セクレト

和名:セクレト

英名:Secreto

1981年生

鹿毛

父:ノーザンダンサー

母:ベティズシークレット

母父:セクレタリアト

僅か4戦の経歴で競走馬を引退したノーザンダンサー直子の英ダービー馬は日本で死後にGⅠ競走の勝ち馬を送り出す

競走成績:2・3歳時に愛英で走り通算成績4戦3勝3着1回

誕生からデビュー前まで

ノーザンダンサーの生産者でもある加国の名馬産家エドワード・プランケット・テイラー氏により、彼が所有していたウインドフィールズファームの米国メリーランド支場において生産された。父ノーザンダンサーは既に押しも押されもしない世界一の種牡馬として君臨しており、母ベティズシークレットの牝系からも活躍馬が多数出ているという、優秀な血統の持ち主だった。同年に同牧場では後に本馬と英ダービーで対戦することになるエルグランセニョールも誕生しており、2頭は幼少期に同じパドック内で遊んだ仲だった。

1歳時のキーンランドセールに出品され、ベネズエラの馬産家兼馬主だったルイージ・ミリエッティ氏により購入されたが、購入価格はノーザンダンサー産駒としては比較的安い34万ドルだった(この1982年におけるノーザンダンサー産駒の平均取引価格は約85万7千ドル)。血統の割には価格が安かった理由としては、母ベティズシークレットは血統が良いといっても不出走馬であり、さらに本馬が初子であったため、ベティズシークレット自身の繁殖能力は未知数だったことが影響していたのではないかと思われる。

ミリエッティ氏は本馬を愛国に送り、デビッド・オブライエン調教師(本馬と同世代のエルグランセニョールやサドラーズヴェルズを管理していた愛国の名伯楽ヴィンセント・オブライエン調教師の息子)に預けた。

競走生活

2歳10月に愛国フェニックスパーク競馬場で行われた芝7ハロンの未勝利戦でデビューして勝利したが、2歳時はこの1戦のみで休養入りした。

3歳時は、前走から半年後の4月にカラー競馬場で行われたテトラークS(愛GⅢ・T7F)から始動。主戦となるクリスティー・ロシェ騎手を鞍上に、2着ウィズアウトリザーヴに3馬身差をつけて勝利した。

続いて愛2000ギニー(愛GⅠ・T8F)に駒を進めた。ここでは、ベレスフォードS・デリンズタウンスタッドダービートライアルSの勝ち馬サドラーズヴェルズ、クリテリウムドメゾンラフィットの勝ち馬プロシーダなどを抑えて1番人気に支持されたものの、勝ったサドラーズヴェルズと2着プロシーダの首差の接戦に届くことが出来ずに、プロシーダから半馬身差の3着に敗れた。このときのレース内容は、本馬はもう少し距離が延びたほうが強いだろうと思わせるものだった。

続く英ダービー(英GⅠ・T12F)では、単勝オッズ15倍で17頭立て5番人気の評価だった。単勝オッズ2.375倍の1番人気に支持されていたのは、ヴィンセント・オブライエン厩舎に所属していた本馬の幼馴染エルグランセニョールで、レイルウェイS・愛ナショナルS・デューハーストS・グラッドネスS・英2000ギニーなど、デビューから無傷の6連勝中であった。他の出走馬は、ウィリアムヒルフューチュリティS・サンダウンクラシックトライアルS・リングフィールドダービートライアルSの勝ち馬アルファベイティム、ダンテSの勝ち馬クロードモネ、チェスターヴァーズの勝ち馬ケイチュ、ウィリアムヒルフューチュリティS3着馬イリウム、ホーリスヒルS2着馬マイボルガボートマン、ホーリスヒルSの勝ち馬でヴィンテージS2着のエレガントエアー、半兄に愛ダービー馬ターナボスなどGⅠ競走の勝ち馬が3頭もいるというクレイヴンS3着馬テリオス(日経新春杯を勝ったメジロランバダの父)、ブルーリバンドトライアルSの勝ち馬ロングポンド、古馬相手の伊共和国大統領賞で2着してきたノーザンフレッド、伊ダービーで3着してきたアトタラクなどだった。

スタートが切られると、15番人気馬カタルディが逃げを打った。同じく15番人気のアトタラクが2番手を追走して、さらにテリオスなどが先行した。エルグランセニョールは馬群の中団、本馬はさらにその後方に待機した。2番手のアトタラクはこのレースでは人気薄だったが、後にパリ大賞を勝ち、さらに豪州へ移籍してメルボルンCやマッキノンSを勝利するスタミナ自慢の馬であり、この英ダービーでもそのスタミナを存分に活かすべく、坂を上がりきったところで仕掛けて先頭に立ち、タッテナムコーナーを回りながら後続を引き離し、5馬身ほどリードして直線に入ってきた。アトタラクの逃げは直線半ばまで続いたが、直線入り口で4番手だったエルグランセニョールが追い上げてきて、残り2ハロン地点で馬なりのままアトタラクをかわして先頭に立った。そこへタッテナムコーナーで大外を回りながら位置取りを上げ、直線を6番手で向いた本馬が外側からエルグランセニョールに襲い掛かった。エルグランセニョール鞍上のパット・エデリー騎手は、明らかに余裕を持って愛馬を走らせていたが、ここで外側から来た本馬の勢いに目をやると、ようやく本気になってスパートを開始。そして幼馴染の2頭による激しい叩き合いが展開された。最後は凄まじいほどに鞭を連打した(筆者が数えると、優に40回以上は打っている)ロシェ騎手の気迫に応えた本馬がゴール直前で前に出て短頭差で優勝し、エルグランセニョールに土を付けた唯一の馬となった。

レース直後にエデリー騎手から、本馬が内側に寄ってきてエルグランセニョールの進路を妨害したという申し立てが行われたが、これは棄却された。当時27歳のデビッド・オブライエン師は史上最年少の英ダービー優勝調教師となった。ロシェ騎手はレース後に「セクレトは素晴らしい勇気で勝ちました」とコメントした。

英ダービーの直後、本馬の権利の半分が米国の名門牧場カルメットファームにより2000万ドルという超高額で購入された。その後も競走馬登録はされていたのだが、愛ダービー・キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスS・ベンソン&ヘッジズ金杯など、出走予定だったレースを次々と回避。結局英ダービー以降はレースに出ることなく3歳時3戦2勝の成績で競走馬引退となった。

英ダービーが僅差勝ちだった上に、英ダービー以降に走る機会が無かったために、国際クラシフィケーションや英タイムフォーム社の評価は辛く、前者は126ポンドで、トップのエルグランセニョールよりなんと12ポンドも下、後者は128ポンドで、やはりトップのエルグランセニョールより8ポンド下だった。ただし両数値とも、この年のBCターフを制したラシュカリや、英チャンピオンSを制したパレスミュージックといった3歳馬と同値であるから、本馬が低いというよりもエルグランセニョールが高すぎると言うべきだろうか。

血統

Northern Dancer Nearctic Nearco Pharos Phalaris
Scapa Flow
Nogara Havresac
Catnip
Lady Angela Hyperion Gainsborough
Selene
Sister Sarah Abbots Trace
Sarita
Natalma Native Dancer Polynesian Unbreakable
Black Polly
Geisha Discovery
Miyako
Almahmoud Mahmoud Blenheim
Mah Mahal
Arbitrator Peace Chance
Mother Goose 
Betty's Secret Secretariat Bold Ruler Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Miss Disco Discovery
Outdone
Somethingroyal Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Imperatrice Caruso
Cinquepace
Betty Loraine Prince John Princequillo Prince Rose
Cosquilla
Not Afraid Count Fleet
Banish Fear
Gay Hostess Royal Charger Nearco
Sun Princess
Your Hostess Alibhai
Boudoir

ノーザンダンサーは当馬の項を参照。

母ベティズシークレットは不出走馬。初子である本馬を産んだのは4歳時であった。その産駒には本馬の半弟に当たる名障害競走馬イスタブラク(父サドラーズウェルズ)【愛チャンピオンハードル(愛GⅠ)4回・英チャンピオンハードル(英GⅠ)3回・エイントリーハードル(英GⅠ)・ハットンズグレイスハードル(愛GⅠ)2回・ロイヤルボンドノービスハードル(愛GⅠ)・ロイヤルサンアライアンスノービスハードル(英GⅠ)・スタンリークッカーチャンピオンノービスハードル(愛GⅠ)・パンチェスタウンチャンピオンハードル(愛GⅠ)・ディセンバーフェスティヴァルハードル(愛GⅡ)4回・デロイト&トウシュノービスハードル(愛GⅡ)・ファーストチョイスノービスハードル(愛GⅢ)】がいる。また、本馬の全妹カトペトルの子にはクローズコンフリクト【イタリア大賞(伊GⅠ)】、曾孫には日本で走ったホウライアキコ【デイリー杯2歳S(GⅡ)・小倉2歳S(GⅢ)】、ホウライエイブル【梅見月杯】が、本馬の半妹ダンスプレイ(父ザミンストレル)の子にはロードプリヴェイル【京都ハイジャンプ(JGⅡ)・小倉サマージャンプ(JGⅢ)・阪神ジャンプS(JGⅢ)】がいる。

ベティズシークレットの曾祖母ユアホステスは、名馬ケルソや名繁殖牝馬ソシアルバターフライの父として知られるユアホスト【サンタアニタダービー・デルマーフューチュリティ・サンフェリペS】の全妹であり、近親には活躍馬が多数いる。ベティズシークレットの半兄にはカラコレロ(父グロースターク)【仏ダービー(仏GⅠ)】、叔父には米国顕彰馬マジェスティックプリンス【ケンタッキーダービー・プリークネスS・サンタアニタダービー】とクラウンドプリンス【デューハーストS(英GⅠ)】がいる。ベティズシークレットの従姉妹の子であるリアルクワイエット【ケンタッキーダービー(米GⅠ)・プリークネスS(米GⅠ)・ハリウッドフューチュリティ(米GⅠ)・ピムリコスペシャルH(米GⅠ)・ハリウッド金杯(米GⅠ)】や、米国顕彰馬ボウルオブフラワーズ【フリゼットS・エイコーンS・CCAオークス・スピンスターS】、名種牡馬グロースタークとヒズマジェスティ、米国顕彰馬ギャラントブルーム【メイトロンS・モンマスオークス・デラウェアオークス・ガゼルH・マッチメイカーS・スピンスターS・サンタマリアH・サンタマルガリータ招待H】、そして日本で活躍したダイワメジャー【皐月賞(GⅠ)・天皇賞秋(GⅠ)・マイルCS(GⅠ)2回・安田記念(GⅠ)】、ダイワスカーレット【桜花賞(GⅠ)・秋華賞(GⅠ)・エリザベス女王杯(GⅠ)・有馬記念(GⅠ)】、ヴァーミリアン【川崎記念(GⅠ)2回・JBCクラシック(GⅠ)3回・ジャパンCダート(GⅠ)・東京大賞典(GⅠ)・フェブラリーS(GⅠ)・帝王賞(GⅠ)】なども同じ牝系の出である。→牝系:F4号族①

母父セクレタリアトは当馬の項を参照。

競走馬引退後

競走馬を引退した本馬は米国に戻り、カルメットファームで種牡馬入りした。種牡馬としての成績はまずまずといったところだったが、ノーザンダンサーの後継種牡馬としての期待に沿えるものだったとは言い難い。1991年にカルメットファームが破産してしまうと、本馬はセリに掛けられた。そして最終的には青森県の諏訪牧場に購入されて、1993年から日本における種牡馬生活を開始した。来日前に外国産馬として日本で走ったフィールドボンバーが朝日杯三歳Sで2着に入っていたため期待され、初年度は57頭、2年目は54頭、3年目は62頭、4年目は61頭、5年目は52頭、6年目は42頭の繁殖牝馬を集めた。しかし7年目の1999年の交配数は6頭に留まり、同年に18歳で他界した。しかしこの1999年に産まれた産駒のタムロチェリーが阪神ジュベナイルフィリーズを制覇して、日本でもGⅠ競走勝ち馬の父となった。しかし全日本種牡馬ランキングの最高位はタムロチェリーが阪神ジュベナイルフィリーズを勝った2001年の92位が最高と、日本で種牡馬として成功したとは言い難い。産駒はやや動きが固い傾向があったが、仕上がり早い芝向きのスピードを誇る馬が多かった。英ダービー馬ではあるが、産駒は明らかにマイル~短距離向きだった。

主な産駒一覧

生年

産駒名

勝ち鞍

1986

Lea Lucinda

デルマーデビュータントS(米GⅡ)

1986

Miss Secreto

伊1000ギニー(伊GⅡ)・リディアテシオ賞(伊GⅡ)・ドルメロ賞(伊GⅢ)

1988

Mystiko

英2000ギニー(英GⅠ)・チャレンジS(英GⅡ)

1988

Rufina

メルトン賞(伊GⅡ)

1988

Secret Haunt

エリントン賞(伊GⅡ)

1989

Secret Thing

メルトン賞(伊GⅡ)

1990

Johnny Stecchino

エマヌエーレフィリベルト賞(伊GⅢ)

1990

Secrage

カブール賞(仏GⅢ)

1990

Secret Odds

メリーランドBCH(米GⅢ)

1990

White Crown

ソラリオS(英GⅢ)

1997

ナムラセクレト

北陸三県畜産会長賞(金沢)

1999

タムロチェリー

阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ)・小倉2歳S(GⅢ)

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