和名:インターメゾ |
英名:Intermezzo |
1966年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ホーンビーム |
母:プラザ |
母父:パーシャンガルフ |
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父として名馬グリーングラスを出し、日本有数の長距離向き種牡馬として活躍した英セントレジャー馬 |
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競走成績:2~4歳時に英独で走り通算成績11戦3勝2着3回3着1回 |
誕生からデビュー前まで
英国でジェラルド・オールドハム氏により生産・所有され、英国ハリー・ラグ調教師に預けられた。
競走生活
2歳7月にニューマーケット競馬場で行われたノーフォークS(T7F)でデビューして1馬身半差で勝ち上がった。9月にはニューカッスル競馬場で行われたウィルズゴブレットS(T7F)に出走して4馬身差で快勝。10月にはドンカスター競馬場で行われたオブザーヴァー金杯(T8F)に出走して1番人気に支持されたが、ゴール前で失速したところを単勝オッズ11倍のジエルクに差されて1馬身半差の2着に敗れた。2歳時の成績は3戦2勝だった。
3歳時は英ダービーを目指してダンテS(T12F)から始動したが、湿った馬場に脚を取られて、勝ったアクティヴェーターから20馬身以上も離された4着に終わった。それでも豪州出身のロン・ハッチンソン騎手を鞍上に、英ダービー(T12F)に挑戦した。しかし単勝オッズ16倍の7番人気という低評価で、結果もブレイクニーの8着と振るわなかった。
その後は愛ダービーに出走する予定だったが、英国競馬界で咳が出る病気が流行したため、愛国への移動が一部制限されてしまい断念となった。代わりにグレートヴォルティジュールS(T12F)に出走。しかし直線で前が塞がってしまったため、ハッチンソン騎手が進路を求めて本馬を横に移動させたところ、他馬の進路を妨害してしまった。その結果1位入線したものの、4着降着となってしまった(勝ち馬ハーモニーホール)。
その後は英セントレジャー(T14F132Y)に参戦。デューハーストS・英シャンペンSの勝ち馬で愛ダービー2着のリボフィリオや、愛ダービーで4着だった英ダービー馬ブレイクニーなどが対戦相手となった。レスター・ピゴット騎手騎乗のリボフィリオが英2000ギニー・英ダービー・愛ダービーに続いて単勝オッズ2.1倍の1番人気に支持され、ハッチンソン騎手鞍上の本馬も単勝オッズ8倍とそれなりの人気となっていた。しかしこの年に競馬徴収法が改正されて、ブックメーカーに対する英国政府の管理体制が強化されたことに反発して、いくつかのブックメーカーがこの英セントレジャーにおける賭けの実施をボイコットしており、例年より盛り上がらない英セントレジャーとなっていた。レースは本馬のペースメーカー役を務めた同厩馬トータルゴーがハイペースで引っ張る展開となった。そして本馬は残り2ハロン地点で先頭に立って後続との差を広げにかかった。そこに外側へ持ち出したリボフィリオが追い込んできたが、本馬が押し切って2着リボフィリオに1馬身半差をつけて優勝した。3歳時の成績は4戦1勝だった。
4歳時は5月のアストンパークS(T13F60Y)から始動したが、後にジョッキークラブCを3連覇するハイラインの頭差2着と惜敗した。次走のハードウィックS(T12F)では、前年のワシントンDC国際S勝ち馬カラバスの1馬身半差2着。続くジェフリーフリアS(T13F)では、ハイラインの3馬身差3着に敗れた。秋は独国に遠征してバーデン大賞(T2400m)に出走したが、独ダービー・ベルリン大賞・アラルポカルを制していた地元の強豪アルペンケーニヒの着外に終わり、4歳時4戦未勝利で現役引退となった。
血統
Hornbeam | Hyperion | Gainsborough | Bayardo | Bay Ronald |
Galicia | ||||
Rosedrop | St. Frusquin | |||
Rosaline | ||||
Selene | Chaucer | St. Simon | ||
Canterbury Pilgrim | ||||
Serenissima | Minoru | |||
Gondolette | ||||
Thicket | Nasrullah | Nearco | Pharos | |
Nogara | ||||
Mumtaz Begum | Blenheim | |||
Mumtaz Mahal | ||||
Thorn Wood | Bois Roussel | Vatout | ||
Plucky Liege | ||||
Point Duty | Grand Parade | |||
Pinprick | ||||
Plaza | Persian Gulf | Bahram | Blandford | Swynford |
Blanche | ||||
Friar's Daughter | Friar Marcus | |||
Garron Lass | ||||
Double Life | Bachelor's Double | Tredennis | ||
Lady Bawn | ||||
Saint Joan | Willbrook | |||
Flo Desmond | ||||
Wild Success | Niccolo Dell'Arca | Coronach | Hurry On | |
Wet Kiss | ||||
Nogara | Havresac | |||
Catnip | ||||
Lavinia | Bosworth | Son-in-Law | ||
Serenissima | ||||
Ann Hathaway | Stratford | |||
Flying Home |
父ホーンビームはハイペリオンの直子。現役成績は27戦11勝で、グレートヴォルティジュールS・ウィンストンチャーチルSなどを勝ち、英セントレジャーとアスコット金杯で2着した典型的な長距離馬だった。種牡馬としては本馬以外に目立った産駒を出していないが、母父としてはブレイクニー、モーストン、トロイの3頭の英ダービー馬の他に、トニービンを出している。
母プラザは、本馬の生産・所有者オールドハム氏により2400ギニーで購入された馬で、競走馬としては11戦2勝の成績を残した。本馬の半妹サルダラ(父アルサイド)の子に、マイケル・キネーン騎手に初のGⅠ競走タイトルをもたらしたダラモナーク【愛2000ギニー(愛GⅠ)・セントジェームズパレスS(英GⅡ)・アングルシーS(愛GⅢ)】がいる。プラザの4代母フライングホームの半姉アンコラの娘スカパフローはファロスやフェアウェイの母であり、そちらの牝系子孫は現在でも繁栄しているが、フライングホームの牝系子孫は一昔前にはイチフジイサミ【天皇賞春】、ギャラントダンサー【朝日杯三歳S】、シリウスシンボリ【東京優駿(GⅠ)】などが出ていたものの、最近は衰退気味である。→牝系:F13号族①
母父パーシャンガルフは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は日本中央競馬会により購入されて4歳のうちに来日し、日本軽種馬協会七戸種馬場で種牡馬入りした。初年度の1971年は44頭の繁殖牝馬を集め、その後も54頭、64頭、52頭、50頭と安定した交配数を確保し、当時の人気種牡馬の1頭となった。しかしなかなか活躍馬が出ず、種牡馬生活6年目となった1976年の交配数は35頭と微減した。しかしこの1976年に2年目産駒の1頭グリーングラスがテンポイントやトウショウボーイを破って菊花賞を優勝。グリーングラスはその後も他2頭と共にTTG三強の1頭に数えられる活躍を見せ、本馬の種牡馬人気に大きく貢献した。グリーングラスの菊花賞制覇の翌年である種牡馬生活7年目の1977年は自身最高となる71頭の繁殖牝馬を集めた。その後も70頭、61頭、49頭、56頭、55頭、48頭、49頭、30頭、23頭と、右肩下がりながらもそれなりの交配数を確保していた。しかし種牡馬生活17年目となった1987年には7頭まで交配数が減少。その後も4頭、4頭、1頭、1頭と交配数が伸びず、1991年をもって種牡馬を引退。正確な没年は不明だが、1994年か1995年頃に28歳又は29歳で他界したようである。全日本種牡馬ランキングは、タカラテンリュウが重賞を3勝した1983年の22位が最高だった。結局グリーングラス以外の大物競走馬を出すことは無かったが、母の父としてはスーパークリークやサクラスターオーを輩出。競走馬として種牡馬としても長距離色の強い馬だった。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1973 |
イイオカプリンス |
さつき賞(上山) |
1973 |
グリーングラス |
菊花賞・天皇賞春・有馬記念・アメリカジョッキークラブC・日本経済賞 |
1974 |
インタモア |
あすなろ賞(金沢) |
1974 |
カールスバット |
京王杯オータムH |
1978 |
オーゴンタケル |
小倉記念(GⅢ) |
1978 |
カツマサタイコウ |
三条記念(三条) |
1978 |
スティード |
青雲賞(大井) |
1979 |
タカラテンリュウ |
東京新聞杯・ダイヤモンドS・毎日王冠 |
1979 |
ヒシノレビン |
二十四万石賞(高知)・建依別特別(高知) |
1981 |
ミスタールマン |
目黒記念(GⅡ) |
1981 |
ヤナギエクスアロー |
サラブレッド系三歳優駿(荒尾)・荒尾ダービー(荒尾) |