ソードダンサー

和名:ソードダンサー

英名:Sword Dancer

1956年生

栗毛

父:サングロー

母:ハイランドフライング

母父:バイジミニー

貧相な馬体ながらベルモントS・ウッドワードS2回などを制して米年度代表馬に選ばれた名馬は種牡馬としてダマスカスを出しテディの直系を発展させる

競走成績:2~4歳時に米で走り通算成績39戦15勝2着7回3着4回

誕生からデビュー前まで

米国ヴァージニア州ブルックミードステーブルの生産・所有馬である。ブルックミードステーブルの所有者イサベル・クレーヴズ・ダッジ・スローン女史は、デトロイトにあった自動車会社ダッジブラザーズ社の創設者一家の生まれで、結婚後に馬主活動を開始していた。しばらくして夫とは離婚したが、その後にブルックミードステーブルを購入して馬産活動を開始し、1934年にはケンタッキーダービー馬カヴァルケイドとプリークネスS勝ち馬ハイクエストの活躍により、女性として米国競馬史上初めて首位馬主になっていた。他にも、米グランドナショナルに2度勝利したヒズブーツなどを所有していた。

後にデイリーレーシングフォーム社のチャールズ・ハットン氏により「体重は軽くて走り方は軽快。走ることに一生懸命で喜びに充ちて走る」と評された本馬だが、体格の小ささは歴代米国チャンピオン級の馬の中でも屈指だった。本馬と並んで体高が低い米国の名馬としては、米国三冠馬アファームドが挙げられ、2頭とも3歳時の体高は15.3ハンドだった。しかし胴回り73.5インチ、肩から尻にかけての長さが48インチだったアファームドよりも、胴回り70インチ、肩から尻にかけての長さが44インチだった本馬のほうが一層小さく、はっきり言って貧相な体つきの馬だった。そのためにデビュー前はほとんど期待されていなかった。祖父や父の後を継いで開業したばかりの、ブルックミードステーブルの専属調教師ジョン・エリオット・バーチ師に預けられた。

競走生活(2歳時)

2歳2月にハイアリアパーク競馬場で行われたダート3ハロンの未勝利戦でデビュー。しかし6馬身半差の4着に敗れた。その後はしばらくレースに出ず、2戦目は6月にベルモントパーク競馬場で行われたダート5ハロンの未勝利戦だった。前走より少しはましになったかと思われたが、結果はこの年のナショナルスタリオンS・プレイリーステートS・トレモントS・ワシントンパークフューチュリティ・アーリントンフューチュリティを勝つことになるレストレスウインドから20馬身差をつけられた10着と大惨敗。このレースは不良馬場であり、以降も本馬は重馬場を不得手とすることになる。

次走のベルモントパーク競馬場ダート6ハロンの未勝利戦は、7馬身差の6着。7月に出たベルモントパーク競馬場ダート5.5ハロンの未勝利戦は、勝ち馬マチナルから3馬身差の4着。続くデラウェアパーク競馬場ダート5.5ハロンの未勝利戦は、2馬身半差の3着。続く同コースの未勝利戦は、勝ったカロリナジョイから1馬身半差の2着。8月に出たサラトガ競馬場ダート5.5ハロンの未勝利戦も、勝ったランディングから1馬身半差の2着。それでも徐々に勝ち馬との差を縮めてきた本馬は、8月下旬にサラトガ競馬場で出走したダート6ハロンの未勝利戦を2着タイムオフに1馬身3/4差で制して、8戦目にして念願の初勝利を挙げた。

次走は9月にアトランティックシティ競馬場で出走したワールズプレイグランドS(D7F)となったが、後のハイドパークS・クリスチアーナSの勝ち馬デモビリゼ、タイロSの勝ち馬でサプリングS・グランドユニオンホテルS2着のインテンショナリー、後のガヴァナーズ金杯の勝ち馬ペンボレロの3頭に屈して、勝ったデモビリゼから2馬身3/4差の4着に敗退。もっとも、本馬の単勝オッズは83倍だったから、人気に比べれば好走した部類には入るだろう。同月末に出たベルモントパーク競馬場ダート7ハロンの一般競走では不良馬場に泣いて、ホイストアウェイの2馬身1/4差3着に敗退。しかし10月に出たベルモントパーク競馬場ダート6ハロンの一般競走では、後のポーモノクHの勝ち馬サーサロンガを首差の2着に抑えて勝利。そして同月にサフォークダウンズ競馬場で出走したメイフラワーS(D8F70Y)では、カウディンS・グレートアメリカンS2着のアトールを4馬身半差の2着に破って完勝を収め、ステークス競走初勝利を挙げた。

次走のガーデンステートS(D8.5F)は本馬の苦手な不良馬場となったが、ジュヴェナイルS・グレートアメリカンS・サラトガスペシャルS・ホープフルS・シャンペンSなどを勝ちまくっていたファーストランディングと、デルマーフューチュリティ・チャールズSハワードS・スターレットS・ハギンSを勝っていた米国西海岸の強豪トミーリーの頭差接戦には及ばなかったものの、勝ったファーストランディングから2馬身差の3着と健闘。ワールズプレイグラウンドS2着後にベルモントフューチュリティSを勝ちシャンペンSで2着していたインテンショナリー(5着)には先着した。しかし次走レムセンS(D8.5F)では、アトール、ピムリコフューチュリティ2着馬リコテシオ、ブリーダーズフューチュリティ3着馬デリックの3頭に屈して、勝ったアトールから6馬身半差の4着と完敗。2歳時を14戦3勝の成績で終えた。

競走生活(3歳前半)

3歳当初に熱発を起こしたために、この年の初戦は3月にガルフストリームパーク競馬場で行われたハッチソンS(D6.5F)となったが、ここではチェリーヒルSの勝ち馬イージースパーの4馬身差5着に敗れた。このレース後に本馬は売りに出された。買い手がまだついていない状態で出走したポークシティパース(D8F70Y)を、2着ノーブルセルに2馬身差で勝利すると、本馬には17万5千ドルの値がついた。さらにはフロリダダービー(D9F)で、ファウンテンオブユースSも勝ってきたイージースパーの3/4馬身差2着と好走すると、20万ドルの値がついた。しかしこの2戦における本馬の急成長ぶりを見たスローン女史は本馬の売却を中止し、本馬はブルックミードステーブル名義のまま走ることになった。

ケンタッキーダービー馬の候補に名を連ねることになった本馬は、チャーチルダウンズ競馬場に向かうと、本番1週間前にダート7ハロンの一般競走に出走。ただの一般競走ではあったが、イージースパーに加えて、牝馬ながらにサンタアニタダービーを勝っていたデビュー以来6戦無敗のシルヴァースプーンが対戦相手となった。ここで初めてウィリアム・シューメーカー騎手とコンビを組んだ本馬は、イージースパーを1馬身差の2着に、シルヴァースプーンを3着に退けて勝利。

そして本番のケンタッキーダービー(D10F)を迎えた。対戦相手は、エヴァーグレーズS・分割競走ダービートライアルSを勝ってきた前年の米最優秀2歳牡馬ファーストランディング、サンヴィンセントS・サンフェリペH2着後に東上してブルーグラスSを勝ってきたトミーリー、アーリントンフューチュリティ・ブルーグラスS2着・ベルモントフューチュリティS3着のダンス、フラミンゴS・バハマズSの勝ち馬でファウンテンオブユースS2着のトロイラス、ウエストチェスターS・サンフェリペS・カリフォルニアダービーの勝ち馬でダービートライアルS2着のフィネガン、分割競走ダービートライアルSを勝ってきたフラミンゴS2着馬オープンビュー、デルマーフューチュリティ・サンタアニタダービー2着のロイヤルオービット、ダービートライアルS2着馬ジョンブルース、イージースパー、シルヴァースプーン、アトール、リコテシオなどだった。17戦13勝着外無しの戦績を誇ったファーストランディングが1番人気、トミーリーが2番人気で、本馬は6番人気止まりだった。シューメーカー騎手が先約のあったトミーリーに騎乗したため、本馬は初勝利を挙げた際に騎乗していたビル・ボランド騎手と2度目のコンビを組んだ。

スタートが切られると、本馬は一気に先頭を奪って馬群を先導。そして本馬の直後内側をトミーリーが追走してきた。シューメーカー騎手は前走で騎乗した本馬の素質を非常に評価しており、ここでトミーリーが負けるとしたら相手は本馬だろうと予め見越していたようである。本馬とトミーリーの2頭はそのまま先頭争いを続け、直線に入ると激しい叩き合いになった。しかし2年前の同競走でギャラントマンに騎乗してゴール板を誤認して敗れ、前年にはシルキーサリヴァンに騎乗して惨敗していたシューメーカー騎手の意地が僅かに上回ったのか、ゴール直前でトミーリーが僅かに前に出て勝利し、本馬は鼻差2着に惜敗した(2頭の馬体が直線で何度もぶつかったために、レース後にボランド騎手の申し立てにより審議が行われたが、17分間の審議の末に着順変更無しとなった)。しかし3着ファーストランディングには2馬身1/4差をつけており、同世代でも上位の能力を有することを証明してみせた。

次走のプリークネスS(D9.5F)では、レース間隔が近すぎるのを嫌った管理調教師フランク・チャイルズ師の意向によりトミーリーが米国西海岸に帰ってしまったため不在であり、対戦相手はファーストランディング、前走4着のロイヤルオービット、同7着のダンスなどだった。本馬の鞍上にはシューメーカー騎手の姿があった。しかし結果はロイヤルオービットが優勝し、本馬は4馬身差の2着に敗れた(1番人気のファーストランディングは9着に沈んだ)。

その後はベルモントSに直行せず、古馬相手のメトロポリタンH(D8F)に出走した。ガーデンステートS・アメリカンダービーの勝ち馬でウッドワードS2着のナディア、カーターH・グランドユニオンホテルSを勝っていたジンマーといった強力4歳馬勢が対戦相手となったが、本馬が2着ジンマーに3馬身1/4差をつけて完勝した。

そしてその2週間後に出走したベルモントS(D12F)では、ロイヤルオービットを抑えて1番人気に支持された。レースは生憎と本馬が苦手とする不良馬場となった。スタートが切られると、ラファイエットSの勝ち馬でピーターパンS2着・ウィザーズS3着のバグダッドが先頭を引っ張り、シューメーカー騎手鞍上の本馬や、エディ・アーキャロ騎手鞍上のピーターパンSの勝ち馬ブラックヒルズなどがそれを追走。しかし四角でブラックヒルズが馬場に脚を取られて転倒し、後続馬1頭を巻き込んで競走を中止。そのためにレースは先頭のバグダッドと、事故の影響を免れた本馬の一騎打ちとなった。そして本馬がバグダッドを3/4馬身かわして優勝した(3着ロイヤルオービットは12馬身後方だった)。

競走生活(3歳後半)

次走のモンマスH(D10F)ではまたしても不良馬場となった。そのためか道中はあまり前に行くことが出来ず、直線では、英国から移籍してきたコヴェントリーS・シティオブマイアミHの勝ち馬アメリゴ(米国顕彰馬フォートマーシーの父)やメトロポリタンHで本馬の3着だったタレントショーといった4歳馬勢の馬群に包まれてしまった。しかし外側に持ち出すと一気に前を差し切り、2着アメリゴに2馬身差で勝利した。

次走のブルックリンH(D9.5F)では、アメリゴに加えて、後の好敵手ボールドイーグルとの初顔合わせとなった。ボールドイーグルもアメリゴと同じく当初は英国で走っており、そこでもクレイヴンSやダンテSを勝つなど一定の成績を残していたが、英2000ギニーや英ダービーでは惨敗していた。そこで前年の秋に米国に移籍し、4歳を迎えたこの年にサバーバンHを勝って頭角を現し始めていた。本馬とボールドイーグルの斤量は共に124ポンド(本馬が3歳馬であることを考慮すれば本馬がトップハンデだと言える)だった。ところが本馬はスタートで出遅れるわ、道中でよれるわと散々なレースぶりで、それでもゴール前で猛然と追い込んできたが、単勝オッズ24倍の伏兵バブーに届かずに3/4馬身差の2着に惜敗した(ボールドイーグルは本馬から3馬身差の4着だった)。

次走のトラヴァーズS(D10F)では、ボールドイーグルの主戦でもあったマヌエル・イカザ騎手と1戦限りのコンビを組んだ。対戦相手は、ベルモントS2着後にハリウッドダービーを勝ったバグダッド、ドワイヤーH2着馬ミドルブラザー、デラウェアオークスでシルヴァースプーンを破りCCAオークスではクイルのニューヨーク牝馬三冠の夢を打ち砕いたレサカ、堅実にステークス競走で入着していた本馬の祖父サンアゲイン産駒のニンマーなどだった。レースではニンマーが先頭で直線に入ってきたが、外側から追い上げてきた本馬が、やはり追い上げてきたミドルブラザーを半馬身差の2着に抑えて勝利した。このレース後に、ニューヨーク競馬協会の獣医師マヌエル・ギルマン博士が本馬の身体測定を実施したところ、前述の体高15.3ハンドなどの数字が導き出された。

次走のウッドワードS(D10F)は、僅か4頭立てのレースとなった。しかし対戦相手3頭のうち2頭は、ブリーダーズフューチュリティS・ブルーグラスS・ハリウッド金杯・アメリカンダービー・ユナイテッドネーションズH2回・ホーソーン金杯H2回・マリブS・サンフェルナンドS・サンタアニタマチュリティS・サンアントニオH・サンタアニタH・ガルフストリームパークH・アーリントンH2回・サンマルコスH・マンハッタンHなどを勝っていた前年の米年度代表馬ラウンドテーブルと、ウィルロジャーズS・マリブS・サンフェルナンドS・サンタアニタマチュリティS・サンカルロスH・ロサンゼルスH・アーゴノートH・カリフォルニアンS・アメリカンH・ハリウッド金杯などを勝っていた西海岸の強豪ヒルズデールであり、相手にとって全く不足はなかった。ラウンドテーブルの主戦でもあったシューメーカー騎手がラウンドテーブルを選択したため、本馬は初騎乗となるアーキャロ騎手とコンビを組んだ。レースでは直線でラウンドテーブルとヒルズデールの2頭が競り合い、いずれかが勝利すると思われたが、インコースから強襲してきた本馬がまとめて差し切り、2着ヒルズデールに頭差、3着ラウンドテーブルにはさらに1馬身半差をつけて、2分04秒4のコースレコード勝ちを果たした。これによって、アーキャロ騎手が本馬の主戦として固定されることになった。

続くジョッキークラブ金杯(D16F)ではラウンドテーブルを抑えて1番人気に支持された。レースはこのちょうど1週間前にマンノウォーSを勝ってきた前年のワシントンDC国際S2着馬テューダーエラが先頭を引っ張り、本馬がそれを追走。そしてテューダーエラをかわして先頭に立つと、直線で独走。何とかテューダーエラをかわして2着に上がってきたラウンドテーブルを7馬身も切り捨てて、3分22秒2のコースレコードで圧勝。このレースで引退したラウンドテーブルに引導を渡した。

3歳時は13戦8勝の成績で、この年の米年度代表馬・最優秀3歳牡馬・米最優秀ハンデ牡馬のタイトルを獲得した(米最優秀ハンデ牡馬はラウンドテーブルとの同時受賞)。

競走生活(4歳前半)

翌4歳時も現役を続けたが、この年は好敵手ボールドイーグルとの幾度にも及ぶ対戦が待ち受けていた。

まずは2月にハイアリアパーク競馬場で行われたダート7ハロンの一般競走から始動したが、ベネズエラから移籍してきてロイヤルパームH・シティオブマイアミHを勝っていた亜国産馬ペタレの3馬身3/4差の4着と取りこぼした。しかしこのレースのためだけにわざわざカリフォルニア州からフロリダ州に来たアーキャロ騎手は、「彼は距離が延びて良い馬です。今後はもっと多くのレースに勝てるでしょう」と語った。

次走のワイドナーH(D10F)では、ボールドイーグルと2度目の対戦となった。斤量は本馬の129ポンドに対して、ボールドイーグルは123ポンドだった。結果はボールドイーグルが、シェリダンS・オハイオダービー・オレンジボウルH・トロピカルパークH・マクレナンHの勝ち馬オンアンドオン(名牝トゥーリーの息子)を3/4馬身差の2着に抑えてコースレコードで快勝し、本馬はボールドイーグルから8馬身3/4差の7着に沈んだ。翌月に出走したガルフストリームパーク競馬場ダート8.5ハロンの一般競走は、テン乗りのビル・ハータック騎手を鞍上に、2着となった後のサンルイレイS・サンフアンカピストラーノ招待Hの勝ち馬ドントアリバイに2馬身1/4差をつけて難なく勝利した。

そしてアーキャロ騎手が鞍上に戻った2週間後のガルフストリームパークH(D10F)で、ボールドイーグルとの再戦となった。斤量は本馬が127ポンド、ボールドイーグルが125ポンドと、かなり縮まっていた。結果はボールドイーグルが、サンタアニタHで3着してサンフアンカピストラーノ招待Hを勝ってきたアメリゴを2着に、オンアンドオンを3着に抑えて勝利を収め、本馬はボールドイーグルから5馬身3/4差の4着に敗退した。

このままでは終われない本馬は、ニューヨーク州に戻ってグレイラグH(D9F)に出走した。ここでは、前年のプリークネスS9着後にサンタアニタマチュリティS・ローレルメーチュリティを勝っていたファーストランディングと久々の対戦となった。斤量は本馬が2ポンド重かったが、それでもファーストランディングを首差の2着に抑えて勝利した。

そして連覇を狙ったメトロポリタンH(D8F)でボールドイーグルと再度対戦した。斤量は本馬の127ポンドに対して、ボールドイーグルは128ポンドと、今度は本馬がハンデを貰う側になった。しかし1分33秒6という素晴らしいコースレコードで走破したボールドイーグルはおろか、2着に入ったファーストランディングや3着タレントショーにも後れを取り、勝ったボールドイーグルから4馬身半差の4着と完敗。

続くサバーバンH(D10F)では、馬群に包まれながらも抜け出し、3ポンドのハンデを与えたファーストランディングを半馬身差の2着に抑えて2分01秒6のコースレコードで勝利し、4着ボールドイーグルにもようやく先着したが、前年の同競走を勝っていたボールドイーグルは今回134ポンドを課せられており、124ポンドの本馬とは10ポンドもの斤量差があった。

次走のブルックリンH(D10F)でも本馬とボールドイーグルは対戦したが、不良馬場の中で勝ったのは単勝オッズ17倍の伏兵扱いとなっていたオンアンドオン。130ポンドを課せられたボールドイーグルはオンアンドオンから3馬身1/4差の4着、127ポンドの本馬はボールドイーグルから2馬身半差の5着に終わり、前年の同競走と同じく2頭とも敗戦した。

競走生活(4歳後半)

続くアーリントンH(T9.5F)ではボールドイーグルもファーストランディングもいなかったが、初の芝に戸惑ったのか、それとも重馬場が悪かったのか、ボールドイーグルの1歳年上の全兄であるワンアイドキングの3馬身差6着に敗退。続けて出走したユナイテッドネーションズH(T12F)も芝のレースだったが、ここでは後に米最優秀芝馬に選ばれるアーリントンフューチュリティ・アーリントンクラシックS・アメリカンダービー・ワシントンパークHの勝ち馬ティーヴィーラークの1馬身1/4差2着と好走し、3着となったこの年のプリークネスS・フロリダダービー・フラミンゴS・ジャージーダービーの勝ち馬でケンタッキーダービー2着のバリーエイクに先着した。なお、このレースで初の芝に挑んだファーストランディングは9着に沈み、そのまま現役を引退している。また、2歳時のガーデンステートS5着後にピムリコフューチュリティ・ウィザーズS・ジェロームH・トボガンH・エクワポイズマイルHを勝っていたインテンショナリーもこのレースで初の芝に挑んだが8着に終わっている。

本馬の次走はダート競走に戻ってウッドワードS(D10F)となった。このレースにはボールドイーグルも参戦してきて、定量戦ということもあり2頭の優劣を決める重要な一戦となった。結果は本馬が2着となったハリウッド金杯・サンセットHの勝ち馬ドッテッドスイスに1馬身半差をつけて、2分01秒2のコースレコードタイムで同競走初の2連覇を果たし、ボールドイーグルはドッテッドスイスからさらに1馬身半差の3着に敗れた。

本馬とボールドイーグルは次走マンノウォーS(T12F)でも対戦したが、重馬場の中で勝ったのは単勝オッズ38倍の伏兵ハーモナイジング。ボールドイーグルは2馬身1/4差の2着で、さらに4馬身差の3着に敗れた本馬は脚首に故障を発生して、このまま現役引退となった。ボールドイーグルとの対戦成績は本馬の3勝5敗だった。

4歳時は12戦4勝の成績を残したが、米年度代表馬は本馬と対戦機会が無かった3歳馬ケルソに、米最優秀ハンデ牡馬はボールドイーグルに取られ、本馬はこの年は無冠に終わった。

血統

Sunglow Sun Again Sun Teddy Teddy Ajax
Rondeau
Sunmelia Sun Briar
Bromelia
Hug Again Stimulus Ultimus
Hurakan
Affection Isidor
One I Love
Rosern  Mad Hatter Fair Play Hastings
Fairy Gold
Madcap Rock Sand
Lady Madge
Rosedrop St. Frusquin St. Simon
Isabel
Rosaline Trenton
Rosalys
Highland Fling By Jimminy Pharamond Phalaris Polymelus
Bromus
Selene Chaucer
Serenissima
Buginarug Blue Larkspur Black Servant
Blossom Time
Breakfast Bell Black Toney
Batter Cake
Swing Time Royal Minstrel Tetratema The Tetrarch
Scotch Gift
Harpsichord Louvois
Golden Harp
Speed Boat Man o'War Fair Play
Mahubah
Friar's Carse Friar Rock
Problem

父サングローは英国三冠馬ゲインズボローの母ローズドロップが英国から米国に輸入された後に、米最優秀ハンデ牡馬マッドハターとの間に産んだ牝駒ロザーンの息子である。1歳時のキーンランドサマーセールにおいて、スローン女史により8千ドルで購入されていた。競走馬としては、ワイドナーH・ディスカヴァリーH・サラナクH・チェサピークS・ボードウォークH・ターフカップHを勝ち、ウエストチェスターH・ルイジアナダービーで2着、ケンタッキージョッキークラブS・シャンペンS・ワシントンDC国際Sで3着など、45戦9勝2着5回3着7回の成績を残した。種牡馬としては本馬以外にほとんど活躍馬を出していない。

サングローの父サンアゲインはカルメットファームの生産・所有馬で、アーリントンフューチュリティ・ジュヴェナイルS・ドレクセルH・ディキシーH・エクワポイズマイルH・ギッティングH・サザンメリーランドH・マクレナンH勝ちなど34戦15勝の成績を挙げたが、プリークネスS・ワイドナーH・サバーバンH・ヴォスバーグHではいずれも2着に終わっている。種牡馬としてはかなりの活躍を示し、種牡馬サイテーションの不振に苦しむカルメットファームの経営維持に貢献した。

サンアゲインの父サンテディはテディ産駒で、アーリントンH・サラナクHを勝ち、トラヴァーズS2着、ホープフルS3着など、18戦8勝の成績を残した中堅競走馬だった。

母ハイランドフライングはブルックミードステーブルの生産・所有馬だが、競走馬としては不出走に終わった。本馬が産まれた後に2000ドルで売却されてしまったが、本馬がベルモントSを勝った後のキーンランド秋季ブリーディングストックセールに出品された時には、当該セリで最高値となる8万ドルの値がついた。もっとも、本馬以外には活躍馬を出せないまま1970年に20歳で他界している。

ハイランドフライングの母スウィングタイムは、テストSの勝ち馬スピードボートの娘であり、デモワゼルS・CCAオークス・トップフライトHを勝った1940年の米最優秀2歳牝馬レベルベストの半姉でもあるのだが、自身は8戦未勝利に終わった。スウィングタイムの牝系子孫から出た活躍馬は、本馬の半妹パイパーズチューン(父プリンスキロ)の曾孫である日本で走ったラヴァリーフリッグ【マリーンC(GⅢ)・東京2歳優駿牝馬・浦和桜花賞】と、ハイランドフライングの半妹であるオーアリソン(父ローズモント)【デモワゼルS】くらいしかいない。

しかしスピードボートやその母である1925年の米最優秀2歳牝馬フライアーズカース【ファッションS・キーン記念S・クローバーS】の牝系子孫に目を向けてみると、活躍馬の名前が複数出てくる。スウィングタイムの半妹ザスワードの牝系子孫からは、ヘイルトゥオール【ベルモントS・トラヴァーズS・ジャージーダービー】、レイチェルアレクサンドラ【プリークネスS(米GⅠ)・ケンタッキーオークス(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・ハスケル招待S(米GⅠ)・ウッドワードS(米GⅠ)】などが登場している。レベルベストの牝系子孫からは、ハニーライダー【EPテイラーS(加GⅠ)・フラワーボウル招待S(米GⅠ)】などが登場している。スピードボートの半姉ブラックカースの牝系子孫からは、ニューヨークハンデキャップ三冠馬フィットトゥファイト【メトロポリタンH(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)・ブルックリンH(米GⅠ)】などが登場している。スピードボートの全妹アンカーズアヘッドの牝系子孫からは、ストームソング【BCジュヴェナイルフィリーズ(米GⅠ)・フリゼットS(米GⅠ)】、セテワヨ【ソードダンサー招待H(米GⅠ)・ガルフストリームパークBCターフS(米GⅠ)】、 カウンティタイローン【クイーンズランドダービー(豪GⅠ)・ザメトロポリタン(豪GⅠ)・シドニーC(豪GⅠ)】、ダイナフォース【フラワーボウル招待S(米GⅠ)・ビヴァリーDS(米GⅠ)】、デイアトザスパ【BCフィリー&メアターフ(米GⅠ)・クイーンエリザベスⅡ世CSS(米GⅠ)・ファーストレディS(米GⅠ)】、日本で走ったハットトリック【マイルCS(GⅠ)・香港マイル(香GⅠ)】、コパノリッキー【フェブラリーS(GⅠ)2回・かしわ記念(GⅠ)2回・JBCクラシック(GⅠ)2回・帝王賞(GⅠ)】などが登場している。また、スピードボートの全弟にはマンノウォーの後継種牡馬ウォーレリックがいる。→牝系:F1号族③

母父バイジミニーはファラモンドの直子で、現役成績は21戦9勝。グランドユニオンホテルS・トラヴァーズS・アメリカンダービー・ローレンスリアライゼーションS・ドワイヤーS・シェヴリンSなどを制し、1944年の米最優秀3歳牡馬にも選ばれた実力馬。種牡馬としてもプリークネスSの勝ち馬ボールドなどを出している。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はケンタッキー州ダービーダンファームで種牡馬入りした。10歳時にリースで仏国に渡ったが、欧州では活躍馬は出せなかった。282頭の産駒中ステークスウイナーは13頭(ステークスウイナー率は4.6%)に留まったが、名馬ダマスカス、1966年の米最優秀3歳牝馬レディピットを出しており、父サングローと同じく稀に大物を出すタイプの種牡馬だったようである。1977年、息子ダマスカスより3年遅れで米国競馬の殿堂入りを果たし、1984年に仏国において28歳で他界した。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第53位。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1963

Lady Pitt

アスタリタS・マザーグースS・CCAオークス・ヴァインランドH

1964

Damascus

プリークネスS・ベルモントS・トラヴァーズS・ウッドワードS・ジョッキークラブ金杯・レムセンS・ベイショアS・ウッドメモリアルS・ドワイヤーH・アメリカンダービー・マリブS・サンフェルナンドS・ブルックリンH・ウイリアムデュポンジュニアH

1968

Dundee Marmalade

ウエストチェスターH(米GⅡ)

1970

Double Edge Sword

ウエストチェスターH(米GⅡ)・エクセルシオールH(米GⅡ)・ワシントンパークH(米GⅢ)

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