(2歳時)

2歳6月にサンダウンパーク競馬場で行われた芝7ハロン16ヤードの未勝利ステークスで、A・ガース騎手を鞍上にデビュー。単勝オッズ9倍で9頭立ての5番人気といった程度の評価だった。しかもスタートで出遅れてしまい、残り2ハロン地点から末脚を伸ばすも、勝った単勝オッズ5.5倍の2番人気馬プトラ(次走のヴィンテージSを勝っている)に3馬身半届かず2着までだった。

それから2週間後に出走したニューマーケット競馬場芝7ハロンの未勝利ステークスでも、ガース騎手とコンビを組んだ。ここでは単勝オッズ4.33倍の2番人気となった。今回は前走とは異なり出遅れるようなことは無く、スタートから馬群を先導し続けると、残り2ハロン地点で二の脚を使い、2着となった単勝オッズ4.5倍の3番人気馬スタージョンに2馬身半差をつけて勝ち上がった。

その後はしばらく間隔を空け、9月にドンカスター競馬場で行われたヨークシャードラグーンズ条件S(T7F)に出走。前走の未勝利ステークスを10馬身差で圧勝してきたアウトウェスト(英ダービー馬モティヴェイターの母)が単勝オッズ2.625倍の1番人気で、ランフランコ・デットーリ騎手を鞍上に迎えた本馬が単勝オッズ2.75倍の2番人気となった。レースではアウトウェストが先行して、本馬はその直後を追走。残り2ハロン地点で仕掛けると残り1ハロン地点で先頭に立ち、同じく先行して2着に入った単勝オッズ5倍の3番人気馬デザートストーリーに1馬身半差をつけて勝利した。

続いてロイヤルロッジS(GⅡ・T8F)に出走した。対戦相手は、2戦2勝のビシージ、3戦2勝のメダーリー、愛フューチュリティSを勝ってきたイコールライツ、デザートストーリー、後にクイーンエリザベスⅡ世S・伊2000ギニー・独2000ギニーを勝つエアエクスプレスなどだった。デットーリ騎手は、彼が専属契約を結んでいたゴドルフィンの所属馬メダーリーに騎乗したため、本馬はウォルター・スウィンバーン騎手とコンビを組んだ。本馬が単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持され、ビシージとメダーリーが並んで単勝オッズ4倍の2番人気、イコールライツが単勝オッズ10倍の4番人気、デザートストーリーが単勝オッズ11倍の5番人気となった。スタートが切られると、ビシージが逃げを打ち、本馬はその直後を追走した。そして残り1ハロン地点で先頭に立つと、追い上げてきた2着デザートストーリーに3/4馬身差をつけて勝利した。

次走のレーシングポストトロフィー(GⅠ・T8F)では、前走3着のビシージ、同5着のメダーリー、日本で活躍したスギノハヤカゼの1歳年下の半弟ポティーン(後に英2000ギニーで3着、ロッキンジSで2着している)などが対戦相手となったが、ジョン・リード騎手鞍上の本馬が単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持され、ビシージが単勝オッズ6倍の2番人気、ポティーンが単勝オッズ7.5倍の3番人気となった。レースではビシージやメダーリーが先行して、本馬は馬群の中団好位につけた。そして残り2ハロン地点で仕掛けたが、残り1ハロン地点からの伸びが悪く、先行して抜け出した単勝オッズ15倍の6番人気馬メダーリーと、最後方から追い込んできたポティーンに後れを取り、勝ったメダーリーから1馬身3/4差の3着に終わった。

2歳時の出走はこれが最後で、この年は5戦3勝の成績だった。インデペンデント紙の記者リチャード・エドモンドソン氏の記事によると、ゴスデン師は「この馬は下手に抑えずに積極的に行って粘るほうが良いと思いました」と感じたらしく、3歳以降の本馬は逃げ先行策に徹することになる(このあたりは甥のサイレンススズカにも通じるところがある)。

競走生活(3歳初期)

3歳時は英2000ギニーには目もくれず、ひたすら英ダービーを目指すスケジュールとなった。まずは英2000ギニーの前週に実施されたサンダウンクラシックトライアルS(GⅢ・T10F7Y)に出走。レーシングポストトロフィーで4着だったビシージ、ゼトランドSを勝ってきたシルヴァーペイトリアーク、サンロマン賞の勝ち馬ヴォイジャーズクエストなどが対戦相手となった。今回はデットーリ騎手が騎乗した本馬が単勝オッズ2.625倍の1番人気に支持され、ビシージが単勝オッズ3.5倍の2番人気、シルヴァーペイトリアークが単勝オッズ5.5倍の3番人気、ヴォイジャーズクエストが単勝オッズ6.5倍の4番人気となった。今回の本馬は、ゴスデン師の考えどおりに積極的に先頭を狙う逃げの手に出た。そのまま直線に入ってきたが、本馬をマークするように走っていたリード騎手騎乗のヴォイジャーズクエストに残り2ハロン地点でかわされると、そのまま追いつけずに1馬身半差の2着に敗れた。

このレース後に本馬は体調を崩してしまい、ゴスデン師によると「咳と鼻水が止まらなくて大変だった」らしい。しかし単なる風邪だったようで、急速に回復したため、サンダウンクラシックトライアルSから僅か18日後にダンテS(GⅡ・T10F85Y)に出走した。本馬に2戦続けた敗れた後にホーリスヒルS・クレイヴンSを勝つも英2000ギニーでアントレプレナーの6着に敗れてしまったデザートストーリー、レーシングポストトロフィー以来の実戦となるメダーリー、未勝利ステークスを7馬身差で勝ってきたヨークシャー、未勝利ステークスを5馬身差で勝ってきたアプレヘンション、後にキングエドワードⅦ世Sを勝つキングフィッシャーミル、3戦2勝で臨んできたムサルサル、後にデュッセルドルフ大賞・リボー賞を勝つクリムゾンタイドなどが出走してきた。デットーリ騎手がメダーリーに騎乗したため、本馬にはオリビエ・ペリエ騎手が騎乗した。本馬が単勝オッズ4.33倍の1番人気に支持され、デザートストーリーが単勝オッズ5倍の2番人気、メダーリーとヨークシャーが並んで単勝オッズ7倍の3番人気、アプレヘンションが単勝オッズ7.5倍の5番人気となった。本馬は今回もスタートから積極的に先頭を走った。そして残り2ハロン地点で二の脚を使って後続を突き放し、2着デザートストーリーに2馬身半差をつけて快勝した。

英ダービー

次走が目標の英ダービー(GⅠ・T12F10Y)となった。英2000ギニー馬アントレプレナー、サンダウンクラシックトライアルSで本馬から頭差の3着した後にリングフィールドダービートライアルSを7馬身差で圧勝してきたシルヴァーペイトリアーク、リュパン賞など3連勝中のクラウディングス、フェイルデンSを勝ってきたファーリス、ジョッキークラブCを5連覇して1995年のカルティエ賞最優秀古馬に選ばれたファーザーフライトの甥に当たる5戦3勝馬ザフライ、未勝利ステークスを勝ち上がってきたばかりだが8年前の英ダービー馬ナシュワンの従姉妹の孫(ディープインパクトの従姉妹の子でもある)という血統から期待されていたボールドデマンド、ディーSを勝ってきたクリスタルハーテッド、愛2000ギニーで3着してきたロマノフなどが対戦相手となった。

前年のサラマンドル賞・仏グランクリテリウムを勝利してカルティエ賞最優秀2歳馬に選ばれていた英2000ギニー2着馬リヴォークは、愛2000ギニー6着凡走の影響により回避していた。英2000ギニーの直後は、サドラーズウェルズ産駒のアントレプレナーと、サドラーズウェルズの全弟フェアリーキング産駒のリヴォークによる直接対決第二ラウンドとして盛り上がると見込まれていた英ダービーだったが、リヴォークの回避により、血統的に距離が伸びてなお良いと思われていたアントレプレナーの1強独裁状態となり、アントレプレナーが単勝オッズ1.67倍という、英ダービーとしては異例とも言える断然の1番人気に支持された(英ダービー史上においてこれより低いオッズは1947年に単勝オッズ1.57倍となったテューダーミンストレルまで遡らないと見当たらない。なお、日本では1986年のダンシングブレーヴが単勝オッズ1.5倍だったという話がまかり通っているが、おそらく「2-1」を「1-2」と見間違えたことによる勘違いであり、ダンシングブレーヴは単勝オッズ3倍だった)。そして、シルヴァーペイトリアークが単勝オッズ7倍の2番人気、本馬が単勝オッズ12倍の3番人気、クラウディングス、ファーリス、ザフライの3頭が並んで単勝オッズ13倍の4番人気となった。

デットーリ騎手もリード騎手もペリエ騎手も他馬に騎乗したため、本馬は初騎乗となる「職人」ウィリー・ライアン騎手とコンビを組んだ。スタートが切られるとクリスタルハーテッドが先頭に立ち、本馬はその直後の2番手を追走、アントレプレナーやシルヴァーペイトリアークは中団につけた。そのままの態勢でタッテナムコーナーに入ると、本馬が仕掛けてコーナー途中で先頭に立った。そしてエプソム競馬場の非常に長い直線で押し切りを図った。アントレプレナーにはいま一つ伸びが無く、直線で本馬に詰め寄ってきたのはシルヴァーペイトリアークのみだった。残り2ハロン地点では本馬と後続の差は6馬身ほどあったが、残り1ハロン地点から本馬とシルヴァーペイトリアークの差がみるみる縮まり、最後は2頭がほぼ同時にゴールインした。体勢は僅かにシルヴァーペイトリアークが有利に見えたが、とても長い写真判定(筆者が見ても同着にしか見えなかった)の結果、本馬が短頭差だけ粘り切っており、英ダービー馬の称号を手にした。

鞍上のライアン騎手は「彼は最後に一踏ん張りしてくれました」と喜んだ。シルヴァーペイトリアークから5馬身差の3着にロマノフが入り、圧倒的1番人気に推されていたアントレプレナーはロマノフから3馬身半差の4着で、これは奇しくも50年前のテューダーミンストレルと同じ着順だった。なお、負けたシルヴァーペイトリアークは後に、英セントレジャー・コロネーションC・伊ジョッキークラブ大賞・ジョッキークラブS・ジェフリーフリアSに勝利する名長距離馬へと成長していく。

競走生活(3歳後半)

本馬は英ダービーを勝つには勝ったが、ゴール前の脚色は陣営が思っていたほどのものではなかったようで、距離はもう少し短いほうが良いという判断となった。そのため10ハロン路線を進むことになり、次走は愛ダービーではなくエクリプスS(GⅠ・T10F7Y)となった。対戦相手は僅か4頭だったが、英1000ギニー・英チャンピオンS・フィリーズマイル・プリンスオブウェールズS・フレッドダーリンS・ブリガディアジェラードSを勝っていた前年のカルティエ賞最優秀3歳牝馬ボスラシャム、BCターフ・バーデン大賞・ブリガディアジェラードS・ロイヤルホイップSの勝ち馬で凱旋門賞2着のピルサドスキー、イスパーン賞・ギョームドルナノ賞・ゴードンリチャーズSなど5連勝中のサズルー、クイーンアンSなど3連勝中のアライドフォーシズの古馬4頭がその内訳であり、レベル的には英ダービーより確実に上だった。ボスラシャムが単勝オッズ1.57倍の1番人気、ピルサドスキーが単勝オッズ6.5倍の2番人気、ライアン騎手がそのまま主戦を務める事になった本馬が単勝オッズ7倍の3番人気、サズルーが単勝オッズ9倍の4番人気、アライドフォーシズが単勝オッズ17倍の最低人気で、前評判ではボスラシャムの1強独裁状態だった。

スタートが切られると本馬が先頭に立ち、他4頭は本馬をマークするように追走してきた。そのままの態勢で直線に入ると各馬が一斉に仕掛けた。そして本馬にボスラシャムとピルサドスキーの2頭が並びかけてきて叩き合いとなった。最後はピルサドスキーが突き抜けて1馬身1/4差で勝利したが、本馬はボスラシャムを短首差で差し返して2着を維持し、古馬相手でも勝ち負けになる実力を示した。英タイムフォーム社の本馬に対する評価は、勝った英ダービーよりも負けたこのエクリプスSのほうが高かった。

このレース後に米国ケンタッキー州クレイボーンファームが本馬の権利の半分を購入し、本馬はナイトⅡ世氏とクレイボーンファームの共同所有馬となった。

次走の英国際S(GⅠ・T10F85Y)では、エクリプスSよりさらに出走頭数が1頭減って4頭立てとなった。しかし対戦相手3頭は、同じくエクリプスSから直行してきたボスラシャム、ジャパンC・ドバイワールドC・加国際S・コロネーションC・ゴードンリチャーズS・セレクトSの勝ち馬でパリ大賞・エクリプスS・コロネーションC・BCターフ2着のシングスピール、同世代の愛2000ギニー・愛ダービー・愛ナショナルS・テトラークSの勝ち馬デザートキングであり、強豪馬のみのレースとなった。本馬とデザートキングの顔合わせは英ダービー馬と愛ダービー馬の対決だったのだが、単勝オッズ1.8倍の1番人気はボスラシャム、単勝オッズ5倍の2番人気はシングスピールと古馬勢が上位人気となり、本馬が単勝オッズ5.5倍の3番人気、デザートキングが単勝オッズ7倍の最低人気となった。今回もスタートから先頭に立った本馬だったが、それを徹底マークするように追走してきたシングスピールに直線で並びかけられると競り負けて、さらにゴール前では追い込んできたデザートキングにも差されて、勝ったシングスピールから3馬身差の3着に敗れた。ボスラシャムには1馬身1/4差先着したが、ボスラシャムは道中で落鉄していたために本馬の走りが評価される事は無く、デザートキングに先着された事により世代最強の地位からも陥落した。

次走の英チャンピオンS(GⅠ・T10F)では、エクリプスS勝利後にキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSと凱旋門賞で2着して愛チャンピオンSでデザートキングを4馬身半差の2着に葬り去っていたピルサドスキー、愛2000ギニー惨敗の休養明けに条件ステークスを勝利するも前走クイーンエリザベスⅡ世Sではエアエクスプレスの8着に終わっていたリヴォーク、プランスドランジュ賞を勝ってきた仏2000ギニー2着・愛ダービー3着馬ルウソヴァージュ、ゴードンS・グレートヴォルティジュールSを連勝してきたストワウェイ、英シャンペンSの勝ち馬で前走クイーンエリザベスⅡ世Sでは4着だったバハーレ、前年のセントジェームズパレスSの勝ち馬ビジューダンドの6頭が対戦相手となった。ピルサドスキーとビジューダンド以外は全て3歳馬だった。ピルサドスキーが単勝オッズ2倍の1番人気に支持され、リヴォークが単勝オッズ5.5倍の2番人気、ルウソヴァージュが単勝オッズ7倍の3番人気で、本馬は3歳馬では3番目である単勝オッズ8倍の4番人気となった。そしてレースでは先行するも直線で失速して、勝ったピルサドスキーに7馬身半差をつけられた6着に敗退。本馬が唯一先着できたのは1年以上勝ち星が無かった最低人気馬ビジューダンドのみであり、同世代馬には全て先着されてしまった。

レース前の段階から既にこれが引退レースになる旨が発表されており(ブリーダーズカップに参戦する計画もあったという話もあるが、おそらくデマである)、3歳時6戦2勝で現役生活に終止符を打った。

競走馬としての評価

本馬と同世代の英愛調教馬の評価はこの年軒並み低かった。それは本馬やデザートキング、アントレプレナーを筆頭とする有力馬勢が古馬相手に歯が立たなかった上に、その古馬勢を凱旋門賞で同世代の仏国調教馬パントレセレブルが一網打尽にしてしまった影響が大きい。国際クラシフィケーションにおいてはパントレセレブルが全世代(米国調教馬を含む)を通してトップの137ポンドで、デザートキングが3歳馬2位の128ポンド、本馬が同3位の126ポンド、アントレプレナーが同7位の124ポンド、シルヴァーペイトリアークは同10位の123ポンドだった。本馬については弱い英ダービー馬という評価が定着してしまっており、そうした表現をする人々が大嫌いな筆者も、本馬に関しては彼等を論破できる方法は思い浮かばない。

馬名に関して

馬名を直訳すると「スリ(窃盗犯)のベニー」になるが、この由来については諸説あり、米国の作家アルフレッド・デイモン・ラニヨン氏の作品に登場するキャラクターに由来するという説と、警察から逃げる犯罪者3人の姿を描いた1951年の米国映画“St. Benny the Dip”のタイトルに由来するという説がある。

米ブラッドホース誌など大半の資料には前者が採用されているのだが、英語版ウィキペディアには「一般的には前者が広く信じられていますが、それは誤りで後者が正しいのです」と書かれている。しかし後者の基となる資料を筆者が読むと、逃げ馬であった本馬には後者の由来のほうが相応しいからという程度の理由であるように見受けられ、これが絶対に正しいと確信させる説得力があるものでもなかった。

所有者だったナイトⅡ世氏に聞いてみないと真相は分からないと思うが、当のナイトⅡ世氏は2000年に75歳で死去しているため、本馬の馬名由来は永遠に不明のままである。なお、本馬はレース前に大量の汗をかく傾向があったため、“Benny the Drip(汗だくのベニー)”という異名で呼ばれていた。

血統

Silver Hawk Roberto Hail to Reason Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Bramalea Nashua Nasrullah
Segula
Rarelea Bull Lea
Bleebok
Gris Vitesse Amerigo Nearco Pharos
Nogara
Sanlinea Precipitation
Sun Helmet
Matchiche Mat de Cocagne Birikil
Fascine
Chimere Fabuleuse Coaraze
Nine
Rascal Rascal Ack Ack Battle Joined Armageddon Alsab
Fighting Lady
Ethel Walker Revoked
Ethel Terry
Fast Turn Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Cherokee Rose Princequillo
The Squaw
Savage Bunny Never Bend Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Lalun Djeddah
Be Faithful
Tudor Jet Tudor Minstrel Owen Tudor
Sansonnet
Precious Lady Requested
Albania

シルヴァーホークは当馬の項を参照。

母ラスカルラスカルは現役成績8戦4勝。ベイメドウズラッシーS・ヘイルハレリアスSを勝っている。ラスカルラスカルの産駒には本馬の他に、本馬の半姉ワキア(父ミスワキ)【アンジェーヌH・ランチョデルチャオH】、半兄ベガーマンシーフ(父アークティックターン)【ホーリスヒルS(英GⅢ)】、半弟クリプティックラスカル(父クリプトクリアランス)【ピリグリムS(米GⅢ)・パームビーチS(米GⅢ)・フォアランナーS(米GⅢ)】がいる。ワキアの子には永遠の逃亡者サイレンススズカ【宝塚記念(GⅠ)・毎日王冠(GⅡ)・金鯱賞(GⅡ)・中山記念(GⅡ)・小倉大賞典(GⅢ)】とラスカルスズカ【2着天皇賞春(GⅠ)】の兄弟が、孫にはスズカドリーム【京成杯(GⅢ)】がおり、日本では御馴染みの牝系である。他の近親には、ラスカルラスカルの半姉で日本に繁殖牝馬として輸入されたフレールドゥプランタン(父カロ)の曾孫にアイスカチャン【あやめ賞】が、ラスカルラスカルの半妹ノーザンダイナスティ(父ノーザンジョヴ)の曾孫にウェスタンアリストクラット【ジャマイカH(米GⅠ)】が、ラスカルラスカルの半弟にディヒム(父ポリッシュネイビー)【ドクトルブッシュ記念(独GⅠ)】が、ラスカルラスカルの従兄弟にウェルデコレイテッド【アーリントンワシントンフューチュリティー(米GⅠ)】といった馬がいる他、近親とは言えないが遠縁には、愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・英セントレジャー・エクリプスSの勝ち馬ラグーザ、名種牡馬マウントリヴァーモア、ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯の勝ち馬リヴァーキーン、コックスプレート2連覇など豪州GⅠ競走9勝のノーザリー、日本で活躍したビッグテースト、カンパニー、トーセンジョーダンなどがいる。→牝系:F9号族②

母父アクアクは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はクレイボーンファームで種牡馬になった。しかし種牡馬としての人気が上がらず、2001年の繁殖シーズン終了後に英国チェヴァリーパークスタッドに輸出された。2003年9月には愛国の馬産家リアム・キャッシュマン氏に購入されて彼が所有していた愛国ラスベリースタッドに移動。しかし到着の僅か2週間後の10月初めに歩様に異常が見られたため検査が行われた結果、膝を粉砕骨折している事が判明(原因は不明)し、予後不良と診断されて9歳で安楽死の措置が執られた。

本馬は種牡馬として成功せず、障害競走の活躍馬を何頭か出した程度に留まり、現役時代の低評価を覆すことは出来なかった。なお、本馬の半弟クリプティックラスカルは、サイレンススズカの叔父という血統が評価されて日本に輸入されたが、地方競馬の重賞勝ち馬を何頭か出した程度に終わっている。

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