ラトロワンヌ

和名:ラトロワンヌ

英名:La Troienne

1926年生

鹿毛

父:テディ

母:エレーヌドトロワ

母父:ヘリコン

競走馬としては未勝利に終わったが仏国から米国に輸入されて繁殖牝馬として大成功を収め、米国競馬史上最高の名門牝系の始祖となる

競走成績:2・3歳時に仏英で走り通算成績7戦未勝利2着1回3着1回

競走馬としては活躍できなかったが、米国で繁殖牝馬として大成功を収め、米国競馬史上最大級の名牝系を構築した大繁殖牝馬。

誕生からデビュー前まで

仏国の名馬産家マルセル・ブサック氏により生産・所有された仏国産馬で、体格は小柄だった。父は当時仏国ボワルセル牧場において繋養されていた名種牡馬テディ。母エレーヌドトロワは、テディだけでなく、本馬に勝るとも劣らない大繁殖牝馬として名高いプラッキーリエージュの所有者でもあったジェファーソン・デーヴィス・コーン氏の所有馬で、後にブサック氏により購入された。エレーヌドトロワは現役時代、2歳時に平地で1勝、3歳以降に障害で3勝を挙げていたが、それほどの活躍馬ではなかった。また、エレーヌドトロワの父ヘリコンも、血統的に当時の流行からは外れていた。ただ、エレーヌドトロワの母レディオブペディグリーの従兄妹には1913年の英1000ギニー・英オークス馬ジェスト、ジェストの半弟である1914年の英セントレジャー馬ブラックジェスターがおり、ジェストは母として1921年の英ダービーを勝った直後に結核で他界した悲運の名馬ユーモリストを産んでいるなど、牝系自体は当時においても優秀と言えるものだった。また、本馬の1歳上の全兄レオニダスが、仏国のミュニシパル賞と英国のリンカンシャーHという2つのステークス競走を勝ったため、ブサック氏は期待をかけて本馬を競馬場に送り出した。

競走生活

2歳9月にロンシャン競馬場で行われたサブロンヴィル賞でデビューした。直前調教の動きが良かったこともあって単勝オッズ5倍と人気を集めたが、着外に敗れた。次走もロンシャン競馬場で行われたアレンベール賞(T1000m)となったが、これもラファイエットの着外に敗れて、2歳時は2戦未勝利の成績に終わった。

3歳時はクロエ賞(T1600m)から始動したが、単勝オッズは39倍まで落ちており、結果もカンタラの着外だった。それでもブサック氏は本馬に対する期待を捨て切れず、次走は仏1000ギニー(T1600m)となった。本馬は単勝オッズ32倍で出走し、ポエジーの着外に敗れた。それでもブサック氏は気候や馬場状態が変わればレース内容も変化するかもしれないという期待を抱き、本馬を英国に渡らせ、スネイルウェルS(T5F)に出走させた。このレースで本馬は初めてまともに走り、3着に入った。翌月のフレッケンハムS(T7F)では1馬身半差の2着だった。しかし次走のウェルターH(T6F)で着外に敗れ、3歳時5戦未勝利で競走馬引退となった。

米国に輸入されて繁殖生活を開始

ブサック氏は合理的な考えの持ち主で、不要と判断した馬は容赦無く処分した。それが例え自身の馬産に貢献した馬であっても同じ事で、根幹繁殖牝馬のフリゼットも高齢で繁殖の役に立たないと判断すると、屠殺場送りにしたほどだった。しかし本馬は幸いにもその運命を回避する事になり、繁殖牝馬となった。

本馬は繁殖入り1年目の1930年に英国に送られてゲインズボローと交配され受胎した。そしてその状態で12月のニューマーケットセールに他の5頭の繁殖牝馬(その中にはフリゼットの7番子レスプレデザも含まれていた)と一緒に出品された。ちょうどこの年の英セントレジャーをゲインズボロー産駒のシンガポールが勝っており、ブサック氏は本馬を屠殺場送りにするよりは繁殖牝馬として売る事で少しでも多くの利益を上げようとしたのだった。つまりブサック氏の本馬に対する評価は、自身の牧場で繋養するほどの馬ではないというものだった。

とりあえずブサック氏の目論見は当たり、本馬はブサック氏が同時に出品した繁殖牝馬の中では最高値となる1250ギニーで落札された。本馬を落札したのはディック・トンプソン氏で、彼は米国の馬産家エドワード・ライリー・ブラッドリー大佐の代理人だった。製鉄業からホテル経営、競馬場やカジノのオーナーまで幅広く事業を展開し成功したブラッドリー大佐は、1906年にケンタッキー州において買い取った牧場をアイドルアワーストックファームと改名して馬産も始め、米国の名馬産家ジェームズ・ロバート・キーン氏から買い取った馬の一部を自身の牧場に繋養していた。その中には名種牡馬ブラックトニーもおり、ブラッドリー大佐の馬産に大きく貢献していた。

しかしブラッドリー大佐の馬産家としての最大の功績は、本馬を購入した事であると後世になって言われるのだが、この時点では誰もそんな未来を予想してはいなかった。そのため、大西洋を渡ってアイドルアワーストックファームに到着した本馬が5歳時に産んだ初子のゲインズボロー牝駒は、体質が弱かったため、可哀想に名前も付けられないまま処分されてしまった。これは後にアイドルアワーストックファームの牧場長オーリン・ジェントリー氏をして「私達が過去に行った最悪の行為だった」と大いに後悔させた痛恨事だった。もしゲインズボローと本馬を両親に持つこの初子が繁殖入りしていたら、後世の世界競馬界は全く違った展開を見せたかもしれない。

繁殖牝馬として大成功を収める

本馬は翌6歳時に2番子の牝駒ブラックヘレン(父ブラックトニー)を産んだ。ブラックヘレンは成長しても体高15ハンド足らず、競走馬としての全盛期における馬体重はせいぜい900ポンド(約410kg)という貧相な馬であり、下手をすれば本馬の初子同様に処分されても不思議ではなかったのだが、いざ競馬場に出ると大活躍。その貧相な馬体が嫌われて2歳戦の主要ステークス競走には登録が無かったが、2歳時に9戦して7勝をマーク。3歳時にはフロリダダービー・CCAオークス・アメリカンダービー・メリーランドHなどを勝って米最優秀3歳牝馬に選出。通算成績22戦15勝で、後に米国顕彰馬にも選ばれるほどの名牝となった(詳細は当馬の項を参照)。本馬の繁殖牝馬としての名声を大きく高めた最初の功労馬となったブラックヘレンは、繁殖入り後にさらにその名声に拍車をかけてくれる事になるが、それに関しては後述する事にする。

本馬の7歳時は不受胎で、8歳時に3番子の牡駒バイオロジスト(父バブリングオーヴァー)を産んだ。バイオロジストは現役成績41戦3勝、主な勝ち鞍はオールバニHだった。

9歳時に4番子の牝駒ベビーリーグ(父バブリングオーヴァー)を産んだ。ベビーリーグは現役成績11戦1勝だったが、後述するように繁殖牝馬として本馬の牝系を大きく繁栄させた。

10歳時に5番子の牝駒ビッグハリー(父ブラックトニー)を産んだ。ビッグハリーは現役成績12戦4勝で、セリマSを勝利した。ビッグハリーも後述するように繁殖牝馬として大きな成功を収め、本馬の牝系の発展に絶大な貢献を果たした。

11歳時に6番子の牡駒バイムレック(父ブラックトニー)を産んだ。バイムレックは現役成績15戦11勝。2歳時にサラトガスペシャルS・ホープフルS・ベルモントフューチュリティS・ピムリコフューチュリティなど6戦全勝の成績で米最優秀2歳牡馬に選ばれ、3歳時にもプリークネスS・ベルモントS・ブルーグラスS・ダービートライアルSなどを勝って米最優秀3歳牡馬に選ばれた。本馬の直子では最高の競走成績を収めた馬で、種牡馬としても活躍し、後に米国顕彰馬にも選ばれている(詳細は当馬の項を参照)。バイムレックの活躍により本馬の繁殖牝馬としての地位は不動のものになった。

12歳時に7番子の牝駒ビッグイベント(父ブルーラークスパー)を産んだ。ビッグイベントは現役成績9戦2勝、セリマSで2着に入った。ビッグイベントの牝系子孫はブラックヘレン、ベビーリーグ、ビッグハリーの3頭ほど繁栄はしなかったが、それでも後述するように後世に大きな影響力を与えた。

13歳時に8番子の牝駒ビジネスライク(父ブルーラークスパー)を産んだ。ビジネスライクは現役成績2戦未勝利だったが、これまた後述するように繁殖牝馬として成功し、後世に絶大な影響力を有することになる。なお、本馬がビジネスライクを産む前の有名な逸話として以下のような話が伝わっている(本馬を紹介している海外のどの資料にも明記されているから事実のようである)。1938年11月のある日の夜、アイドルアワーストックファームを嵐が襲った。雷を伴う激しい風雨に怯えた本馬は思わず牧場内を走り出したが、右目を患っていた本馬は前方が良く見えなかったために、木に衝突して右肩に重傷を負ってしまった。獣医は予後不良と診断して安楽死を勧めたが、ブラッドリー大佐は「彼女のような馬を手に入れる事は二度とないでしょう」と首を縦に振らず治療を開始。ブラッドリー大佐が資金と人員を惜しまず注ぎ込んだ事が功を奏して、本馬は一命を取り留めて無事にビジネスライクを出産したという事である。ちなみに本馬はアイドルアワーストックファームに来た数年後に眼病を患っており、ビジネスライクを身篭っていた時期には既に右目は殆ど見えない状態になっていたそうである。また、本馬はこの事故のために右肩の皮膚と筋肉がざっくりと削ぎ落とされてしまい、負傷が癒えた後も肩甲骨が浮き出ているような状態だったため、その後の本馬を写真に撮る際には必ず左側からカメラを向けるようになったと言われている。

さて、本馬は14歳時に9番子の牝駒ビシージド(父バラディア)を産んだ。ビシージドは現役成績4戦1勝で、繁殖牝馬としても成功はしなかった。

15歳時に10番子の牡駒ブロークイーブン(父ブルーラークスパー)を産んだ。ブロークイーブンは現役成績44戦11勝でステークス競走勝ちは無かった。

16歳時に11番子の牡駒バックヤード(父バラディア)を産んだ。バックヤードは不出走に終わった。

17歳時は不受胎で、18歳時に12番子の牝駒ビーアンマック(父ブルーラークスパー)を産んだ。ビーアンマックは現役成績13戦2勝、セリマSを勝利したが、繁殖牝馬としては成功しなかった。

19歳時に13番子の牝駒ベルヒストワール(父ブルーラークスパー)を産んだ。ベルヒストワールは現役成績3戦未勝利だったが、後述するように繁殖牝馬としては活躍した。

20歳時の1946年は不受胎で産駒はいなかった。この1946年8月にブラッドリー大佐は86歳で死去し、アイドルアワーストックファームに繋養されていた馬は全て11月のセリに出されて売却された。アイドルアワーストックファームも分割売買されて、大半はジョン・W・ガルブレイス氏に購入されて現在のダービーダンファームになった。そして本馬は、クレイボーンファームのオグデン・フィップス氏、グリーンツリーファームのジョン・ヘイ・ホイットニー氏、キングランチ牧場のリチャード・クレベルク氏という米国屈指の牧場主3者の共同所有馬となり、グリーンツリーファームに移り住んだ。

そして翌21歳時に14番子の牝駒ベルオブトロイ(父ブルーラークスパー)を産んだ。ベルオブトロイは不出走だったが、後述するように繁殖牝馬として活躍した。

本馬は、ベルオブトロイを産んだ時点で繁殖牝馬引退が検討されたが、ホイットニー一家が1頭だけでも本馬の子を生産したいと望んだため、この年シャットアウトと交配され、翌22歳時に15番子の牡駒トロイアンウォーを産んだ。トロイアンウォーは60戦以上したが2勝に終わった。

トロイアンウォーを産んだ本馬は、ここで繁殖牝馬を引退した。そして以降はグリーンツリーファームで余生を送った。余生を過ごす本馬の元には、偉大なる繁殖牝馬を一目見たいと願う人々の訪問が絶えなかったという。1954年1月に老衰のためグリーンツリーファームにおいて28歳で他界した。本馬の馬名は仏語で「トロイの娘」という意味で、母エレーヌドトロワの馬名が「トロイのヘレネ(ギリシア神話に登場する絶世の美女で、彼女を争ってトロイア戦争が勃発したとされる)」である事に由来する。

血統

Teddy Ajax Flying Fox Orme Ormonde
Angelica
Vampire Galopin
Irony
Amie Clamart Saumur
Princess Catherine
Alice Wellingtonia
Asta
Rondeau Bay Ronald Hampton Lord Clifden
Lady Langden
Black Duchess Galliard
Black Corrie
Doremi Bend Or Doncaster
Rouge Rose
Lady Emily  Macaroni
May Queen
Helene de Troie Helicon Cyllene Bona Vista Bend Or
Vista
Arcadia Isonomy
Distant Shore
Vain Duchess Isinglass Isonomy
Dead Lock
Sweet Duchess Hagioscope
Grand Duchess
Lady of Pedigree St. Denis St. Simon Galopin
St. Angela
Brooch Blue-Green
Ornament
Doxa Melton Master Kildare
Violet Melrose
Paradoxical Timothy
Inchbonny

テディは当馬の項を参照。

母エレーヌドトロワの競走成績や血統背景については前述のとおりだが、本馬を産んだ後に、テディ直子アステリューとの間に仏オークス馬アダルガティスを産んでいる。アダルガティスはブサック氏の元で繁殖入りし、アダリス【ドーヴィル大賞】、アルダン【凱旋門賞・仏ダービー・サンクルー大賞・コロネーションC・リュパン賞・ロベールパパン賞・グレフュール賞・オカール賞・ケルゴルレイ賞2回】、ガバドール(新国と日本で種牡馬入り)、パーダル【プリンセスオブウェールズS・ジョッキークラブS】などを産んだ。アダルガティスの牝系子孫も、ケンタッキーダービー馬スペンドアバックが出るなどそれなりに発展しているが、本馬の牝系の発展度には遠く及ばない。→牝系:F1号族②

母父ヘリコンはサイリーン直子だが、主な勝ち鞍がヘイスティングスプレート・ノースダービーという地味な競走馬で、種牡馬としても大きな成功は収めなかった。しかし本馬の母父となった事で、サラブレッド血統界にその名を刻む事になった。

後世に与えた影響

本馬は生涯で14頭の子を産み、そのうち12頭が競走馬となり、うち10頭が勝ち上がり、うち5頭がステークスウイナーとなり、うち2頭が米国顕彰馬となった。これだけでも繁殖牝馬としても大きな成功を収めたと言える本馬だが、本馬の名を不朽のものとしたのは、その牝系子孫から凄まじいまでの数の活躍馬が出たためである。以下にその主だった馬を並べ立てるが、非常に数が多いので覚悟してほしい。

まず、本馬の代表産駒の1頭である2番子ブラックヘレンの牝系子孫からは、孫世代に1947年の米最優秀3歳牝馬及びハンデ牝馬に選ばれたバットホワイノット【エイコーンS・アーリントンクラシックS・アラバマS・アーリントンメイトロンH・ベルデイムH・トップフライトH】とリニュー【トップフライトH】の姉妹、それに米国顕彰馬に選ばれた名障害競走馬オイディプス【米グランドナショナル】が、玄孫世代以降に、米国顕彰馬プリンセスルーニー【BCディスタフ(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)・ケンタッキーオークス(米GⅠ)・ヴァニティ招待H(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)】、プレザントタップ【サバーバンH(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)】、ゴーフォージン【ケンタッキーダービー(米GⅠ)】、バイキングフラッグシップ【クイーンマザーチャンピオンチェイス(英GⅠ)2回・ティングルクリークチェイス(英GⅠ)・メリングチェイス(英GⅠ)2回】、フラッグシップユベラルズ【クイーンマザーチャンピオンチェイス(英GⅠ)・ティングルクリークチェイス(英GⅠ)3回・パンチェスタウンチャンピオンチェイス(愛GⅠ)】、レーシングトゥウィン【ジョージライダーS(豪GⅠ)・ドンカスターマイル(豪GⅠ)・ジョージメインS(豪GⅠ)・AJCエプソムH(豪GⅠ)・オールエイジドS(豪GⅠ)】、日本で走ったカネショウスーパー【川崎記念】、テイエムプリキュア【阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)】などが出ている。

4番子ベビーリーグの牝系子孫からは、子世代に米国顕彰馬ブッシャー【メイトロンS・セリマS・サンタマルガリータ招待H・アーリントンH・ハリウッドダービー・ヴァニティH】とハーモナイジング【マンノウォーS】の姉弟が、孫世代にジェットアクション【ウィザーズS】、グラマー【テストS】、本邦輸入種牡馬ヒッティングアウェー【ウィザーズS・ドワイヤーH・バーナードバルークH】、バターアップ【ソロリティS】が、曾孫世代にポーカー(シアトルスルーの母父)、ボールドアンドブレーヴ【ジェロームH】、ブッチャー【英セントレジャー(英GⅠ)】、ランドスケーパー【センチュリーH(米GⅠ)】、エファヴェシング【マンノウォーS(米GⅠ)】、オブラツォヴィ【サンフアンカピストラーノ招待H(米GⅠ)】が、玄孫世代以降に、1971年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬ナンバードアカウント【スピナウェイS・メイトロンS・フリゼットS・セリマS・プライオレスS・テストS・マスケットH・マッチメイカーS・スピンスターS】、プライヴェートアカウント【ワイドナーH(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)】、名種牡馬ウッドマンアサティス【伊ジョッキークラブ大賞(伊GⅠ)】、1989年のエクリプス賞最優秀2歳牡馬リズム【BCジュヴェナイル(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)】、プロスペクターズディライト【アッシュランドS(米GⅠ)・エイコーンS(米GⅠ)】、トミシューズディライト【ラフィアンH(米GⅠ)・パーソナルエンスンH(米GⅠ)】、リダットーレ【ブラジル共和国大統領大賞(伯GⅠ)・エディリードH(米GⅠ)・シューメーカーマイルS(米GⅠ)】、ヘリテージオブゴールド【アップルブロッサムH(米GⅠ)・ゴーフォーワンドH(米GⅠ)】、2003年のエクリプス賞年度代表馬マインシャフト【ピムリコスペシャルH(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)】、2004年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬スマーティジョーンズ【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・プリークネスS(米GⅠ)】、2006年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬フリートインディアン【パーソナルエンスンS(米GⅠ)・ベルデイムS(米GⅠ)】、シェイクスピア【ジョーハーシュターフクラシック招待S(米GⅠ)・ウッドバインマイル(加GⅠ)】、2005年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬フォークロア【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ)】、スーパーセイヴァー【ケンタッキーダービー(米GⅠ)】、パーフェクトシャール【BCフィリー&メアターフ(米GⅠ)】、日本で走った中央競馬最優秀五歳以上牝馬2回のダイナアクトレス、2006年の中央競馬最優秀障害馬マルカラスカル【中山大障害(JGⅠ)・中山グランドジャンプ(JGⅠ)】、2008年の中央競馬最優秀4歳以上牡馬スクリーンヒーロー【ジャパンC(GⅠ)】などが出ている。

5番子ビッグハリーの牝系子孫からは、子世代に1946年の米最優秀3歳牝馬ブライダルフラワー【デラウェアH・ガゼルH・ベルデイムH】、グレートキャプテン【サラトガC・サンマルコスH】、米国顕彰馬サーチング【ダイアナH2回・マスケットH・トップフライトH】が、孫世代に米国顕彰馬アフェクショネイトリー【ソロリティS・スピナウェイS・ヴォスバーグS・トップフライトH】、プライスレスジェム【ベルモントフューチュリティS・フリゼットS】、1967年の米最優秀ハンデ牝馬ストレートディール【ハリウッドオークス・レディーズH・サンタマルガリータ招待H・サンタバーバラH・トップフライトH・デラウェアH・スピンスターS】、マーキングタイム【エイコーンS】が、曾孫世代にリーガルグルーム【フリゼットS・セリマS】、1970年の米年度代表馬パーソナリティ【プリークネスS・ウッドメモリアルS・ジムダンディS・ウッドワードS】、トゥルーナイト【ジェロームH・エイモリーLハスケルH(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)】、仏国競馬史上最強牝馬アレフランス【凱旋門賞(仏GⅠ)・クリテリウムデプーリッシュ(仏GⅠ)・仏1000ギニー(仏GⅠ)・仏オークス(仏GⅠ)・ヴェルメイユ賞(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)2回・イスパーン賞(仏GⅠ)】、ディザイアリー【サンタバーバラH(米GⅠ)】、1981年のエクリプス賞最優秀古馬牝馬リラクシング【デラウェアH(米GⅠ)・ラフィアンH(米GⅠ)】が、玄孫世代以降に、日本の名種牡馬モガミ、ヒーローズオナー【ボーリンググリーンH(米GⅠ)・ユナイテッドネーションズH(米GⅠ)】、アドード【サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・デラウェアH(米GⅠ)】、名種牡馬カーリアン【仏ダービー(仏GⅠ)・ベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ)】、ヴィジョン【セクレタリアトS(米GⅠ)】、米国顕彰馬イージーゴア【ベルモントS(米GⅠ)・カウディンS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・ウッドメモリアルS(米GⅠ)・ホイットニーH(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)・ジョッキークラブ金杯(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)】、テュルジオン【愛セントレジャー(愛GⅠ)・ロワイヤルオーク賞(仏GⅠ)】、ティッカネン【BCターフ(米GⅠ)・ターフクラシック招待S(米GⅠ)】、ゾーマン【イスパーン賞(仏GⅠ)・バドワイザー国際S(米GⅠ)】、ライトライト【ラスヴァージネスS(米GⅠ)・サンタアニタオークス(米GⅠ)・ケンタッキーオークス(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)】、スキャン【ジェロームH(米GⅠ)・ペガサスH(米GⅠ)】、スカフルバーグ【ペガサスH(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)】、シーヒーロー【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・トラヴァーズS(米GⅠ)】、2001年のカルティエ賞最優秀短距離馬モーツァルト【ジュライC(英GⅠ)・ナンソープS(英GⅠ)】、デンジャラスミッジ【BCターフ(米GⅠ)】、ジュディザビューティ【BCフィリー&メアスプリント(米GⅠ)・マディソンS(米GⅠ)】、日本で走った1992年の中央競馬最優秀五歳以上牡馬メジロパーマー【宝塚記念(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)】、サマリーズ【全日本2歳優駿(GⅠ)】などが出ている。

7番子ビッグイベントの牝系子孫からは、孫世代に本邦輸入繁殖牝馬スヰートとフランシスエス【ウッドメモリアルS・ドワイヤーH】の姉弟、ジアクス【サンルイレイS・加国際CSS・マンノウォーS】が、曾孫世代にメジロアサマ【天皇賞秋】、玄孫世代以降にロングラン【チェルトナム金杯(英GⅠ)・キングジョージⅥ世チェイス(英GⅠ)2回・カンバセール賞(仏GⅠ)・モーリスジロワ賞(仏GⅠ)】が出ており、牝系子孫ではないがメジロアサマからメジロティターン、メジロマックイーンへと血が受け継がれた。

8番子ビジネスライクの牝系子孫からは、子世代にブサンダ【アラバマS・デラウェアH・サバーバンH・トップフライトH・ダイアナH】が、孫世代にビューロクラシー【ドワイヤーH】、ビュパーズ【ベルモントフューチュリティS】、米国顕彰馬バックパサー【サプリングS・ホープフルS・アーリントンワシントンフューチュリティ・シャンペンS・フラミンゴS・アーリントンクラシックS・ブルックリンH・アメリカンダービー・トラヴァーズS・ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯・マリブS・サンフェルナンドS・メトロポリタンH・サバーバンH】が、曾孫世代にポリッシュネイビー【カウディンS(米GⅠ)・シャンペンS(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)】が、玄孫世代以降に、1984年のエクリプス賞最優秀2歳牝馬アウトスタンディングリー【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・ハリウッドスターレットS(米GⅠ)】、1993年のエクリプス賞最優秀3歳牡馬騙馬プレイリーバイユー【プリークネスS(米GⅠ)】などが出ている。

13番子ベルヒストワールの牝系子孫からは、子世代にロイヤルレコード【セネカH・ボーリンググリーンH】が、曾孫世代にオートバイオグラフィー【サンフェルナンドS・ジョッキークラブ金杯】が、玄孫世代以降にテハノ【アーリントンワシントンフューチュリティ(米GⅠ)・カウディンS(米GⅠ)・ハリウッドフューチュリティ(米GⅠ)】、ブライトスカイ【仏オークス(仏GⅠ)・オペラ賞(仏GⅠ)】などが出ている。

14番子ベルオブトロイの牝系子孫からは、子世代にコーホーズ【ブルックリンH・ホイットニーH】が、曾孫世代にベイルアウトペッキー【デルマーオークス(米GⅠ)】が、玄孫世代以降にスーパーダイヤモンド【ハリウッド金杯(米GⅠ)・サンアントニオH(米GⅠ)】、カットラスリアリティ【カリフォルニアンS(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)】、ステファニーズキトゥン【アルキビアデスS(米GⅠ)・ジャストアゲームS(米GⅠ)・フラワーボウルS(米GⅠ)】などが出ている。

本馬から派生した牝系は主に米国で発展しているが、米国のみならず全世界に広まっている。本馬の牝系から出現したステークスウイナーは優に800頭を超えていると言われ、1000頭を突破する日も遠い日の事ではないだろう(もしかしたら既に突破しているかもしれない)。

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