和名:パース |
英名:Perth |
1896年生 |
牡 |
鹿毛 |
父:ウォーダンス |
母:プリムローズデイム |
母父:バーカルディン |
||
当時の仏国3歳最高峰競走4戦を全勝した史上唯一の競走馬で種牡馬としても成功した19世紀末の仏国最強馬 |
||||
競走成績:2~4歳時に仏英で走り通算成績12戦8勝3着1回 |
誕生からデビュー前まで
仏国の銀行家兼馬産家だったモーリス・エフルッシ氏が所有するガゾン牧場で生産された。小柄だが気品溢れる雰囲気を漂わせた馬だったという。1歳時のドーヴィルセールにおいてモーリス・カイヨー氏により2万7500フランで購入された。カイヨー氏が設立した厩舎に預けられ、その厩舎の主任調教師だったリチャード・カーター・ジュニア師の調教を受けた。
競走生活
2歳時にドーヴィル競馬場でデビューしたが、2戦連続着外に終わった。その後ヴァンセンヌ競馬場に向かい、小規模レースを2戦して2勝した。しかし賞金不足で仏グランクリテリウムには出走できなかった。代わりにクリテリウム国際(T1000m)に出走して2着イヴァンフォー以下に勝利したが、斤量差を貰っての勝利であった。
このように2歳戦ではあまり目立つ成績を残せなかった本馬だが、3歳になると一気に素質が開花した。ダリュー賞(T2100m)では、後にバルブヴィル賞を勝つイスメーネを3着に破って勝利。仏2000ギニー(T1600m)では、プレミエールクリテリウムドプーランの勝ち馬ニフォンを2着に破って勝利。オカール賞(T2500m)でも2着クレイヴン以下に勝利を収めた。
そして迎えた仏ダービー(T2400m)では、2着ヴェラスケス(リュパン賞2着馬。2歳年上の英国三冠馬ガルティモアの好敵手だったヴェラスケスとは同名の別馬)に半馬身差で勝利し、仏グランクリテリウム・クリテリウムドメゾンラフィット・ロシェット賞・リュパン賞の勝ち馬ホロコーストを6馬身切り捨てた。敗れたホロコーストはすぐに英国に渡って英ダービーに出走し、後の英国三冠馬フライングフォックスとの一騎打ちの最中に故障して予後不良となってしまったが、故障が無ければ勝っていた可能性が十分ある内容で、この年の仏国3歳馬のレベルの高さを垣間見せている。
一方の本馬はその後も仏国に留まり、パリ大賞(T3000m)で再度ヴェラスケスを2着に抑えて優勝した。秋のロワイヤルオーク賞(T3000m)では、バーデン大賞を勝ってきたゴプセックを2着に、ヴェラスケスをを3着に破って勝利を収めた。これで本馬は、仏2000ギニー・仏ダービー・パリ大賞・ロワイヤルオーク賞という当時における仏国3歳最高峰のレースを全勝したことになり、これは本馬が最初で最後の達成馬である。
しかしシーズン最後のプランスドランジュ賞(T2400m)では、斤量差の影響もあって、6歳牝馬ジャンヌブルネット、イスパーン賞・ボイアール賞・フォンテーヌブロー賞・ギシュ賞・ユジェーヌアダム賞・ロンシャン賞・ドーヴィル大賞を勝っていた同世代の牡馬フーリエの2頭に屈して、ジャンヌブルネットの3着に終わり、3歳時の成績は7戦6勝となった。この年は仏年度代表馬に選出されたとする資料もある。
4歳時はカドラン賞(T4200m)から始動して10馬身差で圧勝。その後は英国に渡ってアスコット金杯(T20F)に挑戦したが、レース中に故障してしまい、シザレウィッチH・ジョッキークラブC・グッドウッドS・グッドウッドCを勝っていた豪州産馬マーマン、前年のシザレウィッチHを勝ち英セントレジャーで3着していたシャンティラント、豪州でモルボルンCを勝った後に英国に移籍してシティ&サバーバンHを勝っていたザグラフターの3頭に屈して、マーマンの4着に敗退。このレースを最後に4歳時2戦1勝の成績で競走馬を引退した。
血統
War Dance | Galliard | Galopin | Vedette | Voltigeur |
Mrs. Ridgway | ||||
Flying Duchess | The Flying Dutchman | |||
Merope | ||||
Mavis | Macaroni | Sweetmeat | ||
Jocose | ||||
Merlette | The Baron | |||
Cuckoo | ||||
War Paint | Uncas | Stockwell | The Baron | |
Pocahontas | ||||
Nightingale | Mountain Deer | |||
Clarinda | ||||
Piracy | Buccaneer | Wild Dayrell | ||
Little Red Rover Mare | ||||
Newminster Mare | Newminster | |||
Lanercost Mare | ||||
Primrose Dame | Barcaldine | Solon | West Australian | Melbourne |
Mowerina | ||||
Birdcatcher Mare | Birdcatcher | |||
Hetman Platoff Mare | ||||
Ballyroe | Belladrum | Stockwell | ||
Catherine Hayes | ||||
Bon Accord | Adventurer | |||
Birdcatcher Mare | ||||
Lady Rosebery | Lord Clifden | Newminster | Touchstone | |
Beeswing | ||||
The Slave | Melbourne | |||
Volley | ||||
Violet | Thormanby | Windhound | ||
Alice Hawthorn | ||||
Woodbine | Stockwell | |||
Honeysuckle |
父ウォーダンスは仏国産馬で、エフルッシ氏により1150フランという安値で購入された。仏国クラシックなど著名な競走には出走しなかったが26戦してモートリー賞など18勝、着外は一度だけという優秀な成績を残した。息子である本馬と同様に距離適性は広く、短距離戦から2400mまで幅広く勝利を挙げている。引退後はガゾン牧場で種牡馬入りし、種牡馬としてもかなり優秀な成績を残し、本馬の他にも多くの活躍馬を出した。また、ザテトラークの父ロイヘロドの母父でもある。ウォーダンスの父ガリアードはガロピン産駒で、英2000ギニー・セントジェームズパレスS・プリンスオブウェールズSを勝ち、英ダービーでは3着だった。
母プリムローズデイムは英国産馬で、現役時代は2歳時にエプソム競馬場で行われたロザンプスティードSを勝っているが、売却競走への出走歴もあり、あまり期待される馬ではなかったようである。競走馬引退後は英国で繁殖入りして3頭の子を産んだが、どの子もあまり見込みがありそうな馬ではなかったため売りに出され、その後エフルッシ氏に購入されて仏国で繁殖入りしていた。本馬以外に目立つ競走成績を残した子を産んでいないが、本馬の半姉リトルプリムローズ(父ロイヤルハンプトン)の子にサンフラワー【オールエイジドS】が、本馬の1歳下の半妹プリマヴェラ(父ユーパス)の孫にプリオリ【ロワイヤルオーク賞・凱旋門賞・カドラン賞】がいる。
プリマヴェラの牝系子孫が後世に伸びており、ヘリングボーン【英1000ギニー・英セントレジャー】、リンクリス【愛オークス・ヨークシャーオークス・愛セントレジャー】、ササフラ【凱旋門賞・仏ダービー・ロワイヤルオーク賞】、キングスレイク【愛2000ギニー(愛GⅠ)・サセックスS(英GⅠ)・ジョーマクグラス記念S(愛GⅠ)】、ビカラ【仏ダービー(仏GⅠ)・ガネー賞(仏GⅠ)】、アサート【仏ダービー(仏GⅠ)・愛ダービー(愛GⅠ)・ベンソン&ヘッジズ金杯(英GⅠ)・ジョーマクグラス記念S(愛GⅠ)】、ラストタイクーン【BCマイル(米GⅠ)・キングズスタンドS(英GⅠ)・スプリントCS(英GⅠ)】、ムーンマッドネス【英セントレジャー(英GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、シェリフズスター【コロネーションC(英GⅠ)・サンクルー大賞(仏GⅠ)】、ケルティックスウィング【レーシングポストトロフィー(英GⅠ)・仏ダービー(仏GⅠ)】、センスオブスタイル【スピナウェイS(米GⅠ)・メイトロンS(米GⅠ)】、サウザンドスターズ【仏チャンピオンハードル(仏GⅠ)2回・モルジアナハードル(愛GⅠ)・ドートンヌ大賞(仏GⅠ)】、イモータルヴァース【コロネーションS(英GⅠ)・ジャックルマロワ賞(仏GⅠ)】、日本で走ったメジロティターン【天皇賞秋】、メジロライアン【宝塚記念(GⅠ)】などが出ている。
プリムローズデイムの半姉ローズバド(父ペロゴメス)の牝系子孫にはプリンスフローリ【バーデン大賞(独GⅠ)】が、プリムローズデイムの全妹ビオンディナの牝系子孫にはフォウダ【ハリウッドオークス(米GⅠ)・スピンスターS(米GⅠ)】がいる。
プリムローズデイムの母レディローズベリーの半妹ヴァイオレットメルローズの子にはメルトン【英ダービー・英セントレジャー・ミドルパークプレート・ジュライC】が、レディローズベリーの半妹ミスミドルウィックの子にはミセスバターウィック【英オークス】がおり、この牝系からは他にも数多くの活躍馬が出ているが、その詳細はメルトンの項を参照してほしい。→牝系:F8号族②
母父バーカルディンは当馬の項を参照。
競走馬引退後
競走馬を引退した本馬は仏国ノナンルパン牧場で種牡馬入りした。本馬は1908年に12歳の若さで腎臓病のため他界し、骨格はノナンルパン牧場に保管された。早世した本馬だが、種牡馬としての活躍は素晴らしく、1907・08・11年と3度の仏首位種牡馬を獲得した。本馬は現役時代も短距離戦から長距離戦まで距離を問わずに走ったが、産駒の距離適性も幅広く、2歳戦から活躍する短距離馬から仏国クラシック馬、長距離馬、障害競走馬と様々なタイプの活躍馬を出した。また、本馬は繁殖牝馬の父としても活躍し、2度の仏母父首位種牡馬となっているが、母父として出した産駒の中で後世に影響を残したのは競走馬としては二流だったローズプリンス(プリンスローズの父)である。
本馬の後継種牡馬としてはアルカンタラが2度の仏首位種牡馬に輝く成功を収め、サイアーラインはアルカンタラから凱旋門賞馬カンタール、ロワイヤルオーク賞の勝ち馬ヴィクトリクスと伸びたラインと、同じくアルカンタラからピンソー、仏ダービー・凱旋門賞・ロワイヤルオーク賞の勝ち馬ヴェルソ、英ダービー馬ラヴァンダン、天皇賞馬ヤマニンウェーブと伸びたラインの他に、フォーチュール産駒のニドドールがチリで大成功を収めるなどして発展したが、現在は全て途絶えている。それでも本馬や本馬の直系種牡馬を母系に有する活躍馬は数多くいる。
主な産駒一覧
生年 |
産駒名 |
勝ち鞍 |
1902 |
Kazbek |
ドラール賞 |
1903 |
Go to Bed |
グロシェーヌ賞 |
1903 |
King James |
エドヴィル賞 |
1904 |
Kalisz |
カドラン賞・グレフュール賞 |
1904 |
My Pet |
デューハーストS・モールコームS |
1905 |
Magellan |
ユジェーヌアダム賞 |
1905 |
Northeast |
パリ大賞・クリテリウムドメゾンラフィット |
1905 |
Sauge Pourpree |
仏グランクリテリウム・仏1000ギニー・カドラン賞・ビエナル賞・ロベールパパン賞・ロンシャン賞・フロール賞 |
1906 |
Hag to Hag |
コンセイユミュニシパル賞 |
1908 |
Alcantara |
仏ダービー・リュパン賞・エクリプス賞・プランスドランジュ賞 |
1908 |
Faucheur |
仏グランクリテリウム・シェーヌ賞・オカール賞 |