クリミナルタイプ

和名:クリミナルタイプ

英名:Criminal Type

1985年生

栃栗

父:アリダー

母:クレプト

母父:ノーロバリー

4歳時までは平凡な馬だったが5歳時に突如覚醒してサンデーサイレンスとイージーゴアの2頭を連破してエクリプス賞年度代表馬に輝く

競走成績:2~5歳時に仏米で走り通算成績24戦10勝2着5回3着3回

誕生からデビュー前まで

米国ケンタッキー州の名門牧場カルメットファームの生産馬で、カルメットファームとヨーガン・K・アルネマン氏の共同所有馬となった。デビューは米国ではなく仏国だった。その理由は定かではないが、おそらく半兄アイソパッチや半姉エストラペイドが既に芝のGⅠ競走を勝利していた事が影響していると思われる。パトリック・ルイ・ビアンコーン調教師に預けられた。

競走生活(2~4歳時)

2歳8月にクレールフォンテーヌドーヴィル競馬場で行われたトライトンズ賞(T1600m)でデビューして、勝ったヒュメンの鼻差2着。それから3週間後にドーヴィル競馬場で行われたカーン賞(T1600m)を半馬身差で制して初勝利を挙げた。次走はシェーヌ賞(仏GⅢ・T1600m)となったが、勝った牝馬ハームレスアルバトロスから7馬身差の6着に敗退し、2歳時は3戦1勝の成績となった。

その後、約1年間の休養を経て3歳9月に復帰したが、シカンブル賞(T2400m)でハローコールダーの7馬身差5着、ルファビュルー賞(T2400m)でロボレの13馬身差8着と、2戦連続して最下位に敗れた。

結局仏国では5戦1勝の成績に留まり、翌4歳時にダレル・ウェイン・ルーカス厩舎へ転厩して米国に戻ってきた。4歳4月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走で米国移籍後初戦を迎えたが、オーサムバッドの3馬身1/4差3着に敗退。さらにサンタアニタパーク競馬場で行われた芝9ハロンの一般競走に出たが、ノーザンドラマの8馬身1/4差4着。ハリウッドパーク競馬場で出たダート8.5ハロンの一般競走も、1馬身半差の3着に敗れた。

夏場は休養に充て、10月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走で復帰すると、2着カボイとの着差は半馬身差ながら1着となり、移籍後初勝利を挙げた。しかしその後は、サンタアニタパーク競馬場で出たダート9ハロンの一般競走でセポイの頭差2着、同じくサンタアニタパーク競馬場で出たダート8ハロンの一般競走でも鼻差2着と続けて惜敗。ハリウッドパーク競馬場で出たダート8ハロンの一般競走も、3馬身1/4差の3着に敗れた。しかし4歳最後の出走となったハリウッドパーク競馬場ダート8ハロンの一般競走は5馬身差で圧勝。4歳時の成績は8戦2勝だった。

競走生活(5歳前半)

5歳時はまず1月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート8ハロンの一般競走に出て、2着スクリプトに1馬身1/4差で勝利。次走のサンパスカルH(米GⅡ・D8.5F)では、スワップスS・サンディエゴH・カブリロHの勝ち馬でサンタアニタダービー2着のライブリーワン、ミシガンマイル&ワンエイスH・ナショナルジョッキークラブH・エクワポイズマイル・カンタベリーカップH・ハロルドCラムザーシニアH・グッドウッドHの勝ち馬プレゼントバリュー、サンヴィンセントSの勝ち馬でサンタアニタH3着のスタイリッシュウイナーなどが対戦相手となったが、本馬が114ポンドという軽量にも恵まれて、2着ライブリーワンの追撃を半馬身差で退けて勝利した。なお、この勝利はカルメットファーム所有馬がサンタアニタパーク競馬場において挙げた35年ぶりのステークス競走勝利だったそうである。理由は1955年のサンタアニタマチュリティー(現ストラブS)においてカルメットファーム所有馬のミズクレメンティーンが1位入線しながらディターミンの2着に降着となった裁定に激怒したカルメットファーム側が長年に渡り所有馬をカリフォルニア州で走らせなかったためであるらしい。

次走のサンアントニオH(米GⅡ・D9F)では、前走3着だったプレゼントバリュー、同5着だったスタイリッシュウイナーに加えて、この年の本馬の好敵手となるルールマンも出走してきた。ルールマンは本馬と同じく米国産まれながら仏国でデビューしたが芽が出ずに2歳時に早々に米国に戻ってきていた馬で、既にマーヴィンルロイH・ジャマイカH・サンバーナーディノH・エルカミノリアルダービー・ネイティヴダイヴァーHを勝つなど西海岸の強豪として名を馳せていた。しかしレースでは本馬が2着スタイリッシュウイナーに1馬身差、3着ルールマンにはさらに6馬身半差をつけて勝利した。

続いて追加登録料を支払ってサンタアニタH(米GⅠ・D10F)に参戦した。対戦相手は、サンパスカルHから直行してきたライブリーワン、スタイリッシュウイナー、ルールマン、前走5着のプレゼントバリュー、サンフェルナンドS・チャールズHストラブSを連勝してきたフライングコンチネンタル、チャールズHストラブSで2着してきたクワイエットアメリカン、そして前年のBCディスタフを筆頭にサンタマルガリータ招待H・アップルブロッサムH・ミレイディH・ヴァニティH・ラフィアンH・スピンスターS・サンタマリアH・サンタマルガリータHなどを勝っていた亜国出身の名牝バヤコアなどだった。レースでは逃げると思われていたバヤコアを抑えてルールマンが逃げを打ち、そのまま逃げ切って勝利。ルールマンより2ポンド斤量が軽かった本馬だったが、直線で追い上げるも届かず、1馬身3/4差の2着に敗れた。

次走のサンバーナーディノH(米GⅡ・D9F)では、ルールマン、前走4着のライブリーワン、同6着のスタイリッシュウイナーなどとの対戦となった。そして今回もサンタアニタHと似たような展開となり、本馬より4ポンド斤量が重いルールマンが逃げ切り、本馬は2馬身差の2着に敗れた。

この後は東上してアーカンソー州オークローンパーク競馬場に向かい、オークローンH(米GⅠ・D9F)に出走。前年暮れに欧州から米国に移籍してきて前走レイザーバックHを勝っていた翌年のBCマイル勝ち馬オープニングヴァーズ、前年のジェロームHの勝ち馬ドローシュ、ドンHの勝ち馬でアーカンソーダービー2着のプライマル、アソールトHの勝ち馬シルヴァーサバイバーなどが対戦相手となった。ここでは、勝ったオープニングヴァーズから7馬身3/4差の4着と完敗した。

競走生活(5歳後半)

その後はさらに東上して、メリーランド州ピムリコ競馬場で行われたピムリコスペシャルH(米GⅠ・D9.5F)に出走。オープニングヴァーズ、オークローンHで2着だったドローシュ、オークローンH3着後にベンアリSで3着していたシルヴァーサバイバー、パンアメリカンH・メドウランズCH・ガルフストリームパークHとGⅠ競走で3勝を挙げていたミセレクト、そしてサンバーナーディノHから直行してきたルールマンなどが対戦相手となった。レースはルールマンが逃げて、初コンビを組んだホセ・サントス騎手が騎乗する本馬がそれを徹底マークして追いかけた。今回の斤量はルールマンより本馬のほうが6ポンド軽かった事もあり、ゴール前でルールマンを捕らえることに成功。2着ルールマンに首差をつけて、1分53秒0のコースレコードを計時して勝利を収め、GⅠ競走初勝利を挙げた。

そのままサントス騎手を主戦とした本馬は、その2週間後にはメトロポリタンH(米GⅠ・D8F)に出走した。このレースにおける最大の強敵は、ベルモントS・カウディンS・シャンペンS・ウッドメモリアルS・ホイットニーH・トラヴァーズS・ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯とGⅠ競走で8勝を挙げ、BCジュヴェナイル・ケンタッキーダービー・プリークネスS・BCクラシックで2着していた米国東海岸最強馬イージーゴアだった。イージーゴアはシーズン初戦のゴールドステージSを圧勝して臨んできており、127ポンドのトップハンデでも単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持されていた。対抗馬として指名されたのは、ハッチソンS・スウェイルS・ラファイエットS・ダービートライアルS・ウィザーズSなど8連勝で臨んできた3歳馬ハウスバスターで、114ポンドという軽量も評価されて単勝オッズ3倍の2番人気だった。斤量120ポンドの本馬は単勝オッズ9倍の3番人気だった。

スタートが切られると、ハウスバスターが逃げを打ち、単勝オッズ133倍の人気薄だったシェリダンS・コモンウェルスBCSの勝ち馬ブラックタイアフェアーが2番手、本馬が3番手を進み、イージーゴアは例によって後方を追走した。三角手前でブラックタイアフェアーが後退し、本馬がハウスバスターを追って2番手に上がった。さらに後方からイージーゴアも外側を通って上がってきて、先頭にハウスバスター、2番手に本馬、3番手にイージーゴアという位置取りで直線を向いた。ゴール前までハウスバスターが粘りに粘っていたが、最後に本馬が首差かわして優勝。イージーゴアは直線でいつもの伸びを欠き、ハウスバスターから1馬身半遅れて生涯最低着順の3着に敗れた。

この1か月後、米国西海岸に戻った本馬はハリウッド金杯(米GⅠ・D10F)に出走。このレースには、ピムリコスペシャルHから直行してきた好敵手ルールマン、同4着だったミセレクト、同5着だったオープニングヴァーズ、サンバーナーディノH3着後にカリフォルニアンSで2着してきたスタイリッシュウイナーだけでなく、前年にケンタッキーダービー・プリークネスS・BCクラシック・サンタアニタダービー・スーパーダービーを勝ってエクリプス賞年度代表馬に輝いた米国西海岸最強馬サンデーサイレンスも出走してきた。シーズン初戦のカリフォルニアンSを勝ってきたサンデーサイレンスが126ポンドのトップハンデながら単勝オッズ1.5倍の1番人気に支持され、123ポンドのルールマンも並んで1番人気、121ポンドの本馬が単勝オッズ3.4倍の3番人気となった。

レースは先行して直線で逃げ込みを図る本馬と、それを追いかけるサンデーサイレンスの一騎打ちとなった。これは前年にサンデーサイレンスとイージーゴアが大激戦を演じたプリークネスSを想起させると言われたほどの、ハリウッド金杯史上に残る名勝負となった。しかし闘争心抜群のサンデーサイレンスの追撃を、粘りに粘って封じた本馬が頭差で優勝した(サンデーサイレンスからさらに3馬身半差の3着にオープニングヴァーズが入り、ルールマンはさらに6馬身1/4差の5着だった)。なお、これがサンデーサイレンス現役最後のレースとなっている。

本馬はその後再び東海岸に向かい、ホイットニーH(米GⅠ・D9F)に出走。イージーゴアもサンデーサイレンスもルールマンも不在だったが、前年のBCスプリントを筆頭にサバーバンH・カーターH・トゥルーノースHなどを勝っていたダンシングスプリー、ハリウッド金杯6着後にブルックリンHで2着していたミセレクトといった実力馬が出走しており、126ポンドのトップハンデを課された本馬にとって決して楽なレースではなかった。しかし単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に支持された本馬が、2着ダンシングスプリーに1馬身半差をつけて完勝した。

次走のウッドワードS(米GⅠ・D9F)では、前年のBCジュヴェナイルと前走のトラヴァーズSを勝っていたエクリプス賞最優秀2歳牡馬リズム、NYRAマイルH・ルイジアナダービー・コーンハスカーH・カンタベリーカップHの勝ち馬でブルーグラスS・アメリカンダービー2着・スーパーダービー・BCスプリント3着のディスパーサル、サンタアニタH8着後にサンディエゴHを勝っていたクワイエットアメリカンなどが主な対戦相手だった。このウッドワードSは殆どの年において馬齢定量戦として行われていたのだが、稀にハンデ競走として施行された年もあり、この1990年は同競走がハンデ競走として実施された最後の年だった。そのために本馬には127ポンドのトップハンデが課せられた。さらに1年近くも休み無く走り続けてきた疲労が出たのか、結果はディスパーサルの4馬身3/4差6着と完敗してしまった。

その後はBCクラシックを目標に調整されていたが、調教中に左前脚に故障を発生したためにBCクラシック出走は成らず、5歳時11戦7勝の成績で現役を引退した。

この年のエクリプス賞年度代表馬のタイトルにおいては、BCディスタフのレース中に命を落とした名牝ゴーフォーワンド、ケンタッキーダービーとBCクラシックを制したアンブライドルドとの争いとなったが、サンデーサイレンスとイージーゴアの名馬2頭を破った印象が強烈だったのか、事前の予想を覆して年度代表馬は本馬の頭上に輝いた(日本では本馬とアンブライドルドの2頭によるタイトル争いだったように言われる場合が多いが、フロリダ州オカラで発行されているスターバンナー紙の記事によると、ゴーフォーワンドが本命視されていたようである)。また、同年のエクリプス賞最優秀古馬牡馬も受賞している。

馬名を直訳すると「犯罪の型式」であり、これは母クレプトの名前が「盗癖」を意味することに由来するようである(クレプトの馬名も「盗賊がいない」という意味の父ノーロバリーに由来すると思われる)。

血統

Alydar Raise a Native Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Raise You Case Ace Teddy
Sweetheart
Lady Glory American Flag
Beloved 
Sweet Tooth On-and-On Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Two Lea Bull Lea
Two Bob
Plum Cake Ponder Pensive
Miss Rushin
Real Delight Bull Lea
Blue Delight
Klepto No Robbery Swaps Khaled Hyperion
Eclair
Iron Reward Beau Pere
Iron Maiden
Bimlette Bimelech Black Toney
La Troienne
Bloodroot Blue Larkspur
Knockaney Bridge
Blue Blur Beau Gar Count Fleet Reigh Count
Quickly
Bellesoeur Beau Pere
Donatrice
Blue Grouse Vezzano Ortello
Volage
L'Oiseau Bleu Hairan
Lady Lark

アリダーは当馬の項を参照。

母クレプトは現役成績26戦11勝、ベッドオローゼズH(米GⅡ)・コレクションHの勝ち馬。繁殖牝馬としては極めて優秀で、本馬の半兄アイソパッチ(父レヴュワー)【エミリオトゥラティ賞(伊GⅠ)・ヴィトリオディカプア賞(伊GⅡ)・ピサ賞(伊GⅢ)・ナターレディローマ賞(伊GⅢ)・ネアルコ賞(伊GⅢ)】、1986年のエクリプス賞最優秀芝牝馬に選出された半姉エストラペイド(父ヴェイグリーノーブル)【アーリントンミリオン(米GⅠ)・サンタアナH(米GⅠ)・ゲイムリーH(米GⅠ)・イエローリボンS(米GⅠ)・オークツリー招待H(米GⅠ)・ラスパルマスH(米GⅡ)・ビヴァリーヒルズH(米GⅡ)・ラクープ(仏GⅢ)】を産んでいる。クレプトの曾祖母ロイスーブロイは、1944年の米年度代表馬に選ばれた名牝トワイライトティアー【エイコーンS・CCAオークス・アーリントンクラシックS・ピムリコスペシャル】の半妹であり、日本で走ったリンドシェーバー【朝日杯三歳S(GⅠ)】も同じ牝系。→牝系:F23号族②

母父ノーロバリーはスワップス直子で、ウッドメモリアルS勝ちなど8戦6勝の成績を残した。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、父アリダー(本馬が競走馬を引退した直後の1990年11月に他界)も繋養されていた生まれ故郷のカルメットファームで種牡馬入りした。しかし翌1991年7月にカルメットファームは破産。その後に日本に輸入された本馬は、1993年から日本で種牡馬供用された。サンデーサイレンスを破った馬という事で注目度は高く、初年度は64頭、2年目は69頭、3年目は75頭、4年目は68頭、5年目は55頭、6年目は73頭、7年目の1999年は67頭の繁殖牝馬を集めた。同年には全日本種牡馬ランキングで自身最高の35位に入った。しかし地道に走る産駒は多かったものの、目立つ活躍馬が出なかったために、2000年以降は交配数が激減。同年は10頭、9年目は3頭、10年目は6頭、11年目は5頭、12年目の2004年は2頭の交配数となり、同年に種牡馬を引退。2003年に発覚したファーディナンド屠殺事件の影響で数多くの本邦輸入種牡馬が米国に引き揚げたのをきっかけに、本馬も功労馬保護団体オールドフレンズに買い戻された。そして米国に戻りハーストランドファームで余生を過ごす予定だったが、その直前の2005年3月に繋養先の大塚牧場で胃破裂のため20歳で急死した。

なお、本馬は米国競馬名誉の殿堂入り選考においてしばしば候補に挙げられたが、最終候補に残った事は無いそうである。その理由として、本馬の父アリダーの死を巡るカルメットファームのスキャンダルにより、本馬の存在がかき消された事が挙げられている(この一件の詳細についてはアリダーの項を参照。なお、本馬がBCクラシックに参戦できなかったため、カルメットファームが期待していた同レースの高額賞金が得られなかった事もこのスキャンダルに影響しているとされているが、本馬自身には何の責任も無い話である)。しかし、筆者はその見解には異を唱えたい。確かにイージーゴアやサンデーサイレンスを撃破した本馬の実力は認める(この2頭に両方先着したのは本馬唯一頭である)が、2頭から明確なハンデを貰っての勝利であるし、GⅠ競走を4連勝したと言っても全てハンデ競走であり、トップハンデを背負って堂々と勝利したのはホイットニーHのみである。単純に米国競馬の殿堂入りを果たすほどの競走実績ではなかったと考えるのが妥当ではないだろうか。母父としてはトラヴァーズS勝ち馬テンモーストウォンテッドを出している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1992

Hoolie

ドワイヤーS(米GⅡ)

1992

Madame Adolphe

ネクストムーヴH(米GⅢ)

1994

エーブブレーン

新潟記念(新潟)・新潟グランプリ(新潟)

1997

オンワードメテオ

東京ハイジャンプ(JGⅡ)・新潟ジャンプS(JGⅢ)

1999

サキノテンリュウ

王冠賞(H2)

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