ザバード(USA)

和名:ザバード(USA)

英名:The Bard

1883年生

鹿毛

父:ロングフェロー

母:ブラダマンテ

母父:ウォーダンス

19世紀後半米国で活躍して3年連続で米国牡馬世代チャンピオンに選出されるも種牡馬としての活躍の機会を大きく奪われた「吟遊詩人」

競走成績:2~5歳時に米で走り通算成績47戦27勝2着9回3着4回

“The Bard”とは「吟遊詩人」という意味であり、付けやすい名前の故か同名の競走馬が歴史上に複数存在している。このように同名の競走馬が複数いるのは珍しい事ではないのだが、同年産まれでしかもいずれも歴史的名馬になったという例は珍しい。“The Bard”という名前の1883年産まれの競走馬は2頭おり、英国で23戦21勝2着2回の成績を挙げた英国産馬ザバードの方は当馬の項を参照してもらうとして、本項では米国で3年連続世代チャンピオンになった米国産馬の方を紹介する。

誕生からデビュー前まで

米国テネシー州のフェアビュースタッドファームにおいてチャールズ・リード氏により生産され、ペンシルヴァニア鉄道の社長でモンマスパーク競馬場の所有者でもあったアレクサンダー・ジョンストン・カサット氏により購入され、ジョン・ハギンス調教師に預けられた。

成長すると体高16ハンドと当時としては比較的大柄な馬で、長い脚を大きく伸ばして大跳びで走る馬だったため、あまり美しい走り方ではないとも評された。後脚2本だけで立ち上がって歩ける馬はたまにいるが、本馬の場合は前脚2本だけで立ち上がって歩くことが出来たというから、凄まじく前脚の力が強い馬だったようである。

競走生活(2歳時)

2歳時に競走馬としてデビューした。シープスヘッドベイ競馬場で出走したグレートポストS(D6F)では2着だった。モリスパーク競馬場で出走したシーブライトS(D6F)では、翌年にマンハッタンHを勝つエレクトリック、バッファルの2頭の牡馬に屈して、エレクトリックの3着に敗れた。しかしモンマスパーク競馬場で出走したレッドバンクS(D6F)では、シーブライトSで本馬に先着する2着だったバッファルを2着に、後にモンマスオークス・レディーズH2着・アラバマS3着の成績を挙げる牝馬チャリティーを3着に破って勝利した。シープスヘッドベイ競馬場で出走したフラットブッシュS(D7F)では、レッドバンクSで3着に破ったチャリティー、この年のグレートイースタンH・ナーサリーS・シャンペンSの勝ち馬で翌年にモンマスオークス・ストックトンS・ファーストスペシャルSなどを制して米最優秀3歳牝馬に選ばれるデュードロップの2頭の牝馬に屈して、チャリティーの3着に敗れた。シープスヘッドベイ競馬場で出走したブーケS(D7F)では勝利。モリスパーク競馬場で出走したエレクトリックS(D8F)では3着。ワシントンDCにあるアイビーシティ競馬場で出走したアーリントンS(D6F)では、牝馬ベス、3年後のサバーバンHを勝つエルクウッドの2頭に屈して、ベスの3着だった。しかし引き続きアイビーシティ競馬場で出走したキャピタルS(D8F)では、ベス、この年のスピナウェイSの勝ち馬で翌年のウィザーズSを勝つビッグゴーネットなどを破って勝利を収め、2歳シーズン最終戦を白星で締めくくった。2歳時の成績は14戦7勝2着1回3着4回だった。

競走生活(3歳時)

本馬が本格化したのは3歳になってからである。まずはプリークネスS(D12F)で、翌年にサバーバンHを勝つユーラスを3馬身差の2着に、前年のアーリントンSで2着だったエルクウッドを3着に破って優勝。しかしベルモントS(D12F)では、前年のブーケSで本馬に敗れていたグレートイースタンH・シャンペンS2着馬インスペクタービーの2着に敗れた。ブルーグラスS(D12F・現在ケンタッキーダービーの前哨戦となっているブルーグラスSとは無関係の別競走)では、この年唯一にして生涯最後の着外に敗れた。グレーヴセンド競馬場で出走したコニーアイランドスタッドSでは、バッファルや前年のジュニアチャンピオンS・ハイドパークSの勝ち馬バンフォックスには先着したが、再びインスペクタービーの2着に敗れた。その2週間後にシープスヘッドベイ競馬場で出走したエンポリアムS(D12F)では、10ポンドのハンデを与えた同世代の牡馬ウィンフレッドの短頭差2着に敗れた。

その数日後にシープスヘッドベイ競馬場で出走したスピンドリフトS(D12F)では、前年のフラットブッシュSで本馬に先着していた同世代最強牝馬デュードロップとの対戦となった。結果は1着同着で、決勝戦が行われることになった。デュードロップの所有者だったドワイヤー兄弟は、カサット氏に対して決勝戦を行わずに賞金を山分けする事を申し出た。しかしカサット氏はその申し出を拒絶。ドワイヤー兄弟は所有馬を酷使する事で悪名高い馬主だったが、さすがにデュードロップをもう1度走らせて勝つのは厳しいと判断したらしく、決勝戦を棄権。本馬が単走で決勝戦を走って勝利した。

モンマスパーク競馬場で出走したバーナゲットS(D12F)では、ブレントウッドSの勝ち馬キト、ウィンフレッドなどを撃破して勝利した。その後に出走したスティーヴンズS(D14F)では、インスペクタービー、デュードロップ、ベルモントSで本馬に続く3着だったリンデン、キトなども参戦してきて、性別を越えた同世代最強馬決定戦の様相を呈した。しかし今回はデュードロップが牡馬勢と同斤量を背負いながらも勝利を収め、本馬は2着に敗れた。モンマスパーク競馬場で出走したラリタンS(D10F)では、ウィンフレッドなどには先着したものの、前年のフラットブッシュSで屈した相手である牝馬チャリティーにまたも屈して2着に敗れた。ロングブランチ競馬場で出走したフリーホールドS(D12F)では、1歳年上のサンフォードSの勝ち馬ボナンザとの2頭立てとなり、本馬が勝利を収めた。

モンマスパーク競馬場で出走したオムニバスS(D12F)では、デュードロップ、チャリティーに加えて、前年のホープフルSとこの年のケンタッキーダービーを勝っていたベンアリとの対戦となったが、本馬が勝利を収め、デュードロップが4馬身差の2着、ベンアリは3着だった。引き続きモンマスパーク競馬場で出走したチョイスS(D12F)でも、デュードロップ、ベンアリとの対戦となった。結果は前走と同じで、本馬が勝ち、デュードロップが2着、ベンアリが3着だった。同じくシープスヘッドベイ競馬場で出走したセプテンバーS(D14F)では、リンデンを一蹴して勝利した。ジェロームH(D14F)では、エルクウッドを2着に、19世紀最高のカリフォルニア州産の牝馬モリーマッカーティーがその死と引き換えに産んだ牝馬モリーマッカーティーズラストを3着に抑えて勝利した。ピムリコ競馬場で出走したディキシーH(D16F)では、クラークHの勝ち馬でケンタッキーダービー・アメリカンダービー2着のブルーウイングを2着に破り、3分33秒0のレースレコードを計時して勝利した。ブレッケンリッジS(D16F)も勝利。そしてアイビーシティ競馬場で出走したポトマックS(D14F)では、2着エルクウッドに8馬身差で圧勝。3歳時の成績は17戦11勝2着5回で、後年になって、ベルモントSの他にトラヴァーズS・ロリラードS・タイダルS・ユナイテッドステーツホテルSを勝ったインスペクタービーと並んで、この年の米最優秀3歳牡馬に選出されている。

競走生活(4歳時)

本馬が4歳になった頃、本馬は英国に遠征するのではないかという噂が米国内に広まっていた。実際に遠征の準備が行われていたらしいのだが、しかし本馬は病気に罹ってしまい、遠征どころではなくなってしまった。病気から快復した本馬は、6月にグレーヴセンド競馬場で出走したジューンスペシャル(D9F)で復帰して勝利。1週間後にやはりグレーヴセンド競馬場で出走したセントジェームズホテルS(D10F)では、一昨年のセプテンバーS・前年のモンマスHの勝ち馬イダルゴを2着に、8歳馬バーナム(13年間走り続けて最終成績296戦86勝という凄い馬)を3着に破って勝利した。

さらにシープスヘッドベイ競馬場で出走したコニーアイランドS(D9F)では、1歳年上の前年のサバーバンHの勝ち馬トルバドゥールとの対戦となった。トルバドゥールは前年に名牝ミスウッドフォードとのマッチレースにも勝利して後年になって前年の米最優秀ハンデ牡馬に選ばれるほどの強豪馬だった。しかし本馬がトルバドゥールを3馬身差の2着に破って勝利した。コニーアイランドC(D14F)では、馬なりのままエルクウッド以下に勝利した。モンマスパーク競馬場で出走したオーシャンS(D9F)では、トルバドゥールとの2頭立てとなった。今回はトルバドゥールが勝ち、本馬は敗れてしまった。次走のモンマスC(D14F)ではトルバドゥールとの再戦となったが、今回もトルバドゥールが勝利を収め、本馬は2着に敗れた。しかしフリーホールドS(D12F)では、バーナムを2着に、トルバドゥールを3着に破って勝利を収め、同競走2連覇を達成した。その後はやはりモンマスパーク競馬場でイートンタウンS(D8F)に出走して勝利した。

しかしそれから間もなくして再び本馬を病魔が襲った。シーズン当初の病気がどんなものだったかは資料に記載が無く不明だが、今回は疝痛だったことが分かっている。症状はかなり重く、生命の危機にある旨がニューヨーク・タイムズ紙で報じられた。この時期には既に本馬の人気は相当なものとなっており、米国内の主要新聞において本馬の状態が逐一報道されるほどだった。何とか病気は克服したが、4歳シーズン終盤は棒に振ってしまった。それでも4歳時8戦6勝2着2回の成績で、後年になってトルバドゥールと共にこの年の米最優秀ハンデ牡馬に選定されている。

競走生活(5歳時)

5歳時の復帰戦は、5月に出走した創設2年目のブルックリンH(D10F)となった。ここでは超強敵が1頭登場した。それは、前年に圧倒的な強さでベルモントS・ウィザーズS・ブルックデールH・ブルックリンダービー・スウィフトS・コニーアイランドダービー・タイダルS・ロリラードSなどを勝ち、19世紀米国最強馬の有力候補とされる後の米国顕彰馬ハノーヴァーだった。もしハノーヴァーが全盛期であれば本馬が勝てたかどうかは分からないが、前年にドワイヤー兄弟により酷使されたハノーヴァーは故障休養明けであり、本馬が同斤量のハノーヴァーを1馬身差の2着に破って勝利した。

この数日後に出走したセントジェームズホテルS(D10F)では、この年のベルモントS・ウィザーズS・トラヴァーズS・ロリラードS・フラットブッシュSの勝ち馬サーディクソンという強敵が立ち向かってきたが、本馬がサーディクソンを2着に破って勝利した。

さらにその数日後、ブルックリンHから11日後にはブルックリンC(D12F)に出走。ここでも本馬とハノーヴァーは顔を合わせた。このレースにはさらに、アメリカンダービーなどを制したカリフォルニア州産馬ヴォランテも参戦していた。しかし泥だらけの不良馬場の中を快走した本馬が、ハノーヴァーを10馬身差の2着に破って勝利した。レース直後にニューヨーク・タイムズ紙は「2週間前まで米国最強馬はハノーヴァーでしたが、その地位はザバードに取って代わられました。あんな馬場状態であれだけの速度で走れる馬がいったいどこにいるでしょうか」と書き立てた。

この3戦が決定打となり、本馬と好き好んで戦おうという馬は極めて少なくなってしまった。そのためにグレーヴセンド競馬場で出走した次走のセカンドスペシャルS(D9F)も、シープスヘッドベイ競馬場で出走したコニーアイランドS(D9F)も対戦相手が1頭もおらず、いずれも本馬が単走で勝利した。コニーアイランドC(D14F)では、イダルゴ、この年のサバーバンHを勝ってきたエルクウッドが挑んできたが、本馬がその挑戦を退けて同競走2連覇を達成。

その後は前年にトルバドゥールに敗れたオーシャンS(D9F)に向かった。ここでは、トルバドゥールよりもさらに手強いのではないかと思われる2頭の強豪馬が出走してきた。それは、セレクトS・ドルフィンS・セプテンバーSなどを勝っていたキングストン、ジェロームH・モンマスオークス・レディーズH・ガゼルHを勝っていた牝馬フィレンツェという、後の米国顕彰馬2頭だった。しかし前年のトルバドゥールの勝ちタイムより1秒25速い1分55秒0のレースレコードで走り抜けた本馬が、キングストンを2着に、フィレンツェを3着に撃破して勝利した。

その後は3連覇を狙って、8月のフリーホールドS(D12F)に向かった。対戦相手は僅か1頭だったが、その1頭はフィレンツェであり、相手にとって不足は無かった。しかし本馬はレース中に後脚を故障して敗れてしまい、この年唯一の黒星を喫した。そしてこの年の出走はこれが最後となった。それでも5歳時8戦7勝2着1回の成績で、後年になってこの年の米最優秀ハンデ牡馬に選定されており、3年連続で米国競馬の頂点に君臨し続けた事になる。

6歳時も本馬陣営はサバーバンHやブルックリンダービーなどに出走させるために本馬の現役続行に意欲を燃やしたが、結局復帰は叶わず、同年5月に正式に競走馬引退が決定。故障したフリーホールドSが現役最後のレースとなった。

血統

Longfellow Leamington Faugh-a-Ballagh Sir Hercules Whalebone
Peri
Guiccioli Bob Booty
Flight
Pantaloon Mare Pantaloon Castrel
Idalia
Daphne Laurel
Maid of Honor
Nantura Brawner's Eclipse American Eclipse Duroc
Miller's Damsel
Henry Mare Henry
Young Romp
Quiz Bertrand Sir Archy
Eliza
Lady Fortune Fenwick's Brimmer
Old Buzzard
Brademante War Dance Lexington Boston Timoleon
Sister to Tuckahoe
Alice Carneal Sarpedon
Rowena
Reel Glencoe Sultan
Trampoline
Gallopade Catton
Camillina
Brenna Knight of St. George Birdcatcher Sir Hercules
Guiccioli
Maltese Hetman Platoff
Waterwitch 
Levity Trustee Catton
Emma
Tranby Mare Tranby
Lucilla

ロングフェローは当馬の項を参照。

母ブラダマンテは特に3歳時に大活躍した馬で、フェニックスホテルSを勝ち、ケンタッキーオークスとトラヴァーズSで共に2着するなど、3歳時16戦6勝2着5回3着2回の成績を挙げた。本馬の半妹ブレスレット(父ミスターピックウィック)の牝系子孫にはトラベルオーブ【カリフォルニアンS・アメリカンH】がいるが、ブラダマンテの牝系子孫はあまり発展しなかった。

ブラダマンテの半弟にはキンケード(父ウェイバリー)【クラークH】がいる他、ブラダマンテの半姉ティビーダンバー(父ボニースコットランド)の子にはレナダンバー【カリフォルニアダービー】、牝系子孫にはパーフェクトドリフト【スティーヴンフォスターH(米GⅠ)】、フォースザパス【ベルモントダービー(米GⅠ)】などが、ブラダマンテの半姉エラハンキンズ(父ギルロイ)の牝系子孫にはケリーパッチ【ベルモントフューチュリティS】、パストフォーゲッティング【ハリウッドオークス(米GⅠ)】などがいるが、いずれの牝系子孫もあまり繁栄はしていない。

しかしブラダマンテの祖母レヴィティの牝系子孫はなかなか発展している。ブラダマンテの母ブレンナの半姉ライトサムの牝系子孫には、ルークブラックバーンサルヴェイター【ローレンスリアライゼーションS・サバーバンH】の2頭の米国顕彰馬、リオネイタス【ケンタッキーダービー】、フォックスフォード【ベルモントS】、ピュイッサンシェフ【凱旋門賞・ロワイヤルオーク賞・カドラン賞・ジャンプラ賞】、ザフェロー【チェルトナム金杯(英GⅠ)・キングジョージⅥ世チェイス(英GⅠ)2回・パリ大障害・ラエジュスラン賞】、アルカポネ【パリ大障害・モーリスジロワ賞・ラエジュスラン賞6回・ラエジュスラン賞(仏GⅠ)】などがいる。ブレンナの半姉ミルドレッドの牝系子孫には、スフレ【ケンタッキーオークス・ジェロームH】、ノーマン【英2000ギニー】、カリタン【プリークネスS】などがいる。そして最も繁栄しているのがブレンナの半妹シスタートゥルーリクの子孫であり、イルドリム【ベルモントS】、ダムロッシュ【プリークネスS】、スウォーンズサン【アーリントンクラシックS・アメリカンダービー・クラークH】、プリンスダンタン【サンタアニタH(米GⅠ)・サンアントニオH(米GⅠ)】、キングストンタウン【コックスプレート(豪GⅠ)3回・スプリングチャンピオンS(豪GⅠ)・ローズヒルギニー(豪GⅠ)・タンクレッドS(豪GⅠ)・シドニーC(豪GⅠ)・AJCダービー(豪GⅠ)・クイーンズランドダービー(豪GⅠ)・ジョージメインS(豪GⅠ)2回・コーフィールドS(豪GⅠ)2回・ウエスタンメイルクラシック(豪GⅠ)】、アーギュメント【ワシントンDC国際S(米GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)】、イーロ【BCスプリント(米GⅠ)】、テレプロンプター【バドワイザーミリオンS(米GⅠ)】、イブンベイ【イタリア大賞(伊GⅠ)・オイロパ賞(独GⅠ)・ベルリン銀行大賞(独GⅠ)・愛セントレジャー(愛GⅠ)】、アンブライドルドエレイン【BCディスタフ(米GⅠ)】、コートスター【キングジョージⅥ世チェイス(英GⅠ)5回・チェルトナム金杯(英GⅠ)2回・ティングルクリークチェイス(英GⅠ)2回・ベットフェアチェイス(英GⅠ)4回・アスコットチェイス(英GⅠ)・JNワインチャンピオンチェイス(愛GⅠ)2回】、ウィジャボード【英オークス(英GⅠ)・愛オークス(愛GⅠ)・BCフィリー&メアターフ(米GⅠ)2回・香港ヴァーズ(香GⅠ)・プリンスオブウェールズS(英GⅠ)・ナッソーS(英GⅠ)】、ポリティカルフォース【サバーバンH(米GⅠ)】、オーストラリア【英ダービー(英GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・英国際S(英GⅠ)】と活躍馬のオンパレード状態である。

レヴィティの曾祖母ルーシーの半妹ロウェナの孫には米国の誇りである大種牡馬レキシントンがいる。→牝系:F12号族①

母父ウォーダンスはレキシントン産駒。19世紀末の仏国最強馬と言われる仏国三冠馬パースの父であるウォーダンスとは同名の別馬である。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はカサット氏がペンシルヴァニア州に所有していた牧場で種牡馬入りした。本馬は種牡馬としても、1902年の米最優秀ハンデ牡馬ゴールドヒールズ、アラバマSの勝ち馬ポエテスなどを出して、1897年及び1901年に北米種牡馬ランキングで8位に入るなど、一定の成績を収めた。しかし種牡馬生活を送ったのがケンタッキー州では無かったために繁殖牝馬の質量ともに恵まれていなかった。交配されるのは専らカサット氏や彼と親しい人物が所有する牝馬だった。もしケンタッキー州で種牡馬生活を送っていればもっと好成績を挙げたとも言われる。実際に1900年には、かつてレキシントンが種牡馬生活を送っていたケンタッキー州ウッドバーンスタッドに貸与するという話があったそうだが、実現しなかった。

1904年頃にカサット氏が馬産規模の縮小を考え始めた段になって、再びウッドバーンスタッド貸与の話が出てきた。ようやく本馬がウッドバーンスタッドに移り住んだのは1906年で、既に本馬は23歳であり、種牡馬としての全盛期はとっくに過ぎ去っていた。なお、同年12月にカサット氏は67歳で死去している。そして本馬も、1908年2月に25歳で他界した。

父のロングフェローや、現役時代に対戦したハノーヴァー、キングストン、フィレンツェは米国競馬の殿堂入りを果たしているが、本馬は2015年時点で選出されていない。選出されても全くおかしくない競走成績の持ち主であり、今後歴史検証を経て殿堂入りを果たす事に期待したい。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1898

Gold Heels

サバーバンH

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