オーヴィル

和名:オーヴィル

英名:Orville

1799年生

鹿毛

父:ベニングブロー

母:エヴェリナ

母父:ハイフライヤー

無尽蔵のスタミナを有すると評され、後世にも大きな影響を与えた19世紀初頭の英セントレジャー馬

競走成績:2~7歳時に英で走り通算成績35戦21勝2着7回3着1回(異説あり)

誕生からデビュー前まで

英国ホイッグ党の中心人物の1人だった政治家第4代フィッツウィリアム伯爵ウィリアム・ウェントワース卿の手により、母エヴェリナの2番子として誕生した。エヴェリナによく似た「深い皿のような目」が印象的だった(これは母父ハイフライヤーの血を引く馬によく見られる特徴だったという)。成長すると体高16ハンド以上になり、力強いがっしりとした馬体の持ち主で、どちらかと言えば馬車馬のような外見をしていたという。ウェントワース卿の所有馬として競走馬となり、管理調教師は第1回英セントレジャーを勝利したアラバキュリアも管理していたクリストファー・スケイフ師、主戦はウィリアム・エドワーズ騎手が務めた。エドワーズ騎手をして「一番速い馬はセリムでしたが、オーヴィルは全ての距離で最上級でした」と言わしめた高い能力の持ち主だったが、気性はあまり良くなかったようで、エドワーズ騎手が本馬に騎乗する際にはかなりの困難が伴ったという。

競走生活(2・3歳時)

2歳8月にヨーク競馬場で行われた20ギニースウィープSにおいて、まだ名前が付けられていない段階でデビューしたが、ルオリエントの4着という結果だった。翌月はドンカスター競馬場で行われた20ギニースウィープSに出走して、単勝オッズ1.8倍の1番人気に応えて初勝利を挙げた。2歳時はこの2戦で終えた。

名前が付けられた3歳時は、8月にヨーク競馬場で行われた50ギニースウィープS(T16F)から始動して、サージョンの2着。3日後に同コースで行われた30ギニースウィープS(T16F)でも、同父のピーターの2着に敗れた。

本馬は続いて英セントレジャー(T16F)に参戦。アラバキュリアでこのレースを勝っていたジョン・シングルトン騎手が鞍上だった本馬は単勝オッズ6倍で7頭立ての4番人気だった。ヤングエクリプス産駒の無名馬が単勝オッズ1.8倍の1番人気、同じウェントワース卿の所有馬で本馬の従兄弟に当たるスパローホークが単勝オッズ3.5倍の2番人気となっていた。しかしこのレースで本馬は後に「オーヴィルの肺活量と勇気は無尽蔵」と評される事になるスタミナ能力を存分に発揮し、スタートからゴールまで先頭を譲ることなく、2着パイピーリンや3着スパローホーク以下に楽勝した。なお、この3か月後にシングルトン騎手はニューマーケット競馬場で行われたレース中の事故で死去する事になる。

翌日はエドワーズ騎手とコンビを組んで11頭立てのドンカスターC(T32F)に出走したが、4歳馬アロンゾとサーソロモンの2頭に不利を受けてしまい、アロンゾの2着に敗退した。この不利はかなり悪質なものだったようで、エドワーズ騎手は2頭に騎乗していた騎手をジョッキークラブに通報すると息巻いたらしいが、結果は覆らなかったようである。3歳時の成績は4戦1勝だった。

競走生活(4~6歳時)

4歳時は春にヨーク競馬場で出走した20ギニースウィープS(T16F)でレノックスの2着。8月にヨーク競馬場で出走した100ギニースウィープS(T32F)でもダックスバリーの2着に敗退。それから4日後に出走したレースは着外(2着とする資料もある)に敗れて、4歳時は3戦未勝利の成績に終わった。

5歳時は5月にヨーク競馬場で出走した120ギニースウィープS(T16F)でオーモンドを破って勝利した。8月にヨーク競馬場で出走した25ギニースウィープS(T32F)では、ドンカスターSなど20勝を挙げる当時の強豪ハファザードの5着に敗れた。それから2日後に出走したレースでも2着に敗れた。しかし9月にドンカスター競馬場で出走した50ギニースウィープS(T16F)を勝ち、距離4マイルで行われたストックトンとの200ギニーマッチレースにも勝利した。このレースの後、本馬は後に英国王ジョージⅣ世となるジョージ・フレデリック皇太子に購入された。10月にニューマーケット競馬場で行われた距離4マイルの25ギニースウィープSに出走。しかしこのレースでは英ダービーと英オークスを制した1歳年上のエレノアの2着に敗れ、5歳時の成績は6戦3勝となった。

6歳時は、フレデリック皇太子からデルメ・ラドクリフ氏に名義上の馬主が変更された。フレデリック皇太子は非常な浪費家で英国の借金を莫大なものにした上に、即位前後を問わず女性問題など数々の不祥事を起こしており、父である英国王ジョージⅢ世が精神を病む一因になったとされる人物で、かつて1791年には所有馬エスケープの八百長疑惑を巡って英国ジョッキークラブとも諍いを起こしていたため、自身の名義で本馬を走らせるのを憚ったと思われる。

6歳初戦は7月にブライトン競馬場で行われたサマーセットS(T32F)だった。ここでは4頭立ての最下位入線だったが、同世代の強豪馬にして後の英首位種牡馬ウォルトン、名牝ホートンラス、エンタープライズの他の出走馬3頭全てがコースを間違えており、正しいコースを走ったのは本馬のみだったため本馬が勝利馬という事になった。それから3日後に同コースで行われたプリンス金杯(T32F)では、ホートンラスなどを相手に普通に勝利を収め、フレデリック皇太子は勝利トロフィーを自分から自分に授与した。8月にはルイス競馬場でキングズプレート(T32F)に出走。ここではハファザード以下に勝利したが、非常に激しいレースで本馬の消耗は相当なものだったようである。しかし同日午後には距離3マイルのレースに出走して、ウォルトン相手に勝利するというタフネスぶりを見せつけた。10月にはニューマーケット競馬場で距離2マイルのハンデ競走に出走したが着外に敗れ、6歳時の成績は5戦4勝となった。

競走生活(7・8歳時)

7歳時も現役を続け、5月にニューマーケット競馬場で行われた150ギニースウィープSで1歳年上の英セントレジャー馬クイズなどを相手に勝利した。サマーセットS(T32F)では3着に敗れたが、ホートンラスとの150ギニーマッチレースでは勝利を収めた。次走の90ギニースウィープSでは単走で勝利した。10月にニューマーケット競馬場で出走した50ギニースウィープSでは、ホートンラス、1歳年下の名牝パラソル(最終成績35戦20勝。母としても英2000ギニー馬ピンダリー、英2000ギニー・英オークス馬パスティーユ、名種牡馬パルチザンを産んだ)、3歳年下の英セントレジャー馬ステイヴリーなどを打ち負かして勝利。その翌日には2歳年下の英セントレジャー馬サンチョとの200ギニーマッチレースに出走し、サンチョが故障した影響もあり本馬が勝利した。サンチョとのマッチレースを走った同日には距離4マイルのレースに出走したが、2歳年下のバスタードの着外に敗退。7歳時の成績は7戦5勝となった。

8歳時も現役を続けた本馬は、3月にニューマーケット競馬場で出走したオートランズSで132ポンドのトップハンデを課されて4着に敗れた。4月に同じくニューマーケット競馬場で出走した300ギニーのハンデ競走では、2歳年下の英オークス馬ペリースを破って勝利。8月にはサマーセットS(T32F)に出走したが対戦相手がいなかったために単走で勝利。さらにルイス競馬場で出走したペリースとの200ギニーマッチレースを勝利。引き続き出走した100ギニースウィープSでは、サーベラス以下に勝利した。さらにレディーズプレートでは、41ポンドのハンデを与えた後のアスコット金杯の勝ち馬ブライトンを破って勝利した。さらにニューマーケット競馬場で出走した105ギニースウィープSでカノープスを下して勝利。350ギニースウィープSでは、パラソルを破って勝利。このレースを最後に、8歳時8戦7勝の成績を残して競走馬を引退した。

血統

Beningbrough King Fergus Eclipse Marske Squirt
Hutton's Blacklegs Mare
Spilletta Regulus
Mother Western
Creeping Polly Portmore's Othello Crab
Miss Slamerkin
Fanny Tartar
Starling Mare
Fenwick's Herod Mare Herod Tartar Croft's Partner
Meliora
Cypron Blaze
Salome
Pyrrha Matchem Cade
Partner Mare
Duchess Whitenose 
Miss Slamerkin
Evelina Highflyer Herod Tartar Croft's Partner
Meliora
Cypron Blaze
Salome
Rachel Blank Godolphin Arabian
Amorett
Regulus Mare Regulus
Soreheels Mare
Termagant Tantrum Cripple Godolphin Arabian
Godolphin Blossom
Childers Mare Hampton Court Childers
Sister to Lady Cow
Cantatrice Sampson Blaze
Hip Mare
Regulus Mare Regulus
Hutton's Blacklegs Mare

父ベニングブローはキングファーガス産駒で、父の父がエクリプス、母の父がヘロド、祖母の父がマッチェムという、サラブレッドという種を形成した大種牡馬3頭の血を結集させた血統の持ち主だった。息子である本馬と同様にスタミナ豊富で頑丈な馬で、英セントレジャー・ドンカスターC・ドンカスターSなどを勝った名長距離馬だった。しかし同じキングファーガス産駒のハンブルトニアンには分が悪かったようである。種牡馬としてはハンブルトニアンよりも好成績を収めており、当初は6ギニーだった種付け料も25ギニーまで上昇した。

母エヴェリナはウェントワース卿の生産・所有馬で、競走馬としても8戦3勝の成績を残しているようである。繁殖牝馬としては自身の甥に当たるサーポールとの間に本馬の半弟パウロウィッツ(直系子孫にバッカニア)も産んでいる。本馬の半妹ルイーザ(父オーモンド)の孫にはヤングマウス【英1000ギニー】、玄孫にはポトツキ【仏ダービー・カドラン賞】が、本馬の全妹オーヴィリーナの牝系子孫にはロンジ【仏オークス】、カリボ【伊ダービー】、エレーナ【伊ダービー】、ネットゥーノ【伊2000ギニー・伊ダービー】などがいるが、いずれの牝系も後世には残らなかった。エヴェリナの半姉ペウェット(父タンデム)は1789年の英セントレジャーの勝ち馬(ただし1位入線馬ザンガの降着による繰り上がりだった)で、その娘ポーリーナも1810年の英セントレジャーの勝ち馬であるから、優秀なスタミナを有した牝系であったようである。

ポーリーナの全兄には前述のとおりエヴェリナとの間にパウロウィッツを出したサーポールがいる。ポーリーナの牝系子孫にはサータットンサイクス【英2000ギニー・英セントレジャー】、アンドオーヴァー【英ダービー】、シフレユーズ【英1000ギニー・ヨークシャーオークス】などが出ている他に、公式にはサラ系とされている本邦輸入繁殖牝馬バウアーストックと、キタノオー【菊花賞・天皇賞春】、キタノオーザ【菊花賞】、アイテイオー【優駿牝馬】、ヒカリデュール【有馬記念】、キョウワサンダー【エリザベス女王杯(GⅠ)】といったバウアーストックの子孫達もポーリーナの牝系子孫である可能性が高いようである。

ポーリーナの半妹クリンケリナの子にはメルボルンの父ハンフリークリンカー、牝系子孫にはバルネヴェル【クリテリウムドサンクルー・パリ大賞・仏共和国大統領賞】、エキシビショニスト【英1000ギニー・英オークス】、リゴロ【仏グランクリテリウム・仏2000ギニー・リュパン賞】、ユース【リュパン賞(仏GⅠ)・仏ダービー(仏GⅠ)・加国際CSS(加GⅠ)・ワシントンDC国際S(米GⅠ)】、オロフィノ【独ダービー(独GⅠ)・ベルリン大賞(独GⅠ)・アラルポカル(独GⅠ)】、スマイル【BCスプリント(米GⅠ)・アーリントンクラシックS(米GⅠ)】、ミセレクト【パンアメリカンH(米GⅠ)・メドウランズCH(米GⅠ)・ガルフストリームパークH(米GⅠ)】、モンズーン【アラルポカル(独GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)2回】、ケープオブグッドホープ【オーストラリアS(豪GⅠ)・ゴールデンジュビリーS(英GⅠ)】、日本で走ったフジノパーシア【天皇賞秋・宝塚記念】、スリージャイアンツ【天皇賞秋】、トムカウント【帝王賞】、エイシンフラッシュ【東京優駿(GⅠ)・天皇賞秋(GⅠ)】などがいる。

エヴェリナの半妹セシリア(父サーピーターティーズル)の子にはホワイトノーズ【ドンカスターC】がいる。エヴェリナの曾祖母レギュラスメアは、偉大なるエクリプスの父マースクの半妹に当たる。→牝系:F8号族①

母父ハイフライヤーは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はフレデリック皇太子(後の1820年に即位して英国王ジョージⅣ世となっている)所有の牧場で種牡馬生活を送った。最初はケンブリッジシャー州シックスマイルボトムの牧場にいたが、しばらくしてニューマーケットに、11歳時からはヨークシャー州に移動した。

本馬は5頭の英国クラシック競走優勝馬を含む数多くの活躍馬を輩出し、イボアが英セントレジャーを勝った1817年と、エミリウスが英ダービーを勝った1923年の2度に渡り英首位種牡馬を獲得した。本馬は前述のとおり馬車馬のような外見をしていたが、この外見は本馬の血を引く多くの馬にも受け継がれた。実際に本馬の産駒は頑丈でスタミナに富み、馬車馬として活躍した子も多いようである。本馬は1826年11月に27歳で他界した。

後継種牡馬としてはエミリウスの他に、現役時代本馬を破った事もある名牝エレノアとの間に産まれたムーリーなどが成功し、キングファーガスの直系は本馬により繁栄するかに見えたが、その後が続かなかったため直系はやがて途切れ、キングファーガスの直系はハンブルトニアンから伸びたラインが保つ事になった。それでもムーリーが大繁殖牝馬ポカホンタスの母父に、牡駒マスターヘンリーがタッチストンの母父になるなどして、本馬は後世に大きな影響力を残している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1809

Octavius

英ダービー

1811

Belville

アスコット金杯

1811

Charlotte

英1000ギニー

1812

Fulford

ドンカスターC

1814

Ebor

英セントレジャー

1820

Bizarre

アスコット金杯2回

1820

Emilius

英ダービー

1825

Zoe

英1000ギニー

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