デュークオブマジェンタ

和名:デュークオブマジェンタ

英名:Duke of Magenta

1875年生

鹿毛

父:レキシントン

母:マジェンタ

母父:ヨークシャー

プリークネスS・ベルモントS・トラヴァーズSなど当時の米国3歳牡馬の主要競走全てを制覇したレキシントン最晩年の産駒で最高傑作の誉れ高き名馬

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績19戦15勝2着3回3着1回

米国の大種牡馬レキシントンの最晩年の産駒の1頭であり、19世紀米国競馬最終四半期における最高の名馬の1頭にも数えられており、レキシントン最良の産駒とされている。

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州レキシントン近郊のウッドバーンスタッドにおいて生産された。体高は16ハンドと当時としては大きめの馬体の持ち主だった。ニューヨークのタバコ会社の社長ジョージ・L・ロリラード氏の所有馬となり、ロバート・ウィンダム・ウォルデン調教師に預けられた。

競走生活(3歳前半まで)

2歳7月にサラトガ競馬場で行われたフラッシュS(D4F)でデビューしてデビュー戦勝利を飾った。その後は3連敗してしまったが、どのレースでも2着には入る堅実さを見せた。この3連敗のうちの1戦であるサラトガSでは、2歳時にヤングアメリカS・サラトガC・ブライトンC・モンマスCなどを勝つ事になる後の好敵手の1頭ブランブルの2着だった。シーズン終盤はグリンステッドS・ナーサリーS・セントラルSと3連勝して、2歳時を7戦4勝2着3回の成績で終えた。グリンステッドSは、後に好敵手となるスパルタンとの同着勝利だった。

3歳時は当初から次々に勝ち星を積み重ねていった。まずは3頭立てとなったプリークネスS(D12F)を勝利。さらにウィザーズS(D8F)では、前年のサラトガSで屈した相手であるブランブルを2着に破って勝利した。さらにベルモントS(D12F)でも、泥だらけの不良馬場などお構いなしに、ブランブルを2着に、スパルタンを3着に破って勝利を収め、3歳時は3連勝スタートとなった。4連勝を狙ったジャージーダービー(D12F)では急な発熱が影響して、ベルモントSで3着だったスパルタン、ウィザーズSで3着だったダニシェフの2頭に敗れて、スパルタンの3着最下位に終わった。3週間後のトラヴァーズS(D14F)では、スパルタンに1番人気を奪われたが、既に体調が回復していた本馬が、真の王者が誰なのかを見せ付けるように、ブランブルを2着に、スパルタンを3着に破って勝利した。

競走生活(3歳後半以降)

その後は重馬場や斤量などの条件は関係なくステークス競走に出まくり、どれも圧倒的な1番人気に応えて勝ち続けた。8月のシークエルS(D14F)では、牝馬ボニーウッドを2着に、この年のレディーズHを勝つ牝馬インヴァーモアを3着に破って勝利。ケナーS(D16F)では、またしてもブランブルを2着に、スパルタンを3着に破って勝利した。ハーディングS(D12F:後にユナイテッドステーツホテルSと改名されて2歳戦となっている)では、唯一の対戦相手ヘルムズマンを一蹴して勝利。その後は9月の短い休養を経て、10月のジェロームS(D14F)で復帰。スパルタンを2着に破って勝利した。さらにアニュアルスウィープSを勝つと、ディキシーS(D16F)ではボニーウッドを2着に、スパルタンを3着に破って勝利した。そしてブレッケンリッジSも勝ち、トラヴァーズSから始まった連勝を8に伸ばした。

3歳シーズンも終盤に差し掛かったこの時期、本馬の馬主ロリラード氏は本馬を英国で走らせる事を企図し、英国にいた兄弟のピエール・ロリラード氏に本馬を売却した。そして3歳時を12戦11勝の成績で終えた本馬は、翌4歳時に米国から船に乗って英国に旅立った。ところが船旅の途中で気分が悪くなり、そのまま米国に引き返した(船酔いではなく、馬インフルエンザであったという)。この時、本馬の帯同馬の予定だったが結局単独で英国に渡ったパロールは英国でニューマーケットH・シティ&サバーバンH・グレートメトロポリタンH・エプソム金杯を勝つ活躍を見せている(後に米国顕彰馬にも選出)のに対し、本馬はその後に再度レースに出る事は無く、そのまま競走馬を引退した。ただし、4歳10月には前年に勝利したジェロームHのレース当日にジェロームパーク競馬場に姿を現し、観衆の前でパレードを行っている。

なお、プリークネスS・ウィザーズS・ベルモントS・トラヴァーズSの4競走を全て制した馬は、本馬以外には1920年のマンノウォーと1953年のネイティヴダンサーの2頭のみである。このうちレース価値が後に下落したウィザーズSを除く3競走を全て制した馬に対象を広げても、本馬を含む上記3頭の他には、1880年のグレナダ、1941年のワーラウェイ、1967年のダマスカス、2001年のポイントギヴンのみである(2015年のアメリカンファラオはトラヴァーズSで2着に負けて達成できなかった)。なお、ケンタッキーダービーはウィザーズSを含む上記4競走より創設が僅かに遅かった上に、当時の米国競馬の中心地ニューヨーク州から遠く離れたケンタッキー州におけるローカル競走扱いだったため、本馬の時代にはレース自体はあったものの格は明らかに上記4競走より一枚落ちであり、ニューヨークを主戦場とする本馬がわざわざ出向くような価値は無かったようである。

本馬は“Racing in America”の中において「その当時における最高の競走馬であり、レキシントン産駒の中でも最も強かった」と評されている。

血統

Lexington Boston Timoleon Sir Archy Diomed
Castianira
Saltram Mare Saltram
Symes Wildair Mare 
Sister to Tuckahoe Ball's Florizel Diomed
Atkinsons Shark Mare
Alderman Mare Alderman 
Clockfast Mare
Alice Carneal Sarpedon Emilius Orville
Emily
Icaria The Flyer
Parma
Rowena Sumpter Sir Archy
Robin Redbreast Mare
Lady Grey Robin Grey
Maria 
Magenta Yorkshire St. Nicholas Emilius Orville
Emily
Sea Mew Scud
Goosander
Miss Rose Tramp Dick Andrews
Gohanna Mare
Sancho Mare Sancho
Coriander Mare
Miriam Glencoe Sultan Selim
Bacchante
Trampoline Tramp
Web
Minerva Anderson Luzborough Williamson's Ditto
Dick Andrews Mare
Sir Charles Mare Sir Charles
Brimmer Quarter Mare

レキシントンは当馬の項を参照。

母マジェンタは競走馬としての経歴は良く分からない。本馬以外には特筆できる産駒はいない模様であるが、本馬の全姉クイーンヴィクトリアの子にアルバート【シャンペンS】がいる。

マジェンタの半弟にはマーリル(父レキシントン)【トラヴァーズS】、半妹にはネシーヘイル(父レキシントン)【ケンタッキーオークス】がいる。また、マジェンタの半妹ミランダ(父レキシントン)の子にはケアリー【トラヴァーズS】、孫にはグリゼット【スピナウェイS・アラバマS】、曾孫にはエッタ【ケンタッキーオークス】がいる。また、マジェンタの半妹マモナ(父ソブリン)の牝系子孫にプリオン【サプリングS・ブルーグラスS・ホイットニーH】、サザントゥルース【サンタマルガリータ招待H(米GⅠ)・サンタモニカH(米GⅠ)】などがいるが、米国においても現在は殆ど見かけない牝系となっている。→牝系:A11号族

母父ヨークシャーは英国産馬で、米国で種牡馬として供用されているが、競走馬としてのキャリアは不明である。ヨークシャーの父セントニコラスはエミリウス産駒で、現役成績は5戦2勝。英セントレジャーにも出走しているが着外に終わっている。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は種牡馬入りしたが、種牡馬としてはベルモントSの勝ち馬エリックを出した程度に終わった。1899年9月にマサチューセッツ州の牧場において24歳で他界した。2011年に米国競馬の殿堂入りを果たした。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1886

Eric

ベルモントS

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