エクワポイズ

和名:エクワポイズ

英名:Equipoise

1928年生

栗毛

父:ペナント

母:スウィンギング

母父:ブルームスティック

3歳時をほぼ棒に振るも古馬になって慢性の裂蹄や重い斤量と戦いながら他馬を蹴散らし続け「チョコレートソルジャー」の愛称で親しまれた米国の歴史的名馬

競走成績:2~7歳時に米で走り通算成績51戦29勝2着10回3着4回

黒っぽい栗毛色の上品な馬体から、“The Chocolate Soldier(チョコレートソルジャー)”の愛称で競馬ファンに親しまれた、1930年代の米国を代表する名馬。

誕生からデビュー前まで

名牝リグレットなどの生産者として知られる米国の名馬産家ハリー・ペイン・ホイットニー氏により生産・所有された。後に歴史的名馬となる本馬も幼少期はそれほど高い評価を受けていたわけではなかったようで、本馬が預けられたフレディ・ホプキンス師はお世辞にも一流とは言えない調教師だった。

競走生活(2歳時)

2歳4月にボウイー競馬場で行われたダート4ハロンの一般競走でデビューし、4馬身差で快勝した。1週間後にハヴァードグレイス競馬場で出走したダート4.5ハロンの一般競走も、2着スクーナーに1馬身半差で勝利。しかし次走のアバーディーンS(D4.5F)は、コースレコードタイで走破したヴァンダープールの4馬身差3着に敗れた。続くピムリコナーサリーS(D4.5F)では主戦となるレイモンド・ワークマン騎手と初コンビを組んだが、スタート直後に躓いたためにワークマン騎手が落馬してしまい競走中止。次走のユースフルS(D5F)では、2位入線のヴァンダープールに4馬身差をつけて1位入線したが、ヴァンダープールの進路を妨害したために失格となった。

5月半ばには、本馬が現役時代を通じて最も活躍することになるベルモントパーク競馬場初登場となるキーン記念S(D4.5F)に出走。このレースは不良馬場で行われたが、2着ハッピースコットに2馬身差で勝利した。次走のジュヴェナイルS(D5F)でも、3ポンドのハンデを与えたハッピースコットを首差抑えて勝利した。さらにナショナルスタリオンS(D5F)では、2着ポリュドロスや3着となったこの年の米最優秀2歳牝馬ババケニーなどに6馬身差をつけて圧勝し、ベルモントパーク競馬場でステークス競走3連勝を飾った。

アケダクト競馬場に場所を移して出走したグレートアメリカンS(D5F)では130ポンドを背負わされたが、15ポンドのハンデを与えた2着ポリュドロスに2馬身差をつけて勝利した。続いてサラトガスペシャルS(D6F)に駒を進めたが、ジェームスタウンの2馬身半差2着に敗れた(3着となったサンフォードS勝ち馬サンメドウは本馬から8馬身後方だった)。ベルモントパーク競馬場に戻ってきた本馬はシャンペンS(D6.75F)に出走したが、2歳馬としては異例の132ポンドという酷量が堪えたのか、13ポンドのハンデを与えたメイトの頭差2着に惜敗した(本馬より斤量が19ポンド軽かった後のケンタッキーオークス2着馬サニーラッシーは3着だった)。

次走のベルモントフューチュリティS(D6.75F)では、ジェームスタウン、メイトが対戦相手となった。本馬とジェームスタウンには共に130ポンドの斤量を課され、メイトは122ポンドだった。しかし直線では本馬とジェームスタウンの2頭による一騎打ちとなった。結果はジェームスタウンが勝ち、本馬は頭差の2着、メイトはさらに3馬身差の3着だった。イースタンショアH(D6F)では、2着ドンレオンに5馬身差で圧勝した。しかしジュニアチャンピオンS(D8F)では、11ポンドのハンデを与えたトウェンティグランドの1馬身差2着に敗退。さらにケンタッキージョッキークラブS(D8F)でも、2歳馬の全米レコード1分36秒0で走破したトゥエンティグランドの鼻差2着に惜敗した。

このレースの10日後にハリー・ペイン・ホイットニー氏が死去したため、本馬は息子のコーネリウス・ヴァンダービルト・ホイットニー氏に受け継がれた。次走のピムリコフューチュリティ(D8.5F)にはジェームスタウンは不在だったが、トゥエンティグランドとメイトが出走していた。本馬はスタートで大きく出遅れてしまい、直線入り口ではまだ先頭から遥かに後方であり、敗戦確実と思われた。ところがこの絶望的な位置取りから重馬場の中を「心臓が止まるほどの」素晴らしい追い込みを披露して鮮やかに差し切り、トゥエンティグランドを半馬身差の2着、メイトを3着に退けて勝利した。引き揚げてきた本馬の蹄鉄は2つ外れており、落鉄しながらの勝利だった事に気付いた人々は愕然としたという。騎乗していたワークマン騎手は「これがあなたにとって生涯最高の競走だったですか」と尋ねられて、「私にとって?この競走を見た誰にとっても生涯最高でしょう」と応じたという。ニューヨーク・タイムズ紙は「スピードの光り輝く爆発」と、ボルチモア紙は「この10年間で最も華々しい競走」と書き立てた。

2歳時はこれが最後の出走となり、この年の成績は16戦8勝となった。惜敗が目立った年ではあったが、最後のピムリコフューチュリティの印象が強かったようで、後年になってジェームスタウンと共にこの年の米最優秀2歳牡馬に選ばれた。

競走生活(3歳時)

これで翌年のケンタッキーダービーの本命となった本馬は、3歳時は4月にハヴァードグレイス競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走から始動して、2着パネッシャンに2馬身半差で快勝。しかし次走のチェサピークS(D8.5F)では、アンカーズアウェイの13馬身差6着と惨敗した。このレース後に本馬は腎臓病(高窒素尿又は黒尿と言われる)を患っている事が判明した。また、この時期の本馬は裂蹄が原因で跛行を発症していたらしく、これも敗因であると言われている。

それでも出走に踏み切ったプリークネスS(D9.5F)だったが、メイトの2馬身3/4差4着に敗退した(トゥエンティグランドが2着だった)。この年はプリークネスSの1週間後に行われたケンタッキーダービーはレース当日に出走を取り消し、ベルモントSも回避。その後も長期休養を強いられたため、結局3歳時はプリークネスSが最後の出走となってしまい、この年の成績は3戦1勝に終わった。

競走生活(4歳時)

11か月間の空白期間を経て、4歳4月にデビューの地でもあるボウイー競馬場で行われたダート5ハロンのハンデ競走から再スタートを切った。仏国の名馬エピナード産駒の3歳馬ハイグロが対戦相手となったが、本馬が59秒4のコースレコードを樹立して2着ハイグロに半馬身差で勝ち、復帰戦を飾った。次走のハーフォードH(D6F)では128ポンドを背負いながらも、2着ハッピースコットに3馬身差をつけて勝利。129ポンドを課されたトボガンH(D6F)も、2着アイアンクラッドに1馬身差で勝利した。

127ポンドで出走したメトロポリタンH(D8F)では単勝オッズ1.6倍という断然の人気に応えて、ゴール前ではワークマン騎手が手綱を緩める余裕ぶりで2着サンメドウに2馬身半差で勝利を収め、プリークネスS勝利後にアーリントンクラシックS・アメリカンダービーを勝っていたメイト(3着)にも借りを返した。レース後の本馬に対しては観衆から「雷のような」賞賛が贈られたという。

その後はアーリントンパーク競馬場に向かい、デラヴァンH(D8F)に出走した。このレースでは、2歳時における本馬の好敵手で前年にウィザーズSを勝っていたジェームスタウンとの再戦となった。しかしジェームスタウンはもはや本馬の敵ではなく、128ポンドを背負った本馬が、118ポンドのジェームスタウンを3馬身差の2着に下して完勝した。勝ちタイム1分34秒4はダート1マイルの世界レコードだった。

続くスターズ&ストライプスH(D9F)では129ポンドが課されたが、22ポンドのハンデを与えた牝馬トレッドエイボンを3/4馬身差の2着に、3年前のプリークネスS勝ち馬ドクターフリーランドをさらに5馬身差の3着に退けて勝利した。5日後のアーリントン金杯(D10F)では、かつての好敵手メイトに加えて、この年にアーリントンクラシックS・アメリカンダービー・ジョッキークラブ金杯を勝つ強豪3歳馬ガストが対戦相手となったが、本馬が馬なりのまま2着ガストに4馬身差をつけて圧勝した。しかしこの楽勝ぶりが災いして次走のアーリントンH(D10F)では134ポンドが課されてしまい、23ポンドのハンデを与えた前年のスターズ&ストライプスH勝ち馬プラッキープレイの首差2着に敗れて連勝は7で止まった。

地元ニューヨークに戻ってきた本馬は、まずはウィルソンS(D8F)に出走して、前年の同競走勝ち馬ブラインドボウボーイを2馬身差の2着に抑えて勝利。次走のホイットニーH(D10F)ではスタートから先頭を走り続けて、ガストを3馬身差の2着に下して快勝した。

しかし秋シーズンに入ると調子が下降気味となり、ハヴァードグレイス競馬場で行われたダート6ハロンのハンデ競走では129ポンドの斤量だったとはいえ、勝った3歳馬ペアバイペアから9馬身差の5着と完敗。次走のハヴァードグレイスCH(D9F)では、21ポンドのハンデを与えた2着ギャラントサーに1馬身差で勝利を収めた。しかしローレルS(D8F)では、ホープフルS・トレモントS・フラッシュS・シェブリンS・ブルックデールH・メトロポリタンH・マチュリティSを勝っていた6歳馬ジャックハイとギャラントサーの2頭に屈して、ジャックハイの1馬身半差3着に敗退。ワシントンH(D10F)では3着メイトは鼻差抑えたが、勝ったトレッドエイボンに頭差届かずに2着に敗退(トレッドエイボンはこの勝利が評価されてこの年の米最優秀ハンデ牝馬に選ばれた)。4歳時はこれが最後のレースとなったが、この年の成績は14戦10勝で、後年になって米年度代表馬・米最優秀ハンデ牡馬のタイトルを獲得した。

競走生活(5歳時)

5歳になった本馬は、名伯楽として知られていたトマス・J・ヒーリー調教師の管理馬となった。まずは4月にハヴァードグレイス競馬場で行われたフィラデルフィアH(D8.5F)から始動して、2着トレッドエイボンに1馬身半差で勝利。次走のメトロポリタンH(D8F)では128ポンドを背負いながら、26ポンドのハンデを与えたトボガンHの勝ち馬オカピを4馬身差の2着に破って圧勝し、1921・22年に同競走を勝利したマッドハター以来11年ぶり史上2頭目の同競走2連覇を果たした。

続くサバーバンH(D10F)では132ポンドが課されたが、25ポンドのハンデを与えた2着オスカレーターに2馬身差で勝利した。さらに135ポンドを背負って出走したアーリントンH(D10F)も、29ポンドのハンデを与えた2着ウォッチヒムに1馬身半差で勝利した。次走のウィルソンS(D8F)では、もはや本馬の好敵手とは言えなくなったメイトに加えて、本馬と同世代のCCAオークス馬でこの年の米最優秀ハンデ牝馬にも選ばれるタンブルが対戦相手となったが、本馬が馬なりのまま2着タンブルに3馬身差をつけて勝利した。次走のホーソーン金杯(D10F)では、この年のウッドメモリアルS・アメリカンダービーを勝っているミスターハイヤームという3歳馬が挑んできたが、本馬が2着ギャラントサーに2馬身差をつけて勝利した。

次走のサラトガC(D14F)は、過去に距離10ハロン以下のレースしか走った事が無かった本馬にとって未知の距離のレースとなった。しかも対戦相手の中には前年に距離16ハロンのジョッキークラブ金杯を勝ったスタミナ自慢のガストがいた。しかし本馬が2着ガストに1馬身半差をつけて勝利した。

そしてジョッキークラブ金杯(D16F)でさらなる距離延長に挑んだ。しかしこのレース前から本馬は持病の裂蹄を悪化させており、しかもスタミナを消耗する不良馬場となっていた。これではさすがの本馬も厳しかったようで、翌年の同競走も勝って2連覇を果たすブルックリンH・マンハッタンH勝ち馬ダークシークレット、ガストの2頭に屈して、勝ったダークシークレットから12馬身差の3着と完敗を喫し、連勝は7で止まった。次走のハヴァードグレイスH(D9F)では、連戦の疲労と132ポンドの斤量が堪えたのか、28ポンドのハンデを与えたオスカレーターの1馬身差2着に敗れた(メイトが3着だった)。5歳時はこれが最後のレースとなったが、この年9戦7勝の成績で、後年になって2年連続の米年度代表馬・米最優秀ハンデ牡馬に選ばれた。おそらくこの5歳時が本馬の全盛期だったと思われる。

競走生活(6歳時)

サンボウが保持していた北米賞金記録の更新を目指して6歳時も現役を続行。まずは前年と同じく4月のフィラデルフィアH(D8.5F)から始動。130ポンドが課されたが、2着スプリングスチールに1馬身差で勝利した。次走のディキシーH(D9.5F)でも130ポンドを背負わされたが、2着チャットモスに1馬身半差で勝利した。

続いて史上初の3連覇を目指してメトロポリタンH(D8F)に出走した。前年より4ポンド重い132ポンドを背負っていたにも関わらず、ミスターハイヤームに2馬身差をつけて見事にトップゴールを果たした。ところが3連覇達成と思われたのは束の間の話で、直線における進路妨害を咎められて失格となってしまい、ミスターハイヤームが繰り上がって勝ちを拾った。ちなみに本馬が果たせなかったメトロポリタンH3連覇は、この11年後の1945年にデヴィルダイヴァーが達成しているのが今日に至るまで唯一の例である。

次走のサバーバンH(D10F)ではワークマン騎手が騎乗停止中だったため、2・3歳時の本馬に騎乗経験があるA・ロバートソン騎手が手綱を取った。ロバートソン騎手はテン乗りにも関わらず上手く本馬を御したが、134ポンドの斤量が堪えて、ホープフルS勝ち馬レディーズマンの鼻差2着に敗れた(3着ウォーグローリーは10馬身後方だった)。

その後は裂蹄の悪化に加えて、脚の腱を痛めた影響もあってしばらくレースに出ず、10月末のナラガンセットパーク招待S(D6F)で復帰した。鞍上にはワークマン騎手が戻っていたが、130ポンドの斤量と久々が影響したのか、トボガンHを2連覇していたオカピの半馬身差2着に惜敗。しかし次走のホイットニーゴールドトロフィーH(D10F)では「泥の海」と評された不良馬場の中、1歳年下のベルモントS勝ち馬フェアレノを1馬身半差の2着に、ミスターハイヤームを3着に下して勝利。6歳時の成績は6戦3勝で、さすがに米年度代表馬は受賞できなかった(ケンタッキーダービー・アメリカンダービー・アーリントンクラシックS勝ちなど7戦6勝の成績を挙げた3歳馬カヴァルケイドが受賞)が、3年連続で単独の米最優秀ハンデ牡馬に選ばれた。

競走生活(7歳時)

翌7歳時には、この年に創設された高額賞金競走サンタアニタHを目指してカリフォルニア州に飛んだ。まずは本番10日前のサンディエゴエクスポジションH(D8F)に出走したが、道中で不利を受けて、1歳年下のシャンペンS勝ち馬スウィーピングライトの1馬身差2着に敗れた。本番5日前のオークウッドH(D8.5F)では、かつての好敵手トゥエンティグランドとプリークネスS以来3年10か月ぶりの対戦となった。本馬がほとんど棒に振った3歳時にケンタッキーダービー・ベルモントS・ウッドメモリアルS・ドワイヤーS・トラヴァーズS・サラトガC・ローレンスリアライゼーションS・ジョッキークラブ金杯を勝利して米年度代表馬に選ばれたトゥエンティグランドは、その後の故障のために4歳時にいったん現役を引退していたが、授精能力欠如が判明したために、2年以上の空白を経て競走馬として復帰させられたばかりだった。レースでは本馬がトゥエンティグランドに1馬身差をつけて先頭でゴールインしたが、進路妨害を取られて生涯3度目の1位失格となり、トゥエンティグランドが繰り上がって2年5か月ぶりの勝ち星を拾った。

本番のサンタアニタH(D10F)でもトゥエンティグランドとの対戦となったが、本馬が当然のように1番人気に支持された。このレースは「あらゆる競走馬にとって史上最高の晴れ舞台」と評された。しかし130ポンドの斤量が堪えたのか、それとも既に全盛期を過ぎていたのか、はたまた慣れない米国西海岸における出走だったためかは分からないが、元々障害競走で走っていた愛国産馬アザカーの7馬身半差7着と大敗(トゥエンティグランドは10着)。記念すべき初代サンタアニタH優勝馬になる事は出来なかった。この直後に前年に発症した脚の腱の負傷が再発したために、7歳時3戦未勝利の成績で競走馬を引退した。

獲得賞金総額は33万8610ドルで、サンボウの37万6744ドルには届かず北米競馬史上2位止まりだったが、本馬の現役時代には1929年の「暗黒の木曜日」をきっかけとする世界大恐慌により賞金額が下落していた(サンボウの競走生活前半は世界大恐慌前)事は考慮する必要がある。

競走馬としての評価

この時期における米国競馬においては、トップクラスの馬は重い斤量を課せられるのが当たり前であり、多くの馬がそれに泣かされていた。本馬も他馬より遥かに多い斤量を背負わされる事が殆どだったが、それでも「まるでライオン」と評されたほどの抜群の闘争心を発揮して多くのレースで他馬を蹴散らし続けた。本馬にとって最大の敵は重い斤量よりも、現役時代を通じて悩まされた慢性の裂蹄であり、万全の状態で出走できた事が少なかったにも関わらず、これだけの成績を残したという点において、一層本馬の強さは印象的なものになっていると評されている。最初に記載したように、“The Chocolate Soldier”という愛称(他には馬名を縮めた“Ekky”という愛称もあったようである)を頂戴するほど黒っぽい栗毛色の上品な馬体の持ち主であり、「サルヴェイター」の筆名で知られたデイリーレーシングフォーム社の名物競馬作家ジョン・ハーヴェイ氏は「この馬は調和という言葉が生命を持ったかのようである」と評している。

血統

Pennant Peter Pan Commando Domino Himyar
Mannie Gray
Emma C. Darebin
Guenn
Cinderella Hermit Newminster
Seclusion
Mazurka See Saw
Mabille
Royal Rose Royal Hampton Hampton Lord Clifden
Lady Langden
Princess King Tom
Mrs. Lincoln
Belle Rose Beaudesert Sterling
Sea Gull
Monte Rosa Craig Millar
Hedge Rose
Swinging Broomstick Ben Brush Bramble Bonnie Scotland
Ivy Leaf
Roseville Reform
Albia
Elf Galliard Galopin
Mavis
Sylvabelle Bend Or
St. Editha
Balancoire Meddler St. Gatien The Rover
Saint Editha
Busybody Petrarch
Spinaway
Ballantrae Ayrshire Hampton
Atalanta
Abeyance Touchet
Minnie Hauk

父ペナントはピーターパン産駒で、現役成績12戦9勝。ピーターパンの生産・所有者だったジェームズ・ロバート・キーン氏の生産馬で、ハリー・ペイン・ホイットニー氏の所有馬として走り、ベルモントフューチュリティS・デラウェアHを勝ち、ブルックリンHで2着している。

母スウィンギングもハリー・ペイン・ホイットニー氏の所有馬で、現役成績は26戦12勝。メイトロンS・エンデュランスH・デモワゼルS・ローズデールS・クローバーSで2着しているが、ステークス競走の勝ちは無い。もっとも、これはスウィンギングが勝ち切るだけの能力に欠けていたためではないようで、ホイットニー氏は後に「スウィンギングはステークス競走を勝つだけの実力はあったのですが、いつも同厩の馬に勝ちを譲らせていたのです」と告白している。

本馬の8歳年下の全妹シェヴェスターの子にはレシー【コレクションH・コロニアルH】とマムルーク【メトロポリタンH・ブルーグラスS】が、孫にはチョンピオン【トラヴァーズS・ブライトンビーチH2回・セネカH・クエイカーH・パンアメリカンS・ディキシーH・マサチューセッツH】、ドッテッドスイス【ハリウッド金杯・サンセットH】が、曾孫にはピアスター【ブルックリンH・サバーバンH・ワイドナーH】、クイックンツリー【サンタアニタH・サンルイレイS・マンハッタンH・ジョッキークラブ金杯・サンフアンカピストラーノ招待H】、コートリセス【ガルフストリームパークH】などが、玄孫には亜国の名種牡馬となったグッドマナーズなどが、牝系子孫には、ニューヨーク牝馬三冠馬モムズコマンド【エイコーンS(米GⅠ)・マザーグースS(米GⅠ)・CCAオークス(米GⅠ)・セリマS(米GⅠ)・アラバマS(米GⅠ)】、アイムスプレンディド【セリマS(米GⅠ)・ハリウッドスターレットS(米GⅠ)】、ウインドシャープ【サンルイレイS(米GⅠ)・ビヴァリーヒルズH(米GⅠ)】、ジョハー【BCターフ(米GⅠ)・ハリウッドダービー(米GⅠ)】などがいる。

スウィンギングの半弟にはディストラクション【ウッドメモリアルS】がいる他、スウィンギングの半姉エスカルポレット(父フィッツハーバート)の曾孫にはインテンショナリー【ベルモントフューチュリティS・ピムリコフューチュリティ・ウィザーズS・ジェロームH】が、スウィンギングの半姉バランス(父ラブレー)の孫にはシービスケット【サンタアニタH・ピムリコスペシャル・サンフアンカピストラーノ招待H・ブルックリンH・ハリウッド金杯・サンアントニオH】、玄孫にはディターミン【ケンタッキーダービー・サンフェリペS・サンタアニタダービー・マリブS・サンタアニタマチュリティS】、牝系子孫にはバーロ【CCAオークス・マザーグースS・ベルデイムH・レディーズH】、ピースルールズ【ブルーグラスS(米GⅠ)・ハスケル招待H(米GⅠ)・サバーバンH(米GⅠ)】などが、スウィンギングの半妹ヒリー(父マッドハター)の子にはフライングリー【ケンタッキーオークス・サンタマルガリータ招待H】、牝系子孫には日本で走ったプラスワン【川崎記念】などがいる。スウィンギングの祖母バラントレーの牝系子孫からは、凱旋門賞馬ジェベルやスイープトウショウなども出ている。→牝系:F5号族③

母父ブルームスティックは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬はホイットニーファームで種牡馬入りした。しかし1938年に腸の感染症のために10歳という若さで他界した(同年には父ペナントも27歳で他界している)。残された産駒は僅か4世代だったが、死後4年目の1942年に、最終世代の1頭シャットアウトがケンタッキーダービーとベルモントSを勝つ活躍を見せ、同年の北米首位種牡馬に輝いた。シャットアウトがケンタッキーダービーやベルモントSを制したとき、誰もが本馬の実力を思い出したという。産駒のステークスウイナーは8頭である。1957年に米国競馬の殿堂入りを果たした。米ブラッドホース誌が企画した20世紀米国名馬100選で第21位。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1937

Bolingbroke

ジョッキークラブ金杯・ホイットニーS・マンハッタンH3回・ニューヨークH・サラトガC2回

1937

Equifox

アーリントンH・ワシントンパークH

1937

Gramps

ウエストチェスターH

1938

Attention

メトロポリタンH・アーリントンクラシックS

1938

Level Best

CCAオークス・デモワゼルS・トップフライトH

1938

Swing and Sway

ホイットニーS

1939

Lotopoise

モデスティH

1939

Shut Out

ケンタッキーダービー・ベルモントS・ブルーグラスS・アーリントンクラシックS・トラヴァーズS・ピムリコスペシャル

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