クリスエス

和名:クリスエス

英名:Kris S.

1977年生

黒鹿

父:ロベルト

母:シャープクイーン

母父:プリンスキロ

血統も競走成績も二流以下ながら産駒がブリーダーズカップで強さを発揮して北米首位種牡馬までに上り詰めたミラクルサイヤー

競走成績:2・3歳時に米で走り通算成績5戦3勝2着1回

競走馬としては二流以下の成績ながら、種牡馬として一流の活躍を示した米国のミラクルサイヤーの1頭。

誕生からデビュー前まで

米国フロリダ州レッドオークファームにおいてジョン・ブルネッティ氏により生産され、クリス・S・ロビラード女史の父親により購入され、ロビラード女史の名義で競走馬になった。馬名はロビラード女史のファーストネームとミドルネーム(の頭文字)をそのまま貰ったものである。

競走生活

2歳6月にハリウッドパーク競馬場で行われたダート5.5ハロンの未勝利戦でデビューして3馬身差で勝利。その後は一間隔空けて11月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート6ハロンの一般競走に出て、2馬身1/4差の2着。翌12月にサンタアニタパーク競馬場で行われたダート8.5ハロンの一般競走では1馬身1/4差で勝利し、2歳時の成績は3戦2勝となった。

3歳時は3月にサンタアニタパーク競馬場で行われたブラッドベリーS(D9F)から始動して、後にスワップスS・シネマHを勝ちトラヴァーズSで2着するファーストアルバートを2馬身差の2着に破って勝利。その10日後にはサンフェリペH(GⅡ・D8.5F)に出走して、デルマーフューチュリティ・ノーフォークS・サニースロープSの勝ち馬ザカーペンター、サンタカタリナSの勝ち馬でノーフォークS2着のルンボ、サンヴィンセントSを勝ってきたレイズアマンといった面々と対戦。しかし結果はレイズアマンの4馬身1/4差4着に敗れた。その後に脚の筋を痛めたために、3歳時2戦1勝の成績で競走馬を引退した。

血統

Roberto Hail to Reason Turn-to Royal Charger Nearco
Sun Princess
Source Sucree Admiral Drake
Lavendula 
Nothirdchance Blue Swords Blue Larkspur
Flaming Swords 
Galla Colors Sir Gallahad
Rouge et Noir
Bramalea Nashua Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Segula Johnstown
Sekhmet
Rarelea Bull Lea Bull Dog
Rose Leaves
Bleebok Blue Larkspur
Forteresse
Sharp Queen Princequillo Prince Rose Rose Prince Prince Palatine
Eglantine
Indolence Gay Crusader
Barrier
Cosquilla Papyrus Tracery
Miss Matty
Quick Thought White Eagle
Mindful
Bridgework Occupy Bull Dog Teddy
Plucky Liege
Miss Bunting Bunting
Mirthful
Feale Bridge Gold Bridge Golden Boss
Flying Diadem
Tolerate Essexford
Miss Tolka

ロベルトは当馬の項を参照。

母シャープクイーンは現役成績14戦2勝で、ステークス競走の勝ちは無かった。繁殖牝馬としては11頭の子を産み、うち本馬を含む7頭が勝ち上がるというなかなかの成績を残している。しかしステークス競走の勝ち馬は本馬のみ(ステークス競走の入着馬は他にもいる)であり、産駒の質がそれほど優れていたわけではなかった。シャープクイーンの母ブリッジワークは現役成績13戦5勝。ソロリティSを勝ち、ベルモントパーク競馬場ダート5ハロンのコースレコード58秒8を樹立した事もある快速馬だった。ブリッジワークの半姉ウーラガンコニーの孫にはウインドテックス【ホブソンH(米GⅡ)・アップルトンH(米GⅢ)・カナディアンターフH(米GⅢ)・カムデンH(米GⅢ)】がいるが、近親の活躍馬と言えばこのくらいである。1995年の桜花賞馬ワンダーパヒュームも同じ牝系だが、ブリッジワークの母フイールブリッジの半妹フレーミングファイアの玄孫がワンダーパヒュームであり、本馬の近親と言うには少し遠い。フイールブリッジの9代母は世界的名牝系の祖クイーンメアリーだが、本馬の牝系は現在も残るクイーンメアリーの牝系子孫の中でも発展していない部類に入る。→牝系:F10号族①

母父プリンスキロは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は、フロリダ州メドウブルックファームで種牡馬入りした。フロリダ州は米国馬産の中心地とは言えないが、それでもこの程度の競走成績でも種牡馬入りできてしまうのは、米国競馬界の奥の深さを示しているのかもしれない。もっとも、初年度の種付け料は3500ドルと安価であり、たいして期待されていなかったのは確かであろう。

初年度産駒は28頭で、そのうち5頭がステークスウイナーになるという順調なスタートを切った。3年目産駒のイブニングクリスが1988年のリヴァリッジSを制して初のグレード競走勝ち馬となり、さらにイブニングクリスは同年のジェロームHも勝利して初のGⅠ競走勝ち馬ともなった。

そして本馬が一気に爆発するきっかけとなったのが4年目産駒プライズドの活躍。このプライズドが1989年のBCターフを優勝したことで種牡馬としての人気が沸騰。以降は毎年のように活躍馬を送り出し、1993年には産駒がブリーダーズカップで2勝(ハリウッドワイルドキャットのBCディスタフとブロッコのBCジュヴェナイル)をマークし、遂に北米首位種牡馬の座に就いた(北米内の競走限定の賞金ランキングの場合。欧州で走った米国産馬の賞金も含めるとダンチヒが首位で本馬は3位)。

このダンチヒ(本馬とは同い年)もグレード競走勝ちがない馬だったが、ダンチヒは大種牡馬ノーザンダンサー産駒であり、しかもレースで見せたスピード能力は圧倒的だった。一方の本馬はダンチヒのように素晴らしいパフォーマンスを見せたわけでもなく(勝ったレースの最大着差は未勝利戦の3馬身差)、血統が優れているわけでもない(父ロベルトが種牡馬としてブレイクするのは本馬の競走馬引退後の話である)。繰り返しになるが、競走成績からすると種牡馬入りできたのが不思議なくらいなのだが、関係者は何か光るものを感じ取ったのだろうか。本馬を種牡馬入りさせた関係者の慧眼は見事の一言(たまたまかもしれないが)。

北米首位種牡馬に輝いた1993年には、テイラーメイドファームとサマーフィールドファームにより共同購入され、長年過ごしたフロリダ州からケンタッキー州プレストンウッドファーム(現ウインスターファーム)に栄転となった(逆に言えば、それまでは繁殖牝馬の質量共にケンタッキー州より劣るフロリダ州で活躍馬を続出させたことになる)。ケンタッキー州移動後も活躍馬を送り続け、2001年には遂に種付け料が15万ドルにまで達したが、その翌年2月に頚椎損傷による首の痛みのために種牡馬を引退。そして症状が悪化したために同年5月に25歳で安楽死の措置が執られ、遺体はウインスターファームに埋葬された。しかしこの年に本邦輸入競走馬シンボリクリスエスが天皇賞秋と有馬記念を優勝。翌年もシンボリクリスエスが同じ2競走を連覇しただけでなく、クリスキンが英ダービーを優勝、アクションディスデイがBCジュヴェナイルを制するなど、世界各国で本馬の産駒が活躍して亡き父に花を手向けた。

本馬は配合的には完全なスタミナ重視型であり、いかにも12ハロン以上の長距離に強そうな感じを受ける。実際に長距離を得意とする活躍馬は多いが、ほかにも様々なタイプの子を出しており、いわゆる万能種牡馬。シンボリクリスエスの活躍から分かるように日本の馬場に対する適性も優秀で、さすがはロベルト系と唸らせるものがある。産駒のステークスウイナーは63頭と、米国供用のトップ種牡馬としてはそれほど多い部類ではなく、どちらかと言えば勝ち上がり馬を安定して出すタイプではなく、一発大物を出すタイプの種牡馬だったようである。母父としてはBCクラシックなど19連勝を記録した女王ゼニヤッタを筆頭に、BCマイル勝ち馬ウォーチャント、シューメーカーマイルS勝ち馬レディーズディン、パシフィッククラシックS・ピムリコスペシャルH勝ち馬スチューデントカウンシル、サンタアニタオークス勝ち馬バランス、BCジュヴェナイルフィリーズ勝ち馬スイートカトマインなどを出しており、やはりブリーダーズカップで強さを発揮している。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1985

Evening Kris

ジェロームH(米GⅠ)・リヴァリッジS(米GⅢ)

1986

Prized

BCターフ(米GⅠ)・サンルイレイS(米GⅠ)・スワップスS(米GⅡ)・アーケイディアH(米GⅢ)

1986

Stocks Up

ハリウッドスターレットS(米GⅠ)・ソレントS(米GⅢ)

1987

Cheval Volant

ハリウッドスターレットS(米GⅠ)・ラスヴァージネスS(米GⅠ)・ソレントS(米GⅢ)

1988

Haunting

レアトリートH(米GⅢ)

1989

Lyin to the Moon

ブエナビスタH(米GⅡ)・ゴールデンポピーH(米GⅢ)

1990

Hollywood Wildcat

BCディスタフ(米GⅠ)・ハリウッドオークス(米GⅠ)・ゲイムリーS(米GⅠ)・デルマーオークス(米GⅡ)・ソロリティS(米GⅢ)

1990

Kissin Kris

ハスケル招待H(米GⅠ)・パームビーチS(米GⅢ)

1991

Brocco

BCジュヴェナイル(米GⅠ)・サンタアニタダービー(米GⅠ)

1991

Princess Kali

ヒルズボローH(米GⅢ)

1991

You And I

メトロポリタンH(米GⅠ)・カウディンS(米GⅡ)・ブルックリンH(米GⅡ)・リヴァリッジS(米GⅢ)

1991

マチカネアレグロ

アルゼンチン共和国杯(GⅡ)

1992

Class Kris

ブラックヘレンH(米GⅡ)・ニジャナS(米GⅢ)・ボイリングスプリングスH(米GⅢ)・スワニーリヴァーH(米GⅢ)・バックラムオークH(米GⅢ)

1995

Arch

スーパーダービー(米GⅠ)・フェイエットS(米GⅢ)

1995

Dr. Fong

セントジェームズパレスS(英GⅠ)・ダヴォナデイルS(米GⅡ)・ユジェーヌアダム賞(仏GⅡ)

1995

Midnight Line

ロングアイランドH(米GⅡ)・プレステージS(英GⅢ)・メイヒルS(英GⅢ)

1995

Soaring Softly

BCフィリー&メアターフ(米GⅠ)・フラワーボウル招待H(米GⅠ)・シープスヘッドベイH(米GⅡ)・ニューヨークH(米GⅡ)

1996

Adonis

ウッドメモリアルS(米GⅡ)・ディスカヴァリーH(米GⅢ)

1996

Apple of Kent

シュヴィーH(米GⅡ)

1996

Krisada

ラプレヴォヤンテH(米GⅡ)

1996

Peshtigo

チェスターヴァーズ(英GⅢ)

1997

Kudos

オークローンH(米GⅠ)・カリフォルニアンS(米GⅡ)

1997

Kumari Continent

ハリウッドオークス(米GⅡ)

1998

Bowman Mill

スカイクラシックH(加GⅡ)

1998

Julie Jalouse

オーキッドH(米GⅡ)

1998

Kiss the Devil

ミントジュレップH(米GⅢ)

1998

Sharp Performance

レキシントンS(米GⅢ)・ローレンスリアライゼーションH(米GⅢ)

1998

Strategic Partner

アメリカンターフS(米GⅢ)

1998

Whitmore's Conn

ソードダンサー招待H(米GⅠ)・ボーリンググリーンH(米GⅡ)2回

1999

Adreamisborn

ロングエイカーズマイルH(米GⅢ)・ベイメドウズBCH(米GⅢ)

1999

Epicentre

エルクホーンS(米GⅢ)

1999

シンボリクリスエス

天皇賞秋(GⅠ)2回・有馬記念(GⅠ)2回・青葉賞(GⅡ)・神戸新聞杯(GⅡ)

2000

Kicken Kris

アーリントンミリオンS(米GⅠ)・セクレタリアトS(米GⅠ)・ボーリンググリーンH(米GⅡ)・ローレンスリアライゼーションH(米GⅢ)

2000

Kris Kin

英ダービー(英GⅠ)・ディーS(英GⅢ)

2000

Sabre d'Argent

ローズオブランカスターS(英GⅢ)

2001

Action This Day

BCジュヴェナイル(米GⅠ)

2001

Lucky Story

ヴィンテージS(英GⅡ)・英シャンペンS(英GⅡ)

2001

Philanthropist

クイーンズカウンティH(米GⅢ)

2001

Rock Hard Ten

サンタアニタH(米GⅠ)・マリブS(米GⅠ)・スワップスBCS(米GⅡ)・ストラブS(米GⅡ)・グッドウッドBCH(米GⅡ)

2002

Melrose Avenue

クイーンズヴァーズ(英GⅢ)

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