ポーニーズ

和名:ポーニーズ

英名:Pawneese

1973年生

鹿毛

父:カルヴァン

母:プレンシア

母父:ルアール

20世紀以降では史上唯一の英オークス・仏オークスのダブル制覇を達成したばかりかキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSも勝利する

競走成績:2・3歳時に仏英で走り通算成績10戦6勝2着1回

誕生からデビュー前まで

画商で馬主でもあったダニエル・ウィルデンシュタイン氏が設立した馬産団体デイトン・インヴェストメント社により生産された愛国産馬である。馬主はウィルデンシュタイン氏で、管理調教師はアルゼンチン産まれで南米・欧州・米国を股にかけて活躍したサー・アンヘル・A・ペンナ師であった。

競走生活(3歳前半まで)

2歳時に仏国でデビューしているが、2歳戦ではデビュー戦2着、2戦目4着の2戦未勝利に終わっている。3歳3月にサンクルー競馬場で出走したカマルゴ賞を、2着アンパラティンに頭差で制して何とか勝ち上がったが、この時点では特に目立つ馬では無かった。しかし同月末のペネロープ賞(仏GⅢ・T2100m)では、2着ラブリエストに2馬身差で勝利を収めた。

5月に出たクレオパトル賞(仏GⅢ・T2100m)では、2着エリーズマベルに2馬身半差で勝利した。このエリーズマベルという馬は、前月のヴァントー賞でクリテリウムデプーリッシュの勝ち馬テイアの頭差2着していた馬であり、これで本馬も注目される存在となった。

その後は仏オークスへと直行かと思われたが、その前に渡英して英オークス(英GⅠ・T12F)に参戦した。主戦を務めていた名手イヴ・サンマルタン騎手が騎乗する本馬は、単勝オッズ2.2倍の1番人気に支持された。レースではスタートから果敢に先頭に立って馬群を引っ張り、そして先頭を維持したまま直線を向いた。後続馬の騎手達が鞭をふるって追い始める中、本馬鞍上のサンマルタン騎手はまだ持ったままであった。そして残り2ハロン地点でサンマルタン騎手が満を持して仕掛けると、一気に後続を引き離し、2着ロージズフォーザスターに5馬身差、3着アフリカンダンサーにはさらに4馬身差をつけて圧勝した。

その後は地元にとんぼ返りして、英オークスから9日後の仏オークス(仏GⅠ・T2100m)に出走した。このレースでは、仏1000ギニー・グロット賞の勝ち馬で、この年のサンタラリ賞やサンクルー大賞をも制する事になるリヴァークイーン(日本の名牝系である薔薇一族の祖ローザネイの祖母)との女傑対決となった。しかし本馬が2着リヴァークイーンに1馬身半差、3着ラギュネットにさらに3馬身差をつけて勝利。英オークスと仏オークスを両方勝ったのは、1864年のフィユドレール以来112年ぶり史上2頭目というとてつもない快挙で、本馬以降には1頭も達成していない。

競走生活(3歳後半)

その後は再度英国に渡り、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDS(英GⅠ・T12F)に挑戦。対戦相手は、仏ダービー・リュパン賞・グレフュール賞・ダリュー賞と4連勝中の仏国最強3歳牡馬ユース、愛ダービーを勝ってきた仏ダービー3着馬マラケート、前年の英セントレジャーを10馬身差で圧勝していたヨークシャーCの勝ち馬ブルーニ、伊ダービー・ジョッキークラブS・ハードウィックSなどの勝ち馬オレンジベイ、ドーヴィル大賞・ジャンドショードネイ賞の勝ち馬でコロネーションC・サンクルー大賞2着2回のアシュモア、プリンスオブウェールズSなどの勝ち馬で伊共和国大統領賞2着のレコードランなどだった。本馬は単勝オッズ3.25倍の1番人気に支持された。今回も本馬は果敢に先行策を採り、先頭で直線に入ってきた。そして二の脚を使って後続との差を広げにかかった。さすがにゴール前では脚色が衰えて後続に差を詰められたが、影を踏ませることは無く、2着ブルーニに1馬身差で優勝した。牝馬が同競走を勝ったのは1974年のダリア以来2年ぶり史上4頭目(ダリアは2回勝っているから5回目)で、3歳牝馬の勝利は1973年のダリア以来3年ぶり史上2頭目だった。また、本馬の次に仏国調教馬が同競走を勝つのは、24年後のモンジューを待たなければならなかった。

その後は2か月弱の休養を経て、秋はヴェルメイユ賞(仏GⅠ・T2400m)に出走した。しかし、仏オークスで本馬の3着に敗れた後に愛オークスを勝っていたラギュネット、愛1000ギニー・ヨークシャーオークスの勝ち馬サラシドンスといった面々に屈して、ラギュネットの7着に敗退してしまった。

次走の凱旋門賞(仏GⅠ・T2400m)では、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスDSで9着に終わるも前走ニエル賞を勝って立て直してきたユース、パリ大賞・ロワイヤルオーク賞など4連勝中のエクセラー、前走カンバーランドロッジSを5馬身差で勝ってきたブルーニ、英セントレジャー・ユジェーヌアダム賞の勝ち馬でベンソン&ヘッジズ金杯2着のクロウ、前年の仏1000ギニー・ヴェルメイユ賞の勝ち馬イヴァンジカ、リヴァークイーン、ラギュネットなどが対戦相手となった。しかし既にこの段階における本馬は夏時点とは別馬であり、直線で大きく失速して、イヴァンジカの11着に敗れた。このレースを最後に、3歳時8戦6勝の成績で競走馬を引退した。この年の英年度代表馬に選出されている。

なお、本馬の馬主・調教師・主戦騎手の組み合わせは、アレフランスと同じである。女傑ぶりもアレフランスに引けを取らないが、仏国外では勝ち星を挙げられなかったアレフランスとは異なり、本馬は仏国外でも活躍している。逆にアレフランスが得意としたロンシャン競馬場では2戦惨敗と対照的な結果となっている。また、レースぶりもアレフランスが後方からの末脚を得意としたのに対し、本馬は逃げ馬であった。白いシャドーロールをつけた本馬が先頭をひた走る姿は、現在に残るレース映像でもよく映えている。

血統

Carvin マリーノ Worden Wild Risk Rialto
Wild Violet
Sans Tares Sind
Tara
Buena Vista Orwell Gainsborough
Golden Hair
Anne de Bretagne Teddy
Our Liz
Coraline Fine Top Fine Art Artist's Proof
Finnoise
Toupie Vatellor
Tarentella
Copelina Loliondo Badruddin
Liebelei
Casserole Brantome
Bouillotte
Plencia Le Haar Vieux Manoir Brantome Blandford
Vitamine
Vieille Maison Finglas
Vieille Canaille
Mince Pie Teleferique Bacteriophage
Beaute de Neige
Cannelle Biribi
Armoise
Petite Saguenay Nordiste Norseman Umidwar
Tara
Berthe Biribi
Ziraleet
Ballynash Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Ballywellbroke Ballyferis
The Beggar

父カルヴァンは現役成績25戦3勝。勝利した著名なレースはクリテリウムドサンクルーくらいだが、モルニ賞とワシントンDC国際Sで2着、仏ダービー・ロワイヤルオーク賞で3着など距離不問の活躍を見せた。カルヴァンの父マリーノはガネー賞勝ちなど13戦4勝の競走成績。13歳時に日本に輸入され、日経賞の勝ち馬ダンケンジや鳴尾記念の勝ち馬マルブツウイナーなどを出した。マリーノの父ワードンはワイルドリスク産駒で現役成績21戦6勝。ワシントンDC国際S・ローマ賞・コンセイユミュニシパル賞を勝利しているが、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSは2年連続3着、凱旋門賞も3着だった。種牡馬としての成績は良好で、仏種牡馬ランキング上位の常連だった。

母プレンシアは3歳時のみ走り7戦2勝、エレヴァージ賞を勝っている。本馬の半妹パティア(父ドン)の子には サラトガン【テトラークS(愛GⅢ)】が、本馬の半妹ペトロリューズ(父ハビタット)【プリンセスエリザベスS(英GⅢ)】の子には、パンチュルブルー【ロングアイランドH(米GⅡ)】、プロヴァン【ウイリアムPキーンH(米GⅢ)】、パルメ【アンドレバボワン賞(仏GⅢ)】が、パンチュルブルーの子には1990年代欧州最強3歳馬パントレセレブル【凱旋門賞(仏GⅠ)・仏ダービー(仏GⅠ)・パリ大賞(仏GⅠ)】がいる。プレンシアの母プティトサグネの半兄には、いずれも日本で種牡馬として活躍したモンタヴァル【キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・ゴントービロン賞・ドラール賞】とムーティエ【ダリュー賞・オカール賞】の兄弟がいる。→牝系:F9号族③

母父ルアールはエクスビュリの項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、愛国で繁殖入りした。当初はウィルデンシュタイン氏の所有馬として繁殖生活を送ったようだが、後年にはクールモアスタッドで繁殖生活を送っている。しかし本馬は受胎率が悪かったようで、産駒は5頭しかいない。その内訳は、8歳時に産んだ牝駒ペリコール(父グレートネフュー)、12歳時に産んだ牝駒プレトレッセ(父ミルリーフ)、16歳時に産んだ牝駒ポーニーダンサー(父ダンシングブレーヴ)、19歳時に産んだ牝駒ポキプシー(父サドラーズウェルズ)、21歳時に産んだ牡駒パイロットインコマンド(父ロイヤルアカデミー)である。そして産駒達の競走成績は、ポキプシーが4戦して1勝を挙げたのが最高成績で、残りの4頭は全て不出走という惨憺たるものだった。1997年3月にクールモアスタッドにおいて24歳で他界した。

繁殖牝馬としては明らかに失敗に終わった本馬だが、牝系子孫は続いている。そしてポキプシーの曾孫から2014年のメルボルンC(日本から参戦したアドマイヤラクティが直後に命を落としたあのレースである)を制したプロテクショニスト【メルボルンC(豪GⅠ)・ハンザ賞(独GⅡ)・ケルゴルレイ賞(仏GⅡ)】が登場し、ようやく牝系子孫からGⅠ競走勝ち馬が出た。

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